はてなキーワード: 少年漫画とは
知りたいことはあるがかといって時間かけるの面倒なので反応あったらめっけものという態度で深く考えずさらっと書きなぐっただけなんよ。
複数の文に分解にしてわかりやすくすることに意を注いだ跡が見て取れるような文章は元のより嵩張るゆえに内容を水増ししてるようにみられかねないし、しかもそれとの関連でわかりやすく書こうという態度にあからさま反応狙いみたいないやらしさを感じて逆にたたかれることもありえそうだから、難しいよね。別に炎上的な伸びを求めてるわけじゃないから。今回は策士策に溺れるみたいな結果になったけど。
「俺、少年漫画が好きで良く読むんだよね」と言いながら、実際は話題作や有名な作品しか読まない(女性向けの方が全然よく読む)男ってどれくらいいるものなのだろうか
なんだよね。俺はハッタショだからか何も感じないけど多くの定型発達からみれば悪文なんだから意図違いの解釈されて当然なので文句言う筋合いはなんだけど。
こういうのは、余計な単語ごちゃごちゃ付けないで、問いかけたいこと一本で書いた方が良いぞ
あるジャンルの創作(この場合は少年漫画、青年漫画や少女漫画)を好きと言う人がいたとして、
例えば、
(1)実際はその中でも話題作や有名な作品しか読まない人のことや、更に(2)その反応が性別ないしは性自認によって非対称である、だとか、
或いは(3)「好き」の概念や度合いについて
というような話題が、リンク先文章からは考えられるけど、そのいずれかに絞れ
例えば、以下のような感じで書く
性自認が男、つまりトランスジェンダーでもなんでもないのに、少年漫画や青年漫画を読む割合が「自分少年漫画も好きなんだよね」と言いながらそれは話題作に限っててほとん少は女漫画TLBLしか読まないような女性と同等以下の割合しか読んでないような男っているのかな?
↓
「自分少年漫画も好きなんだよね」と言いながら、実際は話題作や有名な作品しか読まない女がいるんだけど(少なくとも私の見た範囲では実在する。)、
「俺、少女漫画も好きで良く読むんだよね」と言いながら、実際は話題作や有名な作品しか読まない男ってどれくらいいるものなのだろうか
あんまり言及されないんだけど、「ヒカルの碁」と「デスノート」って画作りのパターンが同じなんだよね。
小畑健の、超リアルな書き込みと映画みたいな望遠のカメラワークで描かれる「普通の日本の風景」の中に、ひとつだけ異物が混じってる。
ほとんどの場面が、常識人が常識的なことを喋ってるだけなのに、その後ろに変なものが描かれてるから、その違和感で目が惹き付けられる。
「ヒカルの碁」と「デスノート」は、佐為とリュークって異物が混じってる以外は、ほんとに青年誌的なリアル劇画なのに、そこだけのために少年漫画になってる。
原作が違っても、この二作こそ「小畑漫画だな」って感じがするのは、この特性が光るため。
ただのファンタジーや現実的な人間しか出てこない話になると、この面白みがないぶん、逆にキャラクターが記号的になったりするのが小畑漫画。
この理屈って、極論をいえば「なんで絵が描けないくせに漫画を読んでるの?」と同じだと思うんだが。
「楽器を演奏できない人がなんで音楽聴くの?どうやって楽しんでるのかぜんぜん理解できねーわ」
と言われても、逆に「はあ?」ってならん?
漫画だけに限っても、
「逃げてばかりで戦ったことがないくせになんでバトル漫画好きなの?」
「女子からキモがられてるのにラブコメ漫画を読んだところで、恋人のいるキャラに共感できないでしょ?」
「いじめられっ子が頑張る漫画読んでるけど、お前はイジメられて何もできずに終わった側じゃん」
「車椅子のくせに、なんでリアルじゃなくてスラムダンクの方が好きなの?」
とか、
そういうことだよね?
フィクションなんだから現実と真逆のものを読もうと逃避しようと自由だし、
例えば、
「いい歳したおっさんのくせに、なんで少年漫画を読んでるんですか?」って質問をして、
「現実が惨めで、楽しかった少年時代に逃避するしかないんです」
なんていう、「いかにも」「それっぽい」答えが返ってきたとして、納得するか?
逆にそれっぽい答えの方が、余程信用できない。
好きになる理由など、
漫画以外のすべての人生経験によって左右されるんだから、ただの一般人には答えようもない。
下手したら、妊娠中だったときのオカンがBLを読み耽ってたせいかもしれん。
と、ここまでは「そういう安易な解釈はよくないよね」、という説明だ。
「主人公と同性」のキャラクターは、基本的に「主人公(読者である自分)と同質の存在」
分かりやすいのが、「立ち向かうべき・乗り越えるべき、主人公のよくない一面」を体現したキャラ。
良いか悪いかは別として、「ライバルキャラ」は主人公の分身そのものであることが多い。
好奇心が強く冒険を求める気質で努力を惜しまず、同じようにラピュタを追い同じ女性に恋をする。
「同性で同世代の子供の死」(自分の分身と別れることで成長する)が描かれる。
「主人公と同性のキャラクターは、主人公の分身としての意味を持つ」というのは、
主人公と同性の相手との恋愛はつまり「理想の自分との恋愛」と解釈できるのだ。
読者の「自己愛の強さやナルシシズムを気持ちよく満たしてくれる」要素が強く、それが魅力なのだといえる。
だから作風も耽美系(自己陶酔)や、上下関係(自分という最上位のプライドを甘くくすぐる構造)に寄りがちなのである。
ミニチュアの箱庭のような居心地の良さや安心感が、同性愛ものにはあるのだ。
もちろん「BL・百合好きは幼稚なナルシストだ!」という話ではない。
その単純な理解は、
「少年漫画好きのおっさん=精神が未発達な社会不適合者」と同じだ。
そうでなきゃSNSがこんなに流行るはずがない。みんな承認欲求を満たしたいバケモンなのだ。
むしろ自分が特別でなくなったら、人間はもう生きていられなくなる。
そして、ナルシシズムにも種類がある。
「自分大好き!他のことは知らん!」と自分を持ち上げるタイプと、
「自分以外のものを踏みにじることで、自己愛を満たす」ような自分以外をこき下ろすタイプだ。
どちらが優れているわけでもないし、人はみな両方の要素を持っていて、どちらの要素が強いか、というだけである。
ただ、個人的な印象としては、
異性愛作品の方が「他人をこき下ろす構造の作品」が多いように感じる。
同性愛作品の方が他人にも寛容なことが多い気がして、それもまた人気の一因ではないかと思う。
また、(異性愛者の)「女なのに百合好き」「男なのにBL好き」も、別におかしいことではない。
「裸の付き合い」とかいって温泉にやたら行きたがる男、すぐケツやちんこを叩いてくる男は死ぬほど多いが、同性愛者かと言えばそんなこともない。
「兄貴」キャラとか、シュワちゃんやスタローンなどすぐ裸になりたがる筋肉俳優は、男のファンの方が多い。
そしてそういう作品は、(同性愛的な)男の性的サービスカットが結構多い。(千葉真一の戦国自衛隊とかビックリする)
「同性キャラの性的モチーフ」だからといって、「それを見るなんておかしい!お前さては同性愛者だな!」ということはなく、ぜんぜん普通のことだ。
ジョジョ読んでる奴はオカマとか、そういう時代じゃないんだから。(いたんだよ昔は)
まああくまで、「そういう傾向があるというだけ」の話なのは、理解してほしい。