いままで30年くらい生きてきて、触れずに過ごしてきたことをちょろっと後悔した。
いや、後悔と言ってもぜんぜん遅くないというかむしろ早いほうだと思うんだけど。
なにしろ、客席の平均年齢が70歳くらい。(中には90歳くらいでは?という人も)
若い人は着物をお召しの人(習ってるっぽい)や外国人観光客が多かったね。
で、何がいいって、なんつーの。まず、フィジカル。
想像してた倍くらい動きがゆっくりで、想像してた倍くらい声がでかかった。
あれアスリートよ。オペラ歌手とかもすごいけど。また質が違う感じ。
あと鼓もすごい。音も信じられないくらい響くんだけど、すごいのが誰もタイミングを合わせようとしないの。
タイミングが合ってないのに誰もあわてない。
合ってないんだけど、合ってる。
何言ってるかわかんねーと思うけどそうとしかいいようがない。
売店で、謡本ていう台本みたいなのが売ってる。
(そこの版元が創業350年とかちょっと意味分かんないくらい歴史が長い。)
それ買ってパラパラめくってると、何言ってるかわかる。
逆に言うとそれがないと何言ってるかわかんない。
(狂言師だけは例外でなんとか現代人にも聞き取れること言ってたけど)
で、館内でも謡本開いてる人がそこかしこにいる。
舞台が進行していくと定期的にページをめくらなきゃいけないんだけど、
みんな気を使ってかそーっとめくる。
静かなシーンで、館内の色んなとこでパラパラいうのが聞こえてきて、それがなんだかすごく粋なんだよ。
舞台上の能楽師にしてみれば、謡本ばっかり見てる人に思うところがあるかもしれないけどさ、そう思ったわけよ。
話の内容も謡本のおかげでよくわかったよ。
なんつーの、すごく引き算的というかさ、ま、このへんはおれの陳腐な言葉を尽くしてもしょうがないよな。
過去みた娯楽のなかでぶっちぎりで平均年齢高かったけど、だからって二の足踏むのはね、もったいないですよ。
長々と回しもんみたいなこと書いたけど、館内の人口ピラミッド考えたらさ、いてもたってもいられなくて回しもんになりたくなっちゃったんだよね。
だからとにかく、観にいこう世!ってことです。
パスワード再設定用のフォーム使えばいいじゃん、って提案してるんだけど全然聞き入れてもらえない。
すぐにログインさせたいんだと。
アホか。
辞めたい。
そうでないならシェルスクリプトを導入した増田の独りよがりでしかなく、
それによってシェルスクリプトの利用について学習コストを強制されかけた後任が
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そうでないならLinuxを導入した増田の独りよがりでしかなく、
しかし、変なことでありますけれども、私はヤソ教であるので、その立場から考えるのですが、日本になぜ原爆が落とされたのか。世界にたくさんの民族があるけれども、どこにも落ちていない。日本にだけ落ちたという理由はどこにあるか。私はその意味を自分なりに解決をいたしておるのであります。それは何かと言うならば、日本が世界の平和をもたらす選ばれた民であるというのが、この原爆の中における意味ではないか、私はこう解釈する。私はアメリカのヤソ教の人にもこう申すのです。ユダヤ民族は神が第一の選民としたけれども、第二の選民はわが日本民族だ、原爆の犠牲を通じて日本民族は平和のために大きな使命を持っておる民族である、これはあの大きな犠牲と災害の中から生まれてきたものである、こう私は言うておるのです。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/040/0082/04005070082029c.html
どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。
一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて。
私が書いた他の増田も参考になれば。
http://anond.hatelabo.jp/20120313173731
http://anond.hatelabo.jp/20140616194130
http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
http://anond.hatelabo.jp/20140618130300
http://anond.hatelabo.jp/20140626042403
http://anond.hatelabo.jp/20140906043308
http://anond.hatelabo.jp/20140910180334
http://anond.hatelabo.jp/20140913202540
http://anond.hatelabo.jp/20140914131816
朗報。退学なう。 旧帝医学部に合格するレベルからすると、東工大は勉強しなくても合格できるでしょうというレベルです。 分かる人には当たり前の話であり、また表現したところで誰も幸せにならないこの話をしたかったためだけに、自分の人生を犠牲にしてしまう決断をし続けていました。 テストの問題とは、問題製作者と自分とのコミュニケーションです。 中学受験では、算数と物理化学に関して、私には解けない問題はありませんでした。 また私は言葉に対する思いと価値観が他人とは大きく異なっており、 国語に関しては気持ちが悪くて、まったくできませんでした。 私は灘中には受験すらできませんでした。 理由は、彼らとの環境の差が大きいからだと思っていました。 あと私は呼吸が苦手であり、健康面でのハンデも大きかったです。 中学受験の環境は優れていて、中学でも高校でもマネすればいいじゃん、と思っていました。 家の近所にあった、大阪のトップ中学に進学しました。 私は中学時代は親の虐待を受けており、家で勉強したことはありませんでした。 試験本番のテスト中には問題製作者とのコミュニケーションをします。 そのコミュニケーションが唯一の勉強時間でした。 算数と物理化学に関しては、中学受験での環境が神だった貯金が大きかったです。 大阪のトップ校程度では、周り人の算数と理科のセンスは全く高くありませんでした。 中学に内部進学を拒否されたので、他の高校を受験しました。 大阪のトップ中高よりもレベルの高い兵庫で2位の高校に合格してしまいました。 伝説度のレベルでいえば、中学ビリから甲陽の方が、高校ビリから東工大よりも高いと思います。 現役時代は鉄緑行ってて、周りは京医か阪医志望とかだったけど自分だけ阪大受験(センター47%) 浪人時代は四谷学院いってたけど、能力別科目別の入学テストで英語0点で一番下のクラスに入ったら信じられなかった世の中の底辺を見て信じられなかった。 理由のなかった行動など存在しないと信じて、そう言えるためだけに生きてた小学生時代 他人に対して何か思う時、他人の生まれた環境がかわいそうで不幸だったんだね、という価値観がたぶん根っこにあったんだと思う。 人間、言葉では聞かされていても全然体は理解していない。 生まれたときは自分の環境しか知らないから、親がセンスの悪いところに目が行ってて、言葉に対する価値観の違いがあったけど、社会の中では親のセンスはめちゃくちゃ上位だったことは理解した。 親も他人に比べれば気が利く人で仕事が出来る人。自分も心の中では気が利く人。でも両方とも表現が下手くそ。コミュニケーションが下手くそ。 母親も自分の親に対する価値観の違い、夫に対する価値観の違い、義理の親に対する価値観の違いがあって、私の知る祖父は温厚だけど母親にとっては違うし、母親自身も親になって親への気持ちが変化したとか言ってて、とりあえずそういう話が聞けたのは良かった 自分が中学時代に抱えた心の深い闇、母親は私を守ってやれなくてごめんねと後悔しており。母親自体は客観的に見ればすごくセンスの良い方である。それはわかる。けれどももっと理想をもとめてしまったんだなとはおもう。 いろんな言葉に対して小学生の時からぐるぐる考えてしまっていていろいろあるけど、認識が全て 自分の価値観は環境から生まれたものだし、また私の評価なんかご勝手にどうぞでいいし、いいんだけど 真面目に評価する気のない人から評価されることに思うこと思う人達と思うこと思わない人達。 存在するものそのものを評価する気のない人から評価されるために生きているわけではない 人を評価する気ないと宣言した人の方が評価される時代 人間は人間を評価する気が全くない、みたいな文化が受け入れられない。受け入れたら人間であることを放棄したようにしか思えない人生だった。 某大会はまけたのだけど、今までの私の高い高い勝率が失われたわけでもないし、人を評価する能力のない不特定多数からのどうでもいい評価を集めても何も満たされなくて、評価している人(仮想の人間を信じる)から評価されればそれで満足する世界に生きてたので、別に。 小学生の時から、他人の言葉が大嫌い。 人間を人間だと信じることしかできないけども、一方で他人の言葉は全てがネタであり 認識が全てであり、全ての人間が認識が全てであるという認識を持っているとだけ信じていた。 心を閉ざした状態で、仮にもっといい中学に入り、もっといい高校に入り、もっといい大学に入り、もっといい会社に入ったとしても、それは幸せではなくて 環境は大事であり、いい大学の方が確率的にはいい環境かもしれないけどね。 でももっと根本的な家庭環境が最悪であった。 心を閉ざしていたから、ともだちはいない。 認められる価値観の違いもあるけど、認められない価値観の違いもあるはずで 望んでるものを望んでるのであり、その上で表現があって。 自分はただ人間を人間だと信じることを望んでおり、表現していて 他人も何かを望んでの表現だと思っていて。 はじめてネットにふれたのはブログで、その次はSNSとしてのモバゲーだった 世界のどこかに自分と同じような人がいないかなって思ってた。 いい大学を卒業したとして、いい環境で育ってきたんだねと思われるのは絶対に嫌だし耐えられない。 生きてて恥ずかしくないのかなって思われるかもしれないけど、自分も他人に対して何十年も思ってたことなのでお互いさまだと思う。 自分にできることを他人はできなくて、他人にできることが自分にはできなくて、その得意不得意も価値観に影響してると思う。自分が主張したいのは、全てを網羅した次元での価値観の違いは認められないでしょ、というところなのだけど。 言いたいことが何も言えないのが生きてる意味を感じないしつらい。 過去が存在しない人との間に未来などないでしょ。過去が存在しない人との間に未来などないでしょ。しか言うことがない。過去が存在しない人にモテても未来がないでしょ 人間が人間を人間と感じて生きた結果、過去の存在する今がありまして。 過去が存在しない人には今も存在しないし未来も存在しないし過去も存在しない。論外。 魅力を感じる人が少なくて、魅力を感じる人が現れるといいね、と思うけど。 人間を人間だと信じないと絶望しかないけど、人間を人間だと信じても絶望しかない気がする。 中学受験以降、環境が地獄で勉強したことがない。表現が下手なので経験者にしかわかってもらえないと思うけど許して。 高校までは卒業という形で追い出されたけども、大学では卒業という形では追い出されなかった。 勉強したことがないので東工大にしか入れなかったけど、勉強したことがないから東工大すら卒業できない、と言いたいことが言えて満足してる自分がいます。 退学までの決断が遅いことに関してはいろいろあるけど、中学高校ではできなかった、他人とのコミュニケーションの練習をずっとしていたと思う。 中学高校で体験すべきような体験を大学で取り戻したかったのだ。 自分の環境は、経済的には恵まれていたけどもそれだけだし、 むしろ経済的に恵まれていたからこそ他では劣悪な環境になりえたのだとも思う。 すべての人には理由がある。過去がある。 自分は尊敬しているのは自分だけで、誰も尊敬できないのだ。 全ての人に対して魅力を見せる時間的余裕などないわけで、自分の周りの人もその人の可能な範囲での魅力はあるであろう。 当たり前の認識。当たり前の認識を信じるしかない。 人間として生きたことがあるのであれば分かるであろうとしか言いたくないこの気持ち 誰かにとっては魅力的でも誰かにとっては魅力的ではないというのは当たり前に発生する。 その上で、私と私の周りには魅力的関係が一切発生しないだけ。 みんな表現が下手なんだ。 自分の欲求。 表現がしたい。思いが伝わる人を探したい。 呼吸がだるい。体のだるさを表現するための語彙がわからない。病院いきたい。 東工大の退学、卒業よりも難しいのでめでたい。祝われたい。 自分の人生に興味なかったのに急に関心を持てとか言われてもできない。 他人から見て扱いに困る状態で突き進んでる自覚しかないけどやめれない ネット上なので評価されてしまう言葉は、小学生から見ると、大人は過去が存在しない残念な生き物なのかなという感じで、レベルが低いですよね。 小学生の段階で、人間であることを放棄しなかった人は、きめ細かい論理をふつうは持つわけです。 相手の認識を信じるしかない小学生。 小学生の段階では表現する場所がなくて、過去が存在しない大人には通じません。 高校生時代に書きためたノートとかあるのだけど、すべて電子化したい。 時給払うから手伝ってほしい。 語彙力がないので認識という言葉を多用してしまうのどうにかしたい 快適な生活を維持したい欲求が罪深い 経済的には恵まれていると思うけど、自分の状態や意識を表現する機会と能力のなさは深刻。 ネット上であれば喧嘩している最中であっても、拒絶するつもりが微塵もなかったりするので、結局表現の問題なのだなって思う。 存在するものを否定する気はないという意識 正しいものなんてなにもないのだ、というのは人間を人間だと感じる感覚を否定する行為なので避けたかったのだ 言葉を使うのが下手くそなので求めているものはそうじゃないんだってよくなる。 気が狂うほどの理想に真剣に悩んでて、話相手がほしかったね。 雑な表現になるが、死ぬ気でやれば卒業だってできるであろうが 絶対にそうしたくはない気持ちが強かった。 他人から見れば価値のないものに拘っているかもしれないけれど。 中退することができて、自由な気持ち。 人間を信頼できる前提であれば、責任ある自由な仕事をしたい。 生きてきて感じてきたものに誇りと自信がある。 言葉ゆえの混同が嫌い。 言葉の奥に存在するものの存在を信じている。 人間の前提となるレベルから価値観が全く合わない。 君は私を全く評価していないし私も君を全く評価していないという構図を理解してほしいなということをまず伝えなければいけないな、って思う。 人間からの評価は求めているけど、人間ではない人からの評価は求めていないよ。それだけ。 祖父母は母親の本当の姿を知らないと母親は言う。 私と親の関係も同じで、全く知らないと思えるものが思える量だけ存在してる。 子供が親をどう評価するのかは親に強制されるものではない。お互いに全く伝わらないと思っていると思うが、私は不満を捨てる気は一切ない。許せない価値観の違いは許せない。それだけなのに。 こんな親は嫌だ、ただそれだけなのに。 親と会話が成り立つ家庭に生まれたかった、と思ってはいけないのか?という気持ち。 親は仕事ができるし、無言でなんでもこなしてしまう。 私も無言でこなしてしまうことはこなしてしまう。 そして両者ともにコミュニケーションが下手くそ、本当に下手くそ。 人間はコミュニケーションが本当に下手くそ。 人間と人間の間にある言葉は、信じたいように解釈したり、都合の良いように解釈したり、またそれらの逆だったりする。 その気持ち悪さを認識した上で、葛藤を認識した上で、言葉を使う。信じるしかないから。 お互いがお互いの主張があって 求めているのはその俯瞰的な認識なのであり、そこの信頼関係が安心できないよねという話。 相手の認識をどこまで信用していいのかどうかという感じ。 人間を評価して人間に評価されたくて、人間であることを放棄した人の存在は信じたくないし信じることはできないそれだけ。 もしも自分が自分に投資するんだったら間違いなく病院につれていく 親が自分ではない自分を見ているつもりになって勝手に幸せを感じるのは不快だという気持ち。 感じるものに自信と誇りと責任を持っている。 認識が全てだと信じるしかなかったけど、認識にも期待できないのだったならば、なにも残るものがないや。 本当の欲求を表現することができなくて、子供は表現方法を知らないんじゃないかなって思ったりする 自分は自己主張を全くしない子供だったのだけど、心の中にはいろんな欲求はあって、今でも残ってて 表現するのってほんとに難しい 言わないのではなく言えない。そしてその未来だって存在する。簡単なことだ。 何が問題なのかって、小学生の私にとって、周りの多くは人間であることを放棄した人達だったのだ。 当然、人間であることを放棄した人達になんかなりたくない。 ただ人間を人間と信じることしかできなかっただけだ。 現実的には他人が許されるなら許されるであろうというような認識は発生すると思う、と認識している。 尊敬する人は自分。言えるもんなら言ってみろよ。そう言えるために生きたのでそうとしか言えない。 他人の場合は自己の存在否定だから言えないでしょ。 表現が下手って皮肉たっぷりだったりするけど、伝わるわけがないから自己満足の世界 なにもするきになれない→やばい(げーむでもいいからしよう)→げーむすらめんどくさいからもういいや(いまここ) 人間を人間と信じるっていうのは、他人の不可解な全ての行動に対して理由があるはずだと解釈することなのだけど、そんな心の強さがあるのは自分だけだったみたいな感じ 拒否反応を期待してるところがあるので別に構わないのだけど、世界は不幸だなってだけ思う 生まれ変わっても他人には絶対になりたくない、自分がいい、としか思えない。自分の誇れる唯一の自尊心? 言葉に対して潔癖なところがあって、死にたいって表現だって理解できない気持ちがあって、なんだけど現状は死にたい気持ちの純度が高いなぁ程度の。別に環境が勝手に変われば勝手に生きると思うし、好きに使ってくれよって感じ 感謝とかそういう言葉も嫌いなのだけど、そんなの体が勝手に誠意尽くすはずだし、人間なめすぎだろって感じで、体ではなくて言葉だけで思考してる人への見下しが激しい。きっと過去が存在しないんだって思うしかない 過去が存在しない人かわいそう。それでも私は人間を人間と信じることでしかこの世に自分としては存在できない。この話難しいかな
昔、あれほど上司の批判を言い合った先輩が管理職になり、あの時批判した行動をとっていて、これが昇進なんだろうと思った。
求められる姿があって、ジグソウのピースのように形の合う人がはめ込まれていくのだろう。その形に姿を変えないとはめ込んでもらえない。
ちょっとだけ調べてみました!
どうでもいいけどid:blueboyさんはいい加減自分の意見に自分でスター付けるのやめて欲しいなと思った。「おれの意見は正しいからおまえら注目しろ」って趣旨なの?
blueboy氏はどれほどの自演スターをつけてるのかと思ったら、1個で拍子抜け。何とかノート事件(実験ノートではない)の時にある人がお仲間に大量のスターをつけていたのを見てきたせいで、感覚が麻痺しちゃったのかな
ああ……ついにつっこんでしまった/「この星はセルフスターかなー?」ってニヤニヤ楽しんでいたのに/はてなスターの使い方は自由でいいんじゃないかと思います
話題になったのって今回が初めてじゃなかったんですね! 迂闊でした!
こちらの方も「毎回のようにセルフスターして」という印象を持たれていたようですね!
また、氏が少なくとも2012年からセルフスターしてたことも分かりました!
blueboy氏のセルフスターが物悲しい。例によってblueboy氏以外で疑問に思う人がいたら質問に答えます。blueboy氏からの質問もコメントしてくれたら答えます。間違いだらけのブログに反論するのは面倒くさい。
氏は今回、ご自身のスターは消してまわったそうですけど、他人のブコメまでは消せないんですね! ちょっと気の毒ではありますね!
でも、ちょっと探しただけでこれだけ証言が集まったとなると、「嘘つき。夢でも見ていたのか?」はあんまりなんじゃないかと思いました!
え? いいの? マジで? すごいことさせようとしてんだよ、君?
みたいな。妊娠するかもしれないのにセックスさせてくれるってどういう気持だろうって、その頃から疑問だった。
今、30を超えたけど、未だに女の子は頼むと割と簡単にナマでやらせてくれる。頼んどいて何だけど、その度に驚くよ。
・女にも性欲がある → わかる
・断りづらい雰囲気 → わかる
・「じゃあナマでいいけど、絶対外に出してね」 → え??
こっちは当然ナマでしたいから「ありがとう」ってなもんだけど、未だによくわかんない。
妊娠するかもしれないんだよ?
堕胎したら一生苦しむかもしれないんだよ?
男は女に比べて、気楽なもんだよ?
いや、こちらとしてはナマの方がありがたいから、どんどんそのままの気持ちでナマOKでホイホイ抱かれて生きていって欲しいんだ。でも単純に理解できなくて。俺が女だったら、ナマは絶対断ると思うんだが……。妊娠の危険と天秤にかかるくらい、女の性欲ってのは強く、御し難いのか。あるいは捨てられる恐怖ってのは、妊娠の恐怖を上回って大きいのか。
客観視じゃなくて相対的に自分を位置付けられるといいと思います。
何事にも中立な視点というのは其々の人が価値観を持っていてそれが違う以上あり得ないわけで
自分はこういう価値観を持ったこういう立場の人でこういう考え方を持っている
それにたいし
この人はこういう価値観を持ったこういう立場の人でこういう考え方を持っている
と整理する
その中で、自分自身の言ってることが本来の価値観から乖離や矛盾が起こっていないか
相手の人もどうか、と確認しながら
相手と他人の衝突する部分、対立しない部分を整理し、互いの主張の妥協点がないかを探る
というのがまだ建設的な考え方でしょう
なんとなく気持ちの上で勝った負けた的な議論を行いがちになるんじゃないですかね
南堂ちゃん。
「あの人自分でスターつけてるね。面白いね」って言ってるだけなんだ。
君もちょっと必死だった自覚があるから、それが恥ずかしくなっちゃったんだろうね。
でも必死だったことなんて否定しようにももうログが残っちゃってるから、
「別に悪くないじゃん!」って善悪論にしようとしているんだよね。
うん、いいんだ。
セルフスターいいじゃないか、そういう人もいていい。みんなちがってみんないい(みつを)
でも、それを「この人必死だね(クスクス)」って言うのも自由だと思わないかい?
確かに気分がいいものではないとおもう。
でもね、自分とは違う考え方の人を否定せずに分析することは人がわかりあう第一歩なんだ。
自分の記事に切込隊長から突っ込みを食らったのを、第三者を装ったアカウントで擁護するのも、
https://twitter.com/kirik/status/491137762238922752
https://twitter.com/kirik/status/491430375940300801