はてなキーワード: スヌーピーとは
Hunie Pop 2をやっていたけど、海外のエロゲは日本にない表現があって新鮮だった
このゲームで、(俗に言う)誘っている顔をする時に特徴的だったのは下唇を噛む表情
日本人も悔しい時は下唇を噛むと思うが、エロ表現においてはあまり見ない気がする
また、力んでる顔にエロスを感じるジャンルもあるが、行為前となると尚更
あれを見ても日本人の自分にはあまり響かなかったが、海外の人にはエロく感じるんだろう
何にせよ、エロに関する考え方の違いがあるのは非常に興味深い
基本的には欧米圏ベースの話っぽいので、メインキャラも欧米圏のキャラクターが多い
対して、アジア圏、イスラム圏のキャラクターは陰毛が確実に描画されている
海外の人は陰毛を「汚らしい」と感じるとよく聞くがおそらく本当なんだろう
そう考えると、製作側も各国の事情を良く調べて作ったんだろうなと感心する
日本のアニメ、漫画作品ではそばかすがあるメインキャラクターは1人、もしくは居ないのでは無いだろうか
これも他人種が混在する圏の考え方の違いなんだろうな
そういえば、赤毛の人種はそばかすが出やすいと聞くし、そばかすもそこまで珍しく無いのだろう
とはいえ、スヌーピーと言う作品に出てくる、ペパーミントパティと言う女の子はそばかすを気にする描写もある
珍しい属性だというのは変わらないけど、意外と「泣きぼくろ」くらい支持されやすいチャームポイントなのかもしれない
pixivのようなイラストサイトで表現される「ビ◯チ」を見ると次の傾向がある
対して、このゲームでのビ◯チ表現だと第一印象で感じるのは下記
「髪型が派手」というのは色ではなくスケールの事で、刈り上げたり、パーマがかかっていたりといった感じ
だから、そこを基準に明るくなれば手を加えたと言えて、髪型だけ見ればそこまで派手なわけではない
しかし、欧米ではさまざまな人種がいるので、髪色だけでは表現仕切れないと思われる
そのため、髪型で異質さを表現することになると必然的に髪型が変わる
日本人から見ると「やりすぎ…」と思う髪型でも、欧米の人から見たら「エッロ!」ってなるのかもしれない
異世界レビュアーズのドワーフ編を読んでいた時の事を思い出した
日本人は「ケバケバしい」、海外は「シンプルにだらしない」と感じる
これも前述と同じように武装しないと違いが出せない国柄なのかもしれないな…
こないだまであれくらいの年齢だったな〜とJKをみて思ったら,溜まっていた鬱憤があふれちゃったので
だれにもいったことはなかったな。言ってもなんもならんし,可哀想ぶってるとかいわれたら死んじゃうし,悲しくなるから
義務教育にすら支障が出るほどのご家庭の事情があったため,もちろん中卒で
勉強が好きで高校はいかせてやりたいとおばあちゃんが言ってくれたので勉強を頑張り志望校に合格したのだが
きっと,世の中には私よりひどいひとがいて,そういう人でも上手く立ち回ったんだろうなっておもうけど
わたしはアホでビビりで,おかねがなくなって親みたいになりたくなかったし
親の子なのでわたしも上手く立ち回れないとおもい,安全策をとった。
まあそんなこんなでコロナもあり,今のままアパレルにいいても怖いので,事務職に転職したりいろいろしたのだが
(情強なので,PCスキルアピールしたら中卒でもふつうに派遣で入れた。情強でよかった。)
お金も溜まっていたし,コロナを機に掛け持ちバイトは一切やめて二ヶ月の自宅待機でいっきに勉強して高卒認定試験をうけた。
なにせ普通に朝から18時まで働く身なので,フルに勉強できない。
なんか,たぶん私がうまくやれてないだけで
もっと大変な人もいると思う,でも,わたしは無理,キッツって思ってる,
ふつうだったら,ふつうだったら,って呪いのように,言ってしまう。
スヌーピーも,配られたカードで勝負するっきゃないって言ってた。これは,変えられない事実だ。
私よりつらいひと,過酷な人はいる,そういう人でも成功している,ってわかってる
わかってるけど,うるせえ,普通に生きてえんだ,っておもう
無理なんだ,なんで人と違う努力を,人よりハンデが大きいんだよって思う。
きっと,その”私より過酷な環境にいたひとたち”も,そうおもっただろうな,
親はこどもの面倒をさいごまでみるべきであって 脛をかじらせるくらいが,ちょうどいい
っておもっている。
きょう,春季講習にいって,いつのまにか歳がずいぶん離れていたJKたちをみて,おもった。
HPがピンチになったら。行ったら回復してくれるマサラタウンの実家は,わたしにはない。
HP0になって,めのまえが まっくらになって おしまい!になるだけだ。
そもそも,中卒コンプを拗らせている理由だが,思い返してもつrrrっらってなる。
前期受験でうかったので一悶着する時間はあったのだがなにせ時すでに遅し,奨学金すら申し込めず
あ◯なが育英会等も「死亡したことが証明できないと無理です」とのことで
なんとか行かせてやりたいと頑張ってくれていた先生も諦め,合格を辞退して就職する方向になったな
おばあちゃんはひとりでは生きていけないんで(そりゃそうだ)叔母が,実家に来てくれた
クソ田舎の地元のハロワに,先生たちと一緒に連れられていったら
ハロワのひとに「そんな前例(中学卒業してすぐ働く)はないので,無理だと思います」と言われた。
まあそうだよな。今なら,まあしゃーないと思えるけど
卒業式当日,高校いかないということを隠して,それにひとりだけケータイ持ってなくて,「なんで?親にかってもらえばいいやん!」という
無邪気な返答に心砕かれていたじぶんは,とんでもないお先真っ暗感に打ちひしがれ,地元の湖を目の前に泣いていた。
しょうじき当時のじぶんはかなり可哀想である。神様,なんとかしてやってくれ。
地元のごはんやさんと学校とツテがあったらしく,「力になれないか」と言ってくださって
そこで無事働かせてもらえることになった。ほんとうに嬉しかった。
4月1日から働く。友達は,みんな制服だった。いっぽうわたしは黒いエプロンでおばちゃんたちに囲まれ働く。
時給は800円,それが高いのか安いのかすらわからなかったけど,1日8時間働かせていただけるし,社会保険も入れていただけた。
当時はなぜ保険だけに3万も引かれなければならないのかと怒っていたけど,今思うとすgggっごくありがたいことだなあとおもう
どうしても勉強がしたかった私は,通信制高校とか,定時制高校とかを探していた。
なんとか働きながらいけないかと,地元の定時制高校に見学に行ったりしていた。
それをみた叔母は,「行けるわけないだろ,一人で生きれるようになってからやってくれ」というのだ。
16歳目前のクソガキは,なぜ,とただ打ちひしがれていた。
家には,月4万円払っていた。家のご飯は,まかないがあったので食べていなかったし,申し訳なくて食べなかった。
今ならわかる,「クソみたいな姉がのこしてった赤の他人のクソガキ」が,生活もままならないのに学校に行きたいと言い出したらどう思うだろう。
いや,まず出ていけやと思うと思う。
でもクソガキは,それがわからない。なので,なんとかできる,なんとかやるんやと思い込み,16になり自分で携帯が契約できるようになったので
だけど叔母は,認めてくれなかった。
当たり前である。
精神的にすり減っていく毎日,高卒認定試験のことも頭にはあったが,お金がないとなにも始まらないということを知ったわたしは
とにかく働いた。
18になる直前に,わたしはご飯屋さんを卒業し一人暮らしを始めた。
なぜその前から一人暮らしをしなかったかというと,保証人になってくれる人がいなかったので(嫌だと言われました,しかたないね)
保証人がいらない年齢まで待ちました。
学校に行けるぞ,と思っていたのだが
なんか,生命の危機を感じたので,これは学校なんていけねえぞと思った。
夢だったアパレル店員になり,掛け持ちバイトをしながら日々せこせこ働いたな。
色々あったけど,なにをいいたいのか忘れてしまった。
さっき帰宅して,大泣きして,よくわからずキーボードを叩いた。
自分可哀想やな,って思ったらちょっと楽になりました。強気で生きていきたい。
さいきん,自分の思想?に疑問を抱く,保身に走る表現が多い気がする。
もっと堂々と生きたいし がんばったらがんばった,褒められたい!って自己表現したいし
つらかったらつらい!!たすけて!っていいたいかも。自分のこと,大好きかよって思われても,いい
あ,また言ってしまいました 思われてもいいんじゃなく,いや私は私が何より一番大事です。
つらいの嫌いです。甘えだ!!とかうっせーぼけ うんちなめてろ。
スカートは履きたいなと思って書いたので意味を持ちません。さーせん。
追追記
落ちたら情報系の専門学校で2年やって就職か編入学を狙ってます。
コンピュータとインターネットが好きなのと、テクノロジーを勉強するだけで一生を過ごせると思ったからです。
自分は情強と豪語したのですが、情弱なので(どっち?)独学では学べない部分もあると思い、学問として数学や物理を1から全て教えてもらいたいと思い、大学を目指すことを決意しました。
大学で4年間教えて貰えさえすれば、あとは自分で発展させていく自信がまあほんの少しだけあるので、大学に行くことは有用だと思ってます
仕事はそんなに考えてないけど、生活出来ればいいかなぁ…仕事については高みを目指してはいないです。まあコンピュータに関われて、私生活がそれなりに楽しくなれればいいかなぁ ファッションも好きだし。
中卒で色々やってきて、半ば自暴自棄のように「ここまで来たなら好き勝手するぞ!!」という気持ちです。
独学でもできることは重々承知ですが、やるには時間がかかりすぎること、そして自己完結してしまうことがネックだと私の場合考えてしまいます。楽しいですが…
コンピュータは深くて本当に面白いです。とっても楽しい。今頑張れば、色んな人の刺激を受けられる場所にいけると思うと頑張ることも楽しくて仕方ないです。落ちたらつらいな…
研究室とか入ってみたいなぁ
クソド田舎なので、実務経験ある人しか雇ってくれないんすよね。なんかいも求人は探しましたが…
都会に出るのは、地元に恋人も居るので出たくないです。地元Love。
めちゃくちゃわかります。
自分は、やりたいことがやれない場面において
「大学が全てじゃない、学歴が全てじゃない」と自分に言い聞かせてきて色々を落ち込まないように、頑張れるようにやってきた時がありました
でも、実際わたしのやりたいこと、、?やりたいことというか、知りたいこと、知りたいことだな
知りたいことは無限で、まず学校で学びたいということで大学を選びました。
専門の名前を出したのは妥協しすぎってのは自覚してます、ほんとは嫌だ。まあ専門いくなら1年浪人するか独学で貫くかかなぁ
まずは落ちないように頑張ります
色々なアドバイス、ほんとうにありがとうございました。本当にほんとうに、心の支えになりました。
インターネットに愚痴をこぼしてしまって後悔してたけど、撤回します。こぼして良かった。
つぎインターネットで何かを公開するときは、生み出した成果を公開出来るといいな
追追追記
句読点、大泣きしながらmacをバチバチ叩いてたらカンマのままだしてしまいました。
頂きもののmacなので最初からカンマだったんだけど、治し方がわからないというかめんどくて治してないです
小さい頃から家にいたくなかったので、図書館に入り浸ってました。何でも読んでた。
あと人に質問するのが苦手なので(こわいから)自分でなんでも調べたりそっから余計なこと調べたり、雑学で雪だるまのようになった気がします
ホームレスが路上で売っている、薄っぺらい雑誌。売上の半分が販売者であるホームレスに入る仕組みになっていて、早い話がホームレス支援の一環である。Wikipediaによれば発祥地はイギリスで、日本では2003年創刊らしい。
さて、私はビッグイシューが嫌いだ。
載っているのは浜矩子や原発ガーアベガーの左翼たちで、マイルド保守を自認する私からすると反吐が出る記事ばかり。今日も表紙のスヌーピーに釣られて買ってしまったが、目次を見てゴミ箱にぶち込んだ。死んだと思ってた香山リカの名前があってびっくりした。
編集部も編集部でクソ左翼学者を信奉しているお花畑ばっかりなのだろう。クソ左翼学者に私のなけなしの給料が流れていると思うと涙が止まらない、クソ記事なんかより伊藤園のなんたら川柳の方がまだ価値がある。
ただ、自分の足で働こうとするホームレスの人たち、これはすごいと思う。もし私がホームレスになったら何もせずに助けろ助けろ世界が悪い政治が悪いと暴れる自信しかない。募金を募る高校生にはその時間でバイトした金ぶち込んどけよ乞食どもとしか思わないが。
新卒で就職した先で給与振り込み先として三和銀行の口座を作らされて、その時一緒にクレジットカードも作ったんだけど
当時三和銀行はスヌーピーのデザインを選べてキャッシュカードとクレジットカード両方スヌーピーのカードを作った。
その後三和銀行は三菱東京UFJ銀行になって、通帳無し口座かなにかに変更したタイミングでキャッシュカードはスヌーピーじゃなくなっちゃったんだけど
1年に1度くらいの頻度で会計の時に出すと店員さんに「可愛いカードですね」って言われたりしてかわいいなーって思って使い続けてたのでちょっと嬉しかったりした。
お財布を開けた時に覗くスヌーピーのかわいさに年会費払ってた。
一昨日、表に「大切なお知らせです」って書いてある封筒が届いて、開けてみたら来年の3月末でサービス終了のお知らせが入ってた。
今のカード番号を使い続けるには普通のデザインのカードに変更する必要があるらしい。
スヌーピーカード自体はVISAにあるらしくそのチラシも同封されてたんだけど、
AmazonでBRUNOのホットサンドメーカーのダブルを見つけたら新品が1万円くらい。
ちょっと高いなーと思い中古を探したら状態の良さそうなやつが7500円だった。
これええやん!と思い聞いてみたら、中古は嫌だのスヌーピーのやつが良いだのと文句を言い始めた。
ホットサンドにスヌーピーの焼印がつけれるのとスヌーピーの人形焼が焼けるようになるだけでプラス4000円!!
嘘でしょ?別にホットサンドメーカーにスヌーピーが描かれてなくたって良いじゃないかと説得するもののどんどん不機嫌になっていく一方。
しょうがないのでメルカリで探してみたら人形焼プレートが抜かれている新品が1万円だった。
(主に人間の)好き嫌いが激しい上に、一度無理と思うと何が起ころうとその対象の評価が上げられないタイプの人っているけど、ああいう人たちってある一定までいくとそういう闘いから卒業できるもんなの?
今まさにそういうタイプの人に絶賛嫌われ中なんだけども、やることなすこと全部気に入らないらしくて、もう坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいで私の好きなものまで嫌うレベルになってきてるんだけど、ここまでいかなくてもこういう「一度嫌いと思うともう評価を覆すことができないタイプの人」ってのは強弱はあれど割と珍しいタイプの人間ではないと思う。
こういう好み不可逆…でも好きが一点、嫌いにもバーンと落ちる事があるから「好み」が不可逆って訳ではないけど、この嫌悪の感情激しめの人間って、どっかで無理出てこない?どんどん選択の余地なくなってくと思うんだけど。その辺は色々と「例外」を作って生きていくのかな。
「生理的に無理」とかいう超絶主観の世界の話だもんなぁ…絶対的に自分がルールブックだからどうにかなるのか……?
今、私のことをひたすらに嫌い続けてる人は私が好きな音楽、作家等のコンテンツまで嫌っていってるんだが、私はめちゃくちゃに雑食なので私がライトに愛好してるコンテンツまで含めると相当な制限がかかると思うのだがどうなるのだろうか。
幸いなことにその人とは年内いっぱいの付き合いで終われそうなので、色々なコンテンツについて好きを公表していこうと思う。
嫌うって適当に好きでいるより体力要りそうなのに「生理的に無理」でよく自縄自縛にならないんだなぁ(なるのか?そこが知りたくもあるんだが)と不思議だ。
本人は毎日私を嫌悪して楽しいんだろうか?当たり前だが言いがかり的な理由、もしくはほぼ理由なしで毎日ヘイトを向けられるのは精神削られるし、同じ空間にいるひとたちにも緊張を強いているようで居心地が悪い。
これで本人が楽しく嫌ってなければもうlow-low(何だったら変な空気毎日見せられる周りもlow)な訳だが……
やりきれない。
どうなの?果てはあるの?嫌いの基準はどこまでも自分軸なのに好きなものを捨てるのは嫌いな他人軸ってめちゃくちゃ面白くなくね?
私がスヌーピー好きだからって使うの辞められた定期入れ、どうなったんだろう。
疑問形式をとったが、本当はつらくて書いた。ほんと不毛な消耗戦キツい。自分の敏感さ、感覚の鋭さみたいなので私で勝手にダメージ受けてそれをアンプみてぇに増幅すんじゃねぇよ。
個人的にあんたに何の感情もなかったけどここまで嫌われて嫌うなって方が無理で、でも人を嫌うのってやっぱエネルギー使うから毎日疲労が半端ねぇ。
ヘイト撒き散らすな。かったりぃ~!!
でつ ← スヌーピーに見える
LINEの背景は自由に変えられる。白や黒みたいなシンプルなカスタムなら無料でダウンロードできるし、150円出せばサンリオだのディズニーだのキャラクターものの背景を手に入れられる。目移りするけど、パステルカラーのキキララなんてどうだろうか。思わず、大切な人にプレゼントしたくなるようなピンクのハート柄。LINE側もそういうニーズを把握しているのか、「背景の着せ替えをプレゼント」という機能がある。だれかのアカウントを選択、「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでにこの着せ替えを持っています」すでに持っています?、戻る、「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでに…」
真冬だったと思う。平日の18時過ぎ、待ち合わせた喫茶店はそれなりに混んでいた。彼の第一印象は、「やぼったい人」だった。ぶかっこうに厚手のコートと毛玉のついた黒のマフラーは、その印象を強めていた。
「君の服、あったかそうだね」
彼は、私のことをときどき「君」と呼んだ。若者らしくない古風な話し方で、それもまた彼のやぼったさを加速させていた。彼の性格が好きだった、とはっきり言えると思う。彼と話しているときにふと感じる、昔から知っていたかのようななつかしさが好きだった。彼のやぼったいルックスも、モクモク煙るセブンスターも、大きすぎるいびきも、全然好きになれなかった。だけど、私は確かに彼が好きだったのだ。彼はときどきうちにやってきて私をぞんざいに抱いたあと、「君とは身体の相性がいいような気がするな」などと抜かした。私は適当に相槌を打ったのだが、いつも酔っていたので正直なところよくわからなかった。口づけの煙草臭さだけを覚えている。うちのアパートは禁煙だから、というのにどうしても煙草を吸いたがるので、ベランダに出して吸わせた。真冬だったと思うので、相当寒かっただろう。もしかしたら、そのせいかもしれない。
映画に行こう、と切り出したのは私からだった。観たい映画があったのだ。彼はふたつ返事でOKし、映画の前にお茶しに行こう、という約束を取り付けた。お世辞にもデート向きとは言えず、とうていヒットするとは思えない作品だった。ストーリーが暗いことが目に見えて明らかだったし、主演の俳優も有名ではなかった。今思えば、私がその映画を観たくなったのは、彼と会う口実が欲しかったからだったのだ。
待ち合わせはスカラ座だった。真冬だったと思うが私は髪をアップにし、首をすくめながら日比谷線に乗り込んだ。スカラ座の近くにどんな喫茶店があるか調べようと思ったが、私の携帯電話は通信速度制限の真っ最中で、調査は難航した。彼に午前中送ったLINEの既読がまだ付かないことが心配だったが、それも通信速度制限のせいかもしれなかった。
スカラ座に着いてしばらく待ったが、彼は現れなかった。電話を入れたが、18コール目でもついに取らなかった。先にチケットを買っておこうとしたが、彼の座席の好みが分からなかったからかけたのだ。仕方がないから、とりあえず真ん中のほうの席を2つ押さえた。
真冬だったと思う。土曜の19時すぎ、待ち合わせから1時間経ったが彼は現れなかった。LINEの既読は未だに付かなかったし、電話が取られることもなかったが、これはおそらく通信速度制限のせいだろう。彼との関係を前々から相談していた先輩にこのことを報告すると、それってLINEブロックされてるんじゃない?と返された。先輩からLINEが返ってくるということは、通信速度制限はLINEの送受信に影響がなかったということだ。ふと思い立ってFacebookのメッセンジャーを開いてみたが、彼の名前は友達一覧になかった。私はひじょうに混乱したが、昨日したLINEのやりとりは確かに今日を約束していた。
「もちろん!!」
映画のチケットは2枚あったが、1枚はナチュラルローソンのゴミ箱に捨てた。わんわん泣けたらよかったのだが、なんとなく泣けなかった。そのままナチュラルローソンに寄って、いつもは買わないちょっと高いコーヒーと、いつもは買わないちょっと高いお菓子を買って、その足でスカラ座に向かった。驚くほど落ち着いた素振りで上映室に入り、買ったばかりのお菓子は予告編のあいだに食べ切った。映画のストーリーは暗かったし、出演者の俳優もあまりよく知らない人ばかりだった。正直、つまらない映画だったと思う。驚くほど落ち着いた素振りで家まで帰ろうと思った。乗り込んだ地下鉄が自宅と逆方向だと気がついたときには、すでに15分以上電車に乗ったあとだった。日比谷線のアナウンスを聞きながら、ああ自分は捨てられたのだ、という自覚がようやく出てきて、ちょっと笑ってしまった。捨てられたくらいで傷ついたわけじゃない。ただどうせなら、思い切り引っぱたいてから捨ててほしかったのだ。
私は大人になって、彼のことをすっかり忘れていた。彼と何の関係もない知人と、数日前から連絡が途絶えている。コロナウイルスが巷で騒がれている時期なので、一人暮らしをしているその人の安否がとても気にかかった。連絡をとりたい人がいるんだけど、LINEブロックされてるわけじゃないんだよね。なのにいつまで経っても既読もつかないし、電話もつながらなくて。その不安を友人に吐露すると、彼女に「LINEがブロックされてるかどうかなんて、どうやってわかるの?」と返された。わかるんだよ、なんて返事をしながら、私は息が苦しかった。この人は、今までつながっていた誰かから一方的に拒絶された経験がないのかもしれない。この人は、グーグルで「LINE ブロック 確認」なんて検索ワードを打ち込んだことがないのかもしれない。この人は、私が今抱えている種類の不安を想像することができないかもしれない。誰かとつながっていたい気持ちばかりが肥大して、コミュニケーションを遮断されることを必要以上に恐れている自分の自意識に心底嫌気がさした。なにも知らないで「そっち側」にいる彼女が本当にうらやましかった。相手が自分を拒絶しているかどうか、知ろうとしたことすらない彼女のほうが、私なんかよりよっぽど自然に誰かとつながっている。
私は負け組だ、と思った。
夜中にふと目がさめて、あの時映画に誘った人の名前をLINEで検索してみた。プレゼントする背景は、トイ・ストーリーにしてみよう。「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでにこの着せ替えを持っています」、笑っちゃうな、あなたみたいなやぼったい人がLINEの背景を着せ替えなんてしているわけないでしょう、ディズニーの映画なんて見たこともないくせに、私を嫌いになったなら嫌いになったと一言いえばいいでしょう、なんの会話もなく捨てられるのは引っぱたかれるよりよっぽどつらい、人間関係をシームレスに終わらせようとしてんじゃねえ、ナメられたもんだな一方的に拒絶するなんて、何のつもりなんだ、ふざけるな、クソ、
彼はディズニーだけじゃなく、スヌーピーとBT21とスポンジボブとハローキティとムーミンとあらいぐまラスカルの着せ替えをすでに持っているようだった。あのやぼったい彼が本当にそのすべての着せ替えを持っているとしたら滑稽だ。あのやぼったい彼が本当はいずれの着せ替えも持っていないとしたら、それもまた滑稽だ。なんにも知らないで、私のプレゼントまみれだ。なんだかすごく笑えて、また息が苦しくなった。あと何回こんな思いをしなきゃいけないんだろう、と想像すると、明日世界が終わっても全然かまわないと思える。
人によって難易度も攻略法も異なっていて、クソゲーだと言う人が多いのかもしれない。
ただ、根本的に流れているものは一緒であり、色々と分かってきたことがあるので書きたい。
書いたところで、私の存在は消されるかもしれない。
人生というゲームのルール、あまりそれは明らかにされていない。
基本的には、スヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」である。
どんな手札が配られているか、それを確認する方法は古代中国で編み出されている。
算命学である。
この算命学で、基本的にはどんなタイミングでライフイベントが起こるか定義されている。
なぜかわからないが、古代中国の人はよくもまぁこんなものを発明したものだ。
あとはルールが7つ。
・徳を積み、罪を犯さないこと。
・人事を尽くして天命を待つこと(努力をし、決して怠らないこと。チャンスがあれば必ず掴み、離さないこと)。
・天命には従うこと。特に大きな啓示は何らかの形であることが多いのではないかと思っている。
・人に騙されないこと。
・他人を幸せにすること。人の悪口を言ったり他人をこき下ろしたりしないこと。
これだけ。
人生の各ステージにおいて、各人において到達すべき点があり、怠けたがために到達しない、ということがあれば、その後の人生に決定的に必要なピースを欠くこととなる。
可能性の広がっているときに、下位の目標でいいやと妥協してしまうと、その後大変なことになる。
また、天命に従わないと大変なことになる。
神様、というものがいたら、その人の人生を詰ましにかかるので注意されたし。
結局、よりよく生きるしかないのよね…