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はてなキーワード: 都心とは

2012-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20120203165818

地獄に落ちろとか出来るだけ苦しんで死ね、とか言うなら不謹慎まりないとは思うが

都心での人身事故が「迷惑であること自体は厳然たる事実なわけだし、そこは批判できないだろ

2012-01-30

新幹線とかリニアモーターカーとか

わかるけど、

会議はもう全部テレビ電話に移行しようよ。

会議するためだけにみんなで都心オフィス構えて、そのせいで、都心の賃料上がって無駄だよ。

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118231528

都心だとたまにあるよ

接客してる人がぱっと見たところ全員外国人で、日本語ほとんど通じないうどん屋とかラーメン屋

チェーン店からだいたい他の店舗と同じサービスを受けられるだろうと思って入ると痛い目を見る

http://anond.hatelabo.jp/20120118225358

ちょい地方に行けば普通に日本人が働いている(全国チェーン店であっても)のでそれは無いかと。

(有名はてなーな某コンビニ店長の店も、都心郊外にあるらしいけど日本人普通に雇ってたなあ)

別に地方だって外国人は居るんだが、仕事が無いので日本人でもまともな人がコンビニバイトに応募して来る。

都心部は他にいくらでも仕事があるからまともな日本人コンビニになんて来ないんだろう。

2011-12-26

ついでのクリスマス

七月くらいに振られた大学の友人に、十一月の終わり、二四日の夕食と、二五日の昼、一緒にどうかと誘いのメール

私は都内在住で、彼は都心から特急列車を使って片道四時間以上かかるところに住んでいるのに、「用があって東京へ行くのでもしよければ」と添えられていた。

用というのは、私に会うための口実だな、フンフンかわいいじゃないのさ。

と舞い上がって天狗になって、二つ返事で了承。

その後はダイエットしたり、髪を染めたり、服を買ったりした。ダイエット成功、服もなかなかいものが買えた。

そしていよいよ二四日の晩。待ち合わせの前に、プレゼントを買った。他愛のない話をぽつぽつした。彼がB'○のファンだということを知る。

彼「今日も、ライブがあってさ」

私「へえ、B'○の」

彼「そうそう。イ○バさんかっこよかったなあ」

私「…あっ、もしかして、『用』って」

彼「うん、B'○のライブ。親と一緒に来てるんだ」

私「あっ、あー。そうか。いいよね、いいと思うよ、B'○。うん。…あっ、プレゼント買ったんだけど…」

彼「俺も買ってきたよ、はい

開けると、マグカップボールペン。たぶん、千円できっちり収めるつもりだったんだろう。そうか、そうかあ

終電ぎりぎりの電車で、彼とは電車内での別れだった。三度手を振ってくれた。その後は満員電車でひとり、そうか、そうか、とまだ繰り返していた。駅から家まで歩くときも、それを繰り返して、半ベソで帰った。翌日、クリスマスの日も、待ち合わせの約束をしてしまった。明日も会うのだ。ぼーっとしながらシャワーを浴びて、考え事をしていたら、三時を回ってしまった。また少しべそをかき、それから寝付いた。

クリスマス都心は、カップルだらけだった。みんな恋人つなぎで、指を絡めあっている。私は彼と、手を繋げなかった。午後まで買い物をしたり、食事をしたりして、なんとなく、どういう会話をするでもなく、そのまま、別れる駅のホームまで来た。

彼が、右手を目の高さくらいまで挙げた。別れの合図だったんだろうが、私は何を思ったかハイタッチした。同時に、「ういー」とスポーツ部のような掛け声。その後、彼が「じゃあね」と言ったか「またね」と言ったか、は覚えていない。けど、私は確実に「バイバイ」と言った。彼は、二度振り返った。私は、ニ度手を振った。

彼が人ごみに消えてゆくのを見ながら、結局告白のこと、私が彼に一年以上片思いをしていたことについては一切触れなかったし、クリスマスに誘ったのはB'○のついでじゃないよ、ということも口にしなかったし、なんだったんだろう、という思いが残った。

私の自尊心はズタズタに蹂躙されたし、それで勝手に傷ついて、放心状態でバイトに向かう自分も腹立たしかった。期待なんかしなけりゃよかった。彼の無神経さと図太さと行き過ぎた天然、精神年齢の低さを認識しておくべきだった。そもそも、割り切れていないのに、二つ返事で了承するんじゃなかった。

ニ度振られた気がした。

最低のクリスマスだ。サンタは来なかった。性の六時間もなかった。虚脱感しかない。どっちが悪かった、というのはもうどうでもよくて、ただ、自分に腹が立っているし、とりあえず、彼氏が欲しい。

2011-12-17

人生経験地稼ぎ FINAL

人生経験地稼ぎという題名で何度か日記を書いた者だ。

http://anond.hatelabo.jp/20091018173611

http://anond.hatelabo.jp/20110612211158


ここ数年、ほれた女と付き合いたいというリビドーだけで突っ走ってきたが、

紆余曲折あったあげく、学生時代バイト先の後輩と、10月くらいから付き合いだした。

初めての彼女になるのだが、かつて想像していたような高揚感や胸の高鳴りはない。

ただひたすらにいとおしいく、大切にしたいというか、

家族に感じる『情』のような、そんな感覚だ。


さて、ここ半年くらいの話。

会社での人間関係に嫌気が差していたので、仕事に打ち込むことで気を紛らわした。

仕事で成果を出して名誉回復をしたいというのももちろんあったが。


もともと、上司には認められていたので、メンタル的に問題なさそうだとわかると、

仕事はすぐさま降ってきた。

古いまま放置されていた業務マニュアルの改訂や、英文ドキュメント翻訳といった

直接自分仕事にかかわりのないことも受け持つことになって、

残業100時間超という生活が続いた。

同僚たちからは何かに憑かれていると言われるくらいだった。


そんななかでも、女の子と遊ぶのは欠かさなかった。

というよりも、ムリにでも遊ばなかったら精神をやられて廃人化していただろう。

平日の終電女の子の最寄り駅に行き、朝まで遊んで始発で出社、

会社のシャワールームで人が来る前に着替えを済ませ、

短い仮眠を取り、栄養剤を飲んで何事もなかったかのように仕事に向かう。

体重は10kg近く落ちた。


初対面の相手に対して、抱き心地がよさそうとか、

おおよそ昔では考えられなかった想像をするようになったのもこのころだ。

以前は好みだったスレンダーな体系の女性にさほど魅力を感じなくなった。

失敗もした。地方女子大生を、都心ホテルのバーに連れて行き、

こんなラフな格好じゃつりあわないと恥をかかせたこともある。


そういった中で、かつての一途な純粋さがいつの間にか失われていたことに気づいた。

いても立ってもいられなくて、意味もなく深夜に首都高を走り、

家に帰ると、癖の強いウィスキーストレートであおった。

いよいよ精神が危ないぞと、本能的に悟った。


結局、この半年間でサシで遊んだ人数は20人近く。

ただ、2回、3回と定期的に会うようになったのはその中でも4人。

最終的に、その中の一人から告白される形で付き合うようになった。

前述の彼女である


以前思いを募らせていた相手とは正反対のタイプだったが、

適度に隙があるというか、無理をしなくてもよくて、

一緒にいると落ち着けるのが心地よかった。

驚いたときリアクションが大げさなのも悪くない。


そういうわけで、ここ2ヶ月ほどは、

俺自身の破滅的な振る舞いも落ち着いて、

平凡だけれども幸せ日常を過ごしている。

俺の話は以上でおしまい

せっかくなので、機会があればここ数年間の経験で、

有用だったことや気づいたことを書いてみたいと思う。

何か質問があったら答えます

2011-11-26

anond:20111126092029

都心にある一部の高層住宅の窓は開かないんだ…

湯島神宮に面したあるマンションは窓が開かなかった。



都心地震が起きると地面がガラスだらけになりそう。

安全靴ヘルメットを買っておこうかなと思う。


我々女はレイプに遭いそうで恐怖を感じます

2011-10-31

混んでるのにレジに入らない近所のコンビニ店員がむかつく

はてなで従業員非難するとどーせ賛同なんか得られないけど書くぜ。

職場の最寄のコンビニの店員1名がずーっと気に入らないんだ。




そのコンビニ自体は都心オフィス街にあり、大変繁盛してる。

オーナー店長夫妻をはじめ店員もみんな感じがよくて働き者で仲もよさそうで、

店全体に良いイオンが行き渡ってるようなそんな店だ。




でも約1名だけ問題があって、

レジが混んでても絶対すぐにはヘルプに入らないんだ。

しばらく気付かなかったが、レジが変に混んでるときっていつもそのオバサンが絡んでる。

レジ待ち列の長くなったら、他の店員だったら店のどこにいてもすぐヘルプに入る。

だがそのオバサンだけはレジのかなり近くにいても気付かない振りをしてる。




最初はなんか、

役割分担的に決まってることなのかと思ったよ。

そのオバサンは特に重要仕事をしてるからレジには入らないとかね。




でも更によく見てると、最終的にはヘルプに入るんだよ。

いつもほとんど無意味タイミングでね。

列の人達たっぷり待って、レジ待ち列がほぼはけたぐらいのタイミングで入る。

「そんなタイミングヘルプに来るぐらいならお前の仕事続けてろよ!」って言いたくなるような

絶妙意味の薄いタイミングで入ってくる。




俺はそのオバハン以外の店員はみんな好きなんだ。

結構待っても、他の店員がレジ打ってくれるならまあいいんだ。

でも順番によっては、その問題オバハンがほとんどアリバイ作りレベルに入ってくるレジに回されるだろ。

そうすると嫌な気分のまま店を出ることになるんだ。




だいたいああい姑息なやり方は

客より前にまず同僚をイラつかせると思うんだが

なんであんなにレジに入りたくないんだろうあいつは。

サボってるのに仕事してる振りするところがなにより腹立つ。

もっと完全にサボれ。

2011-10-17

偏差値受験偏差値)というものがよくわからない

http://gakuken.info/

http://b.hatena.ne.jp/entry/gakuken.info/

なんか全国の高校をコース別に偏差値で序列づけしてるみたいだけど、


からないところだらけで困る

知的エルィィィィィィトな増田民はてなみんの皆様、どうかこの弱卒に受験偏差値意味を教えて下さいまし

2011-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20111003133116

友人数人と都心の広めの物件(築浅ではない)でルームシェア、同居メンバーは全員未婚(恋人の有無はよく知らない)

職業フリーライター鍼灸師、大学講師博士号未取得・非常勤)など(学歴は高い)

勤務時間の柔軟性が高いので悠々自適

週末はほぼ確実にオフなので、広い家に友人知人(職業編集者とか大手メーカー勤務とか公務員とか色々)を招いて飲み会をしたり、車で遠出したり

みんな顔が広くて、知り合いの中には道楽者の金持ち中年も混じっていたりするので、たまに高級な家具やら服飾雑貨やら酒やら生活小物やらがタダで貰える



俺の知ってる奴らはこんな感じ

書いてみて改めて思ったけど、コミュニケーション能力フル活用で生きてるな

2011-09-29

先週、数年前はあったはずの預金がほぼ底をついていた。

先週、数年前はあったはずの預金がほぼ底をついていた。

額にして337円。衝撃過ぎて一度で金額を暗記していた。

給料日を翌週に控えた2011年9月21日関東には台風が来ていたが私の心にはそれを凌駕する嵐が迫っていた。

預金337円。正確には別にある貯金用の口座に十数万円が残るが手はつけまいと、ただそのためだけに作った口座なのでそこにある分は預金とはみなしていない。

会社入社して毎月お金を家に入れていた。給料日。忘れる事もあったが毎週コンビニジャンプを買う。思い出してすぐにATMで引き出して数日以内には入れていた。

3万円。手取り13万の私が自由に使えるのはここから携帯電話の料金を除いた10万円弱。

高校のころにやっていたバイトの月収およそ二倍。大きな買い物もせず順調に、そしていつの間にか、貯蓄はその額を増やしていた。

しか会社に入って一年、情けないことにコミュ障をこじらせてお局様に相当嫌われ、しか幸運が重なり数ヶ月後の異動が決まった。

2009年6月5日金曜日。吐き出す術を知らなかった私が誰にも話すことなく頼ったのは心療内科だった。

軽度の鬱と診断され(もしかしたらそんな病気など無かったのかもしれないが)、異動が決まり少しは環境がマシになること、趣味が充実していること、生きがいを持っていること。そんな諸々が加味されて通院は2009年9月26日、ニヶ月ほどで終了した。

その間に家族に通院がバレ、通院の最後の方には薬の副作用で筋固縮になり仕事に支障が出かけた。しかし新しい環境での仕事はそれなりに順調だったし、ネットで見ていたような断薬症状も無かった。

昔よりはコミュ充に近づいたと思うし、失敗は回収できるんだと思えるようになった。


そこまで生きる間に私が家に入れるお金は5万円に増額した。家にお金が無いのは知っていたから。

臨時で貸した時が何度かあった。その時は、給料日に5万円を入れずに相殺して返済とする。そうやって家計を保っていた。

2009年9月、その頃には大きな額を貸すようになっており、もう毎月のお金は入れずに貸出金から相殺し、そこにまた貸していくそんなやりとりが続いていた。

しかし貸し出す金額は徐々に増え、頻度が増す。数ヶ月に一回だった貸し出しはほぼ毎月になり、7桁を記録しようとしていた私の預金が7桁を記録したのは、いつだったか給料日後の数日だけだった。

7桁が6桁になった事を少し悔しく思ったが困りはしなかった。マンガが買えて服が買える。何も家を買うわけでも車を買おうとしているわけでも、なかったから。

家族を助けるために。その思いで貸し続けた。

そして2011年9月21日。あれから、通院が終わってから2年。7桁弱あった私の預金は3桁になっていた。

最初はただの使いすぎだと思っていた。2年の間にクレジットカードの使い方を覚えネット通販を覚え、ちょっと良い美容室に行くようになりヘアケアスキンケアだってほんの少し値の上がったものに変えてみたりもした。

友達も増えた。だから都心に遊びに行くことだって増えた。お酒を飲む楽しさを知った。

それでもまだ慎ましい範囲だと思っていたのだが。

ささやかでも充実していた。だから気付かなかった。

収入は増えても控除で減っていく。手取りほとんど変わっていない。

それでも、何かを控えればまた貯まると、少しだけ考えた。

から貸出金の履歴を見せてもらうまでの1日だけは。

管理はちゃんとすると言っていた母に貸出金と相殺金の管理を任せていた。小さな手帳に書かれたのは異常な頻度と金額の貸出金の履歴。

近い月にはボーナスの数日後にボーナス額のおよそ半分以上の額を貸していた。

数ヶ月に渡って月手取りの半分以上もしくは同等の額を渡していた。

そこに自分の使った分の引き落としやら何やらが加味されて、これで預金が減らないわけがない。小学生だってわかることだ。

人生ではじめて親に言葉に出来ない苛立ちを覚えた。同時に、仕事半日で強制帰還されたので台風にははじめて感謝した。

言葉に出来ず感情をうまくコントロールできず、数日間家族と対面するのは食事だけだった。

思い返せば高校時代。進路をどうするか決めていた私を呼び出して

「将来就きたい職業があって、そのために進学するのなら何とかして大学へ行かせられる。

 けど、なんとなく進学するのなら、それはできない。」

そう言われた。至極尤もすぎて言葉も出なかった。大学勉強するために行く場所だ。

専門的な知識を仕入れてそれを将来に活かすのが大学。そう認識した言葉だった。

将来の夢も希望も何もかもを諦めていた私は、その言葉を受けて就職した。氷河期氷河期の間、ほんの少しだけ回復の兆しが見られた2007年秋。

高校から近い、学校の中での応募枠さえ取れれば内定が取れると言われていた企業へ、普通に就職が決まった。

一刻はひどい学歴コンプレックスに陥った。しかしそれだって両親にではなく、夢も希望努力を捨て、しかしあの日からやりたい職業すら見つからずに改めて進学に踏み切れない自分を責める感情しかなかった。

今日、一週間考え続けた事を母に問うた。本当に我が家にはお金が無いらしい。

そして父の収入は年々減ってきているらしい。

私は辛い心を抑えながらまるで日常の話をするが如く、もう自由にお金を貸せない事を告げた。

考える。何がいけなかったのか。父や母はこの土地に来てから仕事が減ったと言う。ここは母の実家、祖父の土地だ。

建て替えるときに一緒に住みたいかと問われた幼い私が首を縦に振った、そうやってやってきた土地だ。

身につかない習い事をしたいと言った幼い私がいた。勉強が嫌いだったので教材だって使わなかった。

中学の時いわゆる"弄り"と"いじめ"の間に晒されて学校行きたくないわがままを言った私がいた。

それでも学校には行かされたが、精神力だけは心がボロボロになったって耐えて自傷しないほどには鍛えられたので、一応感謝している。

引き替えに、誰も聞かないのだと、誰にもうまく苦痛を吐き出すことが出来なくなってしまったのだが。

そう考えると私がいけなかったのだろうか。

もしもいつかの過去に行けるならと聞かれれば、私はあの日に還り何が何でも幼い私に首を横に振らせると答えるだろう。

私がいけなかったのだろうか。ここ数年、いつも私は自分を責め続けている。

平凡で、家族に恵まれて、高校の成績は中の中。テストは概ね平均点。

それなりにおしゃれをして、友だちがいて、普通に恋をして普通に失恋する、密かにそろそろ人恋しいと思うだけのもてない21歳の高卒オタク女だ。

十分に幸せそうなのに、それを客観的に書いている私はこんなにも満たされない。誰でもいいから縋りたい。

思いたち、数日、SNSから姿を消してみたが、取り立てて誰かが「私がいない」と発言することは、ほとんどなかった。連絡もこなかった。

何を期待していたのだろうか。誰にも認識されず必要とされず、自分を責めながら恨みつらみばかり言うだけになった面倒な女を誰が見ていると言うのだろうか。私のいないSNSは見ていて愉快だった。楽しそうだった。

自分自分を殺さないと思う代わりに、家族が思いつめたら、と、一週間で何度も思う。それでもそんな事は誰にも言えなかった。

病院に行こうとも思ったが、また病院には行きたくない。辛いんじゃなくて、それが甘えではないかと思う自分いるからだ。

被害妄想けが蓄積していく。発散するような楽しみはもう寝ることくらいしかない。

それでも寝て起きたら誰もいないと思うと、眠れない日が、たまにある。

今日を含めて16日で、私はもうひとつ年をとる。その日を転機に、私は何かを考えなければならないらしい。

これが誰か知り合いに特定されてもいい。私の家族ネットに疎い。それだけでいい。

いつかの日のために取っておいた15万円しかない貯金給料日を迎えてわずかに潤った預金は、多分、来月にでも使われることになるのだろう。

書いた色々なことがわがままだと言われても、なんとなくこうやって書き残せたか今日はもう満足だ。

もうおやつどきだけど、昼寝をして、冬に向けて衣替えをして、それから、前向きに考えていきたい。

ハッピーバースデー、15日後の私。22歳の貴女が幸せになれますように。

2011-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20110922010047

まりもクソも、「でかい台風が来たら電車は走れなくなって止まる」ってのは日本人なら、しか都心に勤務してたら経験してて当然のことだろ。

しかも今はネットでのリアルタイム情報もだいぶ充実して得やすくなってきてる。更につい半年前に3.11災害の恐ろしさを経験したばかりの「はず」だ。

そのうえで、完全に予想できるこの事態に対して何も対策せず、いつもどーりに仕事に来て帰ろうとして駅までのこのこやってきた、そうなって初めて「うわー帰れないよう、駅員が何も助けてくれないよう、信じられないどうなってんのー」って本気で言ってるんだとしたらもう本当にどれだけ思考能力ないのかと。



まぁ主には「出勤させる企業、とっとと帰らせない企業」が、3.11からひとつ学んでないって事なんだけどね。

企業とか言っちゃうと対照が曖昧か。その企業において職員にその指示を出せる立場にいる人間が甘い、ってことだ。

そういう意味では確かに人災しかしその「災」を発生させたのはJRでも駅職員でもない。企業側だ。

加害者企業と、帰れたのに甘く見て帰らなかった社員

被害者はどうしても帰らせて貰えなかった社員と、そして駅職員。



元増田元増田は問題把握能力ゼロのダサクレーマー

2011-09-15

夢の記録 9.15

ふるさとが濁った水で浸しになっている。

道路の水の流れが速い。スライダーのようだ。

夜、曇天、何か目的があったらしい僕は、その流れに身を任せたり、たまに抗ったりして、母校へ向かう。

その母校は小学校だった。しかし、中で待ち受けていたのは中学校時代の音楽教師だった。

3年生の時に僕の部活顧問となった当時25歳のその若い女性は、僕が引退するかしないかというところで妊娠が発覚し、僕らの年代が引退するに併せて産休に入った。

卒業してから顔を合わせたことのないその女性は変わらぬ姿でそこにいて、僕と再開した。

ここでわかったことなのだが、どうやらこの水浸し、僕と100人ほどの学生のしわざだということで、反省文を書かされることとなった。

そして通された部屋が近所のマクドナルドの二階席。そこで僕らは談笑しながら反省文を綴った。

ちらほら帰る人も出てきたあたりで僕も仕上がり、反省文も受理されて帰宅の運びとなった。

外を出れば未だに急流は衰えず、その流れに身を任せて自宅へと戻った。

しかし、ここでメールが届く。母からだ。

なんと、僕が反省文も書いている間に黙って一家揃って引っ越したという。待ってるから早くおいで、と、電車で一本で着くから、駅の近くだから、との文面。

どこだかわからない。とりあえず自宅(小学校時に借りていたアパート)に向かう。

そこももちろん水浸しだが、家は原型をとどめていた。宛もない旅が始まる。


==ここで一度目を覚ます。暑くて穿いだタオルケットがテーブルにまで届き、コップが床に転がった音で目が覚めた記憶はある。しかし、治す気もせず、また眠る。目が覚めたのはここではないかもしれない==


場所はどこともわからない部屋の一室。水浸しどころではなく、潜らないといけないところもある。なぜいるのかはわからない。ところどころでアメリカ人とすれ違う。

「オー、ニホンジンtie’ヘンネー。ミズbeatAシノヘヤデ Sayカツnounテ デキマセ’ーン」とアメリカ人は言い、黒のパジェロJr.に乗っていずこへと去りゆく。

それを幾人か見届けた後、僕も部屋を出、家族を探しに歩く。

隣町の離れた森、小学校ときクワガタを捕りによく父と車で通った道を歩く。木を蹴るだけで、ミヤマクワガタがごっそり取れた、森。

そこに、駅があった。正確には、森は現実にあるが、駅は夢のなかだけ、そこにあった。駅名は覚えていない。

中は、山手線に走っている車両と同型だと記憶している。見た目はとても清潔で、人は4,5人ほどしか乗車していない。とても空いている。

そこの、緑のシートの座席に腰掛ける。このとき、僕はまだ全身水浸しだ。床もシートも濡れる。

途中下車をする。というより、手がかりもないので、ひと駅ひと駅虱潰しに当たるほかない。


確か、この駅に降りたとき、誰か女性と一緒にいた気がする。しかし、外に出たときは、僕一人だったはずだ。

駅の外に出るまでは、改札を抜けてからもうひとつ噛ませてあって、レストランやら、蕎麦屋やら並ぶ通りを抜けなければならなかった。

蕎麦屋は繁盛してるが、レストランは寂れている。

ここで、確か昼ごはんを食べようとするが、結局やめたのだった。

ちなみにこの駅、この町は見覚えがない。

外に出ると、森にあった駅の隣なのに、人が集まっていた。道路も整備され、郵便局も駅前にあり、商店街があり、生鮮市場もあった。

その風貌はいわゆる都心とは違い、たとえば温泉街のようなところだったり、たとえば小さい町の駅周辺だったり、そんな感じだ。たしかヤマザキショップもあった気がする。

そこの駅名は、よく思い出せないし、夢のなかで見た時も初めて見たとか、この世ではないどこかのような印象を持ったことは、覚えている。

名前は、人偏に鬼のよう漢字と、『離』という字とも『雑』という字とも取れるようなものを、もう少し難しくしたような漢字の、二字で表記されていたはずだ。

そこのマーケットに足を運んで、いろいろ物色していたのだけど、食べ物面白い

全部現実ものより食材けが大きくて、背負ったり両手で持たないと運べないようなものばかりだった。

面白いのだけど、仕入れてる人が持ってきた手羽先から揚げが、持ち運ぶときに何度も地面を擦ってるのを見てしまい、がっかりしてマーケットを出た。


そして駅に戻り、電車に乗る。いくつもの駅を通り過ぎ、気が付けば300km以上は進んでいたのではないか

からメールが来る。

このメールは、目を覚まして数時間経った今でもはっきりと思い出せる。

『場所は報徳というところです。待っています。』

こんな内容だ。

僕ははっきりおかしいと思った。ここには電車一本では付かないからだ。

そこで僕は以前の森の中にあった駅で降りて、歩くことにした。

歩いて、歩いて、報徳の駅にたどり着いた。

ここも寂れており、ちょうど富士急行に乗り継ぐあたりのような駅の風貌だ。

これもまた、はっきりと覚えている。僕はここで何かに絶望したのだ。絶望しながらも、満足したのだ。あとのことは覚えていない。


目を覚ます

時刻は8時40分を過ぎようかというところだ。

おもらしはしていない。が、いつもより喉が乾いている。ゴミ出しをしないと。日常が戻る。

そういえば、津波だの洪水だの水まみれの夢を見てお漏らし、って誰が始めたんだろう。

2011-08-27

通過点の町

自分が住んでいる場所は、東京都の最も端にある。

埼玉県東京都の境界に位置している。

ベッドタウンで、老人と子供づれの家族が多い。

俺はそこで生まれて27年も暮らしているけど、ここにとどまりたがる人間は少ないだろう。

この町で賑わっているのは、昼間はパチンコ屋、夜中はキャバクラ、それくらいだ。

最近キャバクラが増えて夜関係の女がたくさん行きかうようになったせいか美容室が増えた。

それから、今までクソみたいに旧型だった駅の近辺がようやく区画工事されて今風になった。

10年前にはなかったエクセルシオールができた、まあその程度。

それでも、ここにとどまろうとする奴はいないと思う。

ここで育った子供は、いつかは首都圏に通じる路線に乗ってどこかにいってしまうのだ。

残るのは老人くらいだ。

この町はもともと街道沿いの農村から始まっている。

それが町になって、市になった。

たぶん東京都内では随一の田舎だったのだ。

街道沿いだから、目端の利いた奴は車の免許をとってどこかに行ってしまう。

西武新宿線が通ってからは、やはりそいつにのって都心へ行ってしまう。

誰もが、自分の進む道を見極めて、成功切符を掴むためにどこかへ行く。

俺はどうか?10代の頃に済ましておくべき事を済まさず、目的もなく、ただこのクソみたいな通過点の町に留まっている。

しかしたらここで死ぬのかもしれない。

それを考えるととても嫌な気分になる。

でも、自分自身の能力容姿を考えればここらあたりが限界なのかもしれない。

ここが俺がギリギリ生きられるスキマなのだ、おそらくは。

かなりキツいが、もう仕方がない。

諦める時がきたんだろう。

2011-08-19

初めて女性専用車両に乗ったとき

大学生の頃、田舎実家から都心へ長距離通学をしていて、朝1の授業の時は満員電車に乗っていた。

当時はまだ女性専用車両というシステムはなかったので、押し込まれないようなるべく隅の方をとるようにしていた(始発に近い駅からだったので可能だった)。


特に嫌な目にはあったことはないのだが、卒業してから田舎で車通勤の生活になり満員電車とは縁がなくなった。

が、先日出張があり、たまたま時間帯が合ったので初めて女性専用車両に乗ってみた。


感想:「呼吸が楽」

全体的に、ラッシュ時でも空間上方に余裕がある。自分自身身長が低い(150センチ台前半)ので大柄な人に囲まれると息苦しかったのだけど、専用車両では他の人もそこまで大きくないので楽に感じた。(その1回しかまだ乗ったことがないのでそうでない日もあるかも)


むしろ「身長160センチ以下専用車両」を作るべきだと思った。背の低い男性も困ってる方がいるのでは。

2011-07-26

日本の現状がちらっと見えた

いつも始発電車の出る駅から出勤してる。

ここは都心からちょっと離れているので、朝は確実に座れるまで何本かやり過ごす乗客多数。


今朝いつも通り、座れるまで何本かまって乗車。すると老人3人組が乗り込んできた。

リュックを背負ってたかハイキングかどっかいくんだと思う。

すると優先席の乗客1人が席を譲った。つられて他の優先席の乗客2人が席を譲ったがその2人には笑顔がなかった。

むしろかなり面倒くさそうというかそんな表情だった。結局後の2人は電車を降りた。また電車を待つのだと思う。


席を譲った人はこれから夜遅くまで仕事があるんだろう。

少しでも休みたくて、早めに家を出て何本か待っていたところに、

年金で余生を楽しんでいる老人の移動を快適に過ごしてもらう為に席を譲ったと考えると何ともいえない気分になった。


多分、自分も席を譲ると思う。運が悪かったと思いながら。機嫌が悪けりゃ心の中で舌打ちでもしてたかもしれない。

老害とかそんなもんじゃなくて、なんか滑稽だなと思ってしまった。

2011-07-19

交通費は絶対に不公平

先日、都心から時間ちょっとの埼玉の知り合いの家にお邪魔したけど、庭付き一軒家で家賃12万とかいってた。家族4人で犬を飼っていたな。片道1000円だから月3万弱ぐらい交通費をもらってる計算になる。

ところが俺は中野の狭くて日当たりの悪い2DKのマンションに月16.8万も払っている。子供教育やらきれいな空気やらを犠牲して会社のために近場を選んだのに、なんの手当もない。不公平過ぎる。

http://anond.hatelabo.jp/20110717191907

賃貸住宅を選ぶときには、それなりのテクニックがあって、たとえば独身費用に余裕があるからといって安易に2部屋・3部屋の物件を選んではいけない、という実体験をしました。うるさい子供やその他に悩まされないために。

入居前に、バルコニーを一通り見てみる。晴れた日に布団が複数干してある場合は要注意。家賃が安いのも要注意。建物のつくりが、たとえば木造階上の音がガタガタ聞こえてくるようなヤワ建物も要注意。子供チャリ発見したら要注意。

要するに安泰な生活を送りたければ、それなりの家賃で間違っても生活がキツキツな家族が居ないような物件を選ぶべし。しか自分がすでに所帯持ちで、しかも持ちマンション等のケースは、管理会社は助けてくれないというか管理会社自体がない。売りマンション場合は住民同士でクレーム当事者間で言い合うことになるケースが多い。したがって解決方法がない。

母子家庭子供に手をかける時間が少ないので、子供ストレスがたまりやすく、周辺住戸に迷惑をかけやすい。母子家庭に限らず、虐待ではなくとも、絶叫系の子供は明らかに遊び不足、甘え不足、子供的な発散不足。しつけがどうのこうの言う前に、子供という動物管理できていない。犬でも散歩が必要なように、子供はしかるべきエネルギー発散が必要だけれど、そうなっていない子供は案外多い。

自分のおばさんは70代独身で、60歳のときに念願の売りマンションを購入したけど、なにせんカネがないために中古物件都心のひなびた場所になりました。しかしそこは新宿区のはずれ。中古マンションとなるといかがわしい人々が住んでいたりする。ざっくばらんに言うとヤクザ屋さんがいた。こういうリスクは手に負えない。自分が買った時にいなくても、あとから来るリスクは避けようがない。

契約の時に業者が気をつけるべきだという意見はあろうが、こういう問題がある場所では、又貸し等で責任の所在があいまいだったりする。やられたもん負けになり、いやなら自分マンションを半値で売って出ていくしかない。

そういうわけで、人生の大半をフィックスしてしま住宅購入は怖くてできないという自分の気分もあわせて考えてみました。私事で疲れきっているときは、よその子供の状態をおもんばかる余裕もないし。

2011-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20110613221030

いや、私は田舎在住なんで。

でも都心在住の友人知人は皆結婚が遅い。



都心在住の人は皆それなりの学歴仕事を持っている人たちだからかも。

非婚や選択子無しも多いしね

http://anond.hatelabo.jp/20110613215726

都心在住で30歳だと結婚している人の方が少ないと思う。

残念ながら、君の周りだけだよ。

都心でも28,9が結婚のピーク。

結婚すると顔出す機会がぐっと減るから、よく見る顔の連中は独身だってだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20110613214127

環境にもよりそう。

都心在住で30歳だと結婚している人の方が少ないと思う。

田舎だと1人くらいは産んでる人が多いかな。



最後の1人にもなりたくないけど、最初の1人にもなりたくないから、

誰かが結婚すると結婚ラッシュ、誰かが出産すると出産ラッシュになったり。

2011-06-12

人生の経験値稼ぎ その後

この記事を覚えている方はいらっしゃるだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20091018173611

1年半前に「人生の経験値稼ぎ」と言う記事を書いた増田だ。


まず、それからの俺について簡単に。

2010年。この年は記念するべき1年となった。


・同期で2番目の早さで昇進した。日本人の部下が出来た。新人研修講師担当するまでになった。

・気付けば若手のリーダー格的ポジションを手に入れていた。海外出張前には、部署の仲間達が送別の飲み会を開いてくれるようになった。

・昔なら行く機会の無かったような場所で遊ぶようになった。六本木恵比寿赤坂

・車を買った。車を買ってから、行動の範囲がさらに広がった。車内でFMを聞く機会が多くなり、最近の曲や洋楽に詳しくなった。以前なら縁がなかったであろう夏フェスにも行った。



冴えない理系男だったおれは、いつの間にか社会人リア充とでも言うべき存在進化していた。

そして、意中の彼女とも、デートすることに成功した。




が、全てが順調に行く訳もなく。

この後、人生最大のピンチが訪れる。

2011年春、割と最近の話だ。




今年も新人研修講師をすることになった俺は、研修が終わると新人達をつれて飲みに行っていた。

新人の中にはもちろん女の子もいたわけだが、俺の同期の間で、俺がその子を狙っているという噂が流れていた。

さらに、新人達の間では、俺が狙っていた本命彼女を遊んで捨てた過去があるという噂が流れていた。

昔の俺なら、たいした噂にはならなかっただろうが、今の俺は好奇の目で見られる目立つ存在になっていた。

これらの話は、完全にでたらめなのだが、尾ひれがついて、既婚者の社長秘書にも手を出しているとか、

もう笑うしかないレベルにまで増幅されていた。人事の耳にも噂が入り、一時は社会的に死ぬ覚悟さえした。



後で聞いた話だと、俺と仲の悪い同期が、嫉妬に駆られたのか、俺をつぶそうといろいろ画策して、あること無いことを言い回っていたという。

当然ながら、狙っていた彼女とは疎遠になってしまった。



そして、悲しみと絶望と怒りの入り交じった、どす黒い衝動とでも言うべき感情が俺の中でわき上がってきた。

どうせ、変な噂をばらまかれるんだったら、本当に派手に女遊びをしてやろうか・・・



まず、こつこつと貯めてきた財形を全て取り崩して結構な額の軍資金を用意した。

そして、ゴールデンウィーク有給をつなげて3週間の休みを取った。

普段の仕事ぶりが評価されていたのと、噂のせいで俺が参っていることを知っていた事もあって、上司はすんなり認めてくれた。



地元帰省した俺は、使えるコネを使いまくって片っ端から女に声をかけまくった。

いまだに独身女友達、男友達姉妹、友人の元カノ、昔バイトしていた店のアルバイトの子。

学生や、安月給の連中には真似出来そうもない、財力に物を言わせた「遊び」を提案すると、大抵の子が、驚くほど簡単についてきた。

休暇が終わり、首都圏に帰った今でも、都心に来たらまた遊んでやるよと言うと、彼女たちは、喜んで上京してくる。




なんだ。女の子を口説くって、簡単な事だったんじゃないか



変わろうと決意してから5年。どす黒い衝動に駆られて2ヶ月。女に不自由しない環境を俺は手に入れた。

だが、日曜の夜に一人になって冷静に考えると、とんでもない状態であることに気づく。

最近の俺の振る舞いは明らかに狂気に満ちているし、倫理的に正しい事をしているとは思えない。

今でも、本命彼女には未練がある。

そして、今の社内での俺の立場はかなり微妙な物になってしまった。



とりあえず、自分名誉は回復させないとまずいのだが、実際に女遊びをしているため、

デタラメのハズだった噂は今や黒に近いグレーゾーンだ。

俺を陥れたクソ野郎はつぶさないと気が済まないが、状況的にすぐには手が出せない。

いっそのこと、全て忘れてこのまま堕ちていくのも悪くないかなと思ったりもする。



結局の所、どんなにあがこうが、恐ろしい運命が降りかかってくるのは避けられそうにもない。



これが不純な動機に駆られてあがき続けた経験値稼ぎ男の末路だ。

さあ、思う存分嗤ってくれ。

2011-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20110611100930

問題は撤退されることなんだよね

大手チェーンは採算が合わなかったら撤退しちゃう

でもその頃には地域に根ざしてやってた店はすでに潰れてて・・・

お店がなければ住人もいなくなっていって結果ゴーストタウンなっちゃ

これはやっぱりよくないことだよ

ただでさえ都心人口が集中してるのにそれを加速させちゃう

シャッター街ができるのは、需要がないからだよ。

シャッター街意図的に作られた。

http://togetter.com/li/145037


鉄道会社ショッピングモールの誘致を計画している、

実行されたら街の商店街が潰れてしまい、

個性のない街ができあがってしまう……と憂慮している人たち。

ユニクロなんていらない、と息巻いている人が見受けられるけど、

だったら、ユニクロに行かなければいいのでは?

消費者別にショッピングモールに行くことを強制されているわけじゃない。

商店街に行きたかったら、商店街に行けばいいんだ。

それなのに商店街よりもショッピングモールに行くってことは、

ショッピングモールの方が魅力的だからだよ。

そもそも商店街にそんな個性なんてあるのかね?

本屋も服屋も食べ物屋も、大手チェーン店の売り場を狭くしただけ、

しかチェーン店よりも割高……そんな状態なんじゃ?

都心だろうと近くにチェーン店があろうと、

美味しいラーメン屋はきちんと生き残っているじゃないか

どこもおんなじ街になってしまうのは、消費者がそれを望んでいるからだよ。

「その駅その街に、そこならではの店がきっとあるはず」

でも、それが消費者にとって不要なら、存在する意味がないじゃないか

文化遺産にでもするのかね?

もちろん、商店街の人たちがご飯が食べられなくなって可哀想だって問題はある。

だけど、街の個性だとか街の記憶だとかは、関係ないんじゃない?

だって食べられなくなって可哀想なのはだって一緒だ。商店街の人でも、ユニクロの人でも。

2011-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20110605122740

年収1000万でそれ全部は無理じゃね?

それとも「私立」と言うのは高校or大学とか、田舎住まいで家が安いとか?

田舎ならそもそも私立自体あまり無い&安いと思うが)

もし私立と言うのが小学校のことで、都心住まいなら相当奥さん節約頑張ってると思うなあ。増田に見えない所で。

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