はてなキーワード: ゲームプログラマとは
はてなは任天堂に協力してMiiverseなどの開発に携わっているし、
その任天堂の「社長が訊く」はホッテントリの常連だったし(R.I.P.岩田社長)、
ドラクエ絡みの「なぜ魔王は~」ネタもはてなでは鉄板だったし、
かの有名な創作実話「ゲーセンで出会った不思議な子の話」もはてな民には受けが良かったし、
はてなアイドルの青二才をはじめとしてフリーゲームの話題もちょくちょく見かけるし、
スパ帝や真性引き篭もりなどのブログもたまにホッテントリ入りしているだろうがーッ!
これを見ろ!
『4Gamer.net』 の人気エントリー - はてなブックマーク
これも見ろ!
『ファミ通.com』 の人気エントリー - はてなブックマーク
いろいろブクマされてるだろ!
職種はプログラマです。
結論から言うと「辞めて本当に良かった」
では詳細。
○やめた理由
1,残業が多すぎてやってられなくなった。
自分がたまたま忙しいプロジェクトに送られ続けたせいもあるが、まぁひどい生活だった。
これぐらい働くと体感としては「寝て起きて仕事して寝る」だけの生活。
土日は1周間の疲れとストレスをせっせと吐き出して、なんとかバランスを取る。
2,給料が安くて話にならなかった。
基本給が16とか17とか。
幸い(感覚が狂っている)残業代は出るけど、残業代出ても底辺SEレベル。
3,ゲーム開発と全く関係ない部署に飛ばされたりして気が滅入った。
同じ目にあって自殺した人が居る、とニュースでみたりしたけど、気持ちはよく分かる。
何のために俺はゲーム業界に入ったんだともがき苦しんだ。毎日吐き気がした。
正直死んだ方が楽だった。
・開発期間が無謀すぎる。
・クライアント(ゲーム素人)のヘボアイデアに振り回されて仕様がコロコロ変わって無駄足ばかり。
・仕事時間が長すぎて、多少好きなぐらいじゃ賄えないぐらいの嫌気。
など、言い出せばキリはない。
あと最近のゲーム開発は、ファミコン時代と違ってプログラマには何の権限もない。
言われた物を言われたように作るだけ。ただのライン作業。ゲームプログラマではなくただのプログラマ。
パラメータ調整も企画屋が出来るように作るから、自分たちはゲーム部分には何も関わらない。
良いプログラマになればなるほど、ゲームからは遠ざかっていくのは本質ではあるので、このへんはなんとも…
○辞めるまでの流れ
過度のストレスが続いたせいで、パニック障害気味になって医者に止められた。
給料安かったから貯金もそんなになかったけど、この不毛なゴミのような日々から抜け出せるならそれで良かった。
○辞めてから
辞めてしばらくNEETした後、知り合いから仕事紹介されて今に至る。
仕事は定時帰りで、その感謝の意味も込めて密度を上げようと頑張っている日々。
○辞めて良かった事
1,朝がゆっくりになった
2,残業無くなった。
基本0になった。
3,給料上がった。
前職の残業代込みの額が定時帰りでもらえる程度には。
いやぁ、楽になった。本当に良かった。
1日が6時間長くなったと考えて良いわけだから、この転職でどれだけ膨大な時間の自由を手に入れただろうか。
日々が楽しい。今は趣味制作なども安定してやれていて、この日々が続けばいいなと思っている。
○辞めて悪かった事
なし。
私達が避けるべき事は「10年後使えない人間になっている事」これだけです。
日々勉強をしましょう、仕事に前向きになりましょう、そのために前向きになれない労働環境から逃げましょう。
○終わりに
「きっと偶然上手く行っただけなので、鵜呑みにしないがいいですよ」と。
転職云々は抜きにしても、プログラマは色々な会社のやり方見たほうが良いと思いますけどね。
化石みたいな文化が当たり前みたいに蔓延ってることが多々ありますので。
おわり。
SEだなんてつまらない。なぜか? つくるものを自分で決められない。お客様の望むとおりにいたします。ふざけろくそが。プログラムを作って売って生きて行きたかった。自分で作るものを決めてその通りに作り、それを売って稼ぎを得たい。使ってくれた人の満足が、お金に変わるような仕組みが必要だ。雇われるのではなく、雇ってみたい。企業して社長と呼ばれてみたかったのだ。
コードコードコード。それが全てだろう。それ以外の作業の全てはコードを気持よくかけるためにやるのだ。当たり前だ。それ以外なんてゴミより価値がない。
ゲームプログラマになりたいと一瞬くらいは妄想した。だがやっていけないだろう。いや本当にそれしかなかったのなら、できたはず。でも俺はそれ以外で進んでしまった。好んで崖から飛び降りる真似なぞどうしてできる。だが、このまま進んでいっても足から腐っていくのだ。わかっているわかっているのに。どうすればいい。俺は創りたいんだ。
創る。ただそれだけだ。俺の価値観はそれだ。創り出せる者は、人を名乗る資格がある。それ以外はゴミだ。人ですらない価値のないもの。どうしてこうなった。自分が無能であることは知っている。たかだか受験勉強程度すらできなかったのだ。俺は俺の思うとおりにやると間違うのだ。何も正しくなかった。俺の中に正しさなんてなかった。だから予備校が言うとおりにやっただけだ。凄いのは俺ではなくて予備校のカリキュラムだろうが。何も考えずに言われた通りにすることなら、人でなくてもできるじゃないか。高学歴?寝言は寝て言え。毎年毎年何万人も生まれるような高学歴に、いったいなんの価値があるんだ。
その気になれば今でもできるのだ。そうだろう? ちょっとクリックするだけですぐに環境は手に入る。俺はJAVAを雑魚並には知ってる。学習コストは低い。なぜやらないのか。
仕事の苦痛をやわらげるために、何拍が置かなければいけないのではないか?
マイナスに振れた針をゼロに戻してからスタートしなければいけないのではないか。そのために。ただそのために。時間が奪われる。ゼロに戻ってからやっとスタートできるんだ。いややはりこれは甘えか。言語化した時点で陳腐化は免れない。俺はもう届かないのかもしれない。もう届かないとわかったなら。生きる価値なんてないだろう?
コード書くのが楽しすぎて何日も徹夜してしまうような体験を俺はしたいんだ。自分の指先が描くコードがこの世界を変えられると信じたいのだ。俺はロマンチストなのだ。そう考える。考えるくせに。なんで何もしないんだ? 馬鹿なのか? ゴミなのか? どうしてそんな面して生きていられるんだ?
今このファイルをとじた瞬間から、コードを書き始めればいい。つくりかけのゲームだってある。Webサービスの設計だって用意をはじめている。やればいいだけだ。足りないのは、時間時間時間。それもいいわけか? 時間なんて作れば良い。 いやできないんだ。マイナスからプラスに振り戻すには反動がいる。時間もかかる。逆に考えろ。その程度なのだ。俺にとってはその程度。だからいつまで経ってもできない。
考えてみろ。今から10年後に俺は何をしている? システムエンジニアとやらか? お客様に最適なソリューションをインテグレーションいたしますと、澄ました顔で言っているのか。
怖い。
それは何を創るんだ? 誰のために? なんのために? 何を創れるんだ?
わけのわからん会社の、どうでもいいような業務のために、コードを書くのか?
しかも自分の手は動かさない。こんな仕組みを実現するためのコード書けとほおりなげるだけだ。
それで生きていくなんて、自分を許せるか?
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。
元増田です。書くのは初めてなんだけど、たくさん反応があって嬉しい。
内定が出た時は宝くじが当たったような気持ちだった。本当に無知だった。
卒研ではC++とOpenGLで朝から夜までプログラムを書いてて楽しかった。
ゲームプログラマに興味があったのは、そういう事ができそうな気がしたからだと思う(実際どうなのかは知らないが)
VB製ソフトの機能追加や改修をして、データベースを弄り、Excelにテスト結果を書く日々。
他にも諸々の書き物があり、Excelを使っている時間の方が長い。
全く楽しくない。辛い。上司や近くの人も黙々と同じ事やってる。
blogを読むときに必要なのは"どうしてだろう?"って考えること。blogを読んで何か納得するのは正しい読み方じゃない。
当該ブログは、部分的に正しいし、部分的に間違っている。特に昔話とコンピュータアーキテクチャの類には多くの異常な主張があるので(意図的かも知れない)、それを探して検証してみるのはとても勉強になると思う。
現場に関する話は、うーん、それほど悲観しないで欲しい。
ただここを読んだ若い人があまりアポロン的になってもいけないので一応警鐘。偉大な先人の多くはゲームを作るために生まれてきた訳じゃないことにもっと関心を持って欲しい。人間を形作るのはゲームづくりだけ?違うよね。
http://blog.livedoor.jp/woopy_doo-game/archives/50938887.html
アドレスレジスタが16bitしか無い様なハードウェアしか存在していませんでしたから(ファミコン、PCエンジン、みんなそうです。メガドラは違いますが)、増加するリソースへの対応が必須でありました。あのアーキテクチャは当時も我々プログラマが提言したのです。
...
呑み会に行ってもハード屋とプログラマは喧嘩ばかりでしたが、バンクアーキテクチャは我々が勝ち取ったものです。事実上無限のメモリ空間を手に入れましたからね。
メモリバンクはゲーム機固有の仕組みじゃない。というわけで、ゲームプログラマが提案したのは多分ゲームシステムにメモリバンク(バンクメモリ? Bank switching?)を導入させたこと、と、読むことにする。
でも、ファミコンを含めた初期のゲーム機、それこそAtari2600でもメモリバンクは実現されていた。これはアーキテクチャがそのように作られていたからではなく、小規模のハードウェア追加でこの仕組みは実現できるからだ。ハードウェアはカートリッジ側に内蔵されていた。ファミコンの音楽に詳しい人ならVRCとかFME、いわゆるマッパーといったチップが内蔵されていたことを知っているだろう。
これらのハードウェアの追加をプログラマが提言したというのは言い過ぎと言える。技術自体は既にあり、採用するのは非常に自然な流れだった。ハードウェアの技術者であっても反対しないだろう。32bitの(アドレスバスを持つ)CPUを導入するのに比べれば、メモリバンクのためのハードウェアはずっと容易に採用できる。
直接的なコピーは彼らにも防げていない。彼らが売っているのはマルチプレイ用のアカウントと考える方がすっきりする。MMORPGと同様に、コピーできないゲーム体験を売るという点では一定の成功を収めている。
何もブラックボックスがないDRMは機能しない。Steamでいえばブラックボックスはゲームサーバであり、PS3とかXbox360で言えばハードウェアそのものがブラックボックスになっている。
ゲームが作りたい。
着ている服のポケットにライターが入っていたことをふと思い出して、それを取り出してとりあえず火を点けてみたように、ほんの小さな、しかし確かな、そういう情熱が出てきた。
そんな風に思ったのは、かつて自分がゲーム好きであったからだろう。ゲーム好きが高じてゲームクリエイターを志望した人は、ゲーム開発者の7割がたであると推測している。
でも、(プロの)ゲーム開発者になって、一体どんなゲームを作りたいの?というと、答えが上手く出せない。
「自分はこんなゲームをやりたいんだ!」と形にする、自分の中にある世界を表現する道具としてのゲーム、そういうのは売ることを考えずに同人で作るのが主流になっているようだけど、それは何か違う。好きなゲーム・ジャンルは確かに持っているけど、自分は受け手として満足をしてしまうほうなので、それにインスパイアされて似たようなゲームでアウトプットをするなら、他人には素直に自分の好きなゲームを紹介したほうがいいように思える。そっちのほうが完成度が高い。ただのゲームマニアに本当に面白いゲームは作れないというのが持論で、自分も一介のただのゲームマニアに過ぎない。
(個人的には、ゲームの企画書にシステムそっちのけて世界観やストーリーをびっしり書くという輩が未だにいるという話が信じられないのだが、これはFFやDQその他RPGに影響されたからなのだろうか)
ここ最近、任天堂が推進している「新しい遊びを作る」という運動には共感しているのだけど、自分はそこに一助などできそうにない。「体重を量るだけで楽しい」「楽器の演奏は難しいから簡単にできるようにしよう」「パラパラ漫画をみんなに紹介できる場を作ろう」という発想は自分の頭のどこをひねり出しても出てきそうには無い。一時期はファミリーベーシックみたいな感じで「専用のプログラム言語でキャラを動かして寸劇みたいなのが出来たらクリエイティブで面白いのではないか」とか考えてたけど、具体性は出せなかったし、夢物語だろう。
プログラマ、デザイナー、音楽など、専用のスキルは全く持っていないし素養もない。企画力もないように思う。あるのは半端なゲームの知識だけ。
(最近だとアンサイクロペディア、昔からも言われている話だけど「ゲームの専門学校生はレベルが低い」、どうなのだろうか)
プロデューサーというのだろうか、商品としてゲームを売り込みたいのでもない。企画の失敗、スケジュールの問題、商売という制約によって仕方なくクソゲーを作ってしまうことにも恐怖を覚える。
こんな感じでゲームを作りたいという割にはゲームで何をしたいのか今ひとつ解せてない。自分は子供の頃に「ゲームプログラマになりたい」とホザいていたけれど、結局プログラムに手を出すことはなかったし、自己分析をしてみて、ゲームを作る能力には欠けた適性ある人材ではないように思う。
ゲーム販売店に並べられたソフト、ゲーセンに並べられた大型筐体やビデオゲーム・・・そのラインナップに自分は何か貢献できないだろうか。昔ほどゲームが好きでもなくなったけれど、今はそう思っている。
ゲームを作るためには、具体的に何をすればいいのだろう?
コンシューマーゲーム業界より。
自分も30代前半。職業プログラマになって10年程度。上記のように前例があるので、10年後も大丈夫だと思ってる。
もちろん、何もせずに大丈夫だとは思ってないよ。それは他の職種も同じだけど。
さておき、その会社はブラックなのか?昇進しない(肩書きがか?)と給料上がらないって酷いね。
管理職への昇進でなくても、メインをはるプログラマとかはそれなりに貰うだろう。
あと、ゲームプログラマはつぶしが利かないって?そんなバカな。
ゲームプログラマだけどなにか質問ある? 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
同業として気になったので。
ゲームプログラマという職種は新しいものなので、この職業の人間が年を取ってどうなるかという先例がない。うちの会社のプログラマは最年長でも40いってない。それより上は元プログラマで管理職になっていたり、サポート部でネットワーク管理や機材の調達をやってるのが数名いるだけ。業界全体を探せば、俺が子供の頃ゲームプログラマだった人達がそれなりに存在するはずなのだが、今はどこで何をやっているのか、会社を興したような有名人を除くと、とんと話を聞く機会がない。
ゲームプログラマとして10年経って35歳を過ぎたが、更に10年後は自分が何をやっているかのビジョンが持てない。俺も職場の仲間も10歳年を取っているだけで同じことをやっているのだろうか。今後新しい技術を持った若い人が入ってくると思われる中、自分達は家庭を持ったり体力が衰えたりして仕事や勉強に割ける時間は減っていき、第一線に踏み止まることが難しくなる。転職するにしてもゲームプログラマは技術的につぶしが効かないので、他の業界には行けない。市場が縮小し業績が悪化している上に上の人間が定年でいなくならないので、管理職への昇進も可能性がほとんどない。経済に疎いので、自分で起業するような知識は全くない。
他のゲームプログラマと話す機会があったら是非聞いてみたい。10年後にあなたは何をやっている予定ですか?と。ちなみに俺は、仕事は嫌いではないのでこのままでもいいんだけど、昇進しない限り給料が上がらない仕組みなので、10年後もこの安月給(手取り22万)かと考えると、このままではいけない絶望感に襲われる。俺も含めゲームプログラマは、ゲームが好きだからと将来のことをあまり考えずに業界に入り、仕事をしている人が多いように思う。それとも他の職業もそんなもんなんだろうか。