はてなキーワード: 情報格差とは
まず前提条件として、ワードとエクセルを使えるというレベルがどのレベルを指すのかというのが問題ですね。
残念ながら日本の高校教育におけるPC授業は実務的なITスキルを学ぶ場としては機能していないといえる。
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/07/005/index.html
現在就職していない若者の7割がWord/Excelが使えないという調査結果を提示している、
無職の若者が調査対象だが、情報格差が少ないと言われる都内かつ日本の高い高校進学率を考えても現在の若者が高等教育の場において十分なIT教育を受けていないと報告している。
次に文部省による教育機関における22年度情報通信機器・視聴覚教育設備等の状況調査
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1308647.htm
この統計には高校だけでなく全ての教育機関における統計なので部分抽出はされていないが
教育機関における情報弱者への救済が必要だと感じている施設が全体の8割を越えているという点
外部講師を招いての教師へのIT勉強会に関する制度の有効性について、
高校の部門だけで反対傾向の意見が30%程度存在するという事(お前ら出来ない癖に何を(ry)
悪いが、親の世代が禄に知識が無いが子供がどんな教育を受けているか、どんなスキルレベルなのかも教師も含め把握していない
のが現状、最低限の資格を取るレベルまで教育する学校は商業高校や工業高校などの専門高か、ITスキルに関しての問題を適切に把握し、
それに対応しているほんの僅かな先進的な高校だけだといわざる終えない。
そういう私も、普通科高校でPCの授業を受けたことがあるが、適当に文書を打ち込んで印刷して終わりという内容だった。
タイピングの正しい位置も何も教えないので、数枚分のB4の用紙にスカスカの文章を打ち込むだけで授業が終わっていた。
企業が求めているWord/Excelが出来るというレベルが、文章・数値を打ち込んで印刷できるというものなら、国民の大多数はできるレベルなのかもしれないが…
つい先日、ワクチン接種後の死者が出ました。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110912-OYT1T00716.htm
心臓に持病がある人が、牛丼を食べて二日後に心肺停止で発見されたとして、牛丼を疑うかって言ったら、うーん…という感じ。
ところで、ワクチン不要論者というのはかなりの数がいて、ネット界隈じゃあワクチン有用論者の数を大きく上回ります。
論者の数イコール学説の正しさじゃ無いはずですが、そうやって判断する人って、意外と多いような気がします。
なんだか僕は、情報格差っていうものをここで感じちゃいました。
情報弱者と呼ばれる人、要するに嘘情報に騙される人というのは次のような順番で情報を収集しているような気がします。
身近な人が言っている>たくさんの人が言っている>有意差検定>信頼限界>標本の取り方
基礎知識がないままなにかを理解しようとすると、"誰の"言い分を信じるかって問題になるので、そうなるのは仕方ないもののような気がしますけど、
さて、そもそも子宮頸がんワクチンで子宮頸がんを防げるかは統計的に証明されたか?
されてません
ガン化をみるかどうかには、10年以上にわたって追跡調査が必要ですし、調査してる段階でその前段階の兆候がみられたら治療しちゃうはずですし。
きちんとデータがあるのは、子宮頸がんワクチンをがヒトパピローマウイルス16,18(HPV16,18)が関与する異形成(前癌病変)を予防する効果についてです。
世界的に見ればHPV16,18が関与してるとみられる子宮頸がん(ウイルスが発見される癌)は子宮頸がんの70%で日本においては60%だそうです。
このデータをもって日本ではこの型が少ないから効かないという風に論陣を張る不要論者もいますが…、
ぶっちゃけた話、相当に有効でしょ。
この子宮頸がん、日本でも年間に8500人診断されて、2000人ほど死者を出しているらしい。
早期診断も可能で、早期診断が出来れば治療も可能とのこと。
でも、
年間に8500人診断されて、2500人ほど死者を出してますよね?
異型細胞が発見されたとか、そういう癌とも言い切れない診断含めたらどんだけいるのかと。
で、2000人死んでるとなると、単純に計算すると、余命3.4年じゃないですか。
不治の病の代表格のエイズと比べたって超怖い。
で、話を戻しますけど、どんくらい有効か。
ワクチン接種群でHPV16,18が関与する異形成がみられた人
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ワクチン未接種群でHPV16,18が関与する異形成がみられた人
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追記
筆をとったのは、下記のサイトをみてのこと
http://www.thinker-japan.com/hpv_vaccine.html
その後、みなさんの記憶にもまだ新しい2009年の新型インフルエンザ騒動は、日本人を含む科学者と製薬会社と軍の生物研究所の共同プログラムによる人工ウイルスの製造と散布、またそれに続くワクチン接種を組み合わせた世界規模のバイオテロであることが明るみに出ました。(詳しくは、当サイト内の「新型インフルエンザワクチンは打ってはいけない・後半」参照)
陰謀論怖いっすね。
以上の情報を、これまで慣れ親しんできた常識に基づいて処理するのではなく、冷静な理性のもとに吟味することが、各人にとって良い選択につながるものと考えます。
職場で英語話すことは一切要求されないけど、最新の技術やサービスのこと調べるのに英語読めないと話にならない。高校時代は英語赤点だったけど、社会人になってから必要に迫られて読んでいるうちに、読むだけならあまり困らなくなった。
ちなみに低学歴。田舎の公立小中高卒。今は高校でもっと真面目に英語の授業うけて置くべきだったと後悔してる。ただ当時の英語の授業がいいものだったのかはわからないので、授業がダメと感じたら独学で英語を勉強したい。田舎の貧乏家庭だったので塾や習い事なんてありえなかったけど、こんなに英語が必要だと知って子供の頃の自分に戻れるなら、小学生から図書館に通うなりして勉強したい。
まず言語やソフトウェアのリファレンスが英語オンリーなことが多い。日本語があっても誤訳が多かったり古いバージョンの翻訳しかなかったり、Webサービスの API の仕様書は英語しかなかったり。
流行ってるWebサービスや技術が英語圏から来る。Twitter だって 4sq だって過去グーグルラボにあった技術だってまず英語しかなかった。日本語サービスは一年後なんて珍しくないし、サービスでさえそうなんだから、技術関係の文書や仕様書は英語しかないのがざら。何かトラブルあって解決法探したら日本語での情報は皆無で英語でならあるなんてしょっちゅうだし。
ちょっと方向性は違うけど、英語だからって避けてると勿体無いネットゲームもある。当然そういう所でバグ報告や要望あげるには英語書けないといけない。知り合いには学校では全然ダメだったが UltimaOnline や EQ や MtG で英語を覚えたってやつが結構いる。チャットとはいえ英語全然ダメってところからネトゲ内の英会話に困らないくらいの英語力になる人がいるのが実践の面白いところ。
このネット使えて当たり前の時代、日本語での情報量 <<<<<<<<<<<< 英語での情報量 なので、英語避けてると全ての情報量において損する。だから直接英語に関係ない仕事でも英語全くダメというのはそれだけ損する。
大げさにいえば情報格差。最近の例でいえば、エジプト、今ならリビアの状況なんか英語圏のメディアのサイトではリアルタイム更新で情報量もすごいのに、日本だと全然報道されねーとかよくある。大震災の時でさえ英語圏のメディアの方が図とか写真とかすごくね?って事があったのは記憶に新しいと思う。
世の中には、英語わからなくても困らないゲームでも UI が英語なだけでプレイできない、インストールの途中で日本語選べるのに言語選択までが英語だから怖くてインストールしない、仕事で DropBox 使いましょうってなったのに英語だから使えないとダダこねる、英語だけのサイトに飛ばされたら何かいてるかわからないから全部危険なサイトに見えてすぐブラウザ閉じるので仕事に必要なソフトウェアを SourceForge から DL してくれない、なんていう人が本当にいる。
※おことわり
少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。
単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。
ただ、自分の意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…
と、どこかで期待しているのも否定しない。
重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。
自身はすでに就職先の決定など、人生における比較的重要な選択を終え、
どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。
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俺は哲学者でも何でもないけれど、自分のキャリアを考えているうちに、
進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを
ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。
いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。
それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。
例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。
この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。
特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。
それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、
自分を納得させるためでもある。
自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。
そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。
迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。
一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。
いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、
少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。
「キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。
途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。
選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、
これは普段気づきにくいことだが、
…という話をするとどうしても抽象的になるが、
いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。
少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか…
改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、
間違っていなかったことを証明したかったという方が正確かもしれない。
自分が納得のいくための説明をするためには、
論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。
論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。
しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。
なぜ、生きるのか―。
千差万別の答えが得られそうだが、
俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。
さらに子や孫、あるいはその世代が
よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。
では、どう生きるか―。
これもまた、十人十色の答えがあるだろう。
俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。
そんな変化の多い時代、
子孫を繁栄させることができる。
少し横道に逸れるが、キリンの話を。
遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境に適応した。
これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物。
しかし、エサとなる草木にも限りがある。
そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。
キリンはその長い首を生かして、
他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。
これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。
繰り返しになるがとどのつまり、
文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。
すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、
すごく簡単な言葉に置き換えると、
時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。
その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。
…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人。
ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。
また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。
情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。
そんな中では、人としてのコミュニケーション能力が重要。
さて、これまで長ーく書き連ねたけど、
もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、
みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。
結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。
そこから導いたのが上のような考え。
もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。
そうするために、自分が出来ることはなんだろう?
これからも考えながら歩んでいこうと思う。
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※おわりに
それなりにやることやってきたのかな?と思う。
そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。
1つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、
自分はそれよりも広さを追求しようと思う。
これって他の地域の方からすれば普通のことなんでしょうか? それともやはりありえない?
某大手家電量販店に行ったときに「iPadありますか?」と聞いたんですが、
「いやー、XX市(県庁所在地)の方の店舗ならあるんですけどねー」と言われました。
一応大手の家電量販店は四店舗ほどあるのですが、全ての店舗でiPadを扱っていませんでした。
何なんでしょうか。そういうものなんでしょうか。
ちなみに数年前、NHKで『グーグル革命の衝撃』という番組があって、大変楽しみにしていたのですが、
ちょうど同じ日にとある人物が県の県知事に選ばれたため、
『グーグル革命の衝撃』はそのまんま県知事を報道する地域の特番へと変わり、放送されることはありませんでした。
こうして情報格差は進むのでしょうか。
:::前説:::
ここ最近ネット界隈の著明な人の発言において「キュレーション」の重要性が語られるのをよく目にします。
それを読むたびに、とても共感していたのですがふと気がついたら、昔に自分がメモして考えていた事と同じだと気づきました。
以下の文章を書いたのは2009年11月23日。ふふふ、これって俺が前から考えてた事じゃん!って自己満足もきっと入っていると思いますが、
自分で読み返してもあらためて、考える所があったので、始めてはてな匿名ダイアリーに投下してみます。
みなさんの、考えるきっかけになりましたら幸いです。
■情報化社会(インターネット社会)における「学芸員」もしくは「DJ(ディスクジョッキー)」的存在の重要性について
近年のインターネットの普及に伴って、
個人が触れることの出来る情報の総量は指数関数的増加の一途を辿っている。
この事は「世界のフラット化」あるいは「情報格差の是正」という言葉で語られる事もあり、
基本的にはそれぞれの個人レベルの存在にとっては歓迎すべき事である。
しかしながら、現状のインターネットにおける
真の意味での情報化社会の完成された形態であるとは言えないのではないか。
潜在的なパフォーマンスを完全に活かしきれていないという事である。
インターネットを生かし切れない具体的な一例としては、
「情報過多」とい事が、まずあげられる。
■社会に存在する情報量が多すぎる為に、本来必要とする(ユーザーにとって価値のある)
情報を見分ける事が難しくなっている事。
この事柄の解決策として飛躍的な進歩を遂げたのが
いわゆる「検索システム」である。
現在の検索システムの主流といってよいGoogleの独自のアルゴリズムによる検索システムである。
特にGoogleによる検索システムの登場はインターネットの活用という面において
その優秀なアルゴリズムによって、ユーザーが求める情報に対する
検索の精度・効率は飛躍的に向上したのである。
インターネットの潜在的なパフォーマンスは完全に引き出されたのだろうか?
答えは『否』である。では現状で足りていない要素とは一体何であろうか?
まず検索システムが持っている基本的な特性として
「ユーザーの能動的な行動」を必要とする点があげられる。
能動的でないユーザーに対してより効率的に情報を提供する方法はないか?
(これまでのマスメディアによる一方的な手段でなく)
☆そこで必要になってくるのではないかと思われる新たな情報収集・提供システムの候補が、
『学芸員』あるいは『DJ』的位置づけの存在、あるいはシステムである。
「キュレーター」などとも呼ばれる。
学芸員に求められる役割は第一に、
各分野における専門知識をもって対象の管理・監督を行う事であり、
第二に持ちえた専門知識を元に普及・教育に努める事である。
情報化社会での役割として考える場合、特に重要になってくるのは、
第二の役割の「専門知識を基にした情報の普及・教育」という点である。
つまりある事柄における専門家とそれ以外の人々を橋渡しする役割である。
彼らは美術における専門家であると同時に美術自体の実践者、生産者でもある。
それぞれの職業や専門分野、あるいは生活を行っており、
それゆえ、生活時間のほぼ全てを美術にあてている専門家(つまり美術家・芸術家)
しかしながら、専門家(この場合は美術家)が生産したモノや情報の持つ
価値を享受する為にはある程度の専門知識を必要とする。
その際に必要となるのが両者の中間に位置する「学芸員」である。
しかしながら、その専門知識を持って、美術の専門知識を持たない人間に対して、
本来の情報を分析・咀嚼して、専門家でなくとも理解できる(その価値を享受できる)
「非・美術専門家」達はその気になれば(能動的意思を持てば)、
自ら専門書や、インターネットを使用して専門知識を得ることも可能であるが、
能動的意思の有無や、時間的制約からそれを完全に実行するのは難しい。
そこで学芸員(中間的位置づけのシステム)を間に挟む事により、
より効率的に、より短時間で対象の情報を得、理解し、その情報やモノの価値を享受する事が可能になるのだ。
必要とされている事ではないだろうか。
従来の考え方とはまったく別のシステムに変わっていくであろう。
(あるいは変わるべきである)
つまり従来の広告システムとは、販売主体が多大な広告(販促)費用を計上し、
【デメリット】
この従来の「広告」という考え方自体を
わざわざ広告という費用やマーケティングを考える必要はなくなるのではないか?
つまり、ユーザーが求める情報を完全にフラットに、効率よく提供・共有するシステムがあれば、
企業はいかに価値のある製品をつくるか?という本来の役割だけに集中できるのではないだろうか?
書籍やCDといったパッケージメディアは、その技術的な側面においては、役目を終えている。
あらゆるメディアは、情報の格差をお金に換えるシステムである。情報の格差には、知識レベルと理解レベルの2種類があり、広く薄くお金を集めるには、知識レベルの格差を強調するという手法が取られてきた。
知っているか否かを問題にするという手法であり、知らない事は恥ずかしい事であるとする事で、大衆に情報格差の存在を認識させ、それを埋める為にお金を使わせるというのが、基本的な構造である。この構造は二つの欠陥を持っていた。
一つは、インターネットという知識の巨大な蓄積の存在によって、知識そのものは、検索によって引き出せるモノでしかなく、検索できるかどうかという環境の保有と維持こそが、知識レベルの格差をお金に換える手法となってしまったという点にある。インターネットへの接続環境を提供するISPや、携帯電話会社が、それまでのパッケージメディア産業の売り上げを、根こそぎ奪い取っていったのである。
もう一つは、出版や放送には資本が必要であり、製品化の為の資本がかけられているという事が、知識や情報の品質を保証していたが、この保証方法では、資本がかけられてさえすれば、知識や情報には価値があるという、価値の逆転現象が発生していた。そうしなければ、巨大な資本を運用できない状態であったし、競争相手がいなければそれで問題なかったが、インターネット以後は、記録によって、資本がかけられている事と知識や情報の品質の間には、相関が無い事が判明してしまった。資本を出す側の都合によって、知識や情報の品質が捏造されていたのである。
インターネットの実現は、情報の流通経路の変化だけでなく、出版社という既存資本の信頼性の欠落まで、表面化させてしまったのである。
消費者がパッケージメディアを不要と判断し、支出を削っているのは、そのお金がインターネット接続費に宛てられている事と、既存メディアに対する不信の表出なのである。
電子出版は、既存メディアをインターネットに取り込もうという話であるが、そのスキームは、携帯電話会社やISPによる顧客囲い込む競争の一部でしかない状態にある。コンテンツを取り込むという行為でしかなく、媒体の価値が情報の価値や知識の権威を決めるという発想である限り、権威や影響力を失った旧媒体が、新媒体に、熟柿が落ちるように取り込まれて消滅する手続きでしかない。
「継続的に質の高い情報を発信するのに必要な経済的なバックボーンを、どのように確保するか」という観点ではないという点に、関係者の思惑が出ているのであった。
インターネット以後の情報の格差とは、「理解」レベルとなる。格差の正体は知識量ではなく智慧であり、事実の確認ではなく、それらからどのような結論と対策を出せるかである。
電子書籍ビジネスは、知識量が格差であった時代には、情報を囲い込んだ上で木戸銭を取る詐欺同然の商売が成立したが、それが通用しなくなっているという事を、改めて確認する変化であり、同時に、旧来のメディアに止めを刺す変化となるであろう。
http://www.nikaidou.com/archives/4102
ちょっと薬関係に関わった経験からいうと「死ぬこともある」。
白い巨塔の財前教授みたいに、肝臓まで行っちゃったあげくリンパまで転移してたらさすがに生存率は低いと思われる。
金をもってても、良い医者にあたらなければどうしようもない。財前教授はどっちももっててもダメだったけど。
リステリン6もそうだけれど、日本の医薬品認可というのは欧米に10年遅れて認可されるのは事実だ。
これもまあ、お役所仕事の典型みたいな話で、慎重に慎重に審査を重ねてやっと大丈夫と思われるであろうたぶんおそらくきっと、とこの冗長な文章ほどに長い時間をかけて、認可しても自分の責任にはならないなーと確認してから認可している。まあ、おかげで安心という面もあるのだけれど。
自分の聞いた話では認可されてない新薬もらいにハワイまで行く羽目になってる人もいた。
ただし、これも新薬の情報を知らなかったらどうしようもない話で、ここらの情報収集は医者によってあたりはずれがかなり大きい。自分は持病持ちなのだが、医者変えるまで三年効きもしない薬をありがたがって使っていた。良い医者にあたるまで10人以上は変えたと思う。ちなみに自分は年収120万のど貧乏人であったが、足をつかって稼げばかなり違ってくる。また足を使える程度に健康だったのも幸運だった。
今の医者は街の診療所(ただし、医師は私の疾患について専門で、医師自身で勉強を続けている上に機材も最新鋭である)で、誤診したところは大病院という漫画みたいな話だった。
■ 薬を認可する役人のあたりはずれがとても大きい(複数の案件を一人で抱えているので、重要度の低いと判断されたものは後回しにされる)
■ 保険のシステムとして薬を乱発したほうが儲かるので、「予防医学」という概念がとても薄い。
ここらあたりの情報が錯綜し、情報と金を持っているもの及び地域格差なんかがからみ合って、金持ち勝利といいたいんだと思う。
■ とりあえず落ち着く。今病気でも健康でも、明日隕石が降ってきたら確実に死ぬし、交通事故にあっても死ぬ。パニックは情報収集と判断の敵だ。
■ 目の前の箱を利用しまくる。とりあえず、大病院だからといって正しいとは限らない。自分の疾患を専門にしている学会を探し出し、その学会に属している医師に診断をうけたほうがいい。ただし、今掛かっている医師の診断には必ず従うこと。勝手に投薬・診察を打ち切らない。
■ 同じ病気の人と合う。患者会があればそこに入る。入ってくる情報の量が格段に違う。励ましあうことで心理的にもかなりちがってくる。
■ 信じるのは西洋医学のみにすること。とかく病気になると心が弱くなってホメオパシーだの民間療法だのにも手がでるが、薬効があるなら製薬会社が儲け口をほうっとくはずがない。彼らの持っている薬より効き目があって云々とはよく聞くが、製薬会社の開発した薬より民間療法が効くなら、莫大な金と陰謀を駆使して民間療法を弾圧するより製薬会社はとっくにその薬の特許を買いにでているであろう。
■ 健康なうちに保険には入っておく。…自分の場合は手遅れだったが。
この状況はなんとかならんのかと考えてみた。
■ まず薬価を下げる。いくらなんでもとりすぎだ。法律で利益率をあるていど抑えるとかしてもいいはず。薬価の利益を医師・看護師の給与報酬に当てれば診療報酬目当てに薬乱発ということも避けられる。
■ 医師・看護師の講習会を設け、医師・病院による情報格差を是正する。可能であれば担当局の職員も講習を受ける。
■ 疾病ごとの専門医を簡単に調べられるようにする。遠方であれば旅費も保険負担できるようにする。
■ 薬・新治療法の認可については役人だけでなく医師もいれて役人の負担を減らし、スムーズに認可を行えるようにする。
とりあえずこれくらいしか思いつかなかった。乱文乱筆、長文についてはご容赦ください。
海外発の漫画スキャン(http://shirouto.seesaa.net/article/146955836.html)とか、
中国のAV事情(http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100419/enn1004191629010-n2.htm)とか、
思うのは正規品さえ流通していればコピーに手を出さなかった人もいただろうってこと。
地方のテレビ局では放送されないアニメが、youtubeやニコニコ動画にアップされていれば地方のアニメファンは見てしまう。
「コピーは違法だ、DVDが出てから買ってくれ」なんて制作者側の主張はわからなくはないけれど、インターネットで全国の人間が繋がれるこの時代に、住んでいる地方によって意図的に情報格差を作るようなテレビ業界の対応は、地方のアニメファンに言わせれば「ふざけるな」だろう。
不正コピーという行為自体に過剰反応して、ユーザーの利便性を奪ってはいないだろうか。
一昔前、音楽の分野では、パソコンでコピーどころか再生もできないCCCDというコピーガードCDが存在したが、一家に一台パソコンが普及しiPodのような携帯音楽プレーヤーが爆発的にヒットするような時代の流れに合わず、CCCDで作られた音楽CDは次第にユーザーから敬遠される結果となった。
パソコンや携帯音楽プレーヤーで音楽を聴くための手段を、CDからのコピー以外にネットでのダウンロード販売という形で提供したアップルのiTunes Storeはアメリカで音楽販売の25%のシェアを獲得し現在も売上は伸び続けている。ユーザーとしては、苦労して不正コピーを入手するより、iTunes Storeから数回ボタンを押すだけで買えた方がはるかに便利だからだ。
規制をしてユーザーに不便を強いては、本来なら正規品を欲しいと思っているユーザーをも不正コピーへと向かわせてしまう。
不正コピーを悪意のあるユーザーによる犯罪と攻撃的になる前に、善良なユーザーの悲鳴と理解して、そこにビジネスチャンスが隠れているのだと考えた方がいいと思うだが。
なんてね。
この発想が割と男性的。
痴漢の被害にあうっていうのは恥ずかしいことなので虚勢を張るとかいうのとは対極。
男に対して痴漢被害にあった話をしない女が多いのは、その話をすることでその体験自体をズリネタにされるんじゃないか(いわゆるセカンドレイプ)と思うからだよ。
殴られたとか引ったくりにあったとかいう話を聞いて性的に興奮する男はそんないないだろうけど、痴漢とかレイプの被害はAVにジャンルとして存在するぐらい、性的に消費されるのが一般的なネタだよね。
女性の意思を無視して性行為を強要するのは許されないという判断の前に、性的に消費して愉しまれるケースがほとんどじゃないかと女は疑っている。男が痴漢とかレイプを本当にいけないことだとは思ってないんじゃないかという不信感があるんだよ。
だから女は男には被害経験を語らない。
故に女の間では痴漢被害に日常的にあうなんてことは常識中の常識だけど、男にはその被害がほとんど知らされなくてこれだけの情報格差ができてるんだろうね。
この先どうなるか、でなく、その時々の「流行」に従って報道が展開するということは、つまりマスコミは「愚民」しか相手にしていないということであり、それで何を目指しているかというと「国益」などでは無論無く、要するに単に自社の利益でしかない。愚民の皆様が不安に駆られてせいぜい新聞読んだりTV見て騒いだりしてくれればいいや、という。
そもそも民主主義国家におけるジャーナリズムが「国益」のために機能するのは、それが主権者である国民と政府の間の情報格差を可能な限り小さくし、政権選択において国民が全体として誤らないようにする点においてである。それ以外のあらゆる行為は国益に適わない。特に、多くの馬鹿なマスコミがよかれと信じてやってる世論操作などは、上の定義における「国益」からは最も遠ざかる行為。
その意味では、この国で比較的その『ジャーナリズム』に近い働きをしてたのは検察だったりしたわけだが、ホリエモン逮捕あたりからどうやらそれも疑わしいものになってきているみたいだ。
以下、http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/f09cc165a4b61395eba1144a96c5ec07#comment-listのコメント欄より転載。
再びツールの紹介です。 (waka V)
2009-01-28 00:55:05
戸井田先生ならびに皆様、お疲れ様です。
「行動する会」の皆様に負けないように私もがんばらなくちゃ。(あまり大したこと出来ないかも知れないけど^^;)
周知活動をコツコツやってます。いろいろと当たって砕けているうちに成功率が高くなってきている感じがあります^^
さてさて、今回はツールのご紹介をば。(^^)
というのも、以前に動画をDVDに焼き付ける話をここで書きましたが、結構時間がかかる上に、PC初心者では厳しいものがあるかなあと思って方法を考えておりました。
結論として、「後は焼くだけ」にすればいいんだ!と気がつき、ここにご紹介をさせていただきます。
その前に…。
youtubeやニコ動にアップロードされている動画を(私なりに)厳選して詰め込みました。
制作者の方々にはこの場をお借りして、御礼を申し上げます。
内容としては。
・恐ろしい国籍法改悪案!河野太郎と公明党・民主党を絶対に許さない!
http://jp.youtube.com/watch?v=pC0fImgoY9g
・党首は不動産王!小沢一郎衆院議員の豪華マンション一挙世界初公開(報道とメディアを考える会)
http://jp.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU
・どうして報道されない?! 道路財源の聖域 「白鳥大橋」(報道とメディアを考える会)
http://jp.youtube.com/watch?v=c7bkq94A_34
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4946352
http://jp.youtube.com/watch?v=sKjmpCYSA7I
http://jp.youtube.com/watch?v=Jcm0i9BuvQk
http://jp.youtube.com/watch?v=nSLAx2iZj9w
http://jp.youtube.com/watch?v=4KatVxgOBnc
・2008/12/4参院法務委員会問題部分(解析コメント付き)
http://jp.youtube.com/watch?v=y_jAWLAADaE
これらを盛り込みました。
さて、皆様に用意していただくものは…。
・今回製作、アップロードさせていただきましたイメージファイル「up00167.iso」
ダウンロード先(※約1GBありますです…。PC,HDDに余裕のない方は厳しいかも…)
http://blacon.ddo.jp/uploader/up00167/ ダウンロードパスワード「jimin」
・空のDVD-R
・かんべ最終版(焼きこみソフト)
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se315454.html
かんべの使い方。
これをダウンロードして解凍します。解凍したら「kanbe.exe」をダブルクリックで起動します。
「書き込み」をクリックしてisoファイルを指定して開始ボタンを押すだけです。
私はこの動画を見せることによって「こんなのもインターネットにあるのね」という導入部分で使用しました。
このDVDは作ったばかりですが、早速一人、これで「日本の現状」を教えることが出来ました。
説明が苦手な人には良いかもしれません。
皆様の活動の一助となれば幸いです。
私も地道にがんばってます。
雇う側と雇われる側だと明らかに情報格差があると思うのだがどうか。
確かになー。大人にならなきゃなるめぇ。
彼が自信たっぷりに正論的な愚痴を流してて、俺は立場上正論だけで通らない位置で切り盛りしている関係で、しかもその情報は守秘義務のせいで彼には流せない。情報格差がある中で仕事せにゃならんから、この位置関係はどうにもならん。最善の解決ルートに載せられない問題もたくさんある。そんな中で、彼の意見を最大限尊重しつつも、こっちはバックの前提を崩さずにやってるんだ。だから些細な不満が出るくらいは理不尽なところもあるんだよね。正直言えば、そこは目を瞑っていてほしいところ。不満があるかとは思うけど、最大限慮ってはいるんで、なんとか頼む。としか言いようがないな。
だから、相手が鬱になってどうの、ってことはないない。むしろ俺が板挟みで鬱になるわw
俺は、人が何かに対して不満を持ち、不愉快に思っていることそれ自体は悪だとは思っていない。
不満を持ったとしたら、それを解消する方向へ行くのが良い不満。解決できない問題の前にたまる不満が鬱積して爆発するのは、なんとかして別の手段で解消しなければならない不満。不満の解決方法はいろいろあるけど、愚痴を書いたりこぼしたりしてガス抜きする方法もある。そのガス抜きを彼は公開の場でやってる。そして俺にそのガスがかかってる。まあ、役回りだと思うしかないか。はぁ。
たまに感じるんだけれど、
例えば、数人でググってたとする。ズラズラズラっと出てきてクリックしてページが開く。
あー違うな、と思って戻ると、「え、ちょっと待ってよ見せてよ読んでないよ」とか言われる。
逆に、えーと、なんて見てると「いやそれ関係ないよ戻れば?」とか言われる。
なんて事がある。他にも読む速度やクリックする場所や。
例えば雑誌なんかもそう。
複数で見てると、いつまで同じ所見てるの?って事や、逆に、めくるの早い、って事や。
普通の本だと、複数人で同時に見ることなんてないけど、読むスピードは結構違う。
こういうのは、文章構成や配置、字体、記号や定型文に対する慣れ、パターン認識の差なのだと思う。
小説や新聞を読まない人は、縦書き文章が読み辛く遅いとか、Web見ない人は、ブログの新着記事やカテゴリーまで一つ一つ見てしまったり。
だから、本を読まない人は読まないし、Web見ない人は見ないんだよな。読みにくいから。
そうやって情報格差が広がるんだな、と思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080629212241
「ああいう非モテに、彼女が出来るように、国は何か策を講じるべき」がどうして、女性の人権を無視して無理矢理彼女にするといった発想になるのだろうか。国や社会が何とか…という意見は見るけど、誰も国が強制力を使って云々などと論じていないと思う。(極一部の基地外を除く)
「あてがう」という表現に至っては増田が最初に使い始めたとしか思えんがwww
ま、言い方を変えて「喪男喪女でも自然に他者と接することができ、コミュニケーション弱者を作らないようにする方策」なら色々考えられる。それならば自然と異性との接触機会も増えるだろうし、問題は無いだろう。
社会人を対象とした政策なら、コミュニケーションや恋愛に注ぎこめるためのリソース(お金とか余暇とか)を充分にするような政策がまず第一で、今のように若者が薄給とサービス残業にまみれた生活を送り、もしくは加藤みたいに派遣社員として搾取されているような中では生きていくのが精一杯だろう。学生を対象とした政策なら、クラスでの大小さまざまなイジメや差別がはびこる状態を強制的な指導や警察力の介入で解決し、どんな容姿だろうが能力だろうがまず一人の人間として受け入れられる、という状態を作る事が先決。社会人の場合も学生の場合も、コミュニケーション能力の格差や情報格差を埋めるはまず最初の問題が解決してからだけど、方法としては結構あるんじゃないかと。
しかし、何というかこの文章、女性の人権みたいなことを前面に出しているけど、隠している裏側の生理的嫌悪感が丸わかりで気持ち悪いよな。キモイって言いたいけどいい子ぶりたい?こういう裏表の激しい女が男を傷つけているのが加藤の乱の遠因だろうよ。
「re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった」を書いた増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20070827232043
ブックマークが25も付くとは思ってませんでした。元記事のお陰で良い文章を読ませて頂きました。厚謝。
ただ反応を期待して本心ではあるのだけど強めに表現しました。ごめんなさい。
せっかくなので二点ほど訂正というか補足をしておきます。
まず、ぼくの田舎の当時の進学率については間違いありません。雰囲気もあの通りで、大学に進学するということはそれ相応の結果が出せるであろうひと、つまりは成績上位者に限られ、進学校へ進むべく事務手続きが行われていました。
これらをぼくが格差と考えているかと言えば、まったくそうではなく、ある意味合理的だとさえ思っています。http://anond.hatelabo.jp/20070828161450にも書かれていますが「地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない」は真実に近いと思います。田舎で仕事をする限りには学歴は重要とはなりませんし、ほとんどのひとびとは不満もなく生活しています。
それでも勉強したいと考える者にとっては大きな負担になっていることも確かです。奨学金は借りられるでしょうが、親の年収を見ている限り絶望的に高価な先行投資に感じるでしょう。
その意味で返還不要な奨学金制度は絶対に必要だと思います。政府が考えるべきなのでしょうが、優秀な人材を育てることは(育つかどうかは別にして)、国の利益になると思うのは飛躍しすぎかな。
二点目としては、ぼくは田舎に嫌気がさして東京に出てきています。運よく幾つかの会社を渡り歩き、そこそこの年収を稼いでいます。多分大卒と比較しても遜色ないでしょう。でも、ぼくくらいがこれだけやれるのだから遙かに優秀だった彼とか彼女とかが学ぶべきことを学べばいろいろと可能性があった気がします。単純にお金の問題や指摘されているように情報格差の面もあるでしょうが、日本という国はひとを育てるのがヘタだなと単純に考えたりもします。少なくとも「裕福でないと大学にいけないという幻想」が事実であれば中学くらいからアナウンスする必要があるでしょうね。
話題としては避けましたが大学にどのような価値を見いだすかは別に議論が必要でしょう。4年間遊べる場所…そんな訳はないと信じてますが(笑)
最後にトラックバックしてくださった方、ブックマークしてくださった方、ありがとうございました。はてな初心者なんですが、元記事の流れも割合冷静で勉強になりました。
近年の携帯電話における多機能化、小型軽量化には目覚しいものがあり、最近では機能紹介に、ワンセグ、Javaアプリ、Flash、Felicaなど、聞き慣れない言葉が並ぶ。ケータイの普及により若者の間にITが浸透し、ある種の文化を形成しているのは疑いの無いところである。しかし私は、その一方で、ITリテラシーの向上を阻害しているのもまた、携帯電話なのではないかと考えている。
携帯電話はその名の通り携帯端末に過ぎず、本来移動先や外出先でのちょっとした用途に特化した機器である(固定電話を代用している場合はこの限りではないが)。情報を収集、処理、表現する能力においては、ディスプレイの大きさ、ハードウェアの性能、拡張性など、あらゆる点において、PCを用いたそれに劣っている。ところが、今や小学生でも持っている程の普及を見た結果、携帯電話をメインの情報ツールとして使用する人が増えた。その需要に応える形で、ワンセグなどのPCに負けず劣らずな機能が、端末に具備されつつあるのが現状だ。少し前に情報格差を表す「デジタル・ディバイド」という言葉が有名になったが、今、この携帯電話で何でもかんでも済ませてしまおうという人々が増えている事が、新たな情報格差を生みつつあるのではないかと危惧している。携帯性の高さと通話機能を除けば、携帯電話にできてPCに出来ないこと、PCが劣っている点など無いのであるが、その逆は枚挙に暇が無い。通話に関しても、最近ではPC上でもマイクとSkypeやMSNメッセンジャなどのソフトを用いて無料で音声通話を楽しむことができる。Skype In/Outを使えば、有料だが、携帯電話・固定電話へもPCから格安で電話をかけることが出来る。
この情報社会においては、ITリテラシーの欠如は単位時間当たりの仕事量を著しく低下させる。同じ仕事をPCではなく携帯で行えば、はるかに多くの時間とコストがかかるであろう。それは日々積み重なり、大きな格差を生む。それは娯楽においても、ビジネスにおいても同じである。ITリテラシーを高める工夫ができるかどうかは結局は個人の資質なのであると言ってしまえばそれまでだが、こうしたケータイ文化はその機会自体を奪ってしまっているような気がしてならない。携帯電話とPCは時と場合に応じて使い分けるべきものなのであって、PCに近づけようと高機能を無理に搭載した所で、殆ど付加価値を生んでいないのが事実であろう。