はてなキーワード: 性的指向とは
こんなとこでクダ巻いても意味ないんだけど、煽られちゃった。
言いたいことわかるけど、エロ編はバカにしちゃーいけないよ。
借りポジ本ばーーーーーっかで、しかも、自分に自信がないから既刊本の成功例を寄せ集めた無難な丸め方しかできないくせに、さも企画編集した満足感で満たされてるっつー出版点数ノルマ達成したいだけだからと開き直りの境地にも到達できない、中身が全然ないパクり丸出しで恥の概念が瓦解している実質編集ワナビー系スカスカ脳ミソのエロ編が携わったなんとも後味が悪い工夫ゼロのエロ本が世の中に氾濫してたりで、エロ編全体が(社会的地位という意味じゃなくて)職能や仕事の詰め方で訝しがられても仕方がないっちゃーそーなんだけど、実際はね、でも、詰めてきっちりやってる人も割合いるんすよ。別にエロ本自由区みたいに派手でキャッチーでクリエーティブでサブカルチャー!みたいなものも今でもあるぜってのだけじゃなく、オーソドックスな編み方で地味でパッと見ありふれてるけど、予算と時間のがんじがらめのリミットの中で考え抜いていて、ドグサレ必滅エロ本と同時に読み比べると全然没入感違うわ、没入難易度超低いわなんて感慨をきっと抱いてもらえる、林立した性的指向の個別性プロブレムをかいくぐりながら最大多数をセックスファンタジーの奥地へ障害なくスムーズにアテンドするように設計されている無味を追い込んだ超絶技巧なやつもひっくるめて、やっぱ初期衝動を保ち続ける困難な自己管理に基づいたプロの編集力ちうのは、あたりまえだけど、低減傾向ながらも、エロ本の世界にもあるわけでして。そういうのが受け手にきっちり届いていないのは、編集のプロたちも時代の流れで産廃化してたり、編集やPRやエロ出版全体の読者教育(いいエロ本を見抜く目を養う)の努力と実力不足もあったりなんでしょうけどね。うん。
ホント言いたいことはわかるし、とにかくダメな方のエロ編出身のニュースサイター編集を沢山見てきたんだろうけど、エロ編ってひとくくりにしないでほしいのー。どうせひとくくりにするなら元旅行系ムック編集とかの方がいいんじゃないの? …と言ってみました!
衆院選:ジェンダー政策 各党の違い浮き彫り- 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121201k0000e040170000c.html
これにはてブが付いていて、また、スポニチでも別の記事になっていた。
「同性愛者への人権施策は必要ない」自民 アンケートに回答 ― スポニチ Sponichi Annex 社会
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/12/05/kiji/K20121205004710960.html
このことで、ゲイの当事者の人から聞いた印象的なことを思い出した。
「賛成と言った口先リベラルが何をしてきたのか」だと。
結局、反対と言っているのと変わらなかったと言っていた。
総論賛成でも、具体的なことになると反対派と同じだって。
その人が言っていた中に女性専用車両もあったので、最初は何で?と思った。
痴漢のためには、あってもいいんじゃない?と思ってきたんだけど。
そういうことは本当に言われないと言ってたから。検索してみても、本当に少ないね。
色々と検索してみたが、なかなか出てこなかった。
http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/josei-senyo-syaryo/
女性専用車両には様々な批判があるが、女性専用車両はゲイの排除によって成り立っているという批判をほとんど聞いたことがない。「男」が痴漢をする可能性があるから女性専用車両が必要というのは、女に痴漢をする気もおきないゲイのことを全く考えていない。痴漢をする男と同じ男に見えるからといって、男にしか性的指向が向かないゲイも「男」という区切りで分けてしまうことの暴力性に気が付いていない。
他には、
女性専用車両が「セクシャルマイノリティの存在を考慮していない」と言っている。
続・女性専用車への疑問 (前編)
http://blog.goo.ne.jp/nikkoh-gn/e/e47960b4e971ffb6507ebf0a2f62a921
他にも、
「哲学という名のプラットフォーム : ラボカフェ/中之島哲学コレージュ」
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/5507/1/cdob_03_122.pdf
同性愛者と女性専用車両。 - たけお - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/uminonaitoshi/5427472.html
女性が被害にあったからといって、いつ「痴漢行為者でない無関係の人々に圧迫をかけてもよい」となったのでしょうか。被差別利権って本当に怖い。
最初は、女性専用車両に対しても言うなんてどうかなと思ってたんだけど。
考えてみたら、公共の交通機関でゲイの人への排除車両があるって、相当にひどくない?
ゲイの人って、女性に痴漢したこともないのに、押し込められて。
こういう時にも、性的少数者に配慮できる人が、本物のリベラルでは。
人権で言うなら少数者のほうを先に考えないといけないのにね。
女性専用車両はゲイの人への差別車両であることは間違いないから、
女性専用車両に賛同するなら、
「同性愛者への人権施策は必要ない」と言ってるのと同じなのか。
衆院選:ジェンダー政策 各党の違い浮き彫り- 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121201k0000e040170000c.html
アニオタの定義についてなんて話してないから、それはもう対話になってないのでなんとも言い様がない。
変人だな。好きになる味付けを自由意志で選択する人間なんて稀だと思うが……。何をおいしいと感じるかなんて普通は自分で選ばないし、選べない。
何を楽しいと感じるか自体を自由意志で選択するというのもかなり珍奇な存在かと。楽しいと感じるいくつかの中からどれを取るか選択することはあってもね。
ピーマンは美味しくないので絶対食べない、山には楽しくないので絶対行かない、君が子供だったらそういう言い分も分かるけれども。
んで、生まれついてで変えられないことがなんでそんな重大なの? 生まれついてで変わらなかろうが、つまるところ何に魅力を感じるかというだけのことだろ。味の好みや娯楽の好みと大して変わらない。
例えば、たばこや酒に税金がかかっているのはそういうものが個人の意志で止められるから認められてるんであって、じゃあゲイであることに税金をかけられるなら納得できるかい?
ゲイコミュニティに生まれついて所属してる奴なんかいないよ。知ってた? どの同性愛者も普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通の人間だよ。俺個人の話じゃないない。
刹那主義に流される人は過去の反省から減ってるんだろうけど、もとから"そういう考え"を持つ同性愛者なんていくらでもいたんだよ。当たり前でしょー、性的指向をなんだと思ってるか知らんけど、普通に日本に生まれてきて普通に日本の教育を受けてきてるんだからさあ、そんなに違うわけないじゃん。
1970~80年代アメリカのゲイコミュニティは快楽主義・刹那主義的でエイズが蔓延した結果として、ゲイとしてエイズ問題に向き合っていこうという動きがあったという実情の話をずっとしてるのに、今現在、日本に生まれて育った抽象的なゲイとは関係ないから、そんなことは一切なんにも関係無いようにいうあなたは、逆に聞くけど、どれくらい特別な人なの?
あ、そうそう、どうでもいいことだけど 生まれつい て な。生まれつい で じゃなくて。
そうですか、どうも。
よく知らないんでそういうのじゃないのもあるのかもしれないが
「アニオタ」って言葉の意味もよく考えずに「アニオタ」批判してたの? ふーん。
変人だな。好きになる味付けを自由意志で選択する人間なんて稀だと思うが……。何をおいしいと感じるかなんて普通は自分で選ばないし、選べない。
何を楽しいと感じるか自体を自由意志で選択するというのもかなり珍奇な存在かと。楽しいと感じるいくつかの中からどれを取るか選択することはあってもね。
性的指向は生まれついでだし、変えられない。
んで、生まれついてで変えられないことがなんでそんな重大なの? 生まれついてで変わらなかろうが、つまるところ何に魅力を感じるかというだけのことだろ。味の好みや娯楽の好みと大して変わらない。
性的指向はうまれついてで変えられないとか、そんなのはこの話に何も関係がない。
結局、単なる特定の性質を持つ人の呼称に、その性質以上の意味をステレオタイプから付与して全体論を語るから反発されるんだよ。
「同性愛者」は「同性に性的魅力を感じる人」以上の意味はないし、「アニオタ」は「アニメに深く熱中・没頭してる人」以上の意味はない。
ちょっと提供側の思惑と自分の理想が違うぐらいで発狂して炎上させるのを批判したいならその連中、その行為だけを批判して、
公共の場をいかがわしい目的で占拠する集団が居るならその連中、その行為を非難すりゃいいんじゃないか。
「アニメに深く熱中・没頭してる人」や「同性に性的関心を抱く人」全体を巻き込む必要がない。
組織団体法人かなにかじゃないんだからさ、赤の他人の一個人がした、自分が関わってもいない行為について「責任」とか「反省」とか求められても困るでしょー。
「ホモの中に問題行動をする奴がいる→ホモは反省せよ」とか「アニメに熱中する奴の中に非常識な奴らがいる→アニメに熱中する奴は反省せよ」とか「男に痴漢行為をはたらく奴がいる→男は反省せよ」とか、頓珍漢もいいとこ。
ゲイコミュニティに生まれついて所属してる奴なんかいないよ。知ってた? どの同性愛者も普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通の人間だよ。俺個人の話じゃないない。
刹那主義に流される人は過去の反省から減ってるんだろうけど、もとから"そういう考え"を持つ同性愛者なんていくらでもいたんだよ。当たり前でしょー、性的指向をなんだと思ってるか知らんけど、普通に日本に生まれてきて普通に日本の教育を受けてきてるんだからさあ、そんなに違うわけないじゃん。
それに、ああいう快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか?
すごい偏見だよね、"反省"とやらがないと"そういう考え"のゲイは存在し得ないと言ってるんだから。
同性愛者は皆刹那主義・快楽主義で、反面教師によってようやくそれから脱却するものであり、この反面教師なくして刹那主義・快楽主義に陥らない同性愛者はいない、ってか。
あ、そうそう、どうでもいいことだけど 生まれつい て な。生まれつい で じゃなくて。
よく知らないんでそういうのじゃないのもあるのかもしれないが、あんだけ内輪ネタばっかだと自己ステレオタイプ化しないような人が見てんのか、って気がする。
性的指向なんてそんな重大な問題じゃないよ。ただ異性に性的魅力を感じるか、同性に性的魅力を感じるかってだけ。
スポーツに魅力を感じるかアニメに魅力を感じるか、辛いものが好きか甘いものが好きかってのとそんなに違うものでもないでしょ。
いや、それは違うでしょ。味付けの好みとか趣味は自分で選択してるし、好き嫌いって直せるし趣味も変えられるしな。
性的指向は生まれついでだし、変えられない。
同性愛者はもともと快楽主義・刹那主義的で、後から反省によってようやく"そういう考え"を持つようになったと言いたいわけだよね。
普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通の人間だとわかってればこんな発言出てこないと思うぞ。
いや、あなた個人はそうかもしれんが、ゲイコミュニティって歴史があるし。エイズの問題だってそうでしょ。
なぜ、急に個人の話になってるの?
「アニオタ」ってステレオタイプのことだったんだ。単に「アニメに深く熱中・没頭している人」のことじゃなくて
な人
みたいな、ステレオタイプな問題点を定義に含む用語だってことなら元増田は全面的に正しいね。ごめんなさい。
性的指向なんてそんな重大な問題じゃないよ。ただ異性に性的魅力を感じるか、同性に性的魅力を感じるかってだけ。
スポーツに魅力を感じるかアニメに魅力を感じるか、辛いものが好きか甘いものが好きかってのとそんなに違うものでもないでしょ。
同性愛者はもともと快楽主義・刹那主義的で、後から反省によってようやく"そういう考え"を持つようになったと言いたいわけだよね。
普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通の人間だとわかってればこんな発言出てこないと思うぞ。
「アニメに深く熱中・没頭している人」だったものを、そういう人のステレオタイプから言葉に逆輸入して、「アニオタ」を「アニメに深く熱中・没頭している人で構成される、特定の文化を共有する集団」という意味であなたが使っているだけだと思うよ。その文化を共有しないけれどもアニメに深く熱中・没頭はしている人からは反発を受けるのが普通かと。
その人はどんな声優に関するネタもどんなアニメのセリフも言わないわけね?どこのだれともネットでもアニメの話題なんか共有しないわけね?
そんな人がどうして「アニオタ」なんてステレオタイプと自分を結びつけて語るわけ?
だいたいあなたはゲイって話なんじゃなかった?生まれついでの性的指向とただの趣味では違うでしょ、っていう話はどこにいったの?(元の人と違うんだったらごめんなさい)
それに、ああいう快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか?
君が偏見の塊であることはよくわかったよ。そういう考え方をするようなら、元増田の意味もよーくわかった。ネットにはいろんな人がいるしね、これ以上は何も言わない。
少々長くなりますのでご了承ください。
新たなる代用語として充てられている感はあるが、
それでも依然として、
同性愛・性同一性障害・ニューハーフ・トランスジェンダー/トランスセクシャル・インターセックス(両性具有者)
といったセクシャルマイノリティと混同している人が目立つ。
各々の定義は、とりあえず現在はwikipediaに記載された定義が最もベターだと思う。
(実態と異なる部分も少なからずあるが、うまく区分けされまとめられているように思う)
ニューハーフという定義だけは曖昧で、厳密にはLGBTのセクシャルマイノリティには当てはまらず、
性自認が男であろうと、恋愛対象が女性であろうと、性ホルモンを投与してなかろうと女性の恰好や仕草をして
それを売りにして"水商売・風俗産業"に従事する者達を指す言葉なのだが、
近年は「将来的に女性として生きる事を目指していて、性ホルモンを投与していて見た目も女性らしく見える人」を指す言葉でもあるようなので、
広義的にLGBTのセクシャルマイノリティに分類しても良いかと思っている。
仕事のためや趣味だけでニューハーフをやっている者もいるので、LGBTに含まれないニューハーフがいるのも事実だが。
ここで、その「LGBT」とは?
セクシャルマイノリティの区分けを大別して国際的に以下のように区分される。
T・・・トランスジェンダー/トランスセクシャル (性別変更者)
※セクシャルをセクシュアルと呼ぶ事もあるが、
さて、現実世界で男の娘と定義されるようになったかつての女装子達。
一般理念としては、「身体の性別が男性で、性同一性障害ではなく性ホルモンも投与しておらず、
ただのファションの一環としてや性的嗜好により女性の服装を纏ったり化粧をする者」という定義だと思う。
しかし中には性同一性障害の人で、女性化の一歩として女装から入る人もいる。
まだ性ホルモン等もやっていないので周りから見れば女装にしか見えない。
本人に性自認を聞かない限り判断はできない。
そういう人は外観から見れば女装者だが、正しくは「性同一性障害のトランスジェンダー」という区分けになる。
性同一性障害であろうとなかろうと、性ホルモン投与を始めたり、
身体の手術を行えば、「ニューハーフ」という区分になる。
(ここで、ニューハーフとは水商売・風俗産業に従事する者という定義に当てはめれば、
性ホルモン投与を開始しても、一般職だったり学生だったり無職であればニューハーフではなく
「トランスジェンダー」という区分になる。広義的な意味ではニューハーフという区分でもいいかもしれない)
トランスジェンダーは、まだ完全に工事が終わってなく女性化の途中段階の人で
トランスセクシャルは性転換手術も完全に終えた人を指す。法律と性器の外観以外にこの2者に大きな違いはない。
(同じトランスジェンダーの中でも性ホルモン投与が始めたてで身体の肉付きがまだ女性的になっていない場合は見た目の違いは顕著な事も多い)
同性愛とは周りからの判断で決まるものではなく、本人の性自認によって委ねられる。
本人が「自分は男だ」と自認していて、かつ同性を好きになる事が同性愛。
本人が性同一性障害などで「私は女だ」と認識していて男性を好きになる行為は
本人にとっては「異性愛」。これらは「性的指向」と呼ばれるもので、
見た目や仕草に決まりがあるというわけではない。
冒頭で書いたように、女装を嗜んだり、女言葉を使ったりしていても
当事者が「自分は男だ」と自認した上で男性を好きになる事は同性愛であるし、
まだ見た目は男のままでも、性同一性障害であるなら異性愛という認識になる。
「幼い頃から自身を女性だと思っていて、それまで男として暮らしてきてもいずれ女性の恰好をして性ホルモンや性転換などの治療を受け、
なおかつ24時間女性として暮らす事を望む者」という事が精神医学のガイドラインで決まっていて、恋愛対象が男か女かは特に問われない。
実状としては性同一性障害にも関わらず親との関係や環境上の理由により、男の姿のまま一生を全うする者もいるので
一概にどうと言えない。
しかしそういった者の中で男性が恋愛対象の性同一性障害者は、周りからは「同性愛者の男性」であると思われても仕方のない部分もある。
また、中には性同一性障害ではないのにも関わらず、自己判断で性ホルモンを投与したりいずれ手術に望む者もいる。
そういう者もトランスジェンダー/トランスセクシャルに分別されるが、精神医学上では「異性化願望症」と判断される。
ちなみに、性同一性障害の当事者からは、そういった異性化願望症の当事者を嫌悪/排他する傾向にある。
元々は、「普通の男性なのだが見た目が美少女にしか見えない少年」
といった意味であるようなのだが、創作世界から現実世界に派生し、
一部では、綺麗で女性らしい見た目であれば
性自認も恋愛対象も関係なく一律に男の娘と呼ぶとする者もいるが、
いったいどこまでを定義していいのか、当事者達にとっても悩ましい問題である。
そもそも、創作世界においての萌えに限定しては混同してもいいのかもしれないが、
現実世界においてのセクシャルマイノリティや性的嗜好を一括りするのは禁忌であると思う。
なぜならば現実世界においてセクシャルマイノリティの分野はデリケートな問題であるからだ。
当事者間においては、趣味で女装を嗜むだけの者にとってはニューハーフと同一視されたくない、
ニューハーフや性同一性障害のトランスジェンダー/トランスセクシャル者にとっては、
趣味で女装をしているだけの者と同一視されたくないというデリケートな思いがあるからである。
近年においては、ニューハーフ職に属していないトランスジェンダーやトランスセクシャルも大勢いる。
そういったニューハーフに属していないトランスジェンダー/トランスセクシャルと女装少年を同一視して男の娘と区分してしまっている傾向はある。
はたから見れば、どちらも同じく男性に生まれ女性の恰好をしたり生活をしている者と見えてしまうのだが、
それでも性同一性障害などで性ホルモン投与をしたり女性として暮らしている当事者と、ファッションや趣味だけで女装を楽しんでいる者とは大きく異なる。例えこの両者が、見た目がすごく綺麗な女性である前提としても。
または現実世界でも「セクシャルマイノリティではないし女装もしてないが女性のような顔つきをした者」だけに限定して使う事が望ましい。
1歩譲って、女装を嗜む者も含んでもいいと思うが、現在、現実世界でメディアに男の娘と区分されている者の中に、
性同一性障害者や、性ホルモン投与者などがいるなら、男の娘という区分からは外して分けて考えるべきなのだ。
そういう者はトランスジェンダーであり、いくら綺麗でも女装を嗜むだけの者とは異なる。
困った事に、セクシャルマイノリティの当事者の中でも、綺麗な女装男子といっしょになって「自分は男の娘」だと呼称している者もいるということ。
見た目が綺麗で女性的だという褒め言葉的な称号の名の元には同じなのかもしれないが、
見方を変えれば、あなた方が性同一性障害で苦労しようが、性ホルモンや外科手術によって頑張ろうが、
世間にとってはいつまで経っても、ノンケだけどただ女装を嗜んでいる者達と同一視されてもしょうがないという事。
逆に言えば、ただファッションとして女装を楽しんでいる者も、セクシャルマイノリティの当事者といっしょになって男の娘だなんて言ってるうちは、
あなた方も、「男が好きなの?」「女として生きてくの?」「手術するの?」「性同一性障害なの?」と言われてもしょうがないという事。
ただ、他人とは違うことだけは分かる。
先日アルバムを見る機会があり、私の小学生の頃の顔写真を見た。
そういえば、飲食店でスタッフにお嬢ちゃんと呼ばれたこともあったっけ。
学校が終わると、男友達と一緒に公園へ遊びに行ったり、家でゲームをしていたりしていた。
家の中には、どちらかといえば男の子っぽいおもちゃが転がっていた。
女の子と話をすることもあったけど、男の子のそれに比べれは口数は少なかった。
私が性について違和感を覚えるようになったのは中学生の時だった。
何がきっかけでそうなったのかは覚えていないけど、あの頃は第二次性徴の自分の身体への変化に不安とも恐怖とも言えない感覚に襲われていた。
この頃から、一人称を「ぼく」から「うち」に替えた。
ただ、性自認が女性なのかと問われればそうとも言えず、中途半端といえば中途半端ではあった。
親は息子を理系(理工系)に進めたがっていたし、息子も理系を望んでいたと思っていた。
あの頃文学部を目指そうとしていた理由としては、学問への関心も当然あったけど、男らしいイメージのあった理工系をきらっていたことも大きかった。
しかし、私の性に対する違和感――性自認と性的指向――で苦悩することには変わりなかった。
それどころか、大学生になり将来のこと――結婚のこと家庭のことなど――を考えざるをえなくなって、不安感はますます募るばかりであった。
ちなみにこの頃、主にストレスについて大学のカウンセリングにお世話になる。
告白したのは、相手からだった。
告白がなされる前からその兆しはあったものだから、今後どうその人と接していいのか分からない時期もあった。
それまで、他の人と付き合ったことはなかった。
そもそも、他の人と付き合いたいとは感じなかった。
しかし、それはチャンスだと思った。
彼女ができれば自分の性の諸問題が解決されるのではないかと思った。
つまり、性自認は男へ、性的指向は女へと確立されていくのではないかと。
そしてこれは付随的なことではあるけど、相手の名前が私が女の子に生まれたときにつけようとした名前と同じだったのだ。
そんなわけで、私は彼女と付き合うことを決めた。
それどころか、女性の身体を知っていくにつれて溜息を漏らす日々。
恋愛にアンテナを張るようになり、男と女の違いを散々見聞きする日々。
私ってなんなのだろう――考えれば考えるほど分からなくなっていく。
つい先日のこと、私が県外に行く重要な用事があり、何日も県内にいない時を過ごした。
ずっと会えない(といっても一週間程度)彼女は、寂しい、浮気してやるとブログに書いた。
そんなことを書くものだから、ああ私の身体が目当てだったのね、と私は珍しくも怒った。
自分の身体が好きじゃないから、その自分の身体が目当てならば、もう知らないと。
電話でそのことを話したら、泣きじゃくって、だって寂しかったんだもんの返事。
彼女と付き合ったことは、経験という意味では価値があったのけもしれない。
ただ、彼女には悪いことをしたと思う。
私はこれからどうしていけばいいんだろう。
返信いただきありがとうございました。id:islecapeです。
すでにid:kanimasterさんのブックマーク http://b.hatena.ne.jp/kanimaster/20100325#bookmark-20264645 や、id:ululunさんの匿名記事に指摘がありますが、「性的指向」(異性愛、同性愛、両性愛など)を、「性的嗜好」(サディズム、マゾヒズム、ペドフィリアの類)の倒錯の類型としてカテゴライズし、まとめて「変態」(性的倒錯、パラフィリア)とするのはいささか乱暴だと感じたため、ブックマーク http://b.hatena.ne.jp/islecape/20100324#bookmark-20255995 では、とりあえずその点についてのみ指摘しました。
つまり、「同性愛を『変態』呼ばわりしてはいけない」と言ったわけではありません。「同性愛は『変態』というカテゴリーには入らないのでは」ということを言ったのです。僕は「同性愛者」に対する差別と、各種の性的嗜好を持つ「性的マイノリティ」に対する差別は、別のレイヤーの問題だと考えており、「同性愛は『変態』ではない」と主張することは、「変態」に対して特段の差別にはならないと思います。「変態の一種である同性愛」を特別扱いしたというわけではないです。
生物学的な性と性自認、それに性的指向の組み合わせを考えると、性同一性障害のうちのさらに少数派の存在が見えてくる。
いろいろと議論はあるだろうけど、ここでは簡単のためにそれぞれの値域を次のように決めておく。
性的指向に関しては同性愛、異性愛とおくと混乱しやすいので、便宜上このように書くことにする。
そうすると、それぞれの組み合わせは2×2×3=12通りとなる。が、両性愛を含めると組み合わせがやや多くなるのでここでは触れないことにする。
ここで、最も多い「普通」の組み合わせは次のようになる。
次に、よく見かける同性愛の議論の組み合わせ。(下の二つとどちらが多いのかは数字を見つけられませんでした)
そして、性同一性障害を持つ方の多数派の組み合わせ。
最後に、かなりの少数派だと思われる組み合わせ。
この場合は外見には異性愛なので、性同一性障害の症状が軽い場合は何の問題もないように見られそう。けれど、やっぱり人との関係において違和感を感じるところがあるんじゃないか、身体的同性は似た体を持ちながら異質の存在として映るんじゃないか。
先週、僕は失敗をした。
そいつは会社の後輩で27歳。
女の子にするみたいに3ヶ月ほど粘って、ようやくデートのセッティングをし、
そこから1ヶ月かけてキスをしてようやくセックス…なんてことはせず、無理矢理居酒屋の便所の個室に引っ張り込んだ。
ことの最中、
彼のぎこちなさに興奮しながらも、
何か違和感を感じながら腰を振った。
そして灯を付けた時、彼が後ろの処女だったことを理解した。
何故気付かなかったんだろう。
彼の素振りは確かに純情だったけどよくよく考えるとノンケっぽさだったんだ。
セックスの前に言うべきだろ…
社会人でもやはりガキだ。
その後、便座の上で彼とそっけなく話した。
年も年だ。まだ自分の性的指向を認めたくないのか、結婚も少しは意識しているようだ。
でも僕はもうそんなこと考えない。
男を養うつもりはないし、まだまだ遊びたい。
余裕がないわけじゃないけど、まだまだ一人でいたい。
「同棲やカミングアウトを考える年になってからのセックスで処女を奪われる、奪う」
それも知らずに。
別に彼がそのへんの見知らぬ男なら別にどうでもいい。
出張ホストやゲイビデオ男優の気分で好きなだけ貫いてやればいい。
だが問題は、会社の後輩だということだ。
軽い遊びにならない。
困る。
進退問題に関わる。
困る困る困る。
男は確かに処女が好きだ。
しかし、それは少なくとも20代前半までのオレはノンケだと信じて疑わない男に限る。
それ以降の男の処女には気持ち悪さを感じる。
今まで何してたんだ?
何があったんだ?
どこかおかしいのか?
欠陥人間なのか?
残酷なようだが正常な反応だと思う。
一歩引くのが常識だし当然だ。
口には出さないが皆知っているマナーだ。
何故言わなかった。
相手のことを考えていない。
だからノンケは嫌いなんだ。その辺りが今までセックスされなかった原因とは思わないのか。
ある種、定番の地雷を踏んだ。
気分最悪。
つまり、性的指向(いずれの性別を恋愛や性愛の対象とするかという性傾向)が無く、異性愛者としての性質も同性愛者としての性質も持っていない人をいう。
と次に書いてあるよね。性的指向を持っていない人をアセクという事が多い。
そもそも性的欲求ってのも、一言じゃ言い切れない問題でね。何かと定義する問題もある。
っていうか、とにかく色々その辺は難しいから気になるならもう自分で調べてくれ。色々サイトによって言ってることも違うし。ただいえるのは、そう簡単に断言できる問題じゃないってこと。それだけ言って置きたいだけだから。貴女は何か、さっきから簡単に自分の理解できないものをバサバサ断言しては切り捨てる傾向があるみたいだから余計にね。
リンチの現場を見物していていいのかね? - 訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん)
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090502/1241252962
http://anond.hatelabo.jp/20090502135819
・ヘイトスピーチは悪である。マイノリティーに対するリンチである。これは自明。(そう思わない人は、ここから先は読まなくていいです。)
まず、明確に
1)ヘイトスピーチとは何であるか。
2)私刑とは何であるか。
から始めなくてはならない。自明と言って証明を放棄することは論議として許されないものだ。Wikipediaによればヘイトスピーチとは
人をその人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などを理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動したりするような言動のこと。
1)文化的、社会的、経済的、もしくは民族的な所謂差異が存在していなければならない。
2)事実に基づく基づかないにかかわらず、上記の差異を強調する言動である。
3)上記の差異を理由に差別や私刑を正当化しそれらを先導する言動である。
よって、ここにおいてこれらを満たすものをヘイトスピーチと呼ぶ。
私刑(しけい)とは、法律に基づかないで、特定集団( およびそれ自身が定める独自の規則 )により決され、執行される私的制裁。
さてここで明らかなのは私刑はどこからどこまでなのかが不明なことである。肉体的要件に限定するか精神的要件を含むかによって論議は変わってくるだろう。とりあえず包括的に私刑の要件を定義しておこう。
1)法律に則していない。
2)司法機関以外によって罰せられている。
よって集団の有無に係らず上記の二点を満たすものを包括的私刑としよう。さて、ヘイトスピーチはこの二点を満たすのかが問題である。まず第一にヘイトスピーチは差別、暴力的解決を先導するものであって肉体的暴力そのものではない。ヘイトスピーチそのものは言葉の暴力である。言葉の暴力によって特定集団が罰せられることはあり得るのか。それとも不当な差別から不利益を被ることが私刑と云うのであろうか。ここら辺の論議を明らかにしない限りヘイトスピーチが私刑であることは言えないのではないか。少なくとも
私刑でないことを示せとか言われるかもしれないがそれは悪魔の証明であるから、明らかにヘイトスピーチが私刑であることの立証責任があるのははじめにヘイトスピーチが私刑であることを提唱した側である。
ここまではいいですか? 差別を憎み、youtubeで「国民大行進」のビデオを見物しながら在特会の頭の悪さをバカにする、良識ある日本国民のみなさん!
レッテル張りはよくない。ヘイトスピーチがばかげた行為であるのは明白であるけれども自らの主張に賛同するものを「良識のある日本国民」と呼びそれ以外のまるで良識のない人間と呼ぶのはどうか。ヘイトスピーチを行う者を暴力的な行為で解決を目指すあなた方は「良識のある日本国民」なのでしょうか。たぶん私の考える良識とこの人の考える良識はまったく別物なのでしょうね。
・となると、結論はひとつ。法ができるまでは、ヘイトスピーチを人民の実力で阻止するしかない。それを私は「現行犯逮捕」という言葉で表現した。もちろん、現行法によらずに逮捕したらそれは犯罪であるし、“犯人”をブタ箱にぶちこんでおくわけにもいかない。できることは、せいぜい差別表現が書いてある横断幕を取り上げるか、ぶんなぐるくらいのことだろう。(他に方法があるなら、教えてほしいんですが。いや、マジで。)
どちらにしろ私刑は禁止されているのだから暴力的行為で解決を訴えるのは間違いだ。そもそもぶん殴ったら犯罪だから。あなた方ができるのはヘイトスピーチをヘイトするヘイトスピーチくらいなものだ。(どちらにしろヘイトスピーチをする少数団体を価値観の差異でヘイトするんだからこれはまた私刑であることになるわけだが)そしてヘイトスピーチをする者たちが暴力によって訴えてきたとき正当防衛を行使するくらいだ。
いま、目の前で、マイノリティーに対するリンチが行われようとしているときに、法律がないからといって、そのリンチが行われるのを止めなくていいんですかね? みなさん。
まず第一にヘイトスピーチが私刑であるのかは疑問の余地がある。あなたの論議は一般的な私刑の意味を勝手に広げることによってヘイトスピーチを私刑の一つだととらえ暴力的に解決することを正当化している。次に目の前でリンチが行われているに介入すべきか否かという問題に対してはある程度の要件を設けることによって回答を得ることができるはずだ。例えばリンチされているものの緊急性や法権力のavailabilityなどそういったものを考慮して考えるべきだ。無作為に自警団を推奨する行為は無政府主義的な考えだ。その行為こそ民主主義の否定であり、民主主義によって歩まれてきたMoral Progressを否定する行為なのではないか。
・それでも、ここで「現行犯逮捕」という言葉を使ったのは、蕨市での行動で逮捕された2人は、本来なら国の仕事であるべきヘイトスピーチの取り締まりを、国のサボタージュのせいで、代わりにやらざるをえなかっただけだ、ということを強調したかったから。ヘイトスピーチ禁止法があれば、一般市民による現行犯逮捕は違法でもなんでもない。いや、むしろ埼玉県警から表彰されてもおかしくない。(ここは単なるネタだから、ツッコミ禁止。逮捕された2人も警察から表彰なんて望んでないだろうし、私も断る。)
違法であろうと一般市民による現行犯逮捕合法であるかは疑問の余地がある。現行犯逮捕ではなく、少なくとも犯罪行為の抑圧であり逮捕ではない。
あと国際人権規約でヘイトスピーチを禁止しそれを犯罪としていても、そもそも日本はB条項を批准していないんだからそもそも犯罪ではない。
ちょっと考えてみる。
日々の生活の中で異性愛者は:
すごく非人間的な教育というか刷り込みをすればその問題解決できそう。
もちろん実現不可能な思考実験としてだけど。
仮定として、男子の性的指向が決定する時期を中学くらいとする。
で、なにも刷り込まなければ基本的には20歳前後の女に対して勃起するようになる。これも仮定ね。現実は知らん。
ところが刷り込めばこれを変更することができる。偶然による刷り込みによって色んなフェチとかロリとか熟女好きが生まれるとする。
だがそういう偶然はあまり起こらないから、人口比的にはロリや熟女好きは少なく、20歳前後の女好きが多いという分布になるのだろうと仮定。
だったらその刷り込みを人工的に起こしてしまえばいい。
中学くらいの男子を女子から隔離して(メディアを通じた情報もできるだけ与えない。グラビアとか)、熟女もののエロビデオを適度に与える。あくまで適度に、与えすぎて彼らが食傷を起こさないように、適当に飢餓感を煽りながら。
これによって熟女好きが増えれば女が仕事をある程度やって生活に余裕ができて来た頃結婚がしやすくなるのではないだろうか?
そんなファシズム政策。
間違ってはならない。われわれは、男・女・ゲイ・レズビアンというリストに加えよと要求しているのではない。なかには寛大にもそれを認めようという異性愛者もあるという。しかし間違ってはならない。われわれは、まずそのような異性愛者と戦おう。
われわれは、男女という区別のなかにゲイやレズビアンという新たなカテゴリーを容認することの欺瞞から、痛みを持って学んだ。それはマイノリティを家父長主義的異性愛に組み込むことに他ならないのであり、また、「ゲイ」というカテゴリーもまた内に敵対性を秘めているのだ。
男や女と、ゲイやレズは意味的に違うと思うんだが。男や女ってのは性別で、ゲイやレズってのは性的指向だよな。ゲイは男の同性愛者、レズは女の同性愛者、だろ。同じ次元じゃねーよ。
正常な男女があり、トランスジェンダーがあり、トランスセックスがあると思ってはならない。そもそも、男女という制度は幻想である。これは理系では常識である。人間を分類するカテゴリーは無数に存在しうるし、わけないこともできる。
これもおかしい。生物学的には性別は男か女の二つしかない。これが理系にとっての常識だ馬鹿野郎。
何もわかってない奴が偉そうに語るなカス
ゲイにとっていい時代になってきたなあ。ネットさまさま、ニコニコさまさまですよ。
「ゲイというものが存在すること」への認知がこんなに広まるなんて思わなかった。カジュアルになるなんておもわなかった。俺の観測範囲では、10年前はゲイであることが反社会的だったし、ネットワークが超絶限られていて全くコミュニケーションがなりたたなかった。その理由の一つとして「認知されていなかった」のがあるとおもう。オタクやJUNE好き(腐女子とは書かぬ)が認知されていなくて、特殊なやつらとカテゴライズされて日陰を歩んできたように、ゲイはさらに認知されていなかった。一般世間とは別物だった。
俺は地方にすんでいたので、本当に情報が限られていた。ネットもなければ書店にゲイ雑誌もないしね。二丁目のようなコミュニティも(目の届くところに)ない。だからコミュニケーションできる相手もいない。ひたすら偏った情報が、ちらちらとテレビや一般紙から届くだけ。そこからくる情報は「ゲイはエイズもちの病気野郎みたいなもんですよ」というふうにしか聞こえなかった。
インターネットはそんな俺に世界を与えてくれた。仲間がいる。話しがなりたつ。悩みをきいてもらえる。雑誌の存在もしる。
なんてすてき!
オタクならわかる、んじゃないかな、話し相手がいる幸せを! 一人じゃなかったという喜びを!
まあ、ここまでならありがちで共感も得やすい話なんだ。ネットで個人がつながったおかげでできたはなしだ。
TV発の秋葉原ブームでオタクがカジュアルになったり、腐女子という言葉が出来てJUNE好き/BL好きが認知されたじゃないですか。
「本来の姿」からは大きく外れて、にわかが増殖して、元々オタクやJUNE好きをやってきたひとはいい迷惑を被っていたりするとおもうんだけど、それでもこれまでの完全な日陰よりは俺は幸せだとおもうのだ。社会に認知され、居場所ができたというのは、長期的にはよいほうに向かう兆しだとおもうんだ。それが軽い嘲笑混じりだとしても、犯罪者扱いや存在しなかったことにされていたのに比べれば、とくに思春期の人にとって、生きるよすがになるとおもうのだ。
ふたば、2chと経てニコニコで阿部さんやパンツレスリングが定番ネタとなっているのは、「世の中にはゲイってのが存在してるんだよ」と認知が広がる意味で、とてもうれしい。だってこれまでTVに出てきた同性愛者は、オカマばっかりだったんだもん。ゲイ=オカマだとされてきたんだもの。実際には女性的な口調や女装子よりも、そうでないタイプのほうが遙かに多いのに。そしてTVは性愛にまつわる話しはタブーだったんだよ。性的指向として男性に魅力を感じても病気じゃないですよなんて話しは、ニュースバリューがないからほとんどでてこないんだもの。
最近はじまったユーザー生放送は「ゲイです」「腐男子です」「ちょいバイかもw」という放送が複数あって、楽しい。キワモノでなく、腐女子と同じ程度には居場所があるものとして存在しているのが、嬉しい。もちろん女装子にも、居場所ができてたりする。
ホームページや、ブログや、SNSは個人をつなげてくれたけれど、それはマイノリティが身を寄せ合うだけだった。
ニコニコはエンターテイメントを軸に、マジョリティにたいしてPRできた感がある。
あなたには仲間がいますよ。確かに少数派ですが、異常者ではないですよ。マイノリティとしてコミュニティに認知されていて、コミュニティに居場所がありますよ。
嬉しい。