某大学の6年生なんだが、今更ながら『勉強することができる奴、これ最強』ということに気付いた。
勉強ができる、ということは、自分の能力を状況に応じてカスタマイズしていくことができる、ということだ。
高校までの勉強は基礎教養であること以上に、勉強する力を身につけることに意味がある。数学が出来て将来何の役に立つんですか?という中二の問いには、数学は君の生活を支えている大切な学問だ、という答えよりも、数学が出来るようになる過程で勉強の仕方を身につけることが必要なんだ、という答えの方が適切だろう。前者は理科系の素養を持つ中二にしか響かないが、後者はより一般的な答えとなりうるからである。
『勉強をするスキル』がこの過程で身に付いていれば、向き不向きはあるにしてもほとんどどんな職業にも就くことが出来るだろう。また、環境の変化にも強くなれる。環境が変化してもそれに応じて必要なことを勉強すればいいだけの話なのだから。しかし『勉強をするスキル』が身に付いていなかったら?単調労働等の誰にでも出来る仕事しか出来ないだろうし、環境の変化に対応することも難しいだろう。
そしてこのスキルは、若いうちから身につけるのが一番お得であり効率もいい。というより多分、若いうちに習慣づけておかないとどうしようもない。小中高の宿題を9割以上踏み倒した奴が大学生になって、たとえ単位や留年がかかっていてもいきなりレポートをしっかり提出できるようになるわけがないのだ(体験談)。
この文章を高校生までの若年層が読むかどうかは分からないが、もし読んでいたらどうか心に留めておいてほしい。
『勉強することができる奴、これ最強』
しかし勉強の出来不出来で人を分類する方法ってよく考えついたなー、と思う。社会の役割分担としての適材適所がかなりの程度自発的に(創発的に?)行われるからだ。教育の大切さというのは一人の人間を育てるための大切さだけでなく、社会全体を上手く回すための大切さでもあるのだ。
あとこんなこと書いたけど、勉強の出来不出来で決まるのはあくまで社会の中での自分の立ち位置であり、幸せな人生をおくれるかどうかはまた別問題だよ。だからもしかしたら本当に大切なのは、『勉強をするスキル』よりも『どんな勉強をするのか、またはしないのか』を見極めることかもしれんね。
=end
待て! そもそも何で6年生なんだ!医学部?????
体験談、とかあるんだから留年したんだろ。