はてなキーワード: クレーマーとは
爺が期限まじかの半額パンを万引きするのをゴツイ警備員がとらえて店長が尋問する番組を見るのが好きなのが日本人
森かけ8億円泥棒をスルーして暴力団事務所の前で爺の原付の速度15キロオーバーを逮捕するのが大好き
交通事故に遭ってむちうちで腕ビリビリするし、整形外科に通って治療を続けてるけどまだ3ヶ月しか経ってないのに保険会社からは打ち切り宣告されたし、マンションのエアコンが壊れて管理会社に伝えたけど全然修理に来てくれないし、それを伝えたらクレーマー認定されて自分で業者探せと無茶振りしてきたし、せっかく頑張って10kg痩せたのにニートでメンヘラの友達に彼氏ができて私はふられたし、慢性的な病気になって一生定期的な通院と薬を服用しなければならなくなったし、パワハラ受けて異動で地方に飛ばされたし、出るはずの手当はなぜか私だけ出ないし、組合に相談したら「忙しい」でぶった切られて音沙汰なしだし、手当が出ないからお金がなくてもう整形外科に行けなそうだし、毎年チャレンジしてる会社の面接(新卒枠で受け続けている)で毎年最終面接まで行って今年もそこまで行ったけど結局落ちたし、新卒枠は今年で終わったし、その会社中途採用はないし、お父さん自殺しちゃった。
もう疲れた
ある本を買おうと思っていた
読んだことはないけどイラストがけっこう好きだった
だけど最近あったある炎上事件でその作者が炎上に加担しているのを見てしまった
加担とは言ってもブコメなどで「これは許せない炎上したらいい」「なんでこれが通ると思ったのか謝罪すべきだし追放すべき」みたいなことを言ってた
正確に覚えてないので原文ママではない
自分勝手に自分が嫌だから存在することすら許せないという理解不能な極論、炎上させて楽しんでる腐った性格な人、ネットの荒らしと同じタイプの人間だとみなしてる
基本的な私の主張はその人の制作物と本人は別であるということだ
本人になにか問題があろうと作ったものがよければそれは評価されるべきだと思っていた
だからこそ少し前にアニメ化中止になった作品、原作はみていないが漫画は読んでいて、出てれば買う程度には好きだった
アニメ化中止と聞いたときにはすごく残念だったし、漫画が続くのであれば買い続けるつもりだ
本人がどういう人であったところで作品は作品であり、それが良ければ消費者には作者自身の考えなどどうでも良い部分だからだ
著名人としての公開アカウントでの過激な発言を控える程度の注意だけで十分だったのではと思う
しかし、今回の本については買う気がなくなりつつある
絵が好きというくらいの理由で中身は知らないし、すでに読んでる本の続きと比べると作者自信のイメージが強く影響してしまう
ところで、その本を買うところは一般のストアではなく特別なところで、そこのためのマネーを一定単位で買うことが出来、またいわゆる投銭的な必要以上のお金を払うこともできる
もともとはそのサイトのためのマネーを帰る単位で必要な部分だけ買って残りはその作者にあげようと考えていた
例えば2000円単位で変えて、本が1500円なら500円余っても仕方ないから2000円で買うと言った具合だ
今回のことで必要以上にお金を上げる価値はない人だと感じたので買うにしても最低金額のつもりだ
本の内容は漫画のような物語を楽しむものではなく、実際に役に立つ系のものだ
だが私にとってそれが価値があるのかは買ってみないとわからない
買うべきか買わざるべきか
疲れたー。
何の根拠もなく今日も暇なんじゃね?と思って出勤したら普通に混んでたので焦った。前任者の申し送りもちゃんと聴けないくらいの忙しさ。
今日はイケメン正社員氏とお仕事だったが、今日も池面氏は歩く誘蛾灯だった。ほんとすごくお客さんから話し掛けられてる。
私はこのバイトを始めるまで、コンビニの店員と話そうという発想すら持ち合わせていなかったから、わざわざ池面氏と会って会話する為だけに来店してるんじゃないかっていう感じのお客さんが何人もいる事にとても驚いた。
今日混んだ原因は、昨日世間の多くの人達が給料日だったからで、沢山のお客さんが公共料金の払込票を携えてやって来た。そういうお客さんの大半が公共料金の支払だけじゃなく他に色々買ってくださるので、お店的にはたぶん有り難い。対応する私どもは死にそうだけど。
そんな忙しい合間にも私にまでやたら話し掛けて来る池面氏だった。最近まで物凄く寡黙なキャラの私をもてあましてる感あったけど、慣れたのだろうか?人の髪留めとかそういう細部過ぎる細部のオサレを誉めるとか、すごいな、リア充って……そげな事をそつなくやってのけるのか……リア充……おそろしい子!
細かい所で人心掌握術を発揮するおそろしい池面氏だったが、
「世の中、25日が給料日の人って意外に多いんスね。俺、月末の人の方が多いのかと思ってた~」
などとしみじみと言う。えっ、25日が一番多いんじゃないの?そんな事ないの?思わず私の中の常識が揺らいだんだが25日給料日普通じゃないの?どうなの。
ところでお店のお客さんから見えない所に注意書が色々貼ってあるんだけど、その中の一つに、お客様の目をちゃんと見るように、というのがある。これはお客様へのサービス的な意味合いではなくて護身の為にそうするのである。ヤバい奴は目を見れば分かるらしい。あと、ちゃんとお客様の目を見れるように顔を上げていれば、お客様の危険な挙動の兆候を察知し暴力を回避出来るという訳だ。
この仕事に就いてその事を習った時思い出したのは、昔某スーパーで見た客が店員に白昼堂々ひどい暴行を加えたシーンと、いつだったか百貨店の店員の目を傘で突いて潰した狂人のニュースだった。ああいう目に合わされるリスクが私にもあるんだ。
レジ打ちにも大分慣れてきたので、そういう点にも注意して接客しようと思ってさっそくお客様の目を見ようと顔を上げたら、すっっごく引かれた。お客様から、すんごく引かれた。
お客様と私、お互いに「えっ」「えっ」ってなった。ダメじゃん。
思えば、私、昔から人と目があった瞬間「えっ」って引かれる事多いよな。何でだろう、自分では普通の顔してるつもりなんだけど、何か物言いたげな顔になってるのかな、無意識に。よくわからない。
目が合ったといえば、棚にパンを並べていてふと顔を上げたら丁度通り掛かった池面氏とまともに目が合ったのだけれど、池面氏は眉を上げたあとにニコッと爽やかに笑った。私には到底出来ない芸当だ。いや、芸じゃなくて素なのか。
こんな風に、ふと目が合った他人に笑顔を返せるって、どんな人生送って来たらなれるんだろうか?って思った。私にはそんな事出来ない。人が怖くてついおどおどしてしまう。学校でも昔の職場でも散々に虐められてきたし、たまに気があってつるむ相手も私と似た者同士だったから、私は池面氏みたいに根っから素直そうな人を珍しく感じてしまう。
世の中にはこんな人もいるんだなぁ。私には送りたくても送れない平穏で楽しい人生を送っているのかなぁ。
そう思ったら羨ましさと寂しさと虚しさがない交ぜになった気分になった。
話はまた変わって、前回のバイトの話なんだけど、ちょっと嫌なお客さんが来た。その人を接客してすごく傷付いた訳ではなくて、むしろ第三者的視点で、あー嫌な人だなー、つうか一々嫌味口調で生きづらそー、と変に冷静に思った。
そのお客さんはレジに籠山盛りの商品を持って来た時点で苛ついた様子だったんだけど、私が沢山の商品のうちの弁当類だけを弁当用レジ袋(Lサイズ)に詰めて他を一番大きいサイズのレジ袋に詰めようとした時に、大きな声で言った。
「あのねぇ、あんまり家に沢山袋が溜まると迷惑なんで、いくつもの袋に分けないでくれる?」
「迷惑」という言葉を殊更強調して、まるで今にも爆発しそうな怒りを一生懸命抑えているのだとでもいうように、力強く言い切った。
私は「かしこまりましたー」と袋に商品をテトリスのごとくに詰め詰めした。残りの商品は最大サイズの袋にぴったりおさまった。
ヤバいお客様の目ほどよく見ないと危ないから正面からお客様を見たけれど、そしたらお客様はキョトンとした顔をしてから、また眉間に皺を寄せて言った。
「このまま車に置くと中身が袋の外にバラバラ散っちゃって困るんだよ!迷惑なの!分かるでしょ?」
「といいますと?」
と私が聞くと、
「袋のこの縛るとこテープで貼って、中身が出ないようにしてよ」
と仰るので
「かしこまりましたー、あの、テープが中のお品物にくっついちゃうんですけど、だいじょうぶですか?貼ってもいいですか?」
と聞いたまたキョトンとした顔で「いいけど?」というので貼ったら、お客様は普通に荷物持って帰って行った。
こういう、自分が何にムカつくのかというのをはっきり分かりやすく言語化するクレーマーって珍しいので、へぇ~クレーマーの人ってこんな事考えてるんだぁ、と感心してしまった。
「迷惑」か。この人は私に対して怒っているのではなくて、以前に遭遇した私ではない誰か他の店員に怒っているのだ。自分では己の事を被害者だと思って食ってかかって来ようとしたわけだ。
私はお客様が何故かかなり怒った状態でこっち来たから気が動転してしまい一周回って落ち着いてるっぽい丁寧な対応をしてしまったけど、それでお客様の気は少しは晴れただろうか?
炎天下の中でも、立っているのだ。
雇い主から、「昼は木陰があればそちらへ少し寄って、途中少し座りながら周りを見ていてください」と言われても、やはり厳しいものは厳しい。
水分もこまめに摂ってねと言われるが、やはり厳しい。
そんな指示を受けているので、そのとおりにすると…善良な市民は「あいつはサボっている」とクレームを入れてくる。
その環境で働いてない阿呆には真夏の熱視線の辛さが分からないのだ。
善良な市民はクレームを「親切」と履き違えていることに気づかない。
クレームを入れた自分は偉い!善良の鑑!と勘違いしているのだ。
雇い主は「今までどおりでいい」という現場の辛さを知っているからだ。
だが、自分の言ったとおりにしないと気づくと善良な市民はまた「余計な親切というクレーム」を繰り返す。
今度はヒステリックをこじらせて。
こうなったら、もはや善良でもなんでもない。ただの人殺しと変わらない。
彼奴等は自分たちが正しいと思い込みすぎて、もはや病人と同じなのだ。
こういった環境に限らないが、自らが正しいと思っている人の8割くらいは「勘違い」が多いと思われる。
正しいと思っている行動自体も間違っていれば、主観すぎて周りが見えていないという愚かさが酷い。
本当に正しいと言えるのは主観だけなく、様々な視点からものを見て理解して、その上で全体が納得できる結論を出せる人じゃなかろうか。
そんな人、まず今の世界に居そうにないが。
最近色んな所でポリコレやら何やらの話題を目にするのだけれど、ポリコレとクレーマーや不寛容って紙一重ではないかと思う。
ヘイトなどの排他性に対するカウンターがポリコレなのだろうけれど、どちらも他者の思想に不寛容という点では同じであり、
極論を言えば、いずれも「不快だからやめろ」という所が根源になるとは思うのだけれど、これってどこまでが正当化され許容されるのだろう?
糖尿病みたいなメジャーな病気ではなく、過去に暴飲暴食をしていた訳でもなく、遺伝性のものらしいのだけれど、
となると当然、そういった禁止食品の広告類は物凄く不快なのである。
今はもう口に出来ないのに、視覚を通して味がリフレインするのが物凄く苦痛なのである。
もっとも、だからといって個人的にはそれは仕方のないことだと割り切っているのだけれども、それはそれとして、
論理構造的な意味合いにおいて、私にも「食品広告は不快だからやめろ」と主張する権利はあるのだろうか?そこに正当性はあるのだろうか?
私みたいな病状の人間はマイナーだから、多数の益が優先されるべき?
それなら性的少数者も同じくマイナーなのだから、その他多数の表現の自由が優先されても良いのではないだろうか?
出生や性別などの変えようのない、先天的なもののみが正当性を持つ?
それなら私の病気も遺伝性で、後天的な要素が原因ではないらしいから、この病気故の不自由も先天性として正当性を持つ?
企業にも広告を展開する自由があるから、それを制限すべきではない?
それなら他のポリコレだって、良いか悪いかは別として、他者の表現の自由を制限している訳だけれども、私を不快にする広告は何故制限されるべきではない?
見ている方がイライラする
独り言であれ嫌とか言ってる程度ならともかく公式にクレーム入れるとかやめさせるべきとか言ってるのは何様だと思う
文句言ってるのはごく一部のネットユーザで、問題ないと考える多くの人は一々何も言わないし、関わりたくないからクレーマーに対してそうじゃないとか言うことも少ない
「問題無いと思うから謝罪しません、気に入らないなら見なくて結構です」という対応をするところが増えてほしい
面倒だからとりあえず謝罪はクレーマーが満足するだけで次から次へやりはじめるだけ
何を発言しようが自由で嫌ならそれを見なけれればいいだけなのにそれができない人が多すぎる
馬鹿なクレーマーを満足させるより、あれやったらクレーマーが出るとか考えるせいで無難な面白みもないものばかりになる方が問題