はてなキーワード: 理科系とは
就活ないって…なくても相当に大変じゃないの?おたくの学部は。
みんなおかしくなってるよね。
理科系なら(学部卒でなければ)研究という話題があるとはいえ、
文科系になると、大学院に進学すると就職が難しくなるから、学部卒が大半。
それで、就職活動のなかで、大学で学んできたことの話なんてほとんどない。
でも、学問の話でも内定はもらえる。そもそも、内容より話しぶりその他の外観的な部分が大切みたいだ。
これではどうにもしようがない。
誰かひとりのせいではないよね…
『化学の新研究』っていう化学の大学受験参考書があって、やたらと分厚くてやたらと詳しいから辞書的に使う大定番の本なんだけど、この本のコラムに「化学物質過敏症」が無批判に掲載されてるんです。えっ、それって疾患概念自体が懐疑的に見られてるやつじゃないですかやだー。英語の参考書とかならアレー?って感じの文章が載ってることも結構あるからやれやれと思いながら勉強してたけど理科系の参考書でこういうの見るとは思わなかったよ!
この参考書、難関理系とか医学部志望者で使ってる人は特に多いはずなのでニセ科学が入り込んでるんだとするとあんまり良くないんじゃないかと思いましたがどうなんですかね。
化学物質過敏症について参考→ http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/CS.html
http://yuma-z.com/blog/2013/06/shinsho-10/ のまねをして、今度は新書の紹介をしてみる。(それにしても新書の紹介なのに、女性が手に持っているのが新書でないのが納得いかない)いままで紹介した本の紹介は以下のリンク先からどうぞ。以下のリンクはいままでに自分が読んで面白かった本の紹介です。
自分が紹介する新書のリストは以下の5冊。10冊並べようかと思ったけど、数学入門や理科系の作文技術、日本人の英語あたりは元のブログに取り上げられているし、それらを除くと以下の4冊が残ったので。
英語→日本語に限らず、様々な言語の翻訳家の人たちのエッセイ集。「なぜ翻訳家になったか」というテーマのエッセイが多い。翻訳家といっても文芸翻訳の話で、技術翻訳の人は登場していないはず。だいたいが学者系の人たちで、日本に紹介したい本があるからやっているという人が多い。(逆に外国に日本の本を紹介したいという人もいる)
日本の文学を海外に紹介する人の話が楽しかった。日本に限らず、世界各地にはその地に根ざした習慣や文化があるわけだが、そういう習慣や文化をどうやって翻訳するのか。知らない人にわかるように説明すると、地の文よりも訳注が長くなってしまうとか、そういう問題点がある。そういったことを配慮しつつ翻訳するのは並大抵のことではないようだ。
加えて、英語→日本語と翻訳する人と、日本語→英語と翻訳する人では、前者が日本人ならば圧倒的に楽なのだそうだ。該当する言葉のイメージを母語の中から探すというのはできるけれど、逆はとても難しいそうだ。
翻訳というとどちらもできそうな感じがあるけれど、他の人が読むに耐えるレベルの翻訳はどうやらそうではないらしい。
宮崎駿さんが著者。前半は岩波少年文庫の中で自分が読んだ本を挙げつつ、その本を紹介するという内容。後半は宮崎さんの思い出話だ。本の紹介が上手で、読んでみたくなる。
紹介する本は岩波少年文庫のものに限られるので、ほかの書店の本は一切載っていないのが残念だ。しかし後半は宮崎さんがなぜ児童書を読み始めたのかということや、映画作りに与えている影響にも話が及んでいて、とりたてて宮崎さんのファンではない自分のような人にも楽しめる。最近のジブリの映画はつまらない、と感じている人は、この本を読んで興味を持った児童書を読むと楽しい時間を過ごせると思う。
村山斉さんが著者。最新の研究成果を元にして、宇宙はどうなっているかについて説明した本。最新の宇宙論を大まかに説明する本だ。なので、「どうしてそうなっているのか」ということよりも「今こんなことがわかり始めている」という説明が多い。
村山斉さんは最近多くの本を出していて、ほかの本と似た内容になっている(=かぶっている)という指摘がAmazonにある。自分はほかの村山斉の本を読んだことがないので、判断できないが、最新の宇宙論に興味のある人が手に取ってみると楽しい一冊であると思う。
もともとこの本は村山斉さんの講演が元になっているようで、各章の終わりには講演での質問が載っていて、それに対して村山斉さんが答えるというところがある。この質問に対して答えるところが良い。質問の内容をくみ取って的確に答えるのは難しいことだが、村山斉さんはしっかり答えているし、まだよくわかっていないところはよくわかっていないと曖昧にしないで答えている。質問も基礎的な話から、宇宙論のかなり専門的な質問もあって、それぞれに解答している。
築山節さんが著者。生活習慣を改善することで、なんとなく調子がでない状態から脱却する方法を説明する。タイトルはありきたりだし、書いてある内容もそんなに真新しいものはないのだが、読むと納得する。
大事なことは寝る時間を削らないとか、運動する時間を設ける、などだ。大変なときにはこういう基礎的な習慣が崩れやすく、そういう点を疎かにすると、短期的にはうまくいく。かもしれないが、それが長引いて長期にわたるとだんだんといまいち調子が出ない…という状態にはまりがちだ。その状態になったり、ならないようにするためには習慣を見直すことが第一で、習慣を改善するだけでうまくいくことも多いというような話が載っている。
ときどきこの本を見直して、うまくいっているときのタイムスケジュールや生活習慣と今の状態を比べてみるということをすることが良いだろう。その具体的なチェックポイントを挙げてある点が本書の良いところ。
ここからは余談。
新書というカテゴリーは、文庫でもないしハードカバーでもないというちょっと特殊なジャンルだと思っている。
昔読んだ高村薫さんのインタビューにこんなことが書いてあった。かなり昔には、
というすみ分けがあった。しかしこれは何十年も前から崩壊してしまったようだ。文庫はハードカバーで出版された書籍が何年か経った後に、再び出版社が同じ書籍を売り出したいがための「文庫化」される本が多数を占めるようになったためだ。(そうではない本もあるが、全体の傾向としてそうなってきた)
くわえて、
というような区分けがあったように思う。新書は、上の新聞と雑誌の間を縫うような「新聞のような時事的な問題を、雑誌と同じくらい詳しく、かつできるだけわかりやすく」というニーズがあって発展してきたものだと思う。要するに、今の池上彰さん的な立場を新書は担っていた。
新書には、もう一方で「学問の初歩を紹介する」という役割もある。これらは新書が出はじめた当時は多かったが、最近はそんなに多くない。(元のブログでは数学入門はこの手の新書だ)○○学と呼べるような大きな学問領域を一手に扱えるほど権威のある書き手が少なくなってきて、各学問領域内でも細分化された結果、一概に「こうだ」と言えるようなことが難しくなりつつあるからだと思う。加えてそれらを説明しようとすると、新書では紙面が足りないからだと思う。
そのためなのかどうかは知らないが、最近は特に、何か一つのテーマをなんとなく紹介する新書が多くなってきた。こういう新書は読むとそのときは何となくわかったような気がするけれど、時が経つと忘れてしまったり、素人目にはその紹介にはつじつまが合わないような時事問題が現れたりする。で、その結果として、その時々で「今」をなんとなくわかりたいときには役に立つ。けれども、全体としてみると、(特に経済問題や時事的な社会問題系は)役に立たないものが多い。陳腐化する。
の方が良い気がする。というか普通大学生ならば、新入生の手引きとかにレポートの書き方の説明や参考文献が載っているのではないか?大学の講義にそういうものがあるはずだ。なので、「理科系の作文技術」は名著だけれど講義に出て練習を積めばいいように思う。もちろん一気に上手くなるわけではないけれど、ノウハウ本を一冊読むよりも、一度学んだも講義資料を読む方がはるかにわかりやすいと思うのだが。講義の教授が木下是雄氏で、「理科系の作文技術」が指定教科書ならばともかく。
小平邦彦さんの受け売りで初等教育から国語と算数/数学(線引きはどこにあるのでしょうね)を重視するとよいと思っています.計算機についての技術水準が十分発達すれば,地球上生態系において,人間の地位をもう少し適正化してよいものを食えるようになったりあるいは人類が機械に置換され陳腐化したりするのではないかと思っています.いわゆる理科系の数学・科学・工学というのはある種の特権的な実効性を持っているのです.もちろん倫理や政治や芸術,経済や産業や実業的な技術や,もろもろの人材の多様性と卓越性を損なうのも得策ではありませんので,数学・科学・技術の教育への偏執を主張するものでなく,日本国の現状の海外への投資が盛んで国内に比較的大きな市場とやや老朽化しつつあるしかしながら全般的に高度なインフラストラクチャが維持されているような様子を鑑みても,ある種の高度な専門家や人工知能は政治・行政における問題解決能力の向上のために必要と思っています.
少なくとも、僕は理科系についてもそれと同様のことが言えると思う。
高専の先生でさえ「大学受験生はこんなに頑張ってる!」とか言ったり、
翻って見るに、高専の同級生はバイクやバイト、服装の話ばかり。
理系に興味があるのは間違いないけれど、高専じゃない道が気になってしょうがない。
http://anond.hatelabo.jp/20110616153059
を見てね。
まず、高専をやめて高校に入りなおすのは在学年数だけロスしますね。
10代のころの1,2年の遅れなんて30才以上の人間からしてみれば屁みたいなもんですが、
当事者からしてみれば大きなロスに感じるのも無理はありません。
これは時間的に大変!ってネットでも言われますよね。そのとおり。
それでも俺は大学受験するぞおおおお!そんなに頭は悪くないんだああああ!
…といってそのまま4年生になり、大学への編入学を考えるようになるのが9割。
ほんとに3年で高校卒業資格を得て中退していくのが残りじゃないでしょうか?
2.となりの芝生は意外とショボイ?
そもそも大学受験生ってそんなに頑張っているのでしょうか?
例えば神戸大学工学部前期の難易度は代ゼミでセンター得点率でおよそ75パーセント。
そこそこできる受験生が目指す国公立としては申し分ないでしょう。
あなたは高専を目指すくらいですから理数系が得意なんでしょう。
もし多くの同級生と同様に地元中堅公立高校の進学コースに進んだとしてみてください。
進学コースでは当然受験向けに毎日のように小テストを受けて多くの解法や暗記項目をこなしていきます。
大変ですがそれは周りも同じですからできます。あなたと同レベルか、それ以下の同級生がこなしているんです。できないわけがありません。
さて、3年間の努力の結果、あなたは理数科目だけはクラスのトップレベルにいます(全国レベルでは数千人いるうちの一人ですが…)。でも暗記の多い文系科目は相変わらず苦手です。テスト前になんとなく教科書やノートを見直し、テスト後に答え合わせをするだけのレベルです。
というわけでセンターの過去問では数学9割、理科9割、社会7割、英語6割5分、国語は7割という典型的理科系の得点をしてしまいました。
これだと、神戸大学の配点ではどうなるのでしょうか?見てみましょう。
国語 87.5/125
社会 52.5/75
数学 45/50
理科 45/50
英語 49/75
合計 279/375 74.4%
はい、十分挑戦する価値ありです。もちろん実際に神戸大学に挑戦できる受験生なんてそう多くはないのですが、
ピンキリとはいえ高専に合格する頭脳を持ち、しかも大学受験をしたいなんて言い出すあなたです。このシュミレーションを見てたじろいだりはしないでしょう。
国公立は範囲が広い…ってそりゃそのための勉強を3年するんですからそこそここなせて当然です。これをこなせない受験生が実は大半なんです。
そのまま高専に残っても本気で大学受験するにしても後悔しない勉強法を説明します。
それはとにかく数学と英語について大学受験向けの参考書をマスターする事です。行きたい大学があるならそこの赤本も買うといいでしょう。
を読んでください。
医学部と書いてありますが、普遍的な勉強法が書かれてありますので、これを参考にしてください。実際僕もこれで成績を伸ばしました。
僕の高専時代には青チャートをやりたがる連中は多かったです。好みでやればいいですが、黄チャートで十分です。
素人が大学入試の解答を見ると、「そんなテクニック思いつくか!」
となるものが多いですが、黄チャートをやると当たり前の解法であることがわかります。
高専に通いながらだと、効率よくやってもせいぜい1日2~3題でしょう。一通りやるだけで1年半かかると思ってください。
基本書も「高専の数学」で十分。苦手分野があればその分野について「~が面白いほどわかる本」でカバーしましょう。
これだけやれば大学受験は安泰です。2次試験も標準的な良問を出す大学を選びましょう。神戸大学とかの総合系に多いです。
数学ができるかどうかで高学年の専門科目の大変さは倍違います。受験しなくても無駄にはなりません。
まずは高校の標準的な英文法を学びましょう。自分が使ったのは市村憲太郎「シンプル英語構文とイディオム」です。
解説を読んで、簡単に問題を解き、見出しの例文だけを覚えればいいでしょう。後半の熟語集は別の本でやればいいので飛ばします。
これは長期休暇に集中的にやれば2週間でできます。
あとは「速読英単語 必修編」「速読英熟語」を①の通りに音読します。この時点でセンター8割は楽勝です。
さらに「ネクステージ」で文法力を固めて、「英作文のトレーニング-はじめて編-」の前半を読んで英作文のコツを学び
「減点されない英作文」例題と基本構文、単語をマスターすれば、これも大学受験はかなり安泰です。
英作文はz会を利用するかlang-8で英作しまくって格安添削を受けましょう。
大学受験とはいえ「速単」「速熟」「ネクステ」を終えた時点でTOEIC600点は堅いと思います。
僕は「速単」「速熟」をやった後すぐにCASECを受験したところ、TOEIC換算600点の判定が出ました。(TOEIC自体はうけてません><)
話がずれるので言及しませんが、大学受験がこなせないのに実用英語をものにしようとするのは無茶苦茶です。
4.意気込みは良くても
実際、上記の参考書は高専にいても役立つものなんですが、これをこなすのはメンタル的にも時間的にも至難の業です。
結局あなたが大学受験をするにしても、理系に進むなら素直に編入学をすることを勧めます。
工学部以外に行くにしても、はるかに勉強量が少なくて済みます。
「でも、みんなチャラチャラしてるし、なんか焦る!」
そういう人は比べる対象が間違っています。確かに高専でも40人中10位以下の連中は間違いなく頭が悪いか勉強不足です。
ですが上位5位、3位くらいになるとどうですか?この人たちは結構真面目にやっている上にびっくりするような点数を取っていませんか?
はっきり言って普通高校に通っても立派な成績を収める人たちだと思います。
働きアリの話は有名ですが、進学校に通っても大体こういう分布になります。
こういう上位陣をいい意味でライバル視して、他の連中は目指すものが違う人たちと思って頑張ると少し見る世界が変わりますよ。
(いやな奴にはならないでくださいね)
そして勉強に遊びに一生懸命になれれば、後で振り返っても良い5年間になるはずです。
とりあえずこんなところでしょうか?
質問や思いつくところがあればまた追記します。
ノーベル賞受賞者から、日本の教育システム、特に理系はそれほど悪いものではないという話が出ている。
会見の冒頭。「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本の教育だった、というわけだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
鈴木 私の考えでは、我田引水ではないんですが、日本のいわゆるサイエンス、ケミストリーだけでなくて、日本の理科系、工学系も含めてですが、レベルは非常に高いと思います。そういうレベルを今後も続けていかないといけない。
http://www.asahi.com/national/update/1007/TKY201010070004_01.html
ところがこれが気にくわない人が多いようで、問答無用でトンデモ扱いしている人が多いようだ。ブクマとか見ると非難囂々だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
どうしてみんな意地でも、日本の教育システム、なかんずく大学がそれほど悪いものではないことを認めたくないのだろう。
大学受験を人格破壊的な詰め込み勉強だと思っているのだろうか。しかし大学受験はそれほど極端に難しいものではない。高校の教科書が理解できていれば東大だろうがどこでも通れる(文句のある奴は、たとえば自分が高校の数学の教科書の公式を全部その場で証明できるか考えてみろ。できないということはちゃんと理解できてないということだ)。競争試験の形を取っていても、事実上は資格試験である。その程度のことができない奴は最高学府(東大という意味ではなく大学という意味だ)で「学問」を学ぶのに本来は値しないのである。「大学」に入るということはそういうことだと認識しておけ(何?昔はともあれ今は違うだと?俺が受験したのは高々十年前なんだが。少子化がさらに深刻化した現代の受験が当時よりも難しいとは絶対に言わせない)。
そもそも、高校球児をはじめとするスポーツエリートがどれだけ退屈な基礎トレをしていることか、芸術の道を志す人がどれだけ退屈な練習課題をこなしていることか(稀にこれを回避できてしまう人もいるが、一流の人の間でも多いとは言えない)、そのことを考えたら、学問の道を志す人間が一年やそこら退屈な問題集に取り組むぐらいのなにが不満なんだ?
だいたい、お前らがマンセーしているアメリカの大学の学部教育の本質は詰め込み教育だ。早い話、アメリカの大学の教科書(特に理工系科目)を見てみるがよい。演習問題の量の多さに驚くはずだ。要は、アメリカ人は高校までがぬるいために、勉強の要領がつかめていないから、チャート式まがいの勉強を大学でやるハメになるのだ。要は、基礎の詰め込みはどこかでやる必要があって、避けては通れないのだ。そういう「不都合な真実」から逃げるんじゃないよ。
ああ?なんだと?受験で覚えたことなど役に立たない?それはお前が「ボクは知識を生活に役立てる術を知りません」と自白してるようなものだ。たとえば経済一つ取っても、高校レベルの国数英理社の知識がなければろくに理解できないのは当然ではないか。
そもそも、知識というのは持っているだけで人生が楽しくなるはずのものだ。お前らはアニメやゲームやITに関する知識を溜め込むことは大好きなのに、自然や社会や人間に関する知識を溜め込むことは無益だというのか?それはただの偏見だ。
勿論、日本に何の問題もないわけではない。米国のみならず、世界各国(特に東アジアと欧米)の教育制度には見習うべき点が多いし、特に全体として英米の大学(欧米とは言わない。率直に言って、欧州大陸の大学が日本の大学に比べて優れているとは全く思えない)は日本に比べて実績が総じて多いのは確かだ(ただしノーベル賞の数で比べないように。文学賞のことを考えればわかるが、結局誰がもらえるかはコネで決まる部分も多いからだ)。しかし、メジャーリーグの前では日本のプロ野球に価値がないとはいえないように、日本の大学にもそれなりの価値があるのだ。そして、何でもメジャーの猿真似をしては逆に日本野球の良さ(イチローはその極致であろう)が損なわれる部分もあるように、敢えて言葉の壁に立ち向かってまで英米で学ぶことは日本で学ぶことに比べてあらゆる意味で優れているなどということはないのだ。そのことは事実としてもっと知ってもらいたいものだ。
だいたいアンチ学歴のお前らは、日本の大学を散々馬鹿にする割にはハーヴァードやスタンフォードは無条件でマンセーしているようだが、そういう「ハーヴァード>>>>>東大」とかいうお前らの脳内図式は「東大>>>>>早稲田」とかいう学歴厨と何が違うんだ?お前らはどっちも「虎の威を借る狐」でしかないんだよ。
学歴で飯が食えないなんてことは高学歴者自身が一番知ってるよ。むしろお前らみたいに、大学名を名乗っただけで血圧を上げる奴を日頃から相手にしてるからこそ、そんなやつらは実力でねじ伏せられるだけのものは持っておこうとそれなりのことはしてるよ。TOEICとかTOEFLをマンセーしているお前らなんかよりも、よっぽど「試験で測れるものと測れないもの」は理解していて、試験で測れないところまで含めた総合的な実力を育もうとしてるよ。「高学歴者」と「学歴至上主義者」は違うんだよ。それは「白人」と「白人至上主義者」が違うようなものだ。敵を間違えて誤爆するのはやめてくれ。
ちなみに平日のこんな時間に書いているが学生ではない。広義のIT方面の研究開発をしている技術者(「エンジニア」とは名乗りたくない。「邦楽」が「日本の伝統音楽」からいつの間にか「J-POP」の意味になってしまったように、「エンジニア」はいつの間にか「コーダーやSE」の意味になってしまった)だ。今日は年休充当日だ。
日本の大学を出ても使えないだの理系はコミュ力がないだの草食系男子は人間力が低いだの、何もわかってない馬鹿どもに頭ごなしに見下されるのはもううんざりだよ。
さて、昼飯がてら近所のマクドにでも行って昨日ダウンロードした論文でも読んでくるかね。
ブコメへ。
s-tomo 「学問の道を志す人間」が5割も居るわけ無いのに5割進学してたら、そりゃ平均値はダメ学生になるだろうよ!! 2010/10/08
「平均値」の話ではなくて、ノーベル賞が視野に入ってくるような人間、つまり研究者志望の人間の話をしてるんだと思ったんだが?ちなみに、日本の大学進学率は先進国の中で極端に高いわけではない。
Kou_RYU 日本, 教育, 科学 でも受験地獄で得られる学力って受験で多く得点を取るスキルであって、基礎学力や応用力と得る事とは別な気もしないでもない…。 2010/10/08
それは勉強の仕方が間違ってるだけですね。逆に、案外こういう世界は急がば回れで、基礎学力や応用力(どう違うのかようわからんが)を得ることを最優先に勉強してれば点数は取れて余りありますよ。ただ、「得点を取るスキル」は馬鹿にしたもんじゃないですよ。学問の世界ではともかく、ビジネスの世界では意外なほど役に立ちます。早い話、点数のために物事を最適化するのと、金のために物事を最適化するのは発想が非常によく似てるんですね。正直、自分の会社の人間がみんなもっと「得点を取るスキル」みたいなものを持ってくれたらいろんなことが要領よく回るのになあって私自身いつも思いますね。
ngsw 詰め込みで問題なのは、精神的にいい悪いはおいといて、各家庭の経済力に左右されて機会均等がなされないことでしょうね。公的な義務教育だけでまかなえる詰め込みなら全然ありだと思う、お得感ある。 2010/10/09
いや、逆に米国みたいに課外活動が大学進学時に問われてしまう方がもっと格差が広がりますよ。金のかかるスポーツ・文化活動で何らかの入賞歴みたいなのがあるかってのが加点項目になってしまうわけだから。むしろ詰め込みは比較的安上がりな教育方法ですよ。その気になれば独学だってできますから。ただそれでも色々な要因で経済格差が学歴格差を再生産してしまうことはあるわけですが。あとその筋で言うならば、日本の場合は国公立大学の学費が異様に高いのが問題だと思います。
ahyask 認識がずれてないかな.それほどダメではないとパーフェクトではないは対立しない.否定的な人たちは,よそのよいところとここのわるいところだけを見て最高のシステムを夢想しているだけだと思うけど 2010/10/09
ただそういう「夢想」の過程で、「ここ」のシステムで育った人間に「わるいところ」が全部押しつけられてスケープゴートにされてしまうのが問題なのですよ。例えば一時の官僚バッシングやオウムの時は「東大が悪い」ということにされていました。現実にはノンキャリア官僚にも問題があったわけだし、オウムの場合も低学歴の信者も沢山いて、たまたま高学歴の信者が知識を利用されただけなわけです。そしてそういうときには必ず「西洋のエリートにはノブレス・オブリッジという思想がある」云々と聞かされたわけですが、実際その「西洋のエリート」がリーマン・クライシスを引き起こしているわけです。要は本当は五十歩百歩なわけなんですけどね。
jack_oo_lantern 理系は知らないけど、歴史学の私は、ゼミの一番最初の授業で高校まででやった歴史は全部忘れろと言われたけど・・・。 2010/10/09
それは理系も同じです(特に数学)。高校までで習ったことはないものとして講義を進められるのが普通です。ただし、「一旦忘れる」ということは「知識がない」こととは似て非なるものであって、例えば中学生に大学の講義をいきなり聴かせれば大多数が脱落するのが自明です。要するに「全部忘れろ」というのは「知っていることを知らないものとして先入観なしに新しい考え方を学べ」ということであって、「今までの勉強は無駄であり、知っている必要はない」ということとは全然違いますよ。
sabro 教育 でも詰め込み勉強は一番大事な学ぶことへのモチベーションを破壊するよね。自発的にやれば本来面白いはずの知識の習得に関しておっくうになってしまい、一度いいポストについてしまえば勉強しなくなったりする 2010/10/09
厳しいことを言えば、そこでモチベーションを破壊されてしまう人はそれまでの人だと思うし、逆にそれだからこそ割り切ってやらなければいけないんです。走り込みや筋トレに飽きてしまうスポーツ少年に才能があるといえますか?それに、白紙からはじめて一つの分野の基礎知識を一通り身につけるというスキルは大学受験だけに留まる物ではなく、一生使えるものですよ。昔学んだことの蓄積だけで生きていけることは多くないのですから。
olive-cafe 匿名, 釣り 自分の意見に自信があるなら、匿名じゃないとこで書けばいいのにね。 2010/10/09
そういうあなたも匿名で発言されてますね。私ははてなのidが筆名に相当するほど立派な物とは思っていませんし、匿名ダイアリーもブログも五十歩百歩だという認識です。あしからず。
junglejungle 日本より受験戦争がひどい韓国や中国のノーベル賞受賞者数はいくつだったっけか。たしか平和賞1つづつだけだよね。 2010/10/09
受験期の詰め込みというのは一つの要因でしかありませんからね。それに、中国からは優秀な研究者は沢山輩出されてますよ。古くは陳省身とか楊振寧とか(Chern類とかYang-Mills理論といえばピンと来る人もいるはず)、現代でも優れた論文の著者が中国人ということは多いです。韓国は確かに私の周辺では存在感がありませんが、理由はわかりません。
cepheid 「社会で求められる平均的な素養」のうち受験勉強で埋められるのはごくわずかという点が問題。研究者なんてある意味学校の延長なんだから学校での詰め込みが役に立って当然だろ。何言ってんだか。 2010/10/09
「受験が天才をスポイルする」みたいな社会通念があったと思いますが、それが「当然」誤りだと思ってもらえているなら結構。ところで、あなたの「社会で求められる平均的な素養」って何ですか?コミュニケーション能力だとか人間力だとか下らないことを言わないで下さいよ。
junya_asa 教育, 勉強, 増田 筋トレの話が出ているけど、それをやるのは必要であることがハッキリしており、それがそのまま結果に直結するからでは。勉強だとその部分が非常に見えにくく分かりづらいから、だからどうしたって回避したくなる。 2010/10/09
大学に行くということは、法律や経済や文学や自然科学といった学問を学ぶことで、それらを学ぶ基礎として高校レベルの勉強が必要なのは自明ではないですか?それを勉強したことがどう生きるかわからないのだとしたら、それは「大学に行く意味がわからない」というもっと根本的な問題ではないかと。
SyncHack 雑談 英語教育とかは嘆いていい。難解なクイズと化していてコミュになっていない。答えが分かっている問題はお得意のエリート様だが答えの無い問題に対して解く方法を持ち合わせていない木偶が多い気はするがね。 2010/10/09
それはなんでもそんなもんです。例えば音大生なんかで難しい練習曲は弾ける癖にまともな曲を弾かせてみると素人以下に無味乾燥な演奏しかできない人は結構います。しかしだからといって素人の方が演奏解釈が音大生より総じて優れているというと言いすぎです。そもそも解釈というのは技術を持っていることで触発されてくる面もあるのですから。そして世の中で一番多いのは、答えがわかっている問題も答えがない問題もろくに解けない人種です。
torinosito 増田 「それほど悪いものであることを認めたくないのだろう。」がどうしても気になる。全体の内容からすると、×ある ○ない ではないだろうか 2010/10/09
指摘ありがとうございます。直しました。
kimihito 大学, 海外 受験に関しては同意見。学歴コンプに関しては賛同できない。コンプがあるからやってけてる部分が私はあるので。コンプレックスを跳ね返すために地道な作業を繰り返していきたい。 2010/10/09
勿論そういう方もいるかとは思いますが、八つ当たりだけはしないで下さいね。親の敵のように何かといえば「高学歴人間が悪い」と私怨をぶつけてこられる方(たとえば某有名ブロガーとか)がいるので辟易してるんですよ。
rzio 人に『「虎の威を借る狐」でしかない』って言ってるけど、冒頭のノーベル賞受賞者の引用はなに? 2010/10/09
答えを言うなら「単なる釣り」。気にくわないならそこを読み飛ばしてごらん。まったく論旨に影響がないことがわかるはずだから。
tokoroten999 言いたいことわかるけどさー、マクドで論文読んでる姿をさー、塾通いしてる小中学生が見てさー、「勉強ばっかしてるとあーなっちゅうんだぜ」って言われて反論できるー? 2010/10/10
意味不明。反論する必要などどこにもないよ。俺は自分のやりたい生活をして満足してるんだから。「あーなる」ことの何がいかんのか知らんが、それが気に食わん人間は自分が同じことをやらなきゃいいだけじゃないの?
repunit 教育 高学歴者でも数学の公式の証明はやらんと思う。ていうかこの人が学歴コンプそのものな気がしてきた。あとコミュ力を軽視しすぎ。学び合いとか聞いたことない? 2010/10/11
「思う」ってひどい憶測ですね。これは実体験として言えますが、「高学歴」でそれができない奴はただの落ちこぼれです。文系とか生物系とかならまあ許してもらえるかもしれませんがね。私が学歴コンプかどうかの判断はお任せしますが、そもそも高校や大学は「コミュ力」を養成するところではありませんのでお門違いとしか言いようがありません。あと、「学び合い」とか教師の世界のスラングを普遍的なものだと思いこむのはやめた方がいいですよ。
Amazon.co.jp: 理科系の作文技術 (中公新書 (624)): 木下 是雄: 本
Amazon.co.jp: 考える技術・書く技術 (講談社現代新書 327): 板坂 元: 本
上の本読んでみて!
某大学の6年生なんだが、今更ながら『勉強することができる奴、これ最強』ということに気付いた。
勉強ができる、ということは、自分の能力を状況に応じてカスタマイズしていくことができる、ということだ。
高校までの勉強は基礎教養であること以上に、勉強する力を身につけることに意味がある。数学が出来て将来何の役に立つんですか?という中二の問いには、数学は君の生活を支えている大切な学問だ、という答えよりも、数学が出来るようになる過程で勉強の仕方を身につけることが必要なんだ、という答えの方が適切だろう。前者は理科系の素養を持つ中二にしか響かないが、後者はより一般的な答えとなりうるからである。
『勉強をするスキル』がこの過程で身に付いていれば、向き不向きはあるにしてもほとんどどんな職業にも就くことが出来るだろう。また、環境の変化にも強くなれる。環境が変化してもそれに応じて必要なことを勉強すればいいだけの話なのだから。しかし『勉強をするスキル』が身に付いていなかったら?単調労働等の誰にでも出来る仕事しか出来ないだろうし、環境の変化に対応することも難しいだろう。
そしてこのスキルは、若いうちから身につけるのが一番お得であり効率もいい。というより多分、若いうちに習慣づけておかないとどうしようもない。小中高の宿題を9割以上踏み倒した奴が大学生になって、たとえ単位や留年がかかっていてもいきなりレポートをしっかり提出できるようになるわけがないのだ(体験談)。
この文章を高校生までの若年層が読むかどうかは分からないが、もし読んでいたらどうか心に留めておいてほしい。
『勉強することができる奴、これ最強』
しかし勉強の出来不出来で人を分類する方法ってよく考えついたなー、と思う。社会の役割分担としての適材適所がかなりの程度自発的に(創発的に?)行われるからだ。教育の大切さというのは一人の人間を育てるための大切さだけでなく、社会全体を上手く回すための大切さでもあるのだ。
あとこんなこと書いたけど、勉強の出来不出来で決まるのはあくまで社会の中での自分の立ち位置であり、幸せな人生をおくれるかどうかはまた別問題だよ。だからもしかしたら本当に大切なのは、『勉強をするスキル』よりも『どんな勉強をするのか、またはしないのか』を見極めることかもしれんね。
=end
論理的な文章を書くための基本的な参考文献(俺セレクト)
どれも割と古典的かな。最近の本はあまり知らないのでオススメがあったら補足をお願いします。
大事なのは、結論を先に書くということだと思う。
結論に至る過程や詳細な説明は後回しにする。
そうすれば、文章が冗長になった場合、単に後ろを削れば良いし、
全部読む時間のない読者は頭の方だけを読めば済むようになる。
結論を先に書くためには、何が結論なのかをはっきり把握していなければならないけれど、
直接アドバイスすることも難しくないと思う。
論理的な文章は、ただ漫然と文が連なっているのではなくて、構造がしっかり考えられている。
根っこ(結論)があって、そこから後ろへ枝葉(詳細・説明)が伸びているような感じ。
遅レスでスマソ。
確かにC言語とかJavaを完全に理解していてもそれだけでLinuxやGoogleが作れる訳じゃないもんなあ。
世の中のニーズを取材して、どうハードウェア(世間)を叩いて動かすか勉強して、どんなライセンス(媒体)でリリース(発表)するか選択する、とか色々。当然協力者もかき集めないといけないし。
文章を読むのだって「読解力」なんて一括りにできないに決まってる。
スポーツ関連の文章を読むときは体育の経験が必要だし、動物や生物の文章を読むときは理科の知識が少しは必要になる。
(逆に、そういう前提条件を取っ払った上で読める文章を書けるかどうか、というのは作者の側の責任)
文章を読んだり書いたりすることは、本当は「国語」なんて一教科に任せきれないところがあるのかもしれない。
生徒の「読解力」を否定するのはつまり生徒の全人間性を否定する部分があって、
ぶっちゃけ「お前は人の気持ちが分からない奴だッ!!」と頭ごなしに罵倒するのに近い気がする。
そんなことして教師は責任取れるのか、と言われれば多分取れない。
取れないけど他に良い方法も浮かばないのでやってる。というところなんだろうか。
文学鑑賞は拙く教えるほかないかもしれないけど、
小論文を突破できない点は論理的な文章の読み書きを訓練すればどうにかなりそうな気がする。
小中を振り返って、ロジカルな文章の読み書きなんてロクに教わった覚えがない。
(もう十年くらい昔の話なので今は改善されてるかもしれないが)
高校を出た頃にようやく「理科系の作文技術」(アメリカ云々の元ネタ)とかを自分で読んで、
文章とはこうやって書くものだったのか! とかなりびっくりしてしまった……。
なんでこれを日本の中学はやらねーんだチクショー、授業料返せ! とか思ったよ。
結局自分で読みまくって書きまくって身に付けるほかないのよね……と諦めたら負けだと教育者の方々は思ってるか。(汗)
ところでこの話、オレとしては遠い昔に2chの学校板でした議論の蒸し返し+発展形なんだけど、あんたってまさかあんときのアンタじゃないよね?
2chには出入りしていないので別人だな。(汗)
暇なので蔵書を持ってこい、と言われるのだが、以下のような条件に当てはまるモノはもう持って行ってしまった。困った。
なんで、夢枕獏の陰陽師シリーズとかドキュメンタリでメタルカラーの時代とか人の死なないミステリとか宮部みゆきの時代物とか経済学の啓蒙書とか科学の啓蒙書とか持ってってたら好評だったのだが手持ちがつきた。困った。
で俺の勝手な都合で
ってのがあるから、ほんと困った。
部屋にあるミステリって謀殺ばっかじゃん気むずかしいSFが山と積んであるじゃんあとはライトノベル(高感度ユーザー様向け系)だし。「理科系の作文技術」とか「プログラマの数学」とか持ってってもダメだし。「ザ・ゴール」もダメだろうなあ。
難しいよ…
そうだって云いましたよね、「俺ルール」だって。押し付けてるんだって。
最初はお互いの俺ルールを出さないと、相手がどんな俺ルール持ってるのかわからないじゃないですか?
あ、ここで云う「お互いの俺ルールを出す」ってのは、「"俺ルールを提示する"俺ルール」ではないですよ。…ややこしいですねw
「正解があると思ってる」訳ではないんですよ。そうも云ってないですし。また乱文長文で面倒くさいんで、「そんな感じです」ってはしょっちゃったんですけどね。
それにそんなん云ったら、世界中の哲学者(哲学学者もいっぱいいますけど)に怒られますってw
そうそうそう、と隠れ高専卒がうなずくよ。
毎年、3年でやめて(高卒と同等とみなされる)大学受験する人がいるけど、必ずいわれるのが「1年間みっちり英語をやらないと受からない」
同様に5年で卒業して技科大に編入は出来るけど、一般大学へ編入しようと思うと英語がネックで、そう簡単に入れないらしい。
その代わり数学や物理はみっちりやる。おかげで理科が好きな俺も嫌いになりかけたw
でも、そういう数学や物理も熱力水力材力その他もろもろで使いまくるから、「これいったい何に使うんだよ?」とはならず、それがよかった。なんというか、有用性を知ったというか、意味あるんだなと実感できた。
しかし、当時も薄々気は付いていたのだが、本当に偏ってるよな。文系科目は当然のごとく少ないのに加え、数学は統計とか行列はあまりやらずに微積ばっかりだったし、理科系も物理ばっかりで生物なしで化学もベンゼン環が出て終わりだったし。でも、うちは体育あった。
体育祭はあるし、マラソン大会だけじゃなく、夏は海で遠泳、冬はスキー合宿がある。おかげで、運動音痴で小中と泳げなかった俺もそれなりに泳げるようになったし、スキーも曲がれるようにはなった。
万遍ない知識とか、考える力を育てるとか、そういうのはわかるけれど、でも凡人は暗記して詰め込まないと進めない先があるし、それで意味のわかることもある。広い視野も必要だけど、一極集中で何かを学ぶ、行うってのもそれはそれで大事なんだということを、高専という卒業すれば就職な、自由でぬるい場所だからこそ学べた気がする。中高ではそういうのはやっぱり無理なのかな。
と、書いているうちに教育話になったけど、懐かしいので残す。
http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070128/1169983264
これ
私は彼(彼女かも知れないけど)の言っていることはもっともだと思う。
こどもが「どうして勉強しなきゃいけないの?」って聞いてくるとき、それはつまり「お前の教え方は意味がわからない、どうしてそれをするのかわからない」って言ってるってことと同義だ。
これも本当にそうだと思う。
自分の事を考えてみるに、小学校の頃は勉強が好きだった。というか好きとか嫌いとか考えたことがなかった。ホントに。まさに「好きとか嫌いとか最初にいいだしたのは誰なのかしら」状態だった。
それが中学にあがったらとたんに国語と英語を嫌いだと思うようになった。でも逆に数学、社会、理科は好きだった。
単にお前は理系なんだろ、って指摘は実際そうなんだけどちょっと違うと思う。
私は別に理科系の教科に素養があるわけではなく、単にこの時に好きだったからそのまま理系になっただけだと思う。
要するにこの中学の時に英語と国語と社会が好きで、数学と理科が嫌いだったら文系になってただろう。
で、何故国語と英語が嫌いになったのかというと単純に面白くないから。
私は小さいときから本が好きで、今も好きだけど、国語の勉強は何のためにするのかさっぱりわからなかった。今ではうわべだけの勉強する理由なら言えそうだけど本心では今でも中学の国語の勉強は何のためなのかわかってない。
特に長文読解というのがわけわからん。
「下線部の『それ』の指すものを文中から10文字以内で書きなさい」
とか
「この時の主人公の気持ちを30字以内で要約しなさい」
とかなんなんだ!と言ってやりたくなる。著者をばかにしてるのか、勝手に人の書いたものに意味を後付けするな!と思ってました。そして今でも思ってます。
で、そういう風に思うようになって、中学校の授業としての国語を嫌いになった原因はきっと「先生の言っていることは意味がわからんし何でそんなことをしなきゃいけないのかわからん」ってことで、頭で引用したこの人のいう事がまんま当てはまると思う。
じゃあお前のほんのちょっとだけ思ったことってなんだよ。
って言うと、彼は自分が先生(塾の講師?)だからだと思うけど、自分の視点でしか書いてないところなんですよね。
彼(彼女かも)は自分が先生(子供の目から見ればね)だから、結論が
すべきことは自分の教え方を反省することだ。
こうなっているけど、実際の世界で「どうして勉強しなきゃいけないの?」って聞かれるのはそれを教えている先生ではないと思う。
例えば数学で因数分解がわからないとして、その数学の先生に「何で因数分解なんてやんなきゃなんないの?それが社会にでて何の役に立つの?」と聞くかというと決してそんなことは無いと思う。そりゃまぁよっぽど話しやすい先生だったらいうかもしれんが。
実際には話しやすい先生や、兄弟、そして圧倒的に親に対して話すんだと思う。
だから実際に教え方が悪くて生徒を勉強嫌いにさせている先生はそんなことは知らない(だって面と向かって言われてないから)し、子供からその話しを聞いた人がその先生に対して「あなたの教え方は悪い、だから生徒は迷惑している。あなたは教え方を反省すべきだ!」なんていう事もないと思う。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
と聞かれたときに本当にあなたがするべきことは、彼らの言うことに理解を示し、大変さをわかってあげることだと思う。
彼らは単に自分の話を聞いて欲しいだけだ。それに彼らだって勉強をしなきゃいけないことぐらいわかっている。
だけどわかっていても授業を聞いていて意味不明で、理解できないからこそ話しやすいあなたに対して言うんだ、こんなのなんになるの?って。
それに対する行動はあなたも知っていると思うけれど、大抵は愚かしい行動を犯す。それは
「因数分解?そんなの簡単だ。いいか、まず・・・・」
と、聞かれてもいないのに教えだしたり
「勉強すればいい学校に入っていい会社に就職して楽な人生をうんたらかんたら」
「いいから勉強しなさい!」
と怒ったり。
こんな風にされた子供はどう思うだろうか、もちろんますますその勉強が嫌いになるだけだ。
あなたがパソコンも触ったことなく就職して、文書の作成を依頼されたとする。近くの席にいた先輩社員がパソコンの使い方を教えてくれました。でも当然1回くらい何か聞いたぐらいじゃよくわかりません。
あなたは
そう言いました。
それに対して
A「パソコンも使えないのかよ、使えねーな」
B「簡単だよ、いいかい、まずはここをクリックするとWordが開くからこのアイコンをうんたらかんたら・・・」
C「難しいよね、僕も最初に触ったときは全然わからないで頭にきたよ」
とA~Cの3人がそれぞれ言ったらあなたはA,B、Cのどれに好感をもつだろう。当然Cだと思う。それはあなたが大変な思いをしているのにA,Bの2人は自分の話しかしてないからだ。
大人であるあなただってAやBみたいな事を言われたら傷つくのに子供に対しては案外普通に使ってしまっている。子供はその一言で傷つき、2度と勉強なんてするもんかと思うだろう。
だからまずやることは理解を示すことだ。
「そうか、そんなに難しいことをやっているのか」
そう言うだけだ。そして次にわかっているところを褒めて、はげましてやるだけだ。
分数の割り算が出来なくて、あなたに
「分数の割り算なんて将来なんの必要があるんだよ」
といわれたらあなたが答えるべき言葉はこうだ
「えっ!分数の割り算なんて難しいことをもうやっているのかい!それは難しいことをやっているなぁ、大変だね。でも君は分数の足し算なら出来るんだろ?じゃあ割り算だってすぐに出来るさ、足すか割るかの違いしかないんだから」
これを言っても子供は
「そんな簡単な話しじゃないんだよ??」
とか言うかもしれない。そしたら
「そうなのかい?どう違うのか教えてくれないかな」
とでも言えばいい。
まとめると子供が「どうして勉強しなきゃいけないの?」と聞いてきたら(本当はそれに限らず何でもだけど)、まず彼らの話を真面目に聴く、そして次に彼らの大変さを理解して共感する、最後に出来ている部分を褒めてはげます。