「受け手」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 受け手とは

2012-02-13

その言葉は本当に本音なのでしょうか?

人間自分以外の本音など、どうやって判るのでしょうか?

絶対にはわからないよ。絶対にわかる、ということはない。

小学生の話を聞いてる時でも「私がこういってほしいと思ってることに合わせてるかも」って考えちゃう時もあるしね。

ここでいう本音はわたしが勝手定義したもの。本文で述べたような「構造の中で本音の位置にあるもの」を、便宜的に本音ってことにしてる。(図をかきながら説明できれば手っ取り早いんだけどね) 

言った言葉を土台として、そこからいろいろ話が伸びてくれれば、その土台となった部分が本音だったんだろうって思うことにしてる。

あと特徴として、感情が表に出てる時の話は、まとまりがなくてぐちゃぐちゃしてることが多い。

そういうものを「これは本音だから」ということでこちらが黙って聞く。

相手も本音のつもりで、真剣に喋ってもらう。そういうお約束ごとみたいなものでもある。

そういう訳で、厳密な定義はない。使えりゃいいんだよ、程度の大雑把な感覚で捉えてる。




そもそも価値って何なんでしょうか?

価値には人によって変わるんじゃないでしょうか?

そのとおり。大事なのは「何が価値か」ってことよりも「価値はどこで発生するか」っていうことと「どういう時に価値を感じるか」だ。そして「どこで」は言葉を受けた人の心の中、「どういう時に」はそれが自分にとって役に立った時or気に入った時だ。「価値って何か」の答えは、この2つの条件を満たしたもの、ってこと。この考え方は、ブランディングの本から拝借したもので、私オリジナルってわけじゃないです。


ここ大事なのは受け手を中心に考えるってこと。

受け手意味を理解できること、そしてできれば役に立てられることによって価値が生じるんだ。

そのために、言葉受け手大事な所と結び付けられるように工夫する必要があると考えてる。




から

言葉にしているだけで価値はあるんじゃないでしょうか?

これについて、あなたなりの考え方もあると思うけれど私自身はただ言葉にしただけのもの価値は認められない。

そこに価値があるっていうのは簡単だけど、それじゃもったいないと思うんだ。

もちろん、言葉を発する本人だって自分言葉受け手だ。

から、本人がぐちゃぐちゃしたものをただ言葉にすることで価値があると感じたなら、本人にとっては価値がある。

でも、そのままだと周りの人には伝わりにくいと思う。



気持のぐちゃぐちゃした部分って、すごく大事ものになりうる、と思ってる。

それは、自分には使い方がわからなくても他の人が使い方を理解して教えてくれるかもしれない。

から、まず最初にぐちゃぐちゃのまま表にだしてもいい。

でもそこで終わりにするんじゃなくて、

それを自分でもよく振り返って使い方を考えてみたり、

他の人に見てもらえるようにちょっと一手間かけるといいかなってこれはおすすめ



それでね、すごいな、と思うのは、こういうのって教えなくても皆できてるんだよ。

はいちいちノートに書かないと自分の本音を自分でチェックして分析して、とかできないんだけど

むしろ生徒の方が、そういうの上手にできてる事が多いの。

もちろん語彙の問題とか考え方が単純だとかいろいろあるけど、ちゃんと自分にとって大事な事を考えてるの。

そういうのを聞くのって、私にとってはものすごく価値があることなんだよね。





後、ブクマに1つだけ気になるコメントがあったので回答

むき出しの本音見たくないのにTwitterしても誰もフォローできないんじゃ

「親しくない人の」を勝手飛ばしちゃダメー。

あと、twitterってなんでも本音で話してるって考えも、個人的には違うと思います

twitter自分ふぁぼったーを振り返ってみるといいんじゃないでしょうか。

2012-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20120201171250

比喩で並べている行為って等価ですか?って話。

受け手が、問題の行為等価と評価する」という大前提比喩の話をするなら、

賽の河原で石を積む(夫は必ず崩す)」ではなくて、

「なんらかの贅沢を行う(夫は大金をかせでくる)」でも良いでしょ。

贅沢する意味が分からないんですよ、でも意味が分からないけど贅沢すると夫が喜ぶ。

「で、つまり君は相手の笑顔が見れるなら、毎日贅沢を繰り返すのを厭わないってことでおk?」って書いたらどう見えるかって話。

世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実タイムスリップ経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものであるしかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像叙情的かつ繊細なバックグラウンドミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージである。この例に限らず、何らかのメッセージ受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ

先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実齟齬のせいであ物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージ価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。

2012-01-24

電子音

給食時間ボカロ流しちゃだめって言われた。まぢむかつく。ボカロの良さをみんなわかってない。●●(流行グループ)よりよっぽどいい曲なのに。世界中にファンがいるし云々」という話を学習塾の生徒から聞いた。(あの子らの言語でいえば「まじ」ではなく「まぢ」が合ってる)

しかボーカロイドを一括りに禁止するための、筋の通った説明は難しい。

なんというか、不快しか言いようがない。まず、ひぃひぃと震える声は聴きとりにくい。聞き取れたとしてもシステムでぶちぶちと機械的につなげたキンキン声は不快だし、それを聞いて「給食中にボカロとか、うはww」といわゆる「草」を生やしてにやにやしている子を見るのも大変気持ち悪いとおもう。

ただ快不快受け手の取り方次第なので、理屈としては通らない。どちらが多数派だとか、人数の問題で片づけてはいけないと思う。

しいて言えばあのキンキンした音は食事には向かないと思うのだけれど、そうするとハイテンションな曲はすべて不適格となってしまう。極端に言えば食事中に音楽なんぞ要らんとなる。

私は教師ではないので塾の生徒の話を「そっかーざんねんだね」と答えたのみだったけれど、先生たちはどんな説明をするのか大変気になる。

先生が答えを与えずに生徒同士で話し合わせるというのも手かもしれないけど、その場合子供たちはなんて主張するのかなー




あと、好きだと主張するのはべつにいいけど、電子音のほうがすぐれてると言って人間馬鹿にするのは…ちょっと人生経験貧しいんじゃなかろうか。

「バカにするな!」と憤慨するバカ

バカにされたと怒っている人がいた。

自分は「バカにされた」という気持ちがよく解らないので考えてみた。


逆襲のシャアで、「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか?」と、

サイコフレーム提供元がシャアだったことを知り、アムロは「バカにして!」と憤る。

これはサイコフレーム無しでもシャアと対等に戦えるというアムロ自尊心が言わせているのだろう。

であるならば実際の優劣は関係なく、受け取る側の気持ちの問題ということだ。

しかしたら「僕はシャアより強い」というアムロの思い上がりかもしれないが、同じことだ。

シャアからしてみれば、バカにしたつもりなどなかったはずだ。


とここまで考えて、「バカにするな」とか「お前のそういった態度が人をバカにしてる」という会話の戸惑う理由がわかった。

これは飽くまで受け手側の都合であり、そういうつもりがない話し手には唐突な話題転換なのだ


バカにするなで思い出すのは、やはり朝生田原総一郎x四宮正貴であるが、

田原は「これから聖徳太子の話をしますよ」と話題転換の意味で「聖徳太子を知っていますか?」と発言したのだろうが、

四宮にしたら、いい大人が知らぬわけなかろう!とバカにされたと受け取ったのだろう。

田原にしてみれば、それこそいい大人がといい迷惑である。文脈で分かれよ。


となったので、これから「バカにするな!」と言われたら(あーバカなんだ)と思うようになると思う。

元々自尊心無いし思い上がらない性格なので、バカにされる気持ちが解らないのは当然の助動詞べしだったという話。

小学生から「お前なんて左手で十分だよ」と言われても(実はアンドロイドかも)って可能性考えちゃうので。

2012-01-19

なんで「一番の仕返しは幸せになること」というRTを見る度に虫酸が走るのか

昨日もやもやして眠れなかったけど考え抜いて分かった

私たち人間が日々誰かをdisり、disられ忘れ去られた過去の淘汰され弱者存在の上に幸せがある

呪い呪われた存在である以上

「一番の仕返しは幸せになること」という言葉自分の中だけでそう思うならともかく

他人にそれを言った時点で

「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」という言葉と同質の

自分の今まで他人に行ってきた過去仕打ちを棚に上げておきながら、他人にモラルを求める

恥を知らない言葉だと気づいた

あの人がクラスいじめられていなければ、ターゲットは私だったかもしれない

あの人がパラハラを受ける的になっていなければ、ターゲットは私だったかもしれない

あの人が殴られていなければ、ターゲットは私だったかもしれない

そうやって過去に誰かが代わりに犠牲になってくれたからこそ、幸せは壊されなかった

過去そして現在弱者犠牲の積み重ねの上に私たちの幸せは成り立っている

己の恥を知りつつそれでも「一番の仕返しは幸せになること」と言うのと

ただRTされた言葉何となく良さげだから何も考えず、今まで他人に行ってきた過去仕打ちを棚に上げて

「一番の仕返しは幸せになること」と笑顔で言うのではまったく違うし、言われる側にもそれは見透かされるだろう

無意識に他人にモラル押し付けて優越感を感じたくてそう言ってる人と、励ましたいけど自分の頭で考えた言葉が無くて

誰かから借りてきた格言をとりあえず言ってみましたという感じの違いは受け手にも伝わるよ

後者には「ありがとう」前者には「アーンパンチo(●゚ー゚●)=○)゚O゚).。・」

2012-01-02

クリエイターエラいもの」という思い上がり

声優明坂聡美さん、一部フォロワーに苦言「一生懸命作った作品を見てない事を返信してくるのはどうかと」 : はちま起稿

http://blog.esuteru.com/archives/5621373.html

畑亜貴さん『アイドルマスター』用に書き下ろし楽曲タイトルメーカー勝手に変更され、Twitter激怒やらおん

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-6169.html

最近目に付いた2件。共通するのは「俺(達)の気持ちを考えろ」というクリエイターの怒り。

これらへの反応は賛否両論ある感じだが、興味のない人は反応しないので、反応してるのは大抵信者アンチ。まともと思われる意見殆ど見られない。それに加えて一般消費者ではクリエイターの気持ちや事情がわからないため、的を大きく外している言論が殆ど

まあそのことはどうでもよく、俺が気になっているのは「クリエイターの怒り」について。これは「クリエイターの思い上がり」から来るものではないかと。

クリエイターという職業は「なるのに努力と才能が必要」「なれる人の数が少ない」「信者がつく」などの要素があるためか、「クリエイターは偉い、俺は偉い」と勘違いする人が後を絶たない、気がする。

明坂さんにしても畑さんにしても今回の根本にあるのは「俺らが苦労して作ったものに敬意を払え、気を遣え」という主張である。これは本人達にとってはもちろんその通りであろうが、それをさも当然のこととし公衆に発信してどうすんだよ。非常に大人気ない、頭が悪いと感じる。

お前らが苦労したから尊いのか?違うだろ、価値受け手が決めるものであり、世間が判断するものだ。クリエイター自己満なんかはどうでもよく、世の中に需要があるものを作れたかどうかで、仕事が判断されるのだ。

ライブに行かない、作品を見ないというのは人々にとってそれだけの価値がないからだ。注いだ心血は、少なくとも直接的には関係がない。

タイトルが変えられたのはクライアントが元のタイトルに満足しなかったからだ。相手の望みにかなう納品をすることができなかったのだ。

(ちなみに後者については著作者人格権同一性保持権の存在によりバンナムがアウト、という中途半端な知識による見解コメントなどで見られるが、通常買い取り契約では「著作者人格権は行使しない」の一文が添えられていることが多く、もしそうであれば改変は法的に問題ない。通達すべきであるというのはまた別の話)

そもそもクリエイターとは通常、娯楽に関する商品を作る人のことである。娯楽とは、それと同じものがなくても死ぬことはない。現代社会において第一次、第二次産業に従事する人の割合は少なく、殆どの人は「生きるのに不要サービス」を作ったり売ることで生計を立てている。つまり自分の特技を生かして「好きなこと」をして食ってるクリエイターという職業は、世の中の豊かさを享受することで初めて成り立っている余計な職業なのである。偉くなんかない、むしろ世間に食わしてもらっている立場だ。最近話題になった、自炊に反対する漫画家集団なんかもそうだが、お前らが勝手に作ったものがお前らの望み通りに消費されないからと言って、世間に対して堂々と怒るのは可笑しく、恥ずかしいことだ。作った者としては当然の感情だが、開き直ってさらけ出すべきものとは思えない。

クリエイター自分の狭い視点以外で、自分仕事についてよく考えてみるべきだと思う。俺自身もクリエイターとしてそう思う。

文筆は本業ではないので、乱文失礼した。

2011-12-25

今すぐ消えろ!日本カルチャーシーンを「残念」にした戦犯タイプ

ハロー



聖おにいさんオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。

http://anond.hatelabo.jp/20081210172325

とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。

http://anond.hatelabo.jp/20091216230059

このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!

http://anond.hatelabo.jp/20111224192828



を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。

「かわいそうだね?」

って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞ネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。

はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大自分直視できないのかねえ。

「格好をつけないことで、格好をつけている」

「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」

やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。

ぼくはきみたちの断末魔叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。

ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。

これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。

きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。

では、いきますよー。



映画秘宝

ボンクラ」なんていう安っぽい価値観連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスター宇多丸町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。

「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。

中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。

自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚フンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。

彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸ラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。

そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画ポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。

この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフル宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画町山智浩キラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画ネタにしているのを見たことあるよ」でも可。



伊集院光

人生大切なことは、すべて伊集院光ラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。

映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャー必死に否定してくる。「最近アニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。

自分中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画アニメ伊集院が褒めるものけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。

映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットMP3音源違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメ自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。

「人見知りなのは感性が鋭いからだ!」

バイト面接で受からないのは、感性が鋭いからだ!」

住民税を滞納しているのは、感性が鋭いからだ!」

もうなんでもあり。

こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛自己肯定は。



ビレバン

ある意味一番病気かもしれない。

「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽ自分必死デコレートしようと頑張っている。ビレバン下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分ビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。

こういう奴がセンスいいと思われたい一心カルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画悲惨犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。

なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍マリオネットたち。

こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。

さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。

もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。



つぶやき批評家

そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆

はてブツイッターなどの安全からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。

文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ

大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。

このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報いかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。



以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性大事」という間違った教育と、「作品の解釈受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。

確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。

ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督紀里谷和明か、小説家岩崎夏海くらいか

特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代クリエイターズバイブルだね、この本は。

みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽ自分直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。

2011-12-22

問題は、コンテンツ受け手から作り手へのお金の流れが細くなることだけ。

将来的なある程度の衰退は確実とはいえ、コンテンツ電子化を拒むこと=衰退を遅らせることとして意味はあると思う。



そして、受け手から作り手へお金が流れる仕組みが細ると、作り手が細るのも確実。

子供の夢は置いといたとしても、その道で食っていくプロが減ると、そのコンテンツ業界クオリティが下がるのも確実。



本当は電子化が進んでも受け手から作り手へお金が流れる仕組みが細くならないのが理想なんだけど、

電子化を進めたい人たちはまず普及ありきでコンテンツを買い叩き、安く売ってしまう。

これが一番の問題。

コンテンツが安いのに慣れてしまった受け手は、作り手へ高いお金を払うのが馬鹿馬鹿しくなる。

するとコンテンツの作り手が焼け野原になる。



プロがいなくなり、学生や、別の仕事で食ってる人が片手間で作ったコンテンツばかりになる。

今、この問題が様々なコンテンツ業界で起きている。

http://anond.hatelabo.jp/20111221211549

2011-12-14

一生追い続けるのだろうか

ネットの普及によってワンクリックで簡単に情報が手に入るようになった。

毎日PCスマホを開いて一定時間ネットアクセスするようになった人は以前に比べて確実に増えただろう。

何か目的がある人も、ただの暇つぶしの人も、日々自分が気になる情報ネットから取得している。

中には毎日特定のサイトあるいは特定の「情報」をチェックする人も増えたのではないだろうか。

はてなブックマーク毎日見てる人、twitter毎日見てる人、ゲームアニメ情報毎日チェックしている人、ビジネス海外の話題を毎日チェックしている人・・

もはや情報を追うことが日常の一部分と化している。


みんな、それを一生追い続けるのだろうか?

死ぬ前日まで。


ネット情報を追い続けた人の中には、本来の目的とは別に情報を追うこと」「情報に乗り遅れないこと」が一種の強迫観念として体に染み付いてしまった人も多いように感じる。

「今更ネット依存症の話か?そんなのはネットが普及し始めた1997年から話題にのぼってるよ」と突っ込みを受けそうではあるが、

では、果たしてみんなそれについてどう思っているのだろうか?

人はネットが普及する前からテレビ新聞雑誌から日々の情報を得ているわけだから、それらの媒体ネットが加わっただけ、と思っているのだろうか。

それは確かに正しい。

でも、ネットとそれらとではやはり依存度が違うように思う。

ネット情報は日々更新される。特定の記者がそれを更新する場合もあれば、受け手側が自ら話題(情報)を作りみんなで共有する場合もある。

自分が追い求める情報ネットが途絶えない限り、日々更新される。

ある情報に飽きたとしても、すぐにまた違う興味ある情報がそこら中に転がっている。

ネットアクセスしさえすればそこには無限に近い情報がある。

情報を追い続けるという意味での依存度は確実に他の媒体より勝るのではないか

その「依存」は健康的なのか?

多くの人間情報を追い求めるという行為に対しては、特に取り留めもなく、私生活にさほど影響はないから問題はないという判断なのだろうか。

世の中の事を知るということは人間にとって当たり前な行為なのだから情報を追い続けることも当たり前であるという判断なのだろうか。


個人的にはどういった対象であれ「依存癖」というものは恐ろしいと思う。

ふと気づいたとき自分依存症に陥ってるという現実直視することはもっと恐ろしい。

みんな知らず知らずのうちに「情報を追い続ける」依存症にかかっていないのだろうか。

時間は関係ない。1日10分も1日3時間も同じことだ。

みんなはこれから何十年も毎日毎日毎日毎日情報」を追い続けていくのだろうか。

何十年も。

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日

死ぬ前日まで。


怖い。

2011-12-04

小説の話に戻すと

http://anond.hatelabo.jp/20111203113814

「その方法でどれぐらいの人が成功してるの?」「具体的にだれが成功してるの?」という擬似的なソースが求められる

もちろん、「言っている本人」の体験であれば、一番強いだろうが、匿名掲示板増田で「ソース有意性」を求められても。私がベストセラー作家だったとしても証明する方法が無い。もちろん素人だけどさ。文章読めばわかるよね。

裏付けをする必要があれば「ベストセラー作家の経歴」を調べてみればいい。とか、売れている小説を読んで分析してみればいい。とか、そういう提案なら、私にも出来るけど。

情報価値は『話された内容に価値があるかどうか』なんだよ?」じゃあトートロジーだよ…

ひやーん、失礼。

「誰が言ったか」が重要ってことになると、その人が言っていることを丸ごと受け入れるということになって、危険思想だと思ったんだよ。前に「殺してやるのは功徳だ」とか言って大量殺人した奴がいたじゃん。そいつ、信じた奴がたくさんいたじゃん。

他の増田がきれいにまとめてくれてたけど「受け手の知識が豊富にあって、その情報価値をはかれるかどうか」が重要なんだと思う。

2011-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20111203114812

横だけど

信頼性を得るための別ソースがあればいい。

経験のある人の発言の引用であるであるか、または、情報受け手にその真偽を判断できるだけの情報があればいい。


結局ソースの信頼性に依存するって自分で言ってるようなもんじゃいか

なんかもうグダグダだぞ。

2011-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20111201145030

多くの人がフィクションに求める目的の多くは現実逃避にあるのだし、残念ながら本腰を入れて作品を嗜もうなんて考える人はじつはそれほどいないのが事実

だいたいあんな幼稚なフィクションを本気で楽しんでるのは、学生かあるいはその程度の脳しか持たない連中だけでしょう。そして結果として現実逃避できればおk

しか日常系にうつつを抜かそうが、たとえばフョードルドストエフスキーの「罪と罰」を読んでこの上なく自己顕示欲を増大せしめようが、何をしたところでどれもこれも本質的には大差ない。

ただベストセラーや何かを見ていると受け手の質が低下したかなという気はしてくるけれど。

2011-11-22

子供」に寛容なのは結構だが、何やっても許される「子供」ってのは何歳までだよ

トラバの反応がつまらん。もう少しわかりやすく書くべきだったか反省




http://togetter.com/li/217060

心の問題についての議論はどうしたよ。「子供がうるさい問題」だよ。

このまとめだけだと「大人が子供暴言はいて許されるか」問題じゃないか。そんな結論分かってる部分はどうでもいいんだよ。



え、なに?そんなもん常識で考えろだって

未だにこの問題で万人に共有されている常識があるなら、問題なんてそもそもおこってないだろ?

うるさいと感じた時、どう対応すべきか、それについて受け手側はどう受けるか。

どうやれば一番衝突時のショックを減らせるかというクッションの構築とか

どうすればスムーズに話がススメられるかっていうプロトコルの設定が礼儀であり常識役割だろ?

全然できてねーじゃん。この状態で「常識」を語るのって、そりゃお前の意見押し付けに過ぎねーだろうが。




というかさ、何これ。

gnt カスが。お前の心の平安と、子供が歌う自由を天秤にかけるつもりかよ。

誰であろうとも「子供が歌う自由」を制限していいはずがない。公共? 迷惑? クソ食らえ

子供に寛容を通り越して子供憐れみの例状態になってる奴とか見ると何考えてんのか分からん

子供は犬か。なん歳児を想定してるんだよ。そして、そもそも抗議の自由しか無いとか何考えてんの?

禁煙ファシストに飽きて、今度は子供ファシズムに傾倒中なの?ナチなの?死ぬの?




どうせこういう子供の味方みたいなコメ書く奴に限って、しつけやら教育の行き届いてない厨房にはマジギレするんだろうがよ。

まず子供でも何でもバスで歌うのはありなのか? 無しだと思わないか

で、基本的にはだめだけれど、子供から許してやれよって話になるなら、線引きが必要だろ?

子供」なんて曖昧言葉でいうなら、そりゃ成人するまでこどもだぜ?親にとっては、そいつは一生子供なんだぜ?

子供からゆるしてやれ」っていう曖昧理屈付けは百害あって一利なしなんだよ。


基本的に教育はその親がやらないといけない。

その親は教育の指針として、ある程度社会合意がとれた条件を参照する必要がある。

んだから、そこで他人ごとからといって「子供から許してやれ」みたいな曖昧な話をしてるのは馬鹿げているにも程がある。

そういう無責任な発言を大人がしていると、参照するべきものがない親はそれぞれにマイルール適用してしまう。

よそに対しては大人だろうが子供だろうが容赦なく厳しいくせに、自分の子には甘甘みたいな間違った親が今の時点でも沸きまくってるだろう?

いい大人が自分責任がないと思って、「子供」というもの曖昧に捉えて、無責任になんでもありの状態を作っちゃダメだろ?

それはまず親にとっては途方に暮れる様なことだし、最終的には子供にとっても良くないよ。

2011-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20111114131129

ベン・トー」の中で「Gガン」の中で、作品中の登場人物が「(∀`*ゞ)テヘッ」ってやってたのか?

記憶にないが。


君はあれだ

登場人物が台詞メタ発言を吐くとかオタクっぽい自己ツッコミするとか

そういうわかりやすーく明示された「(∀`*ゞ)テヘッ」以外感じ取れない人なんだ

多分まだ摂取した作品が圧倒的に少ないせいで




実際のほとんどのジョークパロディというのは

「(∀`*ゞ)テヘッ」を台詞にしたりはしない

シチュエーションや暗示的な示唆受け手が気付いて笑うようになってる




質の悪いものほど口で説明するから

そういう意味で「登場人物が台詞で「(∀`*ゞ)テヘッ」をやる作品が下の下」というのは合ってるが

君が感知してない「(∀`*ゞ)テヘッ」はまだまだこの世に溢れてることを知らないといけない




例えば島本作品に「(∀`*ゞ)テヘッ」がない、なんていうのは

それはもう感性も知識も全然足りてないから気付けないというだけ

古いネタを全部抑える必要は無いんだけど、パロディ匂いに気づけるぐらいにはならないと

論評が頓珍漢になるし、楽しめる作品も楽しめない

2011-11-10

言ってる内容はわかるがお前が気に入らない

http://blog.livedoor.jp/ralf_halfmoon/archives/5305705.html

相変わらずハックルさん(弱)的なキャラクターですなご苦労さまです

彼を見ていると、ああ、ハックルさんってすごい人なんだなーって思う。

煽りたいならもうちょっと上手に文章書けよハゲ


前にオレのことを終末論者って批判してた方々がいましたが。ロクに内情知らないくせに「あのメーカーは終わった」と書いたりとか、2chまとめ記事見ただけであのメーカーはトレパクをしたと信じて「うん知ってた」としたり顔でいう、つまり大した根拠もねーくせにオワタオワタっていってる方々の方がよっぽど終末論者だと思うんですが、どうなんですかね。考え無しに騒いでいても何も言われないのに、根拠を提示したら叩かれるって意味分かんねーんだけど。



まあ見る側が情報見解を判別すればいいんですけど、ツイッターとか見てると受け手の理解力にも不安を覚えるので……。

ちなみに僕は舐められてるなーとは思いますが、国民全体を見たらまあそんなもんだろうと思うので特に行動はしません。

僕はキにしてませんといいながら、全部文句は書いて、さらにそのことについて言い訳をする君の人間性が嫌い。本当に嫌い。

いちいち自分が傷つかないためのロジックを「他人に向けて」書かないと気が済まないその精神性が嫌い。

まだ若いはずなのに、団塊世代がよくやるロジックだよソレ。おっさん臭さがたまらなく嫌い。

というか全体的に書いてることが常識論なくせになんでそんな上から目線なのか理解出来ないので嫌い。

あとラルフってキャラ名を使ってるのが嫌い。あとなんとなくオーガスト作品好きそうなのが嫌い。

とにかく嫌い。

でも、オーガストについては一切語らないんだよな。自分が語ると作品ごと叩かれるのを理解して言及してないならその点だけは偉い。

でも嫌い。

2011-08-24

果たして人は匿名批評に耐えられるのか?

というようなことを最近思う。

90年代匿名掲示板文化は「ネットリアルでは語れない本音で語れる場」として受け手からは重宝される一方で、作り手側からは「自分スレは絶対に見れない」という声が多数派だったように思う。

00年代10年代に入ると個人の発信手段は発達し、作り手側がtwitterで呟くことはもはや珍しくもないし、素人が作り手側に回りセミプロ化することも増えた。

匿名掲示板存在メジャーになったり、まとめブログで当たり前のように参照されるようになると、「ネットの本音」もマイルド化してかつてほど刺々しい論評は見なくなった。

それでも匿名掲示板文化が生み出したメンタリティは今もネットに染み付いていて、ゲハ論争に苦言を呈す開発者がいたり、一方でニコニコ動画はまさにクリエイター2ch的論評を結びつける場でありながら、バブリーな成長を遂げている。

同時にニコニコ動画ではこんな光景がよく観測される。

かつては動画で多数のファンを相手にしていた歌い手が、生放送で同じ歌い手や限られたユーザーと深く交流するようになり閉じていく光景

セミプロクラスの実力で大勢のファンを獲得しながら、傍から見ればどうでもいいことで動画炎上し、吹き上がるユーザーに傷つき作品を消して去っていく光景

ニコニコブレイクしてメジャーデビューしたヒャダインですら「なので,最近はなるべくそういうものを目に入れないようにしています。」と語り、匿名批評を受け入れられきれない。

人の精神匿名批評に耐えられるほど強くないのかもしれない。

そしてネットは作り手の技術・発表の場を躍進させる一方で、受け手を成長させることはなかった。全員が作り手側という建前で動いていたコミケに、「ネットお客様である歌い手ファンが乱入し混乱を引き起こしたのは必然のように思える。

10年代は「受け手お客様」がモンスター化し、作り手が疲弊していく時代になりそうな気がする。

2011-08-22

報道しない自由が可視化されてきた

日本マスコミ海外マスコミ日本にいながらに見れるものが増えてきた。

マスコミ以外から情報の発信というか現場から生中継もできるようになった。

どのように取捨選択するかは受け手にゆだねられているが、何が新聞に載って、何がテレビで放送されて、どれだけの分量でという客観的な事実が明らかになりやすくなった。

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110803081942

横だけど

この定義だと広すぎてカオス自体が「コミュニティ」含まれてしまうのでは、とか

原著作及び二次創作の送り手と受け手」まで限定したとしてもやはりまだ(二次創作者でもある)カオスが含まれるんじゃね?とか

「同じコミュニティから」(現代アートじゃないから)批判されてると思うんだけど、違うのかな?

批判の文脈は「同人としての文脈」だよね。

から、送り手と受け手としても含まれて、クリムゾン蛸壺屋のように批判されるべきだよね。

ここに対して、一貫して「僕らのやってるのは現代アートだ」って反論が出てるし、また同じ理路で擁護もされてる。

でも、それっておかしくね?

彼らはどっちなんだ?

アート分野?同人分野?

http://anond.hatelabo.jp/20110803032726

自分もそこら辺ひっかかった。



ここで言う「コミュニティ」とは、原著作の送り手、受け手、その他一切合切関係者の集まりという意味

この定義だと広すぎてカオス自体が「コミュニティ」含まれてしまうのでは、とか

原著作及び二次創作の送り手と受け手」まで限定したとしてもやはりまだ(二次創作者でもある)カオスが含まれるんじゃね?とか



彼/女らの成果物はそれが二次創作であるがゆえに、必然的にコミュニティ還元される

原著作のファンが盛り上がり、その盛り上がりがより深いコミュニティを形成し、さらに新たなファンを呼ぶ

この定義だと、これまたカオスが作った二次創作物はどうなるの?とか

原著作のファンが盛り上がり、~さらに新たなファンを呼ぶ」ような性質ではないカオス二次創作同人はどうするの?とか



結局明示的には言及されてない「コミュニティメンバーシップの条件があるように思う。

2011-08-02

カオスラウンジは他のコミュニティから収奪を行うが故に非難される

タイトルで言いたいことは言い切っているのだけど、以下補足。

カオスラウンジがこうなら二次創作同人*1は〜」という言説は比較として正しくない。「カオスラウンジ」は現代アートの活動主体のひとつであり、「二次創作同人」はジャンルを指す言葉からだ。正しく比較するなら「カオスラウンジがこうなら【ここに個々の二次創作同人主体(サークルもしくは作家)】は〜」もしくは「現代アートがこうなら二次創作同人は〜」である

では「カオスラウンジがこうなら個々の二次創作同人主体は〜」という比較を考えてみる。文脈はもちろん著作権である著作権法をあくまで愚直に適用するならば、原著作者の許諾を得ない限り、前者も後者違法であることに疑いはない。ここでよく持ち出されるのが「二次創作同人は黒ではなくグレー」「〜版元から黙認されている」という言葉である。これは、二次創作同人でも言わば「一線」を越えてしまった事例が存在する(有名なものでは、ときメモビデオ事件*2、ポケモン同人誌事件*3、ドラえもん最終話事件*4など)ことを考えれば、全ての二次創作主体に対して適用できるものではない。しかし、それでも、多くの二次創作同人サークル作家原著作者から訴えられることなく活動している。

なぜか。もちろん、主体の数が多すぎて原著作者が訴えきれない、あるいは主体の経済的な利益が小さすぎて訴え損になるという考えはある。しかし、それに加えて、私は彼/女らがコミュニティにその成果物および/または価値を(結果的)に還元しているかだと考える。ここで言う「コミュニティ」とは、原著作の送り手、受け手、その他一切合切関係者の集まりという意味である。彼/女らの成果物はそれが二次創作であるがゆえに、必然的にコミュニティ還元される。二次創作物によって原著作のファンが盛り上がり、その盛り上がりがより深いコミュニティを形成し、さらに新たなファンを呼ぶ事例を、私はこれまでに何度も見て来た。とある作品の同人イベント原著作者がお忍びでやってきて、参加者に対してこっそり「ありがとう」という言葉を残していった例も知っている。また、価値還元としては、二次創作同人活動きっかけで、その原著作者と関係がある商業媒体に登用された二次創作同人作者も知っている。価値とは何も経済的なものに限らない。むしろ長期的に見れば、人的な価値還元経済的なそれよりも利得が大きいだろう。

さて、カオスラウンジである彼らは他のコミュニティから収奪を行っていると言える。彼らのホームグラウンドたる現代アートからでなく、オタク系の諸コミュニティから、だ。彼らはその「アート」の素材をオタクコミュニティ依存しているにも関わらず、その成果物現代アートコミュニティに向けて公開されており、しかし彼らが得た価値オタクコミュニティ還元されることはない。控えめに言っても、カオスラウンジからオタクコミュニティに向けて、オタクコミュニティが有する価値(=カオスラウンジにとっての素材)の利用について対話の申し出がなされた例を、私は知らない。この申し出は価値を利用される側であるオタクコミュニティからでなく、利用するカオスラウンジからなされて然るべきであろう。この対話を行わないまま、または不十分なまま事を進めるのならば、カオスラウンジオタクコミュニティからの批判を甘受しなければならない。その上で、アートの力でもってオタクコミュニティを納得させる、素晴らしい作品によってグウの音も言わせないのが筋だろう。このふたつができないのならば、彼らの括弧書きの「アート」はアートではなく、ただの収奪に過ぎない。そして事実オタクコミュニティからは彼らの「アート」活動に対する批判が上がっている。「水かけアート」に対するデザイナーからの批判*5が最も分かりやすい一例だろう。

そう、カオスラウンジの「アート」の諸問題の本質は、著作権法論でもなく、同人論でもなく、実はアート論でもない。コミュニティ論なのだ。対話が不十分なままに収奪する者と、収奪されることに反発するコミュニティの問題なのだ。したがって、この問題は次のいずれかが為されなければ解決したとは言えない。カオスラウンジオタクコミュニティからの収奪行為を謝罪し、今後一切の収奪を行わないという宣言をし、それを履行する。あるいは、カオスラウンジが行う「収奪」行為が収奪でないとオタクコミュニティに対して対話または括弧書きでないアート作品の発表による説得を行う。それまでは、収奪されたオタク系の諸コミュニティからの「作品を勝手に使うな!」という類の非難は許され続け、カオスラウンジが許されることは決して無いだろう。

2011-07-31

韓流の問題でいってる「ゴリ押し」というのは規約等で対処できないの?

テレビ見てなかったから具体的に今どういう状態になっていたのかよくわからないけれど

http://hamusoku.com/archives/5440454.html

の277のスレを参考にしてこういうことを考えてみた。

1と2は確かめようがないので、テレビ見てる人で正しいかどうか判断お願いします。



1:公共の電波で自社関連の宣伝しまくるという問題行為が頻繁に行われるようになっていた。

2:他に金になるものがなくなって韓流が主な「自社関連」の商品になった。

3:1の問題行為が黙認されてなんとなく許容されていたので調子にのって韓流でも同じ事をやった。

  すると最初韓国が嫌いな人が不快感を表すこえが大きくなった。

  次に韓流の問題だけだったのが、飛び火して1の問題にたいしても注目が集まるようになった

  テレビ局としての制約を違反されていることがばれそうになった。

4:1の問題を深く突っ込まれたくないので

  問題発言をした人間を叩き潰すと共に、問題を韓流の問題だけに絞り込もうと意識操作を行っている

まず上記の2ちゃんまとめについて苦言。

ゴリ押し」というのが何のことかわからなかった。

問題を論じるときにこういう受け手によって意味が変わる抽象語を使う人と会話したくないよね。

なんでこの人達は、とりうる解決策とセットで問題を考えようとしないんだろう。




私はテレビ見てないので韓流が増えようが増えまいがそこはどうでもいいのだけれど、

まず1が問題であるとして、1が問題である、あるいは1をやってはいけない、というについては何か規約規制があるのだろうか。

それとも常識で考えたらわかるということで明文的な規約はないのかな。

私のいる業界では、倫理規定、○○○○法、○○基準などが明文で規定されていて

こういうことはやろうと思ってもできないようになっている。テレビ局はどうだろうか?

もし現在1がまかり通っているならそういう規約がないのだろうなぁ。

となると、韓流問題についてウヨク的な運動をするのではなくて、1の問題を封じ込めるべく規約を作ったほうが良いのではないか



というようなことを考えました。




なんだかツリーがすごい伸びてしまって収集つかなくなったようなのでこの問題終わりにします。

ようするに、どういう目的フジテレビを批判しているのかってのが明確じゃないのですね。

2011-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20110730124550

苦しんでいるんですね。

やっぱり楽しいとか、萌えるとか、燃えるとか、とにかくエモーション駆動する作品が一番ですよ。

受け手を喜ばせる方法というのはある程度ご存知でしょうから自分も楽しみましょう。そうせんと続きませんよ。

2011-07-23

ねたたま : チミはそんな言い方されて相互リンクとかする気になるかねぃ? - ライブドアブログ

http://netatama.net/archives/5369284.html


メール受け手不快にさせないようにという意図の文章ですが、不快感を覚えました



「なんでそんなに上から来るんだろう?と思いましたが」

- 転職ならen
- 派遣ならen
10ページ中1ページ目を表示(合計:227件)