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はてなキーワード: 情報格差とは

2011-11-16

あんまり情弱」という言葉は好きじゃないんだけど、最近周りの人の話を聞いていると、的を得ている言葉なのかなと思う。

自分が思った以上に情報格差というのは広いのかなと。

2011-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20111105003744

まず前提条件として、ワードとエクセルを使えるというレベルがどのレベルを指すのかというのが問題ですね。

残念ながら日本の高校教育におけるPC授業は実務的なITスキルを学ぶ場としては機能していないといえる。

このソースから

http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/07/005/index.html

現在就職していない若者の7割がWord/Excelが使えないという調査結果を提示している、

無職若者が調査対象だが、情報格差が少ないと言われる都内かつ日本の高い高校進学率を考えても現在若者高等教育の場において十分なIT教育を受けていないと報告している。

次に文部省による教育機関における22年度情報通信機器・視聴覚教育設備等の状況調査

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1308647.htm

この統計には高校だけでなく全ての教育機関における統計なので部分抽出はされていないが

教育機関における情報弱者への救済が必要だと感じている施設が全体の8割を越えているという点

外部講師を招いての教師へのIT勉強会に関する制度の有効性について、

高校の部門だけで反対傾向の意見が30%程度存在するという事(お前ら出来ない癖に何を(ry

悪いが、親の世代が禄に知識が無いが子供がどんな教育を受けているか、どんなスキルレベルなのかも教師も含め把握していない

のが現状、最低限の資格を取るレベルまで教育する学校商業高校工業高校などの専門高か、ITスキルに関しての問題を適切に把握し、

それに対応しているほんの僅かな先進的な高校だけだといわざる終えない。

そういう私も、普通科高校でPCの授業を受けたことがあるが、適当に文書を打ち込んで印刷して終わりという内容だった。

タイピングの正しい位置も何も教えないので、数枚分のB4の用紙にスカスカの文章を打ち込むだけで授業が終わっていた。

企業が求めているWord/Excelが出来るというレベルが、文章・数値を打ち込んで印刷できるというものなら、国民の大多数はできるレベルなのかもしれないが…

2011-09-19

子宮頸がんワクチンについて危ないとか言われてるけど

つい先日、ワクチン接種後の死者が出ました。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110912-OYT1T00716.htm

僕も、死因は不整脈だと思います

心臓に持病がある人が、牛丼を食べて二日後に心肺停止発見されたとして、牛丼を疑うかって言ったら、うーん…という感じ。

ところで、ワクチン不要論者というのはかなりの数がいて、ネット界隈じゃあワクチン有用論者の数を大きく上回ります

牛乳悪玉論も似てます

論者の数イコール学説の正しさじゃ無いはずですが、そうやって判断する人って、意外と多いような気がします。

なんだか僕は、情報格差っていうものをここで感じちゃいました。

なぜ、騙されるのか?

情報弱者と呼ばれる人、要するに嘘情報に騙される人というのは次のような順番で情報を収集しているような気がします。

   身近な人が言っている>たくさんの人が言っている>有意差検定>信頼限界>標本の取り方

基礎知識がないままなにかを理解しようとすると、"誰の"言い分を信じるかって問題になるので、そうなるのは仕方ないもののような気がしますけど、

情報弱者

まともに情報を整理したかったらまったく逆です

   標本の取り方>信頼限界有意差検定>基礎知識>ソース

子宮頸がんワクチンは有効か?

さて、そもそも子宮頸がんワクチン子宮頸がんを防げるかは統計的に証明されたか

されてません

ガン化をみるかどうかには、10年以上にわたって追跡調査が必要ですし、調査してる段階でその前段階の兆候がみられたら治療しちゃうはずですし。

きちんとデータがあるのは、子宮頸がんワクチンをがヒトパピローマウイルス16,18(HPV16,18)が関与する異形成(前癌病変)を予防する効果についてです

世界的に見ればHPV16,18が関与してるとみられる子宮頸がん(ウイルス発見される癌)は子宮頸がんの70%で日本においては60%だそうです

このデータをもって日本ではこの型が少ないから効かないという風に論陣を張る不要論者もいますが…、

ぶっちゃけた話、相当に有効でしょ。

の子宮頸がん、日本でも年間に8500人診断されて、2000人ほど死者を出しているらしい。

早期診断も可能で、早期診断が出来れば治療も可能とのこと。

でも、

年間に8500人診断されて、2500人ほど死者を出してますよね?

異型細胞発見されたとか、そういう癌とも言い切れない診断含めたらどんだけいるのかと。

で、2000人死んでるとなると、単純に計算すると、余命3.4年じゃないですか。

不治の病の代表格のエイズと比べたって超怖い。

エイズ感染してから平均余命が30年超えてるんですから

累積死者数だって日本じゃまだ2000人達してないですよ。

で、話を戻しますけど、どんくらい有効か。

一番数の多いイギリスでのデータだと

HPV感染したことのない女性での臨床試験

ワクチン接種群でHPV16,18が関与する異形成がみられた人

      0/8487

ワクチン未接種群でHPV16,18が関与する異形成がみられた人

      53/8469

僕は、すっげーワクチンだと思いますけどね。

追記

筆をとったのは、下記のサイトをみてのこと

http://www.thinker-japan.com/hpv_vaccine.html

突っ込みどころは満載なんですが、一番衝撃的なのは

その後、みなさんの記憶にもまだ新しい2009年の新型インフルエンザ騒動は、日本人を含む科学者製薬会社と軍の生物研究所の共同プログラムによる人工ウイルスの製造と散布、またそれに続くワクチン接種を組み合わせた世界規模のバイオテロであることが明るみに出ました。(詳しくは、当サイト内の「新型インフルエンザワクチンは打ってはいけない・後半」参照)

過去にこうした数々の国際的な巨大医療詐欺を起こした製薬会社は、何もなかったかのように、現在企業活動をしています

陰謀論怖いっすね。

最後に、ちょっといいことも書いてあったのでついでに引用

以上の情報を、これまで慣れ親しんできた常識に基づいて処理するのではなく、冷静な理性のもとに吟味することが、各人にとって良い選択につながるものと考えます

2011-08-31

英語ってそんな限られた人にしか必要ないものだとは思えないんだけど

職場英語話すことは一切要求されないけど、最新の技術サービスのこと調べるのに英語読めないと話にならない。高校時代は英語赤点だったけど、社会人になってから必要に迫られて読んでいるうちに、読むだけならあまり困らなくなった。

ちなみに低学歴田舎の公立小中高卒。今は高校でもっと真面目に英語の授業うけて置くべきだったと後悔してる。ただ当時の英語の授業がいいものだったのかはわからないので、授業がダメと感じたら独学で英語勉強したい。田舎貧乏家庭だったので塾や習い事なんてありえなかったけど、こんなに英語が必要だと知って子供の頃の自分に戻れるなら、小学生から図書館に通うなりして勉強したい。

仕事Web サービス関係、データベースとか弄る。

まず言語ソフトウェアリファレンス英語オンリーなことが多い。日本語があっても誤訳が多かったり古いバージョン翻訳しかなかったり、WebサービスAPI仕様書英語しかなかったり。

流行ってるWebサービス技術英語圏から来る。Twitter だって 4sq だって過去グーグルラボにあった技術だってまず英語しかなかった。日本語サービス一年後なんて珍しくないし、サービスでさえそうなんだから技術関係の文書や仕様書英語しかないのがざら。何かトラブルあって解決法探したら日本語での情報は皆無で英語でならあるなんてしょっちゅうだし。

ちょっと方向性は違うけど、英語からって避けてると勿体無いネットゲームもある。当然そういう所でバグ報告や要望あげるには英語書けないといけない。知り合いには学校では全然ダメだったが UltimaOnlineEQMtG英語を覚えたってやつが結構いる。チャットはい英語全然ダメってところからネトゲ内の英会話に困らないくらいの英語力になる人がいるのが実践面白いところ。

このネット使えて当たり前の時代、日本語での情報量 <<<<<<<<<<<< 英語での情報量 なので、英語避けてると全ての情報量において損する。だから直接英語に関係ない仕事でも英語全くダメというのはそれだけ損する。

大げさにいえば情報格差最近の例でいえば、エジプト、今ならリビアの状況なんか英語圏メディアサイトではリアルタイム更新情報量もすごいのに、日本だと全然報道されねーとかよくある。大震災の時でさえ英語圏メディアの方が図とか写真とかすごくね?って事があったのは記憶に新しいと思う。

世の中には、英語からなくても困らないゲームでも UI英語なだけでプレイできない、インストールの途中で日本語選べるのに言語選択までが英語から怖くてインストールしない、仕事DropBox 使いましょうってなったのに英語から使えないとダダこねる、英語だけのサイトに飛ばされたら何かいてるかわからいから全部危険サイトに見えてすぐブラウザ閉じるので仕事に必要なソフトウェアSourceForge から DL してくれない、なんていう人が本当にいる。

そんな格差を最低限作らないための英語教育は必要だと思います

http://anond.hatelabo.jp/20110831064251

2011-07-03

生きる意味?生きる目的人生のコンセプトって?

※おことわり

少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。

単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。

けれどこれは、自分の考えを誰かに押し付けものでもない。

ただ、自分意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…

と、どこかで期待しているのも否定しない。

重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。

自身はすでに就職先の決定など、人生における比較重要な選択を終え、

どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。

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俺は哲学者でも何でもないけれど、自分キャリアを考えているうちに、

進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを

ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。

いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。

人生において全体を貫く統一的な概念

もちろんそれは人生の経過とともに変化して良いものだが、

それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。

例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。

この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。

とは言うものの、たとえ論理的な説明ができなくても、

特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。

それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、

自分を納得させるためでもある。

さらに就職活動のみならず、この先まだ長い人生において、

自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。

そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。

迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。

一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。

いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、

少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。

キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。

キャリアイメージは、人生という名の線路のようなものだ。

線路は予め用意されている場合もあれば、自ら敷く場合もある。

自分自身は線路の上を走る車両

途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。

選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、

下手すると目的地が変わってしまったりする。

これは普段気づきにくいことだが、

そのうち手段が目的と化してしまうことが多々ある。

目的地を目指して進んでいるはずの車両が、

つの間にか周りの景色を楽しむだけのものになる。

…という話をするとどうしても抽象的になるが、

要するに「キャリア」は歩んでいく人生そのものだ。

働く、趣味に没頭する、結婚する、家庭を築く…

いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。

少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか

自分キャリアにおける選択はこれで正しかったのか、

改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、

間違っていなかったことを証明たかったという方が正確かもしれない。

自分が納得のいくための説明をするためには、

論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。

論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。

帰納的な論理思考は、なぜ?の繰り返しである

しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。

行き当たるのだ。それは時に、哲学的な問いである。

なぜ、生きるのか―。

千差万別の答えが得られそうだが、

俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。

生物学的にも進化論的にもきちんと説明できる。

そのために、男も女もモテようと努力する。

さらに子や孫、あるいはその世代が

よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。

では、どう生きるか―。

これもまた、十人十色の答えがあるだろう。

俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。

加速度的に複雑化する高度文明社会

情報をはじめモノやヒトの流通量は爆発的に増大し、

あらゆるものが高速度化、自動化、多様化、細分化している。

そんな変化の多い時代、

社会環境にうまく適応できた人間が生き残る。

子孫を繁栄させることができる。

少し横道に逸れるが、キリンの話を。

首の長いキリンは、進化過程でそうなった。

厳密に言うとキリン努力によってそうなったわけではなく、

遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境適応した。

これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物

しかし、エサとなる草木にも限りがある。

そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。

キリンはその長い首を生かして、

他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。

これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。

それで今日に至るまでキリンは子孫を繁栄させたのである

繰り返しになるがとどのつまり

環境適応できる者が生き残るということだ。

さて、首の長いキリン場合は長い長い生物進化過程

おそらく遺伝子突然変異によって生まれた。

それが、当時の環境にうまく適応していた。

しかし、今の人間が生きる環境は、自ら作りだしたものである

文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。

すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、

単に自然環境に対する適応ではなく、

加速度的に変化するこの社会環境への適応ということになる。

すごく簡単な言葉に置き換えると、

時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。

その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。

現在自分が置かれている状況を整理した上で、

社会環境を分析、さらに今後の変化を想定しなくてはならない。

…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人

ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。

先にも触れたように加速度的に変化する複雑な高度文明社会

したがって「変化に適応(柔軟に対応)できる人」が、

現在社会環境適応しやすい人と思われる。

例えば、今やどんな大企業もいつ倒産するか分からない時代。

リストラされても自分で食っていけるかが大切だということ。

また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。

情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。

高度文明社会から少しずつ回帰する現象が始まるかも。

そんな中では、人としてのコミュニケーション能力重要

人の生命を支える農業などの一次産業にも焦点が集まる。

外へ外へと出ていく時代から地方が重視される時代に。

そんな時代の社会環境適応的に生きるには?

その答えはなんとなく、ぼんやりとあるけど、

これからもう少し時間をかけて詰めていきたいと思う。

さて、これまで長ーく書き連ねたけど、

つまるところ、幸せに生きたいなあと思うわけです

自分ももちろんだけど、自分の周りにいる人も、

もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、

みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。

それで、自分にとって何が幸せかを考えた。

結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。

そこから導いたのが上のような考え。

今の社会環境適応的に生きられたら、それは幸せだと思う。

もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。

力のある人は、社会の仕組みそのものをつくる。

それはすなわち、自らが適応しやすい環境をつくるということ。

そうするために、自分が出来ることはなんだろう?

これからも考えながら歩んでいこうと思う。

--------------------------

※おわりに

最後の方、ちょっと時間がなくて雑なまとめになってしまった。

超個人的なことだが、適応的な人間になるために、

それなりにやることやってきたのかな?と思う。

器用な人間になりたい、と思う。何でもできるゼネラリストに。

そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。

つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、

自分はそれよりも広さを追求しようと思う。

加速度的に変化する時代に、適応的な人間になるために。

2010-11-29

僕の地元ではiPadを扱っているお店がありません。

これって他の地域の方からすれば普通ことなんでしょうか? それともやはりありえない?

何しろ民放が二局しか映らないド田舎なんで…。

某大手家電量販店に行ったときに「iPadありますか?」と聞いたんですが、

「いやー、XX市(県庁所在地)の方の店舗ならあるんですけどねー」と言われました

一応大手の家電量販店は四店舗ほどあるのですが、全ての店舗iPadを扱っていませんでした。

何なんでしょうか。そういうものなんでしょうか。

ちなみに数年前、NHKで『グーグル革命の衝撃』という番組があって、大変楽しみにしていたのですが、

ちょうど同じ日にとある人物が県の県知事に選ばれたため、

グーグル革命の衝撃』はそのまんま県知事報道する地域特番へと変わり、放送されることはありませんでした。

こうして情報格差は進むのでしょうか。

2010-10-29

情報化社会における「学芸員」もしくは 「DJ」的存在重要性について

:::前説:::

ここ最近ネット界隈の著明な人の発言において「キュレーション」の重要性が語られるのをよく目にします。

それを読むたびに、とても共感していたのですがふと気がついたら、昔に自分メモして考えていた事と同じだと気づきました。

以下の文章を書いたのは2009年11月23日。ふふふ、これって俺が前から考えてた事じゃん!って自己満足もきっと入っていると思いますが、

自分で読み返してもあらためて、考える所があったので、始めてはてな匿名ダイアリーに投下してみます。

みなさんの、考えるきっかけになりましたら幸いです。

情報化社会インターネット社会)における「学芸員」もしくは「DJ(ディスクジョッキー)」的存在重要性について

情報化社会と言われて久しい今日社会状況において

近年のインターネットの普及に伴って、

個人が触れることの出来る情報の総量は指数関数的増加の一途を辿っている。

この事は「世界フラット化」あるいは「情報格差の是正」という言葉で語られる事もあり、

基本的にはそれぞれの個人レベル存在にとっては歓迎すべき事である。

しかしながら、現状のインターネットにおける

システム、あるいはインターフェイスが、

真の意味での情報化社会の完成された形態であるとは言えないのではないか。

それはつまりインターネットというシステムが本来持っている

潜在的なパフォーマンスを完全に活かしきれていないという事である。

インターネットを生かし切れない具体的な一例としては、

情報過多」とい事が、まずあげられる。

社会存在する情報量が多すぎる為に、本来必要とする(ユーザーにとって価値のある)

 情報を見分ける事が難しくなっている事。

この事柄の解決策として飛躍的な進歩を遂げたのが

いわゆる「検索システム」である。

初期のYahoo!によるカテゴライズ検索から

現在検索システムの主流といってよいGoogleの独自のアルゴリズムによる検索システムである。

特にGoogleによる検索システムの登場はインターネットの活用という面において

非常に大きな恩恵ユーザーに対して与える結果となった。

その優秀なアルゴリズムによって、ユーザーが求める情報に対する

検索の精度・効率は飛躍的に向上したのである。

ではこのGoogleによる検索システムの登場によって、

インターネットの潜在的なパフォーマンスは完全に引き出されたのだろうか?

答えは『否』である。では現状で足りていない要素とは一体何であろうか?

まず検索システムが持っている基本的な特性として

ユーザーの能動的な行動」を必要とする点があげられる。

能動的でないユーザーに対してより効率的に情報提供する方法はないか?

(これまでのマスメディアによる一方的な手段でなく)

☆そこで必要になってくるのではないかと思われる新たな情報収集・提供システムの候補が、

学芸員』あるいは『DJ』的位置づけの存在、あるいはシステムである。

学芸員とは美術館などにおける専門的職員の事で欧米などでは

キュレーター」などとも呼ばれる。

学芸員に求められる役割は第一に、

各分野における専門知識をもって対象の管理監督を行う事であり、

第二に持ちえた専門知識を元に普及・教育に努める事である。

情報化社会での役割として考える場合、特に重要になってくるのは、

第二の役割の「専門知識を基にした情報の普及・教育」という点である。

つまりある事柄における専門家とそれ以外の人々を橋渡しする役割である。

例えば美術館での学芸員の役割を考えた場合

まず美術自体を実践する「美術家」「芸術家」が存在する。

彼らは美術における専門家であると同時に美術自体の実践者、生産者でもある。

一方で美術館に訪れる「非・美術実践者」は

それぞれの職業や専門分野、あるいは生活を行っており、

当然その生活時間の全てを美術にあてている訳ではない。

それゆえ、生活時間のほぼ全てを美術にあてている専門家(つまり美術家芸術家

生産物情報)を100%理解する事は不可能である。

しかしながら、専門家(この場合美術家)が生産したモノや情報の持つ

価値を享受する為にはある程度の専門知識を必要とする。

その際に必要となるのが両者の中間に位置する「学芸員」である。

学芸員美術専門家ではあるが、実践者・生産者ではない。

しかしながら、その専門知識を持って、美術の専門知識を持たない人間に対して、

本来の情報を分析・咀嚼して、専門家でなくとも理解できる(その価値を享受できる)

形にして提供するという非常に重要な役割を持っている。

「非・美術専門家」達はその気になれば(能動的意思を持てば)、

自ら専門書や、インターネットを使用して専門知識を得ることも可能であるが、

能動的意思の有無や、時間的制約からそれを完全に実行するのは難しい。

そこで学芸員(中間的位置づけのシステム)を間に挟む事により、

より効率的に、より短時間で対象の情報を得、理解し、その情報やモノの価値を享受する事が可能になるのだ。

この学芸員的な役割・システムこそ、

現在情報過多なインターネット社会において

必要とされている事ではないだろうか。

これからの広告(あるいは別の名称)的手法というものは、

従来の考え方とはまったく別のシステムに変わっていくであろう。

(あるいは変わるべきである)

つまり従来の広告システムとは、販売主体が多大な広告販促費用を計上し、

マスメディア等を介して「企業の一方的な利益に順ずる形」で

消費者ユーザー市民 に商品の情報提供強要してきた。

デメリット

企業広告費に多大な費用を計上する必要がある

企業利益に繋がる偏った情報社会に溢れさせる。

この従来の「広告」という考え方自体を

「完全な情報の共有」というシステムに組み込んでしまえば、

わざわざ広告という費用マーケティングを考える必要はなくなるのではないか?

つまり、ユーザーが求める情報を完全にフラットに、効率よく提供・共有するシステムがあれば、

企業はいかに価値のある製品をつくるか?という本来の役割だけに集中できるのではないだろうか?

そもそもある集団の利益の為に押し付けられ、時に改変された情報流通させる、

広告」という概念自体がスマートでないし、旧時代的な、非・フラットな考え方ではないだろうか?

2010-08-05

電子書籍出版を延命させるか?

書籍CDといったパッケージメディアは、その技術的な側面においては、役目を終えている。

あらゆるメディアは、情報格差お金に換えるシステムである。情報格差には、知識レベルと理解レベルの2種類があり、広く薄くお金を集めるには、知識レベル格差を強調するという手法が取られてきた。

知っているか否かを問題にするという手法であり、知らない事は恥ずかしい事であるとする事で、大衆情報格差存在認識させ、それを埋める為にお金を使わせるというのが、基本的な構造である。この構造は二つの欠陥を持っていた。

一つは、インターネットという知識の巨大な蓄積の存在によって、知識そのものは、検索によって引き出せるモノでしかなく、検索できるかどうかという環境の保有と維持こそが、知識レベル格差お金に換える手法となってしまったという点にある。インターネットへの接続環境提供するISPや、携帯電話会社が、それまでのパッケージメディア産業の売り上げを、根こそぎ奪い取っていったのである。

もう一つは、出版や放送には資本が必要であり、製品化の為の資本がかけられているという事が、知識や情報品質保証していたが、この保証方法では、資本がかけられてさえすれば、知識や情報には価値があるという、価値の逆転現象が発生していた。そうしなければ、巨大な資本運用できない状態であったし、競争相手がいなければそれで問題なかったが、インターネット以後は、記録によって、資本がかけられている事と知識や情報品質の間には、相関が無い事が判明してしまった。資本を出す側の都合によって、知識や情報品質捏造されていたのである。

インターネットの実現は、情報流通経路の変化だけでなく、出版社という既存資本の信頼性の欠落まで、表面化させてしまったのである。

消費者パッケージメディアを不要と判断し、支出を削っているのは、そのお金インターネット接続費に宛てられている事と、既存メディアに対する不信の表出なのである。

電子出版は、既存メディアインターネットに取り込もうという話であるが、そのスキームは、携帯電話会社ISPによる顧客囲い込む競争の一部でしかない状態にある。コンテンツを取り込むという行為でしかなく、媒体価値情報価値や知識の権威を決めるという発想である限り、権威や影響力を失った旧媒体が、新媒体に、熟柿が落ちるように取り込まれて消滅する手続きでしかない。

継続的に質の高い情報を発信するのに必要な経済的なバックボーンを、どのように確保するか」という観点ではないという点に、関係者の思惑が出ているのであった。

インターネット以後の情報格差とは、「理解」レベルとなる。格差の正体は知識量ではなく智慧であり、事実の確認ではなく、それらからどのような結論と対策を出せるかである。

電子書籍ビジネスは、知識量が格差であった時代には、情報を囲い込んだ上で木戸銭を取る詐欺同然の商売が成立したが、それが通用しなくなっているという事を、改めて確認する変化であり、同時に、旧来のメディアに止めを刺す変化となるであろう。

2010-07-20

真実を知る金持ちはガンでも死なない…か?

http://www.nikaidou.com/archives/4102


 ちょっと薬関係に関わった経験からいうと「死ぬこともある」。

 白い巨塔の財前教授みたいに、肝臓まで行っちゃったあげくリンパまで転移してたらさすがに生存率は低いと思われる。

 金をもってても、良い医者にあたらなければどうしようもない。財前教授はどっちももっててもダメだったけど。

 リステリン6もそうだけれど、日本医薬品認可というのは欧米に10年遅れて認可されるのは事実だ。

 これもまあ、お役所仕事の典型みたいな話で、慎重に慎重に審査を重ねてやっと大丈夫と思われるであろうたぶんおそらくきっと、とこの冗長な文章ほどに長い時間をかけて、認可しても自分責任にはならないなーと確認してから認可している。まあ、おかげで安心という面もあるのだけれど。

 自分の聞いた話では認可されてない新薬もらいにハワイまで行く羽目になってる人もいた。

 ただし、これも新薬情報を知らなかったらどうしようもない話で、ここらの情報収集は医者によってあたりはずれがかなり大きい。自分は持病持ちなのだが、医者変えるまで三年効きもしない薬をありがたがって使っていた。良い医者にあたるまで10人以上は変えたと思う。ちなみに自分年収120万のど貧乏人であったが、足をつかって稼げばかなり違ってくる。また足を使える程度に健康だったのも幸運だった。

 今の医者は街の診療所(ただし、医師は私の疾患について専門で、医師自身で勉強を続けている上に機材も最新鋭である)で、誤診したところは大病院という漫画みたいな話だった。


■ 情報を持っていないと金があってもどうしようもない。

■ 薬を認可する役人のあたりはずれがとても大きい(複数の案件を一人で抱えているので、重要度の低いと判断されたものは後回しにされる)

■ 保険システムとして薬を乱発したほうが儲かるので、「予防医学」という概念がとても薄い。


 ここらあたりの情報が錯綜し、情報と金を持っているもの及び地域格差なんかがからみ合って、金持ち勝利といいたいんだと思う。

 じゃあ貧乏人が病気と戦うにはどうしたらいいか。


■ とりあえず落ち着く。今病気でも健康でも、明日隕石が降ってきたら確実に死ぬし、交通事故にあっても死ぬ。パニック情報収集と判断の敵だ。

■ 目の前の箱を利用しまくる。とりあえず、大病院だからといって正しいとは限らない。自分の疾患を専門にしている学会を探し出し、その学会に属している医師に診断をうけたほうがいい。ただし、今掛かっている医師の診断には必ず従うこと。勝手に投薬・診察を打ち切らない

■ 同じ病気の人と合う。患者会があればそこに入る。入ってくる情報の量が格段に違う。励ましあうことで心理的にもかなりちがってくる。

■ 信じるのは西洋医学のみにすること。とかく病気になると心が弱くなってホメオパシーだの民間療法だのにも手がでるが、薬効があるなら製薬会社が儲け口をほうっとくはずがない。彼らの持っている薬より効き目があって云々とはよく聞くが、製薬会社の開発した薬より民間療法が効くなら、莫大な金と陰謀を駆使して民間療法弾圧するより製薬会社はとっくにその薬の特許を買いにでているであろう。

■ 健康なうちに保険には入っておく。…自分場合は手遅れだったが。


 この状況はなんとかならんのかと考えてみた。

■ まず薬価を下げる。いくらなんでもとりすぎだ。法律利益率をあるていど抑えるとかしてもいいはず。薬価の利益医師看護師給与報酬に当てれば診療報酬目当てに薬乱発ということも避けられる。

■ 医師看護師講習会を設け、医師病院による情報格差を是正する。可能であれば担当局の職員も講習を受ける。

■ 疾病ごとの専門医を簡単に調べられるようにする。遠方であれば旅費も保険負担できるようにする。

■ 薬・新治療法の認可については役人だけでなく医師もいれて役人の負担を減らし、スムーズに認可を行えるようにする。


 とりあえずこれくらいしか思いつかなかった。乱文乱筆、長文についてはご容赦ください。

2010-04-21

規制が煽る不正コピー

海外発の漫画スキャンhttp://shirouto.seesaa.net/article/146955836.html)とか、

中国AV事情http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100419/enn1004191629010-n2.htm)とか、

思うのは正規品さえ流通していればコピーに手を出さなかった人もいただろうってこと。

これはたとえば日本テレビ番組でも起こっている。

地方テレビ局では放送されないアニメが、youtubeニコニコ動画にアップされていれば地方アニメファンは見てしまう。

コピー違法だ、DVDが出てから買ってくれ」なんて制作者側の主張はわからなくはないけれど、インターネットで全国の人間が繋がれるこの時代に、住んでいる地方によって意図的に情報格差を作るようなテレビ業界の対応は、地方アニメファンに言わせれば「ふざけるな」だろう。

不正コピーという行為自体に過剰反応して、ユーザーの利便性を奪ってはいないだろうか。

一昔前、音楽の分野では、パソコンコピーどころか再生もできないCCCDというコピーガードCD存在したが、一家に一台パソコンが普及しiPodのような携帯音楽プレーヤーが爆発的にヒットするような時代の流れに合わず、CCCDで作られた音楽CDは次第にユーザーから敬遠される結果となった。

パソコン携帯音楽プレーヤー音楽を聴くための手段を、CDからのコピー以外にネットでのダウンロード販売という形で提供したアップルiTunes Storeアメリカ音楽販売の25%のシェアを獲得し現在も売上は伸び続けている。ユーザーとしては、苦労して不正コピーを入手するより、iTunes Storeから数回ボタンを押すだけで買えた方がはるかに便利だからだ。

規制をしてユーザーに不便を強いては、本来なら正規品を欲しいと思っているユーザーをも不正コピーへと向かわせてしまう。

不正コピーを悪意のあるユーザーによる犯罪と攻撃的になる前に、善良なユーザー悲鳴と理解して、そこにビジネスチャンスが隠れているのだと考えた方がいいと思うだが。


なんてね。

2010-01-31

iPadで拡大する日米の情報格差 日本出版業界音楽業界の失敗を繰り返そうとしているようだ

ttp://news4vip.livedoor.biz/archives/51474123.html

645 レーザー(東京都) 2010/01/31(日) 11:47:55.02 ID:gkrScnDK

携帯向けの電子ブックで一番売れてるのはエロ漫画

部屋に置きたくないモノから売れる

2009-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20090609012114

本来は「情報格差における弱者」、つまりITが使えない高齢者

情報通信インフラが未整備な地方に住む人々を指す言葉で、

煽り耐性が低い人」みたいな意味ではないだろ。

2009-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20090417150313

ただし、女の言う痴漢被害が事実であるかどうかは別問題だし

(童貞処女じゃないと虚勢を張る奴だって大勢いるのに)

この発想が割と男性的。

痴漢の被害にあうっていうのは恥ずかしいことなので虚勢を張るとかいうのとは対極。

男に対して痴漢被害にあった話をしない女が多いのは、その話をすることでその体験自体をズリネタにされるんじゃないか(いわゆるセカンドレイプ)と思うからだよ。

殴られたとか引ったくりにあったとかいう話を聞いて性的に興奮する男はそんないないだろうけど、痴漢とかレイプの被害はAVジャンルとして存在するぐらい、性的に消費されるのが一般的なネタだよね。

女性の意思を無視して性行為を強要するのは許されないという判断の前に、性的に消費して愉しまれるケースがほとんどじゃないかと女は疑っている。男が痴漢とかレイプを本当にいけないことだとは思ってないんじゃないかという不信感があるんだよ。

だから女は男には被害経験を語らない。

故に女の間では痴漢被害に日常的にあうなんてことは常識中の常識だけど、男にはその被害がほとんど知らされなくてこれだけの情報格差ができてるんだろうね。

2009-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20090330000648

この先どうなるか、でなく、その時々の「流行」に従って報道が展開するということは、つまりマスコミは「愚民」しか相手にしていないということであり、それで何を目指しているかというと「国益」などでは無論無く、要するに単に自社の利益でしかない。愚民の皆様が不安に駆られてせいぜい新聞読んだりTV見て騒いだりしてくれればいいや、という。

そもそも民主主義国家におけるジャーナリズムが「国益」のために機能するのは、それが主権者である国民政府の間の情報格差を可能な限り小さくし、政権選択において国民が全体として誤らないようにする点においてである。それ以外のあらゆる行為は国益に適わない。特に、多くの馬鹿マスコミがよかれと信じてやってる世論操作などは、上の定義における「国益」からは最も遠ざかる行為。

その意味では、この国で比較的その『ジャーナリズム』に近い働きをしてたのは検察だったりしたわけだが、ホリエモン逮捕あたりからどうやらそれも疑わしいものになってきているみたいだ。

2009-01-28

再びツールの紹介です

以下、http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/f09cc165a4b61395eba1144a96c5ec07#comment-listコメント欄より転載

再びツールの紹介です。 (waka V)

2009-01-28 00:55:05

戸井田先生ならびに皆様、お疲れ様です。

「行動する会」の皆様に負けないように私もがんばらなくちゃ。(あまり大したこと出来ないかも知れないけど^^;)

周知活動をコツコツやってます。いろいろと当たって砕けているうちに成功率が高くなってきている感じがあります^^

さてさて、今回はツールのご紹介をば。(^^)

というのも、以前に動画DVDに焼き付ける話をここで書きましたが、結構時間がかかる上に、PC初心者では厳しいものがあるかなあと思って方法を考えておりました。

結論として、「後は焼くだけ」にすればいいんだ!と気がつき、ここにご紹介をさせていただきます

その前に…。

youtubeニコ動アップロードされている動画を(私なりに)厳選して詰め込みました。

制作者の方々にはこの場をお借りして、御礼を申し上げます。

問題がある場合には、削除させていただきます

内容としては。

・恐ろしい国籍法改悪案!河野太郎公明党民主党を絶対に許さない!

http://jp.youtube.com/watch?v=pC0fImgoY9g

・党首は不動産王!小沢一郎衆院議員の豪華マンション一挙世界初公開(報道メディアを考える会)

http://jp.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU

・どうして報道されない?! 道路財源の聖域 「白鳥大橋」(報道メディアを考える会)

http://jp.youtube.com/watch?v=c7bkq94A_34

安倍政権崩壊の真実

http://www.nicovideo.jp/watch/nm4946352

マンガで覚える人権擁護法案言論弾圧法案)

http://jp.youtube.com/watch?v=sKjmpCYSA7I

人権擁護法案に反対する(神)議員たち

http://jp.youtube.com/watch?v=Jcm0i9BuvQk

民主党沖縄ビジョン

http://jp.youtube.com/watch?v=nSLAx2iZj9w

・2008/12/4 国籍法改正案採択 参議院法務委員会

http://jp.youtube.com/watch?v=4KatVxgOBnc

・2008/12/4参院法務委員会問題部分(解析コメント付き)

http://jp.youtube.com/watch?v=y_jAWLAADaE

これらを盛り込みました。

さて、皆様に用意していただくものは…。

・今回製作アップロードさせていただきましたイメージファイル「up00167.iso

ダウンロード先(※約1GBありますです…。PC,HDDに余裕のない方は厳しいかも…)

http://blacon.ddo.jp/uploader/up00167/   ダウンロードパスワード「jimin」

DVDが焼けるパソコン

・空のDVD-R

・かんべ最終版(焼きこみソフト

http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se315454.html

かんべの使い方。

これをダウンロードして解凍します。解凍したら「kanbe.exe」をダブルクリックで起動します。

「書き込み」をクリックしてisoファイルを指定して開始ボタンを押すだけです。

私はこの動画を見せることによって「こんなのもインターネットにあるのね」という導入部分で使用しました。

このDVDは作ったばかりですが、早速一人、これで「日本の現状」を教えることが出来ました。

ネットの無い人への情報格差穴埋め!ということで…。

説明が苦手な人には良いかもしれません。

皆様の活動の一助となれば幸いです。

私も地道にがんばってます。

戸井田先生ならびに皆様、まだまだ寒い日が続きますので、お体に気をつけてお過ごしくださいませ。

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081121213447

雇う側と雇われる側だと明らかに情報格差があると思うのだがどうか。

2008-11-13

anond:20081113181358

確かになー。大人にならなきゃなるめぇ。

彼が自信たっぷり正論的な愚痴を流してて、俺は立場上正論だけで通らない位置で切り盛りしている関係で、しかもその情報守秘義務のせいで彼には流せない。情報格差がある中で仕事せにゃならんから、この位置関係はどうにもならん。最善の解決ルートに載せられない問題もたくさんある。そんな中で、彼の意見を最大限尊重しつつも、こっちはバックの前提を崩さずにやってるんだ。だから些細な不満が出るくらいは理不尽なところもあるんだよね。正直言えば、そこは目を瞑っていてほしいところ。不満があるかとは思うけど、最大限慮ってはいるんで、なんとか頼む。としか言いようがないな。

だから、相手が鬱になってどうの、ってことはないない。むしろ俺が板挟みで鬱になるわw

俺は、人が何かに対して不満を持ち、不愉快に思っていることそれ自体は悪だとは思っていない。

不満を持ったとしたら、それを解消する方向へ行くのが良い不満。解決できない問題の前にたまる不満が鬱積して爆発するのは、なんとかして別の手段で解消しなければならない不満。不満の解決方法はいろいろあるけど、愚痴を書いたりこぼしたりしてガス抜きする方法もある。そのガス抜きを彼は公開の場でやってる。そして俺にそのガスがかかってる。まあ、役回りだと思うしかないか。はぁ。

2008-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20081109222815

オルグ調べちゃったw 勉強になった!

情報格差の面はちょっと心配だけど、

自分の経験上そういう「他人との齟齬」もいい経験だったと思うよ。

高校生のとき、参加しない人へ説得にあたらされて「他人とはこうも相容れないときがあるのか!」という学びを得た気がする。

我を通すことのエゴとかね。

文化祭に対して疑問に思う生徒は生徒で何か学びがあればいいなと思うけれど・・・

日本教育って最大多数の最大幸福、ってわけにはいかないのかね。

2008-09-05

本を見る、ブログを見る、ソースを見る。

たまに感じるんだけれど、

例えば、数人でググってたとする。ズラズラズラっと出てきてクリックしてページが開く。

あー違うな、と思って戻ると、「え、ちょっと待ってよ見せてよ読んでないよ」とか言われる。

逆に、えーと、なんて見てると「いやそれ関係ないよ戻れば?」とか言われる。

なんて事がある。他にも読む速度やクリックする場所や。

例えば雑誌なんかもそう。

複数で見てると、いつまで同じ所見てるの?って事や、逆に、めくるの早い、って事や。

普通の本だと、複数人で同時に見ることなんてないけど、読むスピードは結構違う。

こういうのは、文章構成や配置、字体、記号や定型文に対する慣れ、パターン認識の差なのだと思う。

小説新聞を読まない人は、縦書き文章が読み辛く遅いとか、Web見ない人は、ブログの新着記事やカテゴリーまで一つ一つ見てしまったり

だから、本を読まない人は読まないし、Web見ない人は見ないんだよな。読みにくいから。

そうやって情報格差が広がるんだな、と思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080905042139

2008-06-30

加藤君に彼女

http://anond.hatelabo.jp/20080629212241

「ああいう非モテに、彼女が出来るように、国は何か策を講じるべき」がどうして、女性人権を無視して無理矢理彼女にするといった発想になるのだろうか。国や社会が何とか…という意見は見るけど、誰も国が強制力を使って云々などと論じていないと思う。(極一部の基地外を除く)

「あてがう」という表現に至っては増田が最初に使い始めたとしか思えんがwww

ま、言い方を変えて「喪男喪女でも自然に他者と接することができ、コミュニケーション弱者を作らないようにする方策」なら色々考えられる。それならば自然と異性との接触機会も増えるだろうし、問題は無いだろう。

社会人対象とした政策なら、コミュニケーション恋愛に注ぎこめるためのリソースお金とか余暇とか)を充分にするような政策がまず第一で、今のように若者薄給サービス残業にまみれた生活を送り、もしくは加藤みたいに派遣社員として搾取されているような中では生きていくのが精一杯だろう。学生対象とした政策なら、クラスでの大小さまざまなイジメ差別がはびこる状態を強制的な指導や警察力の介入で解決し、どんな容姿だろうが能力だろうがまず一人の人間として受け入れられる、という状態を作る事が先決。社会人の場合も学生の場合も、コミュニケーション能力の格差や情報格差を埋めるはまず最初の問題が解決してからだけど、方法としては結構あるんじゃないかと。

しかし、何というかこの文章、女性人権みたいなことを前面に出しているけど、隠している裏側の生理的嫌悪感が丸わかりで気持ち悪いよな。キモイって言いたいけどいい子ぶりたい?こういう裏表の激しい女が男を傷つけているのが加藤の乱の遠因だろうよ。

2008-02-28

あぁ・・・

2010年度末までに現行のBフレッツと同等のサービスエリアまで拡大する予定

NTT東西、NGNサービスの名称「フレッツ 光ネクスト」と料金案を公表

ますます情報格差社会に・・・住む土地のせいでこの仕打ちってのはやるせない。

2007-09-20

情報格差2.0

テレビ新聞をみる機会が強制的に激減されてド田舎過疎住民の知能が上る。

これも全ては御国の政策でもある地デジのせいなんだ。地デジは地方復興の切り札なんだ!!!!

テレビ新聞ばかり見てるとバカになる

らばQ : 情報格差──これから始まろうとしている本当の格差社会

今はネットがあります。ネットを見ていれば、新聞社が従来の取材では入手できないような情報も、自然と手に入るのです。

昔の人は「テレビ漫画ばかり見てるとバカになる」と言いました。今はこう言うべきでしょう。

テレビ新聞ばかり見てるとバカになる

2007-08-29

re^2:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

「re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった」を書いた増田です。

http://anond.hatelabo.jp/20070827232043

ブックマークが25も付くとは思ってませんでした。元記事のお陰で良い文章を読ませて頂きました。厚謝。

ただ反応を期待して本心ではあるのだけど強めに表現しました。ごめんなさい。

せっかくなので二点ほど訂正というか補足をしておきます。

まず、ぼくの田舎の当時の進学率については間違いありません。雰囲気もあの通りで、大学に進学するということはそれ相応の結果が出せるであろうひと、つまりは成績上位者に限られ、進学校へ進むべく事務手続きが行われていました。

これらをぼくが格差と考えているかと言えば、まったくそうではなく、ある意味合理的だとさえ思っています。http://anond.hatelabo.jp/20070828161450にも書かれていますが「地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない」は真実に近いと思います。田舎仕事をする限りには学歴重要とはなりませんし、ほとんどのひとびとは不満もなく生活しています。

それでも勉強したいと考える者にとっては大きな負担になっていることも確かです。奨学金は借りられるでしょうが、親の年収を見ている限り絶望的に高価な先行投資に感じるでしょう。

その意味で返還不要な奨学金制度は絶対に必要だと思います。政府が考えるべきなのでしょうが、優秀な人材を育てることは(育つかどうかは別にして)、国の利益になると思うのは飛躍しすぎかな。

二点目としては、ぼくは田舎に嫌気がさして東京に出てきています。運よく幾つかの会社を渡り歩き、そこそこの年収を稼いでいます。多分大卒と比較しても遜色ないでしょう。でも、ぼくくらいがこれだけやれるのだから遙かに優秀だった彼とか彼女とかが学ぶべきことを学べばいろいろと可能性があった気がします。単純にお金の問題や指摘されているように情報格差の面もあるでしょうが、日本という国はひとを育てるのがヘタだなと単純に考えたりもします。少なくとも「裕福でないと大学にいけないという幻想」が事実であれば中学くらいからアナウンスする必要があるでしょうね。

話題としては避けましたが大学にどのような価値を見いだすかは別に議論が必要でしょう。4年間遊べる場所…そんな訳はないと信じてますが(笑)

最後にトラックバックしてくださった方、ブックマークしてくださった方、ありがとうございました。はてな初心者なんですが、元記事の流れも割合冷静で勉強になりました。

2007-07-08

携帯電話若者のITリテラシー押し下げる

近年の携帯電話における多機能化、小型軽量化には目覚しいものがあり、最近では機能紹介に、ワンセグJavaアプリFlashFelicaなど、聞き慣れない言葉が並ぶ。ケータイの普及により若者の間にITが浸透し、ある種の文化を形成しているのは疑いの無いところである。しかし私は、その一方で、ITリテラシーの向上を阻害しているのもまた、携帯電話なのではないかと考えている。

携帯電話はその名の通り携帯端末に過ぎず、本来移動先や外出先でのちょっとした用途に特化した機器である(固定電話を代用している場合はこの限りではないが)。情報を収集、処理、表現する能力においては、ディスプレイの大きさ、ハードウェアの性能、拡張性など、あらゆる点において、PCを用いたそれに劣っている。ところが、今や小学生でも持っている程の普及を見た結果携帯電話メイン情報ツールとして使用する人が増えた。その需要に応える形で、ワンセグなどのPCに負けず劣らずな機能が、端末に具備されつつあるのが現状だ。少し前に情報格差を表す「デジタル・ディバイド」という言葉が有名になったが、今、この携帯電話で何でもかんでも済ませてしまおうという人々が増えている事が、新たな情報格差を生みつつあるのではないかと危惧している。携帯性の高さと通話機能を除けば、携帯電話にできてPCに出来ないこと、PCが劣っている点など無いのであるが、その逆は枚挙に暇が無い。通話に関しても、最近ではPC上でもマイクSkypeMSNメッセンジャなどのソフトを用いて無料で音声通話を楽しむことができる。Skype In/Outを使えば、有料だが、携帯電話固定電話へもPCから格安電話をかけることが出来る。

この情報社会においては、ITリテラシーの欠如は単位時間当たりの仕事量を著しく低下させる。同じ仕事PCではなく携帯で行えば、はるかに多くの時間とコストがかかるであろう。それは日々積み重なり、大きな格差を生む。それは娯楽においても、ビジネスにおいても同じである。ITリテラシーを高める工夫ができるかどうかは結局は個人の資質なのであると言ってしまえばそれまでだが、こうしたケータイ文化はその機会自体を奪ってしまっているような気がしてならない。携帯電話PCは時と場合に応じて使い分けるべきものなのであって、PCに近づけようと高機能を無理に搭載した所で、殆ど付加価値を生んでいないのが事実であろう。

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