はてなキーワード: javaとは
Manycoreという技術そのものはIntelもだしてる。さらなるManyはGPGPUでやってる。
他方シングルコア性能は上がってはいるが4Gぐらいで、議論を呼んでる。
今議論を読んでいるのは、コンパイラの最適化と、マイクロコードの最適化
そこはかなり疎結合だからな。インタプリタで言うエンジンの最適化ではないが
CPUでどう最適化されるか?をインタプリタがもうすこし制御すればインタプリタのスクリプトコードをもう少し効率的な生成にできるのではないか?というアプローチがJava的ではなくPython的にあらわれはじめていて、けっこう、興味深い
デフォルトのPythonとコーダーが機械語の変換について学習させてあるPythonという考え方はとてもポケモン的で面白い
C言語は必要だし、実際カリキュラムに含まれていた。Javaはいらないように実装されているが、いらないような実装とはどういう実装か?ということを理解するために、必要な実装とはどういう実装かが比較対象で必要だから大学レベルだといる。
CやJavaやPythonをかじるのに大学レベルの知識は要らないでしょ。かじるだけなら高校生どころか中学生でもできると思うんだが...
(もちろん使いこなすとなると、また話は違うでしょうけれども)
まさに、それ。Javaをメインでやっているやつが実はそれCでは違うというのをどう処理しているか?というのが疑問に思ってる。
まぁJavaからCに転向するときに教えるというのもありでいいとはおもうが、
Cではちがう、Pythonではちがう。けどそれは別な授業と一言言っておくべきではないか?いわないほうがいいか?というのは悩ましいなという
JavaにおけるObjectの扱いと、Cにおけるclassの扱いは、実は微妙に違う。これをながらく同じとして扱ってきたことに対して
学生が参画したことにより、そろそろ無視できなくなってきている。あえて、違うけど、それは大学や専門学校でとなるなら問題は無い。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
10年超のプログラマやってるものだけど自分の成長過程を書いてみよう