はてなキーワード: 高額所得者とは
良く分かって無いんだが、義捐金って何に使われるの?
そこに義捐金が足されたら単に使われる税金が減るだけで、税金払ってるのは国民だから
逆に義捐金が集まったから増税しません、ってなったら義捐金払ってない高額所得者は丸儲けだよね
個人の住宅修繕や企業の工場修繕なんかは地震保険と税金ベースの補助金があるはずで
地震保険入ってない人への補償へ義捐金使ったら、地震保険に入ってる人がバカを見るよね
ベーシックインカム的に全員に一律配るとしても、それは補助金なりがやることだからやっぱり税金なのでは?
非常時に人や物資が不足するからボランティアや支援物資は意味があるとよくわかるんだけど
進学については、入試で満点取れば内申が死んでいてもだいたいのところには入れるので、入試で満点目指せば関係なさそう
ただ、子の将来の『上司受け』とか『どんなタイプに好かれ嫌われる』かはこの時点で判定つくと思う
ワイは当時めっちゃ教師の顰蹙をかっていたが、それと同時にワイのこと異常に可愛がってくれてあからさまにエコ贔屓してくる教師もおったのよな
社会人になってからもそうだったよ。なんだこれ前世で命でも救った?レベルで可愛がってくれる上司がおった
上司受け悪そうな子は、大手内資企業や外資やベンチャーでリーマンやるぞい!しても、学者になるぞい!しても、たぶんどこでも上司受け悪いと思います
お互い様で社会は成り立っているんだよ、人生の先輩にはすべて敬意を示そうを教えることは、非常に意義のあることですけど(親戚付き合いのある地方だと自然に学べるかも)
それが上司受け悪そうの抜本的な解決に繋がるかといえば、またそれは別の話だと思います(でも老人が困ってたら助けてあげる人に育つのは意味がある)
たぶんこの子はレールに乗れそうもないな・・・前提で、習得に時間がかかる技能や、ストレス回避方法を叩き込んであげると、親の格はめっちゃ上がりそう
なんで派遣やバイトという括りの契約社員と同じ給与で働いてるんや?
都営団地は18,900円~ 41,000円くらいの家賃で住めるが、多くの団地と同じく厳しい「年収上限」がある
給与収入(年間) 家族数 0円~351万円 2人 0円~399万円 3人 0円~447万円 4人 0円~494万円 5人
なんだったらちょっとお高めどころか直球でラグジュアリーカーが停まってたりもする
明らかに上限年収を超えている人たちが都内の団地に住んでいることについて
一応は都も認識をしているようで
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kenchiku/shinsakai.html
どう考えてもそれ以前の問題がある
都内で351万で2人で暮らすのはかなりの無理ゲーである
まぁ都営団地については不人気区の駅からめっちゃ遠い木造や1Rや1Kで暮らしながら申し込んでいる設定にして納得するとしても、
人気区の区営団地はどう捉えたら良いのだろうか?
世帯員数 一般区分(所得) 2人の場合 0円 ~ 2,276,000円 3人の場合 0円 ~ 2,656,000円 4人の場合 0円 ~ 3,036,000円 5人の場合 0円 ~ 3,416,000円 6人の場合 0円 ~ 3,796,000円 ファミリータイプが家賃が18-40万する地域にどう考えても上限年収で住める訳がない
10万前後で住めるのは1Rや1Kだし、1Rや1Kに住んでいる設定に無理矢理するとしても
300万で毎月10万支払いつつ家族を養うのはどう考えても都内では無理だろう
実際のところ、家賃20万オーバーの地域に5万以下で住むために、あの手のこの手で調整して入っているわけだけど、
なぜ誰も突っ込まないのだろうか?
抽選倍率775倍らしいが青山あたりの物件(団地)とか本当に抽選やってるのかな・・・?
都営北青山三丁目アパート
階数:地上20階,地下なし
高さ:70m
間取り図:https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/toei_online/pdf/index-04.pdf
外観:https://view.tokyo/?p=55664
なお近郊の物件
築42年 / 13階建
東京都港区芝
築12年 / 地下1地上25階建
築13年 / 12階建
超高額所得者に引っ張られているとか?
夏野氏とまんま同じこと言ってるわ
やっぱ高額所得者は搾取されているとかいうトンチキはパブリックエネミーなので許してはいけないな
⭐️慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授で(内閣府)規制改革推進会議議長でデジタル庁有識者メンバーの夏野氏ありがたいお言葉の数々 ↓
夏野氏
「あと、言いにくいが、税金払ってない人の2倍の投票権を税金払っている人に与えていいと思う。どちらにしろ東京の人の票の重さは鳥取の半分以下だし。最高裁も2倍までいいと言ってたらしいしね。」
「国民に高いコストを払わせてお世話になっているくせに当然の権利のようにTPP反対デモしている農民を見ると、事実上倒産しているくせに解雇に反対するJALの組合とかぶる。どちらも既得権益を守ろうとしているだけで、決して弱者ではないことに注意」
「30年くらい先を見越すと、都会か地方か、ではなく、人口減少下のニッポンである一定の人口密度以下の場所に住むということはそこの公共サービスを維持するために莫大な税金が必要となり、ものすごく贅沢なことになるという認識を持たざるを得なくなる。」
↓
「人口密度の高い地域の電気や水道水、食料はどこの地域からのものでしょう?どれだけの恩恵を人口密度の低い地域に頼ってますか?
利用者が少ないからとせっかく築きあげてた鉄道は廃線になり、どこの地域にもあった学校も統廃合でスクールバス通学、最低賃金格差、人口減少に向かわせた政策です。」
「他人より稼げているのは社会システムによる富の分配の偏りの恩恵で、能力より役割ですよね。所得が少ない人は税金払ってないというのなら法治国家そのものが崩壊しますよ。教授は食料作り出せないでしょ。低収入農家をバカにしないで。」
↓
夏野氏「はあ。」
夏野氏「竹中さんに大いに期待する。竹中さんの明確すぎる論に反発する感情的な人たちが日本のガンなのだ。 / 英雄?悪玉?竹中氏に再び脚光 戦略特区メンバーの有力候補浮上」
夏野氏「今年選挙があるからだと思います。公平感?そんなクソなピアノの発表会なんかどうでもいいでしょ、オリンピックに比べれば。一緒にするアホな国民感情に今年選挙があるから乗らざるを得ない」
なお、ありがたい数々のお言葉をくださる夏野氏が教授を務める慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 は、
お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんが「これからも学び続けます!」と高卒から慶應大学院修了を報告をしたことで有名ですね
田村淳さんの修士論文はまだ見れないけど見れるようになるといいですね
見れるようになっていました ↓
男性です。
https://blog.tinect.jp/?p=72112
これ読んで、イラッとしたので、ちょっと反論してみる。多分、苛ついたのは個人的事情によるところが大きいが、一般論で反論できる部分もあると思う。
まず、全体の話として、夫婦ともに300万づつ稼いでも600万の年収の生活はできないという部分は同意できる。これは単純に、妊娠、出産という期間に稼ぎが減るのでそれに対する金銭的なバッファを作っておかないと、生活が破綻するよね。ということと理解している。
でさー、女性の収入はあくまでリスクヘッジとして、それに該当する理由を色々と書いてる。現状で社会が男女平等になっていないのは確かにその通りなんだけど、外資系、公務員、大企業、自営業と"女性であること"が不利にならない、というか場合によっては女性枠があるような場所もあるわけで、"共働き"を選ぶのであれば、そういった場所に入れる努力ぐらいしろよと思うわけです。
女性が本気で"共働き"を選ぶのであれば、男性側もそれなりの覚悟がいるわけです。保育所からの呼び出しに対応できるように社内での自分の立ち位置の調整だったり、それなりに仕事を減らしたり、持ち帰ってできるような仕事を増やしたりと。
結局「どの程度、本気で共働きに取り組むつもりであるか?」という確認を夫婦間で行っていないと、うまくいくはずも無く、
男性 「だって、子供は母親がみるものだって会社が言っているし」
ってやってりゃ「稼ぎも家事も5割づつの公平な共働きなんてできるわけないよね」と思うわけです。
私は結婚前に妻に聞いた。「どうしたい?」と。妻は自営業を始めたところで、ぶっちゃけたいした稼ぎもない。仕事をやめて専業主婦になっても良いし、本気で自営業に取り組んでも良い。主体を家事育児において、自営業をパート感覚で行っても良い。(妻はある程度、仕事量を調整できるような自営業でした)
私も自営業をしている。収入は年によって増減があるがおおよそ900万程度。高額所得者とは言えないレベルだけれど、私一人の稼ぎで暮らしていけないわけではない。
妻は「自営業者としてやっていきたい」と言った。なので、家事育児は完全折半という覚悟をした。幸か不幸か父子家庭で育ったため、元から家事は一通りできる。金土日は私の晩飯当番。選択も普通にする。当たり前だけど洗濯機を回して終わりでなく、シワを取って広げて干して、取り込むところまでが洗濯だ。掃除は休みの日にまとめてだけど普通にする。というか妻が片付けられない人間で、掃除をする前の片付けの方が負担が大きい。ゴミは各部屋のゴミ箱を空にして1つにまとめ、曜日ごとに指定のゴミ捨て場まで持っていくまでがゴミ捨てだ。
朝飯はお互いに適当に作ってやってたけど、そのうち妻は菓子パンを買ってくるだけになった。私が何かを作ったら、妻も子供それを食べる。食器を洗い、テーブルを拭いて、朝のごみ捨てをやってる間に、妻は化粧をしている。あのさ~、女性としての身だしなみなのは理解できるが、それ家事じゃないよね。私から見ると、それは妻の仕事の一部なわけで、「化粧で忙しい」というので家事負担を私に押し付けてくるのは納得行かないわけです。
この「化粧で忙しい」というので、曜日ごとの当番制でやっていた保育所への送迎も朝の送りが私で、夕方の迎えが妻になった。やったことがある人ならわかると思うけど、小さい子を保育所に送っていっておいてくるのは大変です。子供からすれば置き去り父親、迎えに来てくれる母親。どっちになつくかって言うまでもないよね。
で、この迎えの当番も義父に任せて行かなくなった。保育所の個人懇談なんかも私が行ってたら、保育士に文句言われるわけです。「なんでお母さんが来ないんですか?」と
「うっせー、家庭内の役割分担に口出すな」というのをオブラートにぐるぐるに包んで伝えて、「女性がメインで育児するのが当たり前」みたいな雰囲気にも立ち向かってたわけです。
で、こんだけやって、妻の稼ぎは年収100万程度。いやね、自営業って難しいの知ってるよ。どれだけ本気で取り組んだってうまく行かない事もある。だからって家事メインでやって、仕事の時間減らしたら、いつまで経ってもそのままだろうから、10年ぐらいずっと上記の生活続けたよ。4歳差の2人の子供を10年同じ保育園に送り続けたよ。小学校の参観、懇談、PTA役員もやって、自治会役員も何年かと基本的に体外的な事はすべて私の役目。
その間、妻が何やってたかというと、仕事の稼ぎはいつまで経ってもそのまま。家の中での家事は半分はやってたけど、子供の習い事とかまったく興味なしで、送迎は私がやっていた。
で、子供が大きくなって手がかからなくってきて空いた時間にボランティアのような事始めやがった。空き時間があれば、家でパソコン作業。それ違うんじゃね?やってることに社会的な意義があったとしても、それ配偶者の許可取ってやることじゃね?
自分より稼いで家に金入れてるとか、家事育児全部やってるとか自分のやるべき役割を果たした上で、何かするのは好きにすれば良いと思う。でもさ、稼ぎは夫任せ、家事も折半って状態で何やってるんだと。
で、そんな話し合いをしているうちに、妻の不倫が判明。もう、ほんとに死んで欲しい。
本当に家事育児は何でもした。してないのは生物学的にできない"出産"と"母乳を出すこと"だけのつもりだ。
私が本気で"共働き"を目指した結果がこれです。
自分の最大の失敗だったと思うのは、妻にコミットをさせなかったこと。
私自身は「稼ぎは多少減るかもしれないが、家事育児を半分やる」ことをコミットし、実行した。
稼ぎは波はあったけど、収入は維持している。
フェミニズムにそうやってラベリングして憂さを晴らしても、弱者男性当事者のおかれてる立場や抱えてる課題は何も良くならないでしょ。
個人のもつ色々な属性の複合的効果によって社会的な強さ/弱さの立場(スタンドポイント)が決まるというインターセクショナリティ論は、フェミニズムの内側から出てきたものだよ。そもそもフェミの内部にも人種問題とか経済階級問題とかがあって、フェミニズム自身もそれと向き合う理論的必要性があった。さまざまな権力関係のなかで相対的に他の男性や女性より弱い立場にいる男性は当然いるし、そのことを否定するフェミニストはほぼいない。いるとしたら、それは背景となる理論的裏付けを持たずに男性への憎悪を募らせたミサンドリストで、そういう人はフェミではないし、フェミの代表として語ってほしくもない。
多くのフェミニストは「弱者男性なんかいない」なんて思っていない。でも「男性は(学歴や所得やコミュニケーション能力や身体的属性や容姿ではなく)『男性であること』自体によって、女性よりも相対的に弱者だ」ということに同意するフェミニストもほとんどいないだろう。
構造的にみれば、我々が暮らしている社会はまだまだ男性優位だけど、とはいえ男女雇用均等法とか他のさまざまな社会的前進によって、過去に比べれば、平均的男性像を超える所得や実績を得るような女性も出てきやすくなった。
そのいっぽうで、1980年代後半からの格差社会化の進行によって「一億総中流階層」という幻想は崩れ去り、男性内部の格差は広がっている。正規/非正規という雇用形態の違いは以前はきれいに性別ごとに割り当てられていたけど、今は男性の非正規雇用層、男性の低所得者層が以前よりずっと拡大している。
そういう男性のなかで社会に対する被収奪感、「誰かに何かを奪われているから幸せになれない」という感情が生まれるのは当たり前のことだと思うけど、それを女性に向けるのは間違っている。それは女性非正規就労者の減小数と男性非正規就労者の増加数を比べてみればわかる。「何か」を奪ったのは女性ではなくて資本主義だ。正規雇用の人件費・法定福利費・社会保険料など労働コストの重さに耐えられない企業が非正規雇用化を進めていったからだ。
そういう弱者男性がいること自体は認識していても、それを救うことまでが自分のやるべき役目だと思ってるフェミニストは少数だ。フェミニストは何よりも男性-女性という軸における不均衡・不公正を是正することを意識してる。所得という観点で弱者の立場にある男性が、同様に経済的弱者である女性と連帯して社会福祉制度の拡充や最低賃金のアップを求めるなら、それを歓迎するフェミニスト達はいるだろうけど、それは女性の境遇を改善することに繋がる限りにおいてだ。フェミニストは弱者男性のママではない。みんな自分のことで忙しいのだ。
弱者男性論者は自分たちよりも相対的に強い立場にある「強者男性」との対立関係をちゃんと見据えるべきだ。自分が貧しいから弱者だと思ってる人の敵は労働者から収奪してる高額所得者(ほとんどは男性)だろうし、自分がモテないから弱者だと思ってる人の敵は、自分に振り向かない女性じゃなくてモテてる男性だろう(女性に認められたいならまず自分が女性を認めるべきで、女性を叩いたらどんどんモテから遠ざかるに決まってる)。強者男性と直接戦えないやつが、その恨みを女性にぶつけるのは虚しい。ママに泣きごとを言う前に、弱者男性は「強いパパ」を直視すべきだ。