はてなキーワード: 男女共学とは
残念だが、俺は3歳から23歳まで男女共学だった。だが男女共に仲の良い友人は沢山いたにも関わらず1人たりとも恋愛関係に発展した事は無い。どんなに出会いが有ろうともオタクであると言うのはイケメンがポイント100だったとしてオタクは-200、虐められる人間のポイント平均が-200なので顔とオタク足し引き-100で虐められて居ないだけという状態である。ガチオタである事は強みでは無い。ただのマイナス点である。単純に考えているかも知れないが、イケメンや美人なら何でも人は許容してくれると思っているならそれは間違いだ。そんな世界は漫画や小説にしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20160111014553
なんかまだ出ていないようだったので。
http://d.hatena.ne.jp/mamoruk/20111230/p1
おもしろいのは、男女共学にすると女子のほうが成績がよく (25歳くらいまで続く)、男女別学にすると男子のほうが成績がよくなる、という傾向は、どの文化でも見られる特徴なようである。だいたい同じ年齢なら女子のほうが勉強ができる、と思っていたので、別学 (男子校) にすると男子のほうが成績がよい、というのは意外であった。
あと、海外の事例で「共学では『発達障害』でも別学では『優秀者』」という話があったりして、これは自分も大学に入ってからよく思う (汗) 東大なんて自分も含めものすごく発達障害の学生多いと感じていたし (注意してほしいが、それが悪いと言いたいわけではない。そういう対人関係の発達を犠牲にすることによって、勉強をがんばってきたのかなぁと思うし、少なくとも勉強はできる人ばかりだったと思うし)。
自分自身、息子ができたら男子校には入れたくない、と常々思っていたのだが、最近は、自分自身の体験を思い返して、本人が共学の公立校で息苦しさを感じていて、行きたいと言うなら行かせてもいいかなぁ、と考えたりしていたので、いろいろと納得できるところが多かった。
何をどうやったって、親が計画的に狙った相手と結婚させたら、それはお見合い結婚というのと同じで
親や教師や学校や国は、狙って子供を特定の学問の研究職にすることはできない。それってどうやってもお見合い結婚になるから。
学問を志すというのは、どうやっても、恋愛結婚みたいなものだ。ある日有るとき出会って、恋に落ちる。その恋に落ちるのが自発的に学ぶということだ。
無理なんだよ。理系を増やすとかプログラマーを増やす。なんてのは。
できるのは、合コンしてみたり、男女共学にしてみたりってレベル。つまりこういう学問が有りますよと見せるだけ。それを志すかどうかは本人が学問と恋するかどうか
そうやって、好きでもないのに結婚したカップルの離婚が問題になるというのとおなじで、
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20140320/1056067/
同社では、女子中学生から「プール授業で着たい水着」に関する意見を集め、企画に生かしている。回答は明瞭だ。「今の水着はダサい」「スタイルをよく見せたい」「体のラインがくっきり分かるのはイヤ」「太ももにパンツのゴムがくいこむのもイヤ。ハムみたいになる(笑)」といった意見が次々に出るという。
男女共学の私立中学に通っていたんだけど、「生理でーす(笑)」と言って半数以上の女子がプールの授業を休んでいたよ。
理由は「学校指定の水着がダサい」から。で、好きな水着を買ってよみうりランドとかに行くんだよ。
ダサい水着を来て真面目に水泳の授業に出ていたのは、あんまり可愛くない子たちだった。
大人の男性は可愛い女子中学生にダサいスク水を義務として着せて泳がせることに興奮するかもしれないけど、最近は中学生にも結構人権あるんだよね。中学生の人権が昔よりもましになることを寂しいと感じる大人の男性って本当に人格曲がってるよね。社会に出て権力者から人権を踏みにじられながら日々を生きてると、やっぱり自分よりも若くて弱いものの人権を踏みにじりたくなるものなんですか?そういう風に思うのは個人の勝手だから別にいいけど、同情や理解を求めるのは非常に気持ち悪いね。若者は負け組の大人に踏みにじられるためにある便所みたいな存在ではないので。
成人とアラサーの間で学士入学の大学生で彼氏無しでオタクで腐女子。付け加えれば処女。
スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。
考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。
周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。
今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。
予め言っておけば、私は喪女ではない。
頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義な時間を過ごしていたと思う。
その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリングで同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。
そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。
別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。
お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元の男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。
その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。
私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。
卒業も迫った時に初めてのセックス。少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。
別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。
何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというものは二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。
前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリな行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBLも美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。
そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。
唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。
とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為を自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。
そんな人間がセックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。
これが断った理由だ。
そもそも当時から今まで、私は自分に彼氏がいたという話を一度もしたことがない。
というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。
「恋愛は大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」
(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座を守護に持つバトル漫画でBL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)
ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。
そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。
「女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠のリスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子だから、相手はちゃんとした人を選びなさい」
至極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。
私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。
そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。
彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。
次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。
ここからしばらく私の人生に彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまったからだ。
初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板のオフ板に嵌ってしまう。
オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。
私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレでメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。
それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。
最初の経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間に個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。
しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。
同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学の学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。
何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。
開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。
こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。
最初はネットで知り合い、「あのアニメのエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、
「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、
「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。
ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。
またしても私の頭が邪魔をした。
いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。
…本当に?
薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。
バイトで溜まったお金はフィギュアやゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。
「ドラマも映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマも映画も見る私。
記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフとフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。
そこでまた頭の中で考えが巡る。
「私は大切なこの体を、趣味の時間を一緒に過ごすのが楽しいとはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」
「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」
やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。
その頃から既にネット上では「処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。
その考えと今までの教育が合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。
その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。
何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧な関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。
一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。
私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。
理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ。趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。
この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育が人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。
この世に完璧な王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。
それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。
でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。
実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。
そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初っから。
それにネット世界の意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。
世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから。
だとしても少なくとも非処女=ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。
それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。
この後も数人、現実世界やネット世界で出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。
成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。
こうして更に私の脳内メモに記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。
そして、今だ。
振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。
私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。
むしろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。
こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。
誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである。
幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。
「自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。
厚労省が発表した平成25年版厚生労働白書の「未婚者の異性との交際の状況」によれば、2010年時点で「異性の友人も交際相手もいない」と答えた18~39歳の男性は62.2%、女性は51.6%。同様の1992年時点データは男性48.1%、女性39.5%だと言う。
(引用元 http://news.ameba.jp/20131214-79/ )
大雑把なデータの捉え方だが、この20年弱の間に、異性と出会えていない男性は14ポイント、女性は12ポイント増えたことになる。これでは少子化も晩婚化も進むのは当然だ。
こうなった原因は何か。 「男女7歳にして席を同じうせず」という風潮は、むしろ昔の方が強く、今は小学校から男女共学は当たり前であるし、性に関する情報はここ数十年で一気にオープンなものになってきた感もある。
こういう話をする際に思い出されるのは、「男性の性欲は、女性にとって都合良い形であるべき」という風潮が、ここ数十年で洋の東西を問わず強くなってきた事だが( http://anond.hatelabo.jp/20100130215946 など)、これは出会いの場や機会を少なくする原因とは思えない。
個人的に気になるのは、異性の交際相手がいない事よりも、異性の友人がいない事である。 特定の・特別の交際をしている相手がいないなんて事は「よくある事」だと思うが(長期にわたり常にいつでも恋愛中なんて、よほどのジゴロか色女くらいであろう)、休みの日を共に遊ぶ相手に異性が1人もいない、という生活は、どうなのだろう。
都内の繁華街を歩いて見回すと、中学生くらいの男女グループが数人で固まって散策しているのを見る事はよくあるのだが(これは20~30年前もそうだった)、これが大人になると続かない、という事だろうか。 そうだとして、なぜ続かないのだろう。
厚労省のデータは、18歳からのものである。 そこから先、就職する人は少なくないだろう。 という事は、いささか乱暴な結び付け方だが、「仕事を始めると異性との友人付き合いが無くなる」という事情が有るのでないか、と考えられる。
働く事によって収入は得られても、時間的・体力的に余裕が無くなれば、異性と遊ぶ事は当然難しくなる。 この20年間で「労働時間あたりの収入」が減っていったために、冒頭のデータのような結果が出てきたのではないか。
デフレ社会は、「労働時間あたりの収入」が減る社会でもある。 少しでも安く高品質なモノを、と追い求める我々の欲望が、他社・他者との競争を激化し、仕事を激務化し、我々自身を磨り減らしていく。 これが少子化の遠因である可能性は高いと私は思う。
幸せのために追い求めるべきは、「他のモノと比較して安く高品質」ではない。 安いとか高品質である事は、幸福と結びつかない。 おそらく、「これでなくてはならないモノ、他では真似の出来ないモノ」を作り出す事でしか、物質文明の幸せは得られない。
よく「失われた20年」などと言うが、具体的に言って何を失っていたのかと言えば、それは「これでなくてはならないモノ、他では真似の出来ないモノ」を作り出す精神や環境なのではないか。 既存のモノをより安く、より高品質にする事を追い求めるという姿勢は、他人に追いつき、追い越そうという競争精神である。 競争は幸せではなく、消耗をもたらす。 その結果が「失われた20年」ではないか。
他者と違うモノを作るのは勇気も要る。 他と違うモノに対する評判は賞賛だけではないだろう。 最初は理解すらされないだろう。 だが、その勇気を取り戻す事が出来なければ、「失われた20年」は30年にも40年にもなるだろう。
ジェンダーフリーの観点からこそ、男女別学も認められてしかるべきだと思うんだ。
見た感じフェミニストには女子校出身者が多いと思うし、それは女子校育ちである事と無関係ではないと思う。
女子校の方が男子の目が気にならない分のびのびと学べて、性別よりも個人の個性を生かした育ち方が出来ると思うんだよな。
実際私は共学だった小中学校よりも女子だけの高校時代の方がずっと楽しかった。
勿論共学の学校もあっていいけれど、一概に全ての学校を男女共学化するのが正しいとは思わない。
片方の性だけだと偏るというが、学校だけが生活の場ではないし、そもそも同じ年齢の人間が集まる時点で十分偏ってる(社会と同じにするなら乳幼児からお年寄りまで取り揃えないと)。
高校は好きな学校を選べる訳だし、共学も男子校女子校も両方あっていいでしょ。
共学は認められるべきだけれどそれは別学の存在を否定する事ではない。