はてなキーワード: 駒場とは
内海:どうもー、ミルクボーイですー。よろしくお願いしますー。 あー、ありがとうございますー。 ね、今、オバハンがなんかすごい物をくれましたけどもね。 ありがとうございます。 こんなん、なんぼあっても困りませんからね。 駒場:はい、ちゃんとポケットに入れさせてもらいますー。 ありがとうございますー。 内海:ありがとうございますー。 ところでな、うちのオカンがな、好きな政治家があるらしいんやけど、その名前を忘れてしまったらしいんよ。 駒場:えー?好きな政治家の名前忘れてもうてん? どうなってんねんそれ? 内海:で、いろいろ聞くんやけどな、全然わからへんねん。 駒場:わからへんの? ほな俺がな、オカンの好きな政治家一緒に考えてあげるから、どんな特徴を言うてたか教えてみてくれる? 内海:何かさ、「安倍」に響きが似てるらしいねん。 駒場:安倍晋三やがな。 安倍に似てる言うたら完全に安倍晋三やがな。 それ以外考えられへんやん。 内海:でもな、ちょっとわからへんのよな。 駒場:何がわからへんのよ? 内海:いや俺も安倍晋三やと思ってんけどな、オカンが言うにはさ、「森友学園」っていう学校を作ったらしいねん。 駒場:うーん、ほな安倍晋三とちゃうかあ。 安倍晋三は「森友学園」の問題で国会で追及されたけど、「関与してませ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜~~~~~~~~~~~~~~~ (以下略)
駒場:関与してませ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んって言うてたもんねえ。 安倍晋三はそういうもんやから。 ほな安倍晋三とちゃうがな。 もうちょっと詳しく教えてくれる? 内海:何かさ、「桜を見る会」っていうパーティーを開いたらしいねん。 駒場:安倍晋三やないかい! 安倍晋三は「桜を見る会」で税金を使って自分の支持者を招待したり、参加者の名簿を隠したりしたんやから。 宮崎のブーゲンビリア空港より恥ずかしいことしてるんやから。 安倍晋三で決まりやん、そんなもん。 内海:いやでもわからへんねん。 駒場:何がわからへんのよー? 内海:いや俺も安倍晋三やと思ってんけどな、オカンが言うにはさ、「コロナウイルス」に強いらしいねん。 駒場:ほな、安倍晋三とちゃうかあ。 安倍晋三は「コロナウイルス」に対して何もしなくて、国民にマスク二枚だけ配ったり、自分はゴルフしたりしたんやから。 コロナウイルスに強いどころか、逃げ腰やったもんねえ。 ほな安倍晋三とちゃうがなー。 ・・・みたいな感じですかね。どうでしょうか?
割りと辛辣で笑った
1,2年は理3の奴らも駒場じゃなかったっけ?
2022年8月1日(月)、午後3時20分ころ、目黒区駒場1丁目の路上で、小学生(女の子)が帰宅途中、男に声をかけられました。
■声かけ等の内容
・「1000円あげるから何でも買っていいよ」
■不審者の特徴
・年齢50代くらい、身長160センチくらい、体形普通、頭髪白髪交じり普通の長さ、メガネ、白色マスク着用、グレー色半袖シャツ、色不明のズボン着用の男
・お子様には、少しでも「こわい」と思ったら、大声で助けを求めたり、防犯ブザーを鳴らすなどして、すぐに逃げるよう指導してください。
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タイトル通り。別に連絡取り合う友達もいないし、しがらみもないので特定覚悟で語る。もし同級生がこれ見て「あいつか」ってなったら笑ってくれ。
まあ親ガチャは良かった。祖父は東大卒の医学者で都内や千葉の独法系病院で勤務していた。父は東大経済卒で日銀の職員。母は西宮の女子大を出てお見合いで父と結婚した薬剤師。ただ学歴とかそれ以上に家族はみんな優しかった。てか今も優しい。きっと父が普通のサラリーマンでも幸せだったと思う。あと妹が一人いる。
目白台にある女子大附属の幼稚園、川崎にある私立小学校、西日暮里の男子中高一貫校を経て東大に入った。ここまで苦労はない。勉強は塾や親の言うことを程々に聞いておけば間に合った。部活も楽しかったし友達もたくさんいた。男子校出身だったが、中3から幼稚園のときの幼馴染と付き合い始めていた。
ただ高校から予兆はあった。高入生で学年人数が増えたあたりから人前でスピーチをしたり移動教室の時、動悸がやばかった。緊張とかあがり症のレベルではなかったと思う。友達から顔青いけど大丈夫か、とか言われてたし。それでも中高は乗り切り、大学に行った頃からおかしくなった。まず階段教室の授業が怖い。うちの高校からは大量に東大に進んだため友人はたくさんいたが、毎回常に友人とかたまって授業に行くわけじゃない。授業が始まれば怖くなくなるんだけど、授業前や授業後のザワザワとした空間が怖くて、そこに一人でいることがパニックになる。だんだんひどくなり、ついに門をくぐるどころか電車も無理になった。それで大学2年にして子ども部屋で引きこもりスタート。単位など取れるはずなく進振りの希望すら出してなかった。両親や妹はガミガミと怒るでもなく、極度に不安視するわけでもなくそっとしておいてくれていたしそれがありがたかった。同級生は心配して連絡をくれたが、無視するうちに来なくなった。彼女にはスマホで一方的に別れたいと言った。親同士も知り合いなので、幼馴染とそのお母さんがとても心配してくれたが顔を合わせたくなかった。
それから一年間引きこもって、コンビニとかは行けるようになった。大学に連絡を取り事務所で今後のことを話し合った。話し合ったというか、ほとんど大学に出てなかった俺がこれから授業や単位をどのように取得していくかというシステムの淡々とした説明。恥ずかしながらこの頃はまだ一人では行けず母に着いてきてもらった。そこからゆっくりではあるが、ようやく大学に復帰し単位をスローペースで取った。一人で電車通学も可能になった。倍率が低く小人数の駒場の学科に進んだため本郷に行くことはなかった。てか行けなかっただろうし。研究室の教授や年下の同期は本当にいい人たちだった。そのおかげで同級生より3年遅れで卒業することができた。
大学を卒業するのが精一杯で働ける気もしなかったため就活はしなかった。大学を卒業後は小さな頃から顔見知りの近所のおばさんが自宅でやってる公文教室で採点、小学生高学年や中学生に英語や算数を教えたりというバイトしている。おばさんの人柄のおかげで居心地が良い。給料は月4万円。半分は親に渡し、もう半分は使うわけでもないため通帳に入れている。
20代の期間も残す所わずかだが、この生活が変わる様子はないし、正直変える気もない。世間一般から見たら失敗人生だろう。最近親ガチャだの反出生だのとよく聞くので、親ガチャで当たりを引いた人間でもこうなるという例を紹介しようと思い自分語りをさせてもらった。
たまたま匿名ダイアリーを知り、早朝に寝ぼけ眼で書いてみたが誤字・脱字がひどかったため改めて投稿。
中学は最高だった。成績は常にトップ。部活では部長。生徒会本部役員。モテてたし彼女もいた。高校は厳しいぞと親や中学の担任から言われたが、結局中学と立ち位置は変わらなかった。現役で東大文一に受かり、「ノルウェイの森」の永沢という男を気取っていた。ただここまでが人生のピーク。下らない理想モデルで失敗した。僕の理想モデルは「司法試験在学中合格→国1トップ→外務省→事務次官→駐米大使→定年後に国際関係論の権威として駒場の教授」だった。
単純な話だが司法試験で失敗した。高校卒業した春休みから伊藤塾に通い詰め、3回連続受けたものの論文が通らなかったのだ。普通なら2年生、3年生と2連続不合格なら諦めて国1に専念する。しかし僕は往生際が悪く、国1と司法試験を並行した。4年になる4月頃にはメンタルが崩壊。そのまま国1と短答を迎えるが前日も彼女や友人と遊び歩いていた。東大には本番の朝まで駒場で麻雀やって司法試験に受かる基地外がいるが僕は凡人だった。結局国1は受かったものの外務省含め希望省庁からオファーは来なかった。司法試験はやはり論文落ち。万一のために「官僚にはなりません」と嘘をついて内定をもらっていた会社に入社することとなった。
僕は今、霞ヶ関の官僚になれずにコンプレックスを抱えながら丸の内三菱村の社内官僚として生きている。仕事が終わるとたまに行幸通りを通って日比谷公園を歩き霞ヶ関を散歩する。そして「外交官として働いているもう1人の自分」を妄想して帰宅する。