はてなキーワード: 法則とは
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1810/04/news013_3.html
RPGにおいて、主人公というのは圧倒的な正義である。どんなにスライムがかわいい見た目をしていようと、モンスターはモンスターであり、倒すと街の人たちに喜ばれる。「ぼく、悪いスライムじゃないよ」と言ってくるスライム以外は、みんな悪いスライムなのだ。魔王も、その手下も、シンプルに「悪」でしかない。
いや、敵が絶対悪じゃないRPGなんか昔からいくらでもあるだろ
スライムとか言ってるけど、DQだって4の時点(MOTHER2より前)で魔王は絶対悪じゃないし
はてブのアプリで単語検索しようと思ったらピコ太郎と並んで知らない会社名が「話題のワード」として表示された
なんとなくクリックしてみたら表示されたもの全部10userとか20userとか切りのいい数でブクマされてた
怪しいなと思って詳細見てみたら全部初期アイコン・同じ法則のランダムなアカウント名・同じタグ・同じブクマ数のアカウントの無言ブクマだった
その会社名の横に並んだ聞いたことのない「話題のワード」はその会社の商品らしく、やはり10userとかの初期アイコンから無言ブクマされてた
こういうやり口もあるんだねえ
釣られたなあ
人間は人間であると同時に、人間の身体は物質であることは現実として受け止めてほしいなあと思うんだよなあ・・
いわゆる物心二元論的なやつだけど。
人間がある意味では物質であることをみとめたとて、精神が存在することの否定にはならないと思う。
台風で物理的に出勤不可能でも意志だけが物理法則無視して飛んでいけるみたいに思ってるんじゃないのかって連中にはわからないんだろうけど。
私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。
囲碁はルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。
ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルールは論理的に教えてくれない。
なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。
うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHKの囲碁番組ビデオでルールを学んだ)
じいちゃんはルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。
たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。
囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上
より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。
ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、
試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。
例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。
陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手を攻撃することができる。
(相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)
数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)
うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。
下手をすると、手を抜いた石は相手の攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。
囲碁をより広い家を建てたものが勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、
まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。
あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。
どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。
その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。
これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。
囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。
また質問があれば答えたい。
私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。
囲碁はルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。
ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルールは論理的に教えてくれない。
なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。
うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHKの囲碁番組ビデオでルールを学んだ)
じいちゃんはルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。
たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。
囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上
より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。
ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、
試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。
例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。
陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手を攻撃することができる。
(相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)
数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)
うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。
下手をすると、手を抜いた石は相手の攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。
囲碁をより広い家を建てたものが勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、
まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。
あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。
どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。
その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。
これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。
囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。
また質問があれば答えたい。
高校卒業者のいったいどのくらいが、中学卒業程度の知識を持っているのだろうか?
有名人がテレビやネットで発言しているのを見聞きするたび、半分もいないだろうと思う
高校で勉強させられることと言えば、三角関数、数列、ベクトル、微分積分、
運動方程式、気圧と温度と体積の関係式、絶対零度、遺伝法則などなど
高校レベルの三角関数を知っていればメルカトル図法の問題点は理解できる
運動方程式を知っていれば映画のウソが気になって夜も寝られない
e.g.東野圭吾原作の映画で、ヘリから落下した子どもを追って自衛隊員が降下する
当然追いつくはずはないのだが、なぜか雲の中で追いつき、
パラシュートを開いた隊員が子どもを抱いて、雲の中から出てくる
しかしこのようなことが就職する際求められるかといえば、そうではないだろう
パーキンソンの凡俗法則
高校で行列の計算方法を習ってない事が、その後の数学の学習でデメリットになると思うか?線形独立、線形従属の概念を学んで行列式が求まること、求まらない事の幾何的な意味を知り、代数法則を知り多次元行列と部分空間の価値を理解した上でのアフィン変換行列があっての三次元CGでのアフィン変換がある。概念を理解しないで単に行列の計算が出来る程度の教育なんて無価値なんだからなくなって正解なんだよ。必要な人間は大学で線形代数をやるときに、法則と同時に演算方法の原理原則を理解すればいいし、逆行列の計算方法を覚えればいいんだよ。固有値、固有ベクトルの意味が理解できない半端なプログラマが増えてるのって、高校での機械的な教育のせいだろうとすら思ってる。行列使って連立方程式が解けることを知ってる事が、どれだけ意味あるんだろうね?
ブクマカは機械学習がーとかAIがーとか言うけど、必要なのは線形代数II以降の話で、高校でちょろっと計算方法知ったところで無価値なんだよ。逆に線形代数をやるときに変な思い込みが負債になるくらいだから無くしていいものとすら教えていて思う。教育としては線形代数で統合的にやれば良いというのは間違いじゃないから、削除は改善ですらある。畳み込みのタの字すら知らんアホが機械学習を語るなって。お前らの心配なんか無駄無駄、
“単に行列の計算が出来る程度の教育なんて無価値” ARの実装したときに行列の計算が必要になった。結局ネットで調べながらやったんだけど、過去に触れたことがあるという思いから心理的な障壁は少なかった気がする。
結局、このレベルの話になっちゃうよね。こんな程度なら「ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学」みたいなラノベ(入門書)を1日読めば済む話でしかないだろう。AIを研究する人たちがどうとか言う話は情報工学科で、将来的に情報幾何が必要になった時にキャッチアップできる程度の数学教育をどこまでするのか?って話で、全然次元が違う話。情報工学科を選択する子供を増やすためにプログラミング教育を拡充していく過程で、3DCGの触りをやらせたいとしても、道具として座標変換程度のことをやるのに複雑な知識なんぞは一切要らないからな。だいたいライブラリから関数呼び出すだけで使える。
話は変わるが、数学のラノベなら「ゼロから学ぶ線形代数」がおススメ。あれなら誰でも理解できて、授業でやる計算方法の練習より手軽に線形代数の面白さを味わえる。
「どんな環境なのか教えてくれませんか?」 これ関係無いんでスルーします
「ほとんどそのような女性が増田の周りを占めているということですよね?」 いえ、違います
あなたはマジで「女は~」という発言をした人は周囲の女だけを見て発言しているって思っているのか…?他人に対して言及する時、必ずその人の周りの人間のことを言うという法則があなたの中にはあるのか?そして「AはBである」という文法は必ずしも「Aは(全員、または概して)Bである」という意味ではないと思っているけど、あなたはそうは思いませんか?
どうせ見てないんで単純に否定して終わりますが、本当に疑問だと思ってるなら、本当に頭が良くないと思うから俺と一晩中えちえちなことしよう