はてなキーワード: 創作物とは
ぶどうといった農作物が盗まれるというのだとニュースになるが、
それ以外でも個人の創作物は、盗まれて販売されたり、広告収入やPatreonのような支援金を受けるサイト作成など、
金儲けのために利用しやすいから、注目されているのではないのだろうか。
絵だと、SNSにメッセージが来てもう少し高画質のモノが欲しいと英語で来て、海外まで広がったと喜んで送ったら、
絵のデジタルデータがそのまま有料販売されるのが普通だし、英語圏だとオリジナルよりフォロワー数や販売数が多いといったことが起こる。
パクって販売している側からすると、創作主に見つけられてクレームが入ったら取り下げたとしても、扱っている多くのモノのの中の1つが駄目になるだけだし、
いつも思うんだけど、魂が見えない人って作品のどこを見て評価してるんだろうか?
たとえばエヴァンゲリオン見たら結局何を見るかって「なんで庵野はこんな作品を撮ってしまったのか?」じゃん?
これは全ての創作物に対して思えることで、単に音や絵が気持ちよく並べられているかって作品の本質なんかじゃなくて「その作品で何がしたかったのか」こそが鑑賞すべきでしょ?
たとえそれが商業主義にまみれたものだったとしても、「あの監督が商業主義を割り切るとこういったものを作るのか。そしてその中でも結局伝えたいテーマとしてこれは抜けなかったのね」って。
俺が知らないだけで世の中の人って作品の奥にある魂なんて実際には興味がないのか?
「作者の人格と作品は切り分けられるべき」って安易に言う人がいるけど、あれも「作品で主張していたのは作者が皮肉で言っているのか、それとも正しい世界はこうあるべきだと知っているけど出来ませんって懺悔なのか」みたいなことを考えながらじゃなくてガチで「出力される作品と作者の人格なんて関係性完全に0だよ」と本気で思ってんのかな?
どんな人間にだって拘りは絶対あるし、それは普通の仕事でもそうじゃん。
自分でできることはなるたけ自分でやりたいと拘る人や、細かい所が妙に気になる人とか、そういう魂が仕事にはどうしても宿るもんでしょ?
やっぱ作品鑑賞で一番楽しいってのその魂の有り様を見ることだと思うんだよな。
んでさ、そういうの本当に一切見えてない人っていんの?
マジ?
その一点だけ除けば問題ないんだけど、許せない。自分はすごく映画好きというほどではないけどそれなりに映画は好きで、年に十回くらい映画館に行ったり配信で見たりする。
彼氏は毒親にお金をもらえず進学が難しかったり食うに困ったりした過去があり、常にお金を無駄につかわないようにしている。そして、映画を「等速で」見ることは時間=お金の無駄になるらしい。別に創作物全般が嫌いなわけではなく、本も漫画もよく読む。しかし動画だけは二倍速以上でないと受け付けないらしい。(普段も隙間時間はずっとDaiGoとかひろゆきの動画を三倍速で聞いている。これは馬鹿みたいだと思うが人の好き嫌いなので何も言わない)
いままで一緒に映画を見に行けないだけなら別に問題がなかった。わたしも一人で見たほうが気が楽だ。でも、昨日彼氏がファスト映画を見ていることを知ってしまい、嫌悪感から離れられない。これから何かの機会に有名な映画のシーンの話が出たら、彼はそれを見たという体で話すだろう。でもそれはファスト映画を見て話しているのだ。それを知ってしまったらもう気持ち悪くて話ている彼氏を見るだけで嫌になると思う。これからの生活が憂鬱だ。
「パートナーのいない人間」や「子供のいない人間」でしょうに。
仮にアセクシャルだとしても結婚してたり子供がいたりしたら世間体は保たれるよ。
片思いも恋愛だし片思いばかりで成就した経験の無い人間が評価されるなんて事はないのに
なぜ「この世は恋愛至上主義だ」という嘘の風聞をばら撒く人が多いのか。
二次創作ガイドラインって、作る方はめちゃくちゃ大変なわりに目に見えるお金が入ってくるわけでもなく、あんまり作るメリットないんだよな。
キャラクターの知財に詳しい弁護士と一緒に時間をかけて検討して、今は影も形もないけど今後自社がやるかもしれないビジネスを予想してそれと競合する利用は禁止しておかなくてはいけない。
それから、今は影も形もないけど将来出てくるメディアや創作物を予想してそれらも網羅した形で書かないといけない。ちょっとでも考慮漏れがあると耳なし芳一みたいにそこから持ってかれちゃう。
たとえばフィギュアみたいな「立体物の販売は禁止」と書いたとして、今だと3Dプリンタ用データを販売して購入者が自宅で立体化できるようにするような裏をかく奴が出てくる。そういう抜け穴がないかを検討するのが本当に大変。
そんなリスク負うくらいなら、ガイドラインは示さずに目に余る二次創作だけをその都度警告する方がよっぽど楽。
最初に書いた通り、そこまで苦労して二次創作ガイドラインを作ったところで儲かるわけでもなく、もしたまたまファン活動がものすごく盛り上がったら間接的に公式関連商品が売れるくらい。
これからNLファンが百合のオタクがキツすぎると長々と語っていきます。
二次創作物で同性愛を取り扱い、キャラ崩壊と言えるものがここ数年で多く増えたと思います。そこで問いたいのですが、創作物で百合or同性間の性欲が許されて異性間(特に男から女に向けて)だと【汚らしい!】って言われるのは何故ですか?
自分の好きな男キャラが百合のオタクから作品に不要だと酷く叩かれた経験が忘れられません。特に劇場版響け!ユーフォニアムで秀一くんが大きいバッシングを受けたことを今でも思い出しては憤ります。
作中では同性愛者と言われてないのに、なぜそういう性的嗜好を持っていると思い込んでしまうのでしょうか?そう扱うことはキャラの造形を無視する侮辱行為ではないでしょうか?
女の子が女の子に向ける感情に限らず、人から人への想いは恋愛だけではなく、友情、嫉妬、羨望、寵愛、尊敬、敵対心などさまざまあります。これら全てを「百合」と捉え「恋愛感情」であると一括りにすることの是非を問いたいです。それは本当にそのキャラのことを見ているのでしょうか。
二次創作で女キャラにいわゆるサイコレズ要素が添加されることについては(個人によると思いますが)黙認もしくは容認するのに、男キャラが同じように扱われると(これも個人によると思いますが)違う反応を示すのは何故でしょう。同性間では許されるのに異性間では許されない、の基準はどこにあるのでしょうか。
百合のオタクに「なぜこの関係が百合に見えるのか」と尋ねたことがあります。すると「百合にしか見えない」と返されました。話を深掘りしていくと、ここまで関わりを深くしたり優しく接するのは相手が好きだからとしか思えないからと述べられました。
私はその百合のオタクが言ったカップリングを見てみましたが、そうは思えませんでした。女性が女性に接する、人が人に対して行うコミュニケーションとしてかなり一般的な物だと感じられたからです。男は少し女に優しくされたら好意を持たれてると勘違いするという話を聞きます。それと同じことが起きてるのでしょうか。女性と関わりを持てず、創作中の女キャラが普通に優しくするところをみて「ここまで優しくするってことは好きなんだ」と勘違いしてしまうのでしょうか。
私は男女の恋愛ものが好きです。恋愛は男女ですべきものとは思ってません。同性愛を取り扱った創作物は多くあり、それに共感したり応援する楽しみ方もあると思います。同性間の恋愛を否定するつもりはありません。ただ、同性間の恋愛を尊重するなら異性間の恋愛も尊重してほしいと思います。男キャラは不要だと言ってほしくないです。二次創作で好きなキャラをサイコレズにしてほしくないです。
「暴力によって悪を懲らしめる女児の集団」であることがプリキュアのテーマだぞ?
なんか勘違いしてるアホがいるけど、人間の99%はどうあっても肉体的には完全に男か女のどっちかに区分けできるし90%は精神的にも男か女のどっちかで区分けできんだよ。
プリキュアは人間全体の45%の女の中における未就学児童という年齢層に対して「暴力によって悪を懲らしめる同性のヒーローとして感情移入してほしい」ってコンセプトで作られてんだよ。
それはもう「犬好きの人のための犬映画」だとか「サメ映画好きのためのサメ映画」のようなものであって、そこに対して「犬映画は猫を差別してる」「サメは恐ろしいモンスターではなく本当は心の優しい生き物」とか茶々入れる奴らと変わらねえんだって。
まあ自分の思想が極めて過剰で創作物に置いてもそれに反する事がされるのが我慢ならねえっていうならそれは勝手だが、それを「女の世界に平等のために男をまぜこぜにするべきです」と主張する奴らはフェミニストからも敵視されるべき存在だと思っていい。