はてなキーワード: オナ禁とは
酒と同じで最初からおいしいと感じる人もいれば、飲み慣れていくうちにおいしさがわかる人もいる。
少しくらい試行錯誤してみるのも悪くない。
過去、同じようなことを言われていたらごめんなさい。
初めてなんです♪、って言えば優しくしてもらえるかもしれない、みたいな打算的な期待もしています。
巷でよく、「ソープへ行け」みたいな言説があるじゃないですか。
ぶっちゃけ、あんなの嘘っぱちですよね。
ちょっとくらい体験させてもらったくらいでは、何にも変わりやしませんよ。
ただただ絶望が増すだけです。
たしかに女の人の体は柔らかいし、細いし、ぬめぬめしてるし、気持ちいいというのは間違いないかもしれません。
指先でそっと撫でられると少しひんやりしてくすぐったいし、自分からは見えないので背中を撫でられたのだか舐めてもらったのかわかんないけど不意にびくっと反応しちゃったりして恥ずかしくなったりもします。
けど、自分の右手に馴染みすぎて黒ずんで皮が伸びきったような鈍感息子にとっては、なんというか、そこまで特別な刺激ではなかったような気がします。
くぱぁと開いた神秘の洞窟に侵入させてもらっても、これで俺も晴れて大人の男だ、みたいな感慨もなく、あー、うん、こんな感じなのかー、みたいな、なんかふわふわしたような、現実味の無さ。
跨がってもらって、汗だくになりながらも腰を上下にスクワットしてくれて、胸のあたりのふにふにした物体が2つ別々に弾んでいるのをぼんやり眺めていると、あー、俺、なんでこんなことしてるんだろー、とか思索に耽りそうになります。
振動方程式だか波動方程式だかって何だったかしら、とか、知りもしないことを思い出そうとしてみます。
なかなか至らなくてしびれをきらされたのか、攻守を交替してもらって、くびれた腰をおっかなびっくり掴んで、やや反り気味のしなやかな背中と浮き出た肩甲骨と首からうなじ、後頭部の曲線、汗ばんで乱れて揺れる髪の毛を見ながらも、
少しばかり俯瞰というか、自分の後頭部の更に斜め後ろくらいにカメラレンズを設置したような、幽体離脱して自分の背中越しに眺めているような感覚に陥って、なんだかものすごく滑稽な格好をしているように思えて笑ってしまいそうになったりします。
アスタリスクを見て、猫でロックな解散芸を思い出してしまい、あまりにも場違いな妄想でかき消したくなります。ΦωΦ
相手方も、あん♪あん♪、と嬌声を上げてはくれたりするわけです。
だというのに。
にもかかわらず。
あー、これって、演技してくれているのかなー、みたいな。
なんだか気を遣ってもらっちゃったのかなー、みたいな。
エロマンガで見るような、クソデブキモオヤジみたいなのが突然奇跡の力に目覚めて、女の人をアヘェとか、おほぉぉぉとか、させてあげるようなことなんてできるわけがないんです。
制限時間が迫っても一向に機能を発揮しようとすらしない、ローションにまみれてテカテカした皮余りの愚息を、どうにか作動させようとばかりに、ひんやりした小さな手でさすさすと擦ってくれるわけです。
最後には、向こうが悪いわけでもないのに、ごめんね、ごめんね、と謝られたりしてしまって、更に居たたまれなくなるわけです。
金銭を無駄にした、みたいな後悔ではないはずだと、自分では思います。
それに見合う労働はしてもらいましたし、自分にとっても貴重な経験にはなった、と思いたいです。
ただ、「まだ俺は本気出してないだけ」だったはずなのに、もしかしたら本気を出したところで何もできないのではないかという無力感に苛まれているだけです。
きっと何者にもなれないのです。
卵の殻を破らねばひな鳥は生まれずに死んでゆくかもしれませんが、卵の殻を破ることができても死んでしまうひな鳥もいるのです。
不甲斐ない。
つらい。
虚しい。
こんなつらい気持ちになるなら、いっそ、知らずにいればよかった。
知りたくなんてなかった。
彼女にとってみればお仕事だったのかもしれませんけれども、あんなに汗だくになってまでしてくれたのは、決してなおざりなものではなかったはずですし、それはきっと彼女自身の優しさだったのだろうと思います。
だからこそ、それに応えられなかった自分が情けなくて、不甲斐なくて、悲しい。
至らず、ほんと申し訳ありませんでした。
結局、こじらせた中年男がソープへ行ったところで、何も変わりません。
無力で何もない自分を思い知るだけです。
エロマンガやエロビデオから仕入れた虚構にまみれた嘘だらけの知識だけ持っていたって、何の役にも立ちません。
敢えて若い人へアドバイスするなら、こじらせる前に済ませておきなさい、とは言えるかもしれません。
こじらせてしまってはもう、手遅れです。
将来、といっても老い先は短くなりつつありますが、万が一にでも伴侶となってくださる人がいたとしても、その相手にまでこんな負担を掛けてしまうことになってしまったら、その伴侶となってくださるかもしれない方に対しても申し訳ありません。
肥大した自意識の化け物に飲み込まれてしまって、どうにもなりません。
ソープへ行っても、何も解決しないどころか、余計にこじらせてしまったような気すらします。
それでも、
それでも、俺は、
俺は、本物が欲しい。
努力とかしたくないけど、本物だけ欲しい。
痩せる気もないし、育毛する気もないけど、本物を手に入れたい。
楽して、ありのままで、ワガママで欲張りで自分勝手な自分のままで、クソデブハゲチビキモオヤジのままで、美味しいところだけ吸い上げて生きていきたい。
消え去りたい。
透明になりたい。
ワタシはスキをあきらめない。
※追記(2015-5-31)
たくさんのトラバ、ブコメありがとうございます。返信の作法がよくわからなくて右往左往してましたけど、追記という形に致します。
まず、ひとつ釈明すると、この時は同僚に連れて行ってもらいまして、自分の意志で行ったわけではありませんでした。恥の上塗りではありますが、ますます受け身でしかない自分に気が滅入ります。事前の心構えができていなかったので、オナ禁してからならばまた違うのでしょうか。次の機会があるとしたら、留意します。
恥ずかしながら、北方謙三先生のことを存じませんで、ネットで流布している慣用句か何かだと思っていたのですが、元の発言者がいらっしゃるのですね。著書等を読めばもう少しその言葉の真意を理解できるのでしょうか。
皆様のアドバイスが身に沁みます。とくに、ちょっと今は見当たりませんでしたけれども「気づいたんだ、僕からキスをすればよかったんだ」というコメントにハッとしました。みるん王子。俺はユリ熊嵐の何を見ていたんでしょうかね。恥ずかしい。ゲスゲス。
とはいえ、クソデブハゲチビキモオヤジなんかがいきなりキスでもしようものなら暴力沙汰で訴訟になりかねないので自制しますけれども。
「感じなかった」とか「たいしたことない」という感覚であったのは確かなのですが、別に気持ちよくなかったわけではありません。他人と密着するなんて体験はこれまでほとんどしてきませんでしたから、なんというか、その、くっつくのってそれだけでドキドキしますし、ふわーっとしたような、ああこれが「幸せ」ってものなのかなー、みたいな感覚にもなりました。『彼氏彼女の事情』に、ただぎゅっと抱き合うだけで充足されるみたいな場面がありましたけれども、ああいう感覚を初めて実感できたというか。
ただ、その「たいしたことない」ことですら、まともにできなかった自分が情けないといいますか。彼女のお仕事としては「フィニッシュ」という目に見える形での成果こそが必須だったと思うのですが、それを為せなかったのが、双方にとって心残りになってしまったように思います。皆様がおっしゃるとおり、自己流をこじらせた結果、鈍くなってしまっているのだと思います。こればかりは、こじらせてきた歳月の長さ、重みを思い知らされた気分です。
皆様から「変わった」と言っていただけると、自分では自覚できていないものの、何か得ることができたのかもしれない、とは思えるようになりました。あとは、俺自身がどうするか、どうしたいか、ですね。まだ何も見えてはいませんけれども。
他所様ですが、http://togetter.com/li/828262 こういった報告を読むと、若いって素晴らしい、眩しいと思います。
去年の夏にソープで卒業して以降風俗にハマり、バイトで貯めた30万円近くを浪費したクズ。大学でも繋がりがなく、家族以外の唯一の話し相手が風俗嬢という人間のクズ。
3歳の時に「お漏らし(夜尿)しないためのおまじない」として、うつ伏せになり右手をパンツの中に入れ体重と右手で刺激するという「スーパー床オナ」を開発し、それをした日はお漏らしせずしなかった翌日はお漏らししたことからそれを信じ、毎日行うようになった。
当然思春期になり性的快感が得られることを知って以降も行うようになり、射精の瞬間に手首で陰茎の付け根を強く押すと射精した感覚を覚えながらも精液が出ないことに気付き、ティッシュを使わないエコなオナニーを開発。流石に精液を出さない自慰は体に悪いとわかっていたが、布団を被れば見つからない手軽さから、通常の精液を出す自慰は半年に一回のペースまで落ち込んだ。真性童貞時代は「性的快感のため」よりも「疲れさせて眠るため」に自慰をしていたため、1日3~4回は普通に、就寝前に布団の中でこれをやっていた。
それもいわゆるただの床オナであり、強い刺激でないと射精できないので重度の膣内射精障害になった。そのことに気付かず、初めてのソープ(去年の7月頃)では嬢の膣内で射精できず、握り潰されるくらいの握力で扱かれやっと射精。それが悔しくて2週間のオナ禁を実行し、普通の仰向けの自慰をするようになり、膣内射精障害を克服したことをソープで証明(9月頃)。
膣内射精障害が治ったのはいいが、今年に入り性機能の減衰を実感。「勃起したが射精しない」は今年1月頃から感じていたが、今年5月頃から一回射精したあとは刺激を与え続けなければ勃起できなくなり、すぐに萎えてしまう。早漏化も著しく、調整しつつピストンしても2分ももたない(本番できるお店に行かなくなって久しいのも原因かもしれない)。ゴムをしているときに萎えて、膣口を探しているときにまた萎えて、結局2回戦に突入できない。
最初はオナホ買ってとりあえず試したけど、刺激が弱すぎて全然イケる気がしなくて、床オナはやっぱり地獄かといっとき諦めてた。
でも奮起して20日くらいオナ禁してからの自分にとっての最高のオカズで抜くことができた。
当初は強く握らないと駄目だったけど、3ヶ月目くらいからそこそこ握りを弱くしてもイケるようになった。
コツは直接的な刺激にだけ頼るんじゃなくて、精神的な高まりを意識すること。
床オナだと直接的な刺激が強いからそっちがメインっぽくなって惰性でも抜けちゃうけど、オナホだとそうはいかない。
基本的に刺激が強くないから、イクためにはプラスアルファの精神面の盛り上がりを意識することが大事なんだな。
具体的に言えば、エロ漫画で挿入なりフェラなりのコマと同時にオナホに挿入するとかね。
床オナではついぞ味わったことのない一体感があって、もう床オナには戻れない。
閑話休題。
よく女性は精神的なつながりが~とかいうけど、こんな感じか!と思う。ちょっと違う?
次はオナホをハリポタで固定して自分で腰ふる練習でもしてみるかな。
まとめサイトの画像でそういうネタ写メがあったから、メジャーかと思ってジョーク的に使ってみただけです。
机に上にオナホを固定して自分で腰をふるときに、オナホを固定するのにハリポタのような重石を使う、ということです。
参考(写メはありませんが):http://mushosoku.blog.jp/archives/958888.html
小学校高学年くらいのころからオナニーを覚えたのはある程度は一般的だと思うんだが
普通の人はあぐらとかかいてチンコたたせて竿を優しく握り上下に動かすんだろうが
何を勘違いしたのか仰向けになって足ピンさせた状態で勃起したチンコの裏筋をズボンの上からこする方法でオナニーを覚えてしまったのだ。
思春期なので当然オナニーの正しい方法なんて誰にも話すことなく、そのままパンツのなかに射精するという日々を送った。
(今思えばお母さんは黙って精液臭い黄色がかったパンツを洗濯していたわけで、迷惑をかけたと思う)
パンツ内射精は中学2~3年くらいにさすがにヤバイと気づいたんだが、今度はティッシュを何枚も重ねて
それを亀頭にかぶせたまま服の上からこするという方法でシコるようになった。
これなら激しくこすってティッシュがずれない限りパンツを汚さないわけで、以後その方法は完全に俺の中で定着した。
高校生か大学生くらいになってようやくその方法が異常なことに気づき
生まれて初めてあぐらした状態でオナニーをしてみたんだが、驚くほどに気持ち良くない。そもそも勃たない。
だが俺はこのときは完全童貞だったので、あまり危惧していなかったのである。
セックスというものはさぞ素晴らしいもので、挿入すると相手の膣がきゅうきゅう締め付けてきて
最高の快感を得られるものだと、エロゲやエロ漫画で学んでいた。
この頃の俺は彼女欲しい病になり、手当り次第女を恋愛対象として見ていた。
だが、童貞恋愛経験0のチビブサデブがそう簡単に彼女ができるわけもなく、何のイベントも無く大学4年生になった。
いない歴=年齢のまま学生を負えようとした矢先、ひょんなことに(2chのオフ会で)初対面の女性と出会い、付き合うことになった。
童貞チビブサデブに向こうから告白してくるくらいなので、変わった女性で、ショタとエロネタが大好きだという。
また、とにかく処女を捨てたいと付き合って3回目のデートで言われた。
優柔不断な俺はあうあう言ってたらむこうが女々しい俺に半切れになり、半ば引きずられる形でホテルへ・・・
悲しい自慢だが、Fカップありかつ乳輪は小さく、20歳だったので胸も垂れていなかった。もうこれでもかと揉みまくった。
そこで俺は、ある違和感を覚えた。めちゃくちゃ興奮してるのに、息子が一向に勃たないのだ。
相手も必死にフェラだの玉舐めだのしてくれたが、辛うじて半勃ちである。
その状態で無理矢理挿れようとしても、童貞の俺には穴の位置もよくわからず、うじうじしている間にふにゃチンに逆戻りである。
そこで俺は気づいた。
「俺って・・・仰向け足ピンじゃないと勃たないのか・・・!?」と。
その彼女はその日を境に連絡がつかなくなった。
恐らく本当に処女を捨てたいだけで、チビの俺に目を付けただけだったんだと思う。
ところがいざというときに勃ちすらしない俺のゴミ息子に呆れたのだろう。当然の結果だ。
それ以降、俺はオナニーのやり方を変えようとした。
が、どうしても足ピンがやめられない。仰向けがやめられない。服こすりがやめられないのだ。
座った状態でどんなにこすっても、全く気持ちよくないのだ。
この頃になると膣がそこまで気持ちよくないのも、なんとなく察しがついた。(まだ挿れたことないけど)
変に知識が遅れており、床オナというのもこの頃知った。俺の服こすりオナがうつぶせになっただけのようなものである。
膣内射精障害という単語も知った。挿入せずとも、俺のことだとわかった。
だが、服こすり足ピンオナがやめられないのである。もはやジャンキーである。
今度は前の彼女とは異なり、まともな人間で、俺も二人目の彼女ということもあり多少余裕のある付き合い方ができた。
半年か少し経ち、いよいよ彼女ともそういう機会が来るのである。
俺は彼女が出来て以来、こっそりと、どうにか座りながら射精できるように訓練をしていた。
だがそれはほぼ失敗に終わり、結局服こすり足ピンオナに戻る日々であった。
ここまでくれば語るまでも無いだろう。
緊張もあったのだろうが、それは言い訳であった。
訓練のかいあって、挿れる直前までは勃っていたのにいざ立て膝体制になると萎えるくらいには成長したが、結果は敗北である。
彼女はまともな人なので、そんなので縁が切れたりはしなかったが、残念な結果に終わった。
その後、4回目のセックスでなんとか挿入に成功したが、特に面白いことはない。
挿入しても快感のかの字も無い。気持ちだけで勃たせているが、射精なんて遠い未来である。
ピストンをしている間にだんだん萎えてくるので、じり貧状態だ。
膣が吸い付いてくるなんて嘘である。膣に生命体が宿ってない限り、そんなことはない。
結局付き合ってもうすぐ3年になるが、俺はまだ一度も射精した姿を彼女に見せたことが無い。
さすがにここまでくると焦ってくるのだが、それでも服こすり足ピンオナはやめられないのだ。
セックスするも射精せずに終わり、家に帰って彼女の姿を想像しておかずにしている日々だ。
結局のところ、チンコに「圧」をかける快感を覚えたら負けなのである。
膣は圧がかかって気持ちいいのではなく、粘膜がこすれることで気持ちいいのだ。そこに圧力は存在しない。
上手に粘膜のこすれだけを覚えたチンコなら、フェラは最高に気持ちいいんだろうが、「圧」を覚えたチンコはそれを無力にする。
もし過去に戻れるなら、絶対にチンコに「圧」を覚えさせないようにと、自分に念を押したい。
(追記)
騎乗位でやればいいという意見は非常に理解はできるのだが、服こすり足ピンオナの代償はその程度の問題では無いのである。
体位のほうは騎乗位で解決する。彼女側に負担がかかるため乱用はできないが、最適解はそれだろう。
問題は「圧力」である。これは膣程度の力ではどうにもならないのだ。
例えば射精障害ではない人間がオナ禁をしたところで、一切の刺激無しに想像だけでイケるだろうか。それができるなら、職人芸である。
服こすり足ピンオナのすごいところは、何よりもチンコに加えられる刺激である。
適度に潤滑かつ抵抗のある服をこすることにより、通常の何倍もの快感が走るわけだ。
賢者タイムとは己の性欲に向き合うために与えられた時間なのだな。今の俺はとてつもなく冷静だ。
俺は数時間前までデリヘルを呼ぶ段取りをネット検索し風俗デビューを果たそうとしていた。
久しぶりにあった古い友人が今、風俗のようなお金を払うパターンも含めて、派手に女遊びをしているという話をしていて、そんな生活が童貞の俺にはとても魅力的に感じたのだ。
自己正当化しようとするならば、いい年して童貞で燻ってる俺も女を知ることで視野が開けて活動的な男になれるんじゃないかという強引なこじつけの願望。実際その友人はかつてとは比べ物にならないほどエネルギッシュでギラついた男になっていたしな。
嬢の呼び方を調べて既に気持ちは十分すぎる盛り上がりをして、ムラムラっときて手慰みをして今に至る。
なんの出費もせずに数分で冷ますことのできる性的欲求を、2万円近く払って1時間かけて満たすことの虚しさを思った。しかも親の金だ。馬鹿馬鹿しくもなる。自己嫌悪に陥るだけだ。実際に店に行かないのならば先のネットサーフィンにしたって無駄な時間を過ごしたことになる。
という今のしめやかな感情も明日になったら忘れ去られ、風俗デビュー決行の日取りをまた検討しているに違いないのだ。この性欲。
年越しを契機に、365日のオナ禁に挑戦しようという、これまた別のベクトルの馬鹿らしい好奇心に駆られている自分もいる。俺の2015年の貞操の行方や如何に。