はてなキーワード: 普段とは
ガソリンスタンドってめっちゃ火事なりそうなのに実際は全然そんなことないよな
普段車乗らないからセルフのときの入れ方もよくわかってないんだけど、
Twitterとか見てるとタバコ吸いながら入れてる奴とかいるじゃん
年に何回かは派手な火事とか起きてもおかしくないのに全然ニュースでは見ない
ふしぎ
先日27歳になった。一応エリートに分類される人生を送ってきたと思う。小学生の頃から高校まで成績はほぼオール5、受験勉強も必死にやって大学受験でも全勝し某理系難関国立大に進学。学部でも真面目に勉強し、ほとんどの科目でA以上をとって学部を卒業した。大学院にも進学し、一生懸命研究した。それほど華やかな研究成果が出たというわけではないが、それでも論文を出版することはできたし、優秀な大学院生ではあったと思う。大学院卒業後は研究職についた。仕事はすこぶる順調で、これまでの研究で一つ大きな成果を上げることもできた。年収も27歳にしては少なくない額をもらっている。
客観的に見て、自分はとても恵まれているし、羨ましがられる側の人間だと思う。だから、以下に述べることは結局僕の強欲さに過ぎないのかもしれないが、無性にどこかに吐き出したかった。どうかここに書くことを許してほしい。
僕は童貞である。27年間、女性とそういう関係になることがなかった。一応2回ほどお付き合いのようなことはさせていただいたのだが、どちらも長続きせずそういうことにすらならずに終わってしまった。
どうやら自分は他人と親密になるのが苦手らしい。一定以上親密になると、付き合うのが面倒くさくなってしまう。LINEの返信は面倒だし、気を遣いながら相手の言ってほしい言葉を探すのも得意ではない。これは何も女性関係に限ったことではない。友人との連絡も、たまにする分には楽しめるのだが、特に同じ相手と頻繁にやり取りする気にはとてもなれない。親との連絡ですら、面倒くさくてかなり適当になっている(最近は、親への連絡も親孝行だと思ってサボらないようにはしているつもりだが) 。
こんなに人付き合いが億劫なのはなぜだろうと考えてみると、そもそも僕は誰かに自分から話したいと思うことがほとんどないのである。僕には趣味と言えるものがほぼない。今までの人生のほとんどの時間を、勉強や仕事に使ってきたからだ。だから、仕事以外となるとほとんど話せることがないのである。そのせいで同じ相手とたくさんやり取りをすると、すぐ話のネタが尽きる。それでも聞き上手ならうまく相手の話を広げて会話を続けられるのかもしれないが、そういうことも得意ではない。これでは誰かと長く会話を楽しむこともできないし、次第にコミュニケーションを取ることすら嫌になってくる———。
要するに、僕がつまらない人間だから、人との会話を楽しむことができないのだ。
ではさらに、なぜ僕はつまらない人間なのだろうと考えてみる。言いたいことがない、相手から何かを聞いても良い受け答えができない。これは要するに頭が悪いということではないか。ここでの頭が良い悪いというのは、勉強とか仕事ができるできないの話ではない。普段から何かに興味を持って挑戦したり、あるいは誰かの話に興味を持って自分の頭で考えられることである。僕のこれまでの「エリート」人生では、勉強や仕事を一生懸命頑張っていればよかった。実際、僕にも勉強や仕事についてなら語れることはいっぱいある。でもそれを脇に置いた時、自分の「エリート」人生の驚くほどの薄っぺらさと、周りの「非エリート」人生の厚みに気づく。
仕事がうまくいっているうちは、自分の「エリート」さを支えに生きていけるかもしれない。しかし、仕事で行き詰まった時、自分の生き方に疑問を持つのが怖い。そんな時に、自分を支えてくれる人がいれば良いが、いまの僕にはそんな心から頼りにできるほど親密な相手もいない。また仮に仕事がずっと順調にいったとしても、いつかは引退するのだろう。そうなれば、自分の仕事に関するエリート性はもちろん、仕事を通じての人とのつながりすら失うことになる。そうなった時の孤独がどんなものか、想像もできない。
27歳童貞という事実は、単に自分の人生の浅はかさの一つの表れに過ぎないのだろう。「エリートさ」のみに支えられた一本の細い綱を渡りながら孤独に向かって進む他ない自分の人生にうっすらとした絶望を感じながら、今日も懸命に仕事をする。
先日27歳になった。一応エリートに分類される人生を送ってきたと思う。小学生の頃から高校まで成績はほぼオール5、受験勉強も必死にやって大学受験でも全勝し某理系難関国立大に進学。学部でも真面目に勉強し、ほとんどの科目でA以上をとって学部を卒業した。大学院にも進学し、一生懸命研究した。それほど華やかな研究成果が出たというわけではないが、それでも論文を出版することはできたし、優秀な大学院生ではあったと思う。大学院卒業後は研究職についた。仕事はすこぶる順調で、これまでの研究で一つ大きな成果を上げることもできた。年収も27歳にしては少なくない額をもらっている。
客観的に見て、自分はとても恵まれているし、羨ましがられる側の人間だと思う。だから、以下に述べることは結局僕の強欲さに過ぎないのかもしれないが、無性にどこかに吐き出したかった。どうかここに書くことを許してほしい。
僕は童貞である。27年間、女性とそういう関係になることがなかった。一応2回ほどお付き合いのようなことはさせていただいたのだが、どちらも長続きせずそういうことにすらならずに終わってしまった。
どうやら自分は他人と親密になるのが苦手らしい。一定以上親密になると、付き合うのが面倒くさくなってしまう。LINEの返信は面倒だし、気を遣いながら相手の言ってほしい言葉を探すのも得意ではない。これは何も女性関係に限ったことではない。友人との連絡も、たまにする分には楽しめるのだが、特に同じ相手と頻繁にやり取りする気にはとてもなれない。親との連絡ですら、面倒くさくてかなり適当になっている(最近は、親への連絡も親孝行だと思ってサボらないようにはしているつもりだが) 。
こんなに人付き合いが億劫なのはなぜだろうと考えてみると、そもそも僕は誰かに自分から話したいと思うことがほとんどないのである。僕には趣味と言えるものがほぼない。今までの人生のほとんどの時間を、勉強や仕事に使ってきたからだ。だから、仕事以外となるとほとんど話せることがないのである。そのせいで同じ相手とたくさんやり取りをすると、すぐ話のネタが尽きる。それでも聞き上手ならうまく相手の話を広げて会話を続けられるのかもしれないが、そういうことも得意ではない。これでは誰かと長く会話を楽しむこともできないし、次第にコミュニケーションを取ることすら嫌になってくる———。
要するに、僕がつまらない人間だから、人との会話を楽しむことができないのだ。
ではさらに、なぜ僕はつまらない人間なのだろうと考えてみる。言いたいことがない、相手から何かを聞いても良い受け答えができない。これは要するに頭が悪いということではないか。ここでの頭が良い悪いというのは、勉強とか仕事ができるできないの話ではない。普段から何かに興味を持って挑戦したり、あるいは誰かの話に興味を持って自分の頭で考えられることである。僕のこれまでの「エリート」人生では、勉強や仕事を一生懸命頑張っていればよかった。実際、僕にも勉強や仕事についてなら語れることはいっぱいある。でもそれを脇に置いた時、自分の「エリート」人生の驚くほどの薄っぺらさと、周りの「非エリート」人生の厚みに気づく。
仕事がうまくいっているうちは、自分の「エリート」さを支えに生きていけるかもしれない。しかし、仕事で行き詰まった時、自分の生き方に疑問を持つのが怖い。そんな時に、自分を支えてくれる人がいれば良いが、いまの僕にはそんな心から頼りにできるほど親密な相手もいない。また仮に仕事がずっと順調にいったとしても、いつかは引退するのだろう。そうなれば、自分の仕事に関するエリート性はもちろん、仕事を通じての人とのつながりすら失うことになる。そうなった時の孤独がどんなものか、想像もできない。
27歳童貞という事実は、単に自分の人生の浅はかさの一つの表れに過ぎないのだろう。「エリートさ」のみに支えられた一本の細い綱を渡りながら孤独に向かって進む他ない自分の人生にうっすらとした絶望を感じながら、今日も懸命に仕事をする。
Twitterで「子供の超音波みたいな声が耐えられない」という言説をいくつか見た。
これらのツイートは「子供が外で遊んでただけでうるさいと苦情が来た。社会が子供に優しくなくなった……」みたいな文脈のツイートに対してついてた引用ツイートたちだった。
まず一つだけ言わせてくれ
超音波聞こえるとかコウモリか?あまりにも強すぎる、その耳をくれ
そんで、この手のツイートたちに反論?みたいな感じで「年取ってからそういう音に過敏になるらしいぜ」みたいなリプもついてた。
それもおそらくあるだろうけど、私は思った。
「最近の人たち、雑音に慣れて無さすぎるのでは?」
電車乗ってもみんなイヤホンつけてるし、なんならみんなどうせノイズキャンセリングがついてるんだろう。
私だってイヤホンつけてるから人のことは言えない。ノイキャン嫌いだからノイキャンはないけど。
なんなら街中歩いてる時もイヤホンつけてる。普通に危ないからやめろ。それでストーカー気づかなかったら下手すると死だぞ?
何が言いたいかって、みんな雑音を消すことに慣れすぎなんじゃないか。
そりゃあ雑音はなきゃないだけ耳の気分は良くなる。好きな音楽を集中して聞けて楽しいし、電車の中だとノイキャンないと音が聞こえにくい時すらある。
でもさあ、もうちょい雑音聞いても良くない?
車の音とかさ、電車の音とか、工事の騒音とか、鳥の騒ぐ声とか、ガキの騒ぐ声も聞いてみてよくない?
ふつーにうるせえなってなるだけだよ。
頭痛には、原因となっている病気がある頭痛(二次性頭痛)と、原因の病気がほかにない頭痛(一次性頭痛)があります。普段から頭痛に悩まされている人(慢性頭痛)の多くは一次性頭痛であり、この中で最も多いのは緊張性頭痛、次に片頭痛です。
はい。
でも弊社に腐るほどいるあの人やこの人の異常な社会性の無さを勘案すると、なるほどこういう人達は普段一切文章読んでないからこんななのか…?と思う
というか日本の大人の半分くらいの人達は漫画とラノベと競馬新聞と雑誌くらいしか読んでないのかもしれない
むしろだからネットがこんな有様なんだと言われると納得するけど、じゃあ普段一体本読まない時間何してるんだ、ゲームなのか
とはいえ本読みまくってると豪語してる都知事石丸閣下もあのめちゃくちゃな認知能力だし、逆に本読んでも救われない方が救いようが無くて救えないのかもしれない
旅が好きだ。知らない土地、普段見ない景色、美味しいもの、不思議なこと、色々な生き物。普段過ごしている場所から離れて、光の当たり方が違う土地で、カメラを使う。
旅に出たい。常にそう思う。機会があれば船に乗り、夜通し歩き、飛行機も列車も調べ尽くして旅程を組む。
「そんな場所には行きたくない」常にそう思う。天候が崩れると分かりきっている場所と日時の組み合わせ。何度も通って想像できる場所、あるいは近くへ訪れたばかりの場所。混雑することが明らかな場所、オペレーションが崩壊している施設。
それに、集団行動も嫌いだ。波長の合う人たちを過ごすことは好きだけれど、ツアーに参加したり、通勤の移動ですら、歩くペースが違う人といると躓きそうになる。歩調を合わせようとすると心拍がズレるような息苦しさでストレスだ。立ち止まったり、コース取りが予想外だったり、そうして右往左往する人に紛れるのも避けたい。
計画して旅に出るのが苦手だ。計画するというのは、効率と確実性の追求だ。その割にアンコントローラブルなパラメータが多過ぎる。
「明日晴れている場所に行く」「晴れたらここに行く」そうして、突発的に旅に出るのが楽だ。アンコントローラブルな天候の確実性が高いのだから、あとは混雑と自分次第ということになる。混雑は、早く行動しさえすれば大方解決できるわけで。
旅は平日にしたい。旅を終えたらゆっくりしたい。旅に日常を持ち込みたくない。
結局のところ、突発的に、ここではないどこか晴れた場所を探して、一人黙々と移動し続けるのが合っている。
目的地に到達したいのではなく、「ここ」を離れたい、離れた結果「よかった」と肯定したい、そういう逃げの旅なのかもしれない。まして、普段着でどこにでもいく、準備をせずに崖でも沢でも雪でも入る。無理だったら、無理とわかったそこでおしまい、帰ることもなく、それまででした、という、逃げの旅なのだと思う。
「非管理職も360°評価を取り入れれば、マネージャーに評価されなくてもメンバーが普段の姿を見て評価してくれる可能性があるから導入すべき」って本気で言ってるのか、おっさん…。
自分が周りからどう見られてるか、何で50近いのに20代と同じ職位で止まってるのかマジでわからないんだな…。
普通に陣痛~出産の痛みのほうが何倍にも痛いしなんなら出産前の内診を耐えられたならまじで行為できるとは思うんだけど…
赤ちゃんの頭のほうがブツの何倍もでかいし…出産時の子宮口確認も最終的には腕突っ込まれてるわけだし…
そんなに怖いのか…バイブやゼリーでならせばそれほど痛くはないとは思うんだけど。なんなら普段の内診のクスコのほうが何倍も痛いと思うんだけど。
他人事ながらいつか勇気出して旦那さんと行為して、思ったほど痛くなかった!って思える日がくるといいなーと思いました。余計なお世話だが。
だって、みんなお正月とかにお金を払って願いを叶えてもらおうとします
本当の神様は、お金と交換で願いを叶えてくれるようなものではありません
日本人って無宗教なようで、都合のいいときに都合のいい所だけ都合のいい宗教の信者だよね…😟
ちなみに、普通のキリスト教の教会の運営は日曜のわずかな寄付と教会全体で運営費を分配しています
当然、そんなお金だけで暮らしていけるわけもないので、牧師さんとか、牧師さんでなくても家族とかみんなが普通に働いてます
普段はサラリーマンをしながら牧師をしている人たちが大勢います
日本のお寺とか神社は、兼業でサラリーマンしなくても食べていけてる人たちがいます
おみくじでお金も取りますし、地鎮祭とかでも多額のお金を取りますよね
お寺や神社はもちろんですが、もっと怪しい宗教は巨大な御殿とか仏像とかが建っています、そんなのおかしいです
宗教の関係者も、信者さんたちも、みんな同じように毎日働くべきなのです
プロテスタントの合理的禁欲が資本主義の元になったというような説があります
しかし、今のアメリカでは資本主義から宗教的禁欲の要素がなくなり、欲だけになってしまいました
とんちで有名な一休さんだって、史実はあんなアニメのようなものではなく、あれは民の間で伝わった話が元になっています
一休宗純は、托鉢をもらって悟りを目指して修行する、という特権階級のような考え方に疑問を持ち、
自分で畑を耕したり、寺に仕事を持ってきてはみんなで内職をする、というような活動をしていたと聞いています
俺たちは悟りとか修行とか高尚なことをしているのだから働かない、托鉢で生きさせろ、という考え方がそもそも煩悩なのではないでしょうか
両者とも乞食のような恰好をして、売春婦や障害者を引き連れて、街を練り歩いたりしています
二人とも民衆から隔絶された宗教施設にいるような宗教家ではなく、民衆の元に降りてきて、民衆と共に生活しています
大きな違いは、イエスはユダに裏切られましたが、一休さんの凄い所は晩年成功したということでしょう
これ以上、ニュース・長文を見る層は増えないには異論はないけど、それは即ち、なんらかの能力を欠如を意味する物じゃないんだよね
他のことで忙しいから・不愉快だから意図的に避けている層はそれなりに存在する(というか半数はいる)
ちなみに増田は、『ニュースや長文見てたらその選択肢だけはないですよね?』をやってる人、
雑に結果を見てると『知的怠惰を発揮する権利を行使するぜ!』は、所得が高い地域で多い傾向にあるように見えます
なお、同じ所得が高くても、立地的に現役でお勉強する人が多そうな地区では比較的バランスの取れた結果になってます
ワイは素直に下記のように読みました
- 勉強が仕事の人以外は、キリキリ働くと、ろくにニュースも長文も見てない(まぁ忙しいし、不愉快になるだけだしね)
- 勉強が仕事の人、時間が有り余っている人(キリキリ働いていない可能性が高い)、政治関連の情報収集が趣味の人、自分が必要な情報の取得が得意な人は、ニュースも長文も見てる
- ろくにニュースも長文も見ないのに、知的風なものに強い憧れが有る人が、所得が高い地域にかなり存在する 。まさかの所得が低い地域よりも
(すべてが組織票・利権絡みの投票とは思えませんし)
とりあえず、選挙に行く気はあるが、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で"
ニュースや長文を絶対見ない層に投票して貰うために、常に礼儀正しく、言葉の非暴力を貫いた方がいい
けど、肝心のそれなりに票集めそうな党が、選挙活動中だけでなくて、”普段”から、
ニュースや長文見ない人でも刺さるようないい人アピールしてくれないと、どーにもならんのですけどね
プライベート切り売りで家族と一緒に過ごすてますよアピールなり、
ホームレスの支援活動なり、介護支援なり、子どもたちが夏休みにご飯食べれる支援なり
とりあえず、ネットで批判バトルや謎の擁護合戦、変な動画は、おかしな人たち・関わり合いになりたくない人たちという印象しか与えていない自覚は欲しい
いやこれ前も書いたけど、増田にも送っておくね
自民憎しの人は、世の中の人は、目の前のタスクに追われてニュースや政治に興味がない人が多いこと、自覚が欲しいよね
『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね
なので目の前のことで忙しい人は、投票行ったら感じが良さそうな印象がある人(偏向報道だろうが荒い雰囲気を持っていないように見える人)に投票するよね
あるいは、ネットサーフィンしてた時に、なんか怖いこと言ってた人たちじゃないのに入れるよね
これ以上、ニュース・長文を見る層は増えないには異論はないけど、それは即ち、なんらかの能力を欠如を意味する物じゃないんだよね
他のことで忙しいから・不愉快だから意図的に避けている層はそれなりに存在する(というか半数はいる)
ちなみに増田は、『ニュースや長文見てたらその選択肢だけはないですよね?』をやってる人、
雑に結果を見てると『知的怠惰を発揮する権利を行使するぜ!』は、所得が高い地域で多い傾向にあるように見えます
なお、同じ所得が高くても、立地的に現役でお勉強する人が多そうな地区では比較的バランスの取れた結果になってます
ワイは素直に下記のように読みました
- 勉強が仕事の人以外は、キリキリ働くと、ろくにニュースも長文も見てない(まぁ忙しいし、不愉快になるだけだしね)
- 勉強が仕事の人、時間が有り余っている人(キリキリ働いていない可能性が高い)、政治関連の情報収集が趣味の人、自分が必要な情報の取得が得意な人は、ニュースも長文も見てる
- ろくにニュースも長文も見ないのに、知的風なものに強い憧れが有る人が、所得が高い地域にかなり存在する 。まさかの所得が低い地域よりも
(すべてが組織票・利権絡みの投票とは思えませんし)
とりあえず、選挙に行く気はあるが、感じが悪い人・お行儀が悪い人・倫理観のない行動が大嫌いな"上で"
ニュースや長文を絶対見ない層に投票して貰うために、常に礼儀正しく、言葉の非暴力を貫いた方がいい
けど、肝心のそれなりに票集めそうな党が、選挙活動中だけでなくて、”普段”から、
ニュースや長文見ない人でも刺さるようないい人アピールしてくれないと、どーにもならんのですけどね
プライベート切り売りで家族と一緒に過ごすてますよアピールなり、
ホームレスの支援活動なり、介護支援なり、子どもたちが夏休みにご飯食べれる支援なり
とりあえず、ネットで批判バトルや謎の擁護合戦、変な動画は、おかしな人たち・関わり合いになりたくない人たちという印象しか与えていない自覚は欲しい