掲題の通りなんですが、性的少数者に対して過剰に拒絶反応を示す人の思考が難しいなと思う。
友達の好きな人が、ブスでもハゲでもデブでも引かないし、どうでもいい。死ぬほどどうでもいい。
なのに、女友達が女と付き合ってたり、男友達の好きな人が男だったりするだけで、「気持ち悪い、認めん」と思うのが難しい。
他人の好きな人なんてどうでもいいわけで。エログロが好きだったりアニメが好きだったりピンクが好きだったり。
キモイと思うのは自由だけど、性別となると突然「認めん」となるのはなぜだ…
好みはその人をつくる要素ではあるけど、好み=その人ではない。好みは本質じゃない。と思う。
自分と違う人は怖い。なんとなく異質だから気持ち悪い。できれば知らないでいたい。
とか思うのは、もちろん自由だと思う。
だけど、結婚したい意味がわからない、パートナーシップ条例でいいじゃん。とかはよくわからんかった。
既婚者がね、言ってたんですよ。「じゃあなんであなたは結婚したんですか」って。
「みんなそうだから、なんとなく?」
同性愛者も、すきだし家族になりたいなって思ったときに、「なんとなく」で結婚できたってよくないか?
好みが違うからって、大多数の人が当然できることを、「やらせない」「別にいいだろ」っていうのは意地悪だと思う。誰かに迷惑かけるわけでもないのに。
別にキモイって思ったっていいんだけどさ、彼らの権利を認めたくないという心理がわからず。いまだに同性婚できないのはなぜですか。どうか教えてください。
自分は偏見ないけど、ヘテロ親と幼児の自分というモデルから認識しはじめることになっている。 それだとふつうの「愛」が「性愛」を含みつつもっと大きいものであるということがな...
わからんけど、確かに他人の好きな人なんかクソどうでもいいわな。 でも不思議なことに小児性愛者だけは許容出来ない自分もいる。