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2009-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20090131111455

近代経済発展の始点が「資本の蓄積」なのは高校世界史産業革命帝国主義で教えられている、いわば日本の常識

人口の増加」以前に「大量生産」が必要(大量生産品は購買層が無ければ不良在庫の増加でしかないわけで)。そのためには「大量生産装置」が必要で、そのためには「資本」が必要だったり「手工業」に従事している連中との主導権争いとかさまざまな経緯を経ないと「経済成長」には到達しない。帝国主義ってのは自国内の人口が頭打ちになったから海外の国に売りつけることから始まっているし。

というわけで、何の前提も書かずに「人口の増加」が机上の空論と書く奴は馬鹿

経済成長の諸要因が揃えば「人口の増加」は経済成長に必須だし、諸要因を欠いた「人口の増加」は貧困の増加でしかない。

ちなみに白人アフリカから黒人奴隷としてラテンアメリカ地域に輸入していた時代、アフリカ側には輸出していた国というか部族があった。戦争で勝った部族が負けた部族を奴隷として輸出していたのな。

当然対価は受け取っていたんだが、族長とかが装飾品とか武器の購入に使ってしまい、「資本の蓄積」にはならなかったんだってさ。

2008-11-19

[][]スティグリッツ  インフレターゲットは導入すべきでない

スティグリッツ教授経済教室』

インフレターゲットは導入すべきでない

多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲット日本も導入するべきだという声が一部にはある。

中央銀行制度は宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、

彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。

しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、

彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。

一九八〇年代にミルトン・フリードマンの感化を受けて、世界中中央銀行マネタリズム、すなわち中央銀行のなすべきことは マネーサプライ(通貨供給量)をコントロールすることだけだ、という信条採用した。通貨供給量を厳しくコントロールすれば、低く安定したインフレ率に導くことができ、それによって安定した高成長を実現できる、という考えである。

改めて言うが、マネタリズムを裏づける理論存在せず、限られた実証分析結果があるだけだった。

実際、マネタリズムは機能しなかったし、いくつかの点では完全な失敗だった。今日では、

事実上すべての中央銀行がこの信条を捨て去っている。(この破棄された信条の名残りとして、

欧州中央銀行はいまだにマネーサプライを重視している。)


アメリカが、そして世界が、一九八〇年代に経験した経済的苦難の多くは、マネタリズムに対する

盲目的な信仰にその原因があった。中央銀行通貨供給量コントロールに関心を集中したことは

未曾有の高金利を招き、短期で借り入れて長期で貸し付けていた金融機関―――とりわけ

何百万人ものアメリカ人住宅ローンを提供していた貯蓄貸付組合(S&L)―――は、一夜にして

事実上破綻した。レーガン大統領規制緩和―――そのおかげでこれらの金融機関は高リスク

高リターンのローンに乗り出すことができた―――と、いくつかの会計上のトリックによって

崩壊は先送りされたが、それは必ず訪れる報いの日が来た時、納税者が負担するコスト

さらに大きくなるということだった。この救済事件のあと融資基準は当然引き締められたが、

今度はそれが、一九九一-九三年の景気後退の一因となった。

アメリカにはこの嵐を比較的楽に切り抜けるだけの資源があった。(もっとも一九八〇年代

初めの景気後退は、巨額の財政出動にもかかわらず大恐慌以来の厳しいものになったのではあるが。)

だが、マネタリズム発展途上国に及ぼした影響は悲惨だった。金利の上昇は、

ラテンアメリカ諸国が一九七〇年代の石油価格ショックを切り抜けるために借り入れていた債務が、

突如として背負いきれないほどの額に膨らんだということだった。ラテンアメリカ諸国は相次いで

デフォルト(債務不履行)を起こし、この地域は一〇年にわたる停滞―――いわゆる「失われた一〇年」―――に陥ったのである。

中央銀行はいつも単純なルールを求めており、今日の単純なルールは「インフレターゲット

(目標インフレ率)」である。目標インフレ率を設定して、インフレ率がその目標より低ければ金利を下げ、

高ければ金利を上げろ、というわけだ。インフレ率の変化を生んだショックが

どこから来たのかも、失業率や為替レートがどうなるかも気にする必要はない。その論旨はこうだ。

インフレ抑制に専念することが「信頼性」を生み、その信頼性こそが、経済がショックに対して

より効果的に反応することを可能にする。石油価格が上昇するときは、インフレ率は(一九七〇年代のようには)

上昇しない。中央銀行が素早く行動してそれを抑え込むことを

市場参加者が知っているからだ。インフレ率が将来上昇しないことがわかっているということは、

物価今日、安定を保つということだ。

世界の大部分でインフレ率がこれほど低く抑えられてきたことには、もちろん別の理由がある。

グローバリゼーション全般、そしてとりわけ中国である。海外からの低価格の財が

供給されることで、国内の物価抑制されてきたわけだ。貿易財は多くの非貿易材の優れた

代替財となる。グローバリゼーション製造業分野(および他の貿易財分野)の賃金に下降圧力をかけ、

それが経済全体の賃金に下降圧力をかけてきた。市場に十分な競争がある限り、これは

とりもなおさず物価はどの国でも安定を保つということだ。

インフレターゲット論は、少なくとも短期的にはマネタリズムより害の少ない宗教である。

それは一九八〇年代初めのアメリカの異常な高金利のような極端な振る舞いには、概して繋がらない。

しかし、長期的には、ヨーロッパが実証してきたように、景気の悪化を招くことがある。

レベル失業にもっと関心が払われていたら、ヨーロッパ金利はもっと低く

抑えられていたはずだ。

金利投資抑制してきただけでなく、為替レートの上昇ももたらし、

それがヨーロッパの景気を低迷させてきたのである。


日本の場合には、インフレターゲット論はデフレ対策として唱えられてきた。

デフレが問題なのは、一つには名目金利ゼロであっても(デフレ考慮すると)実質金利プラスになる

からだ。デフレが続く限り政府金利を低く抑え続けるとわかっていれば、市場参加者は、

長期実質金利がやがて低下することを確信して、消費や投資にもっとカネを使う気になるだろうと、

インフレターゲット論者は主張する。日本の場合のインフレターゲット論の問題点は、それが

短期的に間違った変数に着目することにあり、インフレターゲット政策への

コミットメントが信用できるものだとすれば、そのために金融当局は間違った戦略を長期にわたって

推進することになる。

金融政策は実質金利(インフレターゲット論者はこれに着目する)よりも、むしろ

信用のアベイラビリティ(可用性)を通じて景気に影響を及ぼすのである。金融当局が景気をどの程度刺激しているかは、今現在の実質金利(あるいは長期実質金利)よりも信用供給の拡大に注目

した方が正しく測定できる。金融当局が信用のアベイラビリティに影響を及ぼす方法は

いくつもあり、これらの方法が金融政策の中心に据えられるべきである。


さらに、金融当局が長期実質金利に影響を及ぼすことを望んだとしても、それを達成するには

インフレターゲットの導入よりも効果的な方法がある(インフレターゲットの効果は、

せいぜいよくて不確実といったところだ)。一例を挙げると、短期国債と長期国債の相対的な

供給量を変えることによって、これらの資産の相対的な価格に影響を及ぼし、それによって

長期実質金利に影響を及ぼすことができる。

2008-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20081114040647

いじめられている子が親や先生に訴えづらい、“チクリ、イクナイ”という意識がそれを体現してそう。

自力で解決しなくてはいけない→自力ではどうにもならないから黙って収まるのを待つしかない

自力で解決しなくてはいけない→一部の格闘マンガがもてはやされる

など、話しを広げられそう。

あ、あと探偵を雇って虐められている証拠を掴んで合法的に訴えるって発想が日本じゃ少ない。

以前何千万も恐喝されていた事件があったが、村上龍ラテンアメリカの人にその事件を紹介したら、

「それだけのお金をむしり取られていたのなら、こっちじゃ傭兵を雇えて復習できるぞ!日本は違うのか!」

みたいな感じで驚愕されたとか。

上手な「他人の力の借り方」を勉強しようという発想が無いね、日本は。

2008-01-03

日本絶望の谷に落ちつつある

結論から言えば、日本おしまいなんだと思う。

少子化という事態は、人口の減少は消費の減少を意味する。だから政府個人消費に頼らない経済政策を打つだろう。高所得者優遇を進めることで、個人消費の激減を抑えるようにはするだろうが、貧民の増加に対しては、手は打たないだろう。自己責任原則の過剰さが言われ始めるようになったが、その言葉はすでに10年前から一人歩きを始めている。もう、全てが遅い。失業した人間給料の低い人間雇用が不安定な人間は、その人自身の責任とされ、政府による経済政策の失敗、ひいては官僚機構の無謬性と無責任性の維持のために、自己責任原則はこれからも跳梁跋扈し、大企業正社員たちは自らの幸運に安堵し、生活を維持するために、そうではない人々への同情は、形にはならず、それを訴える声に耳は貸さなくなる。ネットでの叫びは、匿名性の名のもとに、罵倒される。

階級社会現実というものなのだが、社会は連帯ということが必要とされる。いつしか、それが消えてしまった。大晦日格闘技興行で、韓国日本人を破った選手日本人は強いとか勝利後のマイク芸でしゃべったそうな。それはそれでよい。負けた韓国日本人は、大ブーイングを浴びるだけのことをしたのだから。あの勝利のローキックに快哉を叫んだ日本人は多いだろう。しかし、日本人は強いという言葉に素直にうなづくくらいしか、社会の連帯がなくなってしまったのかと思うと、悲しい。連帯が消えてしまった国家社会は崩壊するしかない。崩壊した後に何があるのだろう。どこに自己の帰属を求めればよいのだろう。自己の帰属が会社だった時代が羨ましい。国家が前面に出てこない幸福な時代。もうそういった幸福な時代はやってこない。

連帯も失われ、セーフティネットも形骸化していく中で、若い連中は将来が描けない。描けるのは、高所得を得ることができる人々だけで、それ以外の連中にそれは無理な相談となりつつある。自己責任原則はここでも登場する。将来が描けないのは自業自得だとか、趣味世界に走って、異性に関心を持たない嘆かわしい連中が増えた、何だと、萌えだぁ? こんなことしているから、少子化になるのだといわんばかりのマスコミによる大合唱マスコミに勤める人々は、基本的に勝ち組だ。将来テレビがなくなることはない。テレビを持てなくなる人や見られなくなる人が出ても、彼らは安泰だ。現状のビジネスモデルは、若干の変更が加えられて存続するだろう。そういった連中は、ステレオタイプ若者像を過去何年にもわたって報道し、増幅してきた。ネットでの抗議などは蚊ほどにも感じない。炎上と称しているのもあと数年で、炎上対策がなされ、ネットでの抗議などは意味を持たなくなるだろう。

事実ではなくイメージが先行するのは、さして驚くことではない。イメージ社会が、政治が、国家が語られ、事実や正確な統計は省みられない。イメージが100%正確ではないということではない。一部の人々にとっては正確なのだ。その一部の人々の利益は守られるだろう。そしてそこからあぶれている人々は、貧民としてラテンアメリカのような陽気だけど貧困にあえぐという像を押し付けられる。江戸末期に外国人が来て、日本の一般庶民が大変従順で、幸せそうであることに注目している。彼らは武士たちの巧妙な統治によって、従順化させられていた部分が多分にあるだろう。おそらく数十年後にはきっとそうなる。大して面白くもないお笑い番組年末年始に放送しているのは、愚民化への一歩ではないだろうか。芸人は罪はない、としておこう。一部芸人を除外すれば、多くはフリーターのようなものだ。今年の今頃にはあの人何処に行っただろうとか言っている、某筋肉自慢の高学歴芸人だっているはずだ。それに多くの人は笑い、年末年始を過ごし、貧民化した人々は、また仕事に向かう。明日とも知れない不安定な生活を少しでも支えるために。ああ、忘れていた。年末年始仕事だという人もいる。そういう人もまた、不安定な生活を支えるために、懸命なのだ。人間らしい生活など、何処に行ったのだ?

19世紀の労働者たちは生活向上のために戦った。社会主義やら共産主義という方向に行ってしまったのはさすがにアレだったが、それでも権利獲得のために戦い、いくつもの権利を勝ち得た。しかし、権利とは勝ち得た後が大変であることを忘れていた。権利が形骸化させられること、これは最も恐れるべき事態だが、21世紀日本ではそれが起こっている。貧困が自己責任化するまであともう少しだ。生活保護も形骸化し、雇用保険も同じく形骸化する。ありとあらゆる国民生活を支える社会制度が、崩壊する。崩壊しても制度は残るし、運用者が要る。すなわち。それらを運用する官僚たちだけが生き残るのだ。そういった、本末転倒な事態まであと少しだ。日本は22世紀には存在しないだろう。21世紀中に国家の態なさず、事実上崩壊するだろう。希望というものなど、もはや何処にもない。絶望しかない。政府少子化を訴えても、危機感が迫らないのは、政府自身が手を打つ気がないからだ。

将来、世界史史上稀に見る、統治能力を失って自己崩壊した国家の一例として、日本国が挙げられることとなるだろう。若者たちよ見えないか、ブレードランナーのような情景が眼前に広がるのを。最低限の秩序もないが自然状態をかろうじて回避している、夜警国家以下の情景が。

2007-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20070814011802

ラテンアメリカでは日本以上に音楽漬けさ。

日本人は家の中で音楽を聴いたり、ヘッドホン音楽を聴くけど、彼らは家の庭で、通行人にスピーカーを向けて大音量で音楽を流すからな。

2007-05-31

Re:俺が今感じてる閉塞感をリアル言葉にしてやるよ

公立大学4年、24才、2留の愚鈍学生

今感じてる閉塞感をリアル言葉にしてやるよ

進学して、6年もたって、見えたのはまるで漫画世界

絵に描いたような生き方をしたら

絵に描いたような悩みを持ったんだ

それはこんなカンジだ

「どいつもこいつも単位恋愛就職ばっかりか」

「かといってまじめに研究すんのもめんどくせえ」

「そもそもおれは何がしたいんだ」

「そもそも人生って何なんだ」

極論をいえば、何十億年後には地球も消えんだ

人生なんてその最たるもんだ

年端もいかない子供が「はい、夢に向かって頑張ります」と

生に向かって肯定を宣言しても

病人や、貧乏人にいずれはなる

もちろん、富裕層まで全て、

一番の衝撃を喰らうのは死の瞬間だ

いくら幸せや不幸せでも、感じる自分自身が消えるんだ

なのに、困ったことに、なぜか、どうしてか

どいつもこいつも毎日生きる

そばやうどんやめしを喰って、

寝て起きてセックスして殖える

そしてたまに「僕の人生はバラ色に変わった」とか言って、喜んでる

みんないきてる?

みんないきてるから俺もいきてる?

みんながいきてるから俺もいきなきゃ?

俺も含めて、おまえら正気か?

小さなプライドは捨てるんだ

そのうち死ぬものは死ぬと言え

目の前の「いきてる」は本当にそれでいいのか?

そこで「死のう」と言えない事情がある

そんなことを言っても死ぬのは怖い

なんだか良くわからないが生理的に怖い

曲がりなりにも家族や友人を持って、悲しませるのも好きじゃない

面倒が残る

葬式にも金がかかる

なら人を幸せにすればいいんだ

けれどどこからどこまでが他人だ?

全体のパイの大きさは変わらない

そこで「世界同時革命」と言えない事情がある

そんなことを言っても力への意思がある

完全な再分配はできない

国家民族会社組織家族を持って、抗争しあう中でボロボロ人が死ぬ

幸せが起こる

みんなが幸せにはなれない

そりゃ鬱になるよ

俺のできることじゃねーよ

べらぼうな全能感が閉塞を生んでる

もしこれが、

おれの乏しいコミュニケーション能力に起因するとしても、

ゲームマンガオタク趣味に起因するとしても、

行動もせずに自分を探して迷い迷ってる甘えだとしても、

俺はこんな世界デタラメだといいたい

こんなのは虚栄だ

こんな星に未来はない

これを見ているアングロアメリカ人、ラテンアメリカ人、アジア人ポリネシア人、ヨーロッパ人、アフリカ人、宇宙人でもいい

先生の言うことに全て「はい」

親の言うことに全て「はい」

偉い人が言うことに全て「はい」

恋人が言うことに全て「はい」

読んだ教科書に全て「はい」

目で見たものに全て「はい」

自分自身の思考をしないで、無常観を消して、厭世者を卑下して

生を全肯定、鵜呑み、疑いなし

「しょうがないから」

「みんな言ってるから」

「教えられたから」

あるある大辞典が言ってたから」

「あの人に褒められればいい」

「あの人に好きになってもらえればいい」

まず死を想え、世界を想え、絶望しろ

お前が喰い、寝、セックスする間に、惨めな生を与えられてるやつがいる

俺が神に投げかけたい言葉

「もっと私たちのことを考えてください。

 愛のせいで憎しみが、出産のせいで殺人が行われています、みんな苦しんでいます。

 これでは結果的に、あなたも含めて、誰も幸せになりません。」

これは、この世界に対して、誰でもいいから手当たり次第に言うべきだと思った

けれどキチガイ扱いされそうで言えなかった

だから、ここで言う

誰か、聞いてくれ

――――――

http://anond.hatelabo.jp/20070529230957

触発されて作ってみたがあまりおもしろくならなかった。

参考:中島敦「狼疾記」、中村一義永遠なるもの」(台詞を拝借しただけで、この歌は好きです)

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