はてなキーワード: 落語とは
京都弁や京都人の、皮肉や迂遠な悪口を言う存在というイメージがインターネットでネタにされることは多い。
大体の人間にとっては感覚的に自明だろうが、ネットで行われる京都弁ネタ、皮肉がうまい、婉曲的な言い回しを好むというステロタイプイメージの扱いはは、基本的に誉め言葉である。
インターネットというのは――もしくはオタクというのは――或いは日本人というのは――もしかしたら人類の多くが――皮肉や口の上手さ、風刺、アイロニー、ウィット、気の利いた言い回しといったユーモアを好むものだ。
たとえば、現実のイギリスのアイロニカルなジョークは人気だ。フィクションでは、ジョジョのプッチ神父のツバメの話やニンジャスレイヤーなどの捻った挑発も人気だ。
誉め言葉方面でも、漱石がI LOVE YOUを月が綺麗ですねと訳したというエピソードも人気だ(これは創作実話らしいが、人々がこのような婉曲表現がステキと感じるからこそ、創作実話なのに広まってしまったのだろう)。
意味が分かると怖い話、落語の考えオチ、なんかの楽しさも、遠回しだからこそ面白みが増す事例だろう。
しかしそれも素直に京都の高い言語文化を褒めるのでは面白みがないから、まるで京都人が意地が悪いから複雑な言い回しをしているかのようなひねりを入れた誉め方をしているわけだ。
少し蛇足になるが、最近はインターネットやSNSが一般化したことで、皮肉や逆説、反語表現などが誤読されることが増えたという話題をよく目にする。だからアイロニカルな表現は止めよう、と。
だが、私はSNS時代でも、アイロニーや皮肉や捻った言い回しを捨てるべきではないと思う。
言語表現・言語文化の洗練というのは、「誰にでも齟齬なく伝わり便利である」という実務的方向だけではなく、「美しい、おもしろい、何かが掛けてある」のような美的方向もあるだろう。
過去の歴史で、言語文化が発達したとされる場所や時代は、大勢の人間が言葉で交流ができる環境と余暇があって、面白みやひねりのある言い回しが沢山生まれたことで言語文化が花開いたとされることが多い。
まさにインターネットは人類史でもっとも広く日常的につながった言語環境だ。
そこで芽生えてきた、そして今後も花開くであろう、華美で、ひねっていて、アイロニカルで、美しくて、遠回しで、おもしろい言語表現を諦めるなんて、あまりにもったいないのではないか?
回転焼きか大判焼きか今川焼きかってシリーズ対決になるようで、
それはそれでいいんだけど全部絵柄が一緒って言うのが笑っちゃったわ。
わざとよね。
じっくり回転して焼きあがる回転焼きなので、
焼き方は違えど回転焼きが一番違うのかしら?って思うけど
実際のところはよく分からないわ。
大人になったら違いが分かるかと思ったけれど案外そうでもないみたいね。
大人になったらって言えば、
麺だけを楽しめば言いじゃないって思っていた時代が私にもあって
急にいつだったかしらね?
ザ虎舞竜じゃないけれど
薬味と仲良くなったのよ!
あれは好みでその時使うか使わないかは絶対に言わないよ絶対にって槇原敬之さん方式でやるんだけど、
店員さんがせっかく小皿に盛ってくれたのを形を崩さずに残しちゃうと
ちょっと箸で崩して使ってないけど使った形跡を残しておく季節もあったのよ。
私も大人の階段登るシンデレラ形式のそれなんてエイチツーオーさん?って思っちゃうほど、
それがちょうど1年前!
カモン!薬味!カモン!って感じの
うまい!ラーメン!うまい!のネタでしかない「うまい」で挟まれた表の看板のラーメン屋さんがあるようにそう
私もカモン!薬味!カモン!って
でも未だにあんまり私が好んで食べようと思わないものがあって、
めんまなのよね。
食べられないわけではないけれど、
好んで食べようとは思わないぐらいの感じ。
あってもなくても私はどちらでもいい女性専用車両4コマの人のように思うの。
もしかしたら
メンマ!私!メンマ!って挟まれても嬉しい季節が到来するかも知れないから、
でもあのラーメンのあの
メンマ以外にも刺して盛ってやって来る板海苔もあんまりよく分からないけれど
いつかきっと私もラーメン屋さんに盛ってやって来る板海苔が好きになる季節が到来するかも知れない、
ラーメン刺し板海苔!私!ラーメン刺し板海苔!って挟まれてもいい感じなぐらい、
あとラーメンどんぶりの器を一周する丼からひらひらと垂らして盛ってくるチャーシューもいつか好きになる季節がくるかも知れないので
ひらひら1周盛りチャーシュー!私!ひらひら1周盛りチャーシュー!って囲まれても
それなんてエブリリトルティング?って信じ合える喜びをいつか感じるときがくるかも知れないので、
何事も全否定することを全否定するわけにはいかないことも無いことも無いなとは思わないのよ。
嫌い嫌いをアピールしても何も得することがないじゃない。
饅頭以外は!
あれは饅頭大好きだけど、
じゃ落語の登場人物の人たちがあいつに意地悪して嫌いな饅頭を差し入れしてやろう!って
嫌いって言っておけば良い作戦なのよ。
でもあいつに意地悪してやろう!って思われるぐらいあいつも嫌なやつだってそのベースが悲しいので、
そもそもとして嫌われない行動を常日頃に持っておいて
人当たり良く過ごすのが
今日の私の新聞紙の占いの一位に書いてあった私の星座ではない良さそうな占い結果だったの。
だから、
少しぐらい言っておくべきでも良かったのかしら?
隣の席の薬味を使わない人を見るともったいないなーって思っちゃうの!
薬味好きになって欲しいなって思うの。
うふふ。
カールスモーキーじゃない方の石井さんのベーコンの香りが香ばしいわ。
なかなか食欲をそそる感じがして
そんな鰯気に鳴ってなくて今度温めてみようかな?って
今朝ちょっと寒かったので
急須で淹れるとたくさん出来るので
水筒のボトルにいくらか詰めて持ってきて出先でも楽しめるホッツ緑茶ウォーラー!ってところかしら。
今日の私のラッキーアイテムはホッツだったのでちょうどいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
メインカルチャーとは、世の中において健全な文化と見なされ、大学で学問対象として研究されたりする文化である。
戦前から現代まで続いている文化が多く、いい意味でも悪い意味でも「保守的」と言われる。
そしてサブカルチャー、通称サブカルとは新興文化であり、上記のメインカルチャーと比べて主流とは言えない文化である。
メインカルチャーが大人向けの文化であるとすれば、サブカルは若者文化と言えるだろうか。
東京の文化で考えてみると地域で分断されているので判り易く、旧東京市の旧市街エリアでメインカルチャーが盛んである。
そしてサブカルチャーは戦後開発された西側エリアで発展している(ただし秋葉原は例外)。
銀座・日比谷・有楽町…巨大劇場群や有楽町マリオンなどの巨大百貨店が集まっていて、銀座は言うまでもなくメインカルチャーの中心。最近の若い人は「有楽町で逢いましょう」なんて知っているかな。
上野…上野公園の美術館と博物館、東京芸大と町そのものが芸術の街。
上野広小路・浅草…上野アメ横や戦前から続く浅草の繁華街。落語の寄席や演芸場が多い。
深川地区…両国の国技館、もう一つの伝統芸能である東銀座の歌舞伎座。
こういう棚卸しは面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないからエリアは京阪神+αで許してや。
1 演劇
あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場、京都劇場、オリックス劇場あたりかな。
それから、生き残ってる大衆演劇は阪神地域が中心なんちゃうかな。
京都は学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田はヨーロッパ企画のサマータイムマシンブルースを西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。
建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城、法隆寺、京都、奈良、百舌鳥古市古墳や。
建物の中にも美術品がたくさんあるから、重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。
伝統建築だけやのうて、近代建築も京都・大阪・神戸の中心地に点在してるな。京都は南禅寺の水路閣、大阪は中之島の日銀、神戸は旧居留地が増田の好みや。
もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビルは原広司の代表作やな。
国立美術館・博物館やと、京都と奈良の博物館、大阪の国際美術館、それから万博記念公園の民族学博物館や。みんぱくはいいぞ
3 メセナ
さすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?
落語は上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪の独自芸能や。歌舞伎は南座と大阪松竹座で盛んにやっとるで。
能楽は明治期に東京に行ったけど、華道と茶道はほぼ京都文化ちゃうか?
5 サブカルチャー
関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーでお笑いを外すのはありえんな。関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。
増田の経験やから今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋もめっちゃあったで。
出版社とテレビ局が東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。
同人イベントはコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。
元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。
増田はクラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪のシンフォニーホールとフェスティバルホール、西宮の兵庫県立芸術文化センター、京都の京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。
ポピュラーやと大阪城ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。
映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。
8 食
京都と大阪の懐石、京都の精進料理とそばとラーメン、大阪の粉もんとスパイスカレー、神戸の鉄板焼きと芦屋の洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。
(追記)
トラバとブコメのおかげでいろんなこと知れたから増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!
トラバでも書いたけど、ゲームは活動範囲が関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてな?あかんあかん!お茶の一杯も出してから出直しや!
スポーツは野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!
エリアは東京と比べるために京阪神+αに絞ったから滋賀と和歌山は入れてないし奈良も世界遺産でしか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエアも高野山もパンダも大好きや!
東京だけが持っている文化、それも文化の中のメインストリームと言えば演劇なのではないか。
有楽町の近くには銀座の繁華街もあり、演劇・繁華街と文化を楽しむことが出来る。
有楽町で観劇もしくは映画を観てから銀座へ向かう、という楽しみ方は東京人にしか出来ない。
台東区にある上野恩賜公園が美術館と博物館の宝庫となっている。
東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館(民間)など。
2016年に東京都美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。
また上野公園の近くには東京芸大キャンパスがあり、文字通りに文化の街となっている。
メセナ事業とは、企業が資金を提供して直接的な見返りを求めず、文化・芸術活動を支援することである。
東京には大企業が多いので、必然的に企業が運営する文化施設が多い。
サントリーが運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館。
伝統芸能に関しては、東京一極集中の状態と言っていいのではないか。
大相撲本場所は年6回開催されるが、両国国技館の開催が3度で、大阪・名古屋・博多は1回ずつ。
落語についても、落語協会と落語芸協の2大体制は今後も変わらないだろう。
はてなであれば皆さんご存知の1980年代から始まったオタク文化である。
黎明期においては、演劇や美術業界などのメインカルチャーから見向きもされてこなかったが、今は立派な日本の「文化」として認識されている。
転換点の一つとして、2014年に政府がクールジャパン戦略を採用したことだろうか。
政府に一目置かれるほどの文化に成長するって、なかなか出来ることではない。
東京生まれ東京育ち。40歳で前職を辞めて単身関西圏の田舎に引っ越した。1年住んでわかったのは文化的なものはない。観劇も落語も美術館もスポーツも音楽ライブもお笑いも、なにもない。全てのカルチャーの卵が育たないから生まれてない、そんな感じだ。
しかし都会では享受しえない体験があるのも確かだ。バカでかい駐車場に車を停めてバカでかい激安スーパーで買い物するワクワク感。家から5分歩けば雄大な山の景色に海が見える多幸感。花火なんて高い建物がないから家から見えるし、釣りなんでどこでもそこらじゅうで出来る。
つまりは文化的な物の種類が違う。ただ誰もアンダーグラウンドな演劇や映画、ライブなどを知らないだけなのだ。もっと言えば必要がないのだ。必要なのは友達に自慢できる改造車であり、地元民しか行かない秘密のキャンプ場であり、新しくできたチェーン店なのだ。
まーこれはこれで文化だなーと思いながら楽しんでる。
よくよく考えるとこれが東京の文化! って感じのものがイマイチ思い浮かばない。
地方で生まれた文化を、東京の人に受ける様にカスタマイズされた文化ってのが多い印象なんだよね。
どうも東京で発生して、東京で発展した文化ってのがイマイチ思いつかない。
海外の音楽とか流行してるものって昔なら東京でしか触れられないって感じだったけど、個人の情報発信力が強くなった現在はそうでもなくなってきてるよね。
中国とか韓国とかの流行り物だったら、東京よりも距離的に近い福岡の方が入ってくるの早かったりするし。
東京ならではと俺が感じるのって、なんでもかんでもすぐ行列になっちゃう人の多さくらいなんだよな。
田舎の人間からするとラーメン食べるのにそんなに並ぶの!? とかやっぱ思っちゃう。
住んでる人口も交流人口も多いから、文化が発展しやすいってのは分かる。
文化を消費する、商業化するって事でいえば、東京みたいな大都市が圧倒的に有利なんだと思う。
結局のところ文化的な生産物も農作物とか海産物みたいな他の生産物と同様に、生産地から消費地に流れてるってだけの話なんじゃないだろうか。
正直ジャンプからあかね噺と一ノ瀬家とアオのハコは無くして欲しい。然るべきところでやってほしい。
この三つがつまらないとか不快とかって言う話じゃない。とにかく編集側のゾーニングの下手さが出てる。ジャンプって本来小3〜中1.2をターゲットにしてるだろうし、打ち出してるのも努力友情勝利な訳でゴリ恋愛漫画も落語の話もホームミステリーも毛色が違うくらいでは説明できない。今の編集部が売る事を目標にし過ぎているんじゃないかな。
ジャンプって言わば最強の漫画雑誌な訳でその看板内でブランディングしないと他の雑誌がダメになっていっちゃう。それぞれ得意な分野があってそれぞれのゾーニングがきちんと成されてないとまずい。
何ってジャンプだけに顧客が集まってスピリッツ廃刊です、ヤングアニマル廃刊ですってなったらそう言う場を主戦場とする先鋭化した作者たちはジャンプに拾ってもらえると思う?ジャンプでファブルや九条の大罪を連載できると思う?ジャンプはジャンプというジャンルの中で先鋭化してたはず(ブラクロやマッシュルなんか正に)がアクタージュくらいからどんどん芯は別で構成要件がジャンプみたいな漫画が凄い増えてきててそれが上の三つ。