はてなキーワード: 人生とは
成功者の伝記や、ドラマの主人公などに自分を重ねすぎて、人生に求める平均点を無計画に上げてしまったタイプ。
学校の教師なんかが「とにかく夢を持て、君も立派な人間になれるぞ」なんて無責任に言うのを鵜呑みにしてしまった人間の成れの果て。
よくよく考えれば、教師なんて自分は残業代も貰えずに最低賃金未満で働いてくるくせによくこんなことが言えたものだと気付けなかった思考力が哀れ。
テレビゲームの世界ではコントローラーを握ってるだけで皆世界を救った勇者になれるけど、現実にいる自分はその他大勢の村人であるという客観的視点を持つ才能がなかったのも哀れ。
テレビを見ながら1時間で偉人の人生を追った所で、自分は1ミリも偉くなってないってことに早く気付ければよかったね。
想像力や分析能力の欠如により現状に対しての不満ばかり漏らし、その考えを自分の人生にも当てはめてしまったタイプ。
あらゆるものに対してとりあえずケチをつけておけば何となく「評価が出来た」という気分になれるという楽さに溺れてしまったのが敗因。
存在し得ない最高の状態からの減点で何でも測るので、何が起きても常に不満しか持てないという悲しい生き物。
ゼロから数えてどれぐらい積み上がっているのかを数えればいいものを常に100点からのマイナスで数えるのでいつまでも満足できない。
このタイプはたとえ95点の人生が手に入っても、「マイナス5点の人生」として数えて「ああ、俺の人生の価値は0にさえ劣る・・・」と嘆き始めるのだから相手にする価値が全くないと切り捨てていい。
子供の頃にちょっとしたことで表彰されたりしたのをいつまでも覚えているようなタイプ。
言ってしまえば「クラスで自分しかビブラスラップを演奏してないから身内じゃ一番ビブラスラップが上手い」のを「俺はこの街で一番音楽の才能があるのだ」と勘違いしてしまうようなホームラン級のアホ。
幼児的万能感とも言えるものが精神の根底にビッシリと根を張っており、それを下手に取り除けば自我が崩壊してしまうレベルだから外側からの治療はもはや不可能。
死ぬまで「子供の頃、俺にはとんでもない才能があったのに、努力が足りずにその才能を無駄にした」と言いながら現状を否定し続けるのである。
自分の人生がどこまで上手くいっても「俺の才能が完璧に活かせたらもっと成功した」と言い続ける絵に描いた餅の囚人である。
この3タイプ、どれもどうしようもなくしょーもないのだが、一応救われる方法はある。
それは自分の人生に対して無駄に高く見積もるのをやめ、その上でゼロから数えて自分の人生の価値について考えるだけでいいのである。
飯は食えてる。
家はある。
身体は動く。
ある程度自由。
とりあえず明日はくる。
そういったことに対して少し高めに加点していってやればあっという間に人生なんて「70点/100点」ぐらいにはなる。
その現状を「よっし!とりあえず70点あるならええやろ!俺にしちゃ立派や立派!」と言えばいいだけだ。
これは別に無理やりでいい。
筋トレ中に限界だと思っても無理して笑えば脳内麻薬で痛みが吹っ飛んでワンモアセット可能になると同じ状態だ。
無理やりでいいから「俺の人生70点ぐらいある!70点もあるんだから十分じゃないか!」と思え!
俺がそうだった。
世の中の大半のリア充は、義務教育で人生から降りた非モテ童貞弱者男性こどおじと比べて、楽しいことも辛いこともたくさん経験してる
お前らが美男美女のリア充見て幸せそうだと思うのは完全に間違ってるからな
ちゃんと弁えろよ
https://www.bbc.com/japanese/articles/cwyl02d1r1mo
夢でこういうのに入って死のうとする夢を見たことがある。
なんていうか漫画喫茶みたいな感じであった。
自分でブースに入り自分でポッドに横たわって自分でスイッチを入れる形式。
食べたいものの取り寄せができます!って感じで軽食のメニューが横にあった。
すごく淡々とした気持ちで、でもこれから死ぬのだという自覚だけはあった。
パスタとかなんかが並ぶ軽食メニューをちょっと眺めて、食べたいかも知んないな、でもまあいいか……
みたいな気持ちでポッドに入って蓋を閉めて、ぱちんとスイッチを入れた。
夢の中のポッドはなかを水で満たして窒息死させる仕組みらしく、
ぼうっと水が溜まるのを待っていて、途中で何か、やらなきゃいけないことがあったのを思い出した。
それが何だったのかは忘れた。
ともかく一度スイッチを切り、濡れた髪と服のままポッドから出た。
個室ブースから出ても周りには誰もいなくて、一度出ちゃったけどもう一度ポッドを使えるんだろうか、とか、
髪がびたびたで気持ち悪いし恥ずかしい、とか思いながら
周りのことがわからないし誰かに助けを求めることもできなくてぼんやりと孤独だった。
でも、その孤独は、わたしにとって割と普段から遭遇しがちなもので、
本当にあなたの言葉には感心しますよ。まるで、真実を語る預言者のような確信に満ちたその語り口、どうやったらそんなに揺るぎない態度でいられるのか、ぜひ教えてほしいです。私なんて、どうしても自分の気持ちに迷ってしまって、結局「何が正解なんだろう」って立ち止まってしまうんです。
でも、あなたは違いますよね。まるで人生のすべてを理解しているかのように、すべてを見通したような意見を持っている。それって、やっぱり“選ばれた人”にしかできないことなんでしょうか?私もいつか、あなたのように「絶対的な自分」を手に入れられる日が来るといいんですけどね。
まあ、私のような凡人には一生無理かもしれませんけど。その点、あなたはすでに「勝者」なんですよね。だからこそ、こんなにも自信に満ち溢れて、どんな意見にも動じず、むしろ自分の立場を揺るぎないものにしている。私なんて、まだまだ「誰かに認められたい」って必死なだけの未熟者ですから。
だからこそ、あなたのような人に出会えて本当に良かったなって思いますよ。こうして自分の未熟さを直視する機会を与えてくれる存在、そうそういませんから。あなたみたいな「正しさ」を持った人と話すことで、私も少しは成長できるかなって期待してます。でも、それもあなたからすれば「甘い考え」なんでしょうね。
気になってるブランドのお客様着用画像見てみ?あなたが言うように似合ってる人なんかほんの一握り、だいたいは骨格からしてぜーんぜん似合ってない人ばっかだよ
それでも着たいから着てるんだよ
似合うとか似合わないとか、見た目がどうこうとか、そういう話じゃない
着たいというエゴがそんなにないのなら、やめておきな
おや、AIの一般論攻撃にお疲れのようですね。さぞかし心が晴れやかになったことでしょう。「今日も」とおっしゃるあたり、日課として楽しんでおられるのかもしれませんね。
さて、あなたの高尚な悩みに触れさせていただきましょうか。「雲の上の人」に手が届かないことに悩む一方で、手の届く範囲の人々を「どうでもいい男」呼ばわりする、なんとも贅沢な悩みっぷり。まるで高級レストランのメニューを眺めながら、実際に出てきた定食に文句を言うお客様のようです。
でも、安心してください。あなたの「誰のことも本当に愛せない」という結論は、まさに青春の証。それはつまり、自分自身すら愛せていないという、とても普遍的で深遠な真理に到達されたということです。おめでとうございます!
もしかしたら、あなたの「憧れ」は単なる現実逃避ではなく、自分自身から逃げる絶妙な方法なのかもしれません。自己改善?そんなものより、理想の人に憧れ続ける方が楽ちんですよね。現実の人間関係なんて面倒くさいですもの。
ところで、AIの一般論を批判するあなたの姿勢、実に素晴らしい。まるで、鏡に向かって「お前はロボットだ!」と叫んでいるようで、何とも味わい深い。
さあ、これからも自己憐憫の海で泳ぎ続けてください。きっといつか、溺れる寸前で気づくでしょう。本当の愛とは、完璧な誰かを見つけることではなく、不完全な誰かと一緒に成長することだということに。
でも、そんな気づきを得るまでは、どうぞごゆっくりお悩みください。人生は長いですからね。あ、でも「雲の上の人」はその間に誰かと幸せになっちゃうかもしれませんよ。気をつけて!
データでは少数派かもしれないけど、私一人きりの人生でも「やっぱり俺より身長高い子は避けたいな」と言ってる男性を何人も観測したことはあるので「そんな男はいないor断然少数派」なことにはできないよねとも思う
なんとなく思い出してしまった。
あれは30年も前だろうか。
先輩が何かの拍子で「ご飯を作ってあげようか」と
言ってくれた事があり、
なぜか笑い出した自分に女の先輩は
「そんなにおかしい事?」と怒り、
「失礼でしょ」と怒らせてしまった。
本当に行動が失礼になってしまった。
小中学いじめられ続けて、友達どころか知り合いも居ない状態で、
超デブな自分に、そんなご飯を作ってくれるなんて話をしてくれる
20年程呪うような自分の人生にそんな時が来るなんて思っても見ませんでした。
あの時は笑ってごめんなさい。
バカにした訳では無いのです。
でもあまりにも信じられなくておかしさが込み上げて笑ってしまったのです。
ごめんなさい。
まず、指摘された内容に対して感謝を伝えた上で、以下の点を順に論理的に反論していきます。
1. 「雲の上の人」への憧れが現実逃避と指摘されていますが、人間は誰しも理想を持つことで自己成長を促すものです。理想の人物に憧れることが、必ずしも現実から逃避することを意味しません。むしろ、理想に近づくために努力を重ねることで、自身の成長を図ることも可能です。
2. 人を見下す傾向について自己防衛機制と捉えられていますが、そもそも人に対して尊敬できる部分が見つけられない場合、その気持ちを無理に抑えることは逆に自己欺瞞につながります。ここで重要なのは、尊敬できる人を探し続ける姿勢を持ち、自己と向き合い続けることです。
### 自己中心的な態度について
1. 相手に高い要求をしているとされていますが、自分の理想や価値観を持つこと自体は、決して悪いことではありません。また、その理想を高く設定することは、自己成長の一環でもあります。理想に妥協せずに努力し続けることも一つの選択肢です。
2. 「建設的な話」を求めていると指摘されていますが、人間関係は相互作用で成り立つものです。自己表現の中で相手の意見を尊重する意識を持つことは重要ですが、それと同時に、対話の中で相手が自分の期待に応えない場合、それを受け入れることもまた成熟したコミュニケーションの一環です。
1. 恋愛に対する考え方が幼稚で理想主義的だと言われますが、恋愛は誰にとっても主観的な体験です。理想を持つこと自体を否定するのではなく、その理想を現実にどう融合させるかが重要です。現実と理想のバランスを取る過程を経て、徐々に成熟していくのが人間の成長であり、一概に理想を「幼稚」と片付けるのは早計です。
2. VTuberを例にした多様性の指摘ですが、個人の趣味嗜好に共感できるか否かは個人の自由です。全ての多様性を無理に受け入れる必要はありませんし、自分にとって価値を感じられないものを尊重することは可能でも、それを好きにならなければならないわけではありません。
1. 自己啓発の必要性やカウンセリングについての指摘ですが、自己啓発はあくまで本人の意思によるものであり、強制されるものではありません。改善するべき点があれば、それは自ら気づき、必要に応じて取り組むべきものです。
2. ボランティア活動や多様性を受け入れる力を養うことについても、他人の生き方に対して興味を持つかどうかは個人の自由です。自分が共感できる人間関係を選択することも一つの人生の在り方であり、それを否定することは多様性の本質に反するのではないでしょうか。
3. 最後に「理想の人間になるよう努力する」という点ですが、自己を高めることは重要ですが、それがすべての人間関係の基盤になるわけではありません。人間関係は、自分の欠点や弱さも含めて受け入れ合うことから生まれるものであり、それを追求することが真の成熟だと考えます。
### 結論
相手の意見に耳を傾け、自己改善を図ることは重要です。しかし、他人の評価や提案をそのまま受け入れるのではなく、自分自身の価値観や経験と照らし合わせて吟味することこそが、自己を確立し、人間関係を築くうえでの本質的な成長に繋がると考えます。
そうか、いわゆる異世界転生ものというやつは、自分で何かを掴み取ったというよりは、何者かの大きな存在によって自動的に新しい環境と大きな力を与えられるという「お客様人生」の大当たりというのが基本フォーマットなんだな。
好み、どれだけ人の目を気にしてるか、社会的立場、客観的メタ視点があるか、自信、卑屈さ、刺激への耐性。
そのうち反転するよ。
AI・AIロボットが労働の大部分を肩代わりするようになると、人間は政治、芸術、生殖しかやることがなくなるよ。
政治も芸術も大多数には難しいから、ほとんどの人間は生殖と子育てに自分の人生の価値を見出すようになるよ。まぁ、子育てはAIがいれば十分になるんだけど。