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はてなキーワード: 日蓮正宗とは

2018-07-16

anond:20180715073153

へえ、そうなんだ。珍しいね。けっこう日蓮正宗の人って少ないのに、まさか増田出会えるとは

まあ袂を別ったけど、別に、考え方の違いだからどっちが正しいも間違ってるもないんじゃないの?

宗教なんて、自分がこうだ、自分価値観とこれが合致する、ってものを選ぶだけだと思ってるし

日蓮の教えをAと解釈するかBと解釈するかの違いで、Aと解釈した集団の中にいるのにA'とかいってる奴はちょっと待てよとは思うが、Bと解釈した人は、そうなんだ、としか思わない。そういう人はAの集団にいないだろうし

と言う訳なので、創価の中では俺はとても異端児です

から一時の宗門攻撃には馬鹿じゃないの? ただの個人攻撃じゃん。袂別ったならほっときゃいいじゃん。お互いの道を進めばいいだけじゃん。とか正直思ってて、そういう創価は俺も嫌い

最近あーゆーやりかた減ってきたけどね。反感も多かったんじゃないか

2018-05-17

宗派を邪教扱いする日蓮正宗西暦使ってないの?

和暦おかしいけど

2018-02-08

ご受戒も戒名も要らん

私本人は、特定信仰を持たない。寧ろ持ちたくないし、嫌い。

夫は日蓮正宗信徒

再婚同士。

先月、姑の一周忌だった。法要正宗のお寺で行った。

私的には、夫の信仰尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。

話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。

普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。

それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。

なので、

「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的ものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」

って話した。ついでに、

「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」

とも話した。

そうしたら夫が、

「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」

とか云う。

ねえ、それおかしくない?

何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?

私、散骨希望って云ったよね? 戒名も年忌も要らないって。

別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?

嘘ついて誤魔化さなきゃならない存在なの?

入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?

なんかもうとにかく許せない。

もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル

姉が僧侶の妻だからって、自分再婚相手宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。

結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎

だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。

何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!

一人の信徒が(しか僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープ人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!

離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。

この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。

仏壇ブチ壊したくなる。

2017-12-12

anond:20171212095528

恐ろしいな。

そんな奴らの法事には二度と出ない方がいいよ。

できることなら縁を切った方がいい。

親にはきっちり説明して、日蓮正宗に入るつもりなんてないと言った方がいい。

信仰心もないのに、勝手儀式を執り行われただけなのだから

そんなわけのわからない宗教団体信仰するつもりもないし、入会したつもりもないと。

日蓮正宗怖い

祖母法事実家に帰ったら、ほぼ無理矢理に授戒させられた。

法事が始まる前に、僧侶に入信せよ。同じ宗教信仰することが親孝行なんだよ的な意味不明な話をされたが、目の前でタバコを吸いながら話している僧侶にそんなこと言われても、ちょっと入信する気になれず、考えますといって、その場は逃げた。

私が入信の説得を受けていたため、祖母法事が始まるのが少し遅れたが、法事は無事に終わった。

法事後、親族が集まっている中、授戒に関する話が始まったと思ったら、私に対して急に授戒の儀式が始まった。

頭の上に、変な棒を乗っけられ、呪文を唱えられる。親族全員がいる中で、やめろよ!とも言えず、そのまま授戒の儀式を終えた。

同意なく無理矢理に入信の儀式をしてなんの意味があるのか。本当に絶望した。

もう宗教賞味期限なんて切れてるよ。

2017-10-10

テレビで密着やってる杉田かおるの自宅に、日蓮正宗仏壇がばつちり映ってた。

2016-05-07

今週の迷家仏教徒畜生坊主未亡人に手を出す屑で創価日蓮正宗人間だった件

マリーもよくこんな禁じ手考え付いたよなって感銘を受けた。

そして水島努も敵なしなんだな。

こんなの絶対それ系の団体からクレーム来るに決まってる。

2016-04-29

パラリンピック側に日蓮正宗の紋を使った理由

似てる似てない以前に、パラリンピック側の鶴丸紋は日蓮正宗の紋で、創価学会破門されてからは使ってないとのこと。…ちょっとググればわかるのに。

かつて創価学会刊行した「折伏教典」(昭和26年発刊)に次の記述がある。

1)地獄不具者、病者、狂人ルンペン宗教坊主及び信者

2)餓鬼:下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、毎日毎日生活が食を得る為に働いているような人々。アルコール患者拝金主義者。性格異常者。

3)畜生パンパン、不良、泥棒スリ、その他犯罪者

4)修羅兵隊警官拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と争う人間

5)人界:普通平凡に生活している市井人。

6)天界大金持、元の皇族貴族、一国を動かしている大政治家経済家、偉大な軍人等々。

7)声聞学者研究家学生等。

8)縁覚:大作曲家音楽家芸能上で一芸の奥義に達した者、何かの研究を完成した学者等。

9)菩薩二宮尊徳の如く広く社会利益した者。偉大な発明発見 により広く社会利益した者。仏法を広め、衆生に救を与えた人々。

10)仏:日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、天台(迹仏)、伝教大師(迹仏)等

すなわち、パラリンピック日蓮正宗の紋を使うことで、地獄界(不具者と邪宗)の祭典であることを表現しようとしたのではないか。

2015-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20151126210738

イエス律法学者ガチバトルして抹殺されたが、イエス信徒たちの作った教団にも、聖職者階級が出来て、彼らのものになった。

ムハンマドも神のもとの平等を説いたが成し得なかった。

建て前では出家在家区別はなく、聖職者という存在はないことになっているが、イスラム法学者が幅をきかせている。

教皇カリフも、代理人という微妙な位置付けから始まっているが、権威であることは皆が知る通り。

教皇カリフがいなかったら、組織として成り立たずに歴史の中に消えていっただろうし、リーダーを持つ組織をつくれば、その下に側近、その部下という階級が出来上がり、信徒平等は実現できない。

そして行き詰まり、数限りなく宗教改革分派が続く。

イエスムハンマドの教えは、精神面では教義原点回帰しつつ(あるいはしたつもり)でも、当時なりに当時の社会情勢にチューニングしていた。

あるいは解釈余地があったか世界宗教になった。

律法ローマ法でダブスタのところは、ローマ法を優先したっていいよん」

イエス

ダブスタがないように世俗の法も宗教戒律も擦り合わせて一本化しとけ」

ムハンマド

現代だと問題アリアリでも、当時はそれなりに柔軟な解釈改革したつもりだったわけで。

マジヤバいのは、原点回帰経典は一語一句正しいとする連中。

ISも当然だが、S県の顕正会、まじヤバ。

こないだ勧誘を受けたのだが。

日蓮の教えは一語一句正しい!

新型インフルエンザ東日本大震災日蓮予言

中国(元)が攻めてくるから天皇帰依させて国立戒壇をつくって国を守れ。

創価学会けしからん

政教分離を掲げるなどあってなるものか!

政教一致は必達!

何故なら日蓮聖人はそう言ったからだ!

ちなみに、

日蓮宗から原点回帰を強めて過激すぎて破門されたのが日蓮正宗

日蓮正宗から原点回帰を強めて過激すぎて破門されたのが創価学会立正佼成会

この両会は在家たちの、つまりから宗教改革だったが、知っての通り王国を作ってる。

創価学会からさら回帰を強めて、過激すぎて破門されたのが顕正会

中国の脅威から日本を守ることしか頭にない。

日本進化論否定する連中とたいして変わらん奴らがけっこういる。

2015-11-18

筋金入り共産党員の娘が創価学会の男と結婚した話

まぁ私の事なんですけど。

父、祖父、曽祖父の代から共産党主義者もっと共産党員なのは祖父と父で、曽祖父は単に支持者だったそうだけど。

祖父が亡くなった時に、志位和夫委員長から弔電が来ていたらしいので、そこそこの党員だったのだろう。あまり良く知らないのだが、祖父宅には宣伝チラシのようなものがおいてあったり、客間におそらく党員が集まって話してるのをよく見た。

父は党員だけど労組活動がメインみたい。むかし、隣の市で共産党系の市長が出そうだった時に開票所に連れて行かれて「不正が無いか見ておかないと行けない。お前たちの未来にも関わることだからな」と言われた。月に2-3は活動して座談会いったり年1くらいデモしたりしているみたい。自分細胞なんだそうだ。

他には政治的なことを言われた記憶はなく、しんぶん赤旗は取ってたものの、私は個人的にずっと朝日小学生新聞朝日新聞を取ってた。個人的にっても親の金ではあったので、親ありがとう

私自身のことについていえば、共産党薫陶は受けたものの、赤旗まつりに行く程度で、しんぶん赤旗現実味のない論調ニュースの速報性のなさにはがっかりだし、オープンキャンパス東京大学をいろいろ見ていたとき法政大学アジ横断幕見てドン引き

一応大学共産党宣言ちょっと見てみたもの・・・ってところです。

あいつら、チベット虐殺について「チベット暴動があり民間人に死者が出た模様」って軽く触れて終わりとか偏り報道ですよ。CNNBCCもNYTも見放題の時代に。

なお、赤旗まつりは完全に地方物産市&芸能人講演会となってて政治要素はかなり薄いので面白いです。各地の特産品とかあるよ。

さて、彼のことについて言う。

彼は別に創価学会企業でもないちょっと名のある企業に勤めていて、友人経由で知り合ってみんなでキャンプバーベキューしたりしてるうちに仲良くなった。1年半くらい半同棲して、そして結婚に至る。

半同棲(週3くらい同居)のときに、彼がクローゼット仏壇をおいてるのは気づいてた。とはい最初仏壇?と思ったものの気にしなかった。でもなんとなく気になって、彼がシャワー浴びてるとき仏壇の中を開けたら変な呪文の紙があって「きもっ!!!!!!!」ってなったね。そりゃもう。鳥肌ゾワゾワ。

その日は彼が求めてきても体調悪いって断ったもんね。

んで、帰って創価学会でググッてビンゴ創価学会呪文の紙だ(板曼荼羅というらしい)。吐き気を抑えつつも、彼のステータスを考える。有名企業法務部。年収650万。顔も悪くない。性格もすごく合う。

でもなー・・・と思いつつ、「あのさー・・・もしかして宗教とかやってるの?仏壇となんか呪文?みたいなの?見ちゃったんだよね」って言ってみた。「あー・・・学会員でさ、親もなんだけど。でも創価学会って別に変な宗教じゃないよ。日蓮宗っていう鎌倉時代からある普通仏教だし、ふつうだよ」って言う。

はいはい、そのへんは全部Wikipediaで調べ済みです。鎌倉時代新興宗教日蓮宗の、更に過激派日蓮正宗の、そこから更に分離独立したんですよねーーー。とは言いつつも黙って「え、それ私も勧誘したりするの???」「えっしねーってww まあお前が興味あるって言うなら少しは教えるけどwww 普通仏教別に勧誘なんて無いでしょww 学会普通宗教からね。勧誘なんてしないよ」とかのたまった。

(なお日蓮系の顕正会現在勧誘がひどいが、創価学会は”現在は”ほとんど勧誘してないらしい。20年前まではひどかったようだ:wiki情報

彼も祖父母の代から学会員らしい。三世ってやつか。私は祖父と父が共産党員だけど私は党員でも支持者でもないからなー。

その後もいろいろありつつ、半同棲も飽きたので結婚しました。

やっぱり彼のことでビックリしたのは、共産党週刊新潮が本当に本当に嫌いなことかな。2chも嫌い。だけど私が元ねらー(というよりははてな村民ツイ廃なんだけど、ゼロ年代ネット住民によくある程度の浅いねらーでもあった)なことを知ってるせいか、あんまりあからさまに悪くは言わないかな。

たとえば電車中吊り週刊新潮記事を見て「へぇ東京五輪の黒い噂なんだ」と学会とか関係ない話をしたときに「は?週刊新潮なんて嘘とデッチアゲしか無いんだよ?ああいデマばっかりの雑誌見てると低俗になるよ」と言い出しまして。あとで調べると、週刊新潮は20年ぐらい前から創価学会キャンペーンをやっていたみたい。共産党支持層が被るのもあって対立してたみたい。

あと、集団的自衛権とかSEALDsとかの話も「共産党が裏で動いてるんだろ?ああいう連中(共産党)こそサッサと内乱罪逮捕すべきだよ」と言い出します。これも共産党とは40年くらい対立してるみたい(すべてWikipedia情報)。

実は、父祖が共産党員なことは彼には言ってないんだけど、大丈夫かなぁ・・・。これはかなりナイーブな事案。っていうか共産党と仲悪いなんて知らなかったんだよね。


普段は本当に温厚な人でバランス感のある人ではあって、パリテロも「テロは当然許されることではないけども、フランスで起こったということはやはり空爆だけでなくフランス移民政策ミスがあったということも遠因だろう」とか言ってた(ネットで見る言説と同じではある)。

こういう彼がいきなり特定のことになると過激な発言をするパターン・・・というので思い出すのは、職場の同僚のネトウヨさんだ。

ネトウヨさんは2児のパパで、とてもいい人で温和な感じでFacebookも娘の写真とかが多いんだけどネトウヨで、中韓最近だと日本共産党あたりの話題になると本当に叩きっぷりがひどい。

ある日「娘と一緒にスイカ割り行ってきました〜〜。まだまだスイカは固くて割れない^^;」みたいなことを言った5分後に「翁長ww売国奴死ねよwww」「テロに遭う前に韓国人という外患を強制退去させないとな(真顔」とか言ったりする。

彼も、ネトウヨ同僚さんも、このメンタリティ理解できない。絶対的に叩いていいモノ扱いするメンタリティ。正直こわい。

選挙は2回ほどあったけど、「お前はそういう女じゃないと思うし、俺もあんまりきじゃないけど一応言っとくとできれば公明党に入れて。まぁそういう女じゃないだろうけど」って言ってきた。どういう女だと思ってるんだ!!

話し合ったことはないけど、日蓮正宗とか阿部日顕とか言い出すとまたすごい批判の言説されそう。そういや彼の本棚の奥の方に(隠すように)も彼の実家にも池田大作の本とか人間革命とかあるけど、あれは面白いのか…?この辺もまだ話し合ってない。なんであんなに池田大作好きなんだろう。ネトウヨさんが天皇日本大好きみたいなもんか?刷り込みなの?


あと彼は創価大学ってとこの卒業生なんだけど、これもキモい。「ふつう大学宗教の授業とかは無いからね」「幸福の科学大学作ろうとしてたけど、あれは授業が宗教的だってことで禁止くらってたけど、ああいうのとは違うんだよ」「司法試験合格率とかも高いし優秀な大学だよ」とは彼の談だけど、ネット創価大の文化祭画像を見たら「父、池田先生ありがとうございます」とか、三色に染めた旗・花・階段・校舎・・・キモイキモイ

あとやっぱり板曼荼羅呪文しか見えなくて気持ち悪い。捨ててほしいし、ガチ同居になってから見えるところに配置してるのでせめてクローゼットにいれてほしい。

聖教新聞気持ち悪いのでやめてほしい。

月に1回くらい、休日接待だと嘘ついて学会活動するのやめてほしい。会社学会員の人といってるようなのでギリ嘘じゃないんだけど、それでも。

「そんなに嫌ならなんで結婚したんだよ」という意見出てきそうだけど、そろそろ私も結婚やばい年齢だし、収入や顔のスペック面も悪くないし、3年ぐらい付き合って本当に本当にこれ以上ないってくらい気が合うし、ほんと創価学会だけなんだよ・・・

変につついて過激な活動家になっても困るので、月1会合聖教新聞だけならいいか、と放置しています。過激活動家になったり、学会の集まりに私も呼ばれたり、学会勧誘されたりするならキレて離婚してもいいんだけど、面白いから観察して増田にまた書いてもいいかな。

しかしたら私が狂ってく過程なっちゃうかもしれないけど、そしたら笑ってください。

2015-08-26

何に誘われたのか

中学生のころ、僕には友人がいて、名をHといった。

他にKとTがおり、4人でグループを作り、僕かKの家で日々スマブラに打ち込む青春を送っていた。

Hは大柄で、漫画ゲームに造詣が深く、学校へ顔を出すよりは休んでいることの方が多い男だった。出会ったころはごく普通に登校していたのだが、年次が上がるにつれて徐々に休みが増えていった。

いじめられていたというわけでもなく、たまに3限ごろになってふらりと顔を出してはクラスメイト挨拶を交わし、4限の前には帰るのである。原因というか理由はよくわからなかったが、病欠明けの登校しづらさのようなもの慢性的にあるのだろうと思っていた。

そんなわけだから、Hは学力的には周囲についていけなかったようだが、それでも会話の端々に聡明さを覗かせていた(例えば彼はチョッパー海賊団入りすることを級友の中でいち早く看破していた)。

Hの兄も不登校であるようだった。会ったことはないが、イラストがめっぽう上手で、Hがそれをよく僕らに誇らしげに見せていたことをおぼえている。

卒業にあたり、4人の進路は分かれた、僕とKは同じ高校へ進んだがTは別の高校へ、Hはそもそも進学したのかさえわからずあまり連絡を取らなくなっていった。それでも、僕とKとTは相変わらずKの家でマガジンまほろまてぃっくを回し読みし、ゼクンドゥスをエレメンタルマスターでなぎ倒し、交友を深めていた。

そんなある日、地元の最寄り駅でHに会った。3人で黄泉がえりを観に行った帰りだった。

中学の頃のHは、決して太ってはいなかったが全体としてふっくらしており、長さのそろった前髪からは朴訥な印象を受けたが、久しぶりに見た彼は、短めに切りそろえた頭髪を整髪料で逆立て、頬骨がうっすらと浮かびあがった精悍な顔つきに変わっていた。

「Hくん、雰囲気変わったねえ、いいねえ」

僕らはそんな風に言って再会を喜び、また近くKの家に集まろうと約束をした。

その次の週の日曜日、早速4人でkの家に集まった。ハガレンを回し読みし柿の種つまみながら宴もたけなわ、僕はトイレに立った。

戻ると、なんだか空気が怪しい。僕のいない間に、Hから二人へ話があったらしい。

そのHの話をまとめるとこうなる。

今、この世界から信仰心が失われておりそれに伴いさまざまな災厄が起きている。例えばSARS鳥インフルエンザもそうである。これらは仏法によって防ぐことが可能である。ついては君達も一緒に信心を養うべきである

当然僕達は首を縦には振らなかった。Hは頭がおかしくなってしまったのではないかと考え説得を図った。Hも聞き入れなかった。今度は偉い人を連れてくると言った。彼らの話を聞けばわかるからと。

その日以来Hには会っていない。

もともと彼の家族はそういった信仰を持っていたが、中学卒業を機にHも入信させたということらしい。また、Hが僕達以外の元同級生相手にも勧誘を行っていたというのは、後からわかったことだった。

問1 『僕』がHに誘われたのは何か、次の4つから選びなさい。(10点)

1.顕正会

2.立正佼成会

3.創価学会

4.日蓮正宗

2015-02-16

日蓮正宗

 なんかこう書くと刀の名前みたい。

 つか「かの日蓮が使っていた刀の中に名刀正宗もあり、「日蓮正宗」として重要文化財指定されている」とかしれっと書けばニワカな刀剣ヲタなら信じてくれるような気がする。

 数珠丸 って刀もあることだし。

2014-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20140307224557

いろいろ間違っているので、つい突っ込みを。

日蓮宗ではなく、日蓮正宗です。

日蓮正宗の寺側とは別物です。

財務幸せになるとは言ってません。

・説伏ではなく、折伏です。

ここからは持論なので誤りがあるかも。

・頑張れば頑張るほど役職がついて大変になります

ほとんどの人はたまに参加する人で、一部の人たちが周りの面倒をみています

折伏は好きでやっている人と、まわりの後押しでやっている人が多いです。

折伏されている人は、本当に仲がいいか、信頼されている人か、助けてあげたいほどヤバい人です。

折伏されている人は、折伏する側が信用しているか創価学会カミングアウトしているわけで、そこは認めてあげてください。

・入会するのも断るのも本人の自由ですが、断られても入会を勧めるのも自由です。

・入会は若いうちか、死ぬ前がおススメです。いろんな人が祝ってくれます。※ただし、中年で入るのはおススメしません。おっさん、おばさんから祝福されます

2013-09-11

カルト宗教団体顕正会

朝日新聞デジタル:宗教法人「顕正会」に家宅捜索 強引に入信迫った疑い - 社会

日蓮正宗派閥争いで創価学会と激しく対立する武闘派カルト宗教団体顕正会」がすごい

1974年5月 明治公園から創価学会本部まで3000人のデモ行進

1974年10月 男子部70人が創価文化会館街宣車で乗り込み乱闘事件が発生し12名が逮捕

1977年 創価学会との法廷闘争で和解成立

1996年 文部省から宗教法人認証を取得

2005年 強引な勧誘をしたとして会員2名を逮捕神奈川県警による家宅捜査

2007年 強引な勧誘をしたとして神奈川県警が本部を家宅捜査

2008年 新潟県警による家宅捜査、会員1名を逮捕

2009年 退会しようとした男性に対する傷害容疑で会員の少年1名を逮捕新潟県内の2施設を家宅捜査

2013年 警視庁公安部顕正会を強引な勧誘および暴力行為違反の疑いで本部(さいたま)や東京都内5施設等を家宅捜査←new!

2013-01-22

創価学会が他の宗教より優れている5つの理由

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130121001007

id:alloreverything が、

宗教ほとんどライフハックみたいなものなのに、ネット上にレビュー記事が少ないなあ。誰か「○○教に入信してみた」とか「××教が△△教より優れている5つの理由」とかってエントリあげてくれないかな。

と言ってたのでリクエストの答えてみたよ。

 

 

 

外相

 キリスト教とか仏教以外の宗教は今世のことばかり考えて他者に救いを求めてるよね! でも輪廻因果の理を説いて過去世未来世のことを考えないと世界を説明したことにはならないよね。だから仏教以外はここで落選

 

大小相対

 小乗仏教の人たちは自分悟りを開いて解脱することを目的としてるけど、大乗仏教仏陀となって世界を救うことを目指してる。どっちがいいかは明らかだよね? 上座部のみなさんはここで脱落。

 

権実相対

 仏典はたくさんあるけど法華経が一番なんだ。なぜかって、おしゃかさまが最後に書かれた経典からね。その他の経典では明かされなかった秘法があるんだから、これを最上のものとしなくてどうするというのだろう? 日蓮宗天台宗以外のほとんどの宗派の皆さんは、ここでさよならだ。

 

本迹相対

ウソも方便」って言葉は知ってると思うけど、法華経にも方便があるんだ。それが前半の14巻。特に2巻なんかはそのまんま「方便品」って名前からね。方便は大事だけど、本当の教えと仮の教えとどちらが大事かは言うまでもないよね? 日蓮宗一致派のみなさん、残念でした!

 

種脱相対

 末法衆生には成仏をする機縁がないから、事の一念三千である本尊題目を唱えることによってしか成仏ができないんだよ。そうして下種を受けていない衆生はゴールが見えているけど道順が分からない迷子のようなものだね! え、何を言ってるのか分からないって? つまりおしゃかさまは末法でオシャカなっちゃった、ってことさ! 日蓮大聖人末法本仏としない日蓮宗身延派のみなさん、惜しかったね!

 

 

 

 あと、現状の日蓮正宗は血脈が途絶えているから、大変残念なことになってるよ! そうなると、もう創価学会に入るしかいね

 それからこれネタからマジレスはやめてね!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%87%8D%E7%9B%B8%E5%AF%BE

2011-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20110605040229

アメリカだとキリスト教徒イスラム教徒とか、仏教徒キリスト教徒とか、異教徒カップルがたくさんいるから、可能だと思う。

むしろぜんぜん違う価値観くらいだとよさそうな。

この間、キリスト教過激派コーランを焼いたりしたけど、基本的には良好な関係じゃん。

むしろ同じ宗教だけど宗派が違うと戦争状態ってほうが多いような。

日蓮宗日蓮正宗創価顕正会みたいに。

近親憎悪みたいなものなんだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20110605004806

日蓮真宗信仰すればいいんじゃない創価は破門された信徒集団でしかない

ほら、こういうふうにさ。

2009-08-09

彼女創価学会員だった(形式上は)

つきあいはじめてもう数年にもなる、結婚も考えてるような彼女が、ある日こういう話をした。

「おばあちゃんの家には鶴のマークの仏壇があってさあ。ちっちゃい頃はあれが我が家家紋なのかと思ってたさ」

「おばあちゃんといっしょになんみょーほーれんげきょーって唱えてたさ」

鶴のマークってなんぞ、と詳細を希望したところ、創価学会様式の仏壇なんですってね。なんでも彼女の父方の祖母が創価学会にころんで、祖父も巻き込んだのだという。その祖父が亡くなった頃は(まだ日蓮正宗から破門を喰らう前なので)お坊さんも呼んで結構大きな規模の葬式をしたのだが、祖母が亡くなるころには(破門後なので)お坊さんを呼べなくなったのをいいことに伯父がめっちゃケチくさい葬式を出してそれでよしとしていたので腹が立った、とかなんとか。

法事を創価学会式でやる、てこたあ、祖父母個人に止まらず、家族全体が創価学会に属してるってことになる。少なくとも、形式上は。

だからといって彼女やその親御さんが世間のイメージにあるような、折伏だとか公明党選挙とかいうような「濃い」創価学会員かというと全然そんなことはない。というか、彼女自身は創価学会日蓮宗系統の何かだってことはうっすら承知していても、じゃあその唱えてた「なんみょーほーれんげきょー」はどういう意味かだとか、日蓮本仏云々とか、そも学会日蓮正宗から別れたもので対立した経緯があってだとか、そういう教義的なあたりはまるで理解してないのであった。ていうか俺が当の彼女にそのあたり説明しててどうすんだよ、とか。

とまあ、俺が創価学会に入れとか公明党投票しろとか言われることはないので、その限りに於いては彼女らがどういう宗派でも構わないんだ。だがこれが(仮に首尾良く彼女結婚したとして)彼女の家の法事とか葬儀とかになると、学会の流儀で執り行うしかないのよな。そうすると、学会って日蓮正宗から破門喰らってて坊さん呼べない(ことになってる)から、法事や葬儀のたびに「濃い」学会員呼んできて執り行わせることになるので、それは俺の身にも布教とか求められそうでやだなあ、とは思うのだ。それを避けるには彼女の親御さんを学会以外の何らかの「まともな」仏教檀家にさせるくらいしか思いつかないんだが、それもどうなんだろうか、とか。

 

……ということを↓読んで連想したのさ。

http://anond.hatelabo.jp/20090809174151

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

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