はてなキーワード: 天皇制とは
テレビ見てたら右翼・左翼が相変わらず間違った定義で使われていてゲンナリ。右翼or左翼って、正しくは保守or革新のことであって、ソーシャルorリベラルのことじゃない(から左右どちらでもありえる)。保守は名前の通り、古くから続くものを重視する価値観で、既存のものを積極的により良く変えようとするのが革新。社会的な連帯を重視するのがソーシャル、個人の自由を重視するのがリベラル。
更にややこしいことに、この4象限は政治的なものと経済的なもので分かれている。「保守」の立ち位置は各国の歴史によって異なるが、日本の場合、政治的には天皇制支持・親米反共・アンチ人権重視、経済的にはアンチ自由競争 がそれぞれ「保守」。数年前に流行したポリティカルコンパスがクソだったのは、「保守」の立ち位置が歴史に依存することを分かってなかったことと、保守or革新とソーシャルorリベラルをごっちゃにしてたこと。
ということで橋下大阪市長は、政治的にはソーシャル保守、経済的にはリベラル革新(左翼)。タイトルで左翼と書いたのはそういうこと(半分釣り)。日本のいわゆる「左翼」は、政治的にはリベラル革新、経済的にはソーシャル保守で、橋下さんとは見事に正反対。というか時間系列的に、橋下さんがアンチ左翼といったほうが正確か。小泉元首相は、政治的にはリベラル保守、経済的にはリベラル革新かな。
日本の政治のどうしようもなさの主原因は、橋下さんにしても「左翼」側にしても、というか今の日本の政治家の8割方が、政治的と経済的でソーシャル・リベラルが異なってることじゃないかと思ってる。アメリカがまだ健全なのは、ソーシャル・リベラルが重複率がヨーロッパよりは結構低いけど日本よりはずっと高いこと。クルーグマンは両方でソーシャルだし、フリードマンは両方でリベラル、オバマは中道からややソーシャル寄り、マンキューは中道からリベラルより。
※アメリカでも共和党本流(保守派)は政治的ソーシャル・経済的リベラルで、ロムニー以外の候補がマジキチばっかりなのがそのため
ソーシャルとリベラルって、方法論的に根幹で矛盾するから、本気でやろうとするとどちらかに統一せざるを得ないはずなんだよね。もしくは宗教化して矛盾したままゴリ押しするか。アンチ"経済的ソーシャル"な私が小泉元首相は支持しても橋下大阪市長を支持しないのは、橋下さんの本質はソーシャルにある気がするから。小泉元首相は一応中道右派ってことになってるけど、どう見てもアンチソーシャルだからね。
元号を廃止して欲しい。平成何年とか言われてもいつだかわからないし、デメリットしかないだろ。西暦で統一すべきだ。日本でしか通じないし、日本人でも困ってるぞ。
何故誰もこれを問題として追求しない?政治家とかマスゴミとか。
ついでに天皇制だがこれはあってもいいと思う。皇室の誰それが可愛いとかよく話題になってるじゃん。そういうのあったほうが良い。
何で天皇は自分の心がつまらないことも理解できないのか。明治憲法にしろ現行憲法にしろこういう子供に何の夢も希望も与えない保守的なものを作るべきでない。私が公民で初めて憲法を見たときは「何が平等だよつまんねえこと言うな」「何だこの古色蒼然とした漢字の羅列は」と思ったものだ。「君が代」も歌詞が意味不明でつまらない。とにかく全体的に退屈で、なぜこんなものが日本国家の礎になるのか、その発想自体が理解不能だ。また天皇の実施する学校制度も極めてつまらない上、ここ30年は失敗している。これでは救いようがない。他方、民間の作るものは実に面白い。天皇が大学入試競争の存在を認めない反面、予備校や出版界は入試競争や偏差値差別の存在を認め、学生の心を明るくする情報操作に満ちている。こういう面では、天皇より、民間やヤクザの方が優れている。しかし、天皇制にはかなりの程度支配力があって、楽しんでいる者の邪魔さえする程度に達している。今の日本の真っ暗さをみれば明らかだろう。つまり天皇制とは鬱の象徴であって、せっかく躁状態になっている社会を脅かす存在なのである。日本は常に躁状態で世界制覇を目指せばよい。ところがなぜか日本の歴史には常に天皇制という厄介なものがあって、つまらない真面目腐ったことを言って楽しんでいる人の邪魔をしてくる。しかもその程度が尋常でないのは裁判所の長ったらしい判決文や警察の取調べをみても分かる。精神を殺しにかかってくるレベルなのである。なぜこうなるのか。それはもともと日本社会に鬱的傾向があって、それが支配的だからだろう。民間やヤクザのように、差別のある明るい躁状態の社会は例外的で、日本人なんて何をやってもだめだし、どうせ地道に生きるしかないという本質的な諦念がこの国に鬱という原則をもたらしている。それがここ数十年のグローバリズムで、何が何でも躁にならなければいけないという風潮が、天皇制を抑圧し、民間やヤクザの価値観の伸張を可能にしてきたが、二度の経済失敗によって再び日本全体が鬱状態になり、天皇制にすがろうという空気と、ここまでやったからには諦め切れぬという民間やヤクザの勢力が拮抗状態になっているのが現状である。しかし、鬱の天皇制と躁の民間ヤクザが戦争をするうちに、日本人の精神はズタボロになって、様々な紛争や事件が起こる中で絆を喪失し、気がついたら精神が空洞化した地獄が現出していたわけである。このように鬱と躁が戦争をするとろくなことにはならない。しかも鬱勢力の執拗さはすさまじいものがある。日本はそろそろ鬱の天皇制をかなぐり捨てて、差別のある明るい躁社会のデザイン設計をしなければならないのではないか。それにはまず受験競争を認めたうえで、東大を中心とする帝国社会へと再編成して、学力により人間を序列化することだ。それによって日本は極めて面白い社会になるはずだ。
増田や犯罪掲示板2ちゃんねるなどには、文章の大意が正しいのが分かっていながら、文章の形式面や枝葉末節のミスをあげつらい、形式的な権威でもって大意を否定しようとするクズで溢れている。このように、正しい内容を形式的権威で否定するのは、法律論が得意な官僚の特徴なのだが、広く一般日本人に浸透している傾向でもある。要するに実質的な正論を、都合が悪いから、権威の力で抹殺しようとするわけである。実に醜い心理的傾向である。そもそもここは日本であり、政治は矛盾に満ちているのだから、一個人の意見に矛盾が出るのは当然である。大事なのは天皇の形式的な権威といったくだらないものではなく、現実の中でのその意見の人間心理的な正当性である(そもそも今の若い世代に天皇という形式が絶対であるなどという心理はない。崩壊した天皇制法治国家よりも、実利とか、人間としての高邁な価値が追求されており、警察の言う法律論はゴミ同然で説得力0である)。文章を一つの風のようなものと考えて、そこからそういう要素を抜き取る態度が正しいのだが、多くの馬鹿は、正しいことが都合の悪い悪人ばかりであるので、天皇の権威を借りて否定することばかり考えている。また、なぜ論理が破綻したらいけないのかが分からない。外国語で言うロジックはともかく、日本語の論理などは所詮かっこつけである。そんなものは後回しである。普通の日本語は結局諸要素を調整して実用に供しているだけなのだから、かっこつけの意味しかもたない論理面をいちいち整理する必要はない。そんなのは無内容な意見をあたかも意味があるかのようにダラダラ書くのが仕事の暇人役人がやっていればよい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/0324/TKY201103240364.html
kyo_ju 天皇制, ブコメがきもい ←右翼でもないのにありがたがる素振りを強要される空気が。/毎日「自家発電」と空目した私は非国民でいいですよ。 2011/03/24
俺は貴様らはてサがかもし出す「自分らがウヨ認定・ゲス認定した者・物を蔑め罵れ罵らなければ
"○○の言動を看過している以上、この人も○○の共犯者であり、実質的には擁護者"
とみなすぞ」、と強要する空気が殺意がわくほど気持ち悪いんだがなあ。おえーwww
まあ日ごろ蔑むことでオナニー道具にしてた自衛隊と米軍大活躍の上に皇室にまでこう度量の広さを見せられては、サヨちゃんの立つ瀬はせいぜい反原発で「トーダイはゴヨーガクシャのソークツニダ!!!アイゴー!!!」だもんなwwww
あ、広瀬隆や広河隆一の言動を看過している以上、貴様らも反原発トンデモの共犯者であり、実質的には擁護者だからなwwwwおまえらの理屈で行くとwwww
さっきから俺にかまってくれてる人同一人物な気がする。政治学とかを修めた方ですか?
気が向いたならばなんで天皇制擁護論者なのか教えていただけませんか?
今とくに問題なく機能していることを考えて、無くすという労力やリスクを考えると~っていうような全体的な見方で天皇制擁護と言っているのか、
自身の精神的な何かとして天皇が必要だからそう言っているのか、
はたまた両方なのか。
もしくはもっと色々な考え方があるのか。
追記→あなたのおっしゃる「伝統を重視する保守主義」の概念がよくわかりません。
要は、政体の保守ではなく、理性を懐疑し伝統を保守することを重視する、ってことですか?
教養がないのでわかりません。答えるの面倒ならこの本嫁程度で良いのでおねげえしやす。
あ、実際に天皇制廃止前提の大統領制論の方でしたか。失礼しました。
橋下府知事みたいに、それが「天皇制廃止」につながると知らず「大統領制」を唱えて、後に用語の誤用を知って主張を「首相公選制」に変更したケースをよく見かけるもので・・・
私自身は天皇制擁護論者ですが、別に廃止論があってもおかしくないと思いますよ。
「伝統」に非常に高い価値をおくのは「保守主義」(いわゆる保守-革新で言う「保守」とは違います。一つの理論体系を備えたイデオロギーです)くらいで、日本では余り根付いてない思想ですから。
あー?そっかそっか。大統領制って天皇制と矛盾すんだー。へー。
頭悪い発言にかまってくれてありがとうw
もうちょっと構ってくれ。
俺は皇室を維持したうえで天皇制は廃止すべきだと考えています。
天皇という(長く続いただけという根拠しか持たない)非論理的な存在が上に居る限り日本は根本的には大日本帝国を作り出した時と変わらない。
自分の手で皮を剥くべき。
長く続いたから=良い という考え。
たしかに価値があると思うけど、狂信者が崇める対象になっている以上、不健全だと思う。
いい加減天皇なんかを信じなくても自身の中の日本人の血を理解すべき。
叩かれるだらうなあ。
さて、タイトルで「議院内閣制」「二院制」「二大政党」と並べられていますが、これはそれぞれ制度として次元が違う話です。また「この3つの制度を組み合わせて使った方が良い」とかいう根拠は政治学的には特段存在しません。例えば、「強い大統領制-二院制-二大政党」のアメリカ、「議院内閣制-一院制-二大政党」の現在のスウェーデン、「議院内閣制-二院制-多党連立」のイタリア、といったように各制度とも、様々に他の制度との組み合わせが存在します。もちろん英国のように「議院内閣制-二院制-二大政党制」でやっている国もありますが、これが特別にメジャーな組み合わせというわけではありません。
そしてこの3つの次元の違う制度の中でも、「二大政党」は他の2つとレイヤの隔たりが大きいです。「議院内閣制&二院制」と違って「二大政党」は時に「二大政党制」などという風に「制度」として扱われますが、厳密に解釈すれば「制度」として(すなわち法的な根拠を以て)「二大政党であるべき」と定められているものではないからです。「二大政党」というのは「結果としてそうなってる」という状態を指していっているものですので、本来的には制度ではありません。それでも「二大政党制」という言い方が(政治学においても)許容されるのは、二大政党の国の大半は、小選挙区制度等で「二大政党になるよう誘導している」実態があるからです。直接的には「二大政党制度」という法的規定が無くとも「立法精神において二大政党を期待・想定している」と言えることが多い、という程度の根拠なのです。
日本の政治制度も、もちろんこの区別の原則から外れるものではありません。「議院内閣制&二院制」は「日本国憲法」という最高法規で規定されている制度of制度な代物ですが、自民、民主の「二大政党制」になったのは、あくまで「選挙制度(及び政党助成金等の法規定)を大政党に有利な制度としたこと」「大政党有利な選挙制度をひっくり返す程の大きな民意の動きはなかったこと」の結果でしかありません。
長々と前置きしましたが、「議院内閣制」「二院制」といったレベルの狭義の『制度』と、「二大政党」のような実際的な『政党のありよう』は、政治制度論的には全く別レベルの話だ、ということです。
以下、本題。
●他の国のように二大政党制に~
良く聞く言説ですが、これは「間違い」に近い話です。日本では米英の政治が有名なため、あたかも二大政党制が欧米の標準的な制度のような印象がありますが、政党結社の自由が保障されてる国に限っても、二大政党になっている国はむしろ少数派です。しかもその過半を英連邦またはその流れを引く国家で占めています。二大政党は「民主主義国の標準的な制度」ではなく「アングロサクソン系国家での標準的な制度」です。
更に言えば大国で単独政権が普通な国は英米と昭和日本、サイズを広げてギリシャくらいで、二大政党制の国でも連立政権の方が普通です。英米の政党のあり方はかなり特殊で、英米それぞれに、特有の固有事情によって成立している面が大きいのです。
●一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと~
日本の政治制度は、憲法で規定されているような大枠の部分では、別に一党優位を想定した仕組みではありません。日本の政治制度を大枠で分類すると、「立憲君主国-議院内閣制-(民選第二院型の)二院制」と言うことになりますが、これは結社の自由が保障されている民主主義国家では比較的ありふれた組み合わせです。天皇制を維持することを前提とした上では最も無難な標準パターンと言えるでしょう。このありふれたタイプの政治制度の国での政党のありようは、分極多党制、穏健多党制、二大政党制、一党優位制(例は戦後日本とマレーシアぐらいしか思いつきませんが)など様々です。従って、この「大枠」の部分について「一党優位用の仕組みである」とするのは無理があるでしょう。
そもそも日本国憲法には「一党優位」どころか「政党」に関する規定そのものがありません。日本には戦前から政党政治の伝統があったにも関わらず「国会運用の主体は別に政党である必要はないよ」というのが日本国憲法の立場なのです。
●何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか。
「大枠」が特に関係無いならば「細部」で抜けている可能性が高いでしょう。二大政党制が定着している米英の日本との違いを挙げてみます。
強い大統領制(首相がいない)を採っていて、議会と大統領が別個に選ばれるアメリカでは「大統領-議会」及び「上院-下院」のねじれが日常茶飯事です。どちらでもねじれが生じていなかった期間の方が短いくらいのはずです。それでもアメリカの政治が何とかなっているのは(実は「レームダック現象」のように結構止まってるのですが)、「大統領権限の強さ」及び「習慣的に党議拘束が無い」ことが挙げられます。実は日本の首相も法制度上は非常に権限は強いので(後述)、違いとして大きいのは「習慣」でしかない党議拘束の面です。アメリカ議会においても党の決議というものはありますが、党の決定に反した投票を行っても除名されるというようなことは滅多にありません。従って、大統領が少数派政党所属でも野党の一部を引き抜いて政府法案がとおってしまうことが良くあります。もちろん一部と言えども説得するためには、法案の修正などを余儀なくされることも多いですが、「0か100か」ではなく話し合いで妥協案が作りやすいということです。野党の中核が認めてくれる(かつ与党が我慢できる)ような修正は困難ですが、野党の一部を納得させるだけなら説得でなんとかなることが多い、という感じです。「与党40、野党60、このままじゃ法案通らないので、修正して野党から20人賛成に取り込み。修正を批判して与党から8人離反したけど可決」なんてことを日常的にやっているのが米議会です。
当然ながらアメリカでも日本でも「党議拘束をどうするか」というのは政党内部での独自の取り決めであって、法律で規制しているものではありません。
イギリスではそもそも「ねじれ」は問題になりません。第二院が「貴族院型第二院」であり、貴族院型の通例として非常に権限が弱いからです。貴族院が否決しても庶院が可決していれば、再議決等もなく法案は成立します。
ただ、この両院の権限については「細部」というより「大枠」に近い部分です。日本でも衆議院の優越具合は憲法上で定められています。ちなみに「日本の参院は強すぎる」とよく言われますが、政治制度論的にはこれは怪しい話です。確かに「貴族院型第二院」の場合は第二院の権限が非常に弱い(しばしばイギリスのように形式的存在)場合が多いのですが、日本のような「民選型第二院」や「連邦型第二院」の国では「ちょっとだけ第一院が強い」というのが標準で、日本の参院の権限は(どちらかと言えば強い方には入りますが)「第一院がちょっとだけ強い」の範疇に収まる話です。
●(なぜ)ねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%99%A2%E5%88%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%99%A2%E5%88%B6
あたりをご参考に。
もちろん二院制には欠点も多いのですが、実は世界の主流は二院制です。一院制をとっている国は「軍事政権or一党独裁時代の歴史的な経緯を引き継いでいる国」もしくは「人口数百万以下の小国」が大半です。
確かに二院制は本質的にねじれ可能性を内包しています。にも関わらず二院制が主流だということは、多くの国が「ねじれ」を始めとする二院制のデメリットよりもチェック&バランスのようなメリットの方が大きいと判断している、ということです。
制度論としての正面からの回答としては「なぜ両院の与野党構成がねじれた程度で簡単に機能不全になるんだ?ねじれ議会なんて良くある事じゃないか?」という話になります。
実は(二院制とは別の側面ですが)日本の採っている議院内閣制は、行政府の安定性が最も高い制度になります。強い大統領制や、大統領と首相が行政権を分け合う半大統領制は、議会勢力と行政府の代表が独立した選挙で選ばれますので、制度の本質として行政府と議会の一致を担保していないため(両院間の対立ではありませんが)、行政府と議会の対立は議院内閣制より遥かに起きやすいのです。フランスのコアビタシオン時代にせよ、アメリカ大統領の任期後半(たいてい議会が野党多数です)にせよ、ひどい政治停滞にはなっていないわけで、普通はねじれても何とかなるよ、というのが民主主義国一般での実績なのです。
●それとも二大政党制の作法を政党も国民もマスコミも知らないのが問題なんでしょうか.
そもそも二大政党制と「ねじれ」とは直接的な関係はありません。
議院内閣制の日本では「ねじれ」が「両院対立」として現れましたが、「ねじれ」の問題点の根本は「行政と議会の対立」なわけです。この対立は「一党が圧倒的に優位で行政も議会も常に押さえている」という(自由主義的民主国家としてはかなりレアな)状況でない限り、しばしば起こる方が普通な訳です。
「作法を知らない」とするなら「二大政党制の作法」ではなく「議会制民主主義の作法」というべきでしょう。そもそも英米以外の大国はほぼ常に連立政権ですので、どの政党も最終的に何らかの妥協すること無しには政策が実現しないため、閣内/閣外双方の政党間での政策のすりあわせや、政権交代/政権与党組替時の継続性、について不文律が確立しているケースが多いです。
「日本の政治制度は大枠としてはごく標準的なもの。それが上手く行かないなら、制度大枠に起因する本質的な欠陥ではなく、日本特有の事情による欠陥と考えた方が良い」
ということになると思います。(その特有の事情って何だ?という話は政治制度論の範疇を超えますので、ここでは省略させてください)
もし「ねじれ」のような問題を解消するなら、制度論から言っての解決策自体はいくつもあって、例えば
・狭義の「制度」面からの解消→イギリス流に実質的一院制にしてしまう。
(自由主義的民主国家において最も行政府が強力となる政治制度は大統領制ではありません。議院内閣制&一院制の組み合わせになります)
・運用面による解消→アメリカ流に各党が党議拘束を外し、個別の議論で成否を競う。
の2つの方法なんかは、二大政党との相性に100年以上の実績があります。日本の国会の「ねじれ」については制度の大枠の問題、運用面での政治行動の実態の問題、の双方が重なったゆえに生じているので、どちらか片方の解消だけで解決するはず、という考え方ですね。
最も前者は憲法改正が必要な点で、後者は政党の内部規定という法律で縛りにくいものである点で、実現可能性が非常に厳しいのですが。
天皇制とか王制というのは、政府が外交の一部を天皇家や王家に外注してるようなもんだと思う。
あるいは、こうもいえるかも。
ニッポン放送とフジテレビの関係みたいに、子会社(政府)のほうが大きくなっちゃって親会社はお飾りになってしまったと。
外交システムの一部としてみるなら、まあまあ効率がいいシステムであるわけだし。
上場会社だったらニッポン放送の株を買われたらフジテレビも傘下になってしまうとかそういうのがあるんだろうけど、天皇家が惨殺されてしまったら日本という国がなくなるというわけでもなさそうだし。
別に神様を信じてなくたって神社で手を合わせたりするのと一緒で、なんとなく尊敬してるふりして、なんとなく日の丸や君が代に敬意を払ってもいいんじゃね?
(敬虔なクリスチャンは神社で手を合わせたりしないそうだ。神前式の結婚式に参列したときとかどうするんだろう?なんか大変だなぁ。)
たぶん、中高の教育のせいだと思うのだけど
でも、君主制か民主制かなんて政治システム上たいした違いじゃないような気がする。
たとえばギリシャ連合vsアケメネス朝だって、どっちのほうが国家としてのシステムが優れてたかっていったらアケメネス朝のほうが近代国家に近い政治システムを持ってたと思う。
都市、あるいは村みたいな小さな単位で話し合いで政治をしてたところと、官僚制が整備されて腐敗防止に中央直属の監察官がいて、軍制が敷かれ、統一通貨制度がある国の戦争をとりあげて、「民主主義対専制君主制の戦い」と言うのはどうしたものだろう?
僕は事なかれ主義なんで、流される。
躊躇なく流される。
神社で拍手を打つし、卒業式では君が代を歌うし、キリスト教式の結婚式では賛美歌を歌うし、宴会ではゴム手袋を頭からかぶって鼻息で割る。
元増田っす。
えー。天皇をアイデンティティにする違和感みたいなものがあるのです。
安易なアイデンティティに縋っているだけじゃないのかと。
ふつーに生きてきた若者なら(年寄りは知らぬ)、天皇なんかどうでもいいってのが実情じゃないかなあ。
もちろん、一人の人間一族としての尊敬というか敬意は払うとしても、それ以上はありえないというか。
俺の感覚を敷衍しているけどさ。
ネットやってると中国とか韓国とか、普通の感覚では嫌いになると思うんだけど、そこから進んでかな?、何故か天皇に自己のアイデンティティを持たせている人がいる。
それ自体どうのこうのとは言わないけどさ、何にアイデンティティもとうといいんだけどさ、歪なカラクリ的なアイデンティティの持ち方というか。
なにか、キリスト教的な、「弱者であればあるほど善い」みたいな論法と通ずるものを感じる。うまく表現できないけど。
増田にゃんねるっていうまとめサイトにまとめてもらったけどさ、そこでの批判に天皇制万歳論者がいた。
勿論彼らが全員こうなんじゃないかとはおもわないし、天皇制万歳であってもいいんだよ構わないよ。
けど彼らの思想は俺の感覚と合致しない。俺が普通だと言わないけど。
俺は日本が好きだからお断りだね。
神の国?いえいえ、日本語っていう言霊のさきわう国っていうのが俺の思想。
そして日本人っていうのは俺だよ。日本人っていうのは何かなんて特別考えなくていい。天皇にアイデンティティを持つ(崇拝する)のは変だよ。
元増田っす
進歩ということに関して
進歩って言い方が悪かったのかなとは思うが、進歩しか言い方が思いつかない。
文化に遅れたものも進んだものもないことぐらいは存じておりますご高説どうも。
レヴィストも済度も読んだことないけどさ。
今おかしいところをすこしづつ直していくっていうのは、自然であると思う。
うーんうまくつたわるかわかんね。
自然に変わる。それは合理化の結果だと思うんだけど、そういう意味で進歩という言葉を使いました。
(「そういう意味で使った」ってなんかひどい発言だなごめん)
文化=政治形態の話なんだけど、「絶対」はないと思うというか、つまり評価軸なんて存在しないというか。
例えば封建でも王政でも帝政でも神聖日本帝国でも共和制でも良いんだよ、その状況下によって最適であればさ。
そしておれは今の天皇制は最適じゃないと思う。現にあるんだけど。個人的体感としてね。
だからあなたがいうように、みんなが不要だと思ってくれればいいと思う。願望ですね。
話は変わるけど、増田にゃんねる?ってところにまとめられてさ、そこにもいろいろ意見書いてくれた人がいるんだけどさ、俺が書いたのってこれ含め4つなんだよね。
別に、天皇制を撤廃したいとあなたが思うのは構わないし、そう主張するのも構わない。
きみが「おかしいと思う」ところをみんなが「おかしい」と思えば廃絶されるよ。
ただ、文化というのは損得抜きで「そこにある」ものだとも思う。
俺は一つの文化に自分でトドメを刺すのは文化人類学を研究する立場からも非常にアレなので、存続する側に組するけれど。
ただ、所詮社会システムなので「失くしたい」とか「維持コストが勿体無い」という人が多数であれば、廃絶されていい。
そんで、件の政治家の件なんだけども。
それは『敬意を払う、払わない』の問題でもあるんだけど、それ以上にやった行為がクソ以下っていうことなんだよね。
別段、日本では天皇や皇族に敬意を払う義務は課されていないし、別に批判したっていい。
「そーいうのはダメだ!」って思う人が多数(もしくは一定数)いるからこういう話になる。
だから、支持を受けたら「天皇制廃絶を目標とする」という政治家だってあり得る。
んで、今回の件はそういうことではなく、ああいう大事な場で立場のある相手に向かって「早く座れよ」なんて
暴言を吐いちまったということで。これは、天皇を崇拝する人から見れば「不敬だ!」だし
俺みたいに「特に崇拝はしない」って人からみると「アホちゃう?」って感じになってしまう。中学生の朝礼じゃないんだから。
それだけの話じゃないかね。
ちなみに、文化人類学的に言うと「不合理な迷信の保存」こそが文化であって、そこに遅れたとか進んだっていうものは存在しない。
むしろ、「遅れた文化」や「不合理な迷信の保存」を打破しようという思考様態が、文化人類学に限らず
現代では「遅れた野蛮人の考え方」とされているね。詳しくはレヴィ・ストロースあるいはサイードを読んでくれ。
大抵の文化は過去と迷信に支えられているし、それでいいと思うんだよね。だってあなたや俺の思考だって過去と迷信に支えられてるんだから。
よくわかった。
ただ俺は最後にこうも書いている。
ただ、そういう家柄を国家の補助のもと税金を大量投入して残す必要があるのか? という論議は、またどんどんすればいいと思う。
だから俺は天皇制云々はシステムの問題としていろいろ議論してもらえばいいとして、尊敬の念を忘れてはならないと言っているのだ。
天皇を崇めている人の神経がわからない。なんでただの「人」をああも崇拝できるのか。神様だと思ってるの?いちいち敬語とかつけて、あほみたい。
こういう主張から天皇制廃止に飛躍しているのだと思ったから、俺はもう少し他者に敬意を払うべき、ということを言いたかったのだ。
元増田の意図を取り違えていたのだから、元増田の求めるものに対しては結果的にずれた主張になってしまったのだと思う。
これはねえ。
難しいな。
確かに言っていること自体はおかしくない、間違ってないとは思う。
しかし、そんなに色濃くないとは言え日本には儒教精神のバックボーンがあるし、年長者を敬うべきとか、そういう慣習がある。
その点からすると、増田の言っていることは、間違ってはいなくとも、広く日本で受け入れられる考えか、と言えばそうではないように思う。
というか、俺を含む人間で、受け入れられないと思う層は必ずいる。
天皇は色々仕事をする→尊敬されるべき→天皇制っていいね→(天皇は色々仕事をする……
↑このサイクルができてるわけでしょう?このサイクルを除けば実際、天皇制を支えるものなんて迷信によって支えられてきた歴史の「過去」しかない。
そのサイクルが尊敬を生み出す、と言いたいようだが、それだけでは絶対にない。
歴史の「過去」しかない、と言っているがその歴史こそがもっとも重く、最も尊いものだと俺は思う。
つまりまあ、ちょっと飛躍するけど、功労者って言われて何年も働いてないのに高額契約する野球選手もいるでしょう。
すっかり変わってしまった元彼女ではない、かつての優しかった彼女のことばっか思い出して行動するやつもいるでしょう。
そういう感じで、いま働かなくなったから何十年かですぐさま尊敬に値しない一族になるとは俺は思っていない。
歴史上の偉人の末裔は尊敬していいと思うし、日本で一番高貴な血筋を保っているのだ。
他国の歴史では権力構造が変わるときに前王室を虐殺して、自らが王になることが多いのに対し、日本ではそのようなことは行われなかったのだ。
日本の権力者は天皇に自らを高官に任命させる、または天皇の子を娘に産ませる、それしか考えていない。
天皇家を虐殺して自ら天皇になろう、という発想のものがあらわれたっておかしくはないのに、だ。
あとついでに全然論理的じゃないことも書いて申し訳ないけど、俺は権威主義なんだ。
だから現在も続く徳川家の末裔だって、いまや民間人だけど俺は尊敬する。
こういう考えの人も、少なくはないと思う。
学会の開会式に皇太子来るって聞いたら、見にいきたくなるじゃん? というか、行ったしね。
論理的じゃないことをさらに書いて申し訳ないけど、天皇家は問答無用で、制度によらず、尊敬すべき家柄だと俺は思っている。
ただ、税金をどの程度使うか? 大臣の任命権などの社会的役割をどう扱うか? などの天皇制については、廃止を含めて議論したっていいと思う。
しかし、廃止するのであっても、家や伝統の維持のために、小額の補助を出すことくらいは、認められてもいいんじゃないかと思っている。
ただでさえアイデンティティを失った日本人が、これ以上失う必要はないのだから。
元増田の言いたいこととかみ合う部分は最後の三行だけになって申し訳ないです。
アイコさん障害児っぽい風貌だけど。
だからすり替えに見えるかもしれんがごめんなさいだがすり替えではない。
「天皇家の人は社会的地位にしかるべき活動をしているから敬意を受けるに値する。
そして敬意を受けるに値する人には敬意を示さねばならない。
ってことだよなあんたの主張は。
敬意を示すか示さないなんて個人の自由だろと思うし、敬意を示すことを押し付ける社会なんて不健全じゃないか?
教育がない?そういう人の存在は存在で認められないやつの方がよっぽど教育なんてないと思う。
大体、わかりにくかったのはあやまるけど、おれが主張している天皇制廃絶と、天皇の社会的地位に基づくあなたの独断的なモラル論ってずれてるぜ。
色々書いたけどおれのかきかたがおかしかったんだよな。だから俺のこの反論も頓珍漢なものになっている。ごめん。
以下メモ
天皇は色々仕事をする→尊敬されるべき→天皇制っていいね→(天皇は色々仕事をする……
↑このサイクルができてるわけでしょう?このサイクルを除けば実際、天皇制を支えるものなんて迷信によって支えられてきた歴史の「過去」しかない。
このサイクルを保存しておくこと自体、不合理な迷信の保存になっちゃっている。
個人的に社会は進歩すべきと思う。そしてその進歩とはおかしいと思うところをすこしずつ合理化することにしかない(絶対的な政治形態なんて存在しないと思うから)。
したがって
なのである。
話を天皇制に摩り替えないほうがいいぞ。
中井って人がバッシングされてるのに違和感があった、って話だろ?
そこから天皇制なんてなくなればいいのに、って思ったわけだろ?
だったらその考えに問題があるぞ。
天皇だからそう映るのかもしれないが、年長者や、社会的立場のある人間に敬意を払うのは当然なんだよ。
もし元増田がかなりの若年ならわからないかもしれないが、お正月に年長者や家長から箸をつけたり、そういう者が上座に座ったりするだろ?
それを無視して若年者が好き勝手飯食ったら変だろ?
教育がなってないなっておもわれるだろ?
例えば卒業式とかで、来賓や校長先生が起立するときみんな立つのもそれだ。
そして、座っていいよと言われるまで立ってるのが敬意であって、あれを無視してすわるのが不敬だってことはわかってもらえるかな?
で、問題はそれを皇族にまで押し当てるのはどうだい? ってことなのか?
それだったらあんまよろしくない考えだと思うよ。
国の象徴であり、外交活動も、福祉活動も盛んに行っておられるし、大臣の任命なんかも天皇が行うんだよ。
その伝統ある一族に敬意を表することがそんなの奇異にうつるかい?
それは最大限尊敬すべきだと俺は思うよ。
ただ、そういう家柄を国家の補助のもと税金を大量投入して残す必要があるのか? という論議は、またどんどんすればいいと思う。