はてなキーワード: 資質とは
変な人の発想の異常さって、健常者の発想では計り知れない…ということをかつての友人で学んだ
何度こちらが拒否をしてもまた同じように依頼してくる→「気分は変わることもあるから」。
幼なじみの友人をしつこく遊びに誘い、迷惑がられ、その後着信拒否・面会拒否される→「実家にいると世界が拡がらない、自分が誘ってやってる、それを拒否するとか子供か、もっと大人になってほしい」。
親が入院したので雑談の通話に付き合う気分じゃないと伝える→「こちらが通信費持ってかけているのにお前の話を聞いてやった、今度はこちらの話を聞け」。
親が生死に関わる状況なんだ、なぜ分からないのかと強めに言う→「は?何逆ギレしてるんだ」。
悪気はないんだと思う
悪意を持って周囲に嫌がらせをしているとかではなく、そもそも悪いと思っていない、理解できてない、理解できる資質を持ってない、ということなんだと思う
>そのフィクションが原因で犯罪を起こしたとしてもそれは個人の資質の問題であるとすべきだ、
横だが。
まあたぶんレスバ相手の言い方も悪いのだが、検討違いの話をしているね。
・フィクションの影響力は恐らくあるが、その影響力は比較的少なく、かつ短期間で消える。(ジャッキー映画を見ると誰もがカンフーの真似をしだすが次の日にはやめる)
・フィクションの影響を1とすれば、親や友人や生まれつき影響の影響力が100ぐらいあるので、実質的にフィクションの影響は無視できる。
こういう話になっている。
これを雑に言えば「フィクションの影響はない(実質的に)」となって、それがネットに広まってるわけ。
君の批判は、フィクションの影響の「ある」と「ない」しか考えてない、影響の大きさを考慮してないので、言ってることが検討違いになっている。
いじめられて死ぬ=ストレス環境におかれると自殺率に影響が出る と言う話は、親や友人や生まれつきの個性の影響よりも、影響力が少ないとは言えないので、フィクションの影響の話とは全然話が異なるね。
全然違う
ちゃんと読んで
いじめは人の尊厳を侵すし、内容によっては刑法に引っかかるからダメ。という部分は否定してない
ただ、それはそれとして
つまり、いじめられても死ぬか死なないかは個人の資質に依るというところは否定できないよね?
そのフィクションが原因で犯罪を起こしたとしてもそれは個人の資質の問題であるとすべきだ、
という主張をするのであれば
いじめが原因で自殺をしたとしてもそれは個人の資質の問題であるとすべきだ、
と主張する必要がある
つまり、いじめによる窃盗や暴力、誹謗中傷にたいしていじめは明らかに問題があると言えるが
そのいじめによって引き起こされた「自殺」という結果に関しては個人の資質の問題であって
いじめ自体が責任を持つ必要はないという主張で良いんだよねという話
もちろん明確に「相手を自殺させることを目的とした」上でいじめ行為を行った場合は相応の責任を持つべき
それは「みんな!女子高生のおっぱいガン見しようぜ!」と作者が主張していたなら、その作品は「そういう目的のもとに作られた」という誹りを免れないのと同じ
その影響によってどういう行動に出るかは個人の資質の問題であって
という主張に対しての話だから
「いじめ」の影響で自殺という行動に出るのはその個人の資質の問題だから
ということで良いんだよねという話
前回政権を取った、いわゆる自民が言う悪夢の民主時代の方が、政権運営できる人間はまだ揃ってたと思うよ
いうて自民党社会党新進党あたりで政権を担当してた人間たちの血もまだ色濃くあったし実際に震災対応等振り返れば自民が言うほどの悪夢でもなかったし。
でも民進党が分裂したあたりから完全に入れ替えが進んだというか、口だけ番長みたいな人間が跋扈する動物園になってしまった
共産との連携とか、ジェンダーへ舵を切るとか、いわゆる左傾化するだけならまぁ政党の方針としてご自由にどうぞって感じだが、
本多の排除とか宣伝団体への金の流れなんかを見ると民主的な政治団体としての資質みたいな本質的な部分への疑義がものすごいある
(追記)
支持者であっても担当能力ナシって思ってる人は多いみたいだな。
政権担当能力に対するスタンスで言えば日本共産党のようにはっきりと閣外協力に限定した支援と言い切るほうがかえってわかりやすいというか、批判政党としての自党の方向性・意味付けがしっかり出来ていると思うぞ。
自民党一強を許さないとか、改憲発議だけはさせないための数の力が必要だとか、そういった路線での支持の得方というのもあり得ると思うんだけど、
前の衆院選の時の立憲はそうじゃなくて、スローガン的にも候補者擁立方針的にも政権を取りに行く気マンマンな感じで臨んでたからなぁ。
批判だけだと自民の補完勢力(強い批判によって自民党を更生させるという意味のね)になってしまうという恐れが根底にあるんだろうけど、そんなら「 #政権取ってこれをやる」みたいなあからさまに自民の補完勢力みたいな政権公約はなんで出てきたんだよという。
モリカケサクラの追求も入管問題の追及も批判政党としてみれば得点は高いしその追及を続けられるだけの調査能力もあるし国民にとって大事なことではあるかもしれないけど、それは政権公約に掲げるフォントサイズとしてあれでいいのかみたいな。
その通りだと思う。
経営者としての資質とは別に、表現者としての彼女の理念が正しく理解されていない。
「胸の大きな女性の主体的で自主的な自己表現」の実現は何よりもまず、「美」の追求という方向に向かうわけ。
要は「胸のサイズに合わせて何で上のサイズの服を着にゃならんのだ」ということ。
そこを追求していけば、どう考えても「他人からどう見られるか」なんてのは『視界から消える』んだよ。
「私を性的に見ないで下さい!」なんて受動的な態度は、美へ向かう創造力の前では邪魔にしかならない。
何より現実に「胸の大きな女性の主体的で自主的な自己表現」を妨げているのは、性別を問わず「巨乳を性的なものと見なすだけでなく、TPOに応じて本人に配慮を要求する」連中だ。
たわわのヒロインが女子高生であることを理由に表現に配慮を求めるような姿勢に、かつて巨乳の女子高生であったであろう彼女はむしろヒートアップしたのではないだろうか。
私は一年後に限らずヴィジョンというものを描くのが昔から苦手である。
それが生来の資質なのか、数年で転職や派遣先の変更することが多かったかことによることの弊害なのかはわからないが
とにかく面談用に5年後のヴィジョンをエクセルに書けと言われて、頭がオーバーロードしているのでここに書いている。
1年後は転職かクビになっているかもしれない契約社員のこの身に、5年後のビジョンをかかせるなんて頭おかしいんじゃないか
5年後に居てほしければせめてボーナス出せ○○。
社内SEなので出てきたトラブルを解決して、他部署から回ってきた問題を解決してゆくだけで概ね日々は過ぎる。
そこには日々のビジョンもクソもない。売上もクソもないし、社内SEの評価システムなどなにもないので資格をとってもしょうがない。
貢献の度合いを示せてと言われても、具体的な数字などなにもないぞこんちくしょう。