はてなキーワード: コロニーとは
親切/利他の精神が生まれつき足りない子は逆張りしていないで学習/訓練した方が良い
▼「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):シカゴ大学 研究結果
ラットは閉じ込められた仲間を見ると、その仲間に共感し、助け出そうとする。しかし、抗不安薬が投与されストレスを感じにくくなるとこの行動が見られなくなる、という研究結果が発表された。
「閉じ込められた仲間を助けるには、仲間と同じ気持ちになる必要があります。これはわたしたち人間の行動を思い起こさせる結果でした。わたしたちも、ラットと同じ哺乳類なのです」とメイソン教授は語っている。
「誰かを助けると、通常はいい気分になります。他者を助けることは、いわば一種の麻薬のようなものなのです」とメイソン教授は言う。「これは、おそらく進化の過程で獲得した哺乳類の特質なのでしょう。互いを助けることは、種の繁栄にもつながるのです」
▼マウスに『共感』能力 (川崎福祉大学)
個人間の争いでは利己的な個体の方が有利だが、集団になった場合、利他の精神を持つ個体の集団の方が有利
個人間の争いでは利己的な個体の方が強いので遺伝子を残し続けるが、蟻🐜と同じく常に利他的な個体が増える速度の方が速い
▼「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析
▼日本語記事:『裏切り蟻』が増えるとコロニーは過労死で滅ぶが利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので滅ばない
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf
anond:20200301112556 anond:20210717155340 anond:20210717155725
エレクトリカルパレードではなくて蟻🐜さんの話やな
利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだってさ
琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授と日本学術振興会の土畑重人特別研究員の研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働にただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。
個々が社会の目標より自分の目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間と微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。
辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。
「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。
研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合いの利益にただ乗りしている。
研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。
自由競争の下では相手からの助けにただ乗りし利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合いの社会が発生することについて辻教授は、自然科学と社会科学の両分野で重要なテーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会の助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。
高度に文明を発達させた人類は宇宙へとその勢力圏を伸ばしたものの、その拡大のペースは永遠には続かなかった。目新しい技術革新が起こらない冬の時代は数百年単位で続き、現状を維持するのも難しくなった。
コロニーの老朽化が進んでも、人類には新たなコロニーを作るだけの資源も体力も技術もなく、そして何よりニーズもなかったことで、コロニーの廃統合が進んだ。幸か不幸か人類の人口も漸減していたので、空きはいくらでもあった。やがて人類は、月と地球、そして月と地球を繋ぐ中継コロニーの3カ所だけに住むようになった。12億に満たない人類にとって宇宙は広過ぎた。
ある日、放棄されていたコロニーが月に落下した。甚大な被害を出したこの大惨事は、何百年も前から警告されていた起こるべくして起きた事故だった。地下に暮らす月だったからまだマシだったものの、これが地球で起きていたら人類の文明に再起不能なダメージを与えるレベルの大事故だった。
人類は慌てて放棄済みのコロニーを百年以上かけて除去したが、月と地球を結ぶ最後のコロニーが宿題として残った。このコロニーは黄金時代の頃から常に人類最大のコロニーであり、そして最古のコロニーでもあった。
九龍城のように増改築されたこのコロニーは今も現役だったが、いつ地球に落ちてきてもおかしくはない状態だった。100年以内に地球に落下する確率は15%以上ーこの数字を重くみた人類は、このコロニーも放棄することに決めた。これは同時に月も放棄することを意味していた。宇宙船の往復では月の居住環境を維持する事はできず、中継コロニーが不可欠だったからだ。
しかし昔からこのコロニーの住人は開拓者の祖先だとの自負が強く、10年の猶予期間が過ぎた後も3割以上が居残り「ここで生まれた我々は、ここを終のすみかにする」と主張した。痺れを切らした地球政府は、コロニーに対し実力行使に乗り出す。
最高の人生の見つけ方、いい映画ですよね
ですが日本版は少しだけ、本当に少しだけしっくりきません
そこで、僕がかんがえた最高の人生の見つけ方を発表したいと思います
けれど、いきなり僕がかんがえた最高の人生の見つけ方のあらすじを書いてしまうと、みなさん混乱してしまうと思います
なので、吉永小百合と天海祐希という組み合わせを少しずつ変えながら紹介します
家庭のために生きてきた吉永小百合と、会社のために生きてきた志田未来。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は余命宣告を受けたことだと知る。
主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた吉永小百合と志田未来は、たまたま手にした12歳の少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
ジブリのために生まれたアリエッティと、ポノックのために生まれたメリア。
全く違うスタジオで生まれた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は監督が同じだと知る。
ジブリ業とポノック業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたアリエッティとメリアは、たまたま手にした西村義明歳の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
M78星雲で生きてきたウルトラマンと、地球のために生きてきたハヤタ。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は平和を守ることだと知る。
地球を守ることに何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたウルトラマンとハヤタは、たまたま手にしたゼットンの「1兆度の火球」を食らってしまい死ぬのであった。
アニメのために生きてきた庵野秀明と、アニメのために生きてきたわけではない山賀博之。
全く違うわけでもないけど同じではない世界に暮らしてきた2人が大阪芸大で出会い、自分たちのそこそこある共通点はアニメが好きなことだと知る。
アニメと特撮以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた庵野秀明と山賀博之は、たまたま手にしたオタキングの「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
アニメのために生きてきた宮崎駿と、会社のために生きてきた鈴木敏夫。
全く違うわけでもないけど同じというわけでもない世界に暮らしてきた2人が出会ってからもう何年もたってから、自分たちの唯一の共通点は高畑勲がすこすこだったことだと悟る。
映画以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた宮崎駿と鈴木敏夫は、必然的に手にしていた高畑勲の「死ぬまでに食べたい菓子パンリスト」をパクパクするという無謀な旅に出る。
声優のために生きてきた日高のり子と、アナウンサーのために生きてきた長谷川太。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点はニッポン放送の吉田に対する気持ちだけだと知るが、それは声優アニメ系ラジオ業界で生きるもの全ての共通点だった。
声優業とアナウンサー業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた日高のり子と長谷川太は、たまたま手にした文化放送取締役放送事業局長片寄好之の「死ぬまでにヤリたいリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
漫画のために生きてきたあだち充と、漫画のために生きてきた高橋留美子。
全く同じ雑誌で連載してきた2人が編集との繋がりで出会い、自分たちの唯一の共通点は面白い漫画がかけることだと知る。
漫画以外に何もやりたいことのない人生の素晴らしさに気づいたあだち充と高橋留美子は、たまたま手にした雷句誠の「死ねリスト」を見て怖いなあ、と思うのであった。
メガネとして生きてきたゆうきまさみと、犬として生きてきた押井守。
違う種族の世界で暮らしてきた2人がバンダイの会議室的な場所で出会い、自分たちの唯一の共通点はガンダムが好きなことだということに今からして押井守版ガンダムとか見たくない? カイが主人公でいろんなコロニーの立ち食いそばを巡る感じのでさ。
そんなこんなで、ゆうきまさみと押井守は、ニンテンドースイッチ版グルーブコースターに出演したメグッポイドを通じて知り合った月ノ美兎の「死ぬまでにやりたいことリスト」を見て、アニメや漫画といったオタク文化が今こうやって若者たちに広く愛されている現状に満足するのだった。
ベランダにはアロエという先客がいるが、こいつは手をかけずともいつも青々と育ってくれる。バラは手がかかるとは聞くが、新緑に映えるその美しい色は手間を惜しませない魅力があったし、何せ最近仕事も忙しくないのでちょうどよい道楽になる。
だけどそんなバラという植物はものぐさな私が育てるにはやはり繊細過ぎたのだろう。案の定元気をなくしてしまった。あえて言い訳をするなら、しおらしい花を摘むのがあまりにも惜しかったのだ。
そのうえ運の悪いことにそれは5月のことだった。
五月晴れがくれる心地よく乾いた空気は、ハダニという厄介な居候をも連れてきた。
こいつらはダニというその名前の割には器用に生きる。糸をはいてクモの巣みたいな構造物を建設し、コロニーの繁栄を謳歌するのだ。
その文明は明らかに発達していて、最も進んだ文明の住人を自負している私にも手には負えない代物だった。
私たちの文明の利器たる農薬をまいてみてもなかなかやつらはしぶとい。まいてもまいても、やつらは発展の象徴たる摩天楼の中から屈託のない表情で私に手を振ってくる。
ただ、我々のと同じくその文明の発展は犠牲を伴うようで、その資源となるバラはますます死地をさまようことになってしまった。
だが、多くの予言書にあるように開花した文明はいつか終焉を迎えるもの。
やつらにとっての恐怖の大王は物干しざおの住人の小さなクモだった。
じつは私とそんな恐怖の大王たる彼女とは以前からの知り合いでもある。私が洗濯物を干す朝、彼女は夜の仕事をするひとらしく、ちょうど店を片付けている。そして目をちょっと合わせては挨拶をする。そんな日々。
ある夕方、洗濯物を引き上げる私を横目に、彼女は店を広げる場所を吟味していた。私はそれならいい場所がありますよ、とバラにエスコートする。
私は地味な男だが、そのくらいのことはできる。彼女は満足そうに仕事をはじめたので、私も充足感に満たされ、その日買ってきた冷たいビールに心地よく酔った。
そしてどうやら、神は文明の発展とともに傲慢になっていた彼らに味方をするのをついにやめたようである。
次の日から彼らはその数を減らしていき、ついには文明があったはずのそこにはいまや限界集落のみ。代わりにそこには達成感を抱いた彼女の姿があった。
翻って、神が味方したであろうバラは元気を取り戻し、その先端には新たな芽を宿らせていた。
ただ、神はとても冷酷なようで一度見限った者には容赦がない。
昔の人々が語った大洪水のごとく、そこからしばらく降り続いた雨はバラを隅々まで洗い、すべてを清めた。
あの雨はすべてを流し、彼女もまた。
別れは突然やってくるとは聞いていたが、あまりに突然。
一抹の寂しさという言葉があるが、それはこのためにあるのだろうか。
いや、言い過ぎ。
たまに話題に出るたびにでかい企業になったなーなんて懐古厨みたいなことを思うけどなんかここ最近は悪いほうの話題が多くなっているような気がする。てか悪い方の話題しか聞かないな。
コロニーな生活☆PLUSの四ケタコロニーだった時代、その後ログインできなくなって五ケタコロニーになったあの時代、リアルタイムログインが夜中だと10人しかいなかったあの時代、遠くの友達のコロニーに遊びに行くのにプラを貯めて石を買ったあの日、初めてイベントに参加した日、全国掲示板ができた日がとても懐かしい。もうあの頃のコロプラは影も形もないけれど、長年使っているHNは実はコロプラで仲良くなった人にもらったものだからこれだけは当分使っていきたい。