はてなキーワード: ロシア文学とは
言及どうもです。
彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?
『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。
だから、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。
そう、そこなんだよね。
俺が「怪獣映画を見ること」を苦に感じたことないように、彼らにとって
『新しいことを知ること』はまったく苦じゃなくて、むしろ何よりも楽しいことなんだろうな。
だから知識を毎日のように流し込んでも頭でっかちにならずに教養として心身に身に付くのだろうな。
彼らにとってはソルジェニーツィンを読むのもゴジラを観るのも同じ『新しいことを知ること』なのかもしれない。
自然体で「philosopher(=知恵を愛する者)」として振る舞えてる人達への劣等感や羨望みたいなのは正直あるよね(笑)
ああ、彼らには「おし、勉強するぞ!」って喝を入れる感覚すらなくてこれが自然体なんだ!って気付いた時には震えたね。
実はこの土日で奮起して古本屋で有名な哲学書やらロシア文学をしこたま買い占めてきたよ(笑)
「地下室の手記」はなかったけど、カラマーゾフの兄弟や罪と罰は買ってきた。
ソルジェニーツィンも何冊か買ったし、デカルトやらカントやらあるだけ買ってみた。
古本屋の店主はすげえ偏屈そうなオッサンだったが、購入ラインナップを見たら笑顔になってた。
何度もお礼を言って店を送り出してくれた。彼も「philosopher(=知恵を愛する者)」なのかもしれない。
手始めに薄いゴーゴリ「外套」を読んだけど、思ったより易しくてすぐ読了した。
すっげーヘンテコな話だったけど、不思議な後味が残って楽しめたよ。どんどん読むぞ。
ソローキンのみならず、20世紀以降のロシア文学は、19世紀のパロディであるといっても過言ではないと思う。
そもそも、ロシア文学においては大元のプーシキンが西欧のパロディをやっている。というよりも、プーシキンを読んでその背後にある西欧を読み取るのが正しい読み方。
プーシキンのすごいところは、パロディや翻案でありながらオリジナルを凌駕しているところ。
オネーギンなんかもジュコフスキーからの引用が多く見られる。また、本来韻文においてはヒロイックなテーマが選択されるという常識を破り、世俗的な恋愛を描くというメチャクチャ実験的な小説だったということも補足します。
つまり、ソローキンはなんら実験的なことをしているわけではなくロシア文学の定石をやってるだけで、なんら評価されるべき手法を用いているとは思えません。
彼の新しい点としては、単なる下ネタを文学に偽装して増田みたいな人にありがたがらせたということかな。
ロシア語読めればわかるけど、彼のスタイルは19世紀的で一見すると伝統的な文学に読めてしまうんですよ。
確かにその点は新しいと思うけれど、それが優れているのかはビミョーです。
ロシアの諺に、背広を裏返して着ることは新しいけれど、それはすでに衣装の体をなしていないというのがあるけど、まさにそれだと思いますね。
id:wildhog 言語と研究の価値は直接関係ない。とはいえ世界大学ランキングに役立たないし、留学生や海外の研究者に対して敷居が高くなるから英語で書いた方が得じゃない?
じゃあランキング気にするのやめるか英語以外の研究も拾えるランキングにしろよボケ,が前段への返答で,そんならアメリカ人は日本人にとって敷居の高い英語やめてくれない? 日本語で論文書けよ! が後段への返答っすね.マジあいつら日本史や日本社会についての論文や著書すら英語で書きますからね.それを日本人の研究者がわざわざ日本語に翻訳してますからね(悔しいことに面白いんだこれが).別にそれが悪いことだとはまったく思わない,というかむしろアメリカ人の日本研究者が英語で書くのはそりゃ当たり前でしょって感じだけど,広い読者にわかるように日本の研究者は英語で書けとか言われたらまずあいつらに日本語で書かせてから言えよくらいは言っていいですよね.日本史の読者のボリュームゾーンはまずもって日本人なわけで.アメリカ人が英語で日本についての論文を書いても,えー英語論文しかないのー,日本語論文書いてないとかレベル低すぎー,とアメリカのアカデミアで冷遇される世界になったら日本語で論文書いてる欧米研究者を冷遇してくれて一向に構わないので,そのへんどうかよろしくお願いします.
というか日本語を習得して日本語で論文や博論書いて本も出してる留学生の方だって大勢いらっしゃるわけですよ.私はこれまで,中国人・韓国人・台湾人・モンゴル人・ポーランド人が書いた日本語の単著を読んだことがあるし,ウイグル人やカザフ人やエジプト人やアメリカ人で日本語論文書いてるひともおられる.琉球の方言学とか見ると定期的に日本語論文を投稿してらっしゃるニュージーランド人研究者もいらっしゃいますね.日本語は外国人研究者によっても使われる立派な学術言語です.
モンゴル人研究者が日本語で書いた単著の一例(査読つき)> https://www.yamakawa.co.jp/product/67381
id:parosky 論文は人類の知の体系に貢献するものだからみんながアクセスできる言語じゃないとダメじゃない? という意味で英語なことが重要だと思ってたけど、たしかに界隈の人がみんな日本語を読めるなら日本語でもいいね
「みんなが日本語を読める」んじゃなくて,「重要な日本語の先行研究がたくさんあるから頑張って日本語を勉強する」んですよ……
この辺の感覚が理解されてないんですかね? 文系にとって標準言語は英語だけではなく,分野によってはいくつかあったりするのが普通なので,頑張っていくつかの言語を勉強するんです.西洋古代史なら英語や古典語の他にフランス語とドイツ語の先行研究を読む必要があるし,インドネシアの近代史や人類学を勉強したければ英語とインドネシア語の他にオランダ語を学ぶし,中国の前近代史なら英語と中国語の他に日本語が読めないとね,という要求水準があって,それらの言語を知らない人は勉強する必要があるわけですよ.英語さえ読めれば研究ができるひとたちにはわからない感覚かもしれませんけど.
正直,中国を研究してる欧米人が英語論文の中で日本語を引用してるのを見て,「あっ,つづり間違ってるな,こいつあんまり日本語得意じゃないな」って思うことはあります.たぶんもともと中国語が専門で,日本語は研究に必要だからいやいや読んでるんだと思いますけど,西洋を研究してる日本人は同じことをドイツ語とかフランス語とかに対して思ってたりするわけで,まあお互い様っすね.
id:nakex1 自国語しかやってないと自国語で形成される村の思考の枠組み(そこから発生する評価の枠組み,師弟関係や派閥)から出られないんじゃないかという懸念はある。
師弟関係やら派閥やらはともかく、思考の枠組みとか言われても、社会学は英語圏からの輸入学問なんだから、英語圏の発想や思考をバッチリ取り入れた論文書いてますよ! 英語圏の理論の本とか翻訳されまくってるし,未翻訳の本でも原語で引用してるひとは大勢いますねえ.当たり前だけど,執筆言語が自国語であっても,自国語で論文書くために読まなきゃいけない言語はいくつもあるわけで……
id:kanekoshinichiro 日本語で学術を述べてもいいけどガラパゴスにならない?どこかで日本人以外に読んで欲しくないのかなと思ってしまうな。もっとオープンになればいいのに。英語できるでしょ。
ドイツ語より母語話者人口が多い言語を捕まえてガラパゴスとか言われても困りますわー.日本語は話者数世界トップ10に入る大言語なのですが.ちなみに欧州なんかだと日本の10分の1くらいの人口しかいない小国にもちゃんと日本語学科が設置されて現地語で日本研究の論文が書かれてたりします.日本語学習者って世界中にいるので日本語で論文書いてもガラパゴスでも何でもないんですよね.日本人は勉強して英語論文を読んでいるんだから日本人以外も勉強して日本語論文を読んでください.
id:nt46 ペレルマンの論文はポアンカレ予想という関心分野で他の数学者がその正しさを検証したから業績になってるのであって、事実上査読は行われている。
それが査読になるなら日本語の著書や無査読紀要論文も出版後に多くの同業者が読んでチェックしてるから事実上査読つきですね.ありがとうございました.
id:steel_eel 本質は学問が正当性を確保するためのクロスチェックがどう機能してるかであり、その点で現状ベターなのが英語の使用&査読でチェックを受けるシステムなわけで、それが無いなら代替の何があるのかを示さんとな。
分野によるという話をしています.たとえば日本に関する研究なら別に日本語でもいいですよね.日本史や日本社会を研究しているのに日本語の論文を読めない研究者は三流以下なので,そんなひとに査読を頼んでも別に正確性や信頼性が向上するわけではない……というのは理解していただけますか? 日本以外の地域の研究にしたって,前近代の中国史を扱うならば,中国人研究者が日本語の著作を引用したりする世界なので,日本語で書いて査読してもらえばよくないです?
id:operator 日本語か英語かではなく、国際学会のトップカンファレンスを目指して研究したこともないのに教授になれるの?というのが理系からみた驚きなんでしょ。日本古典文学の研究も、英語で文学分野の国際学会に出せるよね。
だからなんでその「トップカンファレンス」の言語が英語である必然性があるんだと小一時間.確か日本文学については日本語が公用語の国際会議みたいなやつはあったはずですし,ロシア文学の国際会議はロシア語でやるはず.英語以外の言語を発表言語に指定されたカンファレンスは出たことあるけどまああれはトップカンファレンスではないか.ともかく,その「トップカンファレンスの公用語は英語」という思い込みをまず捨てやがれください.そんなん理系や一部文系分野のローカルルールでしょ.
id:tarume バベルの塔を折りたい人。なにが"なんとも愉快な未来予想図"だか、英語コンプレックス隠せよ / 知を共有するために論文書いてんだから、まずは一人でも多くの人間が読める言語で書くのは当然でしょ。自国語訳はその後
文系がバベルの塔を折りたがってるんじゃなくて,そもそも文系には共通言語がはじめからなかったという話です.なかったものを探究しろと言われても……
http://anond.hatelabo.jp/20160903194513
選定基準は
・他文庫で手に入りにくい
・ジャンル小説寄りだったり、わりとライトに愉しめる感じのやつ
順不同
脚本家・ミステリ作家として有名なデュレンマットの粋が収められた傑作選。
デュレンマット独特のケレン味の効いたツイストは、高度な本格ミステリに馴れた現代の読者にも新鮮な驚きをもたらす。
ちなみに「巫女の死」は『オイディプス王』をベースにしているが、本文庫で『オイディプス王』は出されていない。すなおに岩波で読んでおこう。
・ウォー『ご遺体』
第二次大戦前後の暮れゆくイギリス貴族やイギリス男性の生態を皮肉たっぷりに描くユーモア作家イーヴリン・ウォー、その傑作の一。
セレブが利用する葬儀社兼霊園で働くことになった青年をとりまく変なキャラたちが見どころ。
夏目漱石がイギリス留学時代に部屋に引きこもって読みふけったという文豪スティーブンソン。
日本で知名度の高い『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』もこの文庫に入っているが、実は最高傑作と言われているのはこの『新アラビア夜話』。
ボヘミアの王子フロリゼルを主人公に、ミステリーのようなファンタジーのような摩訶不思議な短編が並ぶ。
・ブッツアーティ『神を見た犬』、ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』、ロダーリ『猫とともに去りぬ』
ここらでイタリアを代表する三人の作家の幻想短編集をつまんで、ラクしてライバルに差をつけよう。
ロダーリはあたたかみのある笑いを、ピランデッロはどこかとぼけたシニカルな味わいを、ブッツアーティは得体のしれない不安をあなたに提供してくれるはずだ。
ならば,フレンチ・ノワールの法王(本当にそう呼ばれている)パトリック・マンシェットだ。
ノンストップという形容すらなまぬるいほどの疾走感で綴られる犯罪劇は、頭で理解するではなく、心で感じるんだ。
エリート寄宿舎学校! 生徒内権力争い! 美少年! 同性愛! いじめ! 実存主義!
全部もってけ、あなたがたが欲しているものはすべてここにある。
・ロブ=グリエ『消しゴム』
とはいえ、基本的にどうでもいい情景描写が七割くらいを占めているのでそこを飛ばせば一気に読めるぞ!!
リオオリンピックは終わったが、文学の聖火はいつでもブラジルで燃え盛っておるぞ!!!!!