はてなキーワード: 桜木とは
元々、安西先生も別に完璧な人格者として描かれているわけではまったくなくて
「才能ある選手を追い込みすぎた結果、その選手は未熟なままアメリカに渡り、失意のうちに死ぬ」という
安西先生はそこから指導方針を大きく変えてて、猛烈なスパルタから、よく言えば限界まで生徒の自主性に任せる方針(悪く言えば放任)に切り替えてるのね。
そこには、安西先生の「才能ある選手に対して、どこまで追い込めばいいのか」「生徒の将来性と目の前の勝利、どちらを優先すべきか」という怯えと葛藤があったと思う。
例えば怪我した桜木を引っ込めろってのは正論なんだけど、安西先生と桜木は最終的にそこをエゴで踏み越えちゃう。それを間違いだって断じるのは簡単だけど、本当にじゃあそうやって引っ込めて負ければ物語的によかったの?
結果、安西先生と桜木の選択でチームは勝利し、桜木はリハビリ生活に入る…。
たしかにミッチーだってもっと細かくケアしていればそもそも不良にならなかったかもしれない。
でも作中のミッチーは一度ドロップアウトしかけたところから戻ってくることで明らかに大きく成長してる。
結局、「これが絶対正解」って選択肢は、大人である指導者たちについてすら、そもそもどこにも描かれてないのよ。
豊玉の監督もそう。指導者も生徒も、皆未熟さや挫折を抱えている不完全な人間として描かれている。
(堂本監督だけほぼ判断ミスも弱点もない理想の指導者&チームなんだけど、それを問題児軍団がひっくり返すのが醍醐味なのよ。)
安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。調べると同じような意見が結構出てきたので、スラムダンクファンの間では長く語られていたようだ。
スラムダンクをリアルタイムで読んでいたころ、おれは10代だった。40代になり、自分には才能も何もない、安西先生に無視される側の人間だと25年かけて思い知らされたいま、当時は気づかなかった安西先生の冷酷さが浮上してきた。レギュラーを取れない補欠としての人生が確定したような、苦い鑑賞体験だった。
スラムダンクを美化しすぎなんだよ。たくさん張った伏線を回収せずに終わらせちゃったのと同じで安西先生の人間性のことなんて作者が何も考えてなかっただけのことだろ。
「井上雄彦は一貫して安西先生を才能にしか興味のないキャラとして描いていた」「当時は気づかなかったが、その後の人生経験を経てそのことに気づいた」という話をしており、この人は真逆のメッセージを受け取っている。まあおれ含め、読者は読みたいように読むもんである。
この手の意見が多いことに困惑した。「いまの価値観から見ると違和感がある」みたいなことは想定していなかったので、なぜ大勢がそう受け取ったのかと不思議だった。
「ケガを放置するなんてありえない」という点を「令和の価値観」と受け取ったのかと考えたが、おれの感覚は異なる。例えば沖縄水産高校の大野倫投手が怪我を押して投げたことで全国的にバッシングされたのは1990年のことで、当時からして「怪我人を強行出場させるなど監督失格」という価値観は定着していたであろう(そもそも安西先生本人がそう言ってる)。「令和の価値観で批判するな」という人とは、この点の見解が食い違っているのかなと感じた。おれからすると「君らは平成のことがわかってない」となるのだが、まあどっちが正しいかは検証が必要であろう。
個人的にあの桜木が怪我した状況はいらなかったと思うんだよな。桜木の選手生命を失うかもしれない自己犠牲の上に成り立たせた感動の試合みたいな展開にはして欲しく無かったんよ。
半分は同感なのだが、山王戦は感動ポイントもりもりのデラックスパフェで、そこにさらに「怪我を押して強行出場」という沖縄マンゴーを乗せて蜂蜜をかけるようなことをしたため、あれほどのエモーションを生んだことは否定し難い。おれが編集者なら(嫌いな展開だが)桜木の怪我は切らない。サービスサービス。
安西って谷沢の一件で指導者を実質引退したんだろ。で、公立高校の顧問でのんびり隠居してたとこにとんでもない才能が現れて、急に昔を思い出してやる気になっただけ。
安西先生やる気全然ない監督で、流川という才能が入ってきたからやる気出したんだよね。そんでさらにまさかの赤毛素人が同じくらいの才能持ってた。
この手の意見は同感。
“安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。”昭和生まれが高校生の頃のの強豪校の運動部はほとんどそんなイメージ。レギュラー以外無視
ブコメでも描かれているが、海南の高頭監督なんかはかなり選手のことを見ていて、神や宮益といった人をきちんとフックアップして戦力に育成している。こういうバランス感覚のある監督を敵将として配置している一方、自軍の大将にいびつな才能の悪魔を置いているあたり、井上雄彦の面白い点だと思う。作品の瑕疵だと言いたいわけではなく、むしろプラスの評価をしている。
自営業で半分FIREしてる親父が60過ぎてからシルバー割りで映画を見まくっている。
基本的には実写専門でアニメはほとんど見ないのだが、見るものがなくなったそうで
話題の「THE FIRST SLAM DUNK」を見てきたらしい。
ちなみに原作は未読。
2.最初三井と流川の見分けがつかなかった。他のキャラは個性的なのに。
4.宮城が主人公なのにちょいちょい桜木が存在感出してくるアンバランスさはある。
5.チビでもNBAで活躍できるけどロングレンジ前提だから宮城じゃダメじゃない?
全体としては非常に満足して帰ってきたようで、今年見た中では3本の指に入るくらい良かったとのこと。
親父は昔からBSでNBAを見ていてバスケ自体はかなり好きなので
作中のバスケの試合シーン表現に関してめちゃくちゃ満足度が高かったと絶賛していた
ストーリーに関しても普段から別にバックストーリーありきでバスケ見るわけじゃないし
回想とか台詞とかで大体この選手はこんな感じってのは分かるからおおむね問題なかったとのこと。
この辺は原作未読のほうが柔軟性がある見方ができるんだろうか。
チビでも宮城じゃダメって件に関して俺は「アイバーソンがおるやろがい」と反論したのだが
「もし宮城がアイバーソン級なら山王相手に一人で50点取ってる」と言われて何も言い返せんかった。
中学・高校バスケ部、下手くそで全然試合出れずずっとベンチ、スラダン全巻保有の人間の感想。
オープニングの湘北が1人ずつ歩いてくるやつ、かっけ〜!!テンション爆上がり。音楽もよい!
(一本、そーぉれ一本!ピッピー!とか、ディーフェンス!ディーフェンス!とかそういうやつ)
試合の合間にコートの隅にいるモッパー(モップ係。選手の汗が落ちてると踏んで滑るから拭きます)の猛ダッシュ懐かっし〜!!リアリティがやべ〜
オフィシャルも懐かしいよ〜ファウル数えたりタイマー止めたりタイムアウト言われて試合止めたりすんだよ〜あれ他のチームが順番にやってんのよ、試合出ない人が。(全国大会は違うかもしれぬが)
審判の「オフェンス!チャージング!」の身振りの大げささとか、「バスケットカウント!ワンスロー!」の力の入れ具合とか懐かし〜!あのグレーの審判服も懐かし〜!審判、人によっては動きがコミカルだったり、やたら力入ってたりとか面白いんだ。
冒頭の湘北のアリウープ、漫画だと結構なギャグシーンだけど映画だとサラッとやっててよかった。
桜木がゴリにカンチョーして殴られるのとかはやるけど、魚住の大根桂剥きは無かった。別に無くていいけど。
途中の桜木の成長振り返りシーンで一瞬牧とか仙道とか出てくるのもテンション上がるわ〜
絵が上手すぎるんだよ。絵の演技がすげぇよ。
台詞じゃなくて絵で語ってた。
妹ちゃんのカラッとした感じがよかった。
やさぐれる前のミッチーのキラキラ感がやさぐれ後との落差で笑えるほどだった。
見終わった感想としてはめちゃくちゃ良かったけど原作未読の人は多分意味分かんないんじゃない?と思ったんですが、原作読んでないけどよかったと言っている人がいたのでそんなことないのかもしれない。
原作読んでなかったらあのキラキラボーイがミッチーだとは分からない気がするが、どうだろう。
映画本も買った。
単行本未収録のリョーちんの沖縄時代のエピソードが載っているというやつ。
漫画は自分一人のフィーリングで描けるけど、映画を作るには大量のスタッフに意図を伝えるために言語化をせざるを得なかった話とか、
漫画なら小さいコマでチラッと載せられるエピソードも、映画は全コマ見開きみたいな感じで難しい話とか。
苦労が伝わった。
予告見た時はペラペラの変なアニメかと思ったら、その感じはほとんどなかった。あの映像表現はボールの重みも感じるし、立体感がすごくあった。素晴らしい。今年のベストはトップガンマーベリックだと確信してたがこちらだった。全く期待してなかったのに。
あと観客の熱量がすごい。映画館でみんなポスターの前で写真撮りまくり。私は2組から写真撮ってくれと頼まれた。
あえていうなら
すごく良かった。あれは原作ファンへのファンサービスだなという内容で、おそらく2ndに向けて大きな広がりを作りつつ(つまり新規ファンの裾野を広げつつ)、かつ原作ファンを号泣のるつぼに落とすという、なんというかバトンを繋ぎながらファンサービスをするような、理想的な「今昔繋ぎ」だったと思う。こんなことはなかなかないし、できることではない。すべてを卒業させたエヴァとはまた全然違う、素晴らしい出来だった。
ただ。ただね。これだけは言いたい。桜木は「合ってない」。
予めいうと、既存アニメ崇拝者ではないし、むしろアンチだ。正直アニメは作画はキレイな部分が多々あったが内容はそんなに好きではない。声優陣も思い出補正で好きだと言うレベルを脱してない(もちろんレジェンズへの敬意はある。しかし現実の俺の感情として)。そして木村昴も大好きだ。ジャイアンも好きだし、おはスタも見てるし、この人の能力の高さは心から認めている。
しかしこの桜木…俺にはクサすぎた。もっとストレートにやってくれ。ストレートってのは何も考えず正直にやれというのではない。「素人桜木になりきって完璧に演じてくれ」ということである。難しいことだろうが、それを求めたい。なぜならそれだけ素晴らしい出来だった。だけに。だけに。
二日前くらいに同じ内容のエントリを適当に書き散らしたけど、結論めいたものが出てこなかったんだけど、ちょっとだけ反応があったのでもう一回書いてみる。
いちおう結論ぽいのは出てくると思う。
まずロボットアニメにおけるロボットってなんなん?っていうと、これは例えばスポーツ漫画でいえば競技になる。
スラムダンクならバスケットボールだし弱虫ペダルならロードレースだ。スポーツじゃないけどゆるキャンならキャンプでもいい。
それで、このスポーツ漫画における競技は物語でどういう役割を果たすか?というとキャラとキャラを繋げる仕掛け、媒介になる。
スラムダンクなら流川と桜木花道で、ゆるキャンならしまりんとなでしこというキャラを繋げる役割がある。
普通は現実では人間は、嫌いな人間、合わない人間とは積極的コミュニケーションをしない。気の合った仲間と遊ぶものなんだけど、漫画や小説ではそれは面白くない。
性格の合わない人間、水と油のようなキャラたちが交流したりぶつかり合ったり、そして理解しあえたりあるいは決別してしまうこともある そういうものが見たい。
スラムダンクでバスケットボールがなかったら桜木花道はただのヤンキーのままで冴えないままで終わっていただろう。
バスケがあったから流川は桜木というライバルに出会えて、刺激されてバスケットボールに対する姿勢をもっと真摯なものした。
キャンプという共通の趣味があったからなでしことしまりんは友達になって、しまりんは、なでしこを通じて世界を広げていった。
ここで「スポーツ漫画の競技の理由は分かったけど、じゃあロボットなんて出さずに既存のスポーツとかでよくない?」という疑問が出てくるんだと思う。
ここでは作家の描きたいものが「スポーツで勝ちたい!」とか「アウトドアを楽しみを伝えたい」とかならそれでいいんだけど、もっと複雑で表現の難しいものになることがある。
たとえば世界に対する考え方とか政治とか生き方とか。ようはガンダムで扱われるような要素。
最初に「スポーツ漫画の競技はキャラとキャラを繋げる媒介」と書いたけど、じゃあ、ロボットアニメのロボットはキャラと何を結びつけるのか?というのは、まずは考え方、生き方、政治、つまり「世界」になる。
そして考え方や生き方の違うキャラ同士のぶつかり合いを表現するのに「ロボットで戦う」という絵的なインパクトが必要になる。
この絵のチカラというのは重要で、たとえばベルセルクっていうファンタジー戦記があるけど、あれは色々壮大なストーリーはあるけど本筋を雑に言うと「ガッツとグリフィスのキャスカをめぐる恋愛ストーリー」だ。
でも三浦健太郎の画力で片手と片目を失ってまだモンスターと戦うガッツの姿がないと「ガッツのキャスカに対する思い」や「グリフィスに対する愛憎」という情念を描き切れないんだと思う。
さらにもう一つ、ロボットが主人公を結びつけるものがあって、それが「女の子」になる。ようはヒロイン。
ロボットアニメのストーリーって主人公がいて、それを繋げるロボットが居て、半分は世界に関する物語があって、残りのもう半分は主人公とヒロインに関する物語のふたつでできてる。
どのロボットアニメでも物語のなかの「世界」と「女の子」の価値は同じで、それくらい女の子というのは重要な要素になる。
なんでロボットがつなげるのがヒロインなのか?というと、まず「ロボット」というのは「人の形をしているけど人ではない」ものだ。
年頃の男のにとって、同世代の女の子というのは謎な存在だ。ついこないだまで同じ「子供」だったはずがいつのまにか体つきが変わって、考え方もなんだか大人びた感じがする不思議な存在だ。
自分たちと同じ「子供」ではない。大人のように完成されている「人間」でもない。女の子は一日ごとにどんどん変わっていく。
男の子にとって女の子は「人間のようで人間でない」存在で、そういう意味でロボットのようなものなのだ。
ロボットアニメは主人公の男の子がロボットにはじめて乗るところから始まる。同時に、ヒロインの女の子との出会いが始まりでもある。
ボーイミーツガールというお話の型があるように、男の子が女の子に出会うことは、それだけで一つの物語が生まれるほど衝撃的な体験になる。
男の子にとって、女の子はそれくらい未知の存在で、知らない世界そのもの。ロボットのような理解できないもので、同時に魅力の存在なんである。
ここで、女性からすると、なんでそんなロボットを通じて男の子と女の子を繋げる必要がある?と思われると思う。「男の子と女の子の話を書きたいなら単純に恋愛を描けばいいじゃないか」と。
そこは悲しい話でエロの話だ。年頃の男の子はエロ抜きに女の子を見ることができないのだ。
少年向けの漫画や小説に純粋な恋愛作品がないのはそれである。あっても"恋愛要素のある探偵もの"みたいなおまけになる。
あるいはラブコメみたいに「主人公には意中のヒロインがいる。主人公はモテるけど、ほかのヒロイン候補のエッチな誘惑を跳ねのけてヒロインと結ばれる」というものになる。
男の子は恋愛するのにエロをどうするか?というのは避けられない問題なのだ。
そこでロボットを通じて女の子と分かり合うという仕掛けが出てくる。男の子とヒロインの間にロボットが立ってくれることで、ようやく男の子は繊細な感情や機微、言葉のやりとりができるようになる。
たとえばエヴァではシンジが「なぜエヴァに乗るのか?」という問いをアスカとレイから出されて、同時にシンジも二人に向けてなぜ乗るのか?という対話が発生する。
バスケがあるから性格的に合わない桜木と流川が一緒に試合に出たり練習したりするように、「ロボットが居る世界」があるから男の子はエロ抜きに女の子と向き合えるのだ。
とりあえずここまでのことをまとめると「ロボットアニメのロボットは作家の描きたいことを描くための必要な舞台装置」「男の子とヒロインの恋愛を描くための媒介」とかそういうのになる。
と、書いてきたけど、この内容を全部のロボットアニメに当てはめることはできない。あたりまえだけど。
水星の魔女はガンダムが作中でどう扱われるのかよくわからないし。
そもそも「日本のロボットアニメ」のようなものって海外では無いのだ。
アメリカでパワーレンジャーとかパシフィックリムとか、あるいはベイマックスとかアイアンジャイアントとかあるけど、アメリカのロボットって日本とは違うし、そもそもウケがあまりよくない。
海外ならティーンの恋愛は普通にドラマでササッと描いちゃう。アニメのスパイダーマンバースでマイルスとグウェンがしっとりとした大人ぽい恋の駆け引きみたいなやりとりをしてて「やっぱ恋愛先進国のアメリカは違うなあ」って思った。
日本みたいに奥ゆかしくて恥ずかしがり屋の国民性に恋愛は難しいのだと思う。
あとはとにかく男だから男の視点でしか書けなかった。「女の子だって男の子が不思議な生き物に見える」とか「女の子だってロボットが好き」とかあると思うけどさすがに回収は無理だった。
原作の山王戦はスラムダンク連載全体のクライマックスだったから、試合の中でそれ以前のストーリーをくみ取る必要があった。
だから、原作を知りすぎていると、本作は一部を切り取られたように感じるし、文脈がわからない箇所も出てくる。
なぜバスケなのか。サブキャラとの人間関係。流川と桜木のライバル関係。
些末な回想シーンだけなので、原作主義だと物足りないかもしれない。わたしもそれだけ?と思った。
試合最後のシュートは桜木流川の有名な協力プレイであるが、その前にリョータがチームに円陣を組む場面がある。
「おれたちはできる。」
だったのかなと思った
桜木と流川のライバル関係、赤木と木暮の3年間、三井の挫折と復帰、
これらに比べると原作では宮城のバックボーンは無いも同然だったし描きたくなるのはごく自然だなと
山王戦はとにかく映画1本の中で1試合をぴったりやり切る方針なのはよくわかった
魚住のかつらむきや桜木vs美紀男はモノローグ多めのシーンだからカットしたっぽい
コートの中はともかく観客席からのカメラワークは実際にカメラを置ける通路からのアングルだったり
得点が入ったら必ずスコアボードが写る演出だったり徹頭徹尾「試合」を映す意思は感じられた
下手に原作のシーンを全部詰め込んで上映時間4時間になったり前後編になったりするよりは
「ゴムいらない。中出しされないとイけないから」そう言って俺の上に跨る黒瀬さん、ほんとにあの真面目な主任なのか…!?--オープンゲイの桜木隼の日課はエロ系出会いアプリで男を探すこと。いつもの様に気軽そうな相手を探す中、マッチしたのは即ヤリ希望のエロそうなリーマン!早速ホテルで待ち合わせしたものの、そこにいたのは主任の黒瀬さんで…!?戸惑うのも束の間、普段は真面目な主任が色気ムンムン、さらには「中出しされないとイけない」なんて煽ってきて…エロ過ぎ!!!無我夢中でヤリまくってしまったが最後、心まで翻弄されてしまいーーーエロ過ぎる主任と遊び希望の部下、マッチ度200%な恋の行方は…!
『スラムダンク』大人になったら「モテ男必至の人物」3選 本当にモテるのは流川でも仙道でもない…!?
2022.03.30
『スラムダンク』大人になったら「モテ男必至の人物」3選 本当にモテるのは流川でも仙道でもない…!?の画像
画像は『SLAM DUNK 完全版』(集英社)第11巻・書影より
90年代の『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載され、少年少女たちの心を熱くさせた井上雄彦氏の『SLAM DUNK(スラムダンク)』。言わずと知れた珠玉の名作だ。
ところで『SLAM DUNK』といえば、アイドル級のモテ男たちがたびたび登場するのも見どころのひとつ。湘北の流川を筆頭に、山王工業の沢北、陵南の仙道など、女子たちの黄色い歓声を浴びまくるエースたちに憧れた読者は多いはずだ。
たしかに彼らはそれぞれ類稀なる才能を持った魅力的な人物である。ただし、それはバスケットにおいては……の話。年を重ねてみると、女性が男性を見る視点も変わってくるものだ。
そこで今回は『SLAM DUNK』の登場人物で、大人になったらモテ男になるであろう人物を勝手ながらお届けしたいと思う。
■海南大附属高校「神 宗一郎」
まずはじめに“モテ男認定”をしたいのが、海南大附属の長身のスリーポイントシューター「神 宗一郎」。
湘北の赤木、陵南の魚住、同じ海南大附属の牧、山王の河田など、ごついゴリラ顔or渋いおじさん顔の登場人物が多い中、神の繊細なルックスには単純にひかれるものがある。そして189センチ、71キロのすらりとしたモデル体型は、細マッチョ好きの女性にはたまらない。
しかし、神がモテるであろう理由は外見だけではない。もともとセンター志望で海南大附属に入部した神。ひょろひょろとした体型のため、体格の良い牧や高砂などのチームメイトにふっとばされる日々が続き、高頭監督から「センターはとうていムリ」と指摘されてしまう。
高校生には酷な言葉だ。しかし、その日から神は1日500本のシューティング練習を欠かさず努力し、押しも押されぬ全国レベルの名シューターに成長する。
穏やかな容姿からは想像もできない内に秘めた闘志と粘り強さ。困難があっても即座に対応できる決断力。相手チームを分析する冷静な洞察力。後輩の清田をかわいがる面倒見の良い先輩感。実際にこんな男性がいたら、女性が放っておくはずがない。
■湘北高校「木暮 公延」
“メガネくん”と桜木花道から慕われる湘北の副キャプテン木暮公延は、ルックスもバスケットスキルにおいても、正直、主役になれる存在ではない。だが、実は『SLAM DUNK』の陰の立役者であり、誰より大人の男だと筆者は考える。
流川や桜木など、優れた才能を持つ後輩たちにいずれポジションを取られることが分かっていながらも「湘北は強くなる」と、チームのためを思って成長を喜べる器の大きさ。いつでも優しく親身になって後輩に指導を行う姿。また、キャプテン赤木を根っからのポジティブさで支え続ける忍耐力。湘北バスケ部を潰しに来た不良の三井に向かって「根性なしのくせに何が全国制覇だ…」と、物怖じせずに言い放つ勇気も持っている。
そして、忘れてはいけないのが、インターハイ出場がかかった最後の試合「湘北vs陵南戦」での活躍。大事な局面で、きっちりスリーポイントを決める勝負強さもあるのだ。木暮が個人練習をしている風景はあまり描写されていないが、毎日コツコツと練習してきたからこそ、大一番で力を発揮できたことが想像できる。
さらには、部活に没頭しながらも成績優秀。とにかくデキる男なのだ。社会人になった木暮の姿を、ぜひとも見てみたい。
■翔陽高校「藤真 健司」
最後は、翔陽の選手兼監督である藤真健司を紹介したい。強豪・翔陽の歴史の中で唯一1年生の時からスタメン&エースの座に君臨する実力、さらさらヘアーで童顔の甘いルックスなど、もともと十分に女心をくすぐるポイントを持っている藤真。
そんな彼の最大のモテ要素は、エースであり監督という重責を担った、デキる男ぶりだろう。どのような経緯で翔陽の監督になったのか具体的には描かれていないが、専任の監督がいないからこそ、やむを得ず監督の大任を引き受けたのかもしれない。
エースで監督という特別感。普通だったら、同世代からのやっかみがあってもおかしくない。しかし、藤真が試合に出場するだけで、花形をはじめ大柄な選手たちが一気にまとまり、チームの士気が上がる。
さらに、翔陽の男子部員たちが藤真のプレイに熱い声援を送り、一生懸命応援をしている姿を見る限り、同性から絶大な信頼を得ていることが分かる。これは偏見かもしれないが、たとえば山王工業の沢北のように実力はあってもナルシスト気質だと、同性からはあまり好かれない気もする。彦一の姉、相田弥生が藤真に対して目をハートにしていたが、そのあたり彼はまさしく「要チェック」な存在なのだ。
学生時代、スポーツのできる身体能力が高い男子に惚れる女子は多い。しかし、大人になってみると、やはり内面の良さがモテにつながるのは必至だ。今あらためて『SLAM DUNK』を読み返したら、昔とは違ったキャラクターが気になってくるかもしれない。
完全にこの人の趣味で草
ブコメにも「都市計画決定後の公園や道路区域の私有地に建築を許さなかったら、都市計画道路は数十年かかったりするし大都市圏は謎の空き地だらけになってそう 例の公園も30年はかけていく事業のようだし即座の立ち退きでもない」と言ってる人いるけど、計画から実施まで何十年も私有地を使わせないのは過度な制限になるし無駄な空き地だらけになるから、実際に計画を実行するまでは活用できるようにしてるんじゃないかな。知らんけど。
実際空き地だらけでは。
新宿の富久町の外苑西通り終点から東京女子医大までの辺りとか、外苑東通りの二車線区間沿線とか、目黒郵便局の辺りとか、反対運動がまだ続いてたと思うけど、淡島通りの環七越えた先のところとか、去年開通したけど世田谷の桜木トンネルの辺りとかもそうだったし。
私有地のままならいつまでも公共インフラができないだろうし、土地を買い上げて徐々に公有地を増やしているんじゃないかな。知らんけど。