「立川談四楼」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 立川談四楼とは

2022-01-09

圓生さん、だからあんたの弟子は育たない」

昔、笑点大喜利木久扇が「圓生さん、だからあんたの弟子は育たない」を落ちにしていて、何のことかと調べてみると圓生というのもなかなか面倒臭い人物であったようで、頭の隅に残っていた。

それでずっと気になっていた、故・春風亭一柳の「噺の咄の話のはなし」をようやく読んだ。

春風亭一柳は元は三遊亭圓生門下。81年に自殺圓生門下には、師に対する痛切なまでの愛憎を抱えた人が多いけれど、一柳のそれは、特に凄まじすぎる。

30年以上も前の落語協会分裂騒動の本だが、自殺という最後を知っているからこそか、常に不安な緊張感漂う内容だった。師匠三遊亭圓生を熱烈敬愛するあまり師匠に疎まれていく苦悩、読んでいて辛かった。

天才落語家圓生弟子入りして尊敬のあまり立居振舞まで師匠に似て来て、それが理由で疎まれて最終的にふたり師弟関係は決裂してしまものの、師匠の死の際は遺体に追い縋って泣いたり、こう、胸にくるものがある

以下Wikipediaからコピペ

圓生の死を知った直後の気持ちが「嬉しかった。ただむやみに嬉しかった」[49]「これで おれは生きていける。死なずにすむんだ」[50]というものだったと告白した。当時、圓生落語協会和解して会長に再就任する形で落語協会に復帰するのではないかという噂話が新聞などに出ており[51]、神経質な一柳は、もし噂通りになれば、自分は今まで以上に圓生に虐げられるのではないかと怯えていた[51]。「嬉しかった」というのはそうした恐怖感から解放されての率直な感想であった[50][16]が、この「圓生が死んで嬉しかった」[注 5]という言葉はここだけが切り抜かれる形で大きく取り上げられた[2][19][52][24][53][54]。

自叙伝出版直後は明るい表情を見せていたが、次第に精神的に落ち込むようになり[53]、写経を始めたり[52][53]、「噺の間の取り方がわからなくなり生きていく望みがなくなった」と妻に語ったりするなど[2][13][55]、言動が周囲に心配されるようになった[53]。投薬治療で快方に向かっていたが[53]、1981年7月9日、自宅の団地屋上から飛び降り自殺した[2][56][53]。

一柳の死について、愛憎入り混じる圓生との師弟関係を原因に挙げるものは多い。兄弟子の川柳川柳は、(一柳は自叙伝の中で圓生の)「悪口を書いて吹っ切ったつもりだったけど、本当は後悔して悩んでいた」[53]と述べ、一柳は圓生に殉じたのかも知れないと推測している[57][53]。仕事斡旋稽古で一柳の世話になった後輩の立川談四楼[27]も、一柳の自叙伝を「円生への決別宣言」[52]と位置付け、そして自叙伝執筆により、「決別したつもりで、あらためて円生が好きなことに気づい」[52]て自分自身をさらに追い詰めたのだろうと推測している[52]。弟弟子三遊亭圓丈は「好生程円生呪縛から逃れる為に七転八倒した者もいない」[18]と評し、そして一柳(好生)が圓生呪縛から逃れることは「悲惨最期を遂げる日まで出来なかった」[18]と述べている。兄弟子の5代目三遊亭圓楽も円丈と同様に呪縛という言葉を使い、(好生は)「うちの師匠の芸の呪縛から逃れたい一心だったんでしょう」[24]と述べている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E9%A2%A8%E4%BA%AD%E4%B8%80%E6%9F%B3

2019-04-08

anond:20190408103801

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん