はてなキーワード: 鬼哭街とは
https://anond.hatelabo.jp/20211004080408
注意。自分語りです。
上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。
結論から言っちゃうと、上の26歳増田はオタクではないと感じている。
俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。
当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。
小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、
子供の性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である。
小学生の自分は爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョのスレ、エロ関係のスレを食い入るように見ていた。
確か11歳か12歳のころ、ジャンプ・サンデー・マガジンを購読するようになる。
2ちゃん的価値観を刷り込まれた俺は「ドラマやバラエティは下らない」という結論に至り、
高校生くらいまでSMAPのメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。
ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。
映画になるまでフレディってクロマティ高校のキャラという認識しかなかった。
ちなみに当時好きだった漫画は日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。
だが、オカズはドラゴンボールのブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~やこち亀のエロシーンであったことが記録されている。死にたい。
本屋の立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌、クリムゾン先生の存在を知り、自分の性癖がソフト陵辱であることに気がつく。
だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。
早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。
また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、
同時期にハヤテのごとく!のSSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントでボコボコにされたらしい。
今となっては恥ずかしいが、アニメはほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋(TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。
日記の落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースターの武器にやたら憧れていたらしい。
とにかくそんなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。
情報の授業の時間にFLASHを見て喜んでいる層に「やれやれ…もっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分もFLASHにハマっていた。
オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板で長門×キョンのSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァとナデシコとGS美神にSS経由でハマった)
だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。
中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSSを乱造して、
パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。
ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。
あと『スクールランブル』の八雲と播磨、『Dグレイマン』のリナリーとアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったか、おにぎり派だったか。記憶が定かでなくなってしまったが。
というか、日記を見るにリア友の情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
「ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨は死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。
大体この世代のネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。
AKBやジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたかえ応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。
ボカロは何か合わなかった。
同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分を演出したかったからで、エロゲはシコるためである。
帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリアか乱菊の同人誌をレジまで持って行ったのだが、
「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。
だが、その後、代引きでAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。
俺が人生で初めてセックスというものを理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンのエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックスを理解していなかったのだなあ)
そこから2ちゃんのエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレに毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。
名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。
また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。
古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版全シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。
「やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプのゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。
また、無駄にガンダムSEEDを叩き、無印のガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、
ひぐらしとスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書が日記に残されており、今、ダメージを受けている。
小~中の時代にこじらせすぎて、Mステも人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。
ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。
一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。
パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手なものである。
(デレマスと呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)
200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?
まどマギやSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。
だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものだから、
「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、
やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。
そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞に投稿した。
『文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFate丸パクリの会心のネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。
「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。
この頃には、同世代でそれこそボカロで成功したり、ラノベ作家にデビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。
その後、なんだかんだあって、大学を卒業し、今はアニメ業界にいる。
有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲームや出版関係の人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。
ネット上の文字列、雑誌の写真のインクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。
仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。
周りでも海外への配信権を売るビジネスが好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。
以上が、大体の俺の人生である。オタクの人生であると言っていいんじゃないだろうか。
引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。
君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。
そして、結論を書こう。
この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。
アニメは間違いだった。
漫画も間違いだった。
ゲームは間違いだった。
ラノベは間違いだった。
この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。
オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。
オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。
真女神転生Ⅲ
安倍公房
シルバー事件は大好き、killer7は積んでましたすいません。
呪みちるは入手できる範囲で単行本揃えてる。谷口トモオは未読。
早く完結して下さい。
>宝石の国
原作もアニメも見ました。市川先生なら25時のバカンスが一番好き。
>Hollow Knigth
横スクはあまりやらないけれど、LIMBOやINSIDEみたいに世界観が少しずつ分かるタイプなら興味あります。
オカ板に浸っていた時期があったもので懐かしいワードがチラホラあって楽しかった。
>鬼哭街
>Undertale
7巻のホラー回を見るにあの人は相当"溜まっている"。
>Pony Island
exe.シリーズにハマっていた時にプレイ動画を見てしまって後悔してる。ああいうのはプレイしてこそなのに。
>portal1・2
>ナウシカ
>DEADSPACE
2までは名作2までは。
>よるくも
1巻読んだ→なんじゃこりゃ?完結したみたいなので続き読みます。
>寺山修司
なんかうまく言えないけど少し好みから外れる。
>砂ぼうず
同人ギャグ漫画家の「ぼくのかんがえたせいはいせんそう」なんて読んで楽しいのか?本当に?
たとえば仮面ライダー見てて「今回は脚本家として磨伸映一郎が参加します!なぜなら監督と仲がいいから!磨伸映一郎には脚本家経験とか一切ないけど仮面ライダーのファンだし別にいいよね」とか言われたら何言ってんだこいつってなるし実際ノコノコやってきて脚本書いてる磨伸映一郎に対しても身の程を知れよオタパロ漫画家風情がって感じになるだろ。
なんでそれがFGOに経験値がライターとして参加してる時には許されるわけ?
「Phantom]「鬼哭街」の虚淵玄が公式外伝としてFate書きます!とか「あやかしびと」の東出祐一郎が公式外伝としてFate書きます!はわかるよ。人選自体ははまぁきのこと仲良かったってだけのコネなんだろうけどライターとしてのキャリアがある、実績がある。
なんでそんな奴が僕の考えた聖杯戦争書いてるだけの漫画わざわざみんな買ってきて読んでるわけ?それそんなに面白いのか?いまだにそこらへんに転がってるどっかの誰かが書いた二次創作よりも?
いやまぁ俺も本当はわかってるよ。経験値にはFGOが延期延期でぐだぐだやってた時にぐだぐだオーダーで頑張って間をつないでた実績があるわけだよ。でもそれライターとしての能力になんか関係あります?
GWが普段より長い休日という意味しか持たないオタク社会から断絶されたぼっちリーマンにとって、
部屋整理をするうちに出てきたニトロプラスの0年代のゲームは、たぶん格好の時間つぶしなのだろう。
飯も食わずに斬魔大聖デモンベインをぶっ通しでやり続け、
Dr.ウェストに腹を抱えて笑い、エルザの攻略ルートが本当になかったのか、かつてと同じように悩んでしまう。
今日は「鬼哭街」CD-ROM版(もちろんリメイクする前)だ。
インストール時にドライブが立てる掃除機のようなあのけたたましいブオオオォォっという音は何度聞いてもいいものだ。
下のバナーが「Hello World」の宣伝で、やべー懐かしいと独り言のように繰り返してしまった。
Startしてから先、いきなり女性が襲われているが、抜けないので次へ。次へ。
行き過ぎて、ホイールロックを回したら更に先へ進んでしまった。
先へ進んだ。
後戻り機能ないぞ、これ。
序盤なので、再インストールし直した。
ミストバーンと暁美ほむらと鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251
邪悪とか漆黒の意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!
ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。
名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだって昔バカッターで言ってた。
原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ。
でも結局は自分に自信がない現れらしい。
口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。
ぶっちゃけまどかマギカ(特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親を投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。
そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。
今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。
最初に言っておくけど、あいつの見てるほむらは原作のほむらじゃない。
「ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。
だから叛逆で見せたマミさんや杏子に対する捨てきれない情とか、さやかやなぎさを蘇生させた部分があるという「功利」はない。
からくりサーカスやフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。
その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。
Phantomや鬼哭街、沙耶の唄やFate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから。
サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいつクレイジーサイコホモだし。
でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。
それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。
ちなみに彼にとって虚淵は藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。
少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生や藤田先生がそういう人なのは分かる。
別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵に押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言に吐き気を催すわけで。
母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。
姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族の意見に対してキモオタ的な蔑視のコメントを吐いてたと思う。
他に好きな作品はジョジョ・ダイの大冒険・藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガン・ヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。
あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用は70年代~90年代が多い。
別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。
問題は嫌いなキャラはかなり多い。
まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボールの悟空はしょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョや藤田作品の下衆キャラと同類扱い。
エヴァのアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。
嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむらや悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方が艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)
しかもエヴァ時代のノリをまどマギに投影しちゃってて、しかも虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。
虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風に投影されてるかっていうとね。
「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。
そういう善悪も結局は流動的なのにね。
『ドラゴンボール』の悟空と碇ゲンドウの共通性について - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659
こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。
あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空のキャラ性はあながちブレてなかった。
問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。
ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。
まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらはキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。
賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。
しかもどんどん「邪悪なほむら」像が蔓延して行って、「まどかがほむらをキモがってる」とかそういう前提でね。
ほむら=フェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043
いやほんとこの人何言ってんだろ。
つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。
だからほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?
別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。
叛逆ほむらが民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いものを無視してるでしょ。
そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。
>ジョジョや少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです
要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。
ですよ。
> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!
ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます。
別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影がうんざりするというだけです。
「碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、
そもそも「自己投影しやすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作でキャラをゆがめる手法そのもの。
他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。
もうちょっと他人を認めてもいいのに。
近年は普通に立ち絵が出ているので、ゲーム紹介ページにどれだけ主人公絵があるのか調べてみた。
アニメ化/一般化後に立ち絵が出るパターンも有。ゲーム紹介ページから拾っただけなので抜けがあるかも。
続編、シリーズ物はまとめた。エロゲ主人公でDrrrrパロが作れちゃうぜ・・・。ギャルゲはそのうち別途。
全年齢向け有。
直枝理樹
全年齢とアダルトでそもそもページが分けられている。
ハクオロ
アウロン
ベーグル・ロコ
ここは最初から主人公≠プレイヤーという。あげなくてもいいですか?
全年齢向け有。
湊斗景明
大十次九郎
うんこマン(仮)
匂坂郁紀
九門克綺
ヴィム
Vjedogonia
全年齢向け有。
全年齢向け有。
立ち絵無し。
全年齢向け有。
カイム
支倉孝平
全年齢向け有。
如月双七
崇笹丸
不知火義一
全年齢向け有。
土見稟
全年齢向け有。
平井 孝寿
國枝優真
全年齢向け有。
白銀武
前島正樹
全年齢向け有。
一条走馬
全年齢向け有。
全年齢向け有。
早瀬響
石蕗正晴
藤木健介
牧野亜梨須
葛木晶
神尾遼平
瓜生新吾
東郷毅
羽村亮
山本悪司
斬真 狼牙
萌えとエロは同一ではない……というか、萌え+エロ=エロゲというジャンルと思ってる。
私の思うに……
萌えとは、想像物・創造物それ自体に対する恋愛性欲的感情なので、その見た目対象が時代や地域によって大幅に異なっているとしても、それなりに発展した文化を持つ時代や地域ではほぼ普遍的なもののはず。ただ、産業革命によって手作業が機械作業に置き換わったように、日本において萌えの形式化が進んだに過ぎない。
誰もが異なる「萌え」を定義し、誰もが「萌え」を説明しきれないのは、萌えも恋愛も同様に多種多様個々人で異なっていて、たぶん誰も恋愛感情における主観を一般化出来ないだろうというのと変わらない。
そのような意味で、萌えは様々なところに見出せる。有名どころだけでも……小説では、室尾犀星の「蜜のあわれ」の赤井赤子、夢野久作の「ドグラ・マグラ」の呉モヨ子、絵画では、ブーグローの「小さな物乞い」、ミュシャの「百合の聖母」等々。いずれも、それを通じて誰かを想うのでなく、それ自身に対する恋愛性欲感情を伴う事と思う。
ところで、現代のエロゲには大別して三つの方向性があると思える。エロを追求するか(ただし、萌えは恋愛性欲的感情なので、萌えが含まれるのは不思議なことではない……アリスソフト等)、萌えを追求するか(ただし、萌えは恋愛性欲的感情なので、性的描写が含まれるのは不思議なことではない……キャラメルBOXの一部作品等)、物語その他作品としての出来や可能性を追求するか(あくまでエロゲという作品ジャンルなので、エロと萌えが含まれるのは不思議ではない……Nitro+等)。あくまでエロい表現を含むゲーム全般をエロゲと称しているだけなので、一部のブランドにおいては、むしろエロがおまけとなってさえいる(鬼哭街等)。
エロい心は恥ずかしいものだけれど、好きだという心は別に恥ずかしいものではない。だから、エロゲのエロい部分は恥ずかしいものだけど、エロくない部分は別に恥ずかしいものではない。これは、彼女や嫁との性交を公にするのが恥ずかしいからといって、彼女や嫁や子供の存在それ自体は別に恥ずかしいものでも何でもないのと変わりがない。また、エロゲそれ自体はエロいものなので恥ずかしいにしろ、エロゲの中のヒロインそれ自体はエロいものではない。性交のためだけに彼女がいるのではなく恋愛の過程として性交があるように、エロゲの中のエロの描写は、仮想恋愛における一過程でしかない場合も十分ありうる。
恥ずかしいとしたら、それが仮想であるから、という一点だけのはず。それ以外の点でもって萌えを恥ずかしいというならば、それは、恋愛性欲そのものが恥ずかしいというに過ぎない。ただ、現実にある同種の感情を知らず(または、見て見ぬふりをし)、描き出された風刺画に嫌悪を覚えているに過ぎない。
Aneken Staff and Vipper『姉は一級建築士 -イケない構造設計-』
アリスソフト『しまいま。』
きゃんでぃそふと『姉、ちゃんとしようよっ!』
エルフ『臭作』
エルフ『鬼作』
propeller『あやかしびと』
Leaf『雫』
Leaf『痕』
JAST『天使たちの午後』
ういんどみる『はぴねす!』
戯画『BALDR FORCE』
Leaf『フルアニ』
otherwise『Sense Off -a sacred story in the wind-』
CIRCUS FETISH『すくみず -フェチ☆になるもんっ!-』
ブラックサイク『EXTRAVAGANZA -蟲愛でる少女-』
Active『DISCIPLINE -The record of a Crusade-』
Littlewitch『白詰草話 -Episode of the Clovers』
エルフ『下級生』
エルフ『同級生』
アリスソフト『妻しぼり』
silkys『姫騎士アンジェリカ』
ivory『とらいあんぐるハート』
otherwise『未来にキスを -Kiss the Future-』
ニトロプラス『鬼哭街 -The Cyber Slayer-』
ニトロプラス『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』
Key『智代アフター -It's a Wonderful Life-』
ZyX『雷の戦士ライディ』
Purple software『秋色恋華』
F & C『こなたよりかなたまで』
130cm『彼女たちの流儀』
F & C『水月』
公爵『ジサツのための101の方法』
AUGUST『月は東に日は西に-Operation Sanctuary-』
みなとそふと『君が主で執事が俺で -They are My noble Masters-』
HERMIT『ままらぶ』
Cyc『夢幻廻廊』
※人物、団体等の設定はゲームに準拠していませんが、発生した出来事は現実に準拠しています。
私立世良学園に通う翼ちゃんは、実は隠れエロゲーマー。18歳になっていないのに(なってても高校生じゃダメだけど)Kanonとか知ってる悪い子です。
ある日、翼ちゃんの実態を知っちゃった新山くん(彼はヘビーなエロゲーマーだったのです!)は、彼女に話しかけました。「ねえ、翼ってアレやってるんだろ?」新山くん、ちょっと嬉しげです。翼ちゃんはちょっと困惑しましたが、今までコソーリとプレイしていて鬱憤が溜まっていましたので、嬉しくなってにこりと笑いました。それから、二人は長く話を始めたのです。うぐぅの何が良いだの、あうーがどうだの、もし周りに子連れゲッソーがいたなら、たぶん「見ちゃダメです」とか言われたことでしょう。もしかしたら、不思議ちゃんだと思われたかもしれません。二人の会話は、それは摩訶不思議で、神学者の論議にも似た雰囲気は、まるでピンクの後光が差しているかと思われるほどです。
そんなこんなで仲良く歓談していた二人ですが、新山くんがエロゲの核心、つまり"最中"或いは"行為"についての話題を口にしたとき、突然、翼ちゃんは目をつり上げて、口を尖らせて不機嫌そうになってしまいました。こうなった翼ちゃんは、何だか猫口っぽくていぢめてオーラをぷんぷん醸し出してしまって、むしろ普段よりも威厳が無くなってしまうのですが、翼ちゃんはそんなことには全く気付いていないのです。でも、新山くんは優しい子ですから、翼ちゃんを虐めたりなんかしません。それよりも、翼ちゃんを怒らせてしまったらしいことを気にかけて、焦ってしまいました。そんな新山くんを見て翼ちゃんもちょっと反省して、俯いて「ボクに……そういう話はしないで」と言いました。翼ちゃんに嫌われたくない新山くんは0.5秒で了承して、再び二人は仲良く話し合いました。
何故このようなことになってしまったのか? エロゲプレイヤーであるにもかかわらず、何故翼ちゃんは猥談に嫌悪感を示したのか?
エロゲーマーが猥談を嫌う場面にしばしば出くわしたことのある人であれば知っているように、エロゲーの目的は必ずしもエロではない。であるにもかかわらず、エロゲーにおいてエロは最も重要なようその一つである。何故か? それは、エロゲ(特に純愛系)の展開を見れば明らかである。
つまり、エロゲにおいてエロは一種のフラグとして機能している、といえる。ファーランド的にいえばう゛ぁにてぃキッス(りりむキッス風に読むこと)がこれにあたるだろう。中学校の噂なんかでよくある、体育館の裏の山の奥地の何処かにある泉の渕に立つトネリコの大木の下で告白するとメリアイ様が恋を成就させてくれる、といったものでもいい。先の例でも明らかなとおり、承までで築き上げた世界を異化することが目的となるので、実際にはエロである必要は実は全く無いのだけれど、一般的な人間が可能な愛情的表現の最上級に位置するものとして考えれば、エロの持つ効用は絶大である。もちろん、狂ったものでいいなら鬼哭街の瑞麗みたいにフュージョンしてみてもいいし、プリハのアーニャみたいに更に一段隠しフラグを置いておくのもいいけれども、凝りすぎたり殺りすぎたりする恐れがあるので、なかなか難しい。最初から狂った世界観の沙耶なんかでは、逆に抱擁によってこれを達成していることは印象的である。虚淵天才。
エロがこうした役割を帯びるに至った理由は明らかではないが、このような理由でエロゲをやっている者にとって、エロゲは必ずしも卑猥なものではなくなるし、濡れ場であってもそうした意味を持たない。それはザムザに林檎がブッ刺さったのと同じように物語上の事件である。ただ、性的興奮によるベクトルであるというに過ぎない。デスノートの読者がみんな死ね死ね死んじまえー言ってるわけでないのと同じ理由で、エロゲと卑猥とは結びつくものではない。
ところで、処女信仰もまたここから説明可能なものである。生物学的にもちゃんと説明がつくのだけれど、そんな生々しいものは置いておいて、純愛ゲーマーに処女信者が多い理由を考察する。先に述べたようにエロはフラグとして機能する。それが意味するのは「絶対的な愛」である。エロ以前の漠然とした愛は、エロ以後では確たるものに変化する。従って前座が長く印象的であれば、エロ以後に得られる満足感は増大する。ただし、こうした役割をエロが担うためには、ヒロインは貞淑でなければならない。ぺけぴーにあっては異化の役割を担うことが出来ない。異化は非日常、特別でなければならないのだから、以前にもヤったことがあるのでは威力半減であるし、序盤にいきなりヤってしまうのでも威力半減なのである。エロ以前と以後とで世界が変容しないし、エロは単に連続した好感度曲線がある一定値を超えた証としての意味をしか持たない。それではダメなのだ。エロ以前の相対的な好感度が、エロ以後には、以前のものとは断続的な、ある種の特別性を帯びていなければダメなのだ。従って、貞淑な娘を好むのは、征服欲ではなくてむしろ異化役割に負うところが大きいといえる。猥談を嫌うのは、こうしたエロの特別性が愚弄され、辱められ、涜されて、どこにでもある、陸続きの日常に貶められるように感じるからであろう。こうした主張が殆ど現実における未経験者からしかなされ得ないのも、ここに理由があるのだ。即ち、エロの連続性に対し経験的に無知か、或いはそのように意識していなければならない。
追記:2007/03/10JST00:30