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はてなキーワード: 法則とは

2021-10-22

寒くなるとコンビニウンコするのは何故?

夏場のコンビニトイレってだいたい空室なんだよな。

そして当たり前だけど寒くなったらトイレが近くなるから誰か入ってることの方が多くなる。

そこまではわかるんだけど、なんで小だけでなくて

大まで増えるの?

なんで寒くなったらコンビニウンコするの?

あるいはなんで夏場はコンビニウンコしないの?

どーゆー法則なんかな?

表現規制にまつわる報道が増えると非公開3ブクマで上がってくる増田も増える法則

anond:20211022001127

あの物理法則無視した転がり方を公道披露したら対向車線走ってる車に轢かれそう

2021-10-21

anond:20211021001624

実際どうなんすか。

おじさんおばさん達、ちゃんとこの法則通り、

遊んだ面白くなってるすか。遊ばなかったからつまらない人間になったスか。

逆逆。完全に逆だよ。

「遊ぶべき」とされている若い頃にしっかり遊んだやつはしっかりと社会適応した大人(= 一般に「つまらない大人」と言われる人間)になるんだよ。

若い頃にしっかり遊ぶということは、「若者勉強しろ!」みたいな建前に惑わされず社会本音を感じ取れる社会性があるということだから大人になればしっかり役割適応する。それだけのこと。

2021-10-18

何言ってんだかわからない記事

(要約)

東京オリンピックで若手の選手が、メダル勝利というリターンのために、今までの日本人にないリスクの取り方で試合をしていた。勝利だけではなく、称賛というリターンがあるからこそ、積極的リスクが取れるのではないか

・この考え方は投資にも広がる。ESGやSDGsは、金銭だけではなく社会的なリターンがある。投資でも積極的な挑戦リスクが歓迎されてほしい。

東京オリンピックの若手選手は、リターンを得るには、リスクを取らなければならないというリスクとリターンの法則体現していた。

投資では若年層の積立NISA利用が増えており、投資に対する意識が変わり始めている。今後の成功体験によって、資産形成日本でもトレンドになることを期待する。

以上。

これは、ある証券会社の「ライフプランコラム」という名前連載記事

きっと著者は「今までの日本人(って誰だよ)はリスクを取らないで貯蓄ばっかしてるけど、見ろよオリンピック若者、すげぇ勝負かけてんじゃん。今の若者つみたてNISAにも積極的だし、メンタルが違うのかも?このまま投資若者トレンドにならないかな~」って言いたいのだと思う。たぶん。なんせ何言ってんだかわからん記事から

あと、

から何?

2021-10-17

やっとサーバーに設置した

やらないとなぁ…と思いながらずっとやってなかった

やらないとと思うほどやらないの法則

ずっと放置してたサーバーから、あとで他にも色々チェックしないとなぁ

2021-10-16

[]国際バカロレア(IB)認定校のクオリティに幻滅した

結論タイトルの通りなんだけど。

縁あってヨーロッパの、日本人なら誰でも知っている国にある国際バカロレア認定校で授業見学する機会を得た。

見学した授業は確かDP1(16歳・高校2年生程度)の物理の授業で、ニュートンの3法則なんぞを習っているところだった。授業はもちろんすべて英語で、一クラス15人程度だったかアジア人(らしき)学生は2人くらいいたかな。

一言でいうと、小学校低学年かな?って思った。

授業中、先生説明しているにも関わらず、数人の男子たちはずっとしゃべっている。消しゴムや定規を投げて遊んでおり、たびたび先生に注意されるも遊ぶのをやめようとしない。

そのうち数人は頭はよいようで、先生説明を遮り自分理解したことや疑問を大声で発表し始め、先生そっちのけで生徒同士で会話を始める。その一方で、女子やおとなしい男子は授業中一切発言していなかった。

授業後、「これで授業遅れたりしないんですか?」とオブラートに包んで先生に聞いてみたら、「寝てるよりはいいわ。」だって

自分現在進行形英語に苦労していることもあって、将来の子供の進路の選択肢として国際バカロレア校もありかなって以前は考えていた。

もちろん、その授業がそうだっただけかもしれないし、すべての国際バカロレア校がそうだとは決して思わない。国によってカラーがあるとも思う。でも、正直、自分の子供を入れたい学校ではないなって。

国際的視野が~とか耳障りの良いことばかり聞くけど、みんなちゃん実態知ってるの?それとも日本の国際バカロレア校はもっとすばらしいところなの?

私が小3のとき担任のF井先生がこのクラス先生だったら、ヒステリック叫びながら職員室に帰っていくんだろうな~、なんて思いながらこの日記を書いている。

2021-10-14

anond:20211014145814

消化悪いものは胃に血が回って、

頭が虚血状態になる→頭働かず眠たくなる


体温の急激な上昇→ダウン→眠気

(こっちは快眠風呂法則

午後眠くなるランチ

脂っこいものとか、肉とかは眠くなる気がするんだけど、

今日月見蕎麦、でも眠い

法則はなに?

anond:20211013211137

それを法則として適用するには少し手を加えなければならないと思う。

なぜなら最も幼い子が姉貴とか姉さんとか呼んでいても、母親もそう呼ぶのは一般的ではないだろうから

2021-10-13

ド・モルガンとか「で?」レベル法則名前売れてて癪だわ

俺も増田法則考えたぞ数学教科書に書け

(x+1)^2 - x^2 = (x+1) + x

(例) 6×6 - 5×5 = 6 + 5

2021-10-12

微分したやつをさら微分するってどういうことなんや

感覚的にとらえられない

追記

トラバ増田ありがとう。なんとなくわかったかも。

よくわからない謎のグラフ微分したらそのグラフがどういう性質を持ってるかがわかる→それがまた別の形のグラフになる→そのグラフ微分したらその「性質自体の「性質」がわかる、みたいな感じかな。微積感覚的にとらえるの難しいなあ。

追記2(自分メモ

まり微分とは何かの法則メタから見て、その法則を形作っている法則メタ法則みたいなやつを導き出すこと?さらにそのメタ法則メタ法則の…といくらでもメタから見ることができる→微分微分微分の…

追記3(自分メモ

y=x^2, y′=2x, y′′=2だからいくらでも」は微分できないのか。

2021-10-10

anond:20211010155627

まあ機と資はどっちでもいいけど、世界法則のはなしをしてくれ

2021-10-09

鬼滅の鬼は水爆身体構成している分子全てを気化させても死なないんだろうね

霊魂を核にして周囲の原子から身体再構成するみたいな感じになるのかな

いや霊魂を想定するまでもないか

血鬼術も魔法にたとえられてるように、魔法ってそういうもんだから

物理法則に反した現象を起せるというのが魔法本質的定義である以上、質量保存の法則やらに縛られる必要もない

2021-10-04

作者しか設定知らない新キャラを「待ってました!」みたいに出されるとキレそう

アホか?

スタッフ以外誰も何も知らないキャラを「遂にコイツが来たか~~~」みたいに出されても分かんねえんだって

朝見た夢の話をするのと創作物を描くことの違いって分かるか?

なんで他人の夢の話を聞いてもつまらいか分かるか?

表層上の荒唐無稽差に対して納得感を持つための背景を共有してねえからだよ。

そして創作物ってのは表層が同じ用に荒唐無稽でも、それが理屈として成立してる背景を作者と読者が共有してんだよ?

それが絶対的創作ルールであり勝利法則だ?

無視して大したもんが得られねえならそれは単なるルール違反であり敗北へのレールに乗ってるだけだぜ?

2021-10-02

anond:20211002000449

いや、正しいよ。

電池は容量に対して限界がある。

個体電池発明されて100%効率で使ったとしても容積に対して使える電力は物理法則で決まってる。

2021-09-26

anond:20210926133532

共産主義が自壊するとかなんだかんだで市場原理で回ってる国が勝者になるとかそういう大枠は変わらないと思う

物理法則とか人間心理が変わるわけじゃないし

2021-09-25

今日って4月1日だっけ?

anond:20210925112235

これ大いに誤解がある

マルクス中央ヨーロッパにおける歴史必然として共産主義予言した

ロシアについて考察したのではない

注意しなければならないのはロシアが遅れているという意味では無く

ロシア中央ヨーロッパは別の歴史を歩んでいるということ

マルクスの発展史観世界普遍的法則ではない

それをレーニンとかが改変したのが、一般に言われるマルクス史観マルクス史観ではない

https://twitter.com/shiikazuo/status/1441376803340238850

共産主義はどうも」という方に2つの質問をしたいと思います

1、資本主義という矛盾に満ちた社会人類の到達した最後社会か?

2、マルクスは21世紀では古くなってしまたか

人類社会資本主義で終わりでなく、その先に進むことができる。その法則を明らかにしたのがマルクスなのです。

科学に対する宗教詭弁っぽくて嫌だわ。

科学は完全なのか?そんなことはない。科学は分からないことだらけだ。

しかし我々の信じる神はすべてを見通しておられる。神の教えはすべてを明らかにしてくださる。さあ我々の宗教帰依しなさい」

的な。

2021-09-22

障害者の描いた絵に数百万の値が付く奇妙な時代

というよりも、社会的弱者の絵にバブルが起こっている。

まなみ工房という障碍者福祉施設があってそこに通う人がリハビリがてらに描いた文字を羅列しただけの絵に100万だかの値がついてる。

割と時間をかけた力作もあるがそれでも300万とか400万とかいう値がつくのは行き過ぎではないか

他にもNFTだかい技術の波に乗って小学生Windowsペイントで描いたようなクオリティの絵が万単位で売れていく。

その小学生は数か月で300云十万稼いでいる。どうにも海外有名人の目に留まりSNSアイコン作品の一つが使われたことによって価値が爆上がりしたらしい。

俺はなんでも鑑定団をよく見るがあの番組では芸術文字通り生涯を捧げた人達が紹介される。

画材などに財を全てなげうって、食べるものも切り詰める清貧生活の中で芸術家として大成していく様が伝えられる。

そんな人が描いた絵なのに、たとえ本物でも「150万円」という鑑定額だったりする。

前はそれを安いとか思ったことはなかったが今の風潮に照らし合わせると過小評価な気がする。

あるいは逆か。障害者の描いた絵が数多の芸術家達の歴史を踏まえず評価されすぎているきらいがあるように思える。

なんで芸術家と比べてしまえば本気度が低いに決まってる人たちが悠々自適に描いた絵に悠々と大金をかっさらっていくのか。これでは芸術家が報われないのではないか

別に障害者が作り出すものは劣っている」とか言いたいわけじゃない。障害者どころか健常者の平均的な画家と比べても、なんでも鑑定団特集される芸術家の芸術に捧げる熱量は、比較にもならないだろうが。

まあ作品一品物だからということもあるわけで、たまたま金持ちがその障害者の絵を気に入ってそういう金額が買い取ったというだけの話かもしれない。

まりそういう金額は一個人にとっての価値であるだけで、客観的価値を反映したものではないのかもしれないというわけだ。

客観的」という言葉を途端に胡散臭く感じるだろう?「『客観的価値』ってなんだよ」と言いたくなるだろう?

脱線するがアレイスタークロウリーなる魔術師自称した実在人物は法の書という出版物のなかで「真の意志」という概念について説いている。

「真」という言葉も、客観性と同じようなうさん臭さを持っていると思う。

たとえば惰性で好き勝手振る舞うことを真の意志とは異なるというようなことが書かれている。でも見方によっては、好き勝手振る舞うとは何かしら律するものの影響下にないということで、そこで発現されている行動はありのまま意志の反映なのではないのか。

ありのまま「真」という言葉で言い替えれるとするなら結局それはそのまま真の意志という概念に対する反論になる。

それを退けるためにはこのような「ありのまま」が真というものに対する言い替えとはならないわけとともに、では真という言葉は具体的にどのような性状を指しているのかを説明する必要がある。

真とか客観かい言葉を使う人たちは往々にしてそこらへんを「当たり前のもの」として、分かっているものとして論を進めてしまうから胡散臭いのだと思う。

とはいえ、こうも当たり前のように客観かい言葉が飛び交っていると、その中身は素人にはブラックボックスながらも客観というもの自体幻想ではなく確かに存在すると思うことこそが妥当健全生き方なのかなとも思えてきてしまう(こういやって長いものに巻かれる感じで客観や真などのような概念存在を信じることにしたのは俺だけだろうか?)

俺は気象学が好きでその勉強をしているなかで「予報精度はモデル計算の不確実性に依存する」という文言が出てきたのだが、まあ不確実性って言葉もまた客観とか真という言葉と同等なあいまいさ、抽象性を帯びているったらない。

そりゃ人間が作ったモデル現実物理法則に完全に依拠したものではないだろうことはわかるが、不確実性って単語一つで言いくるめられてもしっくりこないわけよ。それでもまあ「モデル計算の不確実性」が在るものとして、そらんじれるぐらいに自分にとって真実になるように努力するわけ。科学的な文脈で語られていることまでいちいち無いものとして疑ってかかるよりも、とりあえず丸呑みにする方が妥当な態度な気がするから学術的な文脈でも「客観」という言葉をよく見るから、とりあえず客観というもの存在するものとして妥協しておくというのと同じ。

話を戻すが、たとえば俺がモナリザとかひまわり価値ないといったところで、それらの絵画価値には微塵も傷がつかないだろう。

そう言うとき価値客観的価値だ。逆に言えば、一人の人間いくら熱狂的に特定の絵を愛して大枚を叩いたところで、ただちにその絵の客観的価値がそれに相当する客観的価値もつものとして裏付けられるわけではない。個人好き嫌い客観的価値はいうまでもなく独立したものであるはずである

ダヴィンチとかピカソみたいな大芸術家、あるいはバンクシーも含めてああいう人たちに作品の絵の価値客観的価値を反映しているといえる。

それは同じ絵が(何度も)オークションにかけられるという過程を経てその経済的価値民主主義的に固まっていっているからだ。これを実勢価格ともいう。

一方で障害者の絵に対するにわか景気はある個人にとっての価値の反映でしかない。それを指標としても客観的価値は見えてこない。

からまあ結局、このような状況は五体不満足障害者にせめて富がもたらされる機会が作り出されているだけであって、芸術家より評価されているというわけではないから、まあ誰も(故人も含めて)実体的そして精神的な被害者はいいからこのままでいいかなと思う。

2021-09-21

anond:20210921181956

卒業なんてできない。

そう言っている。

僕たち物理法則卒業したんで! とか言ったところで、高所から落下すれば死ぬ

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