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はてなキーワード: レトロとは

2024-03-20

平成女が昭和アイドルに思いを馳せる

アイドルといえば、私(25歳女性)が小学生の頃にAKB流行っていた。

学校で嵐とAKB話題を挙げない日はなかった気がする。私もFCに入っていたとかではなかったけど、あっちゃんが好きでCD買ったり絶対Mステをチェックしていた。小学校卒業式では、AKB衣装風のブレザーとスカートを着た。

今考えると謎だけど、ハレの日にそういう格好をした小学生女子は多かった。体感で6-7割の女子は、近所のデパートで買ったよくわからんチェーンが腰に付いてるチェックのスカートと胸元の謎ネクタイという組み合わせだった。(セット売りだった)

今は大学生と同じく、はいからさんスタイルが主流らしい。絶対そっちの方がいいと思う。

大人になって、テレビが必需品ではなくなった。テレビ番組を観ることが少なくなった。逆にYouTubeなどの動画サイトを暇さえあれば開くようになって、ある日動画おすすめ欄に昭和の大アイドル松田聖子動画が流れてきた。ふーんって感じで動画を開いた。親がよく「赤いスイートピー」をカラオケで歌ってたか名前は知っていた。

で……気づいたら聖子ちゃんほとんどのシングル曲を聴いていた。歌っている動画を観あさっていた。(昔のオタクの皆さま映像を残してくれてありがとう

それでふと、昭和アイドルって凄いなーとしみじみ思った。備忘録として、私が思う昭和アイドルのすごポイントをゆるく3つ挙げる。




(1)歌うますぎんか?!?


けっして、今のアイドルが下手という意味ではない。

なのでこれは私の好みだが……なぜ歌が上手いと感じたのか少し解説したい。

専門家ではないので発声理論(?)はよく分からない。

けれど、昭和アイドル歌声は「ミュージカルの声」のような印象がある。音に芯があってお腹から出してる感じがする。対して、今アイドル歌声は「ライブハウスで聞く声」な印象がある。声の芯を残しつつ、喉で息をコントロールしている。(違ってたらすみません

歌唱の違いが生じたの理由の一つに、音響技術の向上がある。

昭和アイドル動画を観ると、マイク歌手の声を拾ってくれない場面がたまに見られる。きちんと音を届けるために、舞台に似た歌唱をする→その歌唱法が当時のトレンドとなったと思われる。

平成以降では、テレビコンサートで使うマイクは非常に高性能になった。生放送で観客に音が届くかを心配しなくなり、曲に合わせてさまざまに歌唱法を変えることが出来る→今の歌唱トレンド、となったのかな。

昭和的な歌い方は、それこそ某番組の歌のお姉さんが使っている歌い方で聴いていて気持ちがいい。歌声が伸びやかに聞こえる。

同時に、昭和的な歌い方で今の曲を歌うのはすこし難しいかな?とも感じる。感情の細かい機微などを早いテンポ表現するには向いてない歌い方かも知れない。


(2)ブリブリ衣装かわいい!!!


昭和 アイドル 衣装」と検索すると、パステルカラーの姫みたいなドレスを着たアイドル画像が沢山見つかる。もちろん他にも色々な衣装を着用していたのだが、私の中では昭和アイドルお姫様ドレスの印象が強い。

ドレスを着用するアイドルは今もいるけど、昭和ドレスはまるでリカちゃん人形衣装のような夢夢しいデザインで、はちゃめちゃ可愛い(例: 『センチメンタルジャーニー』の赤ドレス、『風は秋色』の白ドレスなど)

すこし表現を変えると、デザインがめちゃくちゃブリブリしている。フリルと大きなリボンハートが付いていたりして、いかにも母親世代が好きそうなデザインなのかも?

しかし、そのブリブリデザインが「夢の中にいる女の子」「手の届かないアイドル」のような雰囲気をうまく演出していると思う。

こういった衣装が好きかどうかも個人の好みによるけど、ブリブリドレス世代に関わらず全女児の夢だったと私は思う。大人になった今見ても、ときめいてしまう。

余談だが、80年代の後半になるとテンプレ的なブリブリドレスはほぼ消える。その後のバブル期のギンギラファッションも現在レトロブームとして再評価されている。

(3) バックミュージックが良き



令和の音楽番組と聞いてパッと思いつくのが「Mステ」だろう。昭和には「夜ヒット」「レッツゴーヤング」「ベスト10」など、さまざまな音楽番組があった。

また、今の「FNS歌謡祭」のような歌謡祭系の番組豊富新人歌手登竜門だったり、その年の流行歌手などが多く出演していたらしい。

こうした番組では生演奏をバックに歌っていたのだが、このバックバンド技術が凄いと思った。

音楽は好きだけどいうて詳しくないので、何がどう凄いかと聞かれると説明に困る。

レコードに収録されていないおしゃれアレンジ即興なのかはわからない)を後ろでブンブン演奏していたりすると生演奏っていいな〜と思った。

加えて当時(80sごろまで?)のバンドが使っていた楽器ピアノトランペットクラリネットサックスフォーンやウッド・エレキベース……etcクラシック楽器が多い。

なんだかディズニーシーにあるジャズバンドアトラクションみたいで、とてもオシャレだと思った。



おわりに

アイドル業界は激しい人気レースの繰り返しだと思うが、今も昔もアイドルは「選ばれし者」なわけで、貴重な若い時間を使って観客に夢を見せてくれた(くれている)アイドルは本当にすごい。

おニャン子クラブ以降のアイドルグループデビューが多いけれど

個人的な好みで、あややとか聖子明菜ちゃんとかピンで活躍した(している)アイドルが好きだ。

もしタイムマシンがあったら、80年代に行ってみたい。岡田有希子ちゃん河合奈保子ちゃんコンサートに行ってみたい。

2024-03-15

ゲームキューブっていまいち存在感ないよな

ニンテンドー64DSあたりはレトロゲーとして取り上げられやすいけど、ゲームキューブはまったくない

いったいなぜ?

2024-03-11

レトロゲーの定義

DSSwitch初期の頃のゲームはもうレトロゲーで良くない?

から十年一昔って言うし、今はコンテンツの消化速度が速まってるから

1年もたたずに陳腐化するし、10年前のゲームなんか今の基準じゃプレイに耐えないものが大半でしょ。

anond:20240311123124

DLCが去年の11月に出てるからレトロゲーとはよべんね

anond:20240311104832

最新作はレトロゲーではないという定義があるのか

ならば先日任天堂が目玉にしたマザー3もレトロゲーではない事になるな

anond:20240310231104

十年前のレトロゲーであるマリカー8楽しいって言ってる人多過ぎだよな

最新作は8DXやぞ

2024-03-05

私が子どもの時分から抱いている概念感覚のようなものなのですが、名前があれば知りたいです。

申告な悩みではなくただの雑談の主旨で、こういう感覚ある人いるかな?みたいな感じです。

  

日常生活を送っている中で以下のイメージを抱くことがあります

・視界にHPバー文字、数値などのHUDのような表示が浮かぶことがあります

 常に出るものではなく、変動があったときや思い起こしたときふいに現れます

・痛い思いをするとHPゲージが減る、長時間仕事するとMPゲージが減る、

 飛んだり走ったりするとスタミナゲージが一時的に減る。睡眠風呂や、食事や排泄などで回復する

電車時間を調べて駅に向かうときなどに視界の上のほうにカウントダウンタイマーが現れる

・人と会話するときに視界に選択肢が表示される

対話者が回答を考えているとき、「思考中」「入力中」のような表示が現れる

・外出中にカバンに入っているものなどの持っているものリスト化される

・自宅の家具の間や街路樹の隙間など、狭いところに挟まるとスタックして動けなくなるかもしれないと考える

  

いつも必ず明確に現れるわけではなく、ぼんやりゲームだったらそうなるよなーと考えた結果でイメージが固まる場合もあります

なんの根拠もなく、誰しも少なからず持っている感覚なんだろうな、と長く思っておりましたが、

飲みの場で話しても共感を得られたことがありません。

ゲームアニメは人並みに好きだと思いますが、何時間も夢中になるほどハマった経験はありません。

  

ゲーム脳」は少し意味合いが異なりますが、ゲームであることには違いはないかと思います

新語の登場により旧語が修飾されることをレトロニムと呼ぶような、概念現象を表す言葉があれば知りたいと思います

2024-03-04

底辺配信者ワイ

最新のゲームやっても視聴者数が伸びないので、レトロゲーでもやるかと思って、昔好きだったロマサガ2市場調査をする。

…なに?あのキチガイ共。

皇帝1人旅なんてもはやありふれ過ぎて全く再生されず、最低戦闘数や開発縛りとか、おおよそ凡人ができないプレイしか伸びてない。

中にはエクセルで敵の行動パターンを完全に再現して、人力で最適戦闘パターンを導き出してる動画とかもある。

あんキチガイに勝てる訳無いだろ!俺はブルアカに逃げるぞ!

2024-02-28

中華とか、レトロ昭和雰囲気のある食堂 【追記

が有るけど、あれって男は結構好きだけど女はあまり行きたがらないよな。

男は学生時代就職してからも行かざるを得なくて行くことが有った。

その内に慣れると一人でも行くことが有った。

暫く行かなくなって、或る時ふとそんなお店を見つけて、

初めての店でもなんか懐かしい雰囲気だなー、食べてみたいなーとなる。

ところが女ときたら、学生時代は勿論社会人になってからもお洒落な何とかばっかり狙ってるから

量の多さとか、味の良さとか、店主や従業員雰囲気とか、

俺(達)なんかが気に入ってる全てを否定するんだよな。

 「たまには街中華喰いに行きたい」

 「やだ、あんな家でも食べられるようなもん、なんで態々食べに行かなきゃいけないの?」

大体こんな感じになる。

おいおいあの味は家では出せないんだよ。

あの野菜炒めとか、レバニラとか、中華丼とか、昭和風のラーメンとか、同じようには行かないんだよ。

女共は丼物とか食べる習慣が無かったからかもしれないけど、分かってもらえないかねー。

特別ラーメン提供するラーメン専門店とか、特別地鶏や卵を使った親子丼とか、

そういうのは賛同してくれるけど、それから一歩外れるともうダメなんだよな。

せいぜい市場食堂とかで「映゛える」奴じゃないとダメなんだよな。

昭和食堂ハムエッグ若しくは目玉焼きソーセージ付きの定食なんか絶対食べたいなんて言わないよな。


あー、街中華とか今風ではない食堂、食べに行きたい。



追記

若い頃はそれほど情報が無くて、ふらっと入って大失敗だったり、大当たりだったりがあった。

今は、結構情報が入ってくるからというか調べられるから、一番最近で行けた街中華は外れでは無かった。

半年上前だったかな、それが最後

こういうおっさん達は結構味付けに煩いから

仰る通り、俺が行きたい街中華はやっぱり評判になってる街中華だよ、何処でもいいわけじゃない。

anond:20240226152648

こういうこと書くからレトロゲーリメイク界隈は嫌われるんだよなあ

2024-02-27

若い頃にもっと引っ越ししておくんだった

実家を出て一人暮らしをするために借りた初めての部屋に住み続けたんだけど

そのまま結婚して1回だけ転居してからマイホームを購入したのを少し後悔してる。

もっと色々な部屋に住んでおけばよかった。代々木上原とか代官山とか恵比寿とかそんな場所に住んでみたかった。

コンクリ打ちっぱなしスタイリッシュな部屋とか、全面ガラス張りのオシャレなデザイナーマンションとか憧れるよな。

レトロ昭和雰囲気が残るビルなんだけど内装はリノベされてワンルームなのに20畳みたいなキモ物件に住みたかった。

夏の暑さがどうとか暮らしにくいとかそんなことどうでもいいんだよ。そこに住むだけでテンション上がる部屋に住みたかった。

家族も居るしマイホームもあるしもう住めないんだと思うと悲しくなる。

2024-02-26

anond:20240226152936

"新規IP"の定義がよくわからないが……(XCOMのリメイク元XCOM: ufo defenseは1994年リリース)

"若い頃に見たことあるアレとかアレ"という意味なら、steamでその幻影を追っている人たちが作るインディーがあるで

例えば"retro jrpg steam"と画像検索すると幻影が見える

正直俺はあんまり追ってないか分からんけど

おせっかいはここまでにして。

枠組みとしてはやりこみレトロゲーマー/懐古ゲーマーになるのかね。

十分ゲーマーですよそれも

世の中クソゲーマーなるものだっているんだから(KOTYわっちゃったけど)

ゲーム流行追ってないならゲーマーじゃないみたいな選民思想は狭量なだけやから無視しとってええ

"同じ"ゲーマーから"同じゲーム"をやっているはず、という思考片腹痛い

エンタメ世界は広いんや

anond:20240226152648

レトロゲーなんて既に消化しきったグズグズの離乳食やろ

そんなんしか食べられなくなった人間のほうが哀れやで

anond:20240225184400

ていうかもう、テレビ番組全体がにぎやかすぎてついていけなくなりましたわ。

歳だと思う。

いつも誰かがわめいてたり、大笑いしてたり、騒いでたり。

そういうのが神経にこたえる、そんな年齢になってしまった。

ドラえもん」ですら声優がみんなキンキン声で疲れる。

BSとかの地味なテレビ局でよく昭和の古いアニメ再放送してるけど、全体的なトーンが今よりずっと落ち着いてて、穏やかに見ていられる。

YouTube勝手にアップされてるレトロお笑い番組とかも同じ。今の演出編集過多のバラエティ番組に比べると、ひょうきん族とかごっつとかのほうがずっとおとなしい。

今のキンキンキラキラドタバタ大騒ぎのテレビを見慣れている若者たちにはきっと退屈なんだろうな。

いや若者テレビなんか見てないか

若者はハナから見てない、そして中高年の俺にはしんどいテレビって、いったい誰が見てるんだ。

2024-02-25

anond:20240225154627

ファンタジー除いてもレトロチカとかパラノマサイトとか結合男子とかFOAMSTARSとか出してるよ

2024-02-24

ヤニカスが石を投げられない喫茶店

anond:20240201220158の続き。 

 

 駅にある喫煙所の扉を開いて外に出たら、通り掛かった外国人の方が眉をしかめ「oh,bad smell」と呟かれました。

 どうやら私は国際的にくさい存在だったようです。

 少し傷付きましたが「グローバルバッドスメラー」って横文字にすると何かのインフルエンサーぽい気がしますし何だかカッコいい気がするからセーフ、という事にしておきましょう。

 さて、そんな感じで今日もヤニカスok喫茶店を紹介して行きますね。

 

[秋葉原 カフェモコ]

 お店の場所JR秋葉原電気街口を出て3分からいくらい。昭和通りに面したビル一角にひっそりとある喫茶店です。

 店のシンボルタバコ吹かすおじさんのシルエット。ヤニカス的にはとても魅力的で勇気付けられるマークですよね。

 店内入ってすぐのカウンター商品のオーダーと会計を済ませるスタイルで、頭上は色とりどりの輝く電飾で彩られていて縁日ぽい雰囲気

 そして商品一覧のボードと共に、様々な国の紙幣クリップで大量に留めてあります

 ドルとか人民元はもちろん、全然知らない国の紙通貨が一面に飾られていて、見ているだけでワクワクしてきますね。

 紙幣の隅に「thank you〜」とか書かれていたので、おそらく外国人観光客の方が残していったものでしょうか?

 ジンバブエドルとかあったら面白いなと思って注文待ちの間に探しましたが、最近老眼が気になり始めているおじさんアイでは発見出来ませんでした。残念。

 

 B1F、1F、2Fとフロアがあって2Fのみ喫煙可。

 オーダー完了してお会計を済ませると、食事は後で届けて下さるとの事なので飲み物だけ貰って喫煙可能な2Fまで上がります

 ここで注意点がひとつ

 お店の心遣いにより、飲み物は全てカップのフチ辺りまでたっぷり並々と注がれているんですね。

 つまりコーヒーをこぼさないように階段を上がるのに、かなりの技術必要でして非常に難易度が高いんですよ。

 タイミング悪く、階段の途中で他の方とすれ違いなどが発生するとコース取りの難しさは天井知らず。

 気分はまるで繊細なドラテクで峠を攻めるイニシャルDの拓海さん。訪れた人のバランス感と巧みなコーナーワークの見せ所なんですよ。

 ええ、もちろん私は毎回こぼしてますよ?

 カフェモコ峠は初心者にとって難しいコースですからね。仕方がないのです。

 

 さて慎重な足捌きで階段を踏破すると、そこは喫煙可能席というエルドラド

 店内壁紙や照明もお洒落レトロな素敵空間で、店内BGMジャズボサノバが流れています

 後はヒョウとか虎とかネコ科の猛獣の置物が、店内のあっちゃこっちゃに設置されています

 多分、秋葉原という土地柄とお洒落絶妙バランスで交わり合った結果として、このような面白不思議洒落空間形成されたのでしょう。

 地政学見地からしても大きく間違ってはいないんじゃないでしょうか。

 よく知らないですけど。

 

 店内は秋葉原喫煙者が集まって居るようで大体混んでます

 空いてた窓際のカウンター席に腰を下ろすと、テーブル上には先客であるカエルの置物。

 このカエルさん、王冠を被っているのに物憂げな表情で頬杖をついたまま体育座りをしておられまして。

 よく見ると首元に六文銭みたいなネックレスが掛かっており、そこに付いている缶バッジに何か文章が書かれています

 『私は暴力が嫌いだ』

 ……詳細は不明ですが、とても苦労をされているようですね。店内に居るネコ科の猛獣達に甘咬みされたのかも知れません。

 どんな目にあったか彼は語ってくれませんでしたが、お互い強く生きて行きましょうね。

 カエルさんが受けたであろう仕打ち想像し、ちょっぴり切ない気持ちで飲んだコーヒーは苦みと酸味が薄いタイプ

 飲みかけで放置してしまっても、あまり酸っぱくならないコーヒーでした。

 大井町のポットリーに続き、イケオジなマスターさんは私の中で勝手に「コーヒーを美味しく淹れてくれる妖精さん」に認定します。

 

 そんな感じでコーヒーを飲みながら料理提供されるまで、店内を見渡してたのですが……

 後ろの席にはイチャつくカップル。

 私と同じ窓際のカウンター席では、オーダーした商品と一緒に持参した人形撮影を楽しんでいる方。

 両者が混在する喫茶店など秋葉原くらいでしかお目に掛かれないんだろうな、などと考えながらコーヒーを啜る汚いおじさんである私。

 バラエティ豊かな人々を包み込み、ボサノバBGMにして実に緩やかな時間が流れます

 

 料理の紹介。

チーズホットドッグ

 パンからはみ出るソーセージチーズたっぷりかけて焼かれた逸品。

 パンとお皿の間に薄黄色プレートみたいなのがあって、何だろうと思ったらチーズ羽根みたいになってました。

 羽根餃子なら知ってますが、羽根ホットドッグは初めてです。

 更にプレートの空きスペースは許せないと言わんばかりに、ポテトチップスが山盛りで付け合せられていまして。

 何だかアメリカの風を感じるディスプレイですね。アメリカホットドッグとか食べた事ないですが多分そう、部分的にそう。

 見た目に圧倒されつつ、付属したケチャップマスタードをビッチビチに振りかけて頂きましょう。

 齧り付くと、温かで焼きたてっぽいふっくらしたパンソーセージチーズケチャップマスタードの夢コラボが口の中で弾けます

 こんなの美味いに決まってるじゃないですか。

 口の中が油っぽくなったらコーヒーで口を洗い、思い出したようにポテチを齧り、カリカリになった羽根チーズを摘む。気分はまさにアメリカキッズです。

 コーラの方がよりキッズぽい感じになったかなと思いながら食していたのですが、気付けば口の周りと手がベトベトに。

 あらやだ。今のおじさんの食事風景ったら、まんまアメリカンなキッズじゃないですか。

 提供されたホットドッグキッズみたいに手掴みで思うがまま食し、無事完食。ベタついた口と手を紙おしぼりナプキンで拭ってから〆にクッキーを頂きます

 童心を思い出させてくれる、とても素敵なメニューですね。

焼肉ドッグ

 ホットドッグバンズレタスを敷き、焼肉を挟んだ逸品。……正確にはパンの隙間に肉を詰められるだけネジ込んだ逸品です。

 もちろんプレートの空きスペースは美しくないですからポテトチップスもどっさり付いてきますよ。

 囓ると甘辛いお肉の味が口いっぱいに拡がります。散らされた白ゴマも良いアクセントで美味。ご飯が欲しくなってしまますね。

 これはフォークが一緒に提供されたのですが、お肉だけだとちょっとしょっぱいですし、パンを齧ろうとすると使うタイミングなさそうなので、結局使用できませんでした。

 カフェモコ上級者の方はどう使うのか、が少し気になります

 

焼きそば

 極細麺をたっぷりキャベツソーセージに絡めて焼き上げた逸品。

 皿にどっかりと盛られた焼きそばの上には刻み海苔紅ショウガも横に控えています

 そして何故かパンも一緒に提供されます

 ……パン??

 頭に疑問符を浮かべながらよく見ると、中央に切れ込みが入っていました。

 なるほど! これ使って自分焼きそばパンを作れ、という事ですね。

 カフェコスタイルでパンの隙間に限界まで焼きそばをネジ込んで、紅ショウガを散らせば、おじさん謹製焼きそばパンが完成。

 焼きそばパン作れるとか、遊び心があって素敵過ぎませんか。

 ちなみにパンに挟んでも普通焼きそばくらいの量は余ります

 味としては縁日で食べる焼きそばをオシャレにした、すごくいい感じのソース味でした。

 

カルボナーラ

 とろっとろなカルボナーラパスタの中心に卵黄が鎮座し、ピリりと胡椒の効いた逸品。

 残ったパスタソースに着けて食べる用なのか、こちらもパスタ本体とは別にパンが一緒に提供されます

 パスタソースの絡み具合、卵黄のまろやかさ、胡椒の刺激がとてもいい感じで美味しかったです。

 パンバターの効いた少し甘めなクロワッサンで美味でした。

 

 カフェモコの料理は何を頼んでも「物足りない」と感じる事がないです。

食べ物を頼むって事はお腹が空いてるって事だよね? よし任せとけ! 必ず君のお腹幸せで満たしてあげるよ!』みたいな感じでしょうか。

 とにかく食事を頼んだ客をお腹いっぱいにしてあげたい、という店側の思い遣りがビンビン伝わって来ますね。

 頼んだ食事メニュー全てにクッキーついてきてますから食後の口直しもバッチリです。

 喫煙される方には大きく頷いて頂けると思うのですが、満腹になった直後に吸うタバコのまぁ美味しいこと。

 食後はタバココーヒーを楽しみつつ、昭和通りを行き交う人々を眺めながら優雅時間を過ごしました。

 店の奥には昭和通りを見つめる虎の置物も居ますし、多分これがカフェモコのカウンター食事した際の正しいマナーでしょう。

 しか秋葉原も変わりましたね。

 私が初めて訪れた時は駅前ジャンクパーツ横丁みたいのがあって謎の部品がいっぱい置いてある、みたいな場所だったのに。

 当時の人に「秋葉原はお洒落になって、道端にメイドさんがいっぱい生えてる」って言っても誰も信じないでしょう。

 そんな時代の流れを懐かしみつつ、おじさんは秋葉原を後にしたのでした。

 

 以上、ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 また都内喫煙可能喫茶店を紹介しようと思いますので、見かけた方は読んで頂ければと思います

2024-02-23

9歳の甥っ子にジュラシックパークを見せたら姉が激怒してる

今日一日、姉夫婦が遠方の法事のため9歳の甥っ子を預かった

こういう時いつもは手持ちのゲーム子供には珍しいFCSFC等のレトロゲー)やらせてたんだけど

甥っ子が動物恐竜図鑑を見るのが好きというので

恐竜が好きならジュラシックパークって映画たことあるめっちゃ面白いよ」

と聞いたら興味を示したので見せてみた

一応見せる前に「怖いシーンあったら止めていいよ」と言っておいたけど

鑑賞してるのを横から見た感じ楽しんでいる様子だった

が、ついさっき姉が電話

「息子が『おじさんと見た映画の怖いシーンが頭から離れなくて怖い』と泣いてる!!!

勝手に何変なもの見せてくれてんだ!!!」と大激怒

平謝りしつつ、内心「ちょっと過保護なんじゃないの?」と感じてるのが正直なところなんだが

自分感覚おかしいのかね?

2024-02-22

コーラペットボトル売ってねぇ~~~~~

イッヌの散歩行く時に家族からペットボトルコーラ買ってきてと頼まれたんだけどマジでどこにも売ってない。缶しかない。コカコーラ自販機ですらない。

イッヌいるかコンビニにも寄れずで困ったぜ。結局缶買ったけど…家族にはどっちでもよかったのに!と驚かれたけど…(探したせいで散歩が35分オーバーした…)

そういえばスーパーにもちいこいペットボトルしか見かけないなと思ってたけど500ミリペットボトル壊滅してるとは思わんやん…

コーラ昭和レトロ感と同様に500ミリペットボトルコーラ平成ノスタルジーになるのか…

2024-02-19

ゲームって二つのストーリーが同時に進んでるよな

前置き(「なんとなくわかった」と思った時点で飛ばしていいよ)

第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。

「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語

「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤー物語

もちろんこの二つを両立させることは出来る。

それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。

クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。

それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界スタート出来てしまう。

同時に、まだプレイしたことがないゲームネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。

ゲーム物語」と「プレイヤー物語」は絶対的独立している。

それを打ち破ったのがMMOゲーム凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤー物語ゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。

ゲームスポーツとしての側面を追求することでプレーヤー物語ゲーム勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒しかなくなるのではないか

将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤー技術向上に伴いただの記号となる。

本題

その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。

だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブ重要性が語られるようになる内に「プレーヤー物語」こそが重視されるようになった。

たとえばSEKIROだ。

主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したとき世界時間のものが巻き戻る。

第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。

主人公物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイト動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。

そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐物語である

ゲームごっこ遊び場所だ。

プレーヤーコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。

独裁政権暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。

ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店レバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。

「難しいゲームスイスイ攻略するゲーマー」という役を演じていた。

レトロ世界人間想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。

そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである

段々とゲーム映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクター冒険追体験する」という感覚を求めるように変化していく。

そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。

ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体目的ではなくなっていった。

そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。

単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。

選択ゲーム世界に影響を及ぼすことにより、その世界構成要素としての没入感がより強まることが発見される。

だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由選択もまた単なるフラグ管理確認作業へと認識が変化していったのである

自由選択」や「選択責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。

再び「ゲームを遊び倒しているゲーマー自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである

これには配信SNS関係している。

トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。

その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。

「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。

一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである

それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。

考察が盛り上がるタイプゲームということだ。

苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイト議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線かますゲームコントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。

「やり込んだプレーヤー自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。

ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。

人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。

だが簡単はいかない。

現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。

カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功感覚を、自分物語として味わっているのである

現代ゲームに求められるのは「自分成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。

ゲームにおけるストーリーの良し悪しは、脚本ではなく、プレーヤーナラティブによって決定されている。

HDMI出力できるレトロゲー互換機2万円

高過ぎる!でも動作保証のない海外メーカーのものは怖いしなぁ…。

週末にその2万を馬にぶっこむか。上手く行けば5倍位になるかもしれんし。

そうしよう。

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