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はてなキーワード: 瀉血とは

2019-05-29

anond:20190314074420

その通りだと思います

日本透析医療透析利権と結びついて、病院側と製薬会社医療機器メーカーなどとのズブズブの関係で、異常ですもの

医師が、患者さんの「その後の生活がどうなろうと関係なく、どんどん透析誘導してゆく」のが日本

生体腎移植ですら、なかなか進まず、欧米諸国比較しても、腎不全に関しては明らかに医療後進国なのが日本

腎臓関係学会論文シンポジウム、講演の資料などpdfでも色々でてくるから、誰でも理解できますよね。

脳死移植は多くて年間100件程度。これでは33万人もいる透析患者は救われませんね。

生体腎移植ドナー定義が決まっているから、60歳以上の人から健康な成人であってもドナーにはなれません。

今だからこそ、もう透析を中止したい=自分の命を「死」と受け入れた覚悟のできた患者さんには、尊厳死を認めるべきだと思います

やめたくてもやめられない延命治療なんて、透析だけですもん。

人工呼吸も胃ろうも本人の意思でやめられて、尊厳死自然死に行き着くのに、腎不全患者だけは透析があるからって、尊厳死が認められないおかしいですよね。

まさに透析利権が絡んでいるからとしか、思えません!

透析中止の緩和医療もこれからは、全国の医療機関で、本人の強い希望があれば行われるべきです。

https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/t308/201803/555278.html (透析中止後の呼吸困難は「瀉血」で緩和できる)

いつ何時でも、医療側が患者の生死を決めるのではなく、患者自身自分人生を決めるのが、患者意思尊重たこから医療の責務ではないかと思います

医者患者の命を救うだけが仕事ではない!

完治できない病であるならば、患者苦痛を緩和し、残された時間の間、患者が苦しまずに自然死へと導いてゆく「緩和ケア」も、これから対応してゆくべき!

欧米では、ある年齢や病状悪化によっては透析非導入や中止も選択肢にありますからね。日本患者を苦しめすぎ!

2019-01-14

[]カッサ

中国民間療法。「刮痧」と書く。

専用のプレートを使って皮膚を擦るようにマッサージすることで血液リンパの流れをスムーズにすると称するエセ健康法

毛細血管を破壊して内出血を起こし、その部分を「痧」と呼んで、毒素が出ているとか、血液が悪い証拠である、みたいな説明をする。

カッピング瀉血共通するところがあるが、いずれにしても科学的な根拠はない。

2017-07-26

悪い血

歯肉炎ができて出血やすくなってるとき歯医者さんに言われるフレーズ

悪い血だからむしろ出したほうがいいんだそうだ。

悪い血っていったいなんだろう?

良い血もあるのか?

悪い血だから出したほうがいいというのは、まるで瀉血みたいだなといつも思ってる。

でもたぶんあれは瀉血とは違うんだよね。

歯科は謎が多いわ。

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170613022735

勘違いさせてしまった献血ルーム側も悪いかもしれないけど、基本的に、200ml献血

献血ルーム必要であれば募集できる」であって、

献血者が選べる」ものではないと考えたほうがいいです。

大前提として、献血ルーム

献血する側が献血したいものを選べる」場所ではありません。

増田には、残念な気持ちがあるんだと思います

罪悪感とか、恥ずかしい気持ちとか、それをルーム転嫁させて少し憤慨しているような、そういう気持ちがあると思います

でもそれらは抱く必要はありません、献血は、(たとえ募集してる人がどんなに必死だったり強い言葉で叫んでいても)、

やりたい人、かつ、できる人が、できる時にやることだからです。

から、200を断られた増田がそれならやりませんということは、なんら悪いことでもなんでもありません。

それをまず認識してください。

それで、お客様根性丸出しのブコメトラバ一部の人達。

あのですね、献血ルームそもそも牛丼屋のように「お客様」が「並、大盛り」を選べる場ではありません。

「やりたい人」と「必要もの」があって初めてできるものです。

しかも「200を用意しておくな」などと文句を言う筋合いも君たちにはありません。

仮に新生児が200人単位事故にあったりすれば、もしかしたら200の需要が急激に高まるかもしれないですし、もしそれがなくとも、それを変えるのはあなたがたの「文句」ではなく、日赤医学的根拠に基づき必要があれば変えることです。

日赤の日々の医療への貢献と比べて、あんたらのブコメがなんの屁の役に立ってるのか少しは考えてみてはいかがでしょう。

まぁ、日赤にとっても献血って儲かるんですけどね、それは別の話として。

200を現在必要ないのに採れば、血液提供者にはそれだけ負担もかかるし、針を刺すことで指に麻痺などの障害が残るリスクがあり、また看護師含めスタッフ人件費ディスポーザブル器具コスト等がかかります。だから断られます

来てやったのに断られた!と憤慨する必要はないので、(今知ったかのように憤慨するということは今まで献血に興味も持たなかったのでしょうし)、何も知らないのに献血ルームネガキャンをするのはやめなさい。

その前に、自分無知を恥じろとは言いません、自分を一度振り返ることくらいはしてみてはいかがでしょう。

私は一介の献血好きですが、16歳になって意気揚々と200mlをやりにいったら18歳になってからと断られ、

今も血管の細さや貧血で毎度のように断られ、血管が細いため血液を「返す」ことが難しいので、成分献血はできず、うまくいっても400ml献血しかできません。

そんな献血好きの私が、「よいルーム、よいスタッフ」にあたるコツを最後に少しだけお教えしましょう。

まず増田は「募集してたか献血ルームに入った」、ですよね。

これが大間違いです。いや、増田は悪くない、それどころか、呼びかけに応じて入ってくれて、とても良い人です。

その善意を活かすなら、今度は「大声で献血募集している献血ルーム」または、「その日だけ来て血を集める献血カー」は、避けましょう。

どうせそこを避けていい献血ルームにいっても、困るのは患者ではなく当該のルームだけです。

県内で一括して集めるのだから、どうせなら、いい待遇安心して献血しましょう。

「穏やかに協力者を募集している献血ルーム」または、「協力者を募集していない献血ルーム」へ行くのです。

大きな駅の近くに複数あるルームがいいですね。

自分ネットで調べるのも手です。

新しく、きれいで、少し混んでるくらいのところがいいです。

そういったところでは、「献血できないのに来るな」などという扱いはほぼ受けません。

仮に検査値が満たなかったり、こわくなってやめたとしても、ビスケットポカリスエットなんかを持たせて、にこやかに送り出してくれます

献血カーなんかより広々、清潔で、お土産サービス豊富です。

看護師も腕のいい人が多いです。

一度でも嫌な思いをさせて献血離れを加速させる一部の献血ルームスタッフはもちろん良くないです。

しかし、一度嫌な思いをしたくらいで、避けるには献血は勿体ないですよ。

きれいな看護師さんに優しくされ、お医者さんに心配され、献血ルームスタッフ全員に入った瞬間から出る瞬間まで感謝され、献血ルームによっては美味しいコーヒーが飲めたり新刊マンガが読み放題だったり、献血自体もなんとなくデトックスになったりする。

帰りにお米とか歯磨き粉や洗剤がもらえる。

アイスももらえます

ポイントを集めると、また記念のグッズももらえます

(私は何回かでけんけつちゃん×ハローキティ×横浜赤レンガ倉庫の謎コラボタオルをもらいました、あまりシュールな品で、かつ何回か献血しなければもらえなかったので、その達成感もあいまって今も宝物です)

また、巡り巡ってどこかでそれが助けになってる難病患者さんがいる。

献血は素晴らしいですよ。いいことしかないです。

私は針を刺されるのがとても苦手です。針を刺されるとき、刺さっている腕、絶対に見れません。

なので解剖学構造理解している、信頼できる看護師さんにされるのがいちばん安心します。

そういった看護師さんは、いくつかルームをまわらないとなかなか見つからないですが、それもまたルーレットのようで楽しいです。

不安だったら、いつでも拒否すれば大丈夫です。

いいルームでは、難しい血管は上手な看護師さんにすぐに代わってもらえます

こわい旨は素直に伝えましょう。

そういったオプションではなく、本質として「血を抜かれる」ことも、昔は「瀉血」として治療法とされていました、今は医学効果否定されてます、ですがやはりスッキリするのでそれも私は好きです。

お帰りの際は立ちくらみにはくれぐれもご注意ください。

小綺麗でも、必ず安心できるいいルームとは限りません。それに関しては、いくつか回ってみることが必要です。

それに関しては、日赤側も「評判のいいルーム

のやり方をもっとフィードバックする必要があるかもしれません。

でも、自分にとって行きつけの献血ルームができたら、数ヶ月おきにそういった「2~3時間の空き時間」をとても有意義に使うことができますよ!

正直、どんなにうまくいっても女性は年に2回しか全血の献血はできないので、男性や体格のいい方、健康な方や血管がクッキリ出ている方がとても羨ましいです。

献血はめちゃくちゃに楽しい趣味ですよ。

数ヶ月おきにしかできないので、どんな趣味人もどんなに無趣味な人にでも、増やせる趣味ですし。

良い献血ライフを18歳以上の男女の皆さんが送れることを私は期待しています

2017-04-15

糖質制限の感動

若いものは知らんだろうが昔はリンゴダイエットとかだったんだぜ。

それにくらべたら瀉血から抗生物質使いだしたような進歩だよ。

2014-08-05

ルネ・カントン記事が不愉快

Wikipediaから消された偉人 ルネ・カントン

http://matome.naver.jp/odai/2140706664924864501

「ただの海水で、病気が治っては儲からない」のでウィキペディアから消えている人物:ルネ.カントン-人生は強く,たのしく、しあわせに☆ ネオヒルズというよりも,ネオ日本人

http://ameblo.jp/miho-neo-japanese/entry-11903290899.html

海水療法について-CPA東郷郁三のブログ

http://ameblo.jp/cpa-togo/day-20131013.html

上の3つの記事というか、2番めの記事が3番目の記事を引っ張り出してきてネバーまとめまで作られちゃって挙句の果てにFacebookTwitterガンガンシェアされてて気持ちが悪い。

でも、思ってることを直接伝えることも、友達から消すとかそういうこともしないで何とかならないかと思ってコレ書いてる。はてな記法よくわからん

時期が来たらこれをFacebook上でシェアする。ロンダリング的なイメージ

出典である「ザ・フナイ」を読んでいないのでここに書いてあることがすべて本当だとは思わない、嘘であるとも言い切れない。

医学学んでないからそんなこともあるのかもしれない。でも、私が知っている生物学ではこれは非常に胡散臭い勉強不足なだけかもね。

引用に対する疑問

1.

彼は1907年、初めてのクリニックをオープンしてから血液の濃度まで薄めた海水病人に輸血し、1910年までにフランス国内で約70ものクリニックを開け、50万人以上の命を救った。

これは要は生理食塩水ということか。

今の点滴との違いは各種プランクトン海水中の養分の違いでしょうか。

不純物いっぱいある気がするけどそれでもいいの?

ていうか少なくとも現代環境を考えると点滴のほうが安全だと思うよ。

2.

第二の実験は、体重10キログラムの犬の血液瀉血法で抜き取り、極限まで血を抜いた後に、前回同様、海水を注入するということである

まり、極限まで血液を抜き取り、次に同量の海水を注入すると、どのようになるかという実験である

太平洋戦争末期、九州大学生体解剖事件相川事件)という事件があったらしい

捕虜を生体解剖したという事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E4%BD%93%E8%A7%A3%E5%89%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

上記ページの関係者の記録証言より引用

捕虜の腕に海水が500ccほど注入されました。この時捕虜はまだ生きていましたが10分ほどして捕虜は死にました。

GHQ取調官:その手術は必要だったのですか?

この手術はどれだけ出血すれば人間死ぬかを見るためのものだったので必要なかったと思います

筒井シズ子看護婦

当時のそれぞれの医療レベルがどれほどだったかはわからないけれど、片や血液を全部海水に変えても問題なかった。片や500ccで死んでしまった。

犬に投与されたものが薄められた海水なら犬は極度の貧血で生死の境にあってどうにか回復したんだと思うけれど、海水ダイレクトだったら浸透圧関係でアウトじゃないの?

3.

日本語版ウィキペディアにはそもそもルネ・カントンの記事は作られていない

削除されたらされたでその形跡が残るのがウィキペディア

英語版現在存在している。

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Ren%C3%A9_Quinton&action=history

ウィキペディアに記事が作られたのは2008年6月28日

引用元ブログ記事が書かれた2013年10月13日前後編集点は2013年9月23日2014年4月4日

この間記事は記事として内容を持って存在している。

4.

第一次世界大戦で負った傷から早死にしてしまったルネの葬儀には子供連れの母親からヨーロッパ中の医者科学者首相を始め政治家など、100万人以上の人々が訪れた。

こればっかりは海水じゃ治らなかったのか、残念だ。

とりあえず、ルネ・カントン万歳している奴らはこれらの疑問に対して説明をしてくれ。

2013-07-24

献血戦争

 瀉血(しゃけつ)という言葉をご存知だろうか。

瀉血とは汚れた血液を抜くという中世では一般的医療法であった。現代では一部の病気治療を除いて使われていない。wikipediaによると迷信カテゴライズされてしまっているらしい。その理由は体内の毒素を排出するという事に根拠が無く、結果的にエビデンスが得られないとからだそうだ。

 しかし私は別の視点から瀉血効能を考えている。瀉血と同じように『献血』も血液を抜くと言う点では同じだ。一般的な400ml献血場合体重50kgの男性ならおよそ10%の血液が失われた事になる。(女性ならさら割合が多くなる)

 致死量は50%なので、健康に害はないとはいえこれはすごい量だ。500mlPETボトルに8割入った血液を床にぶちまけたらすごい光景だろう。健康に害はないとはいえ、出血している本人は気絶くらいはするかもしれない。

 ここで私が言いたいのは、健康には『害』はないだろうが、『影響』はあるだろうと言う事だ。もちろん、危ないか献血などやめろと言う事ではない。むしろ逆だ。体内から10%もの血液が突然失われた。これは明らかに身体に影響がある。私は何度も献血をしているか経験的に言うが明らかに元気が減る。露骨にいえば性欲が減退する。学生時代、昼間から悶々としていて、帰ったらオナニーする気満々な時でも、献血をするとびっくりする程性欲が減退した経験が何度もあった。献血後すぐに効果が現れて、2~3日は影響があった。特に当日の夜はビデオなどを見てもガッカリするくらい反応が薄くその落差に驚いたものだ。

 しかし、瀉血効能が性欲減退だと言いたい訳ではない。ここで考えて欲しいのは、突然血液が失われ、血圧が下がり元気も性欲も減退した身体はどう反応するかと言う事だ。長い動物歴史おいて、突然血液が失われると言う事はケガをした時以外に考えられない。身体は当然、ケガをした時と同じ反応をするであろう。つまり、傷口からの細菌の侵入に備え免疫機能活性化する。傷口の補修と失われた血液補填のために造血機能をフル稼働させる。言い換えれば、平和ボケした臓器共に敵が攻めて来るぞと活を入れ軍事教練を施し、失われた古い装備に代わりピッカピカの新造装備を大増産するのだ。つまり戦争だ!と脅すのである。それによって身体はリフレッシュされ、新しい血液割合が増え、健康寄与するのではないかというのが私の説である

 今日久しぶりに献血をしてきて、やっぱり性欲が消えて突然こんな長文を書けるようになったのだ。

ぜひ君たちにも献血に行く事をお勧めしたい。

2010-08-21

皆さんはホメオパシー起源を誤解しています

これ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162

ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。

ホメオパシー電波医者が編み出した電波理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。

今のように、ベルリンの壁分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者浄霊などに効果があります。)

ホメオパシーワクチン拡張理論

症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈

何かに似ていると思いませんか?

非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。

エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。

一方ホメオパシーの始祖であるドイツ医師サミュエルハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。

はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。

ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。

ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。

ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。

ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパス元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。

同種療法が伝染病に効いた!

同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。

ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。

のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!

おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。

ホメオパシーの零落と再興

かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。

1830年からのコレラ流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシー最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリ社交界に招かれさえもして、幸せ晩年を送ります。

しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナー代替療法の一種に零落していったのでしょう。

ですが、第一次世界大戦戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。

お知らせ

このエントリはあくまで当方の史観を示す読み物です。

2009-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20090406145804

ええと、この人が言いたいのは「中世で統一されているのか否か」の話ではなくて、

世界観の設定が閉じているか、開いているかの話だとおもう。

ひと昔前のファンタジー中世的な世界観)は開放端がない。

衣服の流通は糸を紡ぐところから始まるし、医者技術瀉血みたいに「悪い血を抜く⇒体が良くなる」という風に因果がはっきりとさせてある。

現代的な「ファンタジー」は開放端がある。

衣服は既製品流通していて、その生産にはあまり興味はなく、その製品がどこから来たのかは物語上のスパイスになったりしない。

医者瀉血や薬草ではなく、どこからから送られてきた抗生物質で人を元気にする。

同じような話だと、怪獣についても言えるきがする。

一昔前の怪獣

「古く封印された神が現代の空気汚染で怪獣と化して山からもっさり出てきて大暴れ」みたいなのばっかりだったが、

例えばエヴァンゲリオン怪獣(使途)はいつも何処からくるのか判らない。みたいにね。

そういえば、『狼と香辛料』は経済循環を描くからか、中世世界観だね。

2009-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20090406145804

人々は小さな集落で原始的な農業に携わり,そこには封建領主が君臨して全権を振るい,村から一歩でも出ればそこは未開の地。移動手段は徒歩か馬車。工業はまだまだ未発達で,鋼をようやく生産できるようになったくらい。武装は剣や槍に鎖かたびら。ひょっとしたらごく初歩的な先込め式の銃はあるかもしれない。字を読める人間はごく限られていて,魔術や魔物といった存在がごく現実的なものとして認識されていて,医者瀉血以外に治療法を知らない。

本編の趣旨から大きく外れるが時代内容がめちゃくちゃだなw

ニンジャなみにぶっ飛んでる

日本において忍者物語が非現実であったようにファンタジー中世なんてそれっぽければいいんだなー

何が言いたいかといえば横山光輝先生は偉大だったってこった

(ヨミって変なキャラだったよね)

ファンタジー世界の脱中世

一昔前は「ファンタジー世界における文明レベル中世と決まっていた。人々は小さな集落で原始的な農業に携わり,そこには封建領主が君臨して全権を振るい,村から一歩でも出ればそこは未開の地。移動手段は徒歩か馬車。工業はまだまだ未発達で,鋼をようやく生産できるようになったくらい。武装は剣や槍に鎖かたびら。ひょっとしたらごく初歩的な先込め式の銃はあるかもしれない。字を読める人間はごく限られていて,魔術や魔物といった存在がごく現実的なものとして認識されていて,医者瀉血以外に治療法を知らない。

現代的な「ファンタジー」はこうした前提を置かない。現代と過去の要素を無差別に混ぜ合わせて成立する。剣と魔術は出てくるが,炸薬入りの弾丸を撃ちまくる銃も同時に出てきたりする。人々は当然のように規格化された工業製品を用い,印刷された書物に接する。やたらと派手な服を着ているが,その生産流通を支えているはずの社会のありかたといったものは片鱗すら見えない。

別にそれが劣っているとか言いたいわけじゃない。ただ,統合された世界観というものに対する欲望は失われたんだなあと。架空世界経済を考え政治を考え地図を描き年表を作り言語でっち上げたりするような,ある意味で病的な熱意は,きわめて20世紀的なものだったのだなあと。

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