ちょっと考えてみる。
日々の生活の中で異性愛 者は:
雑誌 を手に取ったり、映画 やテレビ番組 を見たり、劇場 に行ったり音楽 を演奏 したりするとき、自分 の性的指向 が表現されているだろうという確信 があってうらやましい。 自分 の性的指向 を持ちながらもポジティブ な意味 を持つロール・モデル がいてうらやましい。 自分 が他の人へ持つ恋愛 感情は、普通 でまともだと信じて育って来ていてうらやましい。 「セックス 」が異性愛 のセックス であるとか、「家族」 が異性愛 の夫婦 に子供 がいる状態を表す、という考えが、友人たちとの日常 会話において当然のように想定されていてうらやましい。 高校 のとき、ロッカー に好きな子の写真 を貼って、友人たちとその人について話したりできてうらやましい。 友人や家族 に自分 の性的指向 を知られることを恐れていなかったし、だから隠すこともなくてうらやましい。 もし家族 や友人に自分 の性的指向 がバレたときに経済 的、感情的 、身体的及び精神 的に追いやられるかもしれないという恐怖感がなくてうらやましい。 そんな恐怖はない。多分、何も言われない。でもがっかりされるかもしれない。 冗談 としてでも、恋愛 関係 について話をするときでも、自分 の異性愛 について語った時に「性的指向 を押し出し すぎている」と責められることはなくてうらやましい。 自分 の性的指向 を原因として、あるいは他人(特に子供 )に自分 のライフスタイル を紹介しようとすることを原因として、虐待 を受けていたのではないかとか、何か間違いがあって人生 が歪められてしまったのではないかとか、精神 的に混乱状態なんじゃないかとか言って責められることはなくてうらやましい。 全ての異性愛 者を代表して意見 を聞かれることはなくてうらやましい。 どうして異性愛 者になろうとしたのかとか、なぜそれを公にしているのかと聞かれることはないし、別に自分 が異性愛 者であることを擁護する必要もなければ、誰も性的指向 を変えろと言ってくることはなくてうらやましい。 自分 の性的指向 を理由として誰かに嫌がらせ を受けたり暴行 を受けたりすると恐れることはなくてうらやましい。 異性愛 者と呼ばれずに何ヶ月も過ごせるし、悪意を持って異性愛 者と呼ばれることはないし、人は自分 の性的指向 についてネガティブ な意味 を持つ言葉 (例:「 ewww, that's gay キモ っ、それゲイ [最悪]だね」、「 queer 変態 」など)ではなく、ポジティブ な言葉 (例:「 straight as an arrow 矢のように真っ直ぐ」、「 standing up straight 直立する」、「 straightened out きちんとされている」など)を使って表現することができてうらやましい 性的指向 が理由で仲間がいないということはなくてうらやましい 性的指向 のみを理由として、性的 経験 があるとか、ヤリまくり だとか(そもそもセックス しているということ自体!)勝手 に想定されることはなくてうらやましい 自分 を性的 存在 として見られている事を考えると、ちと萎え るね。多分童貞 と思われてるが、まあその事自体は気にしてもしょうがない。自分 の性的指向 について政治 的な意味 を込めずに考えることができてうらやましい。 政治 化しなければ問題ない。別に社会的 に認められたいとも思わない。異性愛 者であることを理由として自分 を排除してくるような宗教団体 はほとんど見つからなくてうらやましい。 宗教 に排除されたことはない、というか宗教 を排除しているというか忌避しているというか。自分 のセクシュアリティ についても話をしてくれる医者 やセラピスト に会えてうらやましい。 法的な手助けや医療 の手助けが必要な時、まさか 自分 の性的指向 によってそれが困難になるとは思わなくてうらやましい。 そういうケースは多分ないかな? まあいい歳こいて嫁さんもいないとかなると、何かの際に疑われる可能性はあるか。あまり意識 していない。 パートナー と公の場で手をつないだり、空港 でキス をしてお別れをしたりしても、ジロジロ見られたり、ヒソヒソ話をされたり、罵倒 されたり暴行 を受けたりしなくてうらやましい。 パートナー との関係 や、一緒に過ごす休暇、そして二人の将来設計 について他人に自由に話をすることができてうらやましい。 公の議論を経なくともパートナー と結婚 出来るし、それによる社会的 、法的、そして経済 的な恩恵 を受けることができてうらやましい。 どの店に行っても、パートナー と互いに送りあう記念日 のカード を見つけることができてうらやましい。 家族 に関するイベント にパートナー と出席出来るし、家族 写真 にパートナー を含めることができてうらやましい。 パートナー と住むためのちゃんとした住居を見つけることは簡単だし、近所の人も友好的か、そうでなくとも自分 たちについて別に何の意見 も持たないだろうと思えてうらやましい。 パートナー と一緒にジム やフィットネス ・クラブ に行き、問題なく「カップル 会員」になれてうらやましい。 自分 と同じ性的指向 を持つカップル たちのための性教育 的な情報 を簡単に見つけることができてうらやましい。 パートナー と一緒に養子をもらったり、試験 管[訳者 注:試験 管とは限らない]による人工妊娠 、人工授精 などをすることができるし、その時に批判されたりとか、自分 たちの意図 を疑われることもない 子供 は無理ね。養子縁組とかも無理だろうなあ。でも別に子供 いらないし。自分 の遺伝子 を後世に残したくない。自分 たちの性的指向 を理由に児童保護 に関する機関によって介入されることなく、子供 をパートナー と一緒に育てることが出来てうらやましい。 仕事 の同僚たちに自分 のセクシュアリティ (性に関する事柄)を話すことを心配しなくとも、みんな自分 のことを異性愛 者だと思ってくれていてうらやましい。 同僚たちに自分 の性的指向 を話しても、みんなそれを受け入れるだろうと当然想定出来てうらやましい。 理解されないだろうから、うらやましいか。いや、別にうらやましくはないか。つっこまれると鬱陶しい。 仕事 帰りの道すがら、自分 の性的指向 を理由として自分 だけ仲間はずれにされているような気分だったり、恐れる気持ち・恐れられている気持ちや、孤独 感、攻撃されているような気持ち、遠巻きに見られているような感じや、自分 の意見 を聞いてもらえない感覚 、勝手 にステレオタイプ で見られているような感じなどを持たずに家に帰れてうらやましい。 仕事 場にあるリファレンス は、自分 と同じ性的指向 を持つ人々の存在 を無視していないと想定出来てうらやましい。 仕事 場で自分 と同じ性的指向 を持つ人々も働いていると確信 していてうらやましい。 仲間が欲しいのか。いらないよ。性的指向 が同じであるがゆえに競争 があったりしてるの見えない? 性的指向 をオープン にしても職には心配なくてうらやましい。 だからオープン にする必要がどこにあるのか分からない。仕事 とそれなんも関係 ないのに。 「あのホモ の看護士 」などと、仕事 場で自分 の性的指向 によって名指しされたりしなくてうらやましい。 もし自分 のパートナー が死んでしまっても、仕事 場を離れることの正当な理由として受け入れられるし、何も言わなくても死亡記事に遺族として自分 の名前 が載ってうらやましい。
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