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はてなキーワード: 古代ギリシャとは

2011-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20110716045020

エロ抜きだと「腐」と自重する意味が見いだせない気がするんだが

古代ギリシャ哲学者たちも同性愛精神的な高次元の愛と言っている

それを肉体的な性愛堕落させるから「腐」なわけじゃなかったのか

むしろ、エロ有りでブヒってる方が傍から見ててキモく無いよ。

エロ有りは、基本目に付かないところでやってるから



成人向けのエロゲーやってる奴よりは、子供向けのプリキュア見て奏と響のバカップルっぷりについて熱く語ってる奴のほうがキモいじゃん。

成人向けのBLゲーやってる奴より、子供向けのダンボール戦機リニア止めてからのバンとジンがぁああああああああっ!!

って方がキモい。100倍キモい

言いたいことはとてもよくわかるが、キモい



それを腐っていると言うのだよ。

2011-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20110224092453

元増田だけど、確かにあなたのおっしゃる通り。

ただ、自分の考えとしてはやはり子供が考える「これって無駄でしょ?」に近い。

はっきり言って、それが子供っぽいと言われようが、俺はそっちほうが直感として正しいと思うんだよね。

時代を積み重ねたということに重きを置くのが保守だけど、俺はそこを否定してるわけじゃない。

何というか、もっと現実的な面で、つまり伝統を守るということが現実のこの時代に生きる人間の負荷になるのは困るという感じ。



俺は古代ギリシャ彫刻文学、その他にも平安の文学やら万葉仮名やら建築哲学その他多くの歴史を否定してはいない。というより肯定してる。

そういうのが出来るだけ残ってくれるのはありがたいと思うし、記録・保存する人たち(図書館司書など)には敬意を抱いている。

ただし。

それをこれでもかと押し付ける行為が気にくわない。

つまり、「これは時代の試練を経てきた名著だ、だから読め」って言って学校で強制的に読ませたりする行為。これが本当に嫌。

それと同じように、祭り勝手に参加させられるのも嫌だ。


俺が言ってるのはそういうことで、実は祭り伝統的な街並みそのものを否定してるわけじゃない。

興奮するとそこがごっちゃになることはあるけど、たとえば伝統的な街並みというのであれば、写真などの資料を残し、ミニチュアをつくって博物館に飾るとか、そういうことは大いにやってほしい

ただ、現実物理的な世界にそれをどかっと残し続けることは嫌だ。なぜなら、伝統的な街並みは歴史の中でのほんの一部分において「正しい」とされたモデルケースにしか過ぎないのに、まるで未来永劫その正しさが続くかのような雰囲気があるから

高層ビルだって所詮はこの時代の価値観に基づく正しさにすぎないのだけど、少なくとも合理性や人々の居住というものに関する意識の変化から言ったら理にかなってると思う。

ヨーロッパ伝統的な街並みを見ていると、美しいと思う一方で、そこに住んでる人達は哀れだなと思う。仕事としてその家に住み続けているならまだしも、伝統だとかそういう付加価値を下手につけられてしまったために、壊すことも出来ないんだろうなと。もっと新しい世界を知りたい人達はこんな街に住みたくないだろうなと。



俺が言いたいのは必要のない伝統記録・保存されるべきで、現実無意味に干渉してくるなということなんだ。

伝統の多くが必要なくなったのは、それはまさに現代が「変化の時代」だからであって、それ以前の、変化しないように必死で頑張ってきた時代とは全く様相が違うからだと思う。

伝統たいなものは、科学技術存在せず、人々はただひたすら自然の脅威・具体的に言えば「風化」から身を守るために作ってきたんじゃないか?現代は、記録する手段や方法はいくらでもあるわけで、さらには科学技術のおかげでどんどん人間にとって都合の良い世界が作り替えられていく。

科学以前はそもそも世界を作り替えるどころか世界を制御する方法すらなかったから、変化を恐れるしかなかった。今はもう違う。なら、今の時代にあっていないものは、資料という形で物理世界からは切り離してほしい。そういう考えなんだよね。

俺が抱くもう一つの嫌悪感は、伝統を守りたい人々っていうのは、それがなぜ守られなければならないのかなんて考えたことなんかなくって、子供の頃から守れって言われてるから仕方なく守ってるっていうところにある。それどころか、守るために守るっていう感じで、もう伝統意味なんかなくなってるんだよ。祭りたいなものはものすごい長い歴史があるのかもしれないけど、その元々は雨乞いとかそういう超プリミティブなところから始まったんだと思う。今でも厄除けの祭りとかあるけど、あれだって完全にプリミティブでしょ。あれで厄除け出来るなんて信じてる人間はいないわけで、別に信じてもいいけど、少なくとも祭りがおこなわれるようになった古代というのはほとんど全員が信じていたからああいうのが成り立ったわけで、ほとんどの人が逆に信じていないような状況で厄除け祭りすることに何の意味があるんだと俺は思う。



アメリカ賛美するわけじゃないが、アメリカが素晴らしいのは歴史を持たないことだ。

からあれだけアメリカ科学技術国として発展できたし、妙なしがらみから解放されてる。

日本アメリカの影響を受けたおかげなのか地震対策なのか、街並みを保存することにはあまり関心がないみたいだけど、良いことだと思う。

ヨーロッパの状況は良くわからないけど、伝統的な街並みは観光のために残しておくとして、そういうところと実際の経済活動が行われる場所は区別すべきだと思う。

ごっちゃにするから良くない。東京はそういう意味では、完全に作り替えてしまうべきだし、今も未来都市なんて言われてるみたいだが未来どころか超未来都市くらいは目指すべきだ。アメリカがその面ではなんだか停滞してるみたいなので、「俺がお手本だ。良く見ろアメリカ!」と言えるくらい大胆なことはやってもいいと思う。

その意味じゃ、現在強引な方法で街並みを作り替えている中国は、住んでる人達には悪いがすごく理想的な国に見える。

2010-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20100610140504

テーベのエリート部隊「神聖隊」だって、ゲイ部隊だしな。

古代ギリシャ常識に従えば、若い頃に「女欲しい!」と思ってる奴なんて「負け組www」だよな。

2010-06-07

世界ゼロサムゲームじゃないことを証明する

まず、「最近の若者はなってない、昔の方が良かった」という老人が存在する。

これは、古代ギリシャでも言われていたことだった。

老人は長く生きた分苦労をしている。

そして上記の言葉は、老人の若者に対する嫉妬の感情が読み取れる。

なぜなら、最近の若者自分の若かった頃よりも楽そうにしているからこそ「最近の若者は〜」などと言うのだ。

ではどうして若者が楽そうにしているのかというと、老人が若かった頃よりも世の中が豊かだからである。

昔と比べて世の中全体が豊かになっているからこその言葉である。

よって、世界の富はゼロサムゲームの奪い合いではなく創出していけるものなのだ。

今の豊かさは老人たちが作り出したものである。そのことの意味を老人たちは忘れがちであるし、若者愚鈍である。だからみんな気づかない。

豊かさは作れる。奪い合いではない。だからギスギスしないでいこーぜ。

2010-05-12

私に自慢できることはありません。(1)

 私に自慢できることはありません。人と話しても話は続かないし、動きは鈍いし、まともに人と目を合わせて挨拶もできない。良好な対人関係という夢のようなものにも縁がありません。そんなわけで私には仕事も長続きせず、ましてやバイト面接不合格になってしまうことすらままあります。

 私には仕事人間の両親がいます。その両親は金銭に頓着がなく、自分の今やっている仕事さえできれば満足する人間です。両親は仕事の都合ばかり考えていて、私には干渉してきません。私は両親が使わないお金で生きています。文字通り両親のお金に生かされています。着ている服も、朝食べるパンも、住んでいる家もなにもかもを両親に頼って暮らしています。

 きっと社会的には私のような人間の事をニートだとか社会ゴミ、屑と言ったりするのでしょう。当然です。私にはなにも自慢できることはありません。外に出ては人の目を気にしています。誰かに野次をとばされないだろうか、批判をされやしないだろうか。びくびくしながら生きる毎日です。もちろん外に出てコンビニに行くくらいで、私の生活を見透かしたような発言をする他人は存在しません。

 私のような人間の末路はきっとホームレスなのかもしれません。何が一番の問題かと言えば、他人と上手く話すことができないことでしょう。他人と意思疎通をすることができなければ古代ギリシャにおけるバルバロスそのものです。バルバロスとは聞きづらい言葉を話す者・訳の分からない言葉を話す者とされています。バルバロスは奴隷として酷い扱いを受けていました。私には誰かから酷い扱いを受けることはありませんが、私は私に酷い扱いをしていると思います。私とて人並みの自意識というものはあります。その自意識が私のことを責めたてるのです。現実の非社会的な生活は一人の人間として誉められたものではなく、むしろ非難を浴びるべきものであると私は考えています。しかし私には今の生活以外は考えることができなく、どう転んでも今の生活に落ち着いてしまうでしょう。何故なら現代において他人とコミュニケーションをとれないということは死活問題に関わっていて、私はそこになんらかの障害を抱えていているからです。

 私には普通というのが分かりません。私に普通の生活ができる日がいつか来るのでしょうか。

2009-07-21

団結をしない

http://chinachips.fc2web.com/argue/090706.html

さて、わたしは様々な事を「考える」ようにしていますが、このように「考えない」方もおられるようですので、代わりに考えなければいけないのかなぁ‥という気もします。

問題は2パラ目にあります。

ドイツナチスのケースも、ソヴィエト共産党のケースも、出発点では多数決だったのです。ーーーその多数決で「多数決をやめて、総てあなた方の判断で進めてください」と決めたのが「一党独裁」という結果になったわけです。

古い例を見れば、古代ギリシャで、直接民主制最盛期に、保守派の「キモン」を失脚させて登場した「ペリクレス」の、事実上独裁を許したのも「民主政体」です。つまり、

この意見がいうところの「多数決原理そのものが否定されかねません」は、無責任な「他人事評論家風」発言であり、その政局当事者達の想いとは乖離しているのです。

これは「多数決原理」が正しい、という誤解が土台にあります。

しかし、歴史を見ると、世情が混乱し多数決では纏まらず、「民主政体」では結果的に国が滅ぶケースもあり得るのです。

先日の都議選でもつくづく思ったのだが、どうしてみんなこう、右へならえが大好きというか

勝ち馬に乗りたがるというか、一党をバカ勝ちさせるような投票行動に出てしまうんだろうねえ。というか、よくこんなことが可能だなと、むしろ結束の強さに感心する。

それも60年近く似たような事を続けていて、一向に良くなってないのだから学習能力がというものがない。

上の方も言うように、議会があればいいというもんではない。

こう考えているのは少数派なのかもしれませんが、議会というのは意思決定の場であると同時に(実は)討論のための場でもあって、まともに討論するには各勢力が均衡していることが望ましいのだから(ゲームと同じで、1000対3とかでサッカーとかそんなのゲームと言わん)政権云々ではなく、等しく力を持っている、あるいは等しく無力であるべきであり

一党バカ勝ち戦略はどう考えても頭悪いし、現にあっちこっちにツケが回りまくっているよ。つまり皆さん意思決定の面しか見ていないんでしょうな。

その結果が拙速に次ぐ拙速で、出てきた法律は互いに殺しあってたりでわけがわからんです。

背脂で米炊いてるようなもんですよ。それを60年続けている。老舗の味ですかそうですか。いい加減にしてくれよ。

 

ねじれ国会とか言われましたが、この時期に少なからぬ膿を搾り出せたことには大いに意義があったし

しょっちゅうバカやらかしているとはいえ、そこそこ良いものを見せてもらったと思うのだがどうだろう。

このままねじれっぱなしでも構わないのだが、別にねじれてあるのにどの政党でなければならないという必要もありませんわな。

というわけで、今必要な調節機能とはむしろ団結しないこと(笑)、乱数的であることだろう、と

従って積極的に負け馬に賭け続ける戦略にも大いに意味があるのである。

(あまりに知性が感ぜられない候補者は勘弁だがのー)

 

http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2008/04/post-003c.html

民主主義的に意思決定する際、最後は「では、多数決で」と決議することが多いと思います。

しかし、多数決そのものは、民主主義ではありません。

私自身は、民主主義とは、異なる立場の意見をお互いに話し合い、理解しあい、相手のよい部分は取り込み、自分のよい部分は相手に認めてもらい、より高いレベルの解決策を見出していくプロセスである、と理解しています。このためには論理的な議論が必要です。

多数決に持ち込まざるを得ない、ということは、このようなプロセスが十分に働かず、より高いレベルの解決策が見出せなかった場合に起こります。

我々はそのレベルに達していないということですねわかります。

2009-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20090608195702

これはわかる。

僕なんかはずっとパトロン奴隷がほしいって思ってましたけどね。

よく言われることだけどかつての芸術家とか古代ギリシャ人とか、働いてなかった訳でしょう。

明治小説家なんかはみんな「書生」だったり。

やっぱり何かそれなりの仕事をしようと思ったら、食い扶持のために労働しているようでは時間が足りない。

2009-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20090529153442

まあ、古代ギリシャとかでは神殿娼婦聖職であり地位が高かったとかいうし、逆に中世以前のヨーロッパでは外科医は野蛮な職業軽蔑されてたりしたわけだから、時代や文化によって考え方は変わるだろうね。

ただ、現代日本においては、まだ風俗嬢は蔑視される恥ずかしい仕事であるし、底辺であることには変わりないよ。

2009-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20090212165658

「働かざるもの喰うべからず」をやめればいいんだと思われ。

古代ギリシャ奴隷の代わりを機械がやって人間様は遊んで暮らせる(働きたい物好きは道楽で働く)世界が俺の理想だなー

つか、機械やら何やら発達しすぎて、誰にでも仕事がある状態は、たぶん無理。

2008-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20080527005213

庶民じゃないところにはあった概念なわけでしょ?

ということはそういう概念誕生の芽みたいなものがあったとも考えられるわけだ。

そして重要なのはキリスト教イスラム教の元になったユダヤ教には処女という概念がなかったということ。

さらにクリスマスが実はヨーロッパ土着宗教祭りキリスト教布教以後にキリスト教のフリをして残ったってのは

有名だけど、そういう風にキリスト教イスラム教ってのは土着宗教の色が実はすごく強くて、

ユダヤ教由来のものよりもそっちの方が大きいくらいで。

つまりキリスト教イスラム教ユダヤ教を通じて関連づけるのは適切じゃないんじゃないかと。

そう考えると儒教の問題や古代ギリシャの問題も都市文化というくくりでなんとかなりそうな感じだし、

単純にインド農村文化だったんじゃないかと。

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421141701

やっと言いたいことがわかったのでまともに話ができるかもしれん。

俺はその反論1の質にしか興味がない、というか、その例1を引き出すための挑発として最初の質問を仕掛けてる、という側面があるんだよね。で、案の定真っ先に例1で応じてんだから世話がない。

だったら釣られた俺が馬鹿だったし、あんたも相手を間違えた。それだけのことだな。

あと、興味はないとはいえ一応指摘しておくと、その例1例2例3といくつも用意するやり方においては、例1と例2と例3が矛盾対立するようなものであってはならないはずだろう。でなければ、ためにする議論になってしまう。話者に一貫したスタンスというものがなくなってしまうからね。

言いたいことはわかる。ただし、俺のスタンスはいわばメタなもので、「この前提は絶対に正しいからまず認めろ」というのがまず嫌なんだよ。むしろ、「あんたが絶対と信奉している価値観は別に万人が無条件に認めるような絶対的なものではない。あんたと相対立する価値観にもそれなりの合理性があるはずだ、例1、例2、例3など。さて、どこを議論の出発点にしようか?」ということを誰に対してもまずやる。逆に言うと、俺が信奉している価値観を正しいと押し切る根拠なんてどこにもないと思っているから、価値判断の源泉については「見せろ」と言われなければ見せない。宗教論争になるのがいやだからね。

ちなみに、こんな話もある。細部は違ったかもしれん。

釈迦が人に「神はいるのか」と問われて、「いない」と答えた。ところが、次に人が来てまた同じことを問うたとき、「いる」と答えた。これを見ていた弟子が「どうして矛盾する答えをするのか」と問うと、釈迦は「あの二人が『神』という言葉のもとに思い描いていたものは違うではないか」と答えた。

別に自分を釈迦と並べているんじゃなくて、「神」の定義が違う人間が二人で言い争うのは嫌だということね。相手の土俵を推定して、相手の土俵でものを言わないといかんだろうと。

ディベート戦術としてでも、なんでよりにもよってこんな反論選ぶんだ、と俺は思ってしまうわけだ。

あんたに納得してもらいやすい話を選んだつもりが裏目に出たというだけだよ。正直、あんたのことを当初の言動から「学校勉強なんか役に立たん、英語コミュニケーション能力だけがあればよいのだ!」的な反知性主義者だと想定したもんでね。さすがにそれが釣りだとは想像できなかったが。

うーん? それ英語言語としての性能とは関係のない議論だよなあ。

俺が言いたいのは、あなたのように公平性を重んじる価値観からは、英語採用する理由は全く出てこないだろうということ。言語の性能(性能というより習得の容易さだな)はその中の例示の一つにすぎない。

別に俺は古典教育の廃止を唱えているわけではないんだよね。何度か言ったけど。

廃止と言わぬまでも、量を減らせとは言っただろう?なし崩し的にゼロになってしまう論法だから反対したわけだ。正直、「上を下に合わせさせる」というのは暴力的だと思う。

どこかの象牙の塔の一室ではそれで通用するのかもしれんが、企業社会ではちょっとダメだそれ。

情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。

だいたい、Cやアセンブラが使える人間JavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。

で、どのC++クラスライブラリが重いというのか、とか、C++FORTRANについての議論については、君は全面撤退ってことでいいのかな? 具体的に質問に答えなくなっちゃったからなあ。

どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家C++で書いたコード普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。

そもそもそんなことを言えば、FizzBuzzすら書けない奴がCで書いたコードより速いコードPerlなんかで書くことさえできてしまうかもしれないが、そんなの別に自慢にもならないし、(たとえば)数値計算Perlを使っていい理由になんてならんだろ。俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。

そしてそもそもこの話自体「素養」というものが必要か否かという点から分岐したものだから、その意味でもこの話は必要なかろう。


以下蛇足。

あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。

それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?

俺はむしろ君の方が相当偏ってると思うけどね。だって古代ギリシャ民主政が途絶えてから一体何年経ってたわけ?それに、市民革命の基盤になったのはむしろ封建議会の方なわけで(これもいちゃもんはつけられるけど)、これはむしろゲルマン文化のはずだよ。それをどうギリシャ文化の伝統と理解するのかかなり不思議明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。同じことだよ。あんな政体が歴史日本存在したことはなかった。なんで戦前、あんなに後醍醐天皇があんなに高く評価されたと思う?

いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。

ちょっと調べてみたが、貴族階級は余り適切でなかったようだ。そこは撤回

導けるわけがないから聞いてるんだよ。ただし、始まりはそういうもんに決まっているが、それが本当に現代と連続性があるのか、と俺は聞いているわけなんだが。

そもそも、都市が自治を行うのはギリシャポリスじゃなくても歴史的に普遍的な話なわけで(英語Wikipediaを引いたら戦国時代の堺が挙げられていてびっくりした。さすがに思いつかなかった)、誤解してるかも知れないけど日本江戸時代でさえ町役人って町人階級だからね。つまり、民主主義にとってはギリシャ思想が必要不可欠なものであるという根拠はますます疑わしいと思うんだ。だいたい、それを言い出したらアメリカはなんなの?あれこそ、草の根民主主義たる植民地自治政府の発展じゃない?

2007-10-08

とある元エセ数学屋のぶつくさ

「頭のいい人は説明もうまい」問題で、一番肩身が狭いのが数学屋と哲学屋。哲学屋さんの弁解は哲学屋さんに任せるとして、エセ数学屋の立場からその弁解を書かせて欲しい(哲学屋さんも事情は似たようなものだと思うけれど)。

まず、世間では誤解されてると思うのだが、数学というのは理系の他分野(物理学とか、生物学とか)とは少し性格が違う。数学は、具体的な対象を想定しない。むしろ、具体的な対象と遊離したところを記述するための「言葉」を作る学問なのだ。

よく言われることだが、新たな数学理論発見とは、わかりやすい概念や記号法を発明することといっても過言ではない。一番わかりやすいのが「未知数をxなど文字で置き換える」というものだろう。これによって、古代エジプト古代ギリシャ賢者大勢を悩ませた問題も、中学生の練習問題に早変わりする。しかし一方で、多くの賢人を悩ませた問題を少数の記号やキーワードに集約するのだから、そもそもそんなものを簡単に説明できる方がおかしい。中学校あたりから数学が途端に難しくなるのはこのためだ。

抽象概念を説明することの難しさは、プログラミング世界とも共通している点があるだろう。たとえば、「多態性 (polymorphism)」という言葉機械音痴の人に説明できるだろうか、考えてみてほしい(このたとえのわからない人は、次の段落まで読み飛ばしてほしい)。もちろん、例えば「同じ『鳴く』という動作でも、犬は『ワン』で、猫は『ニャー』だ」などと、わかった気にさせるようなたとえ話でごまかすことはできるだろう。だが、そんな「説明」が役に立たないことは明らかだ。「そんなことの何がすごいのか、ポリバレントだかなんだか知らないがそんな偉そうな名前をつけるほどのことか」とかいわれて終わりである。現実に「説明」を求められる場合とは、「誰かに金を出させるために説得しなければいけない場合」なのである。ユーザ企業に「オブジェクト指向による開発」の必要性を説得するとき、そのような子供だましでは金を出してもらえないことは明らかだろう。

そして数学は、プログラミング言語よりもっと包括的に「人間の思考の一部を記述する言語」なのである(正確には、コンピュータサイエンス数学の一分野である)。そして、プログラミング言語などという概念たかだかこの数十年のものにすぎないが、近代数学は数百年の積み重ねがあるのである。素人専門家の乖離にもそれだけの差があると思ってもらって構わない。説明が絶望的に困難なことは明らかだ。その困難さは、たとえば英語を知らない子供に「関係代名詞」を説明するのと同じぐらい難しい。いや、数学は「頭の中の普段使っていない部分」を使う言語だから、英語などよりもっと難しいと言っていいかもしれない。英語日本語の間では直訳はできないことはないが、数学語やプログラミング言語日本語の直訳は不可能だからだ(できるのならば、プログラマは全員失業である)。

しかし、こうした事情を多くの人はわかってくれない。そこで、「数学屋(と哲学屋)は物事をわざわざ小難しく説明する権威主義者だ」だの「他の分野の専門家に比べて説明能力に欠けている」だのと非難を浴びるのである。こういうハンディを背負っていることがなかなかわかってもらえないのである。

追記

多態性のあたりはあまりいい例ではなかったかもしれない。犬はワンで猫はニャーというのは、多態性という概念の発想を適切にとらえたたとえ話ではあるからだ。純粋数学の場合は、こういうわかりやすい例が見あたらないものも多いのである(たとえば「解析関数」を「複素数」や「微分」を知らない人に説明するとなるともうお手上げだ)。無論、こういうたとえ話が、多態性概念プログラミング世界でいかに有用であるかを説明することにほとんど貢献していないのは明らかだけれども。プログラミング経験がない人には、それだけのことがいかに役に立つのかなど到底実感ではわかってもらえないだろう。

蛇足

なお、こんな記事が話題になっているが、この程度の説明ならまともな数学屋なら誰でもできるので念のため。このスレッドの住人はsinとかcosのような高校数学概念も怪しかったわけだが、そんな人を相手に文中に出てきた「バナッハ空間」だの「ヒルベルト空間」だのの説明をさせられたらとても困っていたはずである。正直、これらの概念専門家には「イロハのイ」レベルのことに過ぎないが、ピアノで「猫踏んじゃった」しか弾けない人に「エリーゼのために」を教え込むのと同じぐらいは難しいだろうと思う。それぐらいのレベルの差がある。

蛇足の蛇足

ついでに、上のスレッドで挙がっている「日本語論理的でない」とか「英語フランス語数学に向いている」というのはウソと言える。言語能力は、相互に翻訳ができれば等価であるといってよいからだ。実際問題としては、論理的で厳密な文章ほど、直訳は簡単である。つまり、言語による論理能力の差というものは存在しないといってよいのだ。言語によって一番表現力の差が生じるのは、むしろ「前衛詩」のような、一番「論理的でない」部分である。

2007-07-07

anond:20070707234047

古代ギリシャスパルタは弱い赤ちゃんを山に捨ててたらしいけど、最後は滅んだよ。

スパルタ遺伝子は弱かったと思うか?

遺伝子が強くても滅びる集団は滅びるんだよ。

2007-06-19

直接民主制⇒代表によるのではなく、国民が直接的に政治に参加する民主制。古代ギリシャ都市国家で典型的に実現され、現行ではリコールレファレンダムなどにこの原理が採用されている。

間接民主制⇒国民選挙で選んだ代表者に一定期間自らの権力の行使を信託し、間接的に政治に意思を反映させる民主制。代表民主制。

直接選挙有権者が被選挙人を直接に選挙すること。また、その制度。

間接選挙選挙人が一定数の中間選挙人を選挙し、その中間選挙人が被選挙人選挙する制度。アメリカ合衆国大統領選挙がその代表的な例。

もっかいさいしょっから

憲法権力の暴走を止めるためにできた(中世イギリス)。作らせたのは議会(という名の業界圧力団体。女子供貧乏人は入れない)

民主主義は、愚民どもが王様資産を食いつぶす制度だとしてずっと忌み嫌われていた(ちょっと前のアカと名まえは反対だが実質同じ扱い)

民主主義には直接制と間接制がある

民主主義プラスイメージに変わったのはアメリカフロンティア開拓で「経済的に成功」して、国を大義名分でうごかしてから。議会(という名の商工会みたいなヤツ)にはやはり女子供はいない。経済団体。

直接民主主義は昔のギリシャスイス、新しいところではEUの加盟投票アメリカ大統領選挙(票のごまかし多発)。あまりうまく機能していないのは間接制とどっちこっちいわん程度。アメリカのも、イラン戦争からこっち軍国主義の兆し(石油圧力団体がやらせた)、結局古代ギリシャと今まで、数が力なのは同じことか

・名まえと大義名分はどうあれ、戦争暴力経済システムに打撃を与える。戦争技術を発展させるってのは、核ができるまでの話。戦争レアメタルを絞られたらコンピューターの1つさえ作れないんじゃね。日本BIOSつくってないし。

・自由市場レッセフェール最強と思うのだがどうよ。


中国支配したいならフツーに有り金で中国株買えばいいじゃん。株主だから経営に口出しさせろ、ちっとはマシな企業人、国際人になれっていってやれ。

韓国もフツーに主婦ビジネスマンの国でしょ。

2007-05-15

自称キリスト教徒欧米人にも多神教は理解可能

http://anond.hatelabo.jp/20070514225158


欧米人一神教キリスト教徒が多いから、多神教概念は理解しにくい」とはよく言われる事だけど、

実際にはギリシャ神話の神々も広く愛されているように思うのは私だけ?

たとえば、月ロケットに、事もあろうに異教徒の神の名前「アポロ」を付けたのは、キリスト教国家のはずのあのアメリカ合衆国

ナイキだって、勝利の女神のニケに由来するし、スターバックスロゴ人魚セイレーン

ローズ・オニールの描いた「キューピー」も、愛の神「キューピッド」が元ネタエルメス(ヘルメス)も有名な神様

他にも、星座の名前とか心理学用語とか商品名とか、とにかくいろんなところでギリシャ神話欧米社会で活躍している。


本当は欧米人の大半も隠れ多神教信奉者なのだと私は思う。だけど、他の神様に嫉妬深い一神教キリスト教神様を信奉している建前上、

それは言わないお約束になっているのだろう、きっと。


なので、「古代ギリシャギリシャ神話の神々があったように、日本にも日本神話の神々がある」と説明すれば良いかもしれない。

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