はてなキーワード: 同盟とは
それ以上に蒸気船と帆船の戦いにおいて、蒸気船の高い操舵力による
黒海での圧倒的有利が、難攻不落であるはずのセバストポリ要塞を孤立させ、
→次は蒸気船の中でも外輪船VSスクリュー船、で争う。
対日本、対中国程度であれば外輪船でもスクリュー船でも大差なく勝つが
同じ蒸気船同志なら、圧倒的にスクリュー船が勝つ
日本だって戦国時代はそうだったのだが、スケール感が違うので少し戸惑うね。
「井伊直弼は信念を持って粛清を始めている。本人の胸中に入ってんのやましさもないのだ。それがどれほど恐ろしいことかお前にわかるか?ただの悪意や傲慢なら少し恫喝をかければおとなしくなる。我が身が可愛いだろうからな。覚悟を決めた男にそれはきかない。これからの井伊は果てしなくエスカレートするだろう。権力を持った人間はやりたいことがどこまでもかなってしまうからな。しかし権力を掴んだ男は気づかぬうちに権力の奴隷に成り果てるのだ。私はな、自分で言うのも何だが権力の奴隷にならずにすんだ。正義と権力に酔ってお由良派を粛清するために血刀を振るっていたならば、今頃薩摩全土は死屍累々、私自身どこかで非業の死に倒れ、島津は滅亡し今の近代化など微塵もなかったであろう。だからこそわかる井伊家は日本を血で染め、日本そのものを滅ぼしかねん。使いたくもない権力であったが、ひと暴れせざるを得まい」(島津斉彬)
戦をせぬ戦というものがある。今回の騒ぎは糸をほぐせば簡単にとけるものだ。京の天子様をあまりにも現実から遠ざけてきたことが間違いなのだ。西洋人は禽獣ではないこと、我が国は国際社会と堂々渡り合える力を秘めていること、それを伝えて孝明帝の心が休んじられれば日本は平和に開国できるのだ。その自信を持てず西洋に一番怯えておるのが250年惰眠を貪り続けてきた江戸幕府である!どれほど格好をつけ、居丈高に振舞おうとも、いや水戸様のように居丈高になればなるほどその怯えは日本全土、全国民に伝わってしまう。幕府の自信のなさを朝廷は見ぬいておられる。意味不明な西欧の脅威とこの国の責任を押し付けられる帝は溜まったものではない。砲一つない御所にお住まいの帝が開国不承知を叫ばれるのは当然ではないか。帝に安堵していただければ御所の空気は一変する。京の攘夷派も納得し一滴の血も流さず開国への道がひらけるはずだ。(この真意を知るのは西郷、橋本左内など側近のみ)
どこの国の役人だって、出歩いたこっちが悪いと言いはるでしょうに
#坂本龍馬#
特別な人間などだれもおりゃせんが、一人ひとりは自分がかけがえのない人間じゃ
いつも前へ前へと突き進んでいくものには、
目の前に何が待ち受けていようと恐れることはない。
そうやって生きるには、身分制度ちゅうおかしなもんが邪魔じゃあ。
なんで人間をそんなにわけるんじゃ。
わしゃあこの国を全部変えちゃる。謀反人の血を持ってすりゃあできんことはない
一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
ドイツのメルケル首相が「欧州の政治統合を深めるための条約改正」を提唱し、波紋を広げています。
ユーロゾーンには、たとえばマーストリヒト条約で定めた「国家財政赤字はGDPの3%以内」「累積債務はGDPの60%以内」という約束を守れない国がたくさんあります。
これまでは「赤信号、みんなで渡ればなんとやら」で罰則の適用も曖昧にされてきましたが、今後はそういう国に対して、何らかのペナルティーを課そうではないか、ということです。
ペナルティーには、法的手段に訴えてでも借金を返済させるとか、あるいはいっそユーロゾーンから離脱させるとかいった一種強権的な措置も視野に入れます。
ユーロゾーンは通貨同盟であり、加盟国の経済・財政の一元化はしていない。特に通貨の発行に関しては勝手なことをさせないが、国債の発行に関しては規律が緩かった。
したがって実質的には各国がそれぞれ国内経済の舵取りをしている。
その結果が今日のユーロ危機の原因のひとつになったのだから、今後は通貨のみならず経済・財政も一元化し、ユーロゾーンの統合をより強固なものにする狙いだ。
確かにユーロゾーン内での統一基準をもって各国政府の「放漫経営」を戒めれば債務危機などのリスクをかなり減らすことはできるだろう。
だが、私は「ユーロゾーンが経済・財政を一元化するのは至難の業だ」と考えている。なぜなら、それは各国が個別に予算案を作るのを禁止するということであり、内政干渉にも等しい。
もともと「社員」という身分だけが共通していて「目的」や「仕事」のあり方について意思疎通の仕組みを十分に構築せず、
空気に頼った放漫経営を行なっていた職場では、多様化した若者とのコミュニケーションの断絶に対し、
「飲みニケーション」を強化し、職場での統合をより強固なものにする狙いだ。
最近は「飲みニケーション」の概念化、半強制化、楽しめない奴は村八分にするなどの社会的制裁をちらつかせて、
むりやり「飲みニケーション」の維持や、チームとしての連帯を名目上維持しようとする動きが見られる。
たしかに規則や執拗なチェックで締め付ければ一時的には問題児は減り、「形だけは」結びつきが強くなるだろう。
飲みニケーションに限らず、すでに企業の「内部統制」や、学校の教育などで同じような徴候が見られている。
しかし、これは至難の業だと考えている。なぜならそれは、個々人の自由を制限するということであり、サービス残業にも等しい。
私はむしろ、ユーロ加盟国それぞれに自国の通貨発行を一部認めていくべきだと考える。
ユーロ17カ国では現在、ユーロの流通は当然ながら100%になっている。
これを段階的に90%、80%と2割程度まで減らしていき、その代わりにそれぞれの国に独自通貨を発行させる。
そして、独自通貨の加重平均はユーロと連動させた、いわゆるバスケット通貨(ユーロ導入前のECUと同じ原理)とする。
こうすれば当然、独自通貨を発行し過ぎた国の貨幣価値は下落する。しかし、それはそれで構わない。
こぼれ落ちる国も出てこようが、そういう国にはユーロから離脱していただく。
すると最終的には「本当に強い」7~8カ国が残るだろう。これらの国々でユーロ加盟国を再構築してから、落ちこぼれた国にも再出発できる機会を与えるのだ。
こうした根本的なプロセスを踏まなければ経済・財政一元化の道筋も見えてこない。
逆にいえば、こういう発想を持たないまま、やれギリシャの救済だ、それルール違反を犯した国にはペナルティーだとしているのは、まったく場当たり的な対策である。それではユーロの再建はおぼつかない。
マーストリヒト条約ではユーロ加盟の条件を決めたが、離脱の方法に関しては決めていなかった。そういう不備がここに来て一斉に露呈した。
私はむしろ、まず飲みニケーションの参加を自由意志に任せるべきだと考える。
というか、まずそんなに飲みにケーションが素晴らしいというなら、
まずは好きな奴らだけでも「楽しい」だけじゃいその素晴らしさを体現して、若者から「私も参加したい」と思わせるくらい魅力的になってみせやがれ、と。
飲みニケーションについて、ただ昔からやってるから、とか俺は楽しかったから、とかを根拠にしてゼロベースで考えなおすこともせず、
やれあいつは付き合いが悪いとか、こんなことでは出世できないとか、制裁とか言ってるのは全くの的外れである。それでは飲みニケーションの再建はおぼつかない。
飲みニケーションは形にこだわりすぎて、楽しくなくなったときどう自分を変えていくか、という点が全く考慮されていない。その不備が居間一斉に露呈している。
どの国も「仲間に入りたい」と言ってユーロゾーンに入ったはいいのですが、そこから離脱するとなると、地獄が待ち構えています。
各国政府から見れば、ユーロに加入した途端に通貨の自主的な発行権を奪われ、それはユーロをやめようが何をしようが、事実上は通貨の発行権は戻ってこなくなってしまうのと一緒です。
飲みニケーションが自然発生的に起こって、みんながそれに参加してたのしむ、という間は良かった。
しかし今では旨みがヘっているにもかからず「抜けようとすれば村八分」という制裁だけが残ったペナルティ装置になっている。
例えば私は神戸で生まれ育ったが、神戸の人という感覚はあるが、兵庫県の人という感覚は全くない。皆無。でも日本人という感覚はさすがにある。日本人でない人と日本人との差異があまりにも大きいからだろう。ベン図などで書けばよくわかるのだろうけど、これらの感覚は相対的なものだとおもう。
沖縄のアイデンティティを持つ元増田も、日本人というグループ内で共通した感覚に違和感を覚えたとしても、地球人、アジア人という感覚はさすがにあるだろう。逆にフィリピン人やチベット人としての感覚は無いだろう。
国家は人間の集合体。人間とありんことは違う。国家はありんこの集合体ではないのだ。均質である必要は全くない。また、歴史的にも国家ってのはだいたい複数の民族の連合国家だ。だから沖縄が日本の一部かどうか、なんてことは文化の独自性を維持する上では大きな問題にはならないと思う。そもそも沖縄は地球上の国及び地域の一部だ。47都道府県全てがそうだ。国家というものは、それぞれの地域がひとつの国家として共同して秩序の形成に取り組むという同盟を形にしただけにすぎない。
たしかに日本固有の領土とか、不可分とか表現することはあるが、滅亡した国家に固有のものが無いように、これらの表現は政治的なものだろう。文化も同じだ。
私は、沖縄は文化的に日本と一緒じゃないし、行政的に日本の一部だけど、だからって独自性を捨てるとかもったいないことしなくていいと思う。
覚えている限りの時間の流れの中から、世の中に存在するコンテンツを分けてみるテストです。
パソコンが外につながっていることが珍しかった時代。新大陸が見つかった状態。新し物好きかつパソコン好きが移民していった。パソコン通信くらいしか商売になっていなかった。作る人と使う人がイコールだった。何かをするにはコマンドを打つ必要があった。
最初は、学者さんの論文の発表やストックするのに使われていた。
イギリスのホストにつないでmozaicでなんて時代には、論文の延長のノリで研究室のメンバーの自己紹介ってのがあった。実は、実名うんぬんってのは、一番最初にやっていた。
ここで、実名を名乗るのかペンネームを名乗るのかの分かれ道。すでに実社会でしっかりと活動している人は、実名でやっていただろうし、ひとりで楽しむような趣味の人や背徳感がある人はペンネームやハンドルネームになったんだろう。
全国の日帰り温泉のまとめのような個人が足で調べた価値の高い情報が高い確率で存在した。
まめな人は自己紹介のついでに日記を書いていた。当時はコンテンツマネージメントシステムは一般に普及していなかったので、htmlを手打ちして、ftpコマンドで送信。量が増えると大変だった。メールをみるときはなんちゃらtermというソフトでコマンドを打ちながら見ていた。
デジカメが普及するまでは、写真を取り込んだりイラストを取り込んだりするのは、お金がかかることだった。まして、高価なグラフィックソフトなど夢のまた夢。デジカメが普及したあとは当たり前になった。
取り込むためには専用の拡張ボードが必要だった。カメラも高価だったし。2GBの壁があって、長い動画は編集できなかった。高画質な動画に仕上げるためには職人芸が必須だった。大容量の動画をあげるサーバーはほとんどなかった。
音楽を作る人は、midiの配布していた。有名な曲のコピーが多かったので、大人の事情でほとんど閉鎖。
無料のホームページとセットのような感じ普及。ホームページ自体散発的なもので、同じ趣味趣向の人たちで同盟とか組んでいたよね。
大量に生成されるコンテンツは個人の手を離れていった。新大陸はいくつかの勢力に分かれて群雄割拠の状態。広告枠として大きなお金が動くようになった。作る人と使う人が区別されるようになった。グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)が、あたりまえになり、コマンドを打つ必要はなくなった。
地図が見れるようになった。パソコンにインストールしていた時刻表やルート検索がwebになった。
コンテンツマネージメントシステムが無料開放された。htmlの作成もftpも必要なくなり、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。改行を大量に挿入してスクロールバーを有効にして、文章を読むためにマウスのホイールをまわして文章を読むときに指の動きを加えて、読んだ感を高める手法が流行る。
会員制の閉じたサービスが登場する。内容は日記、掲示板と基本は同じだが、個人が設定する必要はない。テクニカルな要素がなくなったので、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。携帯電話からコンテンツを作る文化の先駆者ともいえる。携帯しか使わないユーザー層があらわれる。
写真のアップロードも無制限になった。デジカメの画質が上がってもリサイズする必要もなくなった。
動画を受け止めてくれるサーバーも増えた。ブログやSNSのおまけ的存在だったが、Youtubeの登場で無差別級のサービスになった。カメラで撮影した時点で、パソコン用のファイルになっているのも参入障壁を下げた。
たとえば、全国の飲食店をすべて載せるとかそこに感想や評価を付けるようなサイト。個人が手弁当でまとめていた情報を商売にする会社があらわれた。
感情の発露がリアルタイムになる。「つぶやき」という概念が生まれた。新大陸を制覇しようとする勢力の攻勢が高まる。作る人と使う人に加えて踊らされる人が登場した。「更新されたよ」ボタンをクリックするだけで、ダラ見ができるコンテンツが優勢となる気配。
ゲームとかやることが多くなりすぎた。
発展期に登場した便利サービスの中で脱落するサービスがあらわれ始めた。
大きな掲示板のスレッドには、約1000個の書き込みがある。その中から文章を選んでコンテンツを作る手法。新聞の読者投書欄のように投書されたご意見の中から好きな意見を載せることができる。文章ロンダリングやソースロンダリングという言葉が生まれた。
コンテンツの提供形式として、素人作成風味の味付けをする企業・組織があらわれた。個人が大きくなったのかもしれないし、何者かに組織されたのかもしれない。この手の人たちは頼んでもいないのにどんどんコンテンツを作る。
midiサイトに対する警告に比べると2次元コンテンツはゆるい。コンテンツホルダーの手が回らないくらいにあふれいるのか、あえてあふれさせているのかはわからない。黎明期ならばまつりになっているような内容のものがあふれいる。包括的に権利処理されているのかもしれない。
趣味じゃなくて仕事の人が増えたのだろうか。仕事でwebに出るといっても会社の看板を背負うと個人ではなかなか発言できないはずなんだけど。よくわからない。
「どうしても戦争が必要なら資源消費を最小限に抑えて目的達成せよ」
だったりする。相手を打ち崩すのは中策くらいで、ガード無しの殴り合いは下策の類。
上策は相手が戦争の意志を固める前に、その意志を霧散させること。
例えば孫子の冒頭は、
死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
故にこれを経るに五事を以てし、
これを校ぶるに計を以てして、その情を索む。
一に曰わく道、二に曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法。
とあるんだが、これを超訳気味にざっくり言うと(多少自分好みにアレンジした)、
したがって、死亡フラグ・生存フラグ、存亡のシナリオ、これを熟察すべきだ。
そのためには、敵味方の力量を5つの項目で測り、
5つの項目というのは、
となる。
つまり、
したがって、(恋愛における)死亡フラグ・生存フラグ、存亡のシナリオ、これを熟察すべきだ。
5つの項目というのは、
となる。
言い換えるなら、
恋愛するときは、恋敵と自分とのリーダーシップの強さ、置かれている状況の違い、
仲間の質、量、規律なんかを良く調べ、それらを与条件として、
死亡フラグや生存フラグを理解し、どう展開すると恋愛が破綻し、
逆にどう展開すれば恋愛が進展するのかを把握し、
勝算のあるシナリオや再起不能を避けるシナリオを見つけ出せということだ。
についてもvs恋愛対象ではなくvs恋敵として考えると、
『三角関係となって百戦百勝するのは最善ではなく、恋敵と戦わずに恋愛対象から手を引かせるのが最善なのだ』
できる限り、例えば外交戦を展開したり自分の勢力を誇示したりして、
相手に勝ち目を無くさせたり、勝ち目がないと思わせたりしてしまえということだ。
ちなみにこの続きもあって、同様に恋愛へ適用できるように解釈すると、
その次は、恋敵⇔恋敵の仲間・恋愛対象・恋愛対象の友人間の同盟(共謀)関係を阻止すること、
その次は自分と恋敵が直接対決する(つまり三角関係になる)ことで、
恋愛対象との信頼関係をガッチガチに固めているところを攻めに行くことだ』
と孫子は言っている。
あいりん地区でウソついて原発作業員をかき集めた、とニュースになっているが、
要は、身元不詳な日雇い労働者を、安全保障上の急所に送り込んでいる、ということ。
「悪意ある人物」であっても、あいりん地区経由で福島第一原発に「潜り込む」ことが
いとも容易、ということになる。
「ビンラディンの報復テロ」等喧騒されているご時世に、あまりにも杜撰でないか?
外人イスラム教徒だと外見で即座に不審者としてバレるから問題なし、という楽観論もあるが、
「アルカイダが北朝鮮の工作員(=見た目日本人)に依頼」という悪の同盟の可能性もある
日赤の義捐金が原発による避難地域にも配られることへの反発が出ているという。
>義援金がどう使われたか説明を求められたときに、何割かがTEPCOの補償に行ったと説明したら、十中八九は返せと言われるだろ。義援金配分に政府が介入してこうした結果になったなら、僕は二度と民主党には投票しないだろう。イェールだけで4万ドル近い義援金集めたし、これからも増える予定なのに 約17時間前 webから
>赤十字を経由する義援金を集める活動を行ってきた立場からすると、事実上「東電への補助金」に化けてしまう義援金配分のやり方はサギだな。放射能汚染は人災だし、汚染者補償原則を完徹すべきだろう。何バカなことやっているんだ。 約17時間前 webから
junsaito0529(斉藤淳「奥羽越復興同盟」を呟く政治学者、エール大助教授。元衆議院議員、元平岡塾講師。山形県酒田市生。)
私も海外で義捐金を集めてきた。しかしその街頭で人々から受けた応援や心配からすると、原発の避難地域に送られたということに反発する人は十中八九いない。実際、多くの人は原発の状況を心配し、そして東電に対して怒っていた。あと個人的には私自身は、原発の避難地域に親友がいたからこそ、本業を放り出して、街頭に立ち続けたし、チャリティーイベントも企画に加わった。もしもこれで集めた分がまったく避難地域に行かないのだとしたら、私が集めた分を返してもらいたい。そんなばかげたことは本当は言いたくないし、こんなtweetを見るまでは、すべての被災地のためにと思ってやってきたのだけど。
イェール大学の募金団体には福島県民はまったく関わってなかったのか?斉藤先生自身が司会を務めた、募金のためのシンポジウムは"Symposium – Earthquake, Tsunami, and Nuclear Crisis: Analyzing Disaster in Japan"というタイトルだった。このシンポジウムで募金した人々はNuclear crisisのために募金してないという扱いなのか?
もちろん斉藤先生は「TEPCOの補償に行った」などといったら反発するだろうと言ってるわけだ。でも、今は単に原発の問題による避難も全壊と同じ額で義捐金の配分を付けるといってるだけで、そもそもそれを「TEPCOの補償に行った」と読む時点で斜め読みすぎるだろう。少なくとも今は、誰もそれで東電による補償の見積もりを減らすなんて言ってない。(なんで日赤がそんなことを決められるの?たとえば浜通りへの義捐金も同じような文句を付けるの?)たしかに今ここで日赤から現金が供給されることで、放っておいたら栄養失調するはずの人たちが助かり、その分だけ結果的には東電が補償するべき金額は減るだろう。それは本来的な意味でモラルハザードを招く。けれどもそのモラルハザードを防ぐために、彼らを放っておくのか?モラルハザードを防ぐというのは、厚生を高めるための手段にしか過ぎないのに。
そもそも東電が直接現金を配り始めるまで、福島の避難民は放っておけということ?
>全壊とみなすのなら、津波流失家屋と同様、超法規的に滅失登記をすべきです。
@keyaki1117 笹山登生(ウォッチ・アナライザー。元衆議院議員ですが今は政治政策以外色んなことに口出してます。最近「シカゴ・オプション売買戦略マニュアル」http://bit.ly/es0jVM を書き上げました。プロのトレーダーに好評。)
ただ単に同額というだけだし、そもそもなぜ政府でもない日赤の分配額が同じというだけで、物理的になくなってもない家をたった35万円で失わなければいけないんだ?
それに、もしも放射能のリスクがなくなって物理的に住めるようになったら、それはそれで避難民にとっては幸いなことで、祝うべきことでしょう。
いまの35万円は当座の避難費用ということだろうに。避難民など体育館とか公の避難所で十分というのならまだしも、まずは他所の土地に行ってアパート探して早く落ち着きたいところだし、実際そうしている。そうなったら他所の土地で仕事が見つかるかわからないから、ある程度の支度金はいるだろうさ。そして、その支度金は全壊住宅だろうが避難地域だろうが変わらない。
斉藤先生個人のことを言えば、このtweetと平行して、やたら相馬の野間追がなくなることに同情している。けれども野間追がなくなるのは、津波のせいよりも放射能のリスクのせいのほうが大きい。(津波で小高や原町の海岸沿いはやられてるけど、その津波だけなら規模を多少縮小すれども開催できたはず。復興の意気をあげるためにも。)もしも相双を同情するのなら、避難地域に日赤の義捐金をやるなというだけでなく、避難してる住民たちがましな生活を送るための支援を日赤に頼らず自分たちでもしようという一言があってもいいんじゃないか。それがなぜ、東電をこらしめるために、避難民には金やるなというだけになってしまうのか。(「奥羽越復興同盟」が会津を見捨てた「列藩同盟」のもじりで、今度は相馬中村藩を見捨てるという意味じゃないことを願う。)
いやいや、かけっこだよ。
言ってみれば、そういうぶら下がり弱者ってのは干支の話でいう「牛にまたがるねずみ」みたいなもんでさ。
なぜこうも外国語が賛美されるかって言えば単に「日本という国、日本人が牛じゃなくてねずみになっちゃったからぶら下がれない」ってわけで。
国がねずみになっちまったらぶらさがってんのが辰だろうと寅だろうとだめってわけで。
そこでとなりの国がだいたい寅あたりになってるから同盟結んでる牛にもアプローチしつつそっちに移ろうぜって話でしょ?
どっちにしたってこんなオモリばかりの国なんざほっといても中国に吸収されるか自沈するだけなんだから、変え馬探すってのは別に個人レベルで弱者じゃなくても当然じゃね?
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/01/egypt-tunisia-revoltを和訳しました。
チュニジアとエジプトにおける叛乱では、イスラム原理主義の姿をまったく見かけない。これは注目すべきことだ。民主主義というもっとも非宗教的な伝統にのっとって、エジプトの民衆は、抑圧的な体制や体制の腐敗、そして貧困に対して叛乱をおこしたのだ。そして、自由と経済的な見通しを求めたのである。「アラブ諸国にあっては真の民主主義的センスは少数のリベラルなエリートのみに存在し、それ以外の膨大な数の大衆は、宗教的原理主義か、さもなければナショナリズムによって動員されるだけである」という西洋のリベラル派が持つシニカルな知見は間違っていると証明されたのだ。しかし、大きな疑問は残る。次に何がおこるのか?政治的な勝利者として、誰が登場するのか?
チュニスにおいて臨時政府が成立したとき、臨時政府はイスラム主義者と急進派左翼を排除した。これに対する独善的リベラルの反応はこうだ。「よくやった。奴らは基本的に同類なんだよ」。同類、すなわち両者とも極端な全体主義者だということだ。しかし、それほど単純なものだろうか?イスラム主義者と左翼との間には長年にわたる反目が存在しているが、それは存在しなかったとでも言うのか?もし仮にイスラム主義者と左翼が体制に対抗して一時的にせよ団結したとすれば、彼らはひとまず勝利するだろう。しかしその団結はすぐに元通りに分裂し、彼らは死闘に身を投じて、より残虐に振舞うのだ。
去年のイラン大統領選で、我々は今回のような戦いを目の当たりにしなかっただろうか?ムサーヴィーを支持して立ち上がった何十万の人々は、自由と正義を掲げたホメイニ革命はまだ継続中であるという人々の夢を表していたのだ。たとえその夢が非現実的なものであったとしても、それは政治的・社会的構想力の息をのむような爆発や経験の組織化、そして学生と一般市民との間の討論を導いたのだ。こうした社会を変容せしめる法外な力の解放のはじまりは、体制派のイスラム主義者が統治権を奪ったことで、次第に抑えつけられていった。
原理主義者による運動だと明らかな場合でも、その運動の社会的構成を見落とさないように注意すべきだ。タリバンは普通、テロにより支配を押し付ける原理主義的イスラム主義者の集団だと表現される。しかし、2009年の春、タリバンがパキスタンのスワット渓谷を占領していたころ、ニューヨーク・タイムズはタリバンが「富めるわずかな地主とその小作人たちとの間に広がる深い亀裂につけ込んだ階級闘争」を工作したと報じた。タリバンは、農家の困窮という「アドヴァンテージを得て」、ニューヨーク・タイムズが言うように「広範にわたる封建制を温存するパキスタンに対し危機を警告した」のかもしれない。もしそうだとするのなら、パキスタンやアメリカのリベラル民主主義者が同じように困窮という「アドヴァンテージを得て」、小作農を助けようとしないのはなぜなのだろうか?パキスタンにおける封建的勢力こそが、リベラルデモクラシーにうってつけの同盟相手ということなのだろうか?
これらから導かれる当然の結論は、次のようなものだ。すなわち、急進派イスラム主義者の台頭は、イスラム教国における世俗的左翼の消滅と常に関係がある。アフガニスタンは今は強固なイスラム原理主義の国と考えられている。しかし、40年前のアフガニスタンは強固な非宗教的伝統に則った国だったのであり、ソ連とは無関係に、独自に共産党が力を持っていたのだということを、誰か憶えているだろうか?そして、こうした非宗教的伝統はどこへ行ってしまったのだろうか?
こうした背景をふまえたうえで、チュニジアやエジプト(そしてイエメン、さらにはきっとサウジアラビアでも)で進行中の出来事を読み解くことが重要だ。もし現在の状況が、旧体制にリベラル風の彩りを付け加えるだけに終わり、結局は旧体制を生き残らせ、安定させてしまうとしたら、原理主義者による逃げ場のない反撃を生み出すことになるだろう。リベラルという遺産を生き残らせるためには、リベラル派は急進派左翼からの支援を必要とするのである。話をエジプトにもどすと、今回の件で最も破廉恥かつ危険なまでに日和見主義的な反応を見せたのは、CNNの中継放送に登場したトニー・ブレアだった。「変化は必要です。しかし、それは着実な変化であるべきなのです」。今日のエジプトにおいて、着実な変化とは、政府中枢の人数枠をわずかに増やすという目的にもとづいて、ムバラク勢力との妥協を図るということを意味するだけなのだ。このようなわけで、エジプトの平和的推移という語りは、鼻持ちならないのである。敵対者を押しつぶすことによって、ムバラクは自身に敵対することを不可能にする。抵抗する市民に対してムバラクが軍隊を派遣して以降、選択肢は明確になった。ほとんど何の変化もない中でのわずかな変化という見掛け倒しの変化か、真の破壊か。
ここが正念場なのだ。10年前のアルジェリアでは、自由選挙の容認によって権力がイスラム原理主義勢力へも平等に分配されたが、今回もそうなるというわけではない。もしムバラクが去った場合、体制を引き継ぐことができる組織的な政治勢力が存在しない、というのが、リベラルの一方の心配の種だ。もちろん、そんな政治勢力は存在しない。ムバラクは、つまらないことに対する反対意見であっても、反対意見であればすべてを却下することを通して、そうした政治勢力を始末してきたのだ。その結末は、アガサ・クリスティの著名な小説のタイトル、「そして誰もいなくなった」を思わせる。ムバラク自身やその混沌とした政治をめぐる議論は、ムバラクに敵対する議論なのだ。
西洋のリベラル派の偽善には仰天させられる。彼らは公然と民主主義を支援してきたのだが、宗教のためではなく、非宗教的な自由と正義のために人々が暴君に対し叛乱をおこすと、彼らは深く懸念を示したのだ。なぜ懸念するのか。なぜこの自由のチャンスが与えられたことを喜ばないのだろうか?今日、これまで以上に毛沢東の古きモットーが適切だ。「天の下に混沌、絶好の機会」(訳注)。
さて、ムバラクはどこへ向かうべきか。答えは明白だ。ハーグへ向かうがよい。ハーグの国際司法裁判所に着席するにふさわしい人物がいるとしたら、それはムバラクその人なのだ。
訳注:毛沢東のモットーについてはhttp://bit.ly/eSBrn9を参照。
元記事書いた者です。ご意見ありがとうございます。
なるほど、そういう印象になるんですね。
おっしゃるような既存の一覧表示用リンクバナーの拡大というより、
「紹介用の無断引用許可画像」(宣材)としての役割を担わせよう
日記やまとめサイトの片手間に作品展示サイトを紹介しているブログは沢山ある上、
表紙とかを無断転載しているケースが沢山あることを考えると、
『適法に紹介しやすい環境を作る』というメリットがあるのではないかと思います。
本当は「レビュー用画像」同盟のほうが誤解がなくていいんでしょうけど、
その場合「同盟参加=自意識過剰」な空気が流れがちという弊害があるんですよね。
難しい。
面白いweb漫画の紹介サイトが、以下のように少しずつ増えているようだ。
2010年9月開設。カテゴリー分けが充実。紹介web漫画は100件越え。
http://webcomic123.blog86.fc2.com/
http://webcomic929.blog82.fc2.com/
2010年3月開設。web漫画レビューブログ。レビュー件数は19件。
http://mangaoh.blog55.fc2.com/
ネット上で無料で読める漫画(通称:web漫画)が増えてきた。
粒ぞろい作品を一人で探すのは難しい。
自力のみで探し当てるような人は、なかなか少ないだろう。
巨大掲示板「2ちゃんねる」でも、『面白いweb漫画教えろ』といったスレッドが乱立していたり、
各所でクチコミが行われていたり、
上記のようなレビューサイトが少しずつ増えていっているようだ。
このような状況を鑑みつつ、web漫画の作者たちも、
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/csaloon/1291873274/
を始めとして、
各所で積極的に人気を出す方法を考えている。
最近では、web漫画作者には、商業漫画作者と違い著作権違反を容認するメリットがないことから、
リンクバナー(リンク用無断転載許諾画像)を拡大するよう働きかける運動も始まったらしい。
web漫画の弱いところは、
質の高い作品を探し当てることが困難であること。
この点を、上記のようにレビューサイトを支援していく体制を整えていくことで改善していけば、
「商業漫画と違い、探し当てたらその場で無料で読める」という強みが生きてくるだろう。
活発になりつつあるものの
同人ゲームや二次創作と違い、まだ未成熟ともいえるweb漫画界が、
今後どのように発展していくのか、非常に楽しみである。
えーと、メリットよりは、アジアが不安定化した際のデメリットが多すぎるから占領するって事だな。
まずは、日本がどういったプロセスで丸腰になるかについてだが、
おそらく、アメリカ軍を撤退させて、自衛隊を解体して、海上保安庁、警視庁の武装解除という段階を踏む事になると仮定する。
だが、アメリカ軍の撤退を現状では自衛隊は良しとしないだろう。
となると、一時的にでもアメリカ軍が居なくとも自衛隊のみで単独防衛が可能である戦力まで自衛隊を増強する事とバーターにするしかない。
また、アメリカとも新たな軍事同盟を締結する必要があるだろう。
そのどれかが抜けてもアジアの不安定化は起こるので、アメリカはその阻止に動かざるをえない。
その後、自衛隊の解体になるが、自衛隊はこれも良しとはしないだろう。
今度は何をバーターにするかだが…、警察・海保の増強では自衛隊は首を縦には振らんだろう。空軍の代わりになる組織が無いしな。
特に取引材料が思いつかないし、国内軍だし、無理やり解散しても良いか?となると当然クーデターが起きるわな。
であれば、それを鎮圧する武装が必要。
そもそも、どんな理由で重武装させるのか。
…と、順序良く解体するにはそもそも無理があるんだよね。
なんで、いきなり、
米軍出て行け、自衛隊解散。海保と警察の重武装禁止と強行採決するなると、当然自衛隊、海保、警察、野党は反発してクーデター起すだろうし、
それすら凌駕するマジックがあったとして、突如日本から自衛隊、海保、警察の装備が消滅なんて事になったら、アメリカは一時占領して新しく政権を立て直すでしょ。
何が起きたのか確かめなきゃいけないし、日本の国土と国民を保護しなきゃならん。
米豪EUでの多国籍軍になるかもしれんがまずは米軍が動く事になるだろうね。
どうやっても、武装解除できないようになっとるんよ。
いやいや、そういう意味じゃない。
日本は単一民族国家(アイヌや沖縄の事はこの際考えない)だから、こんなお気楽な政治が出来るが、アメリカや中国ではそうは行かない。
そういう国では外敵をつくる政治が一番楽なんだよ。
実際に戦争するかどうかはどうでもいいんだ、中央が屈強である事を示したり、外敵に視線を逸らしたりする必要がある。
日本以外の国では「丸腰戦略」になんて何の意味もないか、あっても低いんだよ。
日本だけ「丸腰戦略」をやっても外交上、内政上、影響が小さいんだ。
海上の治安も、自衛隊じゃなく海保の強化で対応できるかもしれないしね。
もちろん、アメリカとの同盟が強力に作用しているから、これを破棄してしまう本当の意味での丸腰をやってどうなるかは、判らないがね。