“いじり”(一方的な可愛がり)といういじめが露骨に流行り出してんだよな
いじりで絡まれた方はヘラヘラ愛想笑いしてなきゃいけない圧みたいものも存在した
そこで嫌だと言えば空気が読めない、マジになるつまんねー奴ってレッテル貼られるから
吉本の悪影響は見過ごせないと思うわ
悪露的っていうか実際にそいつらのために割を食ってるからね。最近は子育てのために社会保障値上がりしたり。それで大人しく金奪われたまま引き下がると思ったら大間違いやと思うで。相手は人間やからな。
口下手で人見知りだけど真面目にコツコツ努力してる人よりそれを小バカにして周囲を笑わせた奴の方が社会的地位が上みたいな空気が90年代ぐらいから出来てしまったのは確実にある。
それがダウンタウン以降かは知らんが。
事前に話合わせてたとか、後で謝罪してたとか言われるけど
浜田がツッコミ入れる時に頭叩くの子供の頃から好きになれなかったな
まぁなんだかんだでケンモメンやなんJ民やツイッタラーとかってダウンタウンチルドレンみたいなもんだもんな
あの文章を読んで”テロを賛美してる”とか言ってる人たちは名誉毀損で訴えられたら普通に負けそうみたいな話はともかくとして、
今まで問題を無視してきた結果、無視出来ない問題が起きて解決のために政治が動いたというのは単なる事実なのではないかと思う。
消費者改正法は知らないが、被害者救済法については報道を読む限り事件を受けて立法化されたものという記述が多数確認出来るし、問題が報道されるようになったのもメディア等の意図はどうあれ事件が原因であることに議論の余地はないと思う。
事実は事実として捉えるべきだと思うのだが、どうもヒトラーのやったことは全て悪でなくてはならない、みたいな人が散見されて少し驚いた。
(ここでいうヒトラーのやったこと、というのは失業率を改善させた経済政策等の良い結果を起こした行為を含意している。まあ実際にヒトラーの経済政策が良い効果を発揮したのかどうかは諸説あるようだが)
加えて日本は民主主義国家であり憲法の第十二条の理念的にも問題を放置した責任は政治家等だけでなく一般の有権者にもあると思うのだがどうだろうか。
自分の三歳娘が初対面の歳上の男の子と意気投合して仲良く遊んで、男の子のご両親がとても優しくて「この子は賢い。息子と遊んでくれてありがとう」とジュースをごちそうになりまして。ありがたいなあと感激してしまった。
蛇輪禍霊
求めてないので永遠に来ないでください
コメント見て理解した。これは「お笑い芸人はなぜ全員反権力じゃないんだ」というありがたーい説教。
ラサール石井、ぜんじろう、立川談四楼あたりの「お行儀が良い」芸人が参加するような政治イベントに行けば「まだお笑いは死んでない…!」とか思えるのでは無いだろうか。
知らんけど。
こういう「ネトウヨの構造を説明してみた!」「こいつらはアポロ陰謀論と同じなんだ!」もまったく同じ「最後にすべてがひっくり返る」病理だと思うよ。勝手に理解した気になって気持ちよくなってタコツボ化してしまう傾向は右派左派どちらにもあるけど、正直左派のほうがひどくなってるね。
なぜ「お笑い」は右へ行くのか
https://anond.hatelabo.jp/20230408014727
これに関しては自分にも「たぶんこうなんじゃないかな」という予想はあるが、この増田とはわりと根本的と言っていいところから認識に違いがありブコメに収め切るのはしんどいので増田に書く。
まず第一に、お笑いが右に行っているという認識自体に疑問符が付く。実際、吉本と維新は距離がかなり近い(元増田では吉本が自民党とべったりと書かれているが、これは自民党内でも特に維新に近しい安倍晋三や菅義偉がトップだったゆえにそう見えただけで、直接距離が近いのは自民ではなく維新だろう)ものの、これに関しては右と左で語るよりも大阪と東京で語ったほうがいいように思える。要するに、維新は「大阪」というアイデンティティに訴えることで大阪において盤石の支持基盤を獲得しているし、大阪の吉本芸人たちもこの大阪アイデンティティに呼応している。
対して、この大阪アイデンティティを離れてもお笑い界全体が右傾化しているのかというと、自分の感覚としては別にそんなことはないんじゃないかと感じている。そもそも大半の芸人は炎上リスクのある政治的話題に首を突っ込みたがらないし、元増田のブコメでいくつも指摘があったように左派的立場を表明している芸人も複数存在する。ほんこんが積極的に右派的発言を繰り返すのが他の芸人から強く支持されているという様子もあまり見られない(むしろ、白眼視されている感すらある)。
ではなぜお笑いが右に行っているという認識が発生するのか。ひとつには前述した吉本と維新の距離の近さがあると考えられる。別の理由としては自分と全く違う意見は印象に残りやすいというのも挙げられる。なぜお笑いは右へ行くのかという疑問を呈したのは坂本龍一だが、左派である坂本龍一からすると芸人が左派的発言をしていてもまるで気にならないが、芸人の右派的発言は強く印象に残ったのではないか。右派的発言をしたのが松本人志のようなお笑い界の代表的人物の場合、実際のお笑い界全体の傾向とは関係なく全体が右に寄っているように見えてしまうというのもあるかもしれない。
ただ、ここまで書いておいてなんだが、お笑いが全く右に行っていないかというとそうでもないかもなとは思っている。正確には、お笑いが抱える本質的特徴ゆえに特別にお笑いが右に行っているということはないだろうとは思っているものの、世間並みに右に行ってはいるだろうなとは思っている。
元々ノンポリや無関心層だったのにあっという間に右に行ってしまうことが近年多く観察されるケースが存在する。それは、定年退職等で時間に余裕ができた結果インターネットに触れる時間が増えた高齢者である。Youtubeでオススメされる中から興味を引く動画を辿っていくと、やがて虎ノ門ニュースやその他ネトウヨ向け動画に行き着く。そして、免疫のない高齢者はどっぷりとハマってしまう。
当然お笑い界にも同じようにネトウヨにハマる人物は出てくる。その代表例がほんこんなのだろう。
ここで疑問として浮上するのが、なぜネットで政治にハマると決まってネトウヨになりがちなのかということだ。なぜYoutubeの政治動画やまとめブログの政治エントリはネトウヨ向けばかりなのかに言い換えてもいい。
自分はこれを面白さの差だと考えている。左の言説はつまらない。対して右の言説は面白い。
元増田に「文化や価値観や道徳の面では左派が強くなっており権力者側である」とあるが、権力という言葉の使い方が比喩的すぎるという点を除けばそう外した認識ではないだろう。現代の(国際)社会は平和、自由、平等、人権、といった普遍的価値を尊重する方向性へと進歩を遂げてきた。だから今では奴隷制は否定されるし、女性や貧乏人にも当然に選挙権があるのである。我々が部外者であるにも関わらずロシアのウクライナ侵攻や中国のウイグルやチベットといった少数民族への迫害を非難できるのも現代社会は普遍的価値を尊重するからだ。もしもその前提がなければ、中国の少数民族迫害の件であれこれ言うのは内政干渉ということになってしまう。
一時的な揺り戻しこそあれど一貫して普遍的価値を尊重する方向へと進歩を遂げてきたのが人類の歴史であり、そして普遍的価値の尊重を中核的価値観とするのが左派である。そうなるとどうなるか。左派の言説はただの常識的なお説教になってしまうのだ。
社会的立場の高いところ、つまり大新聞や地上波テレビなどの既存マスコミであれば常識的であることはむしろ好ましい。しかし、とにかくネットで再生数や閲覧数を稼ぐということを目指す上では、つまらないものはゴミだ。
よく小説の宣伝文句に「最後にすべてがひっくり返る」だのなんだのといったものがあるが、ネトウヨ言説にはコペルニクス的転回というかパラダイムシフトというか、そういった類の面白さに満ちている。
例えば、「これまでの常識:日本は太平洋戦争で朝鮮半島を侵略した加害者である」に対して「真実:韓国は捏造された被害や解決済みの問題を蒸し返し続けて日本にたかっている」が提示されるというのは、従来の加害ー被害の関係性が正反対に逆転するものであり、目が覚めるような面白さがある。自分も子どもの頃オカルト番組の「実はアポロは月に行っていない!」という内容を見てワクワク心躍らせていたが、それに通ずるものがあると言っていいだろう。
しかもこれは単に面白いだけではない。ネトウヨ言説においてほぼ必ず語られるのが既存マスコミや教科書、教師への批判だ。ネトウヨにハマれば、「世間の連中はマスコミや教科書に洗脳されて間違った常識を信じ込んでいるが、自分は真実を知っている」という圧倒的情報強者感覚を得ることができるのだ。これは実に気持ちがいい。専門家のアカウントに突撃して「もっと勉強してください」とか言ってしまえるほどのものすごい自己肯定感を得られる。
左派言説だと「マイノリティは困っていてマジョリティは配慮すべき」というマジョリティとしてはいささか居心地の悪い認識が語られるのに対し、ネトウヨ言説なら上記のひっくり返しを発動して「マイノリティがマイノリティ特権をゴリ押ししてくるのでマジョリティである我々はそれに抵抗しなければならない」という具合にむしろマジョリティこそが被害者であると言ってくれるというのもいい。自分が加害者側にいるように言われるよりも被害者側にいるように言われた方が誰だって気分がいい。
以上のように、ネトウヨ言説は面白いし気持ちいい。対して左派言説はつまらないし自分が責められてるような居心地の悪さすらある。
インターネットという、正しさや妥当さという基準がまともに機能せず、どれだけ多くの人間に受け入れられたかという数字こそが重要な真に「民主的」な空間において、どちらがより良いものなのかは火を見るより明らかであろう。
なので、インターネットが大衆化した現代において世間はいくらか右に行くし、お笑い界の芸人たちも特別な人間ではなく世間のひとりひとりである以上、お笑いもいくらか右に行くことになる。
「お笑いとはこういうものだからお笑いは右に行くんだ!」というふうに考えるよりも、このように考えた方が実態に近いのではないかなと自分は考えている。
http://kosoch.com/blog-entry-59171.html
こういった記事で「異性に気を使ったり遠慮したりして異性に声をかけられない男が増えているのでは?」という問いに対し
「それは優しさでは無く弱さ、傷つく事を恐れてる男が臆病なだけ!キモいキモい!」と、どこぞの炎上クソ漫画家みたいな攻撃的な反応をする女達。
しかし女が恋愛においては基本的に受け身で警戒心も強いのは事実。
女自身が「女が男を警戒するのは仕方無いだろう!」と主張している。これは実際に加害性が高い男もいるので仕方が無い面もある。(加害性が強い女の存在を無視しているのはいただけないが)
しかしながら、人に好意を持ち受け入れず拒絶される、その前段階で警戒され気持ち悪がられるのを嫌がらない人間などそうそういない。
それは男女共に変わらない。
しかし女は男にだけ拒否・拒絶を乗り越えて私達を求めて来い!と一方的に煽って負担を強いているいる。
まさに女の負の性欲、加害性が存分に溢れていると言える。