はてなキーワード: パト2とは
北大祭2023 小泉悠さんがロシア・ウクライナ戦争を講演 – いいね!Hokudai
https://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/like_hokudai/article/29365
【傑作】劇場版『パトレイバー2』は何が凄い? 小泉悠&高橋杉雄&太田啓之が押井版「パト2」への偏愛を告白 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mR8DG-Vd5Mo
まず北大講演90分。文章を読むほうが時間的には早いが動画の方が入ってくることもある。
https://www.youtube.com/watch?v=gC4HcPhxzS4
次に『パトレイバー2』ダイジェストの元となる鼎談の冒頭30分がこちら
【冒頭30分】小泉悠×太田啓之×高橋杉雄「アニメの戦争と兵器」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0_mTZX282Ow
米国がウクライナへのF-16供与容認へ→定評のある望月衣塑子「まさか日本が保有するF16戦闘機を出させるつもりではないだろうか」 - Togetter
https://togetter.com/li/2150186
小泉悠×岡部いさく×菊池雅之×湖山ひかる「最新兵器入門5月号」 #国際政治ch 145 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sJqbrE4ZxEM
細谷雄一×東野篤子×鶴岡路人×秋山信将「G7広島 総括」 #国際政治ch 146 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H8JDyhAiK4A
次回6/30配信回は
米国がウクライナへのF-16供与容認へ→定評のある望月衣塑子「まさか日本が保有するF16戦闘機を出させるつもりではないだろうか」 - Togetter
https://togetter.com/li/2150186
日本の武器輸出の原則を破らずに、F-16を0機提供したという実績が作れて、旗色を明白にできるというトンチを岸田総理が打ち出すと見抜いたのではないか。
だって武器輸出の取材してそれで本も書いてる「新聞記者」様だぞ。
まあイソコのおかげでタイムリーな対談動画を見つけられたのでよかった。
【冒頭30分】小泉悠×太田啓之×高橋杉雄「アニメの戦争と兵器」
特別仲が良かったわけではないし中学卒業以降は連絡もしていないが、当時は映画の話などをして一緒に帰ったりしていた。
「弱虫ペダル」など、たまたま自分の見た作品にも名前がクレジットされていて感動した。
小中以降の彼の生活は詳しくは知らないが、インタビューなどを読んでいると「ああやっぱり純人だなあ」と懐かしく感じる部分と、過酷な現場を続けるようなガッツが彼に秘められていたのかという驚きを、同時に味わっている。
俺も彼も持久走とか大の苦手だったはずだけど、大人になったんだなあ。
今現在、他のアニメーター?演出家?と揉めているようだが、彼は争いが好きなタイプではなかったはずなので、あまり反論もしないだろう。
揉めている内容の実際の詳細こそわからないが、大前提として、彼は自分を大きく見せるようなホラを吹く人間ではないと思っている。
そういうことが嫌いというか、どちらかというと「そういうのが苦手」な印象だった。
そもそも見栄で嘘をつきたければ、あの過酷な仕事を続ける前に、もっと楽する方法があると思う。
あの揉め事は悲しいすれ違いではないかと、部外者ながら考えている。
他人を味方につけるのが苦手で不器用だった印象もあるので、火に油を注ぐようなことを言ったりして、ひどい事にならないといいなと余計なお世話だが少し心配している。
彼について、インタビューやtwitterを読んだ人の一部からは「露悪的」などと表現されているが、
それはなんていうか、少しだけ違うと思っている。
小中学の頃しか知らないが、彼は趣味が変わっていてホラーやグロが好きで、普通のクラスメイトからは、ちょっと避けられるようなタイプだった。
「わかる人にだけわかってもらえればいい」と考えてそうだったし、趣味は変だけど温和な彼を面白いと思う人間もたくさんいて、
あと、キザな小学生にしてめちゃくちゃに「腹踊り」がうまくて、プールの時間によく見せびらかしていた。
中学の頃、一番面白い映画は「ギニー・ピッグ」だと言っていた。
「ちゃちな作り物だけどすごくいい」というようなことを語っていて、「目玉がさ、目玉がね」と一人で盛り上がっていたが、そういうグロが苦手な自分は話を遮って逃げた。
他にも「デス・ファイル」が好きだともよく言っていた。こちらは「本物なのがいい」とのことだった。
まあ、そういう事を言いたがるのも露悪的と言えばそうかもしれないが、彼はそれらの作品が本当に普通に好きだった。
「マトリックス」の話をするのと同じテンションだったのだろう。
小学生のとき彼の家に遊びに行ったら、「エイリアン2」の装甲車のおもちゃと、その裏にへばり付いたエイリアンウォーリアの轢死体のディテールを嬉しそうに見せてきた。
5、6年生の時、エアウォーターガンを担いで自転車に乗った彼と友人とすれ違い、どこに行くのか聞いたら、「近所の心霊マンションにゴーストバスターズごっこをしにいく」と答えた。
ものすごく楽しそうだなと思ったのだが、なぜか俺は一緒にいかなかった。
結果、どうなったのか今でも気になっている。
(ちなみに後年、そのマンションは改装工事の作業現場でも注意が出たほどのガチのスポットらしいと知った)
彼が休み時間に「『遊星からの物体X』はいいよお」と熱く語っているのを聞いたが、今考えるとストーリーのオチがなぜか「バタリアン」のものだったのが謎である。
(もしかしたら「深海からの物体X」の話だったのだろうか、こちらは見ていないから知らないが)
TV放映された「ザ・グリード」の話で盛り上がったり、似た趣味をもつ友達はいたはずだが、果たしてギニー・ピッグやデスファイルのレベルまで分かち合えていたのかはわからない。
中学の時に、今度ギニー・ピッグを一緒に見ようと誘われたが、それは断った。
「ウォンさん、ウォンさん」と、人肉饅頭の主人公アンソニー・ウォンを親しげに呼んで、放課後の帰り道などで包丁を振るう真似をして遊んでいた。
映画の後半で捕まって警察から拷問されるウォンさんが可哀想、でも親身になってくれる囚人がいい奴で泣ける、というようなことを話した気がする。
当時、アクション映画が好きでホラーが苦手だった自分は、彼をどこかヤベー奴だと思っていたが、実際に話す彼はひたすら温厚だった。
不思議な魅力があった。
手を後ろで組んで歩くような、クラスに一人はいる「お爺さんっぽい中学生」だった。
少年時代、彼が怒っている姿は恐らく見ていない。
俺や他の友人はよく他人の噂話や陰口で笑っていたが、彼が他人の悪口を言っているのも見たことがないと思う。
そんな感じで、どちらかというと彼は友達からもいじられる変人だったが、いつもニコニコしていた。
「髪が油っぽい」と友達の間で話題になって、学校の水道で洗って実験してみたことがあった。
「水だけで洗うと逆に汚れが表面に出てくる」「石鹸も使うべきだ」等、無駄な議論をしながら石鹸シャンプーをした結果、洗ってもすぐギトギトになって、みんなで笑った。
※もしかするとイジメと勘違いされかねない話だが、自分か他の誰かも比較のために水道で髪を洗ったはず。
中学生男子がふざけて全身びしょぬれの水遊びをしたり、お互いに額を強くつねって「インド人っぽい痣」を作ったり、失神遊び(絶対やめろよ!俺は本当に危なかった)をすることは日常だったので、そういう類のエピソードと思っていただきたい。
彼はニコニコしながら率先して水道で自分の頭を洗って「見て見て」と笑っていた。
ただギニー・ピッグやデスファイルの件があるのでうっすら迫力があって、こいつ何考えてるんだろうとは少し思っていた。
twitterなどで露悪的っぽく見えるのも結局、彼なりの特殊な冗談なのだと思う。
分かる人にだけわかって、嫌う人からは嫌われて、伝わる相手とだけニコニコ通じ合えれば、それでいいと思っているのだろう。
その実、今でも他人の悪口などはほとんど言っていないのではないかと思う。
(すべてのツイートを追っていないのでわからないが、あんな辛い仕事をして、個人を責めるのではなく業界を批判しているのが彼らしいなと思う)
他にも小中時代の特殊なエピソードは色々あったし、他人から理解されない経験を、ずっと味わってきたんだと思う。
「誤解されようが気にしない」というスタンスが変わっていないのは(誰かが書いてたけど、アニメーターA氏があの場にいて本当よかった)、勝手ながら、なんだか少しうれしかった。
本人がtwitterで「みんなも俺を決して良い人だと思わないで。俺はどこまで行っても悪には違いないし間違ってるから。」と言ってるのは、彼なりの誠実さなんだと思う。
中学の時からデスファイルが好きなんだから、そりゃ悪だろう。(ひどい)
今思うと、過激なホラーを好みながらなぜか漂うお爺さんっぽさも、どこか諦観というか、達観しているところがあったからなのかもしれない。
お爺さんっぽいと言ったら、キザな本人は嫌がるかもしれないが。
それにしても、彼が職業にするほどアニメを好きだったことは、知らなかった。
「パトレイバー2」の引用をしているのは、映画の話ばかりしていた時代しか知らない自分は少し意外に感じる。(そのころから好きだったのかもしれないが)
パト2のような理屈っぽい作品よりも、「今度は戦争だ!」とエイリアン2からの引用の方が理解できる。
俺が知ってるのは小中学の頃だけなんだなあと改めて実感する。
しかし、極端なホラーやキワモノが好きだった同級生が、大人になって「作画崩壊」「敗戦処理」で話題になるのは、他人事ながら少し悲しい。
クリエイターがみな望むものだけを作れるとは思っていないし、もちろん、彼がやりたくない仕事を無理やりやっているなどとも思わないが、それでも少し悲しい。
作画崩壊は、子供のころの彼が好きだった「キワモノ」といえばそうなのかも知れないけれども。
結局俺は「ギニー・ピッグ」も「デスファイル」も見ていないが、「人肉饅頭」はこの前また見返した。
改めて凄まじい作品だと思った。
別にホラーではなくとも、人肉饅頭みたいなああいうすごい作品を彼が作ったら、嬉しいなと思う。
多分、みんなからは評価されないかも知れないし、俺だって見るかは知らないけど。
でもまあ結局はわかる人だけわかってればそれでいいんだろう。
これは個人的見解だけれど、パト2という存在があったからこそ日本アニメ界の実写に対してのコンプレックスというものが完全に払拭されたのではないかと思う。
アニメと実写どっちが上か?なんてことは令和の世では議題にすらならないのは言うまでもないが、昭和平成の世ではまだまだ意識されていることだった。
宮崎・富野世代ははっきりと実写に対してのコンプレックスを持っていたし、ゆえにアニメのほうが上だと主張するような場面もあったように記憶している。
しかし、その次の世代となると経験的にアニメのほうが上であると理解していたので実写に対してのコンプレックスのようなものはなかった。
ただ、白黒ハッキリとしないという雰囲気のようなものはあった。
アニメというのは結局、オタクが身内受けでしょうもないことをやっているだけではないのか?という劣等感のようなものが存在していたからだ。
その意識が何故か、実写に対しての劣等感のようなものにもつながっていたように思う。
そういった中登場した、パト1は非常に優れた劇場作品だが、「アニメ」をひきづっている部分が多くやはり「アニメ作品」だった。
その部分に対しての反省があったのかどうかはわからないがパト2では見事にアニメ臭さを払拭していて一般映画としての鑑賞が可能なものへと変化を遂げている。
そして、その内容は極めて実写映画的でありながら当時の日本映画界では絶対に制作不可能な実写映画的アニメとして成立していた。
この時点を持って、日本アニメ界は実写というものへのコンプレックスを完全に払拭したと個人的には考えている。
その後、世の流れの中で実写とアニメを対立的なものとして捉えるという考え方自体がなくなってしまったので、あまりマイルストーンとして意識されることもなくなったが、パト2が存在していない世界線というものがあるとするのなら、その世界の日本アニメ界は随分と違ったものとなっていたのではないかと想像する。
匿名じゃないと書けないのでここに。
先に書いておくと、ゆうきまさみの漫画版も映画は1も2も、横手美智子の小説も俺は好きだ。
解説というか考察なんだけど、結論を簡単に言うと、「パトレイバーという物語がまがい物についての物語だから」ということになる。Xのようで、Xじゃない、というやつだ。
例えばみんな大好き劇場版1だと、「警察官というより正義の味方」が活躍する。警察官のまがい物なわけだ。特車二課はどの媒体でも「こいつらおまわりさんです」と言われる組織で、警察官のようで警察官じゃない、でも本人達は警察官として一生懸命やっている。
劇場版1の犯人は本来「存在する人間のようで存在する人間じゃない」キャラクタであった。背景は、88年の東京のようで、88年の東京じゃなかった。こう考えると「この物語はフィクションである」という例のあれも、まがい物の物語を補強しているように思える。現実のまがい物としてパトレイバーの物語は存在する。
パトレイバーの多くに存在するテーマとして「まがい物なんだけど、どうしたらいいんだろう」というのがある。一つの例がパト2で、「軍隊のまがい物なんだけど、どうしたらいいんだろう」という自衛隊と特車二課の立場を描いている。特車二課は警察とは思えない37mm砲という物騒な武器を持っているが故に、軍隊のまがい物でもあるのだ。
あやふやでどうしようもない、それでもなんとかしなきゃ、なんとかしなくちゃ、なんとかしよう、とした結果、という物語だ。それは「クーデターのようで、クーデターじゃない」状況下で描かれる。
漫画版パトレイバーだってそうだ。「俺たち警察官のまがい物、あっ軽い人々なんだけどどうすりゃいいんだろう」というのが、22巻をかけて「正しい資質を持つ人」に成長する、パトレイバー全体のテーマを表現した素晴らしい作品だ。なお、敵は、「大人のようで大人じゃない」子どもの内海だ。
で、実写版だ。「初代のようで初代じゃない」「俺たち特車二課第二小隊のまがい物なんだけど、どうすりゃいいんだろう」というのが、おそらくテーマなのだろう。
最近の発言を見る限り、押井はどうやら、「若者はまがい物でしかなくて困っている」と思い込んでいるらしく、それに対して「まがい物なりになんとかなるんだ」という話をやりたいらしい。例えば、本田圭佑は中田英寿のまがい物として困っている、ようなのだ。彼の目からすると。そんなことないと思うけど、確かに本田はどうしたって、中田と比較され続ける。それについて、何か示したいのだと思う。パトレイバーとしても、この展開は珍しいことではなく、近頃の若いもんはと榊が文句を垂れる整備班がいる。
だから、実写版が世界観だけ流用したパラレルワールドでも、野明や遊馬を俳優がやるわけでもないのは、それこそがテーマだからだ。なんで明は野明じゃないんだ、パチモンみたいな名前を使いやがってと言われること自体が実写版パトレイバー全体の物語のスタート地点だからだ。だから、実写パトをdisりたいなら、そこをdisってはいけない。それこそ押井の思う壺だからだ。押井の大好きなジョゼ・モウリーニョが「お前は選手から非難を逸らそうとして逆に選手が非難されている!」と非難されることによって結果的に選手から非難を逸らすというハメ手を使うのと同じように(真にモウリーニョの戦術を無効化したいのなら、モウリーニョを完全無視して選手を非難し続けるしかない)、押井は完全に思える罠を用意した。お前達が三代目のまがい物性について非難すればするほど、物語の足場が固まるぞ、というわけだ。
ただ一つ疑問に思えるのは、押井がゆうきも言外に「わかってない」としていることだ。ゆうきは、少なくともパトレイバーとグルーミンで「まがい物」とか「何者にもなっていない者」が、「本物」や「何者か」になる物語を巧みに描いた稀有な人間だからだ。ああ、バーディーのあの可愛い男の子もそうか。もし、俺の考察が正しければ、実写版パトレイバーはもっともゆうき的な押井の作ったパトレイバーになるはずだ。まあこの考察が間違ってるんだろうね。
何を見ているんだ。
柘植行人の目的は偽りの平和によりかかって安穏と暮らしている人々の「目を覚まさせること」であり、彼らを「殺すこと」ではない。映画を注意深く見ればわかるが、柘植は死者を極力出さないように行動に細心の注意をはらっている。
劇場版パトレイバー2の物語って要約すると「自分が参加させられた戦争から目をそむけて平和を貪る日本人に、テロによって戦争状況を見せつけることで復讐を試みるテロリストの話」だと思うんだけど、これって加藤のやりたかったこととそれなりに符合するんじゃないだろうか。
「モテ」だとか「適職探し」だとか「社会適応」だとか、そういった諸々の試行錯誤は現代人にとってはある種の闘争だといえる。
でも、そんな戦いに強制参加させられて足掻いている自分なんかには関係なくメディアはアキバとかの楽しげに演出された光景を伝えていて、自分以外の1億3千万人は全員悩みなんかなく面白おかしく生きているんじゃないかと思えてくる。
そんな状態に陥った人間にとって、自分の闘争に世間の耳目を集める、もしくは自分と同じ舞台で他人との闘争(この場合は命の奪い合いか?)を開始するための手段として無差別殺人はそれなりに魅力的に映るんじゃないだろうか。
犯行の舞台としてアキバが選ばれたのも、自分に近いオタクでありながら自分が今置かれている戦場からは離れたところで平和を貪っている人々が集まっている街だと彼が思ったからなのかもしれない。