はてなキーワード: 放射線とは
元の大学教員の文章は確かにうかつではあったが、特におかしいところはないように思う。
その行為は科学的に無害だとしても、長期間繰り返しても無害か?
との記述に問題があると指摘されている。そもそも放射線障害に関する話が前提なのは明らかであって、ここでは主に短期的に生じる確定的影響と長期的に生じうる確率的影響の話を下敷きに、世間的に科学的といわれていることは確定的な影響がほとんどだと思われるのでこのような書き方になったのであろう。というか、一定の素養があればそういうふうに読む人のほうが多いだろう。
話が逸れるが、ある自然科学の分野で誰でもいいが著名な人の話を聞いたことがあるだろうか?確かに明晰な話し方をする人もいるが、個人的には自然科学における業績と話の明瞭さは比例しているわけではないと思う。
最後に列挙されている点も同じで、いずれも生体濃縮や代謝などによって未確認の害が出ないとは言い切れないという当たり前のことを言っているだけだ。おそらく広く代謝に関する研究をしている人じゃないですかね?
原発・放射能が安全と主張するのは特に理科や科学の先生に多かった。
義務教育のときは、放射能を正しく理解しようという授業があって放射能は安全ですって結論でレポートを書かないとケチつけられたなあ。
「風評被害」「放射能がうつるは差別」みたいな道徳教育から始まって放射能は安全ってことにしたがる先生もいた。
大学でも外部講師が「放射能は安全なんです」と熱弁する授業があった。
日本人として、広島と長崎に原爆を落としたアメリカに対して「ふざけんなよ」という気持ちはもちろんある。
が、
・日本軍が先に開発に成功していたら間違いなく使っていただろうな、それも2発どころではなく。
・原爆資料館展示物がいかに凄惨かよく語られるが、通常兵器と比べてどれほどひどいと言えるのか?
・無論、のちのちまで残る放射線の影響や黒い雨、圧倒的な殺傷範囲などの特殊性はわかる。
・しかし通常兵器でも地獄のような苦しみを味わい、のたうち回って死んでいった人はいくらでもいるだろう。
・侵略国である日本がやたらと被害者ムーブだけ取るのはなんだかな。
・人類を死滅に至らしめる核戦争なんて最悪だし核廃絶できるならそれに越したことはないのだが。
・核の傘。
みたいなことがごちゃまぜになって「なんとも言えねぇ」ってなってしまう。
原爆死没者は「汚れなき小羊の燔祭」であり、
ということになるのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E7%87%94%E7%A5%AD%E8%AA%AC
もちろん、福島で「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。」「マスク不要、外遊びOK、セシウム摂取も全く問題なし」「私が死ぬ頃には県民の皆様の命の責任はとれませんが、私達は国が定めた基準に従う義務があるのです。結果がわかるころには私は死んでいます。」と暴言を連発したあの山下だ。
原子力の問題が出たときには、昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護報告書の最後の一文を述べるようにしています。原子力という科学の光、力を利用してより良い世界を作って行くべきだ、ということを彼はその当時既に書いているのです。
初期研修中に、チューブを気道ではなく食道へ入れかける、扁桃膿瘍の排膿で子供の喉を穴だらけ血だらけにした上で排膿はできず、消毒をプロポフォールと間違えそうになる、CT操作室の鍵を持ったまま帰り旅行に行く、をやらかした。
紆余曲折を経て放射線科医となり、放射線診断の道に進み医局やがんセンターで勤務。現在は病院を辞め、医療機器メーカーにて画像診断AIの開発に携わっている。
元々循環器外科医を目指していた。放射線の道に進む時は乗り気でない上に勉強も生半可ではなく大変で苦痛だった。
やりたくない仕事でもやっているうちに面白さややりがいに気がつく時もある。皮膚科や放射線と異なり、技官や特に基礎は誰もが話を頂けるわけじゃない。一度「自分のやりたい道」を離れて「やってみろと言われた道」を歩んでみては?
原発の処理水の数値がどのくらいで、これは自然からの放射線レベルより低く、という話はわかる
ただし、その数値が改ざんなどなく信頼できるならば、だ
科学的に問題はない、という話をするとき、当然全てのデータが真実であるとする仮定、というか、前提が入る
我々はそういう発表は全部真実だと無邪気に信じているから、反対派を非科学的とあざけるのだろう
でも本当にそうか?
科学者が自らの知的好奇心探求のために発表するデータでさえ、ちょこちょこ恣意的な解釈が混じる
それなのに政治的な検査数値をどこまで信じられる?となると、韓国や中国の人は信じられないのだろう
結局、我々が科学的科学的と言って賢いつもりになっているけど、それだけでは身を守れない国で生まれ育った者は他者に都合のいい説明を妄信しないという癖がついていて、それはそれでひとつの賢さだよな、と思う
「私は頭が悪いので難しいことは分かりませんが、」って言い始めた人にイラッとして、「なら黙っててくださいよ」と言ってしまったことがある、桂歌丸です。
例えば、放射能や放射線はそれでご飯を食べてる人たちがずっと研究してて、その健康被害も専門の医者や生物学者が何年も調べ続けて、これくらいだったらこうなるから安全でしょうってコンセンサスを作って、さらに行政がそこからマージン3倍だ!とかして安全基準わ色んな資料やエビデンスで守りを固めて、「まあこれなら大丈夫ってことになってます」ってことをやってるのに、それも全部開かれた情報と議論の上で、
バカが自分で拾ってきた自分の都合のいい資料で、科学的っぽい議論をしてり気になって、辻褄が合わなくなると「何か隠してる」「利権だ」「本当に安全と言えるのか」「納得できない」「(ついでに)放射能は危険」と言い続ける謎の推進力は何か?
答え「隠されているものを暴きたいとゆう本能と功名心となんで言ってもわかんねえのかな。また同じこと言うぞ。です」
途中で飽きた
確率の話をしてるうえでの 「次」 ってなに?
5分前にはいけたのに、誰ならできたのに、いつならいけるのに、そこ通ったときにはなかったのに
科学的な価値を文学的になんらかの形で得ようと変形させたものが文化でいわゆる奇跡
針穴は糸を通すことができるというのが科学
針穴に糸を通せもするが、失敗も多いのが文学
針穴に糸がぜったいとおせるように運気をあげたり通し方の心得とか通せるようになる食生活とか規律とかお札とかが文化
運っていうのは結果なので逆にはならんのよ
でも運がいい人はずっと運がいいしあたりつづける
それはなぜだかわからない
放射線だって観測できているわけじゃなくて「通過してる何かがそこに発生しているからたぶんそれ」というだけで
実際には何が放射されてるのかなんてわからない
調弦理論だって数学的に考えうる最小値が局面的に切ってとりだしても横断的に他の式に組み入れてもかわらない長さであるという概念で実際それが何かはわかってない
それを理解するために言葉をつかったり想像をしたり組み合わせの試行ができるように文学を使う
そういうものがありがたいからお金を出そう支援をしようというのが文化
数字を列挙した時点か、紙に印刷した時点か、それとも数字を電子的に記録した時点か、場所か時間か、なにが確率を引き上げているのかわかればいいけどね
わかんないんですよ
じゃあ逆に確率が高いところを上げていくので、観測できる数があがりますよねと逆さまにしているのが「当選でました」なので
書いてないよりは当たるかもしれないし、あたりがでまくりでも書いてないところもあるかもしれないし、関係ないかもしれない
お店に書いてる張り紙でわかるのは、そんなところまでって程度だよ
腹痛の原因はピンからキリまであります。軽くて一般的なものでいうと、便秘や感染性腸炎など。重大なものであれば腹膜炎や血管閉塞、腹腔臓器の癌などでしょうか。
元増田さんの原因だった憩室炎は単品だったら中の下くらい、イレウスを起こしたなら中の上くらいですかね。
診察、検査は症状の原因が上記のどういうものなのかを推理するために行います。
まずは、高齢者の方が当然若者より重篤な疾患がある可能性、疾患が致命的になる確率が高いのでより診察に慎重になるのは当然です。
「おなかが痛い」って言われたときに、ヤバいことになってる可能性は若者より老人の方が高いですよね。
「経過を見ましょうか」となるのは、検査や診察では重大なことになっているのか、ただの腸炎とか便秘とか大したことない原因で自然に良くなる腹痛なのか、『その段階では』判断がつかないから。
点じゃなくて線で見るということです。これが一番のポイント。
たとえば腹痛で受診して、その時点でできる診察や検査(しないこともある)をした上で緊急性はないと判断した場合は経過を見て、3日後にまだ腹痛が続く、増悪しているといった場合にさらに詳しい検査や大きい病院への紹介を検討するというのがセオリーです。
クリニックレベルでできる検査は血液検査やレントゲン、エコーができたらかなり上出来といったところ、詳しい検査になると造影CTやMRIなど。
「今朝からおなか痛い」っていう人全員に造影CT取ってたらきりがないし、医療資源の無駄遣い。放射線被ばくとか造影剤の副作用もある。
「これをあちこちのクリニックや病院で繰り返した結果」とありますが、一回受診したクリニック、病院を継続して受診せず、毎回いろいろなところに行きませんでした?
どんな医者も、ワンポイントの診察ではその症状が前回と比べてどうなっているのかが判断できないので、どうしても線で見るためにまた後日、とせざるを得ません。
ワンポイントで判断できる状態になっているということは、すなわち病状が進行して症状や検査値が明らかに重大、おかしいことになっているということです。
元増田さんを診察した医師たちがどのくらいの力量だったかはわかりませんが、そういう事情もあるということをご理解いただきたいです。
病気を見抜けるかどうかは正直医者の力量もかなりあります。スーパードクターだったら症状が乏しい初診の段階でお腹を触っただけで憩室炎と見抜けるかもしれないし、ヤブだったら痛みでのたうち回ってても痛み止めを出して返すかもしれません。これに関しては完全に運です。