ちょっと新手のこうちう儲け話や副業の記事には何故かブクマがついていつもホットエントリーに上がってくる
結局お前らも同じことして稼ぎたいワナビーなんじゃん
俺は、言行不一致だけは許せないんだよ
言っとくけど、それって最も惨めの嘘つきだからな
稼いでるやつを叩きつつ、自分も同じとこ目指してる
本当に恥を知れよ
あああああああおあああああああああああああああああおあああああああああああああああああおあああああああああああああああああおあああああああああああああああああおあああああああああああああああああおあああああああああああああああああおあああああああああああああああああ
7つの「お」を見つけてください👀
なんかバカバカしいんだけど、経済悪いのに給料揚げたら普通に倒産が相次いで日本経済崩壊やん
経済崩壊したら社会福祉への余剰が無くなって、シンプルに福祉制度そのものが崩壊
経済をよくするか、社会福祉を切り詰めるか、あるいは大規模増税で高負担高福祉に移行するか
一体お前らはどういう絵があるんだよ
そのとき、コウスケのiPhone7が鳴った。俺も一緒に買いについていったから覚えている。そのときはなぜだか頭の奥では一瞬冷静になってそんなことを考えていた。考えていたというか、自分をどこか観察していたというか。コウスケは画面を見るなり、電話に出ながら部屋の奥へと戻っていった。これは今でもふと思うけれど、俺はそこでそうすべきじゃなかったのかもしれない。けれども俺が選んだ行動は、コウスケの後ろ姿を眺めドアが閉まるのに任せたあと、自宅へ戻ることだった。その日以降コウスケから連絡がくることはなかった、俺もこちらからとることはしなかった。気づいた頃にはもう遅かった。正確には、その日から俺はコウスケの姿すら見ていない。大家によると、あの日の翌日には空っぽになっていたそうだ。
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イズミと会ったのは、高1になってすぐの頃だった。といっても最初はすれ違った程度だけど。初めて話したのは高2になってからだった。タクヤとイズミが話してて、俺は偶然通りかかったついでにタクヤに話しかけた。もちろんイズミが気になってたからなんだけど。そしたらイズミが「ねえ、君、イトウくんでしょ」って言ってきた。イズミは初めから適当だった。俺の名前はイトウじゃなかった。けれどもそのときは、俺もノリで「おう」と応えた。その日から俺はイトウくんと呼ばれるようになった。イズミが俺の本当の名前を本当は知ってたのか、知らなかったのかは今でも知らない。他称イトウの恋は8月の大爆発と一緒にどこか遠くへ行ってしまった。タクヤが泣いていたのを思い出す。思えばその頃から歯車は狂い始めていたんだろう。あのとき俺がイズミを誘わなければ。
もう一つの方法としては、javascript版だ。
https://gist.github.com/bellbind/d9dc9ccdd4a8735a9990
2倍固定だけど。
デモページで試してみたら、javascriptがicabやらsafariでは動かない。
かろうじてFifefoxやchromeで動く。
最初ダウンロードして、OSXのweb共有で試してみようと思った。
→動かない。単純拡大の方はスパッと表示されるが、その下の表示が "Progress: initialize worker..." のままで停止。
Apacheの設定を変えるといいのかもしれないが、あくまで仕事の機械だしね。
結論としてはダウンロードしたHTML書類を、Finderから右クリックしてFifefoxで開くとなぜか動くというのが確認できた。
へーってなった。
(ちなみにHTMLをエディタで開いてjsonをgithubのURLにしたらweb共有からでも動くのは確認した。
ブコメで
マット圧死事件などの校内暴力(今で言えばただのイジメ)がチョイ上世代なので、変なの避けのための偏差値偏重受験戦争世代かつ就職氷河期ドンピシャ世代。渋谷のチーマーは上、池袋のカラーギャングは下世代
マット事件の被害者は1979年生まれの年度(1979年か1980年の早生まれ)。たぶんサイバーメガネの人と同じ年度だよね?
自分は1979年前後くらいが氷河期ドンピシャと思っていたので、ちょっと考えてしまった。
自称ロスジェネ・氷河期は範囲広すぎて、今はウチら悲惨ダヨネーと嘆き合ってるがいずれ細分化し(例えば70-74、75-78、79-83生、新氷河期)悲惨王座の奪い合いになると薄々わかっているので今後も団結しないだろう。
このブコメがわかりやすかったのだけれども、この範囲だと中野富士見中いじめ自殺事件の被害者の同年代も入ってくるよな、と。
本当によくわからん。
"昔は屋舎がボロくてスカスカだったから、女子が用を足すには複数人で連れ立って行かないと変質者に襲われた"
連れション文化はその名残だということを聞いて、どこか納得する所があった。
今でも1人で公園などのトイレに行った女児が強姦され、救急搬送される件数は多いらしい。
体が幼いので、下半身は酷い裂傷で、一生人工肛門で障がいを抱えるケースもあるらしい…
こういったらアレだけど、大人の女性だったらここまでの重症にはならないと思う。
やっぱ、ロリエロは悪だし、あってはならないし、たとえ2次元であっても今よりもっともっと地下に潜る必要があると思う。
少なくともちょっと検索したらアヘ顔の幼女の絵が山のように出てくる状態はおかしい。
実際は、大人から子供への強姦なんて、生きながら皮膚を引き裂かれてるようなもので、気持ちよくなんてなるわけないんだからさ。
>>容姿を気にする前に、その腐ってしまった心をどうにかした方が良い。美男美女OK、不細工ブスはNGみたいな判断基準だから、
>>未だにセックスひとつ満足に出来ないってことを認識すべき。セックスしたいなら心を磨け。
https://anond.hatelabo.jp/20171203134612
この種の手口って昔から変わらない。
新歓コンパ、GWコンパ、梅雨でもコンパ、夏は海に山に夏合宿。
4月か5月に3年生が1年生女子を食って、夏までに飽きたら別れ、
フォローして下学年がその1年生食って、まあ4~5人で回したら
まともな子はいなくなって、残った女衒みたいな2年生以上の女子が
下学年を連れてくる。以下繰り返し。
ドラフト会議とかやってたのも同じ。
3年生が食った1年生の自慢する。主に身体的に。
たぶん今ならハメ撮り写真とか見せ合いっこしてたと思う。
それで2年生がどこに行くか談合して攻める。たいがい落ちる。
また夏が終わるころにドラフト会議やる。
ひたすら身体的に自慢。そのころになると女子も性的に成熟して、
テクニックなども向上してくるので、また3年生が参入したりしてカオス。
バカな女子が優秀な自分の性欲の対象になるのは当たり前だと思っていた。
実際、うちの大学の名前を出すと、多少イケてない男性にでも女子は股を開く。
そうして女子をバカにしている自分の感覚は正しいのだとフィードバックされる。
俺なんて4年間で20人近く食ったよ?処女だって4人も食った。
連中、屈折して俺たちのことを白い目で見てたけど、バカはお前らだから。
お前らだって女とやりたいんだろ?
マッチョな、それは仕事ぶりも女性の働かせ方もなんだけど、大企業に入社。
さすがに学生時代のような無茶はできないけど、
年齢なりに結婚を焦っている女ってのはいて、いくらでも食べ放題。
30過ぎで知り合う女は、年齢にかかわらず計算高い。
名刺の肩書を見て瞬時にしらける女が増える。私は徐々に相手されなくなってくる。
学生時代バカにしていたような童貞どもが、会社の主流を占めていく。
元童貞どもが、ヤリサーなんかにいなかった同世代のいい女と何人も付き合って、一番条件のいいのと結婚していく。
気づいたら、私は、私がバカにしていたような女性と結婚するしかなくなっていた。
いかにも頭の悪い、たいしてかわいくもない、若いだけがとりえの女と30半ばで結婚。
女の子が生まれたが、産前産後にもまともに相手しなかった結果、別れを切り出された。
「あなたは、他人と向かい合って生きることができない人だから」
ということらしい。
少し上のバブル世代のできない先輩たちと十把一絡げで軽んじられる。
もちろん、40過ぎたバツイチ男にまともに相手してくれる女性などもいる訳もなく。
私は、これからは、私がバカにしてきたものから見捨てられる人生だ。
何が間違っていたのだろう。
あ、そっか、30過ぎの選抜で勝ち残ればよかったんだった。
外人が来日する場合も日本人が外国に行く場合も基本は政府や組織の管理下で制御された交流
陸で他国と面して無くて日帰りで気軽に外国行ってきますとできる条件じゃない
この状態で異文化を理解するとか外から日本を客観視するとかはすごおくハードルが高い
あれは小学四年生のころだったか、近所にある小さな学習塾に通っていた。当時は開塾したばかりで、生徒の数が少なかったから、自分の学年の国語のクラスは個別指導だった。先生は若い女性。狭い教室に机を二つ並べ、教師と生徒が向き合う形になり、テキストの問題を解いては解説してもらうという流れで授業は進む。黒板は使わない。授業の内容はほとんど忘れてしまったけれど、毎回、先生がキャンディーをくれたことはよく覚えている。とても優しいお姉さんだった。
実を言うと、あれから長い年月を経てもあざやかに残っているのは、キャンディーの記憶だけではない。というか、正直キャンディーのことなんか今となってはどうでもいい。私がその先生を思い出す時、必ず脳裏に蘇ってくる光景がある。それは胸の谷間である。先生は、私に教えるときに限って(そうであったと信じる)やや胸元の開いた洋服を纏い、こちらの目をじっと見つめながら、少し屈むような姿勢をとって、大きさとしては中くらいの柔らかそうなものを小学四年生の私にアピールするのだ。国語どころではない。鮮烈な刺激だった。私が今、女性の胸の魅力にとりつかれて離れられない原因の一端は、この時の経験にあるのではないかと疑っているほどだ。
あの時、先生はどうして十歳足らずの男の子に胸の谷間を許したのであろうか。私にはそれが長年の疑問であった。そういう特殊な嗜好があったのか。いや違う。少なくとも私の目に映る先生は常識人だった。或いは、自分の谷間が露わになっていることに気付いていなかったのか。それも違う。一度や二度ならともかく、毎度となれば自覚しないわけがないだろう。今になって思うに、恐らく先生は、勉強に興味が持てず上の空になりやすい私の性質を見て取り、キャンディーを与えたり、谷間を見せたりして、なんとか集中してもらおうと独自の努力をなさったのではなかったか。できたばかりの塾に入ってくれた生徒の学力をどうにかして伸ばしたい。その一心が生んだ彼女なりの行動だったのではなかったか。そういう風に考えてみると、感謝をせずにはいられない。先生は体を張って私のために尽くしてくださったのである。
最後にお会いしたのはたしか中学生のころだったと思う。学校からの帰り道、たまたま通りかかった先生とばったり出くわした。「あっ」とお互いにびっくりして声を発する。先生のお腹は大きくなっていた。今では立派な母になっているわけだ。先生との思い出は、この時を限りに途絶えている。恐らくもうお目にかかることはないだろう。しかし若き日の印象はいつになろうと色褪せぬ。昨日、ふと思い出して、晩のオカズにさせていただいた。私も大人になってしまった。