はてなキーワード: マタニティブルーとは
大変だけど一応理性で子育てしている。
正直後悔している。
産む前に夫婦間以前に自分が人生で何を望んでるのかきちんと考えるべきだった。
子供を産む気がないと言う友達の話しに触れてはじめて「あ、私が生きたかったのこっちのルートだったわ」と気づいた。
思えば妊娠当初から他の妊婦と話しても気持ちに差を感じてはいた。
自分の中ではマタニティブルーかなとか思ってたけどずっと変わらなかったし産んだらもう後悔っていうね。
草。
今はまだ赤ん坊だしパグかセントバーナードの赤ちゃんだと思えばかわいいもんだな、みたいな。
この可愛くないっていうの、見た目の話しもなくなはないけど(まあ赤ん坊だいたい猿だし)、存在そのものが、なんだろう、別に居なくて良いんだけどなっていう…。
親戚の犬を育てなくてはならなくなった、みたいな。
泣き止まなくて苛つくときもあるけど理性でなんとかしてる。
自分の理性とか常識とかで保護者だからちゃんとしないとなーって思ってやれてる。
これからこの赤ん坊に自我が芽生えてさ、自立して行動し始めたときに今のこの自分の感情はどうなるんだろうな。
なんか産んだことに後悔だよ。
二人目は生まないわ。
そもそもこの子どもだってこれから何か病気見つかったり成長してトランスジェンダーの自覚を持ったりしたらこの国じゃ死ぬほどしんどい思いしかしないじゃん。
自分でもろくな世の中じゃないなと冷静に思うのに、なんでそんな世の中に産み落としてんだろうな。
草も生えんわ
それでは聞いてください、マタニティブルース。
明日は私の父が迎えに来て、そのまま里帰りする。
夫が迎えに来るものだと思っていたが、コロナで1人しか迎えに来れないということで、第一子の面倒を自宅で義母と見ているから、迎えに来れない。
私は第一子もとても可愛く思っていて、退院したらすぐに会いたいと思っていたが、義母が義実家に帰るのが明後日なので明後日まで自宅で預かってくださるそうだ。
里帰り先である私の実家の母がぎっくり腰になってしまい大変だからという親切心からだ。
しかし、産後のガルガル期なのか、退院しても第一子にすぐ会えないことに凄く不愉快に感じた。
夫が迎えに来ないこと、また退院してすぐに第二子に会いたいという感情が沸いていないことにも腹が立っている。
様々な条件が重なってしまったため、仕方ないが、イライラする。
マタニティブルース?
ストーリーとしては「個体発生を繰り返す、そんな必要のない臓器をつくれる」という夢のような仕組み(BOP)を九州大学理学部生物学をでた東大博士学生A(女)が、東京大学の医学部の教授Bに横取りされてからストーリーが始まる。
1年後、Aは失意のままに男児Cを生み、マタニティブルーのどん底にいるときに、統合失調症を発生してしまう。男児は、Aの両親が養うこととなる。
3年後、防衛庁が BCP の研究を始める。ただし、軍事機密なため、内容は公開はされなかった。
5年後、ついに Bの論文をテーマとした再生医療をベースに、日本はバイオ立国になるがために、東京医科歯科大学では、失われた歯にBOP を埋め込み、京都大学では医学部において心臓のBOPへの導入、名古屋大学では腎移植に BOP ベースの腎臓をつり、東北大学では目と顔の移植を、九州大学では肝臓と膵臓を、北海道大学においては肺と皮膚を、慶応義塾大は人とBCPの応用を、そして東京大学においては脳と神経担当していくことが国の予算として投入されれこととなった。
10年後、BCP は第3層治験を終え、市中の人々に新たな喜びを与えることになる。治験に参加した8割が、脳血管障害から復活し、歯科も BCP のインプラントが主流となり、Aはそのときのノーベル賞を受賞する。
15年後、BCP を移植した人たちに奇妙な動きをする者たちがでてくるようになった。ある時間になると、すうっと立ち上がり同じものを指を指して動かすようになるのだ。まるで、そこに何かがいるかのように、みんなが指差すものは動くらしく、ただ何かあるわけでなく、数分指を指し終えたら元に戻るというのを繰り返すのであった。当時は BCP 癲癇と呼ばれるようになった。
18年後、脳に BCP を埋め込んだ被験者は、痙攣でないときには IQ 160を超える秀才になるいっぽう、痙攣中は「何者かに動かされたかのよう」に施設を抜け出し、同じ BCPを埋め込まれた人たちが輪になって、空に指をさすという不思議な現象を世界各地で確認されるようになる。
20年後、BCP 移植者たちは異形の者となり、精神は崩壊し、一般人を襲うようになるが、一般人は通常兵器を持って BCP の人たちを殺すことを、ミッションとする私営組織 ABC が生まれて、ハンターとしては異形なものを倒す。
というプロットです。
小さい頃から、将来産むであろう我が子をどう育てるかを一生懸命考えながら生きてきた。両親よりも良い親になろうと。
良い親だと思う。いろんな習い事をさせてくれた。頭が悪い私のために、特技を身につけさせようとしてくれた。何もやりたがらない私の手を引っ張って、いろんな経験をさせてくれた。正直すごいお金をかけて育てた子、それが私だと思う。
しかし私はそんな両親の期待を裏切った。今の私は、勉強もできなければコミュ力もなく、要領も悪い。おまけに容姿も良くない。
将来的に1人で生きてくのは無理だろうと思い、結婚して夫に頼ろうと思っていた。子供はできれば25歳前に産みたい、遅くに産むと障害を持つ確率が高くなるから。
そんなふうに半年前まで考えていた。
しかし考えは一変した。
今日22歳になった。
私は子供は生涯産まない、と心に決めた。
第一に。私なんかのDNAを受け継いだらかわいそうだからだ。頭が悪く容姿も悪く、取り柄がひとつもない。おまけに性格も悪い。
こんなふうに生まれたくなかった。親には育ててもらったことは感謝しているが、産んだことには感謝していない。
それから経済的に子供を育てていくことが無理だということ。将来予想される私の収入では、自身の生活を支えていくことだって難しいのに、更にもう1人の分までとなると相当きつい。夫に頼ろうと考えていたが、それは傲慢だと思う。家族になるんだったら、それぞれで支え合っていかなくてはいけない。私が家事が完璧にできる人だったら話は変わるが、そうでもない。
また、子供を産んでからまともに育てていける自信がない。絶対マタニティブルーになる。今でさえ不安なのに、産んでからどうにもなるなんてありえない。精神的に弱い親に育てられたら、我が子がかわいそうだ。
でも子供は好きだ。子供は世の中にとっても大切だ。もし自分が将来経済的にも精神的にも豊かになったら、養子をもらいたい。それができなくても、何かしらの形で子供たちに貢献していきたい。
けど。だけれども。
最近知ってしまった。世帯を持たない独身女への世の中の視線を。子供を産まない女への仕打ちを。
私は、子供はペットのように軽い気持ちで産んで欲しくない。世の中に1つの命をもたらすというとても大変なことのはずなのに、それを理解していない人が多すぎる。
みんな子供を持つ事によるリスクを考えていなさすぎる。もし障害を持った子供だったらどのくらい大変か、赤ちゃんを育てることがどのくらい大変か、世間には子供に対してよく思ってない人がどれだけいるか。
・コロナ流行とマタニティブルーでトチ狂って「感染者ゼロの地元岩手で出産なら安心!」って考えなしに飛びついた説
・元々千葉で夫が出産育児に全面協力する予定だったが、コロナで忙しくなり協力が得られなくなり、やむを得ず地元岩手に帰省出産した説
・岩手で身内に不幸があり、どうしても最後に顔を見たくて無理して帰省した説
・そもそも35週で産まれるとは全く想定しておらず、頭お花畑で岩手に旅行帰省してた説
まぁ事情は色々考えられるっちゃ考えられるけど…
ひとまず、里帰りせずとも夫の協力が得られなくとも非常事態であっても、女性が一人で安心して子育てできる環境を国が整備すべきとは思う。
疲れたよね、疲れるよね。
辛辣なコメントに傷ついちゃうよね。そんなやつらはどうせ大した人生送ってないだろうから、気にしないでね。
マタニティブルーなのに、コロナ、外出自粛で、一歩気を緩めたら自分がガラガラと崩壊してしまいそうです。
旦那とベビー用品買い揃えに行くのを楽しみにしてたのに、アカホンも西松屋も行けない。
美容院だって行きたかったし、友人たちにも会っておきたかった。
でもこうやって大事に大事に守った赤ちゃんはきっと元気に産まれてきてくれて、かわいいだろうなあって3ヶ月先、半年先のことを考えると幸せになれてます。
今日も元気な胎動で、脇腹や肋骨を蹴ったりパンチしてくれてるんだもん。
元気に産まれて、すくすく育ってくれるに決まってる。
YouTubeの赤ちゃん系のチャンネルを見て、インスタで可愛い赤ちゃんに癒されて、少し先の幸せな未来のことを考えて乗り切ってます。
あと1ヶ月、お互いがんばりましょうね。
出産も育児もなーんも自信もない。まぁよくあるマタニティブルーなんだろうなとは思うけど、辛いものは辛いのでぶちまけることにする。
そもそも凄く子供が欲しかったわけじゃないんだよなあ。できればいいよね~くらいの軽い気持ち。妊娠したって知った時は嬉しい気持ちや楽しみな気持ちもあったけど、不安や心配の方が何十倍も大きかった。つわりも、大きくなって重くて息苦しいお腹もなんで私がこんなつらい思いしなきゃいけないの?って思っちゃう。育児も自信ない。そもそもお腹の子の為に自分の時間や人生犠牲にしたくないと考えちゃう。母子手帳だって必要最低限のことしか書いてない。結局行けって言われた歯科検診も両親学級も行けてないし子の保険とかのこともなんも考えてなけりゃ~お金の算段とかもろくにしてない。これから産まれた時に発生する書類の手続きとか全部めんどくさいしもう何もしたくない。
毎日仕事に行って帰ってたまに贅沢する生活の方がよっぽど良かったんじゃないかなあ。。子供いてもいいかも~なんて軽い気持ちで考えるんじゃなかったなあ。それでも私がこんな不謹慎で情けないのにお腹の中で胎動ドンドコしてるのすげ~な~。
マジでこんなクソみたいな親ですまんな~。。
中学生の時家にきた3匹の猫のうち1匹はは自分が大学生の時、1匹は社会人になってから亡くなった。もう1匹は健在。化け猫になるくらいたっぷり長生きするんだよ。
今は里帰り出産のために実家に戻ってきてる。実家で出てくるご飯や不自由のない生活に、なんか、東京に居たのは夢だったのでは?という気がしてくる。
仕事は楽しい。でも同じ給与が地元で得られるなら地元で良かったのかもしれない。
東京でお金を貯めたらいずれ地元に戻るつもりでいる、何年後か。何年がだろうか。
毎年帰省するたび猫のことを考える。いつまで元気だろうか。
親も友達もいつまで元気だろうか。
オンラインゲームばかりやって暗くて、友達も少なくて、ちょっぴり不登校で、明るいとはいえない青春を過ごしてた自分が、
社会人になって、配偶者がいて、もうすぐ人の親になるのか、人生がこわい。
やだな、時間が過ぎるのがこわい。
まだ人生あと何十年あるんだろう。
残り何十年好きな人たちと一緒に過ごせるんだろう。
これマタニティブルーなのかなって思ったけど産後になるものなのか。
書いてたら落ち着いてきた。わっしょいわっしょい。