はてなキーワード: 印象操作とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/982b5fc84378dc3b8f921d86c93a88f547c09e56
しかしこのコロナが大方世間の予想通り悪化してきたにも関わらず、未だこの手の事を言い出すのだから、政府や官庁の環境関係の人達は余程脳内が幸せなお花畑の人達が多いのだろうなと思う。
どう見ても今はそんなことをしている場合ではないし、普通にレジ袋有料化以降より衛生面でも悪化したとみるのが感染者数の増加を見ても自然としか言いようがないのにね。
色々な意味で普段から思想や権利等とやらを前面に謳っている人達程、こう言う時にも空気が読めない人が多いと思う。
それに今もペットボトルだのプラだののコレ自体、大方の行政及び企業が回収できるシステムが構築出来ており、それでゴミ回収自体は問題はないのにわざわざ絡もうとする事自体、どうみても環境省や経産省が小銭稼ぎをしようとしているからだと言う事だよねとしか思えないんだけど。
そもそもそのプラやペットボトルのリサイクルとやら自体今やこの人達が嫌っていた中国が引き取ってくれなくなったから、国内で飽和状態になり、システムそのものが破綻し始めている訳だしね。
昨今この手のは温暖化では言い訳が出来なくなってきたからか、やたら海洋汚染を強調しだしたけど、これに関しても当時から周辺諸国と一緒になって行わないと意味がない事は散々指摘されてきたし、海洋汚染対策ならば、それこそ海岸沿いにゴミ箱の設置数を増やして、回収していく方が余程対策になるでしょ。
今も回収しているごみならばそれこそ埋め立てなり焼却なりリサイクルなりで処分できている訳だからね。
そう言えば最近エコバッグと言う単語よりもマイバッグとか言う単語を使い出したのもその辺が関係あるのかもね。
しかし関連記事を見てもこの手の似非環境活動家っぽい人達程、象だのペンギンだのの写真を使って、同情を飼いたがる手法を好むよなと思う。
地球の為と言うならば人類が絶滅する事が一番の環境対策だと言うのは当時から環境学者にも皮肉的に言われ続けている事なのに。
今は環境保護が先行しすぎて、経済活動の抑制や生活への弊害まで出ているのだから色々な意味で本末転倒な結果すら招いているよ。
しかも排出権とやら以降更に明後日な意味不明な方向に向いているのも事実だからね。
こう言うのを見ていても自民はよく経済だとか言っているのにこの手の経済抑制や減退しか招かない政策をしだしたりと本当に何がしたいのかが良く判らないよね。
はっきり言ってこの辺はまだ一貫性のあるトランプ大統領の方がマシだよ。
でも今なんて平時ですらない、病気が覆っている時期にも関わらず、計画で決まった事だからと言いこの手の政策を進め、融通が利かないのだから色々な意味で日本の政府ならず官庁も先がないだろうと十分に予測させてくれるよね。
政府は政府でgotoをどうにかして印象操作しようとしたけど、覆せず言い訳をし始めたり、キャンセル補償とか言い出す本末転倒な行動をし始めて面白い事になっているしね。
「読む側がどう受け取るかなんていうのは、読む側の勝手な解釈であって、よんだ人間の頭の中にしかない」
ってくらいではない?なんせ読む人の読解能力、あるいは読んでいる時の心情や今までの経験が千差万別なんだから、
そういうのが極端な人にどう読まれるかなんて気にしていられない
あくまで、普通の読解力を持ちニュートラルな目線で読んだときに「ああ、○○なAが一人いたんだな」としか読めないくらいのものを
書く側がどういうつもりだったなんていうのは、書く側の勝手な解釈であって、書いた人間の頭の中にしかない。
だから、それを印象操作だと捉えているのが読む側の勝手な受け取り方であって、
書いてる側は全然そんなつもりもなく単にディテールを細かく書こうとしただけってこともある
(もちろん、印象操作しようとしてるなっていう文章は確かにあるよ。あるけどその違いは普通文章に出る)
私も一般的に流布している冤罪説を信じつつ、何か違和感を感じるところがないわけではなかった。
そんな裁判所って馬鹿なの? 警察は悪いやつばっかなの? あの運転手は嘘をついていないの? と。
特に、裁判所であり裁判官がそんなに馬鹿だとはちょっと信じられない部分があった。
もちろん警察があくどいことをしたことは何回もあるし、裁判も何度も冤罪をやってるけど、それでも大体はそんなに無茶苦茶なことはしていない。
この報道をまっさきに大々的にやっていた鳥越俊太郎のザ・スクープ。
この時からどーも引っかかっていた。
被告側に都合のいい情報ばかりのオンパレード。いくらなんでもそれは変だと思ったし、タイトルに挙げたように印象操作を感じないわけでもなかった。
でも、日本人が大勢これを信じるもんだから、私もそうかなぁと思っていたんだけど、たまたま検索したら上のページで徹底的にそれが違うという論証になっていた。
でも、やっぱり印象操作が酷いとは思う。
よくよく考えてみたら、冤罪説はちっとも証明はされておらず、ただ疑わしいと言っているだけなのである。
これに対し、足利事件では決定的証拠とされたDNA型鑑定そのものがきっちり否定されている。
興味があれば上のリンクを一度読んでみて欲しい。
特に鳥越俊太郎、番組放送時のYouTube動画を見たけど、めっちゃ酷いぞ。あいつ何様やねん。流石にあんなヤツ東京都民は知事にしなくてよかったと思う。
リアリティショーなんてしょせん演技、演出、ヤラセであり、リアルでもなんでもないのに、それをわかってない無知蒙昧の馬鹿どもがリアルと演出を混同して出演者を叩いているのだ、という意見をここ数日で多く見た。
しかし、仮に100%台本があり、100%演技でやってるとすれば、その演技でやった行為が批判・バッシングされて、自死を選んでしまうほど心にダメージを負うだろうか?そんな立場になった事がないから確証は持てないが、自分ならば、「いや、ホン読んだだけだし」と心の中で思って、周囲の人に、「大衆真に受けてるwwマジバカwww」とか言って気晴らしできる。
むしろ、素でやった行為が大バッシングされるからこそ、自分を責め、落ち込み、心を病んでしまうのではないだろうか?(それは、ホッテントリに入っていたけんすうさんのいう「些細な瑕疵に対して、批判がその対価に見合わないほど大量に殺到することで本人に大ダメージになる」という問題なのだろうと思う)
もちろん多少の演出はあるだろう。ただ、今回のような事件が起こってしまったことは、ある意味、出演者の行為がリアル(=本人から出たもの)であることを逆説的に証明しているのではないかとも思える。
むしろ問題なのは編集によって印象操作が可能ということだろう。撮影時間のうち、穏やかな時間90%、怒ってる時間10%だとしても、怒ってるところだけ編集で繋げば「いつも怒ってるやばい奴」という印象を作り上げることができる。
したがって、「リアリティショーのなかで提示された人間像がその人の全てではない」ということはまさに真であるし、視聴者は十分に理解しなければならないと思う。
しかし、「リアリティショーはすべて演技、演出なのだから真に受けてはならない」とか、製作側は「フィクションです」と言え、みたいな意見は、それは違うんじゃないかと思う。
行為自体が演技であるということと、面白い過激なところだけを繋げているのだ、ということは違う。
テラスハウスは見ていなかったが、リアリティショーの類の番組は結構好きな人間としては、「全部やらせ、で済むならむしろ問題は簡単だよ、そうじゃないからこういう問題起こってるんじゃない?」と思ったので。テラハ見ていないのに語るな、と言われればそれはもう謝るしかないが、こんな事件が起こってから見始めるのも品がない気がして見れない。