はてなキーワード: パターナリズムとは
この所弱者男性関連の話を追っていて「あれ?」と思った事が有るので記しておく。
弱者男性関連の増田やブコメを読んでると、やはり「弱者男性」という問題設定やそれが差別であるかと言う事について、否定的だったり抵抗感が有る女性のコメントは有る、
ただ、この所(いや、最初からかも知れないが)弱者男性に同情的な人も出てきていて、「こういう事は良くない」という事を書いてくれて居る事も有る、本当にありがたい事だなと思う。(https://anond.hatelabo.jp/20210506114728 等がそうだ)
少しずつではあるけど、弱者男性の苦しみや境遇について理解は進みつつある・・・・・と言う事を考える内、違和感が有った。
そもそも弱者男性を嘲り差別し叩く人達は、女性・フェミニスト以外の方が多いのでは?
これはコメントを大量に眺めるうちに至った実感だ。
勿論増田やブクマカの性別は見えない、しかし性別が書かれている場合も有るし、ブクマカに関してはどこかで性別を明言してたので知ってる場合も有る。
改めて振り返って見ると(あくまで感覚だが)普段から弱者男性やモテない男性、オタク等について酷い偏見や言葉を投げ付けているのは、女性よりも男性が多いと感じる。(重ねてあくまで感覚だが、女性はアンチフェミ的な言説に反感を覚えつつも、男性差別的な言動については反対したり気を付けると明言する方が一定数居る)
既に「立ち向かうべきは強者男性だ」や「(童貞弄り等について)男性間で行われている事が多い」と言った指摘はあるが、ここで言いたいのはもう少しこの「はてな」と言う場にフォーカスした仮説だ。
広い意味での弱者男性へ差別的な態度を取る所謂はてサの左翼男性について(あえて「リベラル」とは呼ばない、彼らは全くリベラルでは無いし、リベラルと呼ぶに至る経緯も正当とは思わないからだ)
もし弱者男性への蔑視や差別の主犯が左翼男性に占められて居るにも拘らず、そこでうまれた反感が女性フェミニスト達へ向けられているとしたら、そんな事態は理不尽だし、絶対に是正されるべきだ。
女性・フェミニスト側からすれば彼らは味方に見え、その言動が行き過ぎていたり男性差別的だと思ったとしても指摘しにくいかもしれない。しかしそのせいで生まれた反感が彼女らに向かうとすれば、それは非常にグロテスクだし、左翼男性は女性・フェミニストを盾に好き勝手に差別的な言動を撒き散らしている、とも言えてしまう。こうした状況がもし有るなら、それは絶対に正しくない。
なので、確たる証拠の無い段階ではあるが仮説としてここに書く事にする。
はてなに多く居る左翼男性について、個々のプロフィールは良く知らない。
ただ例えば高齢の左翼男性の場合、昭和的なマッチョイズムを持ち乍ら左翼である人は割と居たりする。実際何人かのブクマカのコメントからは昭和的なマッチョイズムを感じる事が少なくない。(私は平成生まれの為、そういう物を感じる度かなりの違和感に包まれる事に成る)
度々指摘される事ではあるが、男性もまたミサンドリーを内面化し得るし、それがマッチョイズムや家父長制、パターナリズムの形をとる場合はむしろ男性の方が内面化の度合いが大きいとさえ言える。
そうした彼らのミサンドリーが弱者男性への蔑視や差別を生み出しているとすればどうだろう?そうした状況への反感を女性・フェミニストへ向けるのは間違いだという事に成る。
非常に拙く、論理も明確に通って居ないと感じつつもこの文を書く私の目的は3つだ。
1つ、弱者男性や彼らに同情的な人達に向けて、彼らが批判するべき対象が女性・フェミニストではなく、左翼男性なのではないか、という可能性に目を向け、可能なら女性・フェミニストへの敵意を解除して貰う事。
2つ、女性・フェミニストへ向けて、少なくとも私個人の女性・フェミニストへ敵意は無い事を示し、その上でもし上記が適った場合は、弱者男性側の女性・フェミニストへの敵意も解除・減少した事を知って貰う事。
3つ、左翼男性および強者男性に向けて、自らの内側にマッチョイズムが巣食っている可能性に目を向けて貰い、可能ならそれを解除して貰う事。
これ等が適う事で弱者男性問題が解決するとは思わないが、理不尽な状況を是正する事は出来るのではないだろうか?
(また、弱者男性へある程度同情や思慮を寄せて呉れている女性・フェミニストの方々へせめて少しでも報いる事は出来ないか?と考えた結果でもある)
最後に、左翼男性の方からすれば、この増田は不愉快だろうと思う。けれどもあなたを不愉快にさせる為にこれを書いている訳では無い事は知って欲しい。
「何故左翼だけなんだ?マッチョイズムや家父長制なら保守や右翼の方が問題だろう」とあなたが思うとすれば、それは恐らく正しい。私自身、より問題が多いのは右翼だと思う。
にも拘らずここで「左翼」を選択する理由は、ここが左翼の多い「はてな」であり、またこの場に限っては弱者男性を攻撃するメリットは左翼男性の方が多いと考えるからだ。他の場なら「左翼男性」ではなく「強者男性」で括るほうが正しいだろう。
更に奇妙な話ではあるが、私があなた方をある程度信用している(信用しようとしている)という事情も有る。
右翼なら兎も角、左翼であるあなたがもしマッチョイズムを内面化しているとしたら、あなたはそれを恥ずかしいと感じ、是正するべきだと考えるだろう。
誰しも完璧ではない、男性がミサンドリーを内面化する事も有り得る、その様な可能性にあなたは目を瞑らないだろう。私はそう信頼している。
この文章を告発だとは思わないで欲しい。ただ穏便に、直して欲しいのだ。
男性もまた性役割に縛られるべきではない、弱くても、モテなくても、貧しくても、学が無くても、オタクでも、それを理由に蔑まれるべきでは無いし、差別されるべきでもない、それだけの事だ。それだけの事を理解する能力があなたに無いとは私は思わない。
あなたは例えばオタクについてどう思って居るだろうか?特に最近のオタクについて。左翼男性の中にオタクヘイターが多い事は知って居る。ただ平成生まれの私には(それが関係有るのかすら良く分からないが)あなた方のその憎しみがどこから来るのか、正直に言って皆目分からない。
ただ、あなたがオタクや弱者男性を蔑むその理由は何だろうか?もう一度それを考えて見て貰えないか、そしてその理由は本当に適切だろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20210505030506
例えば、同じ障碍をもつ障碍者をみたときに、対象が男性なら「障碍者の犯罪の話を持ち出して防犯を促す」が、対象が女性なら「障碍者の福祉の話を持ち出して公助を要求する」という態度は、男性差別である
注意すべきなのは、上記は(男女以外は同条件であることから)あくまで「男性差別」であって、ここまでの説明だけでは、あえて「弱者男性差別」とラベルする意義はない
あえて「弱者男性」が強調される理由は、男性差別が、「男性の強者性(加害性)」を理由として、正当化されてきた、容認されてきた、または見えづらくなっていたことが背景にある
男性の強者性・加害性は、パターナリズムやホモソーシャル、あるいは生得的な力の強さなどを根拠に持つが、故に、それらから利益を享受していない(あるいはそれらに抑圧されている)男性には「男性の強者性」は男性差別を正当化する根拠たりえない
「弱者男性差別」における「弱者男性」とは、常に「ホモソーシャルにおける敗者男性(男らしさから降りた男性と言ってもよい)」の意味であり、障碍や性自認などの軸における「弱者」の意味ではないことに留意が必要である
つまり「弱者男性差別(弱者男性差別批判)」は、「男性の強者性」によって正当化される男性差別(権利獲得運動と言ってもよい)の対象に、「ホモソーシャルにおける敗者男性」を含まないでほしい、という主張が主題であると言える
よって、「弱者男性への差別とは何か?」に対する回答は、「男性の強者性を根拠として、ホモソーシャルの敗者男性が被る不利益全般である」となる。具体例としては男性差別全般が基本的に該当するが、「弱者男性」を対象に含まないように丁寧に留保された言説は含まれない
(異性愛)女性の性欲・ポルノは一般に「コミュニケーション欲求」だから良く、(異性愛)男性の性欲・ポルノは一般に「コミュニケーションがなく支配的欲求」だから悪い。という単純な異性愛規範の教育書を読んでいるのだけど、そもそも「コミュニケーション」が良いことである前提なのはなぜなんだ?コミュニケーション is 良いことみたいな前提、意味がわからんですよ。だいたい、何が「コミュニケーション」で何が「コミュニケーションではない」のかの定義もわからん。戦争や紛争だって一種のコミュニケーションと言えるしな。
コミュニケーション至上主義みたいな価値観を見ると、ローゼン・メイデンで引きこもりだったジュン君がクラスのみんなからの「頑張って」な寄せ書きを家に届けられて吐くシーンを思いだす。あれ、「過干渉と他者を肯定し受け入れることは違う」ということがよくわかる良いシーンですよね。
不幸な(異性愛)男女を再生産しないためのパターナリズムは当然に善でしょ!みたいな価値観が怖い。「育児書」なんて再生産権力の最前線ですよね。
SDGsの基本的な考え方や構造は上段からビジネス→生活者→環境というウエディングケーキ・モデルであり、上段を維持するための安定した土台としての下段(生活者・自然)という認識なんですよね。勝手に下段にすんな、人間や環境を勝手に資本が生き延びるための資源にすんな、とは思います。
ジェンダーもフェミニズムも、人を貶めるための武器のひとつになりましたね。おめでとう!立派な権力の仲間入りです。あなたたちが批判してきた権力の、立派な一員です。それを隠蔽するために、今日も被害者ぶっているのかな?
そうやってややこしく隠していかないと人の目に触れさせたらその人が死んでしまうと思い込んでる、つまり人間の賢さを信じておらず人間は愚かだという視点に立っているから。
それは典型的なパターナリズムであって、人が心身ともに成長していくものだという視点が欠落しており、成長の機会を奪い、白痴のままでいさせることを促してしまい、自分で自分のメディアリテラシーを育てていくこともできない、危機回避能力ゼロの人間を量産してしまうことになるから。そういう人は往々にして異質なものを見るやいなやパニック/ヒステリックな反応を起こす。
要するに、ブラクラ踏んで鍛えられろ、みんなそうしてきた、的な感覚。世の中に何が存在しているかは認知した上で、自分が好まないものは自分で視界から排除していけばいい。それが一番スマートで、自由で多様な社会はそのようにしてしか成り立たない。介入はどうしても悪質に侵食してくる類のものに対してだけの最小限でいい。その考えに同意できない人は、多かれ少なかれ他人を支配統制したり、弾圧したりする言動をするようになる。
例の失言に怒りまくっている人が多いが、正直そこまで悪質ではないと思う。
というのは、自分たちだって「女は会話に共感を求めたがる」「男はまず結論を知りたがる」とか、そういうネタで会話を散々しているはずだからだ。実際、男女あるあるネタは、飲み会でも盛り上がる鉄板ネタ。妻ともしょっちゅうこれで軽い言い合いになっている。「地図の読めない女」「記念日を憶えられない男」などはその典型。その中に森の言うような「女は話が長い」も含まれている。
森との違いは、これを仕事の会議など、公の場に持ち込んだりしてしまうかどうかだけ。要するに森は「TPOの読めない無邪気な爺さん」に過ぎず、そこまでの怒りは感じない。屁理屈で女性差別の問題を矮小化しているアンチフェミのほうが、はるかに悪質だろう。実際、森の発言の最後は、会議に女性をもっと増やし方がいいという結論になっており(もちろんパターナリズム臭はあるが)、「女は話が長い」ことを根拠に会議から排除すべきと言っているわけではない。
この一件から、森のようになんの政治理念も指導力もあるように見えない人間が、30年にもわたって自民党の重鎮であり続け、一定の人望を得ている理由の一端をうかがうことができる。それは、こういうTPOも弁えない裏表のない会話で、周りの人々を安心させているからだろう。いま森の失言に怒り呆れている人も、おそらく森と一緒に飲んだら一瞬で取り込まれてしまうはずである。
(追記)
森は「女は男と比較して無能」とはさすがに言ってない。あくまで「話が長い」と言っているだけ。TPOを弁えてないのは政治家としてNGというのはその通りだけど、自分もTPO読むの超苦手だから憎めないというのと、森のようにそれが政治力や人望の源泉の一つでもあったりする場合は厄介。
あと森が無能無能言う人が多いけど、30年も自民党の重鎮であり続けた人が無能なわけがない。問題にするとしたら、その有能さの質であって、それは日本の政治体質全体の問題だろう。