はてなキーワード: 40歳とは
年の差カップルの難点は性欲の差だよ、まじで。
月に4日前後のやりたい日がある以外の日はあまり興味がない、というのが一般の説らしいのですがどこまで変化するのやら。
女性は年齢と比例して性欲が増幅していくらしい。年齢とともにホルモンバランスとかの変化があるのかもしれないけど、それだけじゃないと思う。
本音ペースで言っちゃえば、社会的なスキルとか人間的な魅力が上昇して性を武器にしなくても良くなった(あるいは、できなくなった?)ことに起因している。
女性は性欲をおおっぴらにすべきでない!みたいな社会風潮も関連はゼロではないと思いますが、やっぱり若いときは性は
最大の武器でありエサであり切り札なわけです。そしてその切り札の市場価値を高めようと思ったら
供給を減らす、つまり”出し惜しみ”戦略をとったほうが効用がより高まるわけです。
供給を減らすことで価値を高めることを意識して行っているのかどうかはわかりませんが、
『心は許しても身体は許さない』みたいなスタンスをとる(若い)女性が多いのは、
『希少価値の演出』という意味も含まれているのではないでしょうか。しかしながら、年齢が上がると武器の威力は相対的に低下してい
くので、だんだんと、若さと言うフィールドでの出し惜しみ戦略の出し惜しみに対する効果が実感できにくくなって意地を張るのが面倒になってくるんじゃないかと思います。
そうすると頭で性欲と言う本能を抑える必要が少なくなって本当の性欲が自分に戻ってくる、という心理的な面での性の開放もあるのか
と。抑圧していた情動が戻ってきたという感じ。だから40歳以上の女性の出会い系サイト経由の妊娠が増えているのかもね。高く売れうるときに高く売る。
これ、商売でも才能でも能力でも鉄則だよね。で、売れ残ったら他の部分での女性性で補えばいいのだから何の問題もない。これがココ・シャネルの名言の
31歳で癌になって、とりあえず治して、それから早8年。この分だと普通に60歳くらいまでは生けそうな感じだ。
癌が治って退院したときは、40歳の自分もなかなか想像できなくて、オレは生涯独身で行こうと思ったものだが、意外と人間、簡単には死なないようだよ。まあでも自分の選択に後悔はしていない。もし運良く結婚できたとして、嫁さんは分かってて結婚するわけだから自己責任だが、もし自分の子供が癌になってしまったらと思うと、ちょっとね。ましてやオレより先に死にでもしたら耐えきれませんよオジサンは。
そんなわけで今、オレの隣に奥さんはいないし、オレの膝の上に子供はいないわけだが、オレは充分に幸せなのだ。2chのまとめサイトは相変わらず面白いし、たまに東京に行って女子高生BARやメイドキャバクラで酒を飲むのは最高だ。そうそう、35歳でギターを始めた。奥田民生が弾きたいんだよ。
男女ともに40歳を過ぎた頃から、なんとなく人生の到達点がぼんやりと見え始める。仕事を持つ人は、その立場や職責からそろそろ定年を見据える年齢となるだろう。頑張っても先は知れてる、頑張りすぎると体を壊す、そんな年齢。でもほどよく頑張らないと、人生がドンドン先細って行くのを肌に感じる年齢だと思う。
さらに女性は、機能的に子供を作れなくなる事で、産むか産まないかを決心する年齢であり、より人生の進むべき方向性や選択肢が狭くなる気がする。
働きながら子を作るか、家庭に入るか、作らないで生きるのか。そんな苦しい設問に頭を悩ますことが無くなる変わりに、選択肢自体がなくなり「子供を作らなかった自分」が、のさばってくるのだ。
アラフォーって、女性が「産めるのに産まない」選択をする境界年齢であろうと思う。もちろん子を既に持つ人にとっても、最後の子を宿そうかどうかと考える時期だと思う。
アラフォーになって、(産まない選択をしたが既に子供のいる方や産めなくて産まなかった人は別として、)理由はどうあれ「産めるのに一人も産まない選択」をした女性にとっては、この年齢以降は産めるのに産まな「かった」人生が、今後一生待ちうけている。
結婚する時「子供の無い人生を歩もう」と決心した2人なのに、女性が産めない体になってから「別に子が出来たから離婚」なんて、どんなに辛い一生が彼女を待っているか。
そんな男性を選んだ女性の自己責任なんて、口が避けても言うべきでない。それほど一生をかけた精神的な暴力を受け続けなくてはならないのだから。
少し脱線するが、子供が欲しくて不妊治療を頑張る女性の、その辛さは男性には分かるまい。夫に「も」不妊検査を切り出すだけで、また体外受精の精子提供を提案するだけで「そんなにまでして子供は要らない。」なんて男性はシレッと言ってのける生き物だから。
出来るかもしれない可能性にかけることすら簡単に拒否されて。それなのに、妻が出来ない年齢になってはじめて「オレは子供が欲しかった」「子の命には代えられない」などと、どの口が言うセリフで自分を正当化して自分の罪をごまかし、子供を宿せなくなった女性をいとも簡単に捨ててしまう。
そういう意味では、男性には子供を持つことに年齢のリスクは伴わない。
女性が子供を作らないこと。その決意と年齢の関係にはリスクが伴う。
「作れるのに作らない」女性に「子供を作れ作れ」と、周囲がおせっかいを言うのは、そのリスクを知っているからだと思う。
「作れるけれど作らない」人は、作れなくなってから作っておけば良かった、と後悔しないよう色々と、作れるときに準備や調査や保険をかけておいてほしいなぁと思う。
こんなひどい結婚が!みたいな嫁姑が!みたいなPRで結婚することのデメリットをさんざんやっちゃったから
そう思う人もいるんだろうけど、実際は結婚しないで40迎えたら・・・どうすんの?ホームで、またひとり、ひとりといなくなっていく仲間を見送るだけの余生を過ごすの?いいけどさ。
切ないにもほどがあるだろ。
40で結婚諦めて、残りの40歳いなくなるだけの家族を見送るだけの残り40年かよ。どんだけだよ。
最大のデメリットは家族のいない老後で、子供という新しい要素を産まない限り、死を見つめるだけの老後になって、それが嫌だからみんな結婚するんだろう。
結婚の最大のメリットは家族そのものだからなぁ。家族を持つことで人間的なトラブルも増えるけど、家族がいない老後よりマシだろ。
結婚は諦めたほうがいいというのは、私のスペック(女・28歳・貯金850万・フリーター・バツイチ)にたいして仰っているのでしょうか。
それに悩んで増田で相談したので、貴重な意見として受け止めます。有難う御座います。
思っていないです。
逆に自分が変われば愛される可能性が出てくるのではないかとは思っています。
殴られて、ハっとして、
結婚してもらいたい・相手に頑張ってもらいたいという受動的(?)な思いから、
自分が変わらないと結婚してもらえない、という能動的な考えにやっと変わってきました。
皆が結婚していくから結婚やっぱりおいしそうと思ったり、取り残されて寂しかったり、そういう一般的な独身女性が感じるありきたりな悩みを持っているだけです。
それを「科学的な事実ではない」から諦めてたら廃人みたいなので、私はなりたくないです。
科学的な事実ではないから配偶者や友達なんていーらない、と言ってしまうのは、寂しいのを抑圧しているようにしか見えなくて痛々しいので、それは私にとっては最終手段ですね。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
発達障害者は30歳あたりで心臓発作でポックリと死ぬのが一番幸せである。
なぜかというと、30歳を過ぎると周囲の健常者と比較して
いろんな面で差が開いているのが目に見えてしまって絶望してしまうから。
「年収、結婚」などで健常者と比べてあまりにも劣っているので強いコンプレックスを感じてしまう。
また、話は変わるが、
これによると発達は30歳で精神年齢がたったの20歳 ということになる。
同期の健常者らは30歳で精神年齢が30歳に達しているので、
この時点でなんと10年分も精神年齢で遅れをとっている。
しかも、この精神年齢の差は30歳、40歳、50歳と年齢を重ねれば重ねるほど
どんどんと開いていく。
健常者から20年も遅れている事になる。
以上を踏まえると、
物語的に違和感はない・・・・ってかさ、そういう英雄譚は一杯あるだろ。
で、そういう英雄譚(栄枯必衰を表現した英雄譚)では、主人公は「栄枯必衰」を意識した言動を壮年の頃からしないといけないのか?
さらにそれを、「最終決戦」の場でしないといけない理由が判らんよ。
だーかーらー
シモンは「エピローグのおまけ」とか「英雄の後日談」で老いてたんじゃなくて
最終決戦の時にはすでに老いてます。
地球に帰還したらすぐ引退して消えたでしょ?
「地球に帰ったあと長らく月日を過ごしてやがて老いた」んじゃねーよ。
それどころか、カミナシティ編からは一貫して中年期だぞ。ほんとはね。
おっさんの年齢や外見にはしないけど。
さらにそれを、「最終決戦」の場でしないといけない理由が判らんよ。
「しないといけない」もくそも
口上でももう自分の後の世代の話をしまくってるからよく見直せよ。
カミナシティでやってることは全部、「全盛期過ぎた黄昏」の話だ。
後輩世代にうざがられる、子供世代が一線に出てきてる、尊敬はされてるけど邪魔もん扱い、いまいちしっくりくる居場所が無い…。
「そうか、長いこと待たせた女と結婚でもして年貢納めるかあ」っていう状態だあれは。
>「主人公の老い」「一線を引く」「後に続くを信ず」がしつこく盛り込まれて
問題文を忘れたって奴に答の解説は出来ない。
どういう論理展開したらそんな推論が出るんだ。
40歳男性と20代女性の夫婦見ただけで「金だ!」「人身売買だ!」と確信し
その確信を悪態とともに公に吐き散らしちゃう不思議思考回路について
「幸せじゃないおばさんが幸せそうな夫婦に嫉妬してるのかしら」
っていうのはそれを無理に理解しようとする推論の一例でしょ。
あなたがなんだかよくわからない理由で異常に『不幸なおばさんの嫉妬』にひっかかって感情的になるならば
別に「過去に不潔なキムチを食って脳に有鉤条虫がわいてるのかしら」でもいいわけだ。
「宇宙人にさらわれて頭に手術を受けてしまったのかしら」でもいいし。
(俺に言わせれば「〇〇〇〇を理解しようと思うだけ無駄」でオシマイだけど)
それで気が済むならどうぞどうぞ。
でも自分がなんで嫉妬って言葉にそんなに感情的になるのか一人で自問しておくのもいいと思うよ。
俺はその理由にも興味ないし分析する気も無い。
http://anond.hatelabo.jp/20110624194233
初体験なんて痛いだけってのは、ごくごく普通のことだから気にすんな。なんか、股の間にニンジンが挟まったような感じがして、1カ月くらい抜けなかったなあ。みたいな。私は幼児姦にあったことがあって、正確には「処女」とは言えない状態だったんで、とっとと経験したかった。3カ月だけ付き合った同じ高2の男子だった。なんか「こんなに簡単に許しちゃうなんて信じられない」って振られた。どうも、私は相手なんてどうでも良かったみたいで、ときどき初体験の相手をきれいに忘れてることがある。とりあえず、身体の関係があった相手を覚えてられるくらいには数は少ないんだけど。
さて、本題。現在52歳の男と付き合っている。私は49歳。17歳のときから男が途切れたことが無いから、それなりに回数はしたはずなのに、今付き合ってる彼のセックスは根本的に違う。「女性を喜ばすこと」が第一で、自分のことはゼロでいいらしい(それは私が嫌なので、無理やりその気にさせることもあるけど)。具体的な方法は今話題の「本当に気持ちの良いセックス」でも読んでもらうとして、実践出来る男と出会えて、本当に運がいいと思う。
世界が変わる。
旦那さんと一緒に、ぜひ、気持ちの良いセックスを覚えてみて。
確率論ってそういうものなんだよ。
だから30年以内に87%だとか1年以内は6%だと言っても
おはじきの色が黒になるか白になるかとは実感がぜんぜん違う。
図つきで解説してるのはこちらのページ
http://d.hatena.ne.jp/LibrePDM/20110510
さらに詳しくはこちらの本を読め。
それは都市伝説だと思われるかもしれない。
ただ、私に関していうとそれは事実だ。
予知能力だ。
「コンビニの店員さんが、弁当に箸を入れてくれるか、否かがわかる」
そう。
私にはわかるのだ。
的中率はほぼ100%だ。
ここで、一つ、真理を言おう。
たとえ、事前に「お箸をお付けしますか?」と確認しようが、しまいが、箸を入れない人は入れないのだ。
しかも、この魔法のやっかいなところは、店員に注意ができないのだ。
「やぁ、君、ちゃんと箸をいれてくれたかね?うん。すまないわかるんだ。いれてないって。なぜなら魔法使いだからねHAHAHA!」
…いえるわけがない。
男40歳過ぎ。わかる。すごくよくわかる。
「この人とお前とどっちかが死んでどっちかが生き残る。どっちだ?」
と聞かれて躊躇なく「俺が死ぬ」と言える人がはじめてできた。2年前に生まれた息子だ。
遊びたい!好き放題自由にやりたい!お金も全部使いたい!浮気しても慰謝料払わなくていいポジションって最高!という気持ちと、
老後が孤独なのは嫌だな、最近自分の可能性の限界を感じる、自分の遺伝子を子供という形でのこして子供の成長を見守ることで希望を感じたい、という気持ちのバランスが、
加齢によって逆転する瞬間
が来た。心の底から子供が欲しいと思った。自分自身は世間並みから言えば抜群に優秀だと思うけれど、この程度の優秀さなんて、所詮人並みを超えることはないということを実感した。
まあそんなことは東京大学の学生だった1年生の秋までに気づいとけよという話ではあるのだが。
遊んだ。好き放題自由にした。Gカップの女弁護士と、Fカップのお嬢様と、Aカップの処女を同時進行で30代前半を過ごした。
仕事も順調だった。大企業に順調に就職し、まあ役員くらいは当確だ。
でも所詮そこまでなのだ。限界がある。一人の老後はさびしい。自分は自分の可能性を十分に生かすことができずに老いていくのだ。
自分の忠実なコピーが欲しい。自分が突破できなかった壁を、自分の遺伝子に突破してほしい。
そう思ったナルシストの前に、三十路半ばにさしかかった大学の後輩女性が結婚したがっていた。
結婚して、息子ができた。
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これは、自己形成を自分ひとりで時間をかけてやりたがった人の話。
今時はそういう男が多すぎるのは確かなんだけど。
20代半ばまでに結婚する男の中には、結婚そのものが、上を目指す手段だったりする奴もいる。
そういう人間にとっては、結婚は人生の墓場ではなく、むしろゆりかごなのだろう。
そういう男にとっては、常に妻は踏み台にすぎない。
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「この男にとって、結婚は人生の墓場なのだろう」と思える男性にプロポーズされたことを祝福します。
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子供を産む機械がよいのか、夫の踏み台が良いのか、悩ましい問題ですね。
見づらいと思いますので実際にいってみてください。
http://shinokawa-office.com/weblog/archives/177/comment-page-1#comment-83
* 税務の仕事
*2010年6月16日、たかみさんからのご指摘により、記事の内容を改めました!
当ブログでは、「源泉所得税の改正のあらまし(平成22年4月)」や「年少扶養控除の廃止による増税額を試算してみた」という記事において、子ども手当と年少扶養控除の廃止にまつわる問題点を指摘してきたわけだが、どうも予想通り、子ども手当の全額支給は見送られる方向になってきている。
その一方で、年少扶養控除の廃止の是非については、新聞などのマスコミにおいて、話題にすらなっていない。
これは本当におかしな話で、子ども手当の満額支給(2万6千円)と年少扶養控除の廃止は本来はワンセットの政策であった筈です。
それを、なし崩し的に子ども手当だけを削っておいて、しかもなお年少扶養控除の廃止については予定通りに進めるということになると、結局は子育て世代の負担増という、何といいますか、有権者をバカにした結果になる可能性があります。
年少扶養控除の廃止による増税は来年以降の話になってくるので、まだピンと来ないのかもしれないけど、2010年中には決めなければいけない話だし、その割には、子ども手当と増税の関係について分かりやすく説明している例はあまり見当たらないような気がする。
そこで、「年少扶養控除の廃止による増税額を試算してみた」において増税額を試算していますが、今一度、国税(所得税)と地方税(個人住民税)に分けて、子ども手当と増税の損得について試算してみることにします。
想定したのは、16歳未満の子どもが2人で奥さんは専業主婦、ご主人が40歳以上であるサラリーマンのご夫婦です。
子ども手当の月額が現行の1万3千円とすると、想定例では子ども2人なので、13,000 × 12 × 2 = 年額 312,000 円ですね。
年収 300万円 500万円 800万円
給与所得控除後の所得金額 1,920,000 円 3,460,000 円 6,000,000 円
社会保険料控除額 403,500 円 672,500 円 1,076,000 円
現行の年税額 (国税) 0 円 63,300 円 253,300 円
現行の年税額 (地方税) 23,600 円 150,700 円 364,400 円
年少扶養控除廃止後 (国税) 37,800 円 105,200 円 405,300 円
年少扶養控除廃止後 (地方税) 89,600 円 216,700 円 430,400 円
増税額 (国税) 37,800 円 41,900 円 152,000 円
増税額 (地方税) 66,000 円 66,000 円 66,000 円
増税額・合計 103,800 円 107,900 円 218,000 円
子ども手当 (2人分) 312,000 円 312,000 円 312,000 円
差額 (年額・子ども2人分) + 208,200 円 + 204,100 円 + 94,000 円
「なるほど、こんなものか」と考えるのか、それとも ・・・
ところが!
上記以外にも、子ども手当の創設により現行の児童手当が廃止になるという点も考慮に入れる必要があります。
現行の児童手当は、小学校までの児童1人あたり月額 5,000 円、3歳未満の赤ちゃんには月額 10,000 円 支給することになっています。設例のご家族で、仮に月額 15,000 円の児童手当を受給していたと仮定すると、そのマイナス分は年額 180,000 円。そうすると、子ども手当のメリットなどなくなってしまいますね ・・・ むしろ逆に、負担増になるご家庭もきっと出てきます。
いずれにしても、子ども手当や年少扶養控除廃止に関して、民主党は重大な公約違反を犯しています。税制や社会保険の根幹にかかわる問題について、このようになし崩し的に決めてしまってよいものなのかどうか、疑問が残ります
http://www.tyk2.info/2010/12/blog-post_497.html
この主任の場合、ちょうどその40歳であり、移動先が港湾部というからには、おそらく左遷人事である。将来が見込めず、ポストも用意されないことがわかった主任がとった行動が、無気力という最大のテロリズムだ。
終身雇用+解雇規制の世界では、将来の出世の見込みがない人にとって最も合理的な行動は、一切働かないことだ。それでもクビにできないのだから、働かなければ働かないほど、ROIは上昇する。
将来にわたって賃金が上昇することがないなら、労働投入量を減らすことによって労働/賃金のROIを上昇させることができる。これが無気力労働のからくりだ。
<中略>
なるほどー.
でも役所以外でこんなテロリズムが可能な会社はあるのだろうか.
あと,制度改革しても今すでにいる人たちを解雇する手段となりうるのだろうか.
反発を考慮しても今すでにいる人たちを解雇するしかないと経営陣が思うほど,
今すでにいる人たちの無気力が危機的にならないといけないということなのか.
うーむ,そんな臨界点は来るのだろうか.
●11月26日
16:15頃 気仙沼市本吉町地内路上 年齢40~60歳位、やせ形、黒色ジャンパー、紺色ジーパン着用の男 10歳の女の子 に「走ると危ないよ。いい女」と声をかけた。
●9月16日
14:00頃 泉区将監1丁目地内路上 50歳位、中肉、黒色オールバック、緑色シャツ 7歳の男の子に 「ごめんね」と声をかけて、肩に手をかけた。 自動車(塗色青色)
泉警察署
●4月19日
6:50~7:20頃 東松島市浜市地内路上 年齢40~50歳位、白髪交じり、眼鏡着用 8歳の男の子に 「トイザらスの場所教えてくれ。」と声をかけた。 白色軽トラック使用
●4月19日
16:30頃 東松島市牛網地内路上 年齢40歳位、黒色トレーナー、ジーパン、黒色野球帽着用、サングラスかけた男 9歳の男の子に 「トイザらスに行く道教えてくれ。」と声をかけた。 白色ワンボックスカー使用
●11月28日
13:15頃 仙台市宮城野区福室1丁目地内路上 年齢20歳位、身長170cm位、中肉、黒色短髪、灰色の服、青色ジーパン、銀縁眼鏡、自転車に乗った男 10歳の女の子に 「警察の者ですけど、話したいことがあるので人目につかないところへ行こう」と声をかけた。 黒色自転車使用
●3月23日
15:08頃 気仙沼市南町1丁目地内 年齢35歳位、やせ型、灰色フード付きジャンパー、黒色ジーパン着用、黒色四角型のメガネを使用した男 11歳男の子に 「死刑好きなのか。死刑にしてやる。」と声をかけた
●9月8日
15:50頃 宮城野区福室2丁目地内路上 70歳位、170㎝位、小太り、青色上着、黒色ズボン 7歳の男の子に 「虫いっぱいいるところ知ってるから一緒に行こう」と声をかけた。
●7月3日
16:30頃 石巻市貞山地内路上 20歳代後半、身長不明、がっちり型、角刈、ピンク色ワイシャツ、黒色スラックス 17歳の女の子に 体を触り「もう一度触らせて」と声をかけた。 ピンク色自転車
マジポルナレフ状態。
オバサンは、夫がかまってくれなくて、生きる気力が湧いてこないから
浮気推奨、濡れ場満載のドラマを見て「生きる気力が湧いてきました」というのが美談になるらしい。
鈴木京香の45歳と一般人の40歳のどちらが若いかわからないのは困ったものだがまあいいだろう。
見てないから知らないけれど、セカンドバージンは良いドラマなんだろう。
そして、それは濡れ場があるからとか、浮気推奨だから、というわけではないと思う。
韓国ドラマだってそうだ。ワンパターンで関心のない人間から見たら「解釈の余地が無い」
ような話だけれども、美男美女エリート金持ちといった日本には非実在なひとたちの話が
多くのおばちゃんを感動させている。
これと、大の大人がハートキャッチプリキュアの映画版見て感動するのとどれほどの違いがあるんかいな。
このオバサンとはきっと分かり合えるという希望と、
いや、セカンドバージンは素晴らしいがそれでも規制規制って連呼してるということから
絶対に分かり合えないという諦めと両方を味わった。
・「人口を維持しよう」って発想が間違ってたのかもしれないね。
・じゃあ、老人が死に絶えるまで耐え切れば丁度いい人口構成になるんじゃないか?
・ぶっちゃけ、若い世代をどう絞ってもカネは出そうも無い・・・。
・そこで発想を変えるんだ!
・もう、この際老人たちのカネとは別の通貨を作ってしまうのはどうだろうか!
・地域通貨と同じ発想で、「若年者通貨」を発行しちまえばどうだ!
・2011年現在40歳以下の人間だけが使える通貨!みたいな。
・日本の経済圏を二つに分けて、ジジイはジジイの経済圏で生きればいいし、若者は若者で別の経済圏を作ればどうだろう。
・年金やらなんやらの社会保障も若年者の間だけで構築しちゃうんだ!
・最初はしんどいけれど、結局労働力がないと社会は廻らないので一致団結すればやれるさ!
・マルクス主義のブルジョアープロレタリアートの構図を年寄りー若者でもう一回やるんだ!
・若者総決起だ、なにせ労働力は基本的にこっちが持ってるんだから!