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はてなキーワード: 侵害とは

2012-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20120207145533

前はこういう権利侵害の出品物に関しては、

ヤフーURLを送信して直接告発(?)するページがあったんだけど、

もうなくなっちゃったのかな?

俺はそれで三アカウント潰した。

こういうのって、ヤフーだけじゃないんだよ。当然だけど。

骨董市でも出してる奴はいる。

ヤフオク漫画家の偽物サイン出している人ってよく捕まらないなw @masason

ワンピースのナミ

http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m97610023


尾田栄一郎が、こんな絵柄だった時期はないwww

買う方も買う方だが、出す方もすげぇな。しかも、こいつ複数アカウント使いまくって、出しまくりじゃねーかwww



ちなみに、申告ページはこんな感じ。

評価の高いお客様からの申告状況 合計 28

詐欺など、トラブルの可能性が疑われるもの 24

偽ブランド品など、第三者の商標権侵害するもの 2件

・ その他、法律で販売が禁止されているもの 1件

・ 十分な商品説明をしない行為 1件

http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/reviews?aID=m97610023

さすがヤフー詐欺商品も全然対応しないwwww

これって、詐欺行為に加担している企業ぐるみ犯罪だと思うんだけれど。




追記:お、とても珍しくヤフー対応したみたいだ、消えているww

余罪、数十件あるだろうし、どうなるかなw ここまで放置するヤフーもすごいなw

2012-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20120203222846

横だけれど、仮にブクペ出版社や著者から訴えられたら、

運営だけじゃなくて、まとめた人もヤバイのかなぁ。


要点のまとめ=著作権侵害って判例が出たら、ちょっと面白い

2012-01-31

もしもミッキーは殺害されていないとしたら

http://anond.hatelabo.jp/20120130150137

元増田です。友人のAさんにおもしろい指摘を受けました。

友人A 「なー増田、このミッキー別に殺されてなくね?」

元増田 「えっ」

友人A 「えっ」

元増田だって首飛んでますよね」

友人A 「だってミッキーって着ぐるみじゃね」

元増田 「えっ」

友人A 「えっ」

なるほど!!!

それでは、問題の画像はあくまでミッキー着ぐるみを描いたものであることが文脈上明らかであるとして考えてみます。殺害表現でないとすると、名誉声望保持権を主張するのは無理筋に思えます。すると、同一性保持権侵害の線で押してくるのではないでしょうか。

同一性保持権)

20

 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

同一性保持権侵害を構成するには、その行為が著作者の『意に反して』いる必要がありますミッキー(の映画(の原画))の著作者は当然ウォルト・ディズニーだと思いがちですが、実はこの点はずいぶんと争点になっていて、正直なところ「結局誰が著作者なのかよくわからない」んですよね。ウォルト・ディズニーは当然ながら、ウォルトの盟友アブ・アイワークスあるいは二人の共作、はたまた二人の作り上げたディズニー社の団体名義だとする説もあります

しかし、彼らの意向は明らかです。彼らは口を揃えてこう言ってきました(たぶん)。

中の人などいない!』

誰が著作者であるにせよ、中の人など決していないんだ、ディズニーランドに行くと笑顔で迎えてくれる彼はあくまでミッキーという生き物であって着ぐるみではないのだ。そういう世界を彼らが作り上げてきたことは明白です。「中の人などいない」ことが、ミッキーマウスという著作物を構成する重要アイデンティティである。だから絶対に首なんか飛ばない。これが主張として認められれば、ミッキーマウス着ぐるみの頭を吹っ飛ばすという表現同一性保持権の侵害となるかもしれません。

でも、どうでしょうね。

まず、視覚的に表される「絵柄」ではない抽象的な要素については著作権が認められないという判例が多くあります。「中の人などいない」はこれに該当する可能性が高そうです。また、着ぐるみを作って売ったならともかく、着ぐるみイラストを描いてそのイラストの頭を吹っ飛ばしたわけですからね。ミッキーマウス著作権は既に切れているとすれば無償で着ぐるみを作ったり絵を描いたりすることは問題ないですし、あとぶっちゃけ、彼らが何と言おうと、ディズニーランドにいるミッキー着ぐるみであることは悲しくも事実なのですから…。

この辺、本職さんの本気の弁論をぜひ聞いてみたいところです。



というわけで、あれは着ぐるみの頭が吹っ飛んだだけだよ!と主張してみるだけで、なんとも馬鹿馬鹿しいメルヘンな問題になることが判明しました。こんなにメルヘン裁判はそりゃあ是非とも見てみたいわけですが(きっと世界中が大注目するでしょう)、怒りのメールを送ってきたのがディズニーであるにせよディズニーファンであるにせよ、恐らくはあの画像を「ミッキーの頭を刎ねて殺害している場面」と受け取ってのことだと思います。とりあえず落ち着いていただく&名誉声望保持権侵害の疑いを回避するためには、首が飛ぶ前後の文脈をきちんと公開した上で、「あれは着ぐるみなんだよ」と説明するとおもしろいよいのではないでしょうか。

http://anond.hatelabo.jp/20120131024144

 エロ同人事実上黙認されるもの

 

いやちょっと待てw

一つ上で書いたことは今回のディズニーの件とは関係ないですよ。まず、著作権が存続している間は著作者人格権どうこう以前に著作権上の問題が当然存在しまから同人活動は決して合法ではありません(多くは親告罪ですが)。また、商業キャラを用いて利益をあげた場合商標権侵害となるケースがほとんどだと考えられます

一方で、著作者人格権を根拠として商業/非商業わず創作活動を制限するケース、つまり「俺のキャラの性生活を勝手に描くなんて侮辱だ!やめてくれ!」というような法的主張はあまり聞かない気がします。その辺まだちょっと詳しくないですが(※1)。著作権商標権のみならず人格権についてもきちんと主張しておかないと、何十年後か、著作権の切れた自分キャラクタが合法的に好き放題レイプされてしまうかもしれません。

また、あくまで一般的「エロ表現の話をしたのであって、「首を刎ねて殺す」という表現は全く別ですよね。

他人の著作物虐殺するなど常識で考えて許される表現ではない、どうあれ侮辱的な表現であると私は思うのですが、その認識がどんどん薄らいで今回のように「ディズニーが訴えないならミッキーの首を刎ねても悪くないよね、作者さん叩いてごめんね」なんてめちゃくちゃな認識が広く蔓延してゆくと、いつか本当に「自分の作ったキャラクタの首を刎ねられたくない権利」が消滅してしまう可能性も考えられるのです。だから我々は、断固として「そういう問題じゃねえ!」と叫ばなければいけません。



ありましたね。

4-4.同一性保持権/Webで著作権法講義

性描写がない作品を元にして、性描写を内容とする作品を作成、販売したことを理由に、同一性保持権の侵害を認めたケースがあります東京地判平成11.8.30「どぎまぎイマジネーション」事件)。被告は、同人文化の一環としての創作活動であり、違法ではないと主張しましたが、退けられました。

同一性保持権については著作者の『意に反して』とされ、著作者の主観的意志がキーポイントになります著作権者死亡後の争いにおいては、その意志を推測するしかありません。故に、うっかり事実上黙認したまま死んでしまうと、別に意に反してなかったよね!という既成事実が形成され、同一性保持権を失ってしまう可能性があるでしょう。

一方、名誉声望保持権ではその名の通り著作者の『名誉又は声望を害する』行為について禁じています。よって、著作者の死後、該当行為特に名誉を傷つける行為ではないという認識が一般的になれば、社会的状況が変化したと見なされ権利が消滅する可能性があります

しつこいようですが、知財関係の権利はきちんと行使しないで黙っていると、権利を失ってしまうということが往々にしてあるのです。

http://anond.hatelabo.jp/20120130160859

それ言っちゃうと18禁同人なんて100%アウトだろw

基本的にはアウトですよ。

但し現在、著作者の遺族が名誉声望保持権を根拠にエロ同人を訴えて勝てるかどうかは疑問です。

(著作者が存しなくなつた後における人格利益保護

第60条

 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

『その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合』という表現、この部分で争うことになるわけですが、エロ同人事実上黙認されるものになってしまったということを『社会的事情の変動』とみなすことができるかもしれません。

まり、皆が皆事実上黙認していたがために、「勝手エロ同人創作されることを嫌がる権利」が社会的に消滅してしまった可能性があり得ます

また同様に、著作者が生存中にこのような形の権利侵害を提訴していなかった(事実上黙認していた)ことを根拠に、死後においても著作者の意を害していないものと判断される可能性もあるでしょう。

知財関係の権利というのはこのように、本来持っていたはずの権利でも、きちんと主張してゆかないと消滅してしまうことがあるんですね。

今回の騒動をみると、同人活動は当然認められた権利だと思っている人がずいぶん多いですね。今も昔も、ずっとグレーゾーン行為だというのは常識だと思っていたので、なかなかに衝撃的です。

2012-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20120130091206

君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動

あれは単に「公務員仕事サボってる」ってだけだから。正当な理由もなく仕事サボればペナルティ課されるのは当然の話なわけ。

立命令自体が正当な職務命令で、さらに思想信条の自由の侵害にも該当しないという事は、過去両手両足の指じゃ数え切れない程度には判決が出てるわけで。

とは言っても容認されるのはせいぜいが訓告処分だから、教師側はぶっちゃけ痛くもかゆくもないんだけどね。

ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである

逆に質問なんだけど、じゃあ「上品政治家」って実在の人で言えば誰?その人は政治家としてどんな実績をあげた?

つの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。

答えは簡単だろ。喧嘩の場が最初から橋下の土俵から




橋下が批判に対して幼稚な反応するのは、そもそもその批判自体が幼稚だからだよ。

「バカ」と言われたら「何だとこのバカ!」と言い返すのが橋下のスタンス。もちろん、橋下も言い返す相手は慎重に選んでるけどね。

ディズニーが訴えなくても、ミッキーの首を刎ねると逮捕される

かもしれない。

この騒動、「ディズニーが訴えないなら問題ないな」的な空気で終息しそうな気配だが、そういう問題じゃないよというおはなし。

著作権著作者人格権

まず、著作権とは別に存在する権利、「著作者人格権」というものがあります

著作者人格権 - Wikipedia

著作者人格権(ちょさくしゃじんかくけん)とは、著作者がその著作物に対して有する人格利益保護目的とする権利の総称である著作物には、著作者の思想や感情が色濃く反映されているため、第三者による著作物の利用態様によっては著作者の人格利益侵害する恐れがある。そこで、著作者に対し、著作者の人格利益侵害する態様による著作物の利用を禁止する権利を認めたものである

今回の問題では、日本においてミッキー著作権の一部が既に切れている可能性を以て適法であるとする意見が散見されますが、実はこの著作者人格権に関しては、保護期限に関する規定が存在しません。

ベルヌ条約6条の2(2)が著作者の死後における著作者人格権保護を要求していることから、著作者の死亡後も、著作者が存しているならば著作者人格権侵害となるような行為を禁止するとともに(60条)、一定範囲の遺族による差止請求権名誉回復措置請求権の行使が認められている(116条)。

まりミッキーに関する著作者人格権現在も法的に保護されているということになります

同一性保持権と名誉声望保持権

著作者人格権として具体的に保護される権利として、この2つが挙げられます

同一性保持権(どういつせいほじけん)とは、著作者人格権の一種であり、著作物及びその題号につき著作者(著作権者ではないことに注意)の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう(日本著作権法20条1項前段。以下、特に断らない限り、引用法令日本もの)。

 

著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられていると理解されている。もっとも、元の著作物表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じない(「パロディ事件」(第1次)、最高裁判所判決昭和55年3月28日)。

著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権侵害する行為とみなされる(著作権法113条6項)。例として、美術品としての絵画風俗店看板に使用する行為などが該当するとされている。

要するに、著作物に対し、著作者が傷つくような変なイメージを付けたり改変したりしてはいけないよ、ということですね。

親告罪刑事罰

知財関連の権利特に著作権に関する諸権利については、多くが親告罪であることが知られているかと思います。つまり、被害を受けた権利者が提訴しない限りは犯罪とならないし、賠償請求すらもできない。だからディズニーが提訴しないなら問題ないよね、という意見。これも散見されますが、誤りです。

実は、著作者人格権侵害については刑事罰が定められており、しか著作者死亡後の名誉声望権侵害は非親告罪なのです。(※下線部追記:著作者の生存中は親告罪です)

(著作者が存しなくなつた後における人格利益保護

第60条

 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

第120

 第60条又は第101条の3の規定に違反した者は、500万円以下の罰金に処する。

第123条

 第119条、第120条の2第3号及び第4号、第121条の2及び前条第1項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

まり、『その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められ』ない場合ディズニー社の意向に関わらずお縄になるリスクがあるということです。

実際に逮捕なんかされんの?

まぁ、実際にディズニーの意向を無視して逮捕されるかというとこれは怪しいですね。そういうケースを聞いたことがありませんし、実際のところ大丈夫なんじゃないですか。しかしだからと言って、これが合法でクリーン行為だなんて事は決してない、というのは当然のおはなしですね。あえて非親告罪とされているというのはそういう意味です。

まりどういうことなんだってばよ

著作者人格権は、著作者の死後、著作権保護期間が切れた後も保護されます。作者が死んで著作権が切れているからといって、作者の意に反してキャラクタ侮辱する自由は決して「当然認められる」ような権利ではありませんし、刑事告発される可能性があります。首を刎ねるという表現が『著作者の意を害しない』と言える理由を明確に説明しなければいけないでしょう。

アニメキャラクタのファックを描くことはもはや黙認されてしまい実際の権利行使もそう簡単にはいかない状況ですが、社会通念上「殺害」という表現が「ファック」以上にキワドイのはもちろんのこと、首を刎ねるというのは特に侮辱表現であるとされる可能性が強く考えられます

作者は「悪いことをしていない」と言える明確なロジックをもって、それができないなら「悪いことをしている」という自覚と覚悟を持って、同人活動をした方がいいですね。認識が甘すぎます



おまけ: 本当に詐欺だったの?

ディズニーからの正式な抗議ではなかっただろうことは想像できます

著作者死亡後の差止請求権は著作者の孫までの遺族にのみ認められており、ディズニー社にはその権利存在しません。また、今回のような場合出版権にも関係しません。

差止請求権

第112条

 著作者、著作権者、出版権者、実演家又は著作隣接権者は、その著作者人格権著作権出版権、実演家人格権又は著作隣接権侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。

(著作者又は実演家の死後における人格利益保護のための措置)

第116条

 著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。以下この条において同じ。)は、当該著作者又は実演家について第60条又は第101条の3の規定に違反する行為をする者又はするおそれがある者に対し第112条の請求を、故意又は過失により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為又は第60条若しくは第101条の3の規定に違反する行為をした者に対し前条の請求をすることができる。

故に、ディズニーからの要求としては法的根拠がなく、不可解です。(繰り返しますが、それとは別に誰かから刑事告発される可能性はあるんですよ)

ディズニーから訴えられるとすれば、商標権についての争い=商業的活動に限られると思われ、無償での同人活動には民事では関与できないものと考えられます

2012-01-28

レイプは〝犯罪〟だけど「悪いこと」だと言えるのか





レイプ法律で〝犯罪なのは周知の事実だと思われるがそれは女性自由意志侵害の防止の為であり、「悪いこと」である証明にはならない

レイプ女性合意が無いから「悪いこと」だ、と言うのならば女性の気分次第で「悪いこと」だと決められていることになる(イケメンレイプは許される、またはイケメンにヤリ捨てられた自分がイヤでレイプを「悪いこと」としている)



よって男性女性レイプをすることは〝犯罪〟ではあっても「悪いこと」であると一概に言えない

ま、だから何だ? って話だがw

2012-01-27

http://d.hatena.ne.jp/boxingfan-law/20120126#p2

教育というのは人格形成のために行うはずなのに、

そういう試験に勝ち抜くことだけが求められる仕組みが作られ、

むしろ教育によって人格が塗り潰され続けてきた。」

http://d.hatena.ne.jp/boxingfan-law/20110303#1299081554

管理人のこの記事に対する掲示板での反応

教育やしつけって

そもそも初めから

社会に適合するような子どもを作り上げるために

人格を塗りつぶすために行っているものだと

私は思っていますよ。

そうじゃなければ国家の名のもとに教育が行われる意味がない。

子ども人格を塗りつぶすのをやめようと言っておいて、

学級崩壊のような事態を嘆く。

これはおかしなことです。

本当に子ども人格を塗りつぶしたくないのであれば

学級崩壊万歳じゃないですか。

自分人格を塗りつぶされたくないと思うのなら

そもそも教育なんてものを受けるのをやめればいい。

受験することなんてやめてしまえばいい。

みんなが受験制度奴隷になってしまうのは

教育自分人生が決められると思いこんでいるからでしょう。

そしてそのように考えるほうが楽だからです。

自分人生がうまくいかないのを受験制度の不備のせいに出来ますからね。」

このコメントに対する管理人レス

「そういう認識はよくあるものですし、

とくにここで反論する種類のものではないと思います

変に綺麗事でごまかしていない分、

論理的な不整合事実誤認などはないように読みましたかから。」

http://6023.teacup.com/boxingfan/bbs?page=7&

上記一連のやりとりについての管理人の再言及

「現状の教育押し付けによる人格侵害しかなく、

人格形成の側面がまったく欠けている

 

という主張をしたことがあるけども、

 

それに対しても同じ言葉対応を頂いたことがあった。」

http://d.hatena.ne.jp/boxingfan-law/20120126#p2

☆ 管理人の誤認及び矛盾

○ コメント欄での反応では「価値観」という言葉は使われていない。管理人のいう「価値観の押しつけ」とコメント欄での「人格の塗りつぶし」は同義でない。

○ 再言及における「決して「奇麗事を排した本質的議論」などではない。」と、コメント欄でのレスにおける「変に綺麗事でごまかしていない」は矛盾した発言である

○ コメント欄での反応における「教育とは人格を塗りつぶすことである」との主張が「事実」にすぎないとの誤認。当該コメントは「国家の名の下に行われる教育とは人格を塗りつぶすことであるべき」旨の「当為」であるという視点を欠いている。

○ 「人格形成」という言葉定義していない。ある一定価値観に沿った人格を形成していくことと定義するなら、人格形成すなわち価値観の押しつけである

2012-01-24

DeNAスタイルライセンスの光芒

DeNAが「ソースは公開するが勝手な改変禁止、用途限定」の極めてユニークライセンスを打ち出して数時間後に撤回した。

https://github.com/DeNADev/Arctic.js/commit/b92eea0a83b9b01c53eb3f6fb65fdb8af6bc0aab#diff-1

さて、「内容は公開するが、内容の改変は許諾が必要」というオリジナリティ溢れるライセンスを、この記事では「DeNAスタイルライセンス」と呼ぶ事としたい。さて、DeNAライセンスの内容からDeNAのたくらみが幾つか想像できる。

知財攻撃のツールとしてのDeNAスタイルライセンス

「ウチのソース侵害しとるやんけワレぇ、出るトコ出てもらおかい」と中小ソフトハウスを牽制恫喝し、囲い込むために敢えてソースを公開し、他社プロダクトの類似動作やモバゲー参加ベンダーへの牽制に利用したかった、と読むことは難しくあるまい。それはDeNAスタイルライセンスの指針はOSSのそれではなく、明らかに特許指向であるからも伺い知れる。MicrosoftAppleに範を取り、知財戦争における兵器兼防衛機構としてDeNAスタイルライセンスで守られたコードを行使したかったであろう事は想像に難くない。

結果を公開しつつ拡散を抑圧し、改善の果実だけをコミュニティから吸い上げたい

多くの日本企業製品OSS化に踏み切れないのは、正に上記の一点に尽きる。

「うちのソース勝手に儲けるな、だが改善だけはしろ暇人プログラマども」

というのがエンタープライズエグゼグティブ様の本音であることを考えると、DeNAスタイルライセンスは、日本企業の欲望を満たす厚顔無恥ジャパニーズスタイルライセンスとして社畜下請けの皆様の献身を一身に集めたであろう。仕事のない下請けソフトハウスが、DeNAスタイルライセンスの大手SIer謹製フレームワーク必死カイゼンしてコネ作りに励む美しい光景が、数年後には見られたかも知れない。


DeNAスタイルライセンスの隆盛が、日本IT企業利益を齎したかもしれないのに。DeNAスタイルライセンスが、日本IT企業を更に強固にガラパゴス化して守る鉄壁のゾウガメの甲羅になれたかもしれないのに。「Googleっぽいからいいよね」みたいなノリでMITライセンスに安易に逃げたDeNAの及び腰が残念でなりませんでした。まる。

2012-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20120119184231

侵害をある程度予測していたとしても、夫の行為は妻に対する急迫の侵害に当たるんじゃないのか?

そもそも妻が正当防衛無罪になる事を目論んでいたというのを立証するのは不可能だろ

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2011-12-22

自炊問題については、もちっと作者のモチベーション大事にしたほうがええと思うんだが

電子出版だけれど、アメリカができてるからって日本でも簡単にできると思うなよ、と。

もうちょっと、ばかにするだけじゃなくて、日本出版社の実情とかちゃんと理解してあげようよ。

まぁ今回の訴訟のような、言い訳とも言えないような見苦しい真似をされると、もうこいつらほうっておいて先に進みたい、と思う気もわかるけれどさ。





素晴らしい作品を作れる人のモチモチベーション大事にしたいです。

津田さんあたりが「僕は裁断されても気にならないなぁ」って言ったってなぁ。

私は別に津田大介の本とか弘兼憲史の本がなくてもいっこうに困らないけど、東野圭吾が本気で本を書けなくなるのは困るんだわ。

彼らが納得して仕事できるように持っていくって目標を早々に切り捨てるのはもったいないでしょう?




あんまり拙速にやると、逆に出版社メーカーが防衛意識で協力しちゃうかもしれない。

一昔前ののケータイ小説やら今のアニメみたいに「2話ごとに課金」とかが標準になって本より高いかねを払わされるみたいな方式になるのもいやだし、

ユーザーが買わなくなるだけだろ」っていう意見もあるけれど、「価値のある作品」は少数なんだから

そららを供給できる所が、出し渋り始めたり、値を釣り上げたらどうしようもない。

いくら他の本が安かろうが、電子書籍で出ていようが、読みたい本がどれもレベル低いとか興味から外れたコレジャナイのばっかりだと困るんです。

すでに本でも星海社新書とか双葉社の一部がひどい事になっていて、これは経営苦しいからその手の読者を掴みに行ってるんだろうなーと思う。

多分今急いで電子書籍はじめてもこういうところしか来ないと思う。




そもそも、今の電子書籍リーダーやらなんやらの普及率がアメリカ日本で違いすぎるでしょ。

スマートフォンの普及率を見て大言壮語してるんですかね? PCユーザーの普及率や利用時間とか見て「できる」と言ってるんですかね?

日本じゃまだ準備できてないよ。 ヘビーなネットユーザー自分体感で好き勝手にモノを語ってるけれど、全然無理ですよ?

何を根拠に電子書籍をやれと強弁できるのか、数字を根拠に説得していただきたいところですね。 

作者型を情緒的で話しにならないとバカにするくせに、はてな民の大半が、データの一つも持たずに、情緒的に批判してるだけ。笑わせんなボケ





ちょうど今ニコニコゲーム機大戦って動画流行ってるよね。

あれ見てわかると思うけれど、バブル期ですら余程のことがないと成功しないよ?

出版社でもメーカーでもいいよ。今みたいなご時世に、しかも数値的には明らかに低い状況で、

リスクを取って成功する道筋をどうやって立てればいいのか言ってご覧?




今回の訴訟馬鹿げている。それは間違いない。でもこの話はそこで終わりだ。調子に乗ってそれ以上ピーチクパーチク言ってんじゃねぇ。

そこから一足飛びにさっさと電子書籍にしろとか喚いてるバカを見ると頭痛がする。

確かな需要があるのにやりたくないとでも思ってんのか? 需要なんてないんだよ。

まだ無理なんだよ。バブル期ならともかく、先行投資すら出来る状況じゃないよ。

お前らがそうだからといって、大々的にそっちの流れに移行できると思ってたら大間違いだよ。自分がドマイナーだって認識を持てよ。

その前に「堂々と」こちらのテリトリー侵害をやられたら困るんだよ。おとなしく待ってろ。 

一人でこっそり裁断するなりiphone撮影するなりすればいい。 アングラでひっそりやる分にも文句は言わねえよ。

とにかくそ業態をのうのうと許すわけにはいきませんってだけよ。わかれよ。

2011-12-17

道端の植物のように放置されたい(わがまま

気が利かないと責めるけど安心がないと他人に気を遣う余裕が無いので難しい。

自分が相手に対して余計なプレッシャーをかけてないか安心保証できてないのではないか、と確認するようにしたい。




というか、ある意味ではとても気を遣っている。

いかに相手を怒らせないか、についてはよく考える。

基本的に、過干渉が最初にあって、それに対する過剰防衛という問題であって

「だれそれが気が利くきかない」の問題ではなく、「気を通わすことが難しい関係性である」として問題を捉えるべき。

自分が上の立場だとこのことをすぐに忘れて、目下の者だけを責めるようになってしまうので注意するに越したことはない。




あと相手の志向のようなものが怒ることメイン(減点方式というかなんというか)だと、

喜ばせるための行動も自ずと自重される。

自然と気を遣って貰える人は、その気遣いによく気づき感謝する人だったりするので、見習いたい。




というか、気遣いというのを「こちらの要求が、言わなくても叶えられて然るべし」というような発想は

単なるコミュニケーション怠惰であり、傲慢である礼儀知らずであり、相手の意思を無視している。

目上になると、すぐにこうやって目下に対して礼儀知らずになってしまって、相手を不安に陥れ、

本当は気遣いのよく出来る良い人であっても、できなくしてしまうキケンが大きい。気を付けたい。




基本的に、人が人を嫌うのは、相手が自分というもの侵害したり、抑圧したりするからであって、防衛意識によると思う。

生理的に嫌いってのも、相手が自分の許可したラインを越えて侵入してくるということだろう。

嫌悪を乗り越えるために、自分はどれだけ頭を使って工夫できるかが大事

こういう、完全な他人の間では誰もが理解していることなのに、

「親子」とか「恋人」とか「上司部下」といった関係になるととたんに甘えてしまうことが多い。




私はこういう関係が全く理解出来ない。 

私にとってはどれも他人であり、他人である以上一定の線以上はどうしても相手を立ち入らせることが出来なかった。

で、相手はそこのラインを平気で侵害するので、しょっちゅう喧嘩になってうまく行った試しがない。

相手からしたら、私が自分のラインを押し付けたように見えただろうな。私のほうが加害者だったんだろうと思う。

親子関係にも恋人関係にも恵まれなかったと言い訳したいけれど多分、自分がそれらのメリットを全く受け取れないほど、人格的にどこか欠陥があるのかもしれない。





鬼灯さんちのアネキというマンガに出てくるワカメ髪の女の子を読んでそんなことを思った。

私はこの子にやたらと共感してしまう。私の友達はこの子のような人が多い。

お互いが合意のもとで許可したライン以上は絶対に越えないという関係。そういうのがとても落ち着く。

友達というか、関係のある他人。 必要なときだけ、壁越しにお互いの持ち物を投げ合う関係。

でも、ああいう子がどうやって、どういう時にラインを越えていくのか、そういうのを描いて欲しい。

文学少女シリーズ竹田さんしかであるが、トラウマとかなんだとかわかりやすい傷を抱えている人よりも、

生まれて最初から、絶対的に変わらないラインがある人って、そもそも他人と深い関係を結ぶべきじゃないと思う。

そういう人が、落ち着いて存在できる。物語にはならないけれど、隅っこでただそこにある。そういう存在として生きたい。





ちゃごちゃ理屈をこねたけど、結局、自分はこういう人間から、こうしたいって言ってるだけだな。格好悪いな

他の人は自衛のために仲間づくりとか頑張ってるのに、それをサボってぼおっとしていたいって言ってるようなもんだ。

これだと相手に踏みにじらても文句は言えないと思う。 

から自分なりに自衛の努力はしつつ、いざ踏まれても文句は言わないようにするしかない。

でもこれって、なんか政治とか軍事から見た日本って感じだな。 

誰かに頼って運良く生きているけど自覚しないで俺は一人でいたいんだーほうっておいてくれー、てな。

格好悪いうえにわがままカー救いようがないなー。

2011-12-11

どうなんだろ

http://anond.hatelabo.jp/20111211060921

他人が写した写真データを見たがるって、プライバシー侵害にあたるんじゃないかな。

女性の気持ちもわかるけど。

2011-12-01

無音カメラアプリの横行

アンドロイドマーケット見てるとざくざく見つかりますね。本当に不愉快

マクドナルド盗撮電車盗撮みたいなことが、これからも次々起こるんだろうな。

昔は盗撮なんて秋葉原にでも行って専用のカメラを入手したり、携帯を改造したりしないと出来ないものだったけど、

誰でも持ってるスマートフォンで誰でもカジュアル盗撮ができるようになっちゃった

こうなる前に取り締まって欲しかったですね~。

何が不愉快かって、盗撮された人が勝手コンテンツ化されて、それでアフィブログが金儲けしてることですよ。

盗撮された人は一円ももらえず、ただ肖像権侵害されるだけなのに。

女子高生パンツ逆さ撮り盗撮画像なんかもそうだよ。アフィエログ転載され金儲けに利用され、撮られた人は一円ももらえない。

人の肖像を無断で金儲けに使うことに心は痛まないのかな?

とりあえず転載アフィブログ管理人には死んでもらいたいです

http://anond.hatelabo.jp/20111201012819

はい。それは構いませんが、具体的に何をして欲しいのですが?

個人が特定されないように 注意しているつもりですが、どこかプライバシー侵害していますか?

 

事例研究のために実際にあった出来事を、個人が特定されないように実例を持ち出すのは合法行為かと思います

どこかに、個人が特定されてしまうような情報があったのなら、それは是正します。

 

もしあなた元増田を消すべきだという指摘であれば、そのご意見を尊重して消すことも可能です

2011-11-28

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819491E0EAE2E2E38DE0EAE3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

土産菓子面白い恋人」が石屋製菓の「白い恋人」の商標権侵害しているとし、販売差し止めなどを求めた。

このニュースお笑い芸人たちは「シャレがわかってない」「つまらない事をした」などときっと擁護するのだろう

しかし考えてほしい


芸人たちはよく「素人から芸をしてよと言われるけどそれは仕事からただでやる事はできない」などと言っている

それと同じ事だろう

元となった「白い恋人」はブランドとして名前仕事をしているのだ

そもそもシャレでやるのであれば事前に確認を取りロイヤリティを払えばよかったのではないだろうか


これは訴えられたという事はロイヤリティを払う訳でもなく許可を取ったわけでもく名前を使用していたという事だろう

あきらかに「シャレ」などではなく商売なのだ


「シャレ」や「空気を読め」といった自分ルールをみんなのルールとして「笑い」という幅を縮めている芸人は辞めてほしい


という防衛線をはっておきたい

この先このような事を言う芸人が出てきた時のために

2011-11-04

http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1872.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1872.html

なんかえらい盛り上がってるけど、正義の鉄槌を下したつもりになってるまとめブログとそれに共感してる奴も、本来はこんなことやったら肖像権侵害で同じ穴のムジナなんだけどそれ分かった上でやってる?

相手の女性は可哀想だね。ここまで叩かれると表立って反論も出来ない。逆に言うと叩いても安全人間だと分かってるからみんなに袋叩きにさせられてるわけだ。

2011-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20111101172009

人権法律が規定するのだから法律を強制されないならそもそも侵害される人権存在しないのでは。

自然権まで否定するような法律を強制されているなら話は別かも知れないが、一応この国の法律はそうではない(と思う)。

文化因習なりなんなりについては、別に強制されてないのでは。型破りに生きることも、他の文化の国に移住することも出来ると思う。

2011-10-31

あいつらヤクザだな」

職場上司が、弁護士と会って帰ってくると必ずこう言う。弁護士ってのは、あいつらほとんどヤクザだよ、と。

勿論弁護士の全てがヤクザじみているなんてことはないと思う。だからこれは氷山の一角、でもだからこそ目立ってしまう「イヤな弁護士」のお話



私の勤める現場にも、客として「職業弁護士」が来ることがある。そのタマゴが来たこともある。

まぁ、彼らはいきなり何かをやらかすことはない。一応敬語を使ってはいるけど相手を見下しているのが透けて見える態度、せいぜいその程度だ。そしてそういう手合いは別に弁護士に限らず老若男女ごろごろいる。

問題は、彼らの中で自分の思い通りに行かない事が起きた時。例えるなら、商品券を使いたいけどこの店舗はその対象外だった、この商品を取り寄せられるのは経費の問題により月に1回までだった、というような、ちょっとしたルール自分の望む行動を阻まれた時だ。

(うちの日常の業務内容ではせいぜいそのレベルトラブルしか起きない。時期によっては契約とか規約とかが絡むトラブルもあるが、そういうものにはちゃんと対応するルートがある)



いわゆる「一般人」は、なんとかなりませんかねぇとちょっとゴネてみても、最終的には引き下がる。

ヤクザ(と言うかチンピラ)は、ごちゃごちゃいわんととっととやれや、暴れんぞゴラァと騒ぎ初めて、最終的には相手を泣かせたりする。

弁護士は、何の権利があってそう主張するんですか、といったイチャモンをつけて職員を捕まえ、延々業務妨害をするのである



決してサンプルは多くないけど、そういう手合いは風体もちょっとおかしい。

吐き気を催すほどの強烈な香水をつけて、多くの利用者が腰を落ち着けて飲食をしたりもする休憩スペースに陣取ったり。

ホームレス一歩手前の体臭を放ち、だらしない服装で廊下ソファーにどーんと足を伸ばして座って明らかに通行のジャマだったり。

後者弁護士は、それを注意されたら窓口に乗り込んできた。名誉毀損だか何とか侵害だか知らないが、その件で小一時間職員を拘束した。

コ汚いサンダルで来るなとは言わないが、正直あんなに汚れた大人の足の裏は事務職をしているとなかなかお目にかかれないので驚いた。



信じたくはないが、「『自称弁護士」ではないらしい。弁護士事務所のサイト名前写真を確認することができた。

要は、法律で明確に禁止されてさえいなければ、自分の行動はどんなものであれ咎められたり阻まれたりする筋合いはなく、また全ての主張は通るべきであり、いかなる状況でも引っ込める必要はない、というのが、彼らがその人生で身につけたスタンスであるようだ。

恐らく相手が素人だと思ってナメているのもあるだろう。ここでできなくてもよそにいけばできるような事を、いちいち相手の言葉尻を捉えては糾弾し、ここでやらないのはおかしいと主張し続ける。私に言わせればスーパ-のレジでゴネるモンスターおばちゃんと大差ない。



彼らが横柄で強気な理由は、自分のバックにある「力」が、他人を実質的にどうこうしてしまえるもの、それを強制できるものからかな、と最近思い始めた。

ヤクザ(というかチンピラ)が強気なのは組織ぐるみ暴力を行使する準備があるから

それと同じように弁護士強気なのは法律を行使できる知識とそのバックグラウンドがあるから

これがあれば相手に言う事を聞かせられるぜ、という懐刀。その使い所を完全に間違えて虎の威を借る狐になっている、それが彼らだ。



武道の達人は素人相手にその技を使ったりはしない。

数学者は算数に弱い人をバカにしたりはしない。

オペラ歌手は自信満々でカラオケボックスに人を引き込んだりはしない。

プロ」というのは、常にその力の使い所を弁えているべきなのだ。



「あんな一般常識のない弁護士の世話にはなりたくない」

「周囲の迷惑になる行動は慎まないと信用を失うよって、六法全書に書いてあげないとわからいかね」

普通に見苦しい、迷惑」

というのが、私の職場内での彼らに対する評価だ。

難解な司法試験パス六法全書を丸暗記するという『弁護士』に対する幻想を、あんまりこっぱみじんにしないでほしいと思う。



余談だが、宝塚のおねーさまが窓口に来たことがある。

そうとは知らずに対応したが、凛々しい中にも礼儀正しく、プライベートであっても自身の職業を貶めることのない立ち居振る舞いに感服するばかりだった。

2011-10-29

削除された「熊森活動備忘録」を拾ってみた

日本熊森協会ツキノワグマヒグマ保護活動に対して、その手法精神性の両面について問題が大きいことは各所で指摘されている。

取り上げられることが多いのは、「ドングリ運び」「ドンプレ」と称される「お腹をすかせたクマに食べ物を届ける」活動である

2010年秋、協会は大々的に全国からドングリを募集し、一部をヘリコプター山中に運ぶという活動を行った。

(通常のドングリ運びを含む)本件については、野生動物研究者によって問題点が指摘されているほか、ブログtwitter上等で是非について議論が続いている。



2011年4月、「協会の元スタッフ(既に除名措置を受けているとのこと)」である男性が、「熊森活動備忘録」と題するブログを開設し、協会内部の問題点について指摘を始めた。

ブログは削除済みである

著者John Smith氏(氏はブログ内で本名を公開している)は、ブログ最初の記事でこう記している。


私は、2008年から2010年まで足かけ3年間、「実践自然保護団体 日本熊森協会」(以下「熊森」と呼ぶ)にてボランティアをした経験を持つ。このブログ目的は、一言で言えば「糾弾」と「懺悔である。足かけ3年の経験において、私が見聞きし、感じたことを記し置き、熊森という団体の実態を明らかにすることがその手段である。「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただければ幸いである。


ブログ上では、氏が熊森協会会長および幹部の数名を実名糾弾し、会員数のごまかし、協会運営上の不審な点、不透明な金銭、自らが受けた理不尽な扱い、クマや森の保全活動と銘打った活動の問題点等を指摘している。

しかし、5月中旬ブログは削除され、一度別のブログサービス移転するものの、再度削除された。

John Smith氏はこの件に対し、twitter上で「熊森協会からブログ運営に、プライバシー侵害および名誉折損を理由とする削除申し立てがあった」こと、また「John Smith氏自身の所属組織に対し、協会から電話による嫌がらせがあった」ことを明かした。




この「熊森活動備忘録」が削除されたことで、ブログ内で指摘された協会の様々な問題点についての信憑性が逆に高まることになったのは言うまでもない。

該当ブログは二件とも削除済みであるが、WEB上で読めるものを拾ってみたので、以下にリンクを示す。



はじめに-熊森活動備忘録(4/9日の記事、ウェブ魚拓

雑記帳3 ドングリ運び、電話攻撃に思うこと-熊森活動備忘録(4/21の記事、ウェブ魚拓

熊森活動備忘録(4/18から5/19までの記事のテキストデータrssリーダ




John Smith氏の意思である、”「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただ”く参考になればと思う。

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