はてなキーワード: ファミコンとは
・ムービーが我慢出来ない
・メッセージは読まない
辺りはむしろファミコン世代オールドゲーマー(殆どはとっくに引退済みだろうが)の特徴っぽい。
ムービーの質でゲームの優劣を計る今時のゲハ厨には信じられないだろうが、
ゲームにムービーと言うものが含まれ始めたPS・SS時代の当時のゲーマーの間では
「いちいちムービー強制的に見せんな鬱陶しい」と言う意見が大多数だったんだよ。
当時ムービーを喜んでたのはライトユーザー。で、ゲーマーはそれを見て「ムービーに騙されて糞ゲー掴まされるガキ&ド素人」と馬鹿にしていた。
そして双方が車の両輪の如く、ほぼ一致していることが理想的なロールモデルと言われるようだ。
大雑把に言って、肉体年齢の2/3くらい。
その幼さ故、正直かなり行き詰まりを感じている。
振り返れば、小学校高学年の時点で戦隊物やドラえもんを卒業していなかったし、中学生になってもコロコロコミックがプッシュするビックリマンシールに興味があったし、高校はファンタジー系ラノベとアニラジとモータースポーツにハマり、大学はテレ東のアニメと声優とプレステのゲームに耽った。
20代はその延長で真面目系クズの社畜としてヘタレに仕事しつつ深夜アニメを毎週チェックし、一方で今更服や髪型に凝り出す。30になったくらいからアニメそのものをほとんど見なくなりニコ動にシフトした。
そして30代半ばの今。
肉体的には美容院でアンチエイジングのスカルプを施し、徹夜ができなくなり、下腹部の膨らみを恐れる状態なのに、見た目的には大変幼いのか、現役の大学生とかから高確率で院生に間違われる。仕事では年下から「ずいぶん若いのが来たなあ・・・」と思われたこともあった。
流石にアニメにはどっぷり浸かってないけど、それでもけいおん!やまどマギやISやあの花は面白いと思ってしまった。
そんな調子なのでもちろん未婚だけど、いい加減落ち着きたい。「一人は寂しい」と思ったときは手遅れだろうし。
要するに自分は、小学校低学年でドラえもんや戦隊物を卒業し、高学年をコロコロとファミコンで過ごし、中学高校でジャンプとサッカーとプロ野球を楽しみ、大学でトレンディドラマ()とミリオンセラーのJ-POP()をハシゴしつつコンパとバイトに明け暮れ、20代後半で結婚して、今は子供が2人いて仕事では役職持ちみたいな、自分の世代にとってごく一般的な道からは、全く外れた人生を歩んできたわけだ。
お陰で、若い人とはそれなりに気が合うものの、周囲の数少ない同年代とはいつまで経ってもスムーズにコミュニケーションを取れないどころか、年を追うごとに相手は大人・自分は子供という精神的成熟度の差を実感するようになるばかり。
ましてや年上の人からは完全に舐められ、軽く見られている。そりゃ年齢の割には不器用だし甘ったれだし色々迂闊だし「こいつは本当にいつまでもガキなんだよなあ。もう少し大人になれよ・・・」と思われるのも無理は無い。
多分、肉体年齢と精神年齢の乖離はこれからどんどん酷くなる一方だろう。精神の成長速度が肉体のそれより著しく遅いのは、これまでの自分の歴史で明らかだからだ。
つまり、このまま行けば30歳の心を持つ45歳、40歳の心を持つ60歳、50歳の心を持つ75歳という具合に年を取り・・・もはやホラーだが、ほぼ確定の路線と思われる。
正直言って怖い。
こんなはずじゃなかったのに・・・。
そうは言っても、これまでもこれからも、他の人と交流しながら年を重ねていくしかないのだが、問題は交流する相手だ。
一体、どういう人達と付き合っていけばいいのか、皆目見当もつかない。
子供じみている自分と、付き合う相手の人生が、お互い少しでも良い方向に変わる可能性のある交流ってなんだろう。
ありがちな「ソーシャルゲーはコミュニティ内で優位になる為に金使うんだよ」論だけど。
まあアレだ。実際にやってみれば分かる。
アイテム無料入手(或いはその他のゲーム上のメリット)目当てで友達作ったって、招待したって
だって殆どの人はお互いゲーム上のメリットを得る為と割り切って「友達」契約しているだけで、本当に友達を作ろうとしている訳じゃないんだから。
あの世界の「友達」は「お前は黙ってこっちにアイテム贈りやがれ、こっちも黙ってアイテム贈り返すから」と言う人間関係を指す単語だ。
本当に「お友達扱い」して話しかけたりしたらウザがられて友達解除されるのがオチだ。
そもそも
「『他人からどう見られたい、どうなりたい、他人より早く成長したい、こうした気持ちを奮い立たせ』なければ金出す筈がない」
と言う前提がおかしい。
かつてドラクエやってた小学生は学校で友達と進み具合について語り合っていただろうけど、
子供が寝た後に子供のファミコン使ってドラクエやってたお父さんは会社でドラクエの話なんてしていなかっただろう。
ビックリマンシール集めていた小学生は学校でどんなシールを集めたか自慢し合っていただろうけど、
トレカ収集する大人ヲタはヲタ友なんて居ないけど自己満足で集めているという人が多いだろう。
子供のうちは趣味=コミュニティ内の人間関係維持の為に行うもの、という子が多いだろうが、
大人になれば完全自己満足の為に趣味に金や時間を投資する人間なんていくらでもいる。
コンシューマゲーも「やりこみ」と称してキャラクター強化だのレアアイテム収集だのモンスター事典埋めだのしている大人の殆どは
それを友達に自慢するわけでもなく単に自己満足でやってる人だろうに。
ドラクエでキャラ全部LV99にしたぜ、ったってそれが自慢になるのは子供だけだ。大人になったら「お前暇だな」としか言われんわ。
基本はシャドーボクシング、とか
結論だけ先に考えて無理やり当てはめたんだろうなあ。
今時「ファミコンが日本を駄目にした」と言ってる人なんて見た事も聞いた事もないのに
(っつーか「ゲーム叩き」自体がもうオワコンかと。ゲーム脳が最後の流行)
今時の子供にとって塾や習い事は友達とコミュニケートする場と言う事も知らないわ…
(「友達が皆塾行ってるから自分も行かないと仲間外れになる」と言う理由で行きたがる子もいるんだぞ…
親側にとっても共働きが当たり前だから親が居ない家に他所んちの子供を入れたくない、かと言って今時は公園も治安が悪い所が多い、
でも子供に塾や習い事やらせてその先で友達と遊ばせる分には楽で安心だし)
そもそもゲームボーイブームだって友達と一緒に遊ぶ事が前提のポケモンが火付け役だろ…
いくら最近ネタ無い(或いは最近の流行についていけない?)からってこれは無茶ぶり過ぎだわ。
結論だけ先に考えて無理やり当てはめたんだろうなあ。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120112/p1
稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友達とのスケジュール調整が難しくなるということ であり、一人で遊ばざるを得ない時間が増えることでもある。
稽古事や学習塾が、同年代と遊ぶ時間を奪うだけのものであるというのは間違い。
中学受験の塾では、志望校ごとのクラスが作られるので、そこで中学入学前に友達を作っておくことができるし、
高校受験の塾でも同様のことが行われていた。
稽古事や学習塾は、別の学校に通っている同級生との出会いを生む場になっている。
友達や配偶者が居ないデメリットを金で解決できるようになったからだと思う。
だから一人暮らしは成り立たず、誰もが「親の家から出てすぐ結婚」もしくは「親の家から出て下宿を経て結婚」という道を辿っていた。
家事負担が家電の登場という「技術の進歩」によって軽減した今では、男たちには無理に結婚して他人と同居し、養ってやる必要がない。
女たちにとっても、均等法の施行によって自力で稼ぐチャンスが生まれたので、好きでもない男で妥協してまで結婚する必要がない。
旧世代の人間にも、今の世に生まれていたら結婚などしていなかったという人間は多いのではないか?
熟年離婚の多さがそれを物語っているような気がする。彼らは元々結婚に向いていなかったのに、結婚しないと生活できないから無理に結婚していたのだ。
友達が居なくても生きていけるようになった理由も、「技術の進歩」だ。
ゲームが無いころヒマでヒマでしょうがなかったのが、ゲームをやって楽しく過ごせるようになった。
自力で解決できない困ったことが起きたら知人に解決策を聞かなければならなかったのが、ネットで調べれば知人より精度の高い答えを得られるようになった。
夜中に急にものが必要になったときそれを持っている知人を頼らなければならなかったのが、深夜営業の店が増えて簡単に入手できるようになった。
ニッチ・レアな製品を手に入れるためにはオタクコミュニティに属して関係構築しなければならなかったのが、
ネット通販やオークションで金さえ払えば手に入れられるようになった。
「技術の進歩」によって、コミュニケーションをしなければ得られないものが減った。
コミュニケーションをとらなくても生きていくことが、欲望をみたすことができるようになった。
今あえてコミュニケーションをする人々は、コミュニケーションが目的である人だけだ。
コミュニケーションを手段としてしか捉えていなかった人間は、今の世の中ではする必要がなくなった。
それによって少子化による経済停滞や孤独死の増加による巡回コストの増加も進むだろうが、時代を元に戻すことはできないだろう。
友達同士の助け合いには金銭が絡まないので税は取れないが、友達がおらず企業によるサービスを利用する人からは税を取れる。
恋人同士や夫婦間のセックスには金銭が絡まないので税は取れないが、キャバクラや風俗では税を取れる。
国の思惑はそうだったのかもしれない。
僕が小学生だった頃は、友達とファミコンの話ばかりして、友達の家でファミコンをするのが楽しかった。
ちょっと風変わりなテクニックから、裏技バグ技まで、ほとんどは口伝えだった。
攻略本というのはたいていは高価だったし、旬から一歩遅れて発売されてた。
ソーシャル機能なんかなくたって、友達とつながる快感があった。
そこには確かに、ソーシャルネットワークがあった。
攻略本が、僕のソーシャルネットワークを殺した。
あるいは僕のように、ゲームに没頭すれば、誰かに繋がれるような錯覚を信じて、コントローラを握るパブロフの犬が残った。
条件反射が解けちゃったんだな。
飲み会での話された内容と敗因と今後の課題について以下のようにまとめてみた。
家政婦のミタがかなり流行っているようで、全くチェックしていなかった為頷くだけしか出来なかった。
テレビ無いからって言った時のみんなの哀れみの目が忘れられない。
要テレビジョン。
星座に絡めて性格や伝説を覚えておくことで相乗効果が生まれ記憶に定着しやすくなる可能性が高い。
要天文ガイド。
星座と絡めて一発で当たった時にかなりの盛り上がりを感じた。
対処法がよくわからないが、星座と同じように性格等を絡めて覚える必要あり。
動物占い。
釣りとか、鉄道とか、とにかく何か一つ強い奴はモテると言うのがわかった。
話し振られて特に趣味がなく、しばらく沈黙した挙句に、思いつきで古いファミコンゲームの話を切り出してしまい完全に無視された。
よく考えれば読書と絵があったが、ラノベと漫画じゃちょっと恥ずかしい。
テレビが無いと言ってそれほど経っていないのに嫌がらせ??なのかと思った。
思い出せる限りの女子アナの中ではチノパンとか好きだったと思う。
もう相当古いと思うけど。
今はカトパンと言うらしいが、見た目は全然好みではないし、イマイチ。
高橋真麻は正確がよさそうで良い。
石原さとみの唇最高とか言って、なぜかかなりの盛り上がり。
そう言う話で良いのだろうか。
最近の若くて可愛い子で言うと大橋のぞみちゃんとか…さすがにこの年ではキツイだろう。
昔ファンだった貫地谷しほりちゃん。
以上、次回飲み会に向けて頑張ろう。
RPGの話をする。
RPGっていっても、テーブルトークRPGやMMOとかじゃなく、ドラクエやFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。
ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。
かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。
もちろん、定番のネタというのはあるけれども。
でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。
町の平和を守るとか、そういう小さな目的から、世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。
ハードと媒体の進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。
いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。
そんな世界では、一人の魔王を勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。
現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。
独裁者、魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。
スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。
でも、そういうのってしっくりこないんだよね。
昔話、神話で刷り込まれた勇者が魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。
そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観のゲームのほうが結局面白い。
「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」
などと説教されても
「うるせーバカ」
となっちゃうだろ?
最近になって、糸井重里がMOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。
フラッグシップハードのRPGは大作である宿命が義務付けられている。
グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィックは古典的で単純なターン制では許されない。
誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステムを抱き合わせさせられる。
世界は壮大でないといけない。
敵の目的も壮大でないといけない。
ちっぽけな主人公の存在が世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。
(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在に感情移入できるのか?)
ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスでMOTHER3が発売された。
物語の全てが小さな島のなかで進行した。
人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。
それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。
「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」
と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。
長文は面倒なので端的に書くと
1、ゲーム性を高める為にファミコンからソフトメーカーは高画質・高品質のゲームを作り続けているが、
モバイルゲームで利用されている内容は、ほぼファミコン時代のシステムその物で、単純な物にしか客がお金を落とさなくなると、
ハードゲームで高度なレベルのソフトを作る会社に資金が回らなくなり、ゲーム業界の力が無くなる。
(現在、家庭用又はPCのみのハードゲームだけ作っている会社はほぼ皆無)
2、課金システムは企業にとってはドル箱のシステムであるが、ゲーム性という観点から見れば最低な手段
少し前にゲーム業界で問題になったのは、乱数により釣れるつりゲームにおいて、魚が釣れる可能性が高くなる釣竿(回数制限あり)に数百円の値段を付けたという物
壊れるので際購入が必要なのである、確立が高いだけで確実に釣れる訳ではないのである。
そもそも乱数により釣れるつりゲームの何処にゲーム性を見出せばいいのかという疑問もあるが、その上でこの鬼畜システムである。
消費者は安い(基本無料)便利(携帯ダウンロード一発)早い(何処でも暇な時間に出来る)に流されたわけだが、
その結果現実になったのは、ゲーム性皆無の作業プログラムを嬉々として延々やるパンピーと、ゲーム性を追及する層に完全に分断されるという事である。
ゲームの終着点の一つとして、完全なる仮想現実を構築して、そこにおける様々なプレイを実現させるという壮大な考えがあるが、
2011年現在流行っているものは残念ながらそんな理想とは程遠い物なのである、結果ソフトメーカーは資金難で潰れる。
■異性の好みを探る簡単な方法
これは私の長年の統計学的経験論なのだが(つまりいい加減てことですね)
異性の好みや接し方を簡単に推測する方法がある。
それは、
「どんなゲーム機が好き?」
って聞いてみることだ。
好きなゲーム機は?と聞いて「任天堂機」(但し64DDとバーチャルボーイを除く)を挙げる人は、かなり保守派だ。
堅実派、浮気しない人、安定した職業についた人、配水管の技術者を好む傾向がある。
また平均的な異性を好む。必ずしも美人(イケメン)である必要はない。逆に派手な異性は苦手。
「セガ機」あるいは「ソニー機」「ピピンなんとかかんとか」「パナソニックのやつ」等をメーカー名や国名で挙げる人は、
基本的にブランド志向なので、他人から見て自分の恋人がどのように見えるかをとても気にする。
男性なら高収入、医師弁護士などの職業が優先事項。ルックスは良いに越したことはないがそれよりも財力と権力(役職とか)
女性なら体育会系のがっしりした男性を好む。自分より背の低い男性は基本NG。マッチョOK
男性ならバストの大きさをとても気にする。基本的に巨乳好きというか貧乳は許せないタイプである。
「セガサターンの黒」とか「四角ボタンの頃のファミコン」みたいな一般人はあまり知らないような特定の固有の機種名を挙げる人。こういう人はあまり特定の傾向がなく、好きな異性タイプもピンポイントである。たとえば女優のAは大好きだが(顔の似ている)Bは生理的にダメ、とか言うことがよくあるのでその微妙な違いが他人にはよくわからない場合もある。ただし好きなものはとことん好き、という人である。
また、特に男性の場合、ゲーム機の扱い方と女性の扱い方はとても良く似ている。
新品にこだわる人、これは処女にこだわる。中古ばかり乗っている人はその点はおおらかである。
ひとつのゲーム機を長く長く使う人。これはパートナーの異性をとても大事にする。基本浮気はしない。女性の場合は重すぎることも。
頻繁にあれこれとゲーム機を買い換える人。こういう人は異性も簡単に乗り換えるし浮気が多いので要注意である。
メモリーカードを初期化ばかりしてる人や、ファームウェアに改造をたくさんする人は、ある意味独占欲が強いのだろう。暴力傾向があるのでこれも要注意。パートナーをとても大事に(誰にもちょっかいを出させない、縛る)するが、ひとたび浮気でも疑われると暴力沙汰になりたいへんな思いをする。
補足2
ゲーム機に興味がない、ゲーム機なんて遊べれば何でもいい。という人は、恋愛においても受け身。基本的に自分からは告白しない。逆に押し続ければ落ちるタイプである。異性にこだわりがない代わりに、自分を愛してくれる人、が好き。基本的に自分が一番大事なわりに自分に自信がないのだと思う。
補足3
変にハデでなくて、オタク臭くなくて、コントローラーが持ちやすくて、空冷がそれなりにちゃんと効いて、音楽や動画もそこそこ楽しめるゲーム機がいい。
という人は、基本的に相手を道具としてしか見ていない。ちゃんと稼いで浮気もせず家に帰ってきてくれればそれでいい、亭主元気で留守がいい、というタイプである。こういう人はスペックで相手を見るので、決して高スペックは望まないが堅実でしっかりした職業の人、それもできれば家柄がいいほうがいい、というタイプ。自身も庶民であるか、逆に超お嬢様で世間知らずな人かのどちらかである。
プログラムを理解させるには?のブックマークコメントを読んでいて。
ブックマークコメントの中に、「資格」とかのコメントがいくつかあった。
既に情報処理試験とかあって、いろんなIT系資格があるのだけど、プログラマーやってる人なら誰でも感づいているとは思うが、資格など何の役にもたたない、という事で。高度情報処理資格を持っているからと言って、プログラム(その他設計やコンサル)が出来るとは限らず、逆に何の資格も持っていないのに、すばらしいプログラムをする人がいる。
まぁ、これら既存のIT系資格にある一定の目安にはなるとは思うけれども、万能では無いのも確か。昨今の不況、ITバブル崩壊で、IT系資格の資格手当が真っ先に削られたのも、記憶に新しい(弊社だけかもしれないが)。
雇う外注のソフトハウスから派遣されて来た人など、だいたい15分も話せば、どのくらい出来るか、使えるかは判断出来る。これは資格では計れないものだ。
仮に、弁護士や行政書士、医師など、士制や免許制はどうだろうか?
車の免許はどうだろう?
プログラマーはどうだろうか?
例えばトイレ。水を流すのに、最近のトイレは、リモコンでスイッチを押すと水が流れるが、あれ、プログラムだよね。
例えば炊飯器。米と水を入れて、スイッチを押せば、ご飯が炊きあがるが、これもプログラムだ。
車。ハイブリットや低燃費車が走っているが、あれは電子制御で動いている。
ロケット。アポロはファミコンにも劣るコンピュータで月まで行ったが、プログラムだ。
先日の中国の高速鉄道の事故も、ATCプログラムのミス(?)による事故だ。
先日の$oftbank携帯の通信障害は、故意に仕組まれた通信障害だった。
どこにでもプログラムは入り込んでいるし、そのプログラムによって、便利になっている反面、人命をも奪い、都市機能を麻痺させる事も出来る。
なんでだろう?
介護について考えてみよう。
ヘルパー資格や介護士とかいろんな資格が必要だが、世間一般的には、ワーキングプア、もしくはそれに近い悲鳴が聞こえてくる。
なんでだろう?
資格や免許を持っていても、それが収入や時間に反映されないいい例だと思う。
「プログラマー」「SE」と名乗るのは簡単だ。「漫画家」「小説家」と名乗るのと同じように。なんだったら、名刺の名前の上にそういう肩書きを書いておけば、「プログラマー」であり「SE」である。
漫画家・小説家と違うのは、漫画家や小説家は「売れなければただの無職」という事だ。あっという間に食えなくなる。自分、アシスタントをやっていたし。アシスタントでは、ちょっと食っていけなかった(アシスタントと作家自身は違うが、それなりに間近で見てはいるわけで)。
プログラマーやSEが個人事業種の人達だったら、その通りになるだろうけど、多分、半分以上の技術者は、どこぞの会社に所属しているサラリーマンだと思う。もちろん、これはこれでメリットがある。営業や経理・総務・庶務等が他の人に分担されている事や、会社などの福利厚生も使えるから。
逆に「金の切れ目が縁の切れ目」が使いにくいというのがある。同僚が失敗したり行方不明・自殺等というのはこの業界日常茶飯事だが、そのリカバリーは必ず誰かがやらなければならない。そして不思議な事に、それをやる人間は決まっている。失敗したマンガや小説を他の作家がリカバリーする、というのはあり得ないのにね。
資格制度・免許制度が万能とは言わないが、有効かどうかと言われると、自分には判断出来ない。しかし、前述したとおり、非常にクリティカルなモノを作る場合も有り、無資格なのはそれはどうだろうか?とも思う。
プログラマーやSEがミスすれば、都市機能は麻痺し、人が死に、医療器具が動作せず、電力が起きず、このインターネットすら動かない。TVもラジオもダメ。第1次産業以外のほとんどが停止する事になる。
そんなクリティカルな仕事なのに、この士農工商穢多非人の非人のような扱いを受けるのは何故なんだろうか?
経営者や管理者からみれば、次から次へとターゲットが蛆のように沸いて出てくる職業であり、使えるだけ使って、あとは使い捨て、という業界だし。
一度、プログラマーやSEは自分のやっている仕事がどういう事なのか、考えてみた方が良いのでは無いだろうか?
考える事は出来ると思うよ? だって、「完全動作する事を常に考えている」のだから。それが過失・故意にでも動かなかった場合、どういう事になるかは、簡単に想像出来るよね。
絵描きや小説書きや楽器演奏や作曲は、小学校の頃、学校で習うから、分かると思うんだけど、【今の現役世代以上】のプログラマーやSEは、小学校で習わなかった。この差が非常に大きいのだと思う。
どんな無能な経営者や無能な管理者だって、「自分が絵を描けない・難しい」というのは、自分で分かる。なぜなら、義務教育時代にやっていたから。ところがプログラミングやSEはどうか。やってないから分からない、わけだ。
あと、拍車をかけているのが、どこかが発表している「情報技術者何万人不足」という発表。この時点で「質」が考えられていない。そこへ、程度の低い派遣業が入り込んで、エライ事になる。そもそも派遣とは、受け側に技術が無いからその手助けに赴くものであって、人身売買では無い。先日も弊社で「組み込み系の低いレイヤーの部分を作るC言語(かなりアセンブラ寄り)が出来る技術者」を要求したのに、実際ソフトハウスから派遣されてきた人間は「C言語のポインタという概念も知らない」技術者だった(どうやら、Windowsの統合開発環境上においてC#だったら使える、というレベルだったようだ)。もちろん、そんな人員を使えるわけ無いのでその場でお引き取りを願った。こういう、「質」や「ベクトル」に関係無く「頭数」だけでどうにかなると思っている奴らが非常に多い。日本の(少なくとも情報系)派遣や客先常駐の考え方は、間違っていると思う。
そう考えると、ある一定の基準として、質やベクトルを明記する必要はあるのかもしれない、と思う。それが労働時間や賃金に反映されるかどうかは分からないが。
「消費電力をバブル期の水準に戻せば、原発は全廃できる」という人がいる。
確かにバブル期の消費電力は今の3/4程度だから、ちょうど原発を無くしたぐらいの発電量で賄えるだろう。
じゃあ我々がバブル期にどんな生活をしてたか、具体的に列挙してみよう。
まず、ごく一部の金持ち以外は携帯電話(自動車電話、ショルダーホン)を持っていなかったし、
ISDNが始まったのが1988年で、電話回線にモデムを繋げられるようになったのが1985年。
パソコン通信が始まったのがこのくらいの時期。衛星放送はまだ始まっていなかった。
ビデオデッキと電子レンジがようやく半数の家庭に普及した程度。ウォシュレットがある家が珍しかった。
エアコンも一家に一台あればいい方。今みたいに全部の部屋にエアコン付けてる家庭は稀。
家庭用ゲーム機も、今みたいに100Wぐらい電気を食うPS3ではなく、4Wしか電気を食わないファミコン。
会社で仕事するときも、社員全員に1台づつパソコンが行き渡っているわけではなく、
コンビニの店舗数は今の1/4くらいで、ドン・キホーテのような24時間開いている店は珍しかった。
駅にはまだ自動改札がなく、駅員が鋏で切符を切っていた。地下鉄はまだ冷房車がなかった。
青函トンネル、瀬戸大橋が開通したのが1988年。それまではフェリーや連絡船を使っていた。
南北線、大江戸線、副都心線、りんかい線、ゆりかもめ、成田エクスプレス、長野新幹線等の路線は未開業。
何もかもがそのまま20年前に戻るわけではないとしても、消費電力を当時の水準に戻すのは、
実はものすごく大変なことなんじゃないか?
TVゲームが跳梁跋扈する昨今、みなさんいかがお過ごしですか。最近3DSが発売されたそうですね。
wi-fi環境があろうと、基本的に個人が向き合っている。相手は別に機械だってわからないから機械でもいいんですが、あくまでも対人を主張する。
先日、友人が遊びに誘い、まあ仕事も忙しいけど息抜きも必要だなと思い、家に向かったわけです。
で、家についてまあ世間話でもする。コーヒー飲む。おいしいですね。よくあることかと。
話が一段落したところで、「実は最近またゲーム買ったんだよ」と友人。
「へえ。」と私。興味ないからそれぐらいしか打つ相槌もないんですがね。また、というのも知らないし。
で、まあ結構な数のハードとソフトがずらりと。ファミコンなら私もやったことはありますが、それ以降はやらなかった。
友人、私がゲームをすることに合意をしたかのようにはしゃいでるので、仕方なくいっしょにすることに。
当然ですが、友人ゲームが上手いです。私は殆ど勝てなかった。腕前はすごいと思う。
だけど、なんというか、「まだTVゲーム?」という感覚が抜けない。
他の友人もゲームはしますが、さすがに彼ほどではない。ある人は楽器吹いたり、ある人は本や映画を見たり、ある人はジムで汗を流したり、またある人は一眼レフ片手に外へ。
いろんな趣味があっていいのですが、なぜかTVゲームに対してだけは偏見を持っているし、自覚している。
たぶんそれは子供の頃からのおもちゃという感覚に囚われているからだと思うのだが、間違っているとも思わない。
友人は「やってりゃうまくなるよ」という。そりゃあだいたいはそうだろう。
うーん。
幼稚だなあ。
思い出されるのは嫌な思い出ばかりだ。特に親戚がらみでの…
でも当時はそれに対して何も感じていなかったことの方が多かった…
いや何も感じていなかったと思う。
理由はわからない。そして、その後に必ず田舎の叔父さんにうちの母親が怒っていた。
「そんなことしないでくれ」
・親戚一同で旅行に行ったとき。1人が迷子になり全員で探した。
振り出しに戻る…わけじゃないけど最初にいた場所に迷子になった子が戻っていた。
「なんだこんなところにいたのか」と私は発言した。怒られた。
「こんなところ」を変な場所に嫌がってという意味で受け取られたようだ。
・小学生の時、七夕か何かに掲げる短冊に皆で同じことを書こうという話なった。
「いい大学を目指そう」なんてことを…
そのとおりに書いたのは自分だけ。他の人間は全く違うことを書いていた。
・小学生の時、同級生の家に遊びに行きファミコンの野球ゲームをやることになった。
メンバーを分けることになり僕は1人だけ。あとはゲームを持っている子のチームとなった。
・小学生の時、集団で遠出。同級生の家に一斉に戻ることになった。
…自分1人だけ戻っていた。あとの人は公園で遊んでいた。待てど暮らせどやってこない。
・中学時代。親戚一同で旅行に行った最後。腫れ物に触るような感じで扱われた…記憶がある。
・中学時代。ボーリングだカラオケだとそういうもので遊び始めるような時期に、「経験無いだろ」
とはなから決め付けられていた。「ああっ、あるよ」と言い返していたが未経験。誘われていくことになっても
自分抜きで話が進んでいたことがあった。
・中学時代の修学旅行や遠足。「こういうところ来たことがないだろ」と散々言われまくっていた。
・高校受験。希望校は合格したが、理解不明の理由をつけられて一番行きたくないところに行かされた。
・高校時代。いやここに至るまでずーっとそうだったような気がするが、自分から友達を作ろうとすることをしてこなかった。
中学時代まではそれでも仲良くしている人はいた。けれど、学校どまりだったと思う。高校時代は、こうした状況に加えて
行きたくない気持ちが勝っていたのでずーっとぼっちで、ごくまれに誘われても断ってしまっていた。理由はわからない。
・高校時代。法事が立て続けにある。親戚連中の親族自慢ばかりを聞かされる。
両親はそれをどんな気持ちで聞いていたんだろう。
・大学時代。アルバイト中心。サークルには、、、入学式のときに顔を出してみただけでそれっきり。アルバイト中心であっても
友達づくりをすることはしない。その場限りの関係。なんとなく親しくなる。そんな感じ。
・大学時代。「浪人なんかしやがって。どこそこのうちは有名大学に入ったのに。現役で」と散々言われる。
高校受験時に自分から希望を奪っておいてよくいうなと思ったが、じっと我慢の子。一浪で入学した大学は知る人ぞ知るという
有名でもなく無名でもなく偏差値もどちらかといえば多少はいいほうの部類に入るかどうかというようなところ。
・で、最近。机の中身とかPCの中身とか見たとしか思えない会話をいまさらしてくる両親。性癖までばれてるんだろうか。
それに気がついていたるところに鍵とパスワードをかけた。いびつな親子関係。
・思いつくままここまで書いてみたが、自分から人に話そうとしない。中学時代に「魔女の宅急便のパン屋のオヤジみたいだ」と言われて
よくわからなかったが、「ああそういうことだったのね」と今更ながら気がついた。