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はてなキーワード: ビデオゲームとは

2011-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20111201235919

もしも(歴史にもしもはないけど、敢えて「もしも」の話をすれば)だけど、あなたの親が

一言も「勉強しろ」と言わなかったとしたら、あなたに全く干渉しなかったとしたら、どうだったんだろう?

私の親がそうだった。

欲しいものは与えられたし、好きなことをして高校卒業した。

ボンボンだった。

ポンっと60数万をもらったことがある。

で、私の人生はというと、遊びほうけたというわけでもなく、そこそこ勉強した。

大金をもらった時でさえ、セガサターンソフトを1枚、音楽CDを2枚くらい、ポータブルMDプレーヤーを買ったくらい。

友達を招いたり、友達の家に遊びに行けなかった理由は、

友達の家に行ったら、なにかご馳走されたりしたら(あとでお礼を言わなければならないから)ちゃんと全て報告しなさい」

と言われていたからだった。

母が祖母(姑)に

子供がよそ様のお世話になったら、ちゃんと親がお礼しなさい」

と言われたから、母は私にそう言っていることを私はわかってた。

私が友達の家に遊びに行くことが、親同士の外交問題になり、家同士の外交問題となると思うと、嫌だった。

「うちの子がお世話になりました」

「いえいえ、どうも」

みたいな会話をされることが、私には心底嫌だった。

そんなわけで小学生の頃から友達との関係は学校の中だけで、放課後休日は交わらなかった。

お金の使い方としては、たくさん使った日でも、半日ほどゲームセンターに入り浸って2000円くらい使う程度。

(本当にそのくらいしか使えなかった。一人でプリクラを撮るような性格じゃなかったし、UFOキャッチャーにも興味がなかった私は、100円2ゲームビデオゲームばかりで、1ゲームあたり30分くらいは遊んでいられた)

報告の義務さえなければ、と親を恨んだ。

完全に逆恨みだ。

「どうして私の友人関係に干渉するの?」

と強く出たが、そこは親も折れなかった。当然だ。親が正しい。

むしろ干渉の度合いはめちゃくちゃ少ない方だったろう。

「どうして勉強しろだとか言わないの?私に興味がないの?」

と言ったこともある。

冷静に考えればどう考えたって理想の親だ。

ぶっちゃけた話、私には不満がなかった。

ちょっと違うかな、私は、どう接されても満たされない、心に欠陥をもってる。

勉強しろと干渉されたらやはり文句を言ってたと思う。

友達ができなかったのは、親のせいじゃなく、コミュ障からだ。

そのことに気付いたのはつい最近

20代も終わりに近づいた頃。

あなたには私と同じ匂いを感じる。

私は非行に走るでもなく、そこそこいい大学に入った。

そこそこに、出世コースにも乗ってる。

もう一度言うけど、あなたも、生きろ。

2011-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20111113162436

http://www.nikkei.com/tech/business/article/g=96958A90889DE1E4E7E6E3E7E4E2E3E4E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;df=5;p=9694E2EBE3E3E0E2E3E2E1E7E2E4

 ソーシャルゲームは従来のビデオゲームとは違う道筋をたどって急速に普及した(別掲記事「激動のゲーム市場をめぐる3つの誤解」を参照)。単にユーザー同士が交流できるゲームという意味では、家庭用ゲーム機パソコンオンラインゲームが先に実現している。


 DSと3DSでいえば、無線LANを経由した「すれちがい通信」がそれにあたる。任天堂がこの12月に発売する3DS向けソフトマリオカート7」では、ネットを通じて「コミュニティー」で対戦仲間を募り、世界中ユーザー8人で同時にカーレースを楽しむこともできる。12月にSCEが発売する携帯型ゲーム機「PS Vita」は携帯電話ネットワークを利用して、さらに交流を密にしようという試みも始める。


 一方、モバゲーやGREEに代表されるソーシャルゲーム携帯電話を利用し、ゲーム自体には無料で参加できるのが大きな特徴。ユーザー同士の交流課金のための重要モチベーションとして位置づけられ、ゲームを早く進められたり、強くなったりする有料アイテムの購入を促すものが多い。


 最近ではGREEの「ドリランド」のように強いカードを集めるタイプソーシャルゲームが主流となっており、強いカードを得られる可能性がある1回数百円程度のクジ引き「ガチャ」が主な収益源となりつつある。最初無料で、のちに課金を促すビジネスモデルである以上、競争が激化するにつれ、ユーザー射幸心をあおる方向へと突き進まざるを得ない。

http://www.nikkei.com/tech/business/article/g=96958A90889DE1E4E7E6E3E7E4E2E3E4E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;df=6;p=9694E2EBE3E3E0E2E3E2E1E7E2E4

 「日本欧米に比べてブームが作られやすいが、飽きのペースも速い。このままバトルものカードものばかりだと、ユーザー食傷気味になる可能性はある。また、『ガチャ』を収益源とするゲームあおり要素が強く、嫌気からユーザーが離れることもあり得る」。ソーシャルゲームに詳しい大和証券キャピタル・マーケッツアナリスト白石幸毅氏はこう指摘する。


 ソーシャルゲームは一部のハマったユーザーによる課金で成り立つ。重課金ユーザーは全体の数%といわれ、多いユーザーになると月額数万円もの資金を投じるという。一方、家庭用ゲーム機は「ハードの保有期間や1つのソフトで遊ぶ日数を考えると、じつは娯楽の費用効果としてはけっこう安い。問題はユーザーを惹きつけるようなジャンルソフトを投入できるかだろう」(白石氏)


 やはりソフト次第ということになるが、「定額」という安心感から家庭用ゲーム機世界が見直される可能性も出てきた。月に数万円課金したとしても大人は自己責任で済むが、親元にいる小中高生はそうはいかない。任天堂子ども向け需要追い風が吹くこともあり得る。


 今年7月の決算説明会で岩田社長は、「将来、任天堂の何かのゲームの追加ステージとして、『これを遊ぶためにはあといくら払っていただけませんか』ということはあって良いのではないか」と前置いたうえで、こう明言している。


 「『数字パラメーター(設定値)だけを触って、何かの鍵を開けるとか、何かがものすごく有利になるとかという形で課金する』ということは、クリエイティブの労力への対価ではない全然別の構造です。それを追求すると確かに短期的に収益は上がるのかもしれないのですが、お客様と私たちの間での長期的な関係は作れないのではないかというふうに思っていまして、こういう形での課金は、私たちのコンテンツに対してはすべきではないと、いうことも話しています

2011-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20110203020723

ハイスコアなんか極めたって面白くもなんともない。

ビデオゲームに対する視野が狭すぎる。

お前の脳内ではビデオゲームは点数の大小を競うものしかないのか?

世界最初ビデオゲームとされる「PONG」が、人間人間の対戦ゲームだったのを知らないのか?

2011-01-29

トランプにしろ缶蹴りにしろビデオゲーム類にしろ、「ゲーム面白さ」ってなんだろうかと言うのは確かに興味を惹かれるテーマだな。

2011-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20110118063743

正にモビルスーツならぬ、ハードは絶対的な戦力の差には成り得ない。

というのが、昨今の主流の考えだと思う。全てはコンテンツ・全てはアプリ次第。かと。

それじゃあ「PONG」等に始まるビデオゲーム再生ハードウェアが今もなお向上し続けてる理由の説明がつかないでしょ。

そういう理屈HDゲーム機への参入を渋った結果が今の日本ゲーム業界の惨状を招き、逆にハードウェアの性能向上をどん欲に求め、それを使い尽くすゲームの開発を追求し続けたからこそアメリカゲーム産業の隆盛があるんだから、そこは認めないと。

2010-11-24

福島瑞穂児童ポルノ規制派のゲーム漫画販売禁止請願

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/176/yousi/yo1760145.htm

性的搾取を許さない、女性人権確立を目指す法制定に関する請願

(五)女性に対する強かんや性暴力を描くビデオゲームマンガの販売を禁止する

H22.11.10 受理 H22.11.19付託

糸数  慶子   沖縄

谷岡  郁子   民主

福島  みずほ  社民

大河原 雅子  民主

田村  智子   共

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/176/futaku/fu17600650145.htm

2010-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20100610202103

この一連の議論での「犯罪蔓延シナリオ」(上の方見てね)っていう「可能性」の場合は、

重厚長大コンテンツ需要世代交代と共にじわじわ減っていく」

マーケットが縮小すれば、それより速いペースで供給が減っていく」

「半世紀くらいで、重厚長大コンテンツは、ごく一部の記念碑的IPを残して壊滅」(そもそもビデオゲームという形態がのこってるのかのか微妙な遠い未来だがw)

って感じじゃないかな。あくまで可能性だけど。

2010-03-22

ゲーム時間を潰せる奴がちょっと信じられない

けっこうオタク系の趣味は持っているんだが、俺はゲームを一切やらない。

携帯ゲームですら手は出さない。別に自分に禁じているわけじゃなくてやる気にならない。

中学生ぐらいまではちょこちょこやっていたけど今はまぁ絶対ないな。

周りはみんなゲームをやってるんで(オタクかどうか問わず)それを知られるとけっこう不思議がられる。

むしろ俺はみんながなぜゲーム時間をかけられるかが謎だ。それほど魅力があるとは思えない。

これから俺がゲームをやる気にならない理由を書いてみようと思う。

ゲーム好きな人はもしよかったら反論をしてみてくれ。リアルでやるとウザがられるしな。

ちなみに断りが無ければ基本的にコンシューマービデオゲームを想定して書く。



(1)値段が高い

いきなり貧乏臭い理由で申し訳ないがこれも理由に入る。

スーファミからプレステに移行することで安くなったとはいえ、

それでも6000円~8000円はしてしまう。これは高い。

映画レンタルなら一本300円だと仮定して、20本は借りられる。

色んなジャンルを20本楽しめる映画に比べて

ゲームは一本でこんなにするので何だか損した気分になる。

ただし、別に安くなったとしてもやらないかもしれない。

それは以下の理由があるからだ。



(2)プレイ時間がかかる

おそらく最低でも20時間はかかるだろう。

それだけの一人の時間を確保するのがたいへん。

一日一時間として20日もクリアまでかかるし、

一本の作品に何十時間もかけるよりも、

必ず二時間以内に終わってくれる映画のほうが安心。



(3)話題を共有できる範囲が狭い

小学校であれば一つのゲームを友達全員がやっていたりするが、

今はゲーム不況でぜんぜんゲームが売れていないので、

そのゲームの話題が通じる相手が必然的に狭くなる。

何千円も何十時間もかけて話題を共有出来る相手が

あんまりいないのはなんだか寂しい。



(4)実生活へのフィードバックが少ない

ゲームクリアしたって実生活への変化は何にもならない。

得点集めるなら電気屋のポイントカードの方がマシだし、

DDRやるんなら実際にダンスやっちゃった方がいい。

就職面接で「DDRに打ち込んでました」って言ってもまったくプラスにならない。

ゲームやってる時間にハウトゥー本読んで実践した方がマシ。

ゲームなんて時間をドブに捨ててるようなもんでやるだけ無駄

こんなもんを「やってて当然」みたいな風潮があるのはほんとに残念。

2010-02-05

切込隊長の凄まじい経歴

508 :名無しさんお金いっぱい。:2010/02/04(木) 22:27:12 ID:UmutD1lF0

お前ら切込隊長の凄まじい経歴にひれ伏せよ。

2001年9月に謎のハッカー911の混乱に乗じて流出させた山本一郎プロフィールだ。切込本人もガチ情報だと認めている。

なんでもシカゴ大学ベンチャーキャピタルが作ったプロフで、当時はラムズフェルド国務長官危険人物として切込をマークしてたんだとか




山本 一郎(英登記名 Ralph Yamamoto,NL) 最終更新日2001年 02月 04日

生年月日:****年 **月 **日

国籍・本籍地:東京都中央区八重洲日本

職業投資業、投資顧問業、技術評価コンサルタント

種別:A-03 業種コード:3303-2B

学歴慶応義塾高校,慶應義塾大学法学部政治学科(1996)

留学その他:シカゴ大学(1994:米),モナーシュ大学(1995:豪),モスク大学(1993:ソ)

株式公開企業等事業者役員経験:無

資産種別:同族(1),個人営利(3),その他(9)

扶養家族:無

主要取り扱い銀行:***銀行(スイス),**銀行(蘭),****銀行(アイルランド)

職歴等:関連データ参照

経歴特記事項(略記):

筑前竹中家庶流。赤穂藩淡路山本分家。祖父**、四男父**。

始祖父代に武家売役、回船問屋泉屋、蔵問屋泉屋を名乗る。以後、中央区八重洲界隈の地主として現在に至る。

父**は*士*学*業(同族企業)を経営する他、三菱の流れを汲む四社代表取締役を勤める。(1990)

母仲山**。昭和**年度準ミス日本(1990)

国際電気入社。人事部配属(1996)

父**、不動産管理業の失敗が理由で全ての保証人山本*郎に移す。

主な債権者は日*興*銀行、*谷*用*庫(1996)

金利等減免措置適用さる(1996)

同年退社(1996)

起業経験あり(1996)

企業調査では特に秀でた実績を有す(1997)

******・****・***証券(英)傘下****・****社

にて金融商品設計担当取締役就任(1999)

慶応義塾大学時代、中道右派学生自治会委員長を務めていたこと が判明(1999)

米国株売却益により*士*学*業等同族企業債務の過半を返済(2000)

SECより高額納税者登録、重点監視者登録される。

この頃、在米資産の過半が処分される(2001)

IQ: 計測不能、190以上(シカゴ大学調べ)

性格: 生真面目、頑固、議論好き、完璧主義という証言が大半を占める。他に

女性嫌い、大酒飲み、狂人、吝嗇、冷静沈着、など

趣味: 野球鑑賞、ビデオゲーム射撃ギター演奏、学究

補記: 中学、高校時代は数学オタク、嘘つきなど風評芳しからざる学生だったという証言あり。

大学進学後は態度が改まり自治会文化団体連盟の委員長に選出されるなど、

人格成熟化に伴う成長が見られる。

この頃、代議士熊谷弘、大平正芳橋本龍太郎らの子息と親交を結ぶ。

ファンタジー研究会に所属。この頃、偽名でライトノベル出版シリーズ累計400万部を超えるベストセラーになる。

大学時代射撃部、体育会本部を経て自治会委員長に推薦され、主に体制側として手腕を振るう。(1995)

******・****・***証券(英)傘下****・****社においては、

数学に秀で、緻密な仕事ぶりを勤務において評価され、

デリバティブモジュールの作成において顕著な実績を挙げる。

取引先に言い寄られ、ストーカー容疑で二件の被害届を提出している(1999)

司法資格失効(1999)

オラクルDELL投資により30億の利益を獲得(個人資産) (1999)

金融監督デリバティブ査察チームのアドバイス業務を行っていた形跡あり(1999)

この頃、同僚が自殺(2000)

2009-12-20

値下げは効果あった

http://anond.hatelabo.jp/20090924115049

http://www.inside-games.jp/article/2009/08/26/37322.html

任天堂岩田聡社長はCNBCのインタビューに対し「まるでそれがオールマイティ武器であるように値下げに関して語るが、値下げの効果は限られている。ビデオゲーム歴史においては、値下げした直後は売上が上がるが、勢いは続くことなく値下げ前のレベルに落ちる」とWiiの値下げを否定していますが、プレイステーション3の値下げを受けてもこの姿勢が変わらないのかどうか、大きな注目が集まっています。

PS3が値下げした9月3日か先週(12月第2週)まで約15週間。その間、Wiiが販売台数で上回ったのは4週だけ。興味深いのは、Wiiは値下げした後(11月1日以後)も新作マリオが出るまでPS3に負け続けていたという点。

なので引用元の任天堂社長の発言は、Wiiに対して当てはまる事だけれども、PS3に対しては当てはまらなかった、という事になる。

  • 値下げ効果が今でも続いているPS3
  • 値下げ効果が殆どなかったWii

これらから導き出せる結論は、値下げ効果の永続性は価格帯によって変わる、という事ではないだろうか。

つまり任天堂社長の自社製品に対する認識は正しかったという事になるわけだが、逆に言えば、値下げしても長続きしないと分かっていながらも値下げに踏み切らざるを得ない状況に任天堂は追い込まれているという見方も出来るんじゃないか。


とはいえ値下げは間違ってなかったと思う。PS3との価格差がたったの5,000円てのはやっぱりきついよ。

2009-11-17

行きつけのゲーセンが閉まっていた

久しぶりに家庭用ゲーム機で普段やってるものとは別のゲームを遊んで「楽しい」と思えたことから、かつて通っていたゲームセンターに久しぶりに行きたいと思い始め、思い立ったそのすぐ今日に、昼から暇があったので、行ってみることにした。

約半年ぶりに、当時と同じ足取りで向かうと、騒音と共にその光景が憧憬として深く頭に残っていたゲーセンは、跡形もなく消え去っていた。デパート内の一角にあったそのゲーセンフロアシャッターで閉ざされ、入り口前の掲示板には、10月末に閉店したことと、これまでのご愛顧に対する感謝の旨を伝える文章が、それぞれ別のアニメゲーム画像ネタと共にいくつも貼られていた。驚いたが、実は閉まっているんじゃないかという心配はちょっとだけあった。そのゲーセンは、その手ではおそらく中堅~大手の会社によるチェーン店だったが、単純に経営難に陥ったのか、やむを得ずに立ち退きをせざるを得なかった複雑な事情があったのか、理由はいくつも考えられたが真相を積極的に知ろうとは思わなかった。

閑散とした一角を前にして、こみ上げてくる寂しさと同時に、ゲーセンに通っていた思い出が蘇る。そのゲーセンに通い始めたのは2年半前のことだった。レバーとボタンを使ったゲームに大きな興味のあった自分は、インターネットで調べた結果、近くて通いやすく賑わっていそうなこの店に通い始めた。最初は多くのゲームをだらだら触っていたが、古めのゲームは対戦相手が少ない上に強すぎて勝負にならないこと、新しいゲームでもそのほとんどは操作が難しいなどの理由で肌に合わず、多くのゲーム、多くのキャラクターを試した中から一人だけ自分マッチしたキャラを見つけ、そのゲームを集中的にプレイすることにした。それなりに歴史のあるゲームだったが、最新作が出てから日は浅く、プレイヤー数も多かった。

結局のところ、プレイしていた2年間はずっと負け続きだった。自分だけの力では手も足も出ず、インターネット攻略情報を調べ、操作に慣れようとしては乱入され、コテンパンにされ続けた。やっとまともに動かせるように思い始めた頃からは、筐体の周りに出来た行列に並んで待ち、自分の番になると一回も相手に触れずに負けたこともあった。いくらお金を注いでも、上手くゲームを遊ばせてもらえなかったし、相手は自分を勝たせてはもらえなかった。それでも楽しかったのか、それとも上手くなれると信じきっていたのか、毎日のように通っては迷わずお金を落とし続けた。

プレイを始めてから一年半ほど経ち、ラインナップもそれなりに変わり始め、自分のやるゲームも古くなり、稼動しているセット数が減り、人口も減ってきたが、今やっているゲームほど自分を満足させるものはなく、同じゲームプレイし続けた。しかし、同じゲームプレイしていた人達は新作に移ったというわけではなさそうで、その頃には、自分が見た同じゲームプレイヤーのほとんどはゲーセンに姿を見せなくなっていた。おそらく、自分はその9割には一回も勝てなかったであろう。行列に割り行っては手も足も出なかったあの頃とは違い、中級者程度なら初見ではそれなりに肉薄できるようになった代わりに、筐体の周りには休日にも人だかりはほとんど出来なくなっていた。

対戦ゲームと並行して一人用のゲームもいくつか嗜んでいたが、お金を山ほどつぎ込みながら、ノーコンティニュークリアまで到達できたゲームはごく簡単と呼ばれるもののみを片手で数えるほどで、本格的なスコア稼ぎの領域まで手を出したゲームは一つも無かった。こちらも対戦ゲームと同じように、鳴かず飛ばずの大失敗だったと言えるだろう。

二年ほど経った頃、自分が全く上手くなっていないことにやっと気づき始めた。手先が不器用で反応も鈍いことや、妙な癖があり簡単に隙に付け入られること、攻略他力本願で何も考えていないことなど、自分の弱さにとことん難癖をつけ始め、ネット上で上級プレイヤーの話を聞くと、自分ほどの高さに達するまではほとんど苦労はしてないであろうと思い込み、自分のセンスの無さに失望し、ゲームを続けることに面白さを見出せなくなっていき、ゲーセンから自然と足が遠のいていった。弱肉強食ゲーセンゲーム事情において、弱い存在である自分自然淘汰されたということである。自分ゲーセン通いは、いわゆる人生に数多い挫折の一つというやつで、こともあろうか自分は娯楽に対してそれをしてしまったというオチだった。通うのをやめてからは、そのゲーセンの近くには意識してかせずか立ち寄ることが全くなくなり、空白の半年の間は、店舗の様子を見たこともなかった。

自分ゲーセンで出来た知り合いはいなかった。個人的に同じゲームで同じキャラを使う上手いプレイヤー尊敬や淡い思慕の念を持ったことはあったが、だからといって自分から話しかけることはなかったし、定期的に開催される大会に出たことはないし、コミュニケーションノートにも一筆添えることもなかった。それらは単に、ゲームを中心に回るコミュニティの中で自分の存在をアピールするためには当然ゲームの上手さが必要であるという思想から、他人による自己承認を求め、待ち続けていただけの臆病さによるものなのだと思う。その思いとは裏腹に、話しかけられて腕前を賛美されるといったこともなかった。むしろ、自分や筐体に対して罵言や殴打で怒りをぶちまけられることこそ無かったが、ゲーム内では対戦中に挑発や舐めプレイという形で自分を疎んじる態度を頻繁に表され、今でも枕で思い出しては後悔と戒めの念を抱くほどである。だから、自分はこのゲーセンコミュニティの中に存在していたとは思えないし、そのゲーセンにいた人達と今、閉店に対する思いを共有できるかといったそうではない気がする。ただ、少しでもこのゲーセンに通っていた人なら、奥底には自分と同じような寂しさを持っていて欲しいと願う。あと、おそらくこのゲーセンが無くなったことで、中にはアーケードゲーム自体をやめてしまった人も少なからずいるのだろう。それは寂しいことだと思った。

思い出話はいい加減やめにする。通っていたゲーセンが閉まっている現実を目の当たりにしても、あのゲームをもう一度やりたい、という思いは失せることはなく、近くにあるもう一つのゲーセンに向かった。そこはアミューズメント事業では最大手のゲーム会社が運営しているため、そうそう閉店することはないであろう。ビデオゲームフロアに足を運ぶ。平日の昼間だけあって人はほとんどいなかった。筐体の配置が変わった程度でラインナップは半年前とほとんど変わった様子が無く、自分のやりこんだゲームも変わらず対戦台で稼動しているのを見つけた。100円を入れ、自分の使っていたキャラを選ぶ。久しぶりのプレイ不安だったが、動かしてみるとそうコンパネの扱い方を忘れてはいないことに気づいた。さすがに応用となると怪しい部分もあったが、基本はおおむね満足に動かすことができた。かつて何度も練習した猶予2フレームのテクニックも、身体が覚えていて問題なく出すことができた。レバーをガチャガチャと動かし、いつもの癖でボタンを順々に思いっきり弾くように押す。外が寒く、暖房が強く効いていたせいもあるが、上着を脱ぎたくなるほど身体が火照った。乱入はなく、一人プレイをそこそこに終えた。楽しかった。次に、かつてノーコンティニュークリアしたこともある、簡単な一人用ゲームプレイした。うろ覚えはしているものの、基本は思いつきだけで立ち回っていく。当然のように、後半になるとすぐに攻撃に追い込まれていく。最終ボスの最終形態ゲームオーバーになり、結局変わってないか、と上手くなっているのを期待していたことを自嘲した。それ以上ゲーセンでゲームプレイする気にはならず、ゲーセンを後にした。

馴染みの深いゲーセンの閉店を目の当たりにして、これから、を思うと、これからは他のゲーセンインカムに貢献して微小ながらゲーセン全体を盛り上げよう、などという気持ちはない。腕も無ければ人脈もない、ゲームセンターという文化に馴染めなかった人間なので、これからもなおさら、関わらないようにしようと考えている。

今の自分は、ゲーセンはおろか、今はゲームというものに対して良い思いを持っていない。今は一つのゲームのみを家でプレイしており、そのゲームプレイ時間は150時間を既に越えたが、一向に上手くなる気配を見せない。最初に比べると随分な上達なのだろうが、普通ゲーマーなら1/4程度のプレイ時間自分の高みには達せられるだろうと思う。もちろん最初は楽しくプレイできていたが、上手くならない自分に苛立ち、そのゲーム逆恨みを募らせていった。恨みを持ってまでそのゲームをするのは「諦めたくないから」という無駄な意地で、上を見てもキリがないし限界があるので、ある程度納得する結果が得られたら、そこでゲームとはしばらく縁を切ろうと思っている。何を娯楽に真剣に、と大笑いされるだろうが、自分にとってゲームとはそういうものになってしまっている。たぶんそれは悲しいことだと思う。

自分は非常に負けず嫌いでプライドが高いので、通っていたゲーセンに対して、そのゲーセンにいたプレイヤーを含め、自分を貶めたことについて憎悪の念を持っていたのだと、今思い返せば、そんな気がする。そして、ゲーセン通いをやめた時から今まで、いつかはゲームが上手くなって、見返してやろうと思っていたんだと思う。そんなこと、できるわけないのに。この胸の中に小さな穴が開いたような虚しさは、復讐の相手を失った感じという表現が合っている気がする。

今の自分を形成している、一つの大きなものが死んだという感覚は、初めてだった。




拙い語彙に、自己完結して他人が読むには意味の通らない文章、まとまりのないテーマ、過ぎた自分語り抽象的すぎる表現。見てて不快感を催しても仕方ありません。申し訳ないです。

ただ、心の中にある複雑な思いをどこかにぶちまけたくて、増田に書かせてもらうことにしました。

長文、失礼します。

2009-09-24

Wiiが値下げするらしいが

Wiiが値下げされるそうな。

http://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2009/090924.html

来月から2万円になるとか。

しかし、直前まで任天堂社長はこんな発言をしている。

http://www.inside-games.jp/article/2009/08/26/37322.html

任天堂岩田聡社長はCNBCのインタビューに対し「まるでそれがオールマイティ武器であるように値下げに関して語るが、値下げの効果は限られている。ビデオゲーム歴史においては、値下げした直後は売上が上がるが、勢いは続くことなく値下げ前のレベルに落ちる」とWiiの値下げを否定していますが、プレイステーション3の値下げを受けてもこの姿勢が変わらないのかどうか、大きな注目が集まっています。

他にはこんな事も。

http://touch-ds.jp/dsi/interview/4.html

これは私の個人的な感覚ですけれども、

時間が経つほど値段が下がるモデルというのは、

お客さんに「待ったほうが得ですよ」って

メーカーが教え続けているような気がして、

なんか間違ってるんじゃないかって

ずっと思ってきましたから。

もちろん、どんな局面になっても

値下げを否定するつもりはないんですが、

むしろ最初になるべくがんばって、

一番最初に応援してくれる人が、

「オレは先に応援して損をした」って

思わないようにしたいなあとずっと思ってきましたから。

値下げに否定的な考えをずーっと表明し続けてきている。

言い換えれば、競合機種(PS3Xbox360)の相次ぐ値下げで、限定的な効果しかもたらさないはずの値下げを決断せざるを得ない状況に追い込まれた、という事か?

2009-08-07

じゃあ文句を言うなよw

社会心理学者「テレビゲームの主人公が白人男性ばかりなのは問題」

http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=203

アメリカ社会心理学者がビデオゲームキャラクターに関する研究を行い、ゲームの主人公が若い白人男性ばかりなのは問題だと指摘する論文発表しました。

社会心理学者で南カリフォルニア大学助教も務めるDmitri Williams氏は、全てのプラットフォームレイティングを含む1年以内に発売された150作品ゲーム対象に、登場キャラクターの傾向を調査。その結果、成人の白人男性を主人公にしたゲームが多すぎることが分かったそうです。

氏の研究報告によると、特に分布が少ないのはヒスパニックラテン系キャラクターで、一部のゲームで確認できたものの、そのほとんどはノンプレイアブルの脇役であるとのこと。

ラテン系子供たちは白人子供よりもたくさんゲームで遊んでいるのに、彼らは自身の人種プレイすることができない。これは同一性形成において問題だ。(中略)皮肉なことに彼らがゲーム制作者になることも少ないので、この循環が断ち切れないでいる。”

女性ネイティブ・アメリカン子供高齢者といった存在もゲーム中に登場する機会は少なく、プレイアブルキャラクターのうち女性キャラクターは全体の 10%という結果に。その一方、アフリカ系のキャラクター現実と同じ割合でゲームに登場するものの、そのほとんどはスポーツゲームだったり、50 Cent Bulletproofのようなステレオタイプを助長するような描写が多いようです。

尚、この研究対象となったゲームには、人間が登場しないものや、キャラクターが画面上に表示されないファーストパーソンゲームは含まれていないとのことです。(ソース: Science Daily: Video Game Minority Report: Lots Of Players, Few Characters)

じゃあ「白人男性」並みに悪役や憎まれ役に割り当てられる事も受け入れてくれんとな。主人公や善玉が全員白人で、悪役一派が黒人メイン、なんて構成のゲームも平等に容認しないとバランスとれんだろ。

2009-06-18

なぜ、バーチャファイターというゲームは素晴らしいのか

1.戦いとは喜びである

古来人間、特に男性にとって戦いとは、興奮の源であり生きることに直結する活動である。獲物を狩る、敵対部族と争う、強い戦士であることを女性に見せ付ける。闘争するための力の行使こそ、男性の活力を最も奮い立たせる活動の一つである。

現代日本においては、肉体を用いた直接戦闘を行う機会は非常に少なくなっている。しかしそれによって闘争に対する本能的喜びが消えた訳ではない。相撲、K-1のように、代理人に自己投影して直接戦闘を楽しんだり、球技のようなスポーツという形にマイルドに加工された戦闘を行ったり観戦したりして楽しむことには大変人気がある。

戦いとは極めて強い刺激であり、興奮であり、快感である。死力を尽くしたぶつかり合いである。なぜ人はトータルでは負けると分かっているパチンコ競馬に金をつぎ込むのか。それが(少なくとも主観的には)勝負だからである。戦いの興奮を得られるからである。なぜアカギは、命を賭けた勝負こそが人生で、他の事はただの休憩だと言ったのか。なぜ佐々木小次郎は、切り合うことでしか友を作れず、殺しあうことでしか語り合えないのか。それは戦いこそが凝縮された生の煌き、生命の表現、他者との濃密なコミュニケーションだからである。


2.なぜ私が実際の格闘技をしないのか

私は自分の肉体を用いる直接戦闘こそ、最も濃密な戦いの時間を楽しめると思っている。しかし、実際に肉体を用いる格闘技自分が行う場合、非常に大きなデメリットがある。それは大怪我の可能性である。

怪我をすることによる痛みなどは特に問題ではないのだが、肉体を使う戦いでは打ち所が悪ければ失明、脳への後遺症、最悪死ぬこともありえる。また骨折程度でも、実生活への悪影響はかなり大きなものとなる。これは娯楽のために行うには大きすぎるリスクだ。

自分で戦いをしたい。しかし怪我はしたくない。このような贅沢な要求に応えるもの、それこそが擬似的な自己の分身であるキャラクターを用いて戦う、対戦格闘ゲームである。

また、肉体を用いた戦いにおいては、言うまでもなく肉体の性能が非常に大きな要素を占める。つまり、個人の努力技術うんぬんではなく、どれだけ肉体的に優れた遺伝子を持って生まれてきたかを競うという側面が強くなる。それに比べて、ゲームでは同じキャラクターの性能はまったく同等である。幼稚園児でも、現役の横綱でも、同じボタンを押せば同じ性能の動きが可能である。よってゲームでは、肉体を用いた直接戦闘に比べて、非常に公平な条件での戦いを楽しむ事ができるようになる。


3.なぜ他の種類のゲームではなく対戦格闘ゲームなのか

戦いにおける興奮に近い要素を持つゲームは色々ある。例えばレースゲームシューティングゲームであっても、ぎりぎりの時間の中に多くの判断と正確な操作が要求され、そのスリルの中に自分の思い通りの結果を得られた場合の喜びもある。しかし私にとっては、そこに対戦相手である人間がいなければだめなのである。右なのか左なのか、前身なのか後退なのか、これまでに得た全ての情報経験統合し、一瞬のなかに最大限の思考を巡らし、全霊をもって放たれる相手の一撃をそのさらに裏をかいて紙一重で避けて反撃する。このように互いの精神を喰らい合うようなものでなければ、私の求める戦いにはならないのである。

また、単に対人ゲームであれば、例えば囲碁将棋であっても、互いの精神の戦いであると言える。しかしこれらのゲームでは、戦いの時間密度が低いのである。これらのゲームにおいては、数分なり数十分単位時間の中でどれだけ多くの思考を展開できるかを競うことはあっても、1秒の間にどれだけの思考を展開できるかが求められることはない。言わば、精神の持久戦なのである。持久戦には持久戦の良さがあるのだが、それは私が求めるものではない。極限まで高められた精神が一瞬のうちに交錯する緊張感、鳥肌が立つような、胃が痛くなるような、体が震えつつも熱くなり冷たくなるような、コンマ1秒でも油断したらその瞬間に全てが終わるような緊迫感の連続、そういったものが私が求める戦いの時間である。このような、「最大限に時間密度を高めた人間同士の精神の戦い」が最も良く実現されているゲーム、それが対戦格闘ゲームである。


4.なぜ2Dの対戦格闘ゲームではなく、3Dの対戦格闘ゲームなのか

対戦格闘ゲームは大別すると2Dと3Dに分けられる。2Dには、対戦格闘ゲームの草分けであるストリートファイターシリーズを初め、多くの人気ゲームがある。人気があるということはそれだけ対戦相手も多いということであり、それは大きなメリットである。しかし私は2Dゲームには興味は無い。なぜなら2Dは3Dに比べ、相手との駆け引き、思考の読み合い、精神のぶつかり合いといった私の求める要素が弱く、複雑な操作を素早く正確に行う能力のほうが強く要求されるからである。私が求めるのは手先の器用さの競い合いではなく、対戦相手との関わり合いである。もちろん、技術的な要素がまったくなくては困るのだが、そのバランスにおいて、3Dに比べて2Dははるかに関わり合う程度が低く、個人作業の時間が長くなり私にとっては冗長なのである。下の比較の例を見て欲しい。

レースゲームでのタイムアタック勝負<2D対戦格闘ゲーム<3D対戦格闘ゲームポーカー

この4つは全て相手との競い合いになるが、勝敗を決する要素として、左のものほど個人の技術の割合が高く、右のものほど相手との駆け引きの割合が高くなっている。そしてこれらの中で、肉体を用いた直接戦闘に最も近いバランスのものが、3D対戦格闘ゲームなのである。また、視覚的にも3D対戦格闘ゲームは肉体を用いた戦闘そのものであるために、感情移入もしやすい。


5.なぜ鉄拳ではなくバーチャファイターなのか

3D対戦格闘ゲームを代表するものには、鉄拳バーチャファイターという2つのシリーズがある。これらはかなり近い性質を持つのだが、私がバーチャファイターを選ぶのは次の点の比較による。

鉄拳は見た目は派手だがバランスが大雑把。バーチャファイターは見た目は地味だがバランスが緻密。

そもそもゲームというものの本質的面白さは何で決まるかと言えば、ゲームバランスがどれだけ高いレベルで取られているかによってである。もちろんグラフィック音楽ゲームの要素ではあるのだが、それらは本質ではない。見た目は地味で音楽も無い将棋囲碁が、なぜこれほど多くの人に遊ばれ、プロの競技になっているのか。それはそのゲームが非常に良いゲームバランスを持っているからである。ビデオゲームにおいても、名作と呼ばれるものは全てゲームバランスが非常に良く調整されている。グラフィックがどれほど美しくとも、ゲームバランスが崩壊していればそれは糞ゲーと呼ばれてしまうのである。

もちろん鉄拳ゲームバランスが悪いというわけではないので、あまりのめりこまずに遊んでいる分にはとくに気にならないかもしれない。しかし、私が求める「最大限に時間密度を高めた人間同士の精神の戦い」のためには、ゲームバランスが出来る限り高いレベルで調整されていることが求められるのである。そして実際にバーチャファイターは、鉄拳のみならず他の多くの対戦格闘ゲームと比較しても、非常に高いレベルバランスが調整されている。キャラクター間のバランス、技同士のバランス、知識と技術と運のバランスにおいて。

こうした理由によって、バーチャファイターは私の戦いたいという欲求を安全に満たすことの出来る素晴らしいゲームなのである。


6(補).これからバーチャファイターを始めるには

ここまで読んで自分バーチャファイターを始めてみようと思った人のために、その方法を以下で簡単に紹介しておく。

バーチャファイターで対人戦を楽しむには、主に2つの方法がある。

A ゲームセンターへ行く

B XBOX360でのオンライン対戦

それぞれの特徴を挙げれば、

A ゲームセンター

利点 新宿などの大きなゲームセンターでは相手に困らない。

   最高レベルの相手と戦うことができる。

   知り合いが増えたり、大会に参加して楽しむ事ができる。

欠点 小都市ゲームセンターではやっている人が少なく相手が居ない。

   大きなゲームセンターに行く為には時間交通費がかかるし、負けるたびに100円かかるので、初心者ほど出費がかさむ。


B XBOX360によるオンライン対戦

利点 自分の家で好きな時間に対戦できる。

   一度本体とソフトを購入すれば、年間4000円ほどの固定費用で遊べる。

   人の多い時間帯であれば、相手に困ることは無い。

欠点 海外の相手との対戦では、通信遅延の影響がある。(国内同士ならほぼ気にならないレベル

   時間帯によっては対戦相手がいない。(平日昼間など)


これらのことを考えると、これから新たにバーチャファイターを始める人は、とりあえずXBOX360で遊んでみて、そこで十分に力をつけた後に、ゲームセンターへ行ってみるというのがいいのではないだろうか。もちろん、既にバーチャファイターで遊んでいる友人がいるのなら、その人と一緒に遊ぶのが一番いいだろう。

尚、XBOXでのオンライン対戦で遊ぶために必要なものは下の5つである。


・有線ブロードバンド環境無線だと通信遅延が多くなる。通信速度は問題にならず、応答速度のみが問題になるため、有線なら1.5MのADSLでも充分。)

・XBOX360本体(約3万円。HDD内臓だと、インストールしてHDDから起動できるようになる。音が静かになるのでお勧め。)http://www.amazon.co.jp/dp/B001F7AAFW/

バーチャファイター5のソフト(約2千円。)http://www.amazon.co.jp/dp/B001JEODHM/

Xbox Live ゴールドメンバーシップ(年間約4千円。XBOXの全てのゲーム共通でオンラインサービスを利用する権利。本体を新品で購入すると、1か月分ほど無料でついてきたかも。)http://www.amazon.co.jp/dp/B000BPJTKG/

スティックコントローラ(約7千円~。バーチャファイターは通常のコントローラーでも遊べるが、スティックを使わないとかなり苦しい。どうせならスティック型でやることを強く勧める。)http://www.amazon.co.jp/dp/B001E42H34/



後は以下のサイト等を参考にして、慣れていってほしい。

http://zaizen.aki.gs/syosinnsya.html VF初心者のために VF総回診

http://www7.atwiki.jp/x360info/pages/30.html XBOX360テンプレ@WIKI バーチャファイター5 LiveArena

http://fhp.jp/vf5/ 初心者向けVF5LAのススメ 初心会館


最後に、上達のために大変役立つ手段としてPS2ソフトバーチャファイター4 エボリューションを紹介する。http://www.amazon.co.jp/dp/B00007L4XF/

バーチャファイターは4も5も基本部分は殆ど同じである。このソフトトレーニングモードは非常に充実しているので、それをこなしていくだけで大きくレベルアップできるだろう。現在中古で非常に安く出回っている(千円以下)ので、PS2を持っている人は試してみてはどうだろうか。

いつの日か、最高の戦いが見られることを。

2009-04-14

母が還暦増田です。

http://anond.hatelabo.jp/20090414021535 の増田です。

たくさんトラバ頂けて、恐縮です。ありがとうございます。

今日も母、なんか体調悪いみたいで殆ど家事をした形跡なく、寝てるんですよね。

気圧が低いとこんな感じなので大丈夫なのかなあ。

と、思ってたら父帰宅で即座に起き上がりお茶を淹れ始めました。

配偶者を大事にしている所は本当見習おうと思います。




なるほど。韓流漫画をくっつける!という観点はありませんでした。

しかも景福宮は前に旅行で連れて行ったから喜ぶかも。

ありがとうございます。



あー本当、なんか昔のドラマみたいでわかりやすくてよい!

とはよく言ってます。彼女の友人達も口を揃えて言っております。

でも最近なんか飽きてきたみたい。友人同士の付き合いのために見ているんじゃないの?

という発言が増えてきました。



わー!なんかこの漫画自分も読んでみたいです(アマゾンレビューを読んで。)

未だに子育てしたい人なんで(未だ孫がいないんです。私の兄弟にも子供がいないので)喜ぶかも。

最近は桜が綺麗だったので何日かに分けて5カ所位色々歩いてきました。

万歩計が一緒になってるDSソフトプレゼントしたので、一万歩越えた!と喜んでましたよ。

一回入院した時はもう元気に歩き廻ったりできないんじゃないかな、

と思ってたんですが、今は大分元気です。

来週あたりこっちは八重桜が咲くので午前中は一緒に歩こうかと思ってます。




手塚漫画というのを読んだ事あるかと母に聞いた所、あれはもう少し若い子が読む物じゃないんでしょうか?

というやりとりをした事があります。

サザエさん田舎の家にあったので大分読んでたはずです!四コマ漫画からいけるかなー。

母の実家には子供の頃近所のお坊さん(祖父と懇意)から貰ったという仏教漫画がありました。

絵柄は聖☆お兄さんにほんのり似て…無いな。戦後直ぐの発行でした。

なので複数コマの漫画も読めなくはないかなあと思ってます。

もちろんコマほぼ長方形ばっかりという美しさなんですがね。



やっぱり共感もてないものですかね。

例えば「不思議な少年」とか「車輪の下」とか「赤毛のアン」とかは

文化圏も時代背景も違えど、今でも読まれてます。

私は読んだ時はそれぞれ違和感共感の両方がありましたよ。

異星人ではないので何かしら心に響いてくれる物があるとは思いたいのですが。



最大のポイント楽しみを共有、の前に老化予防の方なんです。

DVDを借りてきて座って見て貰うのは安直過ぎて、老化が進んでしまわないか心配。

しかし、テレビでも若い人向けの内容だと音声はいいのだけど

映像は目まぐるしいとはよく申しております。

ビデオゲームを興じる80代のおばあちゃんの2chまとめスレッドを読んだ事あるのですが

うちの母には無理ですね。。スーパーマリオは目が疲れると20年前でも言ってました。

という訳で、漫画はやっぱり考え直した方がいいのでしょうか。



どうでもいいんですが母が「お一人様の老後」という本を買ってました。

母よ何がしたいんですか。夫婦仲は良さそうなんですが。

2009-02-26

ゲームクリエイターになりたい

ゲームが作りたい。

着ている服のポケットにライターが入っていたことをふと思い出して、それを取り出してとりあえず火を点けてみたように、ほんの小さな、しかし確かな、そういう情熱が出てきた。

そんな風に思ったのは、かつて自分ゲーム好きであったからだろう。ゲーム好きが高じてゲームクリエイターを志望した人は、ゲーム開発者の7割がたであると推測している。

でも、(プロの)ゲーム開発者になって、一体どんなゲームを作りたいの?というと、答えが上手く出せない。
自分はこんなゲームをやりたいんだ!」と形にする、自分の中にある世界を表現する道具としてのゲーム、そういうのは売ることを考えずに同人で作るのが主流になっているようだけど、それは何か違う。好きなゲームジャンルは確かに持っているけど、自分受け手として満足をしてしまうほうなので、それにインスパイアされて似たようなゲームアウトプットをするなら、他人には素直に自分の好きなゲームを紹介したほうがいいように思える。そっちのほうが完成度が高い。ただのゲームマニアに本当に面白いゲームは作れないというのが持論で、自分も一介のただのゲームマニアに過ぎない。

(個人的には、ゲーム企画書システムそっちのけて世界観ストーリーをびっしり書くという輩が未だにいるという話が信じられないのだが、これはFFDQその他RPGに影響されたからなのだろうか)

ここ最近任天堂が推進している「新しい遊びを作る」という運動には共感しているのだけど、自分はそこに一助などできそうにない。「体重を量るだけで楽しい」「楽器演奏は難しいから簡単にできるようにしよう」「パラパラ漫画をみんなに紹介できる場を作ろう」という発想は自分の頭のどこをひねり出しても出てきそうには無い。一時期はファミリーベーシックみたいな感じで「専用のプログラム言語キャラを動かして寸劇みたいなのが出来たらクリエイティブで面白いのではないか」とか考えてたけど、具体性は出せなかったし、夢物語だろう。

プログラマデザイナー音楽など、専用のスキルは全く持っていないし素養もない。企画力もないように思う。あるのは半端なゲームの知識だけ。
最近だとアンサイクロペディア、昔からも言われている話だけど「ゲーム専門学校生はレベルが低い」、どうなのだろうか)

プロデューサーというのだろうか、商品としてゲームを売り込みたいのでもない。企画の失敗、スケジュールの問題、商売という制約によって仕方なくクソゲーを作ってしまうことにも恐怖を覚える。

こんな感じでゲームを作りたいという割にはゲームで何をしたいのか今ひとつ解せてない。自分子供の頃に「ゲームプログラマになりたい」とホザいていたけれど、結局プログラムに手を出すことはなかったし、自己分析をしてみて、ゲームを作る能力には欠けた適性ある人材ではないように思う。

ゲーム販売店に並べられたソフトゲーセンに並べられた大型筐体やビデオゲーム・・・そのラインナップに自分は何か貢献できないだろうか。昔ほどゲームが好きでもなくなったけれど、今はそう思っている。

ゲームを作るためには、具体的に何をすればいいのだろう?

2008-12-13

RPG」というシステムの不幸

RPG」とは不幸なシステムです。

シミュレーターというビデオゲームという媒体に課せられた最大の使命に忠実であるあまり、その内部に「物語」を他のどのゲームより性急に孕まなければいけなくなった…それが「RPG」というシステムの不幸な生い立ちではないでしょうか?


もう一度考えてみましょう。

我々はなぜ「RPG」にここまで惹かれるのでしょうか?

小説映画コミック、そしてアニメーション…これらの媒体を通して語られるありとあらゆる「物語」は学校、そして家庭…どれほど身近な舞台装置をもってしても、我々にとって既に<遠すぎる>ものです。

かしこの「RPG」だけが、主人公に自らの姓名を入力することによって、画面上の主人公の言動を意のままに操ることによって、我々に、小説映画がとうに失ってしまったある種の「一体感」をもたらしてくれるのです。


東京ラブストーリー」よりも「北斗の拳」よりも、そして村上春樹小説よりも…「ドラゴンクエスト」に、そして「ファイナルファンタジー」に胸を躍らせた少年時代を過ごした方も多いでしょう。


「しかし」です。

はたしてそれは「ゲーム」にとって幸せなことだったのでしょうか?

無論、ここで言う「ゲーム」とは「ゲーム業界」のことでも、いわゆる「ゲーマー」のみなさんのことでもありません、あくまで「ビデオゲーム」という一つのシステムのことです。


物語>は諸刃の凶器です。どれほど卓越したシステムを内包していようとも、ゲーム中の<物語>がユーザーに与える快・不快はその印象を残酷なまでに左右してしまいます。


この事実は我々にまたしても不幸な命題を突きつけることでしょう…我々が、そして「あなたがた」が求めているものは果たして「知的刺激」を求めるべき<ゲーム>なのか、それとも感情移入によって現実世界では決して得られないカタルシスを得るために求められる<物語>なのか…?


無論、その双方を同時に満たすのが総合芸術としてのビデオゲームではないか…確かにその通り。しかしこの問いを<物語>の側から照射するとどうなるでしょうか? …純粋に<物語>の器として、「ゲーム」は果たして構造的に耐え得るのか、と…。「誰でも勇者になれてしまう」「誰でも<勇者である><主人公である>と規定されてしまう「RPG」は果たしてそれ自体単独で<作品>たりえる<物語>は語りえるのか…?


我々にとって、そして「あなたがた」にとって「RPG」は最後の砦だったのかもしれません。TVドラマに憧れれば現実立ち位置に愕然とし、少年漫画に没頭すれば逃避であると罵られる現在、「RPG」は我々に残された唯一の<物語への道>だったのかもしれません。


しかし…いや、「だからこそ」我々はこの「RPG」をめぐる不幸な環境について自覚的であるべきでしょう。残酷なことかもしれませんが<あなた>は主人公ではない。

2008-11-14

[]縦シューが亡びるとき - 液晶の世紀の中で

もちろん、今、日本で広く売れているライト知育ゲーム、あるいはポケモン等を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるでしょう。


私が、日本ゲームの現状に、幼稚な風景見出したりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。

実際、そういう人のほうが多いかもしれない。


だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。


ゲーム芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。

この本は、この先の日本ゲーム開発者ゲーマーそしてビデオゲーム運命を、孤独の中でひっそりと憂える人に向けて書かれている。

そして、究極的には、今、どんなゲームソフトが売れているかなどはどうでもよい、少なくとも「縦画面のブラウン管に遅延も残像もなく映像が出力され、良質なマイクロスイッチが使われたコントローラを備えたもの」が「ゲーム王道」という名に値したころのゲームさえもっと遊ばれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。


ゲームでもnifty-serveでも国産ケータイでも親指シフトとかメカニカルスイッチキーボードでもなんでもあてはまりそう。


ようするに。


こういった引用された部分だけ読んでる分には、

日本語が亡びるから悲しいみたいな話は正直同感なんだけど

それをとりたてて騒ぐなんてのは水村氏がこれまで好きだったものが、たまたま

これまでずっと亡びずにやってこれた日本文学だったというだけのことなんじゃないのかと思うのだ。


俺なんかが好きになったものはそれを作り上げるプラットフォームごとどんどん亡びていったものばかりなので、

いま

「もうすぐ日本語が亡びちゃいますよ。それをベースに作られていた文学なんかもなくなっちゃう」

と言われても、

「あーまたですか次は日本語ですかしょうがないよねこれまでいっぱい亡くなってきたからね」

と思っちゃたりするわけです。

2008-08-18

今日久しぶりにゲーセンいったんだけど、まぁゲーセンと言うより所謂アミューズメントスペースと呼ばれるような場所だったんだけど。

なんか色んな意味でびっくりした。

 

あの、今のゲーセン(或いはアミュスペね)ってビデオゲームプライズの他にメダルで遊ぶコーナーがあるじゃないですか。

で、メダルで遊ぶゲームシューターものとか大型機を使った競馬とかビンゴとかビデオポーカーとか色々あるけど、

最近パチンコとかパチスロゲーセン向きに設置してあるじゃないですか。あれを親子が遊んでるの。至る所で。

そこは大きい店でパチンコ・スロコーナーもかなりの台数が設置してあるんだけど、大概若い親子連れで遊んでるの。

お父さんが回してるのを膝の上で女の子が見てるところもあるし、親子で3台くらい横並びで海物語打ってたりもするの。

もうちょっと子供が大きいと親から金だけもらって一人や兄弟で打ち出して、パトラッシュ打ちながらナントカ予告来たー!とか喜んでるの。

いや、いいんだけどさ。お前らそんな年から何覚えてるんだよとも思っちゃうんだけど、おじさんは。

 

いや、まあゲーセンだしなあ。メダルだし、まあいいのかなあとも思ったけど。

彼らは帰り道どんな話題するんだろう。

「お父さんの連荘凄かったね!」「はっはっは、パパはやっぱり違うだろうー」とか車の中で話しながら帰るんだろうか。

ウチはそもそも休みの日に家族ゲーセンに連れてってやろうって親じゃなかったし(そういう時は行っても動物園とかだったかな)、

その「今日家族ゲーセン行ってみんなでパチンコでもするか」って発想がまずクラクラする。いや、別にいいんだけど。

ゲーセンなんて自分みたいな独り者の社会的不適合者の溜まり場みたいに思ってたので、

久しぶりのゲーセンがやたら華やかな家族やカップルの遊び場になっていてちょっとショックだった。

 

あ、そういう奴はああいう小奇麗なアミュスペじゃなくて場末ゲーセンでブツブツ言いながら縦シューでもやってろって話ですね。わかります

2008-07-19

面白いゲーム

面白いゲームを作るにはどうすれば良いかを考えて書いてみた。まだまだ書き足りない気もするけど(各節との相互作用を書いた部分は「局面の価値と因子」しかない)投稿。

面白くないゲームを作りたい人或いは面白いゲームを作りたくない人は読まなくても良いと思いますし、呼んでる人も途中で読むのをやめても良いとも思います。

局面

ゲームの状態。但しプレイヤーゲームの状態に含まれます。これはプレイヤーの操作可能な因子が非常に少なくルールによる束縛性が強いがプレイヤー以外によって動かされている或いは存在する因子が非常に多いゲーム存在し、それらのゲームプレイ目的はある種の受動的鑑賞と同じだからです。プレイヤーゲームに対して何か反応をする訳でもなく、ただ受け止めるだけをします。ゲームを作る上でこの主観的思考状態も考慮しなければいけません。例としてLSDプレイヤーが可能な行動は移動とリンクのみですが、移動できる範囲が広大で鑑賞可能な対象もまた膨大です。多人数でのゲームでは主観的思考状態に加え相手の思考状態を客観的に判断する必要性も出てきます。ポーカーの熟練者は相手のプレイに対する態度、心理状態から自分の行動を絞っていきます。これらの様なゲームも成り立つと言う事も頭のどこかにでも置いていてください。

因子

ゲームにはプレイヤーが操作可能なものが因子として存在します。将棋チェスで言えばそれは自分のコマであるし、ビデオゲームであるならば自分の操作するキャラクターにこれが該当します。しかしこれらは静的に決まるものではなく、ゲームの局面それぞれに対して刻一刻と減少したり増加したりと動的に決まるものです。自分の推論結果の行動によって直接操作が可能な因子がルールによって縛られたまま、相手やコンピュータの管理する因子を自分の思った通りに動かす事も可能であるし、その逆もまた然りだからです。

プレイヤー目的

対局型のゲームで言えば、目的は常に勝利となります。しかし因子の種類や数が多い場合には目的を達成する為に必要な子目的が自ずと発生します。しかもこれは静的に決まるものではなく、動的に決まる場合も多いです。自分以外に属する因子が目的或いは子目的の達成を阻害しようと働きかける事で新たな子目的が生まれます。それらの子目的を発生させる因子は必ず自分との利害関係が衝突するものによって動かされていますから、両者のどちらかに不確定さが含まれていれば動的に子目的が発生するでしょう。

動的な不確定さ

動的な不確定さはゲームの子目的の生成を自動化したり、バリエーションを与えたりします。シューティングゲームでは狙撃の際にランダムにブレる照準を合わせタイミング良く発砲ボタンを押すという子目的が発生し、シミュレーションゲームでは自分の資金の一部を要所で賭けて確率的に増やすか増やさないかの判断が迫られ、アクションゲームでは敵がランダム配置されそれらにプレイヤーが順応する事を要求します。プレイヤーの最終的な目的にこれらの様な不確定さが直接関係してはいけません。最終的な目的論理的でなければならず、確率的な要因はそれに包括されなければいけません。技法的に確率的要因を潰せる余地が残っていなければならないのです。そうしなければプレイヤーはあらかじめ提示された最終的な目的以外に楽しみを見出そうとするか、ゲームを放棄してしまいます。

静的な不確定さ

将棋チェスの様にゲームが完全に前回の局面に依存しているモデルであっても、読まなければいけない先がプレイヤー限界を超えている場合に静的な不確定さが発生します。プレイヤーはこの問題をできるだけ論理的に解決しようとしますが、無理ならば技法的に解決しようと試みます。局所的な判断を求められる場合に論理的に、大局的な判断を求められる場合に技法的に解決される傾向があります。この種のゲームは往々にして全ての判断が論理的でありプレイヤー責任となるので、これがゲームの最終目的に直接関わっても問題ありません。

駆け引き

動的及び静的な不確定さをまとめると、不確定さから来る駆け引きは常に論理的判断に結果が帰着しなければいけません。駆け引きが失敗に終わった後の事も論理的に判断できる余地が残されてなければいけません。

局面の価値

現在の局面がどれだけ勝利した状態の局面に近いかと、どれだけ敗北した状態の局面から遠いかによって決まります。因子の数が多ければ多い程局面の価値を完全に把握する事が難しくなり、これも技法的に解決される場合が多くなります。

局面の価値と因子

因子が全体の局面に寄与する価値を動的に決定します。例えば、ある将棋のコマがどれだけその局面において重要視されるかを考えるとそのコマの重要性は配置によっても決まると考えられます。つまりコマの局面に寄与する価値には固定値、そのコマがどれだけ貴重なものかという属性に加えコマの配置によって局面ごとに変わる重要性という属性もまた存在する訳です。将棋においてのみ考えてみればこの事当たり前の様に思えるかもしれませんが、これを一般のゲームの因子にも当てはめてみるとこの性質がどれだけ重要かが分かってきます。因子は別の因子と相互作用し、因子を縛るルールに静的な整合性がありながらもそれぞれの局面によって動的に因子の実質的価値に差を付け、時にはゲームの局面そのものをも大きく変化させます。勿論これは自分の因子同士の相互作用でも良く、相手の因子を利用した相互作用でも構いません。後者の場合は相手の因子は自分の因子としても一時的に属する事になりますから、相手のコマの価値は基本的に自分にとってマイナスですが重要度もマイナスになればマイナス * マイナス = プラスで自分にとって有利な状況になります。

2008-05-27

任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ ~最強の55歳~

任天堂宮本茂Wiiに関するNew York Timesの記事。

http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。

追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも



任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」



宮本茂ゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。


ディズニー1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本古都京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。


かの有名なドンキーコング、そしてマリオゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中ゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。


ミッドタウンマンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。


宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメント世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。


そんな宮本さんがもし西洋人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。


しかし彼自身は任天堂王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。


インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」


宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。


宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコングマリオゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂ゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。


しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参ゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。


ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場マニアだけが喜ぶニッチ世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長岩田聡とこの宮本茂宮本さんの正確な役職は代表取締役専務情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wii世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーマイクロソフトを上回る数字だ。


この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂北米においてWii Fitを発売。従来のゲームドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。


世界中アメリカメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiDSの成長により、任天堂日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一資産家となったと報じている。(任天堂宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産ランキングには参加していないと思われる)


宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」


宮本さんは1975年金沢美術工芸大学卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーアステロイドパックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。


市場クソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNESNintendo Entertainment Systemである。任天堂NESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。


それ以降宮本さんは、最近マリオカートWiiスマブラXスーパーマリオギャラクシートワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲーム監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。


Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。


彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。


あえて言うなれば、宮本さんがゲーム世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前スーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストラン行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。


また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。


ディズニー副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」


宮本さんの生み出すキャラクターマリオドンキーコングだけではなく、ピーチ姫ゼルダ、そしてクッパリンクゲーム界の有名キャラ目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。


「自分としては、私たちが作ったマリオリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。


宮本さんの最近の作品はマリオキノコ王国ゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作キャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsWii Fit、そして次回作Wii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペットボーリングヨガフラフープ音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。


「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲーム世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」


このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。


そして強力な武器はもうひとつある。


さて、プレイヤーゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組American Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiMii機能だ。MiiWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲーム主人公マリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。


「私はMiiに関してはマリオゼルダと全く同じ任天堂財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲーム世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」


任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroRock Bandとは大きく違い、作曲即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。


ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。


そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」


これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。

2008-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20080330025039

ゲームっていうのはビデオゲームにせよチェスにせよ

最高の時間潰しだと思うけれど、

オンラインゲームの一部・間口の広い、

参加してれば漠然とスキルが上がる系は、

サービスの提供が終了した瞬間に、それまでの時間

「ただ流れただけ」になるのが虚しいと思う。

仲間(実際にはただの隣人)とおしゃべりしたりして楽しく時を過ごしても、

そのおしゃべりがログに残しておきたいほど素晴らしいかっていったら

そうでもないしな。


ただ、とにかく金を使わなくてすむからな>オンラインゲーム

若い子がそれしかしなくなるのもわからんでもない。

よくメディアが若いうちは遊べっていうけれど、

電車賃数千円、ランチ数千円、という

一万円に満たない金額をも出しにくい事情ってのは

上から目線の大人にはわからんもんだ。

2007-06-30

Game Set And Match II: The Architecture Co-laboratory on Computer Games, Advanced Geometries, an

http://www.amazon.co.jp/Game-Set-Match-Architecture-Co-laboratory/dp/9059730364/ref=pd_bbs_sr_1/250-0637453-9763456?ie=UTF8&s=english-books&qid=1183142614&sr=8-1

http://tenplusone.inax.co.jp/archives/2007/06/18135938.html

前半部で、建築的分野からビデオゲーム映画の仮想空間について論じているらしい。

面白そう。読みたい。

2007-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20070622193836

Windows使いのゲーム好きなので感覚が違うことが前提になってしまいますが、私から見て、家庭用ゲーム機ゲームセンタービデオゲームはすごく閉鎖的なんです。うちらのWindowsが閉鎖的なように。それに比べると、ゲームの分野に限れば案外Windowsオープンですよ。ソースコードの部分開示が結構ありまして、それを元にゲーム拡張Mod)が盛んに行われています。そういったゲームは、プレイしたくなりますね。大勢が手間隙を掛けて作っているものなので、ただの市販品のゲームよりは面白いです。強烈にやりたくなります。

OSセットアップとカスタマイズを上回る興奮を与えてくれる市販ゲーム地球上に存在したことがあるのでしょうか?

CounterStrikeは面白いです。全世界で旧作新作をあわせてだいたい常時5万人くらいプレイしています(ソースhttp://archive.gamespy.com/stats/)。人数から言えば、相応の価値はあるものだと思います。

やっている人間にしか分からないものだということは十分承知していますが、まさに「やれば案外面白い」という感じです。

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