はてなキーワード: 父子家庭とは
入学式前のオリエンテーション日、パ長が用意してくれた他大合同の飲み会で喋った女子。(会場はクラブだった)ロッカーに使う小銭を借りた縁。お姉さんがモデルで半分芸能界に住んでおり、そっちの世界を知るきっかけになった。筋トレをはじめたのはこの人の命令。褒め語彙がとても豊かな人でそこは相当薫陶を受けた。
大学の寮(のようなもの)のウェルカム会で隣席した子。父子家庭だからか映画と洋楽に詳しかったのでレコメンドを片っ端から一緒に試して感想を交換するうちにつきあう流れになった。大学初彼女。母親以外で初めてちゃんと看病をしてくれた子。というか母親より圧倒的に看病がうまかった。
友達の友達が住んでたシェアハウスの鍋パに来てた子。美大生で写真系アーティストのたまご。グルスキーの話題で盛り上がったのと、その子の持ち込みのケーキが美味すぎて笑ってたらまたつくってくれた。サプライズが大好きで、街中でパイまみれにされたことがある。
友達が主催した震災ボランティアの仲間。看護学生だったので子どもの頃の大病の話を車の中で打ち明けたらポロポロ泣き出して、何故か俺までむちゃくちゃ泣いてしまった。笑顔のボキャブラリーが俺の100倍くらいある。ある日父親のマセラティに乗って現れたときはギャップにくらくらした。
俺が幹事を務めてた勉強会に参加してくれた子。ダンスが得意であちこちに踊りに行っており、某夢の国の裏の裏を面白おかしく語ってくれた。家族に愛されて育っており、両親の切り盛りする食事処に招かれた機能不全家庭出身の俺は初めて「家族を持つってこんなに素晴らしいことなんだ」と思えた。
友達と俺で互いの仲間をあつめた大規模旅行を企画したときに来てくれた子。超博覧強記な編集者で、ありとあらゆるものを解説出来そう。こんなに素直で本音しか話さない人初めてだって言われたのが忘れられない。一日中佐倉の美術館で過ごしたことがある。アンナの光は素敵だった。
友達の結婚相手の友達。ふたりのハワイ挙式の前に連絡を取り合って、一緒に人生初サーフィンした。お互い結婚する友達のことが大好きすぎて惚気倒しで夜を明かし、ハワイも朝は割と寒いと知った。
母と死別し父子家庭育ちなので小学校高学年のころには台所を担っており、献立を決めるのは常に自分だった
好きなものを好きなだけ食べて生きてきたし、料理スキルは上がり、食材調達によって経済感覚が養われ、そのこと自体はよかったと思うのだが
やはり早すぎる責任の分担というのは子供にとってストレスではあった
用意された食事に文句を言ったり、好き嫌いをするなと怒られたり、何かのご褒美に好きなメニューを出されたりしてみたいとずっと思っていた(まあ元から好き嫌いないけど)
イクメンポエムがキモいのはその通りだが増田もまだ余裕を残してる。開き直りが足りない
我が家は妻は健在だが、ブラック企業勤めで平日は終電まで帰ってこないし
休日も昼過ぎに起きてきて昼寝して起きてる間はスマホかパソコンと向き合ってるだけ
こういう状況に置かれると、ああ、我が家は父子家庭なんだ!と思って気分が一気に楽になる
よく奥さんが「夫が家にいないほうがいい」って言うだろ?あれの逆バージョンで奥さんが家にいないほうがいろいろ捗る現象が起きてくる
どうせ後でやるのなら今やってしまおうと日々の片付けや洗濯は捗るし、食事も1.5人分程度ならサクッと作れる
作らないのにマンネリや味にうるさい相方や、やらないのに独自の家事の作法を持ってる相方がいないとどんなに楽か
たまに休日に美容院に行ってくると朝から晩まで不在のことがあるが、子どもと好きに出かけられて外食費も安上がりだしマジありがたい
小学校高学年くらいにはすでに入退院を繰り返していて、そのころから妹と一緒に食事や掃除、洗濯などの家事はそれなりにこなしていた記憶がある。
父はいわゆるブルーカラー。日給月給の仕事だから有給なんてなくて、家のことを丁寧にやる暇なんてなかったと思う。
当時は学校に行きながら、部活をしながら、朝や夜の時間で家事をすることが「当たり前」で、知識も情報もなくて、家政婦さんを頼んだりするなんて考えもしなかった。
だけど、今になって振り返ると相当な時間と労力を家事に持ってかれていたと思う。
“家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートを行っている、18歳未満の子ども”
https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html
だそうだ。
つまり自分は「ヤングケアラー」ではなかったわけだけど、ひとり親家庭でも、介護こそなくとも働く親に代わって家事の大部分を引き受けている子どもは今も大勢いるんじゃないかと思う。
元増田です。反応がまあまああって色々考え直したので今の考えを書きます。
夜用10枚入り、昼多い日用20枚入り、昼軽い日用24枚入り、ていう組み合わせで3パック買うくらいの感覚。ブランドや販路や売出しによって価格差はかなりあるけどだいたい1つ400円税込だとして、毎月1,200円。年間14,400円。トイレットペーパーよりは高いよね?
これは知りませんでした。月500円程度だと考えてました。
確かに人によっては月1000円以上もかかることもあるなら負担に感じることも多いでしょう。
しかし月1000円程度も捻出出来ないならやっぱり「生理の貧困」ではなく「単なる貧困」といった方が適切ではないかと思いますね。
元増田は言葉が足らなかったかもしれませんが私は決して最初から生理用品を軽んじてたわけではなく、「生理用品を買えないレベルの貧困で困るのは到底生理用品だけではないだろう、その状況で生理用品だけ論うより他にもっとやることがあるだろ」ということが言いたかったのです(もちろん汲み取って返信してくれた人もいましたが)
「生理の」貧困とあるように、父子家庭の子供とかが親に生理用品を買ってほしいと言えない、またはお金はあるけどレジに持っていくと恥ずかしい、とかそういう環境が問題視されてたんじゃなかったか。しなきゃいけないものなのに買えない、生活必需品なのに「恥ずかしいもの」みたいな扱いされてるのが問題だね、的な。
ただこの問題は生理の「貧困」ではなく「生理への無理解」と言った方が適切ではないかと思います。
この辺は貧困問題と女性問題を結びつけたいメディアの意思をやっぱり感じます。
また、このような生理の無理解が発生してる状況で生理用品だけを配ったところで根本的な何かが改善されるとは思えず、ここでも「他にやることがあるだろ」と思います
私の母は、私が物心つく前に死んだ。その後、父子家庭で育った。
父が大嫌いだった。女の子らしいことはさせてもらえず、服は兄のお古ばかり。兄と明らかに差をつけて育てられ、何をしても否定され、できない奴と言われ、殴られることもある。
友達と遊びに行くことも邪魔をされる。召使のような扱いだった。
兄は、俺は長男だからと、意味不明に威張る。田舎の農家だからか、長男の兄は親戚からも特別扱いされる。それで勘違いしてしまったようだ。
自分は特別なんだという考えの人間に成長し、短気でキレやすい。
父もそうだったが、兄もキレると暴力を振るう。
人の顔色を見て行動や発言をすることが癖になった。
20歳になったら、就職して、会社の寮に入った。実家から遠くて、寮があることを前提に選んだ職場だった。
父と距離を取ると、関係が良くなったように思う。父の私への態度が柔らかくなった。
結婚したが、子どもを持つ勇気が持てない。自分の子どもに対して、父が私にしたようなことをしてしまうんじゃないかと思ってしまう。
家を出て20年。父は後期高齢者となった。体調を崩すこともあり、私を頼ることが増えてきた。
この年寄りは、親だから助けないといけない、とは思うが、子どもの頃の嫌な記憶が蘇ってきて、父の為に何かをした後に、色々なことを思い出して涙が出そうになる。
私が子供のころに困っていても、何も助けてくれなかったのに!
40にもなって、いつまでも子供のころの記憶を引きずって嫌になる。
嫌いなのに、親だから、困っているのを見ると何かせずにはいられない。本当は嫌なのに。
兄からは、「父が困ったときに一番に連絡するのがお前なのが気に入らない」と言われた。俺が長男なのにと。
なんか色々面倒くさい。家族と縁が切れたらいいのに。
世の中は父子家庭ばかりではない