2010-10-29

情報化社会における「学芸員」もしくは 「DJ」的存在重要性について

:::前説:::

ここ最近ネット界隈の著明な人の発言において「キュレーション」の重要性が語られるのをよく目にします。

それを読むたびに、とても共感していたのですがふと気がついたら、昔に自分メモして考えていた事と同じだと気づきました。

以下の文章を書いたのは2009年11月23日。ふふふ、これって俺が前から考えてた事じゃん!って自己満足もきっと入っていると思いますが、

自分で読み返してもあらためて、考える所があったので、始めてはてな匿名ダイアリーに投下してみます。

みなさんの、考えるきっかけになりましたら幸いです。

情報化社会インターネット社会)における「学芸員」もしくは「DJ(ディスクジョッキー)」的存在重要性について

情報化社会と言われて久しい今日社会状況において

近年のインターネットの普及に伴って、

個人が触れることの出来る情報の総量は指数関数的増加の一途を辿っている。

この事は「世界フラット化」あるいは「情報格差の是正」という言葉で語られる事もあり、

基本的にはそれぞれの個人レベル存在にとっては歓迎すべき事である。

しかしながら、現状のインターネットにおける

システム、あるいはインターフェイスが、

真の意味での情報化社会の完成された形態であるとは言えないのではないか。

それはつまりインターネットというシステムが本来持っている

潜在的なパフォーマンスを完全に活かしきれていないという事である。

インターネットを生かし切れない具体的な一例としては、

情報過多」とい事が、まずあげられる。

社会存在する情報量が多すぎる為に、本来必要とする(ユーザーにとって価値のある)

 情報を見分ける事が難しくなっている事。

この事柄の解決策として飛躍的な進歩を遂げたのが

いわゆる「検索システム」である。

初期のYahoo!によるカテゴライズ検索から

現在検索システムの主流といってよいGoogleの独自のアルゴリズムによる検索システムである。

特にGoogleによる検索システムの登場はインターネットの活用という面において

非常に大きな恩恵ユーザーに対して与える結果となった。

その優秀なアルゴリズムによって、ユーザーが求める情報に対する

検索の精度・効率は飛躍的に向上したのである。

ではこのGoogleによる検索システムの登場によって、

インターネットの潜在的なパフォーマンスは完全に引き出されたのだろうか?

答えは『否』である。では現状で足りていない要素とは一体何であろうか?

まず検索システムが持っている基本的な特性として

ユーザーの能動的な行動」を必要とする点があげられる。

能動的でないユーザーに対してより効率的に情報提供する方法はないか?

(これまでのマスメディアによる一方的な手段でなく)

☆そこで必要になってくるのではないかと思われる新たな情報収集・提供システムの候補が、

学芸員』あるいは『DJ』的位置づけの存在、あるいはシステムである。

学芸員とは美術館などにおける専門的職員の事で欧米などでは

キュレーター」などとも呼ばれる。

学芸員に求められる役割は第一に、

各分野における専門知識をもって対象の管理監督を行う事であり、

第二に持ちえた専門知識を元に普及・教育に努める事である。

情報化社会での役割として考える場合、特に重要になってくるのは、

第二の役割の「専門知識を基にした情報の普及・教育」という点である。

つまりある事柄における専門家とそれ以外の人々を橋渡しする役割である。

例えば美術館での学芸員の役割を考えた場合

まず美術自体を実践する「美術家」「芸術家」が存在する。

彼らは美術における専門家であると同時に美術自体の実践者、生産者でもある。

一方で美術館に訪れる「非・美術実践者」は

それぞれの職業や専門分野、あるいは生活を行っており、

当然その生活時間の全てを美術にあてている訳ではない。

それゆえ、生活時間のほぼ全てを美術にあてている専門家(つまり美術家芸術家

生産物情報)を100%理解する事は不可能である。

しかしながら、専門家(この場合美術家)が生産したモノや情報の持つ

価値を享受する為にはある程度の専門知識を必要とする。

その際に必要となるのが両者の中間に位置する「学芸員」である。

学芸員美術専門家ではあるが、実践者・生産者ではない。

しかしながら、その専門知識を持って、美術の専門知識を持たない人間に対して、

本来の情報を分析・咀嚼して、専門家でなくとも理解できる(その価値を享受できる)

形にして提供するという非常に重要な役割を持っている。

「非・美術専門家」達はその気になれば(能動的意思を持てば)、

自ら専門書や、インターネットを使用して専門知識を得ることも可能であるが、

能動的意思の有無や、時間的制約からそれを完全に実行するのは難しい。

そこで学芸員(中間的位置づけのシステム)を間に挟む事により、

より効率的に、より短時間で対象の情報を得、理解し、その情報やモノの価値を享受する事が可能になるのだ。

この学芸員的な役割・システムこそ、

現在情報過多なインターネット社会において

必要とされている事ではないだろうか。

これからの広告(あるいは別の名称)的手法というものは、

従来の考え方とはまったく別のシステムに変わっていくであろう。

(あるいは変わるべきである)

つまり従来の広告システムとは、販売主体が多大な広告販促費用を計上し、

マスメディア等を介して「企業の一方的な利益に順ずる形」で

消費者ユーザー市民 に商品の情報提供強要してきた。

デメリット

企業広告費に多大な費用を計上する必要がある

企業利益に繋がる偏った情報社会に溢れさせる。

この従来の「広告」という考え方自体を

「完全な情報の共有」というシステムに組み込んでしまえば、

わざわざ広告という費用マーケティングを考える必要はなくなるのではないか?

つまり、ユーザーが求める情報を完全にフラットに、効率よく提供・共有するシステムがあれば、

企業はいかに価値のある製品をつくるか?という本来の役割だけに集中できるのではないだろうか?

そもそもある集団の利益の為に押し付けられ、時に改変された情報流通させる、

広告」という概念自体がスマートでないし、旧時代的な、非・フラットな考え方ではないだろうか?

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